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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
18/515

 眠ってしまったサヤの指に、髪を絡めたまま、俺は暫くじっとしていた。

 規則正しい寝息だけが繰り返される、静かな時間……。

 頭はずっと、同じことを繰り返し考え続けていた。

 カナくんと、サヤに呼ばれる男のことだ。


 怖い人から、助けてくれた、幼馴染……。


 サヤは、初めて泣いた時、その名前を口にした。

 昨日も聞いた……。そして、今日も……。

 サヤがこの世界にやってきて、まだ三日目。その毎日に、カナくんはいた……。家族でもないのに……。


「だから……なんだっていうんだ?」


 なんでそれが引っかかるんだ? 幼馴染だと言った。サヤの十六年を、一緒に過ごしてきた存在なら、サヤが大切にしててもおかしくない……。サヤの窮地を、救ってくれる存在なら……サヤが、頼れる存在なら……名前が出たって、おかしくないだろ……。

 分かっているのに、何故か納得できない。

 サヤの故郷にいる存在。それが、妙に胸をざわつかせるのだ。

 何が、こんなに重いんだ? なんでこんな……胸が痛いんだ……?


「故郷……」


 サヤは居なくなるのだな……と、その時強く、意識した。

 その途端胸のざわつきが、心臓を握りつぶすような痛みを伴ってきて……っ。


「レイシール様?」


 扉からの呼びかけに、我に帰ってみると、ハインが立っていた。

 そういえば、扉は開けたままだったな……。不自然にならないように、ゆっくりと口元に笑みを貼り付ける。


「……おかえり。

 サヤは眠ったよ。落ち着いたみたいだ……」


 ハインに悟られたくなかった。この意味不明な感情を。


「どうされたのですか?」

「ん? いや、どうもしないよ。動けないだけ。サヤの指に、俺の髪が絡んでるんだ」

「? なんでこんなことになってるんですか……」

「うーん……サヤが眠るまで、話をしてたんだけど……いつの間にかこうなってた」

 ツンツンと、後頭部を引っ張った、サヤが、俺の髪を弄んでいた感触……。

「外します」

「……サヤを、起こしたくないから……そっとね」


 ハインの方を見ないでいいように、若干顔を俯ける。

 自分の表情に自信が無かった。外すと言われて、嫌だと思ってしまった。それが顔に滲んでいそうで……。

 だから顔を伏せた。けれどハインには、指に絡む髪を、見えやすくしただけに思えるように……。


「……たった三日なのに、サヤはレイシール様を、怖がらなくなりましたね」


 髪を外しながら、ハインがそう言った。

「そうかな……」

「そうでしょう。この距離に座っていて、眠ったのでしょう? 指に髪を絡めて……」

「手持ち無沙汰だったんじゃない?」

「サヤの性質からして、手持ち無沙汰だったという理由で男性の髪には触れませんよ」


 ……カナくんみたいだったんじゃない?


 心の中ではそう返事を返したけれど、口には出せなかった。


「顔色はマシになりましたね」という、ハインの呟きに「よかった」と、考えないで良い言葉を返す。


「サヤはこのまま休ませましょう。

 サヤの着ていた服は、ルーシーの部屋にあるようでしたから、持ってくるよう伝えておきましたよ」

「ありがとう。それじゃあ、そっと出よう」


 物音を立てないように扉に向かい、その途中で鏡を確認する。うん、笑えてる……大丈夫だ。

 最後に眠るサヤをもう一度見てから、扉を閉めた。


「……ルーシーはどうしてた?」

「静かになってました」

「はは……サヤが、ルーシーは、励まそうとしてくれたんだと言っていたよ。

 みんなに褒めて貰えば、衣装が似合わないなんて、思わなくなるって……」

「……サヤは衣装が似合うかどうかで悩んではいないと思いますが……」

「ルーシーなりの、気持ちの持ち上げ方みたいだったよ。悪い子じゃないんだよ」

「はた迷惑です」


 そんな話をしながら、応接室に戻ると、ギルだけが待っていた。どうやらルーシーは、サヤの服を取りに、部屋へ向かった様子だ。

 ギルが、戻った俺に申し訳なかったと平謝りを始めるので、サヤの言っていたことを伝える。

 サヤがルーシーを心配していたから、ひどい叱責はしないでやってくれとお願いすると、ホッとした顔をした。厳しくしてたけど、ギルも姪が可愛くないはずないもんな。

 それでこの問題は終了。そう、思ったのだけど……。


「ルーシーがな……サヤは、レイに迷惑をかけていることを、気にして落ち込んでいたと言っていた。

 拾ってしまったばっかりに、手を煩わせてしまっていると。

 自分のことで気を使わせてばかりだと、そう言ったそうだぞ」

「え? そんなこと全然ないのに……。

 何か迷惑なんて、かけられたっけ? 思い浮かばないよ」


 全く身に覚えがない。

 そもそもサヤはやたら有能だ。ここはサヤの住む世界とは全然異なると思うのだが、それでも自分のことは自分でしてしまうし……教えたことはあっという間にこなしてしまう。

 俺が本気で悩んでいると、ギルはその様子に小さく笑った。


「お前はそういうやつだよな……。

 でもサヤには……まだお前の性格は、きちんと理解できてないんじゃないか?

 お前の言動は……気を遣ってるように見えるからな……」

「そうなの⁉︎」

「 何でもかんでも良い方に受け取ってるだけだと解るのに、俺は数年使った」

「そうですね。レイシール様は、ご自分のことは後ろ向きなのに、人のことはやたら前向きに捉えますから」


 二人にそう言われて愕然とする。気を遣ってないのに気を遣ってる風に見える……無駄に押し付けがましい感じの印象。最低だ……。


「ほらな。そうやって自分のことは後ろ向きなんだよ」


 俺が落ち込んだのを瞬間的に察知してギルが溜息をつく。

 そして俺の頭をワッシワッシとかき回して「優しすぎるんだよなぁ」と、しみじみ言った。


「お前はなんつーか……人に優しすぎ。んで自分の欲求には無欲すぎるんだよ。周りが笑ってりゃ自分も幸せみたいな感じだろ。

 自分がどうしたいとか、その辺が蚊帳の外になっちまってんだよなぁ」


 そう言って、もう一度俺の顔を覗き込み「サヤのことも、自分が気付くのが遅かったからだとか、思ってんだろ」と付け足した。


「あれはルーシーの暴走。責任を問うなら俺。俺の監督不行き届きってやつだ。お前の責任の部分は小指の先ほどもねぇだろ?」

「そうかな……でも俺が、サヤのことをきちんと説明しておけば……」

「お前、会う人間全員にサヤが無体されかけたって言いふらすのか? それの方が問題だろ。

 ああ……すまん、流石に、ルーシーには教えた。口止めもした。もうサヤに、あんなことはしないと約束させたから……」

「うん、ありがとう……」


 サヤの名前が出たことで、頭の隅に追いやっていた名前が、また暴走を始めた。

 カナくんは……どんなふうにして、サヤを守ってたんだろうな……。俺みたいな役立たずじゃないことだけは確かだ。サヤが名を、口にするくらいだから……。


 どんな男なんだろう。……ただの、幼馴染なんだろうか……。


「おい……どうした?」

「んっ? いや、どうもしないけど? なに?」

「いや……なんかお前今……疲れたのか?」

「ああ……若干精神的に疲れたかもね。サヤのこと、心配だし……」


 一瞬嫌な考えが頭をよぎったのだ。

 だけど、それは全然、俺が介入するようなことじゃなくて……なんで自分がそれに動揺しているのかも意味不明で……。だから取り繕って誤魔化した。


「マルが来るの、昼過ぎだっけ……。それまでサヤについていようかな……って、考えてたんだ。

 あのまま一人にしておくのはちょっと心配だし……」


 嘘は言ってない。

 心配は本当だ。カナくんを思い出してしまったサヤは、涙を零していた。泣いていた彼女を、一人にしておきたくない……。


「……そうですね。今ここでサヤが一番慣れていて、怖くないのはレイシール様でしょうし。しばらくお願いします。何かあれば交代しますよ」


 ハインがそう言ってくれたので、ほっと胸をなでおろす。

 主人の手は煩わせませんとか言って、自分が行くか、ギルに使用人を借りるかする可能性があったのだ。そうなれば、言い訳が難しい。だから、何か言い出す前に、さっさと戻っておくことにする


「ああ。じゃあまた後で」


 今通ったばかりの廊下をまた戻り、自室に向かった。

 その間も、頭の中にずっと繰り返されるのは、サヤのこと。そしてカナくんのこと。

 俺はカナくんに似てるのかな……だからサヤは、俺に慣れたのかな……。カナくんは強いんだろうな……サヤをあんな風に強くするんだから、きっと……サヤ以上の使い手なんだろう……。


 カナくんはサヤの……恋人なのかな……。十六歳なら……夫であっても、おかしくないんだ……。


 そんなふうに、考えたくもないことが頭の中を繰り返し埋めていく。

 

 おばあちゃん、かなくん、もう、あえへんのやろか……。

 すぐにかなくんが、きてくれたから……たいしたことは、されてません……。

 

 馬鹿みたいにサヤのカナくんと呼ぶ声が、頭をぐるぐるとかき回す。

 そのせいで、呼ばれていることにも気付かなかった。

 そのまま階段を上り、部屋の扉が視界に入った時、急に目の前に何かが飛び出す。


「うおっ⁉︎」


 ぶつかりそうになってあわてて一歩引いたら、それはルーシーだった。

 真っ赤な目で、ボロボロと涙をこぼしているものだから、唖然としてしまった。何事⁉︎


「あっ、あの……私、知らなくって……サヤさんに、そんな経験あるとは、思わなくって……。

 傷つけるつもりは、無かったんです。ただサヤさんが、レイシール様に嫌われたくないって、思ってるんだって、そう思ったから……ごめんなさい!」

「へっ? いや……ご、ごめん……。もしかして、話し掛けてた?」

「レイシール様が怒るのも当然ですから! だけどっ」

「いや、怒ってない、怒ってないよ⁉︎ ごめんっ、ちょっと考え事に集中してて、全然聞いてなかったんだ!」


 しまった……。なにを聞き逃したんだ? ルーシーにすら気付かないなんて……末期だっ。俺の頭は相当鈍くなってる!

 泣く彼女を必死でなだめる。もう、正直に言って謝るしかない。


「ごめんルーシー。ほんと、怒ってないんだ。ちょっと、自分のことで頭がいっぱいになってた……。

 サヤは大丈夫だよ。ルーシーのことを心配してた。元気付けようとしてくれたって言ってたから、悪気がなかったのも分かってる。

 だからそんなふうに泣かないで。大丈夫だから。

 あ、サヤの服を持ってきてくれたんだね、ありがとう……。起きたら、渡しておくよ……」


 俺が必死でなだめ、謝ると、ルーシーは顔をごしごしと擦りながら頷いた。

 サヤの服を受け取る。だけど、立ち去ろうとはしなくて、まだ何か言いたそうな感じにしているものだから……話を聞くことにした。今は、頭が働く気がしないんだけど……仕方ない。


「さっきサヤが、私に迷惑かけてるって、落ち込んでたって話……ギルから聞いたよ」

「はい……。レイシール様が、優しくしてくれるのが心苦しいって、言ってました。

 感謝してるけど、逆に迷惑かけてる気がして、申し訳ないって。気を遣わせないようにしたいのに、そんなこともできないって……」

「逆だよね。私が気を遣ってるんじゃなくて、サヤがそうしてるのに……。

 さっきギルにも言われたんだ……、私は周りにすごく、気を遣わせてしまうみたい……。全然迷惑してないのに、サヤを不安にさせてしまうんだ……。駄目だよねほんと。もっとしっかりしてなきゃいけないのに……」

「……レイシール様は、サヤさんのこと、面倒だなんて、思ってないですよね?」

「思うわけないよ! 思うわけない……。

 サヤは、慣れない場所で、一生懸命頑張ってると思うし……私の方がよっぽど面倒臭い奴だろうし……」

「そうなんですか?」

「そうだよ。自分ひとりではなにもできないんだ……。ギルやハインや、サヤに助けてもらってばっかりだよ……」


 人の手を煩わせてばかりだ……。そう思って溜息を吐くと、ルーシーは「なんだか、私と一緒」と言った。そしてやっと笑う。


「でもサヤさんも……似たようなこと言ってました。

 人の手を煩わせてばかり……、面倒がられて、最後には嫌われる……って。

 誰かにそんなふうに、言われたみたいで……。でも、レイシール様じゃなかったみたい。

 レイシール様に、嫌われたくないって、言ってるみたいだったから……。サヤさんはあんなに優しくて、綺麗なんだから……嫌う男の人なんているはずないって、そう思って……。

 こんなことしてしまって、申し訳ありません……。でも、サヤさんの気持ちを、伝えたかったの!」


 一生懸命話すルーシーに、ああ、サヤの言うとおり、優しい子なのだなと思った。

 そして、次にルーシーの口から出た言葉に、慌てる。


「サヤさんは……捨てられたの?」

「ええっ⁉︎」

「だって、レイシール様に、拾われたって、言ってました。

 女の子を一人で放り出す親なら、面倒がったり、嫌ったりするかなって……」

「ちっ、違うよっ、サヤはその……は、はぐれたんだよ! 異国の地で、迷子になっちゃったんだ!」

「そうなんですか?」

「そうそう。初めての土地だから、行き先も分からなくて……迷っていたから、保護したんだよ。捨てられたんじゃない……。サヤはあんなにいい子なんだから……嫌う人なんて、いないよ」

「そうですよね。でも……じゃあなんであんなこと、言ったんだろ……。誰に嫌われたのか……あ、女の人かな。美人だし、肢体も最高だし、妬まれちゃったりしたのかもしれませんね!」


 勝手に考えてうんうんと頷くルーシー。俺もうんうんと頷いておく。余計なことは言わないでおこう……なんかまた、変な事になりそうだし……。


「サヤを、心配してくれてありがとう、ルーシー」


 お礼を言うと、びっくりした顔をした。そして、えへへと、照れたように笑う。

 とりあえずそれでなんとか収拾がついた。


 ルーシーと別れ、部屋に戻る。

 サヤはまだ眠っていた。よかった……耳が良いから、起こしてるかもしれないと不安だったのだ。

 寝台を覗き込むと、サヤの長い睫毛が、頬に影を落としていた。心なしか、血の気も戻っている気がする。顔を近づけると、微かな呼吸音。自然と頬に触れそうになって、慌てて手を引っ込めた。

 どうかしてる……。眠る女性に、触れようとするなんて……。

 ましてサヤは、男に触れられるなんて、論外だろう。寝顔だって、見られたくないはずだ。

 さっきと同じように、寝台に背をつける形で座り込む。

 下手にサヤを見てると、変な気を起こしそうだと思ったのだ。触れたくなってしまう……。


「サヤ、俺は……ね。サヤの苦しいの、ちょっと分かる気がするんだ。

 幼い時、死にかけたっていうか……殺されかけたっていうか……。自分の意思の外からかかる重圧には、身に覚えがある。それの後に、続くことにも…………。

 だから……その、ね。苦しくなったら……。こうやって話を聞くくらいしか、してやれないと思うけど……。吐き出したい時は、言ってほしい。

 ごめんね……。カナくんの代わりには、ならないと思うけど……」


 それでも、ここにカナくんはいないから……。ここでくらい、守らせてほしい。

 サヤを帰すまで、どれくらいの時間があるのかは分からないけど。


 早く帰してあげなきゃ。サヤには家族がいる………幼馴染も……。


 本来ここにいるべき子じゃないんだ。だから………帰したくないなんて、思っちゃいけない。ずっといて欲しいなんて、思っちゃいけないんだ……。

 いつの間にか、俺のサヤを守りたいと言う気持ちは、義務ではなく、責任でもなく、俺のしたいことにすり替わってしまっていた。たった三日、一緒にいただけなのに……。なんでだ? 全然分からない……。

 我儘になってしまってる自分に溜息を吐く。

 

 駄目だ……何かを欲しいなんて思っちゃ駄目だ……。

 

 俺にはその資格が無い。許されていない。

 欲しがってしまえば、それをまた無くして、死にたくなるほど辛くなるって、分かっているのだから…………。

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レイシールさんも過去の辛い思いがあって、自分にも自信がなくてカナくんのこともめちゃくちゃ気になってて……(;´・ω・) 「早く帰してあげなきゃ」という思いが「帰したくない」にもうすでに変化しそうになっ…
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