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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第六章
182/515

失敗

 ディート殿が戻り、昼からの業務にかかろうかという頃合いに、来客があった。


「レイ様、お客人連れてきた!」

「あ、あの……村の人が……こ、ここだって……」


 お客人はロビンで、案内してきてくれた村人はカミルだ。最近あまり顔を合わす機会が無かったけれど、元気な様子。


「カミル、背が伸びたな」

「おうっ! ちょっと伸びた! 最近しっかり食ってるからなっ」


 ニシシと満面の笑みを浮かべるカミルの頭をグリグリ撫でると、隣のロビンがなんだか複雑な表情だ。

 村の子供が思いの外適当な態度なのでびっくりしているのだろう。


「やあロビン、セイバーンまで来てくれたのか、ありがとう。納品かな?」

「は、はい……三十品ほど……完成したので……」

「じゃあ中へ。見せてもらうから」


 中へと促すと、戸口横に立つディート殿にギョッとするも、彼がにこりと笑うものだから、どう対応しようかと悩んで視線を彷徨わせた挙句、ヘラリと笑って誤魔化すことにした様子だ。すすすと、距離を取って入室してきた。


「そこの長椅子に座って。今俺もそっちに行くから」


 手元の書類にざっと目を通し、署名と捺印を済ませてから席を立つ。

 机の上の書類をハインが片付けていると、コンコンとまた訪いの音が響いた。なんだ? 千客万来なのか?


「あの、お茶を……」


 違った。サヤだ。ロビンが来たのが聞こえたらしい。

 だがサヤの姿でロビンの前に立つのは不安である様子で、入室してこない。察したハインがお茶を受け取り、中で用意してくれた。

 予定に無い来客であったため茶菓子は無いが、かわりに甘めの牛乳茶だ。甘味はどんなものであれ、庶民には喜ばれるから、これを用意してくれたのだろう。


 前回同様、ロビンは懐から灰色の絹布を取り出し、本日の荷物は懐に収まらなかった様子で、手荷物からいくつもの薄い木箱を取り出した。

 その中から、ひとつひとつ、丁寧に取り、絹布に並べていく。


「こ、この箱は、銅貨五枚の、品です」


 箱の中は全部で五つ。飾り彫りされた金属の軸に、蝶や花、木の葉や月といった意匠がひとつ、飾られている。

 銅貨五枚とは思えない、丁寧な出来栄えだ。素晴らしい。

 次の箱は銅貨六枚、その次は銀貨一枚といった風に、箱ごとに中身を揃えてくれた様子だ。銅貨五枚のものが十点。銅貨六枚が五点、銀貨一枚が五点、二枚が五点、更に、銅貨三枚という品が五点あった。


「三枚?」

「は、はい……その……初めての品ですし、少しでも安い方が、俺たち庶民は、手を出しやすいかなって……」


 装飾は金属の軸に掘られた飾り彫りのみ。けれど、ちゃんと手を掛けて作られた良品に見える。簡素だけれど、美しい。


「ああ、君は本当に、良い職人なんだな。ギルが目をかける理由が、よく分かった」


 自ら考えて、客の要望を想像して、これを作ってきてくれたのだ。とても良い判断だと思う。そして、安く仕上げるにしても、ちゃんとした仕事をこなしている。

 俺のお願いした仕事以上のことをしてくれたのだと素直に思えたから、そう口にしたら、ポカンと呆気にとられた顔をされた。


「……えっ……?」

「美しいよ、これ。銅貨五枚のものよりしっかりとした模様が彫り込まれているから、とても見栄えが良い。

 飾り彫りが分かりやすいように、少し幅広にしたんだな。うん。良い出来栄えだ」


 ざっと金額を計算すると、金貨二枚に銀貨六枚となっていたので、今回の材料費は金貨一枚のみを差し引くことにする。

 それと合わせて、ここまでの馬車代も加えた。予定していない出費であったろうから。


「セイバーンまで来るのは時間も馬車代も掛かるだろう?

 今、五日に一度の割合で、拠点村に出向いている。昼からだいたい、三、四時間ほどはいるかな。

 拠点村までは、荷物や職人を多く移動させているから、馬車が毎日往復しているんだ。次はその馬車に便乗させてもらうと良い。許可証を用意するから、それを見せれば乗せてもらえる。あそこまでなら、一日全部を潰すこともないだろうし、品もそちらで確認するよ。

 あと、俺がいない場合は、ウーヴェが必ずいると思うから、そちらに渡しても良いようにしておこう」


 ブンカケンの店主という肩書きなのに、使い倒されている感じのウーヴェだが、本人はとても楽しそうにしている。

 色々な職人に関わるのが、殊の外好みに合うらしい、現場の職人も前代未聞の工事にとても興味津々であるそうで、士気は高いと教えてくれた。

 今は昼食のみを、食事処の面々が出張販売している状況なのだが、食事処と湯屋が急ぎ造られていて、完成すれば、ガウリィとエレノラはこちらに移り、賄い作りを引き受けてくれることになっている。そうすれば職人も泊まり込みが可能となるし、馬車の往復時間も作業に回せるようになる。

 そう……セイバーンの食事処は、ダニルとカーリン、そしてユミルに任されることとなった。ダニルももう、弟子ではなく、店主となるのだ。


 ロビンに、俺たちが拠点村まで出向く日を伝えておく。

 そうしておいてから、気になることも、確認しておくことにした。


「それで……メバックでの生活は、問題無いか?

 俺たちの事業に関わっているということを、何か言われたり……嫌がらせを受けたり、していないかな?

 もしそうであるなら、遠慮なく言ってほしい」


 そう伝えると、表情が強張る。

 あぁ……やっぱり、言われているんだな……。


「すまない……思っていた以上に、反発が大きいみたいだな。

 親方などは、どう言っている?職場での扱いは……」

「親方は、大丈夫です。むしろ、貴族との仕事ではありえないくらい、優遇してもらえているって、言ってくれました。

 材料費として金を前借りさせてくれるような貴族なんていやしねぇぞって……あっ、ご、ごめ……すいません!」


 勢いで言葉を口にしてしまったようで、あわあわと慌てて蒼白になるから、気にするなと言っておいた。


「俺は普段、こんな風なんだよ。だからそんなに畏まらなくても良いんだ。

 さっきカミルだって、遠慮してなかったろう?」


 そう言って茶化しておく。

 常に貴族扱いされたんじゃ、遠慮して本音すら聞けなくなってしまう。それでは駄目なのだ。貴族の目の色を伺って作業する環境なんて、良いものができる気がしないではないか。


「そ、その……俺は……今、決心が、固まりました!

 このまま、頑張ります。

 少しぐらい何か言われたって、平気です。御子息様……レイ様は、あいつらの言うような人じゃないって、こうして話してる俺が、一番よく、分かってる。

 あいつらより絶対、レイ様を知ってる。惑わされる必要なんて無いんだって、よく、分かりましたから」


 膝の上の拳が、少し震えていた。

 けれど、決心は固い様子で、瞳は揺れていない。

 やせ我慢している……でも、踏ん張るつもりなのだ。その強い意志は、感じた。


「そうか……ありがとう。

 けど、身の危険を感じたりしたら、遠慮しなくて良い。メバックなら、商業会館やバート商会に逃げ込んだって良い。

 もし、ロビンが怪我を負ったりするようなことになったら、俺は耐えられないよ。

 そうなりそうだと思ったら、関わるのはやめるって、言ってしまえば良い。分かったね?」


 身を守ることが最優先。職人は、その命と腕を、大切にしなきゃいけない。

 それだけは絶対だと言い含めた。


 商談を終えてからは、お茶の時間として少しの間、交流を楽しむこととなった。

 早く俺に慣れてもらわないとならないし、ずっと遠慮されていたのでは困ってしまう。

 それにはディート殿も加わって、王都やヴァイデンフェラーでの話を面白おかしく話してくれた。


「我が領地の女は強いぞ。遠慮などせぬからな。

 大抵の家庭は母親が牛耳っている。俺の家も、領主の父より母の方が実権を握っているんだ」


 領主息子がここにもいた⁉︎ と、はじめは緊張していたロビンであったけれど、ディート殿のあけすけな性格は少し接すれば理解できた様子。今は楽しそうに話に聞き入っている。


「父は、母のご機嫌とりには、装飾品を送るのが一番良い! と思っているからよく贈るのだが、母はそれを数回利用したらすぐに売り払ってしまうんだ。

 その金でもって国境警備隊の武具整備や備品の補給をしていたりするのだから、母が強い理由は推して知るべしだな。

 我々が憂いなく職務を遂行できるのは、家庭を支えてくれる妻があってのものなんだ」

「お父様はどんな装飾品を送るのですか?」

「母は腕輪一択だ。金属部分が一番多くて金になると言ってな」


 その言葉にロビンが声を上げて笑う。

 しかもディート殿の母上は、籠手にできそうなほど幅の広いものを要求するらしい。

 そうすると、宝石も見栄えの良いものを使用しなければならず、より出費が嵩むという。

 そうやって夫の懐から上手く費用を捻出させるというのだから、天晴れと言うしかない。


「どれもこれも似たような感じだからな、父もどれがいつのものかなど覚えていない。売られているとは気付いておらんのだ」


 腕輪……籠手のような腕輪か。

 そういえば、何か見たような気がするな。


 ふと思い立って、書類棚を確認したけれど、目的の本は私室であったと思い出す。

 ちょっと待っていてくれと前置きしてから、ハインを伴って部屋を出た。


「何をお探しですか?」

「確か、机の引き出しにしまったと思うんだよ。神話集にあった挿絵がね」


 執務机の引き出しを開けると、何時ぞやしまったきり忘れ去られていた神話集がそのまま見つかった。

 それを手に取って、目的のものを探す。


「あった。これだ」


 それを持って、執務室に戻った。

 今サヤはどこだろう……話を聞かれるのは困るな……。


「ハイン、サヤを探して、執務室から離しておいてもらえるか。上手に誤魔化せよ?」

「はぁ……心得ました。行ってまいります」


 執務室の前でハインと別れて戻ると、ロビンとディート殿が不思議そうな顔で俺を見る。

 俺は、しーっと、唇の前に指を立てて、長椅子に戻った。

 一応小声で話そう。


「ロビン、実はな……俺のもう一人の従者、サヤが十五になったから、祝いの品を贈りたいんだ。

 彼は無手の名手でね、武器は振るわないが、とても強い。けど、生身で刃の相手をしているのを見るのが、とても心臓に悪くてね……」


 俺の話に、二人が怪訝そうな顔になる。なんでそれを今話すのか……。


「ロビンは、透し彫りとか、得意なんだろう? カメリアの髪飾りの蝶は、見事だったものな。

 それで、籠手の代わりになるような腕輪を作ってくれないかな。両腕に欲しいんだ」


 持ってきた神話集を開いて、中の挿絵を見せる。

 そこに描かれているのは神が唯一神であった時の姿なのだけど、腕や足には装飾品と思われる蔦模様が描かれていた。


「こんな感じはどうだろうなと思って。

 服の下に身に付けるから、かさばらない、袖の中に隠せるのが良いんだ」

「ああ、朝言っていた話か。それは良いな!」

「透し彫りなら、いざという時に剣を受け止められるだろうし、重さだって軽減されるよな」

「籠手になるような腕輪……ですか……」

「大きさは……そうだな、関節の邪魔になるのは良くないらしいから、手首の少し上から、肘関節の手前まで。極力幅は広い方が良いけれど、俺は装飾品ってよく分からないからロビンに任せることになる。

 でも、あまり無骨なのは似合わないな。どちらかと言うと、繊細なのが良いかと思うんだ」

「そうだなぁ、サヤは見た目も女性的というか、華奢だしな。装飾品なら身に付けていても言い訳はできるし、隠し防具として良いと思うぞ」


 本人には内緒にしたいから、寸法はバート商会で確認してくれと伝えた。

 ギルならほぼ正確なサヤの寸法が全て分かっているだろうし、意匠についても相談にのってくれると言っておく。


「うーん……なんとも言えませんが……や、やってみます」

「大至急で頼む。髪飾りは後回しで良いから。

 早ければ早いほど嬉しい」

「えっと……他の職人の手を借りても良いのでしたら、結構早くできます」

「そうか! あぁ、構わないよ。意匠はロビンの美意識に任せる。実用最優先で考えてくれ。金額には糸目をつけないから、材料も、加工の手法も問わない」


 急いで依頼書を書き記し、ロビンに渡した。

 それと馬車利用の許可証も渡す。材料費は必要かと聞いたら、大丈夫とのこと。


「ありがとう! 楽しみにしている」


 帰りの馬車の時間が近付いてきたとのことで、ロビンを玄関広間まで見送った。

 ロビンはぺこりとお辞儀して、来た時よりは打ち解けた様子だ。


「全力で、急ぎます」


 それだけ言って、軽い足取りで戻っていった。



 ◆



 ロビンが帰ってから、後回しにした本日の業務を頑張ることとなった。

 夕食までの時間には終わらなかったので、夕食を終えてからも執務室に入る。

 因みに現在、ハインは食器の片付け。ディート殿は、鍋風呂を堪能中。湯屋とはまた違った格別さがあるらしい。

 そして夜間は忍の皆が警備担当だ。昼間も少なからずいるのだが、夜間の方が得意であるという。


 さて、今取り組んでいる業務だが……何が手間かって、交易路計画の準備で、セイバーンの地方任務に就いている騎士らの移動を、どうするかという部分。

 交易路計画は、交易路を整備するとともに、騎士に土嚢の作り方、使い方を覚えてもらうことが目的だ。今セイバーンは平和で、あまり騎士らの活躍の場は無いが、今後のことは分からないし、防衛力強化のため、誰でも土嚢を扱えるよう、基礎を身につけさせるとした。

 これはセイバーンだけのことではなく、交易路を引く領地全体で行う。

 交易路があれば、速やかな進軍が可能だ。国境までの日程が、格段に違ってくる。

 だがそれは、逆もまた然りだ。

 防衛に失敗すれば、敵は交易路を、あっという間に進んでくるだろう。

 だから、そうさせないため、派遣される軍が到着するまでを凌ぐための、土嚢なのだ。


 とはいえ、本来の職務の遂行を疎かにはできないし、最低限は残す必要がある。そして借り受けた騎士を戻したら、留守を任せていた者らを今度は現場に呼ぶ。

 あまり遠方に移動しないで良いよう……場所や期間を考えて移動要請を出さねばならない。

 また、道の整備という、本来の任務ではないことをやりに来いと要請するわけで、文面にも悩む……。地方ごとの事情も考慮しなければならないし……。


「なんだか、楽しそうですね」


 すごく悩んで文面を考えていたのに、サヤにそんなことを言われて、顔を上げた。


「うん?」

「鼻歌歌って作業しているなんて、珍しいですから」


 意識してなかった……。自分がそんな風だったとは。

 だけど、気分が上向いているのは実感している。ロビンにサヤへの贈り物をお願いできたから、嬉しくなってしまっているのだ。

 ロビンなら、サヤの好むものを作ってくれそうな気がする。なにより、少しでもサヤの身を守る助けになるのだと思うと、ホッとできるのだ。

 本当は……彼女を危険に晒すこと自体を、したくない。

 けれどサヤは、そうは思っていない。自分のやれることを最大限やろうとする。彼女は、ただ守られるというのを好まない。


「私も嬉しいです。

 ロビンさん……所属を続けてくれるって、おっしゃいましたもんね……。

 きっと色々、言われているんでしょうに……それが本当に、嬉しくて」

「あぁ……。正直言って、ちょっとびっくりしたよ。

 もう無理だって、言われる覚悟もしてたんだ……。俺が考えていたより、反発はだいぶん、酷いみたいだしな」


 それも致し方ないと思っていた。

 だから、ロビンがああ言ってくれたのは、本当に嬉しかった。

 けれど……それと同じくらい、不安も大きい……。

 ロビンの安全もだし、分かってくれる人が、本当に現れてくれるだろうか……と、そんな不安。

 間違ったことを言っているとは思わない。

 けれど、この世界の理を覆そうなんて、俺には無理なのかもしれない……。


「……大丈夫や。そのうちちゃんと、分かってもらえる。

 ロビンさんかて、レイを見て、知ったから、頑張るって言うてくらはったんやて、思う」


 不意に真剣な表情になったサヤが、そんな言葉を口にする。

 そうして俺の横に来て、何故かキュッと、頭を抱えられた。

 サヤの腹部付近に抱き寄せられた格好だ。


「その……最近元気ないなって……思うてて……。

 レイは、そういうのあまり口に出さへんし……溜め込むタチやし……心配してて……。

 ディート様がいはる時は、その……こういうことも、できひんし…………」


 なでなでと頭を撫でられて、反応に困って固まった。

 い、いや……なんというか……そういう扱いは、考えてなかった…………。子供対応というか……。


「レイはすごい頑張ってる。せやし、大丈夫。ちゃんと、分かってもらえる。

 悩まんでええ。なんも間違ったこと、してへん。時間がかかるだけや。焦らんで、ええ」


 真剣に、一生懸命言葉を紡ぐサヤの手が、丁寧に頭を撫でてくれる。

 何度も何度も、往復する。

 温もりが、サヤに触れた部分から染み込んでくるような感覚。だんだんと、それに気持ちがほぐされていくように感じた。


「……ありがとう……」


 いつぶりかな……こんな…………懐かしい感じ。

 幼い頃、ギルにはよく撫でられた気がする。いつからか、そんな扱いじゃなくなったのだけど……具体的なことは覚えていない。

 そしてその前は?と、考えて……あの人が思い浮かんだ。

 更にその前は……。囲われていた時、朧げに頭に置かれた、大きな手の記憶がある。

 多分、父上の手だ。だからこんなに、胸が締め付けられるのだろうか……。

 サヤに抱きしめられたこは何度もある。

 なのに、今の抱きしめ方は、なにか違った。

 子供扱いなのに…………それだけじゃない感じがする。嫌じゃないんだよな……。


「私が、レイを守る……。

 なんかあっても、絶対に、守るし。

 レイは、レイのやりたいって思うこと、正しいと思うことを、全うしたらええ」


 その言葉に、胸の奥が、ギュッとなった。

 俺がサヤを守りたいのに、あべこべだと思う。

 けれど、守ると言ってくれたことが、何故か嬉しいなんて言葉じゃ言い表せない何かを、俺に抱かせた。

 俺を大切なものとして扱ってくれている感じが、面映ゆくて、少し落ち着かない。



「私は、そうやって、誰かのために頑張れるレイが、好きやで」


 ……っ⁉︎


 びっくりして顔を上げた。サヤの表情を、確認したくて。

 それに合わせて、サヤの手がするりと俺から離れた。

 一瞬それが切なくて、手に視線をやると、その手は何故かまた頬に触れて、視線を戻す前に、何かが顔にぶつかってくる。


 ……うん、ぶつかった。ゴチっと。口の辺りに。


「いっ」


 たぃ……と、小さな声。

 パッと顔にぶつかったものは離れて、サヤは真っ赤になっている。


「………………」

「………………」


 え、と……。


「い、いまの無し! 忘れて!」

「え?」

「忘れなあかんっ!」

「え? ちょっと待って、今…………」

「なんでもない! 無かったことにして!」


  真っ赤なサヤが、特に意味もないのだろう、両手をブンブンと振り回して、そんなことを言う。

 

「失敗した…………か、かんにん…………ノーカンにして、お願い……」


 ノーカンってなんだ……。

 い、いや、そんなことどうだって良いんだ。

 そうじゃなくて今、なんで唇の辺りが、痛いのかって話で……。


 それ以外の可能性、無いよな……と、思ったら、俺も顔から血が吹き出すかと思った。


 慣れてないのだろう。

 だから目測すら見誤って、ぶつかるみたいになった。

 それはそうだ。だって、サヤは好きな相手に触れることすら、ままならなかった娘で、自分からこんな風に行動したことなんて、多分無い…………のに……。


 …………好きって、言った…………。


「さ、サヤ!」

「あかんっもう今日無理やし!」


 俺も好きだと言いたかっただけなのだが……サヤは何も聞かず、そう喚いてから執務室を逃げ出してしまった。

 程なくハインがやって来て、机に突っ伏している俺に「また喧嘩ですか……」と、呆れた声音で言う。


「そういうことではなく……」


 顔が熱すぎて上げられないだけだから……ほっといてくれ……。

 好きって言った……しかもあれ、多分口付けしようとして失敗した……うああああぁぁぁ。

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