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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第六章
176/515

ジェイド

 別館に戻り、忙しく日々を過ごしていた最中。

 思ってもみなかった来訪者が訪れたのは、八の月の終わり……。それは、嬉しい人物だった。


「ディート殿⁉︎」

「長期休暇だ。暫く厄介になれるか?」


 王都に戻り、とんぼ帰りしてきた形になると思うのだが、不満は特に無い様子。

 ニコニコと満面の笑顔でそう言ったのは、雨季の終わりに王都へと帰還したばかりのディート殿だ。


「おっと、まず初めにこれを渡しておかねば、俺の休暇が始まらぬな。

 王家より、セイバーン男爵家が二子、レイシール・ハツェン・セイバーン殿へ、地方行政官長への任命書である。

 それからこれが、襟飾。まだ、姫様が正式に王位に就いておられぬのでな、それまでの期間は近衛隊長の襟飾を使えとのことだ。

 あとこれか。

 姫様は、来年春に王位を継がれ、戴冠式を行う。そちらへの出席要請だな。地方行政官長の正式な任命式も行うそうだから、絶対に来いと姫様より言付かった。成人前だが礼服が必要だぞ。

 諸々の細かいことはこちらの手紙にまとめてあるそうだ。

 それから交易路計画の、セイバーン領内における責任者任命書だな。これをもって工事への着手可能だ。一通りの権限は揃えたとおっしゃっていたから、細かくは同封してある書類を確認してくれ。

 もう一つあった。

 ヴァーリン公爵家の領主となられるハロルド様より、氾濫対策……は、もう終わっているのだがな、交易路計画の方への、支持と、支援金。礼が公にできない故、この形で失礼するとのことだ。あとリカルド様より同じく支持と支援金。あと、湯屋の方の話が中途半端で終わってるから、近く人をやると言伝を頼まれた」


「え? あ……はい……ええ?」


 矢継ぎ早に言われ、更に令書やら襟飾やら家紋の印が押された小箱やらをどんどんその上に重ねられ、あっという間に手の上と頭がいっぱいいっぱいだ。

 その俺の手の上に乗せられた諸々を、横からハインがせっせと机に移しつつ、ディート殿に探るような視線を向ける。


「暫く滞在されるのですか」

「そうしたい。成人するまでの残り一ヶ月程だ。

 なに、タダで泊めろとは言わぬさ。臨時の護衛として雇ってもらえるか? 三食の食事と寝る場所さえ確保してくれたら、それなりに働くぞ」

「それでしたら構いません。サヤにもう一食分、食事を増やすよう伝えてきましょう。

 三食と言わず、軽食もお付けしますよ。

 ここの所、何かと物騒なので助かります」

「ちょっと待って⁉︎ 一つずつ確認からさせてもらえるか⁉︎」


 勝手に話を進めるハインを押し留め、慌てて机に移された任命書やら小箱やらを確認する。

 え? 地方行政官って何? そんな役職聞いたことないんだけど……そもそも今文官の空きってあった⁉︎

 姫様が王位に就くまでの間だとしても、なんで近衛隊長の襟飾⁉︎ 位が間違ってないかな⁉︎

 ていうかマジで来たよ出席要請。戴冠式だけじゃなく任命式って何⁉︎ それ結構な地位の方々が出席するやつじゃないの⁉︎ いち文官には必要ないでしょ⁉︎


「ディート殿……これ、誰に託されましたか……」

「姫様とルオード様だぞ。間違いじゃないから、安心しろ」

「間違ってますよ! 隊長職の襟飾ってなんで⁉︎」

「地方行政官の長に任命だぞ? 間違ってない。レイ殿の業績的にも、いち文官では少々据わりが悪いということなのではないか?」

「そもそも地方行政官って何⁉︎」

「姫様が王位を継いだ際に、新しく作る役職であるようだな。

 とはいえ、予算はまだ無い。実績と照らし合わせてとなるのだと思う。

 ああ、そうそう。実績で思い出した。半年の間に出来る限り実績と名声を稼げと釘を刺しておくよう、姫様より言付かっているのだが……」

「無茶振りすぎませんか⁉︎」


 悲鳴をあげる俺に、ディート殿はまるで他人事の様子。


「無茶なものか。

 レイ殿の名は、既に王都の軍事関係者の間では、結構知れ渡っているぞ。

 まあ、リカルド様がそこかしこで其方を褒めそやすからだがな。

 そのせいで、このままではリカルド様に引き抜かれてしまう。ことあるごとに『あれは軍務に秀でているからうちで使いたい』と、おっしゃられていてな……。姫様とまた険悪になりそうで、こちらも少々困っているんだ。

 だから気合いを入れて、市政の環境改善に貢献する何かをやれとのことだぞ。

 行政官にこそふさわしいと証明しろ。

 一発屋で終わるな。畳み掛けろ! と仰っていた。

 あと、この役職における権限は何も定められていないので、まずは肩書きだけだ。

 必要と思われる権利があれば、随時報告せよ。任命式までに検討する。とのことだ」

「それ……やっぱりただの無茶振りじゃないですか……」


 なんの権限もないけど名前はやったから成果をあげろって、無茶振りだよね⁉︎

 正直頭を抱えてしまったのだが、そこで応接室よりマルがひょこりと顔を出す。


「おや、ディート様じゃないですか。まさか貴方が伝令まがいのことを?」

「ああ、休暇がてら運んできた。ひと月ほど厄介になるぞ」

「それはそれは、どうぞよろしくお願い致します。

 で、これが任命書です? ちょっと拝見しますねぇ…………ふむ。心得ました。

 レイ様、大丈夫ですよぅ。肩書きがあれば充分です。

 じゃあ早速、ちょっと話進めてきますねぇ。失礼します」

「ちょっと待って! まずは何をどうするのか説明からしてもらえるかな⁉︎」

「あっ、予算案確認しましたよ。問題無いと思います」

「それじゃなくて! 今から何をしに行くのかってこと!」


 来訪者と任命書を見ただけで状況を理解したらしいマル。

 まだ線は細いものの、干からびそうだった状態からは無事回復したのだが、それからというもの、やる気に取り憑かれ、気付かぬうちに色々ことを進められてしまう。

 まあ、彼の気持ちも分かるのだけど、責任者としては状況が分からないでは話にならないのだ。大まかな部分だけでも先に教えてもらえないと、ほんと困る。


「いえね、肩書きは大切ですよって話です。

 地方の下級貴族であるレイ様が事業を立ち上げます。だけでは、やはり成人前ということもあり、侮られるでしょう?

 これと襟飾があれば、ああ、国のお墨付きかと納得してもらえますから、うだうだ渋ってとりあえず素振りだけ見せときゃ良いやって思ってる面倒臭い輩を切り落としても大丈夫です。

 権力と繋がりたい欲望の強い連中がほっといても集まりますからねぇ。そうすれば、それにつられてまた人が集まります。

 やる気もないのに良い顔だけしてる方々、帰って頂きますねぇ。やる気あるだけ、欲望強い方々の方がマシなんで。

 あと秘匿権放棄の署名と、所属者名簿を作ります。

 それに合わせて、商標も作ります。

 欲望強い方々にも好き勝手はさせませんから安心してくださいねぇ。

 いやぁ、よかったよかった。ああいった連中は足引っ張るだけなんで、良い口実ができました。

 国の事業に絡むと分かれば、もう口約束で済まそうなんて考えは捨てざるを得ませんしねぇ。じゃあ、行ってきます」


 ニコニコと笑顔で毒を吐き、さっさと部屋を出て行ってしまう。

 今までのマルって素じゃなかったんだなあ……と、最近よく思う。案外毒を吐くのだ、彼は。

 ニコニコと明るいし、基本的には変わっていないのだけれど、腹の底に収めていたであろう悪態なんかも晒すようになり、ちょっと黒い顔も見え隠れする。

 俺もまだまだ、人の読みが甘かったのだと、反省したところだ。まあ……前のマルと今のマルどちらが良いかと言われると……本音を晒してくれる今の方が、断然良いと思うのだが。


 そうこうしていると、今度はサヤが執務室にやってきた。


「あ、ディート様、お久しぶりです。

 マルさんから伺いました。昼食ができましたから、ご一緒にどうぞ。

 良かった。今日は試食献立でしたので、ちょっと量が多かったのが幸いしましたね」


 笑顔のサヤはそう言って「食堂にどうぞ」と、俺たちに言う。

 たぶん……マルに聞くまでもなく、ディート殿の来訪には気付いていたのではないかと思うが、そこはまあ、そういうことで誤魔化したのだろう。


「そうか、それは有難い!

 いやぁ、これが楽しみで伝令役を勝ち取ったようなものだからな!

 あとあれだ。前々から気になっていた鍋風呂とやらも見たくてなぁ。休暇故、今度は誰の目も憚らず好きにできる。楽しみだ」


 ……任務で来られていた時も、結構誰の目も憚らずにやってらっしゃった気がするんだけどなぁ……。

 そう思ったものの、この開けっぴろげな感じがディート殿であるわけだし、苦笑が溢れはするものの、納得するしかない。


「ハイン、じゃあ一旦休憩」

「そうですね。では戸締りをしていきますから、お先にどうぞ」


 そう言うハインに後を任せ、俺たちは執務室の向かいにある食堂に移動した。

 食堂にはマルの姿はなく、先にやるべきことを済ませてくるのだろうと思われる。その代わりに、窓辺にはもう一人の人物が。

 窓の外に視線をやっていて、こちらからは草色の後頭部が見えるだけだ。


「ジェイド、帰ってたのか。お疲れ様」


 そう声を掛けると、一瞬だけ鋭い視線がディート殿を見る。

 しかし、大人とも子供ともつかない微妙な雰囲気でもって「ああ……」と、言葉少なに返事をし、また視線を窓の外に戻した。

 居心地悪そうだなぁ……。これも潜伏任務だと割り切れば良いと思うのだけど。


「顔を見るのは初めてだな」

「ええ、新しく雇いました。流石に従者二人では、ここも回らなくなってしまいましたからね。彼は大体なんだってこなしてくれるので助かります。

 武官も探してはいるのですが……こちらはなかなか……なり手が見つからずに困っていたので、ディート殿が来てくださったのは嬉しい誤算です」

「ふぅん。まぁ、武官はおらぬとは言えども、ここの者は皆、人並み以上の手練れであるように見受けられるがな。

 とはいえ、先程ハインも物騒だなどと言っていたな……。前に来た折は、執務室も施錠などしていた記憶は無いのだが……」


 そう呟いたディート殿の視線が、調理場の扉に吸い寄せられる。

 サヤが、小鍋を二つほど持って扉からやって来たのだ。


「席の方にどうぞ。場所は特に決まっていませんから」

「サヤ、今日のこれは……汁物ばかりなのか?」


 ドロドロとしたものが多い。赤、白、緑と色も多様。

 するとサヤは、次の鍋を持って来つつ「それはソース……漬け汁です」と、言う。


「この漬け汁に絡めて食べるんです。

 色々な味がありますから、少量ずつお試し下さい。あ、あと、食事処からも試食に二名いらっしゃる予定なのですけど……」


 そう言うのだが、そこで草が口を挟む。


「……来たみたいだぞ。ダニルとカーリンだな……」

「ああ良かったです。じゃあ、温かいうちに食べてもらえますね」


 ハインと食事処の二人も到着する。

 その二人にもディート殿を紹介して、それぞれ、思い思いの席に着くと、サヤが大きな笊を二つ持ってやって来た。


「お待たせしました。こちらが私の国のフェットチーネと呼ばれる平打ち麺です。焼くのではなく、茹でるんですよ。

 それとこっちが、ファルファッレと呼ばれる麺です。まあ、形が違うだけなんですけど、見た目が可愛いので」


 その笊もドン! と、机に置かれる。

 中には、平べったい幅広の麺と、蝶のような形のものが、山盛り入っていた。

 湯搔きたてであるようで、湯気が凄い。


「うっわぁ! これが麺⁉︎ かわいい!」

「湯がいてもふやけてないんだ……。どうやったらこんな風に?

 しかもこれ、作んのに手間掛かりそうっすね……。この形ににも意味があるんすか?」


 早速料理人二人が食いつく。するとサヤは。


「材料はこちらの麺と同様でした。卵、小麦粉、塩でできてます。

 フェットチーネも、ファルファッレも、漬け汁が絡みやすい形状なんです。

 今まで皆さんが食べていらっしゃった麺とは、だいぶん様子が違うと思いますから、まずはお見せしますね」


 そう言い「どのお味にします?」と、俺を見た。


「左から、ポモドーロ、カルボナーラ、ジェノベーゼ。全て基本の作り方です」

「味……この赤いのは赤茄子だよな?白いのは……乾酪?緑……緑はこれ……なんだ?」

「これは、バジルと松の実を使って作ったものです。すり鉢でゴリゴリしたので、こんな感じになってますけど、美味ですよ」


 具体的な味を言わず、ただ美味ですよと言う。サヤがそう言う時は、サヤの好物なのだと、俺はもう知っている……。


「じゃあそれと、白い方」

 そう伝えると、白い方は平打ちの麺に。緑の方は蝶のような形の方に絡めて、から、小皿に移し、俺の前に置いてくれた。


「はいっ、では同じものが必要な人!」

「はいはいー!」

「あっ、俺もいるっす!」

「サヤ、一通り、端から全部」


 ハインがスパッとそう言うと、カーリンとダニルがハッとした顔になる。

 そんな二人の向かいで、ディート殿もやる気で宣言。


「サヤ、俺もそれだ。一通り」


 それにジェイドまでが「俺も」と続く。


「あっあっ、じゃあ、同じくで!」

「あー……じゃあ、まずはレイシール様と同じものを、皆さんで食べましょうか」


 苦笑したサヤがそう言い、鉢の中に麺と、漬け汁を入れて絡め、それぞれ小皿に盛っていく。

 そして一同の前に皿が揃ってから「いただきます!」という俺の宣言のもと、食事が始まった。



 ◆



 セイバーンに戻ってすぐ。胡桃さんと草が、夜半に訪ねてきた。

 室内に通し、決定を伺ったのだが……。


「強制はできないわぁ。絶対に知られたくないと思っている者だって少なからずいたから」


 まずそう告げた胡桃さんは、でも……と、言葉を続けた。


「協力すると言う者は、拒まない。

 貴方たちのやりようを見て決めるって言う者もいたしねぇ。

 今のところは、数人よぅ」


 そして、サヤの影となる者も、まだ数人だと述べた。


「竹細工職人、飾り紐職人、刺繍職人、家具職人……うち一人が獣人ねぇ」

「……ありがとう、ございます!」

「……少ないって、文句はないのぅ?」


 そう問われたけれど、そんなの、一人もいない可能性だって、当然考えてた。


「俺と貴女たちの縁は、まだ浅い。

 その上で、人生を左右する決断です。有難さ以外、ありませんよ」


 そう伝えると、溜息を吐かれてしまった。


「職人の連中だけど、秘匿権なんて持ち合わせていないわよぅ。

 貰うだけになっちゃうけど、それでも良いの?」

「当然構いませんよ。重要なのは、秘匿権じゃない。それを独占しないという価値観の方です。

 まだこの考え方自体に違和感しかないと思いますけど……。そこはおいおい、理解していただけたら嬉しい。

 けど、別に強制ではないんです。職人の彼らの場合は、新たな技術や道具の知識も報酬に含むのだと、解釈しておいてください」


 体験しないと、きっと理解もできないと思うのだ。だから知っていくうちに、分かってもらえたら嬉しい。


「宿の方の話は、了解したわぁ。

 動かせないような怪我人や病人、老人、子供が中心になるんだろうけどぉ、それでも良いのよねぇ?」

「ええ。構いません。

 一棟貸しですから、中の掃除と、鍵を渡すことができれば問題無い。貸している最中は掃除もいりませんしね。

 では、村の建設が進みましたら折を見て、連絡します。

 それで、そのことで草にお願いがあるんだけどね……」


 始終黙りっぱなしだった草に視線をやると、嫌そうに顔を歪めた。


「なンだよ……」

「もうこの際、俺に雇われる気はないかな?」

「はぁ? もう雇われてンだろうが、忘れてンのかよ……」

「いや、違う。表面上もだよ。使用人をしないかって話」


 胡桃さんたちとの関係を密にするためにも、近くにいてくれる者がほしかった。

 彼はかなり幅広く演じられるみたいであったし、能力的にも優れているし、何より一番関わっていると思うのだ。

 そして、こちらのやることを、全て把握し、胡桃さんにも報告してもらう。そんな役だから、人の身であっても犬笛が聞こえるという彼がうってつけだった。


「ここの二人と同じようにしろなんて言わない。姿を隠して、ずっと色々、してもらっているけど、晒したとしても問題ない立場になるだけなんだ。

 ただ、必要があるときは、従者を演じてもらうことになるかもしれないけど」

「言ってる意味が分かンねぇよ!」

「うーん……具体的な役職名が思い浮かばないんだよ。

 多分一番近いのは武官なんだけど……武官とも違うんだ。

 サヤの世界での忍は、普通に配下としての姿があるらしい。オニワバンっていうらしいんだけど、庭師はおかしいだろ?」


 庭の管理とか必要ないし。


「えっと、言葉では説明しにくいんです。御庭番……もしくは隠密などと呼ばれていたんですけど。

 普段は近習として仕えているのですが、忍の里から派遣された身で、護衛が必要な場合は変装して近くに潜み、陰ながら護衛をしたりします。当然普通に、武官として行動する場合もあるんですけど、臨機応変に立場を変えます。

 ようは、斥候と、狩人と、武官と、密偵と……混ぜたような役割で、これこそが忍と言えばそうなんですが……必要なときに、必要なやり方でそばに潜みます。

 この前の祝賀会の時みたいな感じに」

「……意味、分かンねぇって……」

「やることは、今までの草さんと一緒ですよ?

 ただ、名前を得て、配下の一人に数えられる。それだけだと考えていただけたら、それで問題も無いと思います」

「名前……」

「呼ばれたい名があれば、それで良い。人前で、草とは呼びにくいんだよ……正直胡桃さんも、本当は呼びにくい……」


 人としての名があったのなら、それを知りたいと思った。

 もう兇手ではないのに、いまだに兇手の呼び方をしているのも、ずっと気になってはいたのだ。

 けれど、いっぺんに何もかもを要求するのも、憚られた。ただ雇っているというだけで、彼らの事情を配慮しないのも間違っていると思ったし。

 強制することではないしな……。色々事情のある人たちだから、名乗れない理由だって、あるかもしれない。


「呼ばれたい名なンざ、ねぇよ……そもそも、役割以外で持ったことねぇンだし……」


 そんな俺に、草は、言いにくそうにそう零した……。

 まるで後ろめたいみたいに、視線を逸らして。

 ちらりと覗いたその表情は、なんだかひどく、幼く感じた。

 名が無い……なら孤児だったのだろうか……。だからハインに、辛く当たってた?


「じゃあ、俺が名を贈っても、良い?」

「ここにいる間だけのもンだろ。なンだっていいよ。さっさと決めろ」


 ぶっきらぼうに、そう言われてしまったけれど、すごく戸惑っているのは伝わってくる。

 そもそも、俺の下につくつもりはないと、突っぱねられると思っていたから……少々意外に感じた。

 けれど彼は、名付けても良いと、そう言ったのだ。


「ならね、ジェイドはどうだろう。

 サヤの国では、そう呼ぶ宝石があるそうなんだ。君らしいと思う」

「はぁ⁉︎ なんで宝石なんかから?」

「理由が知りたいのか? なら、もう少し親密になれたら、教えよう」


 よそよそしく、ぶっきらぼうに振る舞おうとするその姿が、もう少し、うち解けたら。

 威嚇中の猫みたいなその反応が、もう少し、気を許してくれるように、なったらだ。

 にっこり笑ってそう言うと怒ったように眉が釣り上がる。

 だけど瞳は、混乱の極みといった様子で、揺れていた。


「配下に数えるといっても、ジェイドの頭目(かしら)は胡桃さんだ。俺に忠誠を誓う必要はない。

 どうにも我慢ならないと思ったら、辞めたって構わない。

 色々無理をお願いしている自覚はあるんだ。それに、生き方というのは、その人本人に、選ぶ権利があるべきだと思う。

 命と時間の使い方は、自由であるべきだ」


 無理強いはしたくない。自分の人生は、自分の判断で使うべきだと思うから。

 今までそれを許されなかったであろう彼らには、できるだけ、自由でいてほしかった。

 甘いかもしれない。土壇場で見限られたら、俺なんてチリと同じだ。あっけなく吹き飛ぶだろう。

 だけど、それくらいの覚悟をしないで、人の人生を預かれないとも思ったのだ。


「決まりねぇ。

 じゃぁジェイド、本日付で、仕事に就きなさいな」

「しばらく客間を利用してくれ。近いうちに、ジェイドの部屋も用意する。

 ただまぁ……すぐに拠点村に移ることに、なると思うから」


 俺は後継ではないし、この別館に縛られていたのは農地管理と氾濫故だ。

 交易路計画を進めていくなら、ここにいなければならない意味は無くなる。

 サヤの今後のことも考えれば、拠点村に居を移すべきであるし、実際そのしなければ仕事が立ち行かない。

 そして、異母様方から距離を取る良い機会であるように思っていた。


「せいぜい、俺に、寝首をかかれないようにな」


 わざわざ悪態を吐くジェイドに、俺は笑って返事を返す。


「俺の首はジェイドに預けるから、どうか宜しく頼む」


 そうして、草はジェイドとなり、今ここに使用人の一人として立つこととなった。

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