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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第六章
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反発

「いやぁ、不思議な麺だったな。あんな食べ方もあるのか。

 確かに麺の形で、味も食感も変わる。同じ味でも何か違うな。

 あのようにドロドロした漬け汁というものも初めてだったが、凄く美味だった。

 何より湯がく麺というのがとてもの斬新だな。変わった食感だったぞ」


 大変満足といった様子のディート殿に、サヤはニコリと微笑む。


「私からしたら、焼く麺というのが不思議ですけど。

 あの形状は、チャパティと呼ばれるパンに近いんですよね」

「麺麭とは違うだろう。厚みも食感も製法も」

「それはそうなんですが……私の国の麺というのは、基本、湯掻くんです」


 この世界の麺というのは、小麦と水と塩だけで作る。薄焼きの麺麭みたいなものを指すのだが、サヤの世界では、それは麺麭に分類され、麺は、全く違うものであるらしい。


「この料理、大きく括ってパスタと呼ばれるものなのですけど、野菜も多く使われますから、栄養価も高いですよ。

 屋台の料理などにも向いていると思うんです。

 一種類の漬け汁を大量に作っておけば、湯がいた麺に味を絡めて渡すだけですから、下準備さえ済ませてしまえば、後は手軽です。

 麺はその都度、追加で湯掻けば良いですしね」

「……ここではまだ料理の手法をばら撒いているのか……本当にそれ、大丈夫なのか……」

「……はは。実は事業として、秘匿権を放棄した研究所を立ち上げましてね。今日の品もそこの登録商品にしようと思っているんですよ」


 呆れ気味のディート殿にそう言うと、彼がまた、首を傾げる。


「? なんだそれは……秘匿権を放棄?」

「大災厄前文明文化研究所。という名前なんですよぅ。面白いでしょう?」

「あ、マルおかえり」


 俺たちの食事がひと段落したところに、マルが帰ってきた。

 彼の前にも少量ずつ、全種類が用意される。マルは小食なので、全て一口程度の量だ。


「前、ディート様には、湯屋の時に話したと思うんですけどねぇ。

 情報の共有が、その先の発展を促すって話です。

 我々は、価値を独占するという手法を長年取ってきてますが、サヤくんの国は逆をやってました。その成果が、あの不思議な風呂であったり、美味なる料理であったりしたわけです。

 ならば、我々も同じことをしてみる価値が、あるのではないかと思うのですよ。

 ただまぁ、急にやれと言ってできるものではないでしょうし、まずは我々が率先して、実行してみようかとね。

 一応料理人で試してみたぶんには成功してますし、もう少し規模を大きくしようと思ったんです。

 サヤくんの国の、特別な知識だって限度がありますし、どの分野でもってわけにはいきません。だから、誰か秘匿権を放棄してくれる人がもう少し居やしないかなと思ってるんですが、まあこれはなかなか、いらっしゃいませんねぇ。

 それで、ただ待っていてもしょうがないので、大災厄前の文明から、何か使えそうなものを探し出してみることにしたんです。

 それで『大災厄前文明文化研修所』という名にしました。長いので『ブンカケン』と略そうかと思ってますが。

 昔使っていたものを再現するなら、発見者が権利を有すことができます。それを所属者で共有しようかと。

 幸いにも僕、情報収集が趣味でして、そういった文献を多く持ってますので、使えるなぁと思いまして」


 長々と喋ったマルが、はむっと麺を口に含む。

 にこにこと笑顔で咀嚼。美味である様子だ。


「過去の遺産を……研究? だが……そんなことは、今までだってされていたろう?」


 ディート殿の言葉に、マルはそうですよねぇと、こくこく頷く。


「ええ。一応はされてきました。

 でもね、秘匿権なんてものがあって、本気出すと思います?

 独占した方が金になる。なら、うわべだけで話し合いをして、分かったこともひた隠し、後で自分の発案だと言えば、独り占めできるんですよ? そうされてきていると思うんですよねぇ……」


 口の周りを真っ赤にしながらそう言うマルに、ディート殿がうーんと唸る。

 ……この秘匿権という法も、貴族や神殿が作ってきた価値観だと、最近知った。

 この法が出来上がったのが、国の建国から百五十年ほど後、一応国内が安定してきてからだ。

 ある貴族が、特殊な技術を持つ一族を囲い、秘匿権を法として立案、行使し、技術を高値に釣り上げることに成功した。特別な技法を守り、保護するためと銘打って出された法案だったのだが……まあ実態は、これだ。

 今でもその品は、結構な値段で取引され続けている。

 その事件を皮切りに、各地で同じようなことが起こり、当初の秘匿権は貴族と聖職者が独占していたのだが、時代とともに、数を増やし、多少形を変えつつ、民間にまで広がっていったという。


「僕にはさっぱり分からなかったものでも、その職の専門家が見れば、ピンとくる何かがあるかもしれません。

 なので、幅広く色んな職種の職人が、集まってくれればと願っているんですけどねぇ。

 利点は充分あると思うんですよ。

 特別な一つの料理を提供することで、特別な十の料理を身につけられるかもしれないんです。

 現に、ここの料理人はそうやって急成長してますしね」


 マルの言葉に、ダニルとカーリンもニコニコと笑う。

 ……うん? 先程から、カーリン…………が、何か……様子が違う……。

 しょっちゅうダニルの方を見てる……席もわざわざ隣だし……。


「私たち、当然所属しましたよ。

 このやり方に違和感もないわ。むしろ、絶対に良いと思う。みんなで色んな意見出しあった方が、断然早く、美味しくできる気がしてるもの。

 今日の献立は、裏山で松の実をたくさん取ったから、サヤさんにおすそ分けしにきたの。

 そうしたら、おいしいソースが作れるって言われて、じゃあついでにってパスタを教えてくれることになったの。

 それがこの緑のソースなのね。確かに美味しかった。だけど松の実がどこにいっちゃったのか、よく分かんなかったわ」

「作り方、お教えしましょうか?」


 サヤがニコニコとそう言うと、パッとカーリンの手が、顔の前でバツを作る。


「それは待って! まずは試してみたいから。

 材料は聞いたんだもの……味から再現できるか、ちょっとやってみたい」

「だな。ソースもらって帰って、旦那に食ってもらおう。あの人なら絶対分かるって。

 ただ麺の方は正直検討もつかねぇよな……これは分かるかなぁ」

「麺は、みんなで色々やってみましょ。それにしても旦那様、ほんと凄いわよね。どうして食べるだけで味が当てられるのかしら」


 それは彼が獣人で、匂いの嗅ぎ分けができるからなのだが……。

 でも、獣人だからって、料理人としての腕がなければ、再現なんてできないと思う。

 それは、彼が努力して身につけた技だ。

 そして、ただ料理を教わるだけでなく、こうやって好奇心を燃やして研究をするのも良い。その過程で、新しい何かが見つかる場合もあるだろう。


「料理人の場合、所属者にはブンカケンの商標と、番号を看板に掲げて頂きます。

 登録した職人には、いつでも新しい技……料理人の場合は料理を提供します」

「新しい料理だけもらって、自分のものは秘匿するとかした場合はどうなる?」

「ブンカケンは秘匿しないを、大々的に宣伝していきますからねぇ。

 そんな噂がたてば、調べますし、悪質なら登録抹消ですね。それ以後は権利を持てなくなります。

 ブンカケン所属が一種の名声になるまで育てば、そんな馬鹿な真似をする意味はなくなると思いますけど」


 ふふんと鼻で笑うマル。今度は口の周りが白い……全然しまらないな……。

 俺にはまだそこはピンときていないが、名声とは一定以上の効果を持つと、そのような作用が生まれるものであるらしい。


「ちょっと分かるかも。

 だって初めに作った料理より、みんなで食べて試行錯誤した後の方が断然美味になってるんだもの。

 完成したって思う料理だって、全然完成してないんだ。

 だから、自分で考えたってことに、こだわってたら駄目なんだと思うなぁ。もっと美味しく、もっと良くしたいって思うのが大切かなって。

 それで、それを食べた人がすっごい喜んでくれたら、やったーってなるし、もっと美味しく作れるようになりたいって、また思う」

「ああ、そっすね。それに、どうせもっと美味になんだからって思ったら、その途中段階の味なんか、盗まれたって痛くも痒くもねぇんだ。

 そいつがそれ作ってる間に、俺はもっと良いもん作れるようになってる。その自信があるし」


 料理人二人がそんな風に話す。

 その二人の話を、サヤはニコニコと笑って見ている。

 そんな感じに和気藹々と話していたのだが、急に草……じゃなくてジェイドが立ち上がった。


「なンかいやがる」


 それだけ言って、パッと外に駆けて行ってしまった。

 よく見れば、彼の後ろの窓はうっすらと開いている。


「犬笛が聞こえました」


 俺の隣のハインが、俺にだけ聞こえるよう、そっとそう口にする。

 あぁ、……またか。


「……この事業を立ち上げてから、特殊な情報欲しさに、調べまわる連中が増えてしまって……。

 ここに来ても、なにも無いんですけどね。まだ研究所自体が出来ていませんから。

 そもそも、各自の職人の技です。その職人に聞くしかないんですけど、……盗めると考えるみたいで……」

「私たちにも、変な声かけてくるんですよ。たまに。

 けど、ダニルも旦那様も強いから、叩き出してくれるし、帰りも家まで送ってくれるし……そんなに心配してないんですけどねっ」


 ちらっとダニルを見たカーリンが、頬を染めてそんな風に言う。

 ああ、それで……。なんか微笑ましい。結婚したくないから、家を出たいって言ってたカーリンがなぁ。


「ジェイドは、もともと狩人で、とても気配に敏感なんです。

 彼が来てくれて、本当に助かってるんですよ。こうやって、ちょっとした気配で気付いてくれます」


 狩りの対象は人であったわけだが、そこはまあ、似たようなものだ。


「物騒だと言っていたのはそれか……貴族の館にまでとは、恐れ入るな」

「ははっ、ここは別館ですからね。使用人しかいないとでも、思っているのでしょう」


 笑ってそう誤魔化しつつ、心中は穏やかではなかった。

 実際、秘匿権を盗み出すなりしようとうろついている者は、たいした問題ではなかったのだ。

 異母様のちょっかいも、あれ以後なく、ただ不気味な沈黙が続いている。

 そして、今一番の問題なのは……世の中の決まりごとを崩そうとする俺たちへの、反発。


 秘匿権というものは、何もない場所から一攫千金が狙える手段の一つでもある。

 何か閃くことができれば、人生がひっくり返るかもしれない。

 それを夢見るのも、人の自由だ。

 実際、そんなに簡単なものではないのだけれど、世の大半の人は、そのように考えている。


 また、秘匿権を持つ者からすれば、俺たちの言うことは僻みや、やっかみでしかないのだろう。

 持たざる者が、持つ者を中傷している行為とみなされるわけだ。

 当然、賛同などされるわけもない。話を聞いてもらおうにも、なしのつぶてで、相手にされない。

 貴族が関わっているから、表立っての反発はなかったけれど、代わりに完全に関わらないよう、距離を置かれていた。


 そして、権利を捨てろと言うことそのものが、胡散臭いと感じるらしい。

 今ある価値観を否定しようとする俺たちが、本当は一体何を考えているのか。何か良からぬことを企んでいるのではないか。

 そんな風に考えた結果、動きを監視する。という行動に出る者が現れたのは、致し方ないことなのかもしれない。


 カーリンたちは、そのような素振りを見せなかったが、多分、彼らの元を訪れている、怪しい連中と一括りにされている者の中には、秘匿権を盗もうとしているのではなく、事業自体に反対し、所属しないよう脅してきた者も居ただろう。

 そのせいで、ダニルとガウリィは、カーリンらの送り迎えまでして、守っているのだと思う。


 職人を、危険に晒したくない。だから、早く、許可が欲しかった。

 実態を知れば、きっと分かってもらえる……。

 ただ権利を捨てろと言っているのではなく、それの先にある可能性を、見て欲しい。

 そのための一歩が、やっと今日から、始まるのだ。

今週の更新はここまでです。

来週も金曜日八時からを予定しております。


今週も、読んでいただきありがとうございます。また来週もお会いできたら幸いです。

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