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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第六章
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劣情

 帰り支度がほぼ整った、更に翌日。発注していた蓋つきの大瓶が届いた。

 それと同時に、俺の注文していた品も、飾り彫の木箱に入れられ届けられたので、それはいったん部屋にしまっておく。

 そして干し野菜も完成した。


「本当に……しわくちゃのしなびた野菜でしかないんだな」

「ええ、そうですよ。でも、ちゃんと食べられるんです。

 とりあえず、瓶は六つありますから、種類別に分けて、一週間ごとに食してみましょう。

 こちらの世界は私の国ほど湿度が高くありませんから、良い具合に乾燥できていると思いますし、日持ちもすると思いますよ。

 ひと瓶は残しておいて、次にホセさんがいらっしゃった時に、村でお試しとして試食してもらっても良いかと」


 干し野菜を瓶に入れ、綿布の袋に入れた竹炭をその上に置いたサヤが。貯蔵庫で保管して下さいと言いつつ、一つをバート商会の料理人に渡す。

 調理場を借りたお礼と、新しい食材を試してもらうためだ。


「生の野菜より歯ごたえ、風味が良いです。そのまま汁物に入れて利用しても良いですし、水に浸しておけばある程度戻りますから、焼いたりもできます」


 使い方を伝え、長らくお世話になりましたと頭を下げる。本来は彼の城だ。貴族絡みとはいえ、好きに使わせてくれる料理人など、そうそういない。


「こちらこそ、良い経験をたくさん積ませて頂きました。またの機会を、願っております」


 サヤに対し、彼もそう言って頭を下げる。

 それに対しサヤは、はい。またよろしくお願いしますと、言葉を返した。


 残りの瓶は、荷物の中に入れられた。

 割れないよう、布物で保護しつつだ。これがあるから、帰りの荷は少々ゆっくりと持ち帰ることになる。


「小さい瓶も、買っておけば良かったです……。もう一つ、試してみたい保存食を、思い出しました」

「今からでも買いに行く?」

「う……。も、もうちょっと……ほとぼりが覚めてからにします……」


 なんのほとぼりか……は、聞かないでも分かった。本当にごめん……と、小声で謝るしかない。


 扁桃を買って帰ったサヤの様子がおかしかったのも、これのせいであったのだ。

 コソコソと話されるそれが、サヤの耳にはバッチリ届いてしまったらしい。だから慌てて、急ぎ帰ったのだと、しどろもどろ彼女は言った。


「その……男性同士の……あの……誤解をされておりまして……説明のしようもなく……」

「うん……そうだね…………ほんとごめん……」


 女性だとバレてないことを喜ぶべきなのか……誤解に苦悩すべきなのか……。

 謎の従者が謎のままであることが唯一の救いであるのだけど、ヘーゼラーの耳に入れば、俺だと分かってしまう気もしていて……。

 正直もう、バレた時は腹を括るしかないと思ってはいるのだけど、まだ拠点村もできていない。どうかバレないでいてくれと、願うことしかできなかった……。

 状況を聞いたギルにも頭を抱えられた。

 もうちょっと考えて行動しろよと言うべきか、奥手のお前にしてはよくやったと褒めるべきか……そんなことを言われてもう、困るしかなかったのだが、とりあえず謎の従者は知らないで通すということだけが決められた。他にどうにも言いようがないのだから仕方がない。


 そして夜を迎え……ここ数日前からの日課、夜の語り合いの時間に臨む。


「えっ、麺⁉︎ 麺があるん⁉︎」

「うん。あるよ」

「見たことない!」

「いや、食べただろ? 二日くらい前の軽食。平べったい……薄い形状の……」

「…………あれ、麺麭(パン)やろ?」

「いや、麺だって……」


 サヤの世界との齟齬をすり合わせる時間は、思いの外有効に機能している。

 今日もまた新しい事実が発覚だ。サヤの世界にも麺はあり、それは細長くてつるんとしていて、湯がいて食べるものであるらしい。

 サヤのサンドイッチに着想を得たと言って、バート商会の料理人が作ってくれた軽食で、一度サヤも食べているのだが、あの生地が麺であるということを、サヤは知らなかった。サヤの国のものとは形状に差がありすぎて、気付きもしていなかったのだ。


「サヤの世界の麺が想像できない……。麺は湯がいたら変だろ、絶対。揚げることはたまにあるけど」

「あ、揚げることは確かにある。皿うどんとか、揚げてはるわ」

「…………いやもう、なんかほんと、全然形状違うのに?」

「……妙な部分で合うと、違和感しかない……」


 呆然としたのち、くすくすと笑い合う。

 ああどうしよう……すごく和む。そして愛おしい気持ちが高まる。

 こうやって時間を共有することが、幸せでたまらず、そして恐ろしい……。この時間が指の間をすり抜けていくのではと考えると、一瞬で恐怖に支配されそうになる。

 そんな不意に襲ってくる不安をなんとかやり過ごしつつ、俺は忘れないうちにと席を立った。

 下手に考えてたら、襟飾の時みたいに、渡しそびれたまま時間が過ぎてしまう。


「はい」

「……え? 綺麗な木箱……」

「いや、それはただの箱。中身だから」


 箱に気を取られたサヤに笑ってしまった。

 いや、まさか包みの方に感心されるとは思っていなかったのだ。

 不意打ちでツボに入ってしまい、くつくつと笑い続ける俺を、サヤは少々頬を膨らましつつ……けれど、しばらく眺める。


「……何?」

「……反則やなって……。あ、違う。こっちの話や」


 あまり熱心に見つめられるから聞いたのに、頬を染めて反則って言われてしまった……。意味不明だ。そして理由を言う気は無いらしい。


「なんで?……これ……今日、何かあった?」


 訝しげに、箱を眺めつつ言うものだから。


「サヤの国は、恋人への贈り物に、理由が必要なの?」


 何かしら決まり事があったのかもしれないと思い、そう聞いたのだが、その瞬間にサヤは俯いてしまった。


「お、贈り物……?」


 みるみる、耳まで赤くなる。

 いや……まだ中身も見てないのに……そこまで恥ずかしがられても……。


「中に、がっかりされなきゃ、いいんだけど……」


 これでサヤが見ていたものが、俺の勘違いだったりしたら、すごい馬鹿だし……。

 この土壇場で、テレのあまりそんな可能性を考えついてしまい、追い詰められた心地に自らを追いやりつつ、箱を開けるサヤに固唾を飲んだのだけど……。


「あっ、この前の!」


 間違っていなかったようだ……。心底ホッとした。

 木箱の中に収まっていたのは、紺地の絹布に包まれた香水瓶。


「花の名前も聞いてみたのだけど……野山で見かけた草木が題材で、名前は分からないらしい。

 どこで見たのかもいまいち覚えていないって……。

 ただ、セイバーン領内で見たのは確かで、思い出したら知らせてくれるとも、書いてあったから……」


 蓋つき瓶を届けてくれた者に手紙を託し、この瓶の購入と、題材を伺ったのだけど……ツバキであればと、願ったのだけど……そうそう簡単な話ではなかった。

 だから、がっかりさせてしまったのじゃないかと、少し不安になる。


「それで……その……気に入っていたようにも、見えたし……」


 少しでも、慰めになればと……。


 両親の話に、涙をこらえて微笑んだサヤを、なんとか、元気付けたかったのだ。

 だってあの話も、俺のためにしてくれたのだって、分かってる。

 思い出せば、辛くなるのも分かっていて、話してくれた……。


「……おおきに」


 瓶を胸に抱えたサヤが、小声でそう呟いて、俺の肩へ身を預けてきて……腕にかかった重みに狼狽えてしまった。

 腕を肩にまわして良いのかどうか、とっさに悩む。

 あの時のことを思い出していただけに、あの時の会話が頭を支配してきて、二人きりであることを否が応でも意識させられた。


 いつでもはあかんって……いつかは良いってこと? いつなら良いってこと? それってどこで判断すれば⁉︎


 だけどあの時は、衝動のままに行動してしまった。怖がるどころじゃなかったと言っていたけれど、それはたまたま運が良かっただけの話。

 そう思うと、腕を伸ばすのは憚られ、けれどサヤが近いせいで、すぐ目の前にあるサヤの額に視線が張り付いて、口づけしたことを思い出してしまうと余計、欲望が……普段、極力頭から追い出すようにしている本能的なものが、刺激されてしまう。

 部屋に戻って眠るだけのサヤは、夜着の上に羽織を纏っただけで、補整着だって身に付けていない。

 瓶を抱える胸元には当然、普段は隠しているものがしっかりと主張していて、あ、こんなことを意識してしまったことがそもそも危険だと分かった時には、もう遅かった。

 ザワリと身体が、劣情に総毛立つ。


「サヤっ!そろそろ寝ないと、明日に差し支える」


 全力で理性を総動員して、サヤから身を離せた自分を、褒めてやりたい。


「あ、そ、そやった……」


 少し焦った様子の、サヤの声。今、彼女を見ては駄目だと自分に言い聞かせ、視線を窓の外に貼り付けた。

 真っ暗な闇。そこにぼんやりと、硝子に映った人の輪郭が見える。慌てて立ち上がったサヤの輪郭。


「お、おやすみ……」

「うん、おやすみ……」


 拳を握って心よ凪げといつもの呪文を全力で唱えつつ、サヤが部屋を出るまでの時間がひどく長かった。

 窓硝子に映る人影が部屋から消え、パタンと扉が閉まっても、感情の高ぶりは一向に抑えられず、ものすごく焦る。


 やばい……やばい! サヤには全部聞こえるから、絶対に駄目だ。呼吸一つ、乱しては駄目だ!


 セイバーンに戻ってからのことや、異母様、兄上、そして父上のことをあえて考えて、暴れる欲望を必死で押し殺した。

 嫌な記憶を掘り起こして、あえて直視しようだなんて気になる日が来るとは……そしてそれを有難いとすら思うとは……。

 そんな風にして気持ちを落ち着けたものだから、ズシンと心が重くなってしまったけれど、そのまま寝台に倒れこんで、睡眠欲に逃げることにする。

 疲れたから、丁度良い。

 良かった……なんとかなって……。

 今なら母の夢だって、歓迎できそうだ……。


 意識の最後に考えたのは、そんな自虐的なことだった。



 ◆



 別館に戻ったその日の空模様は曇り空。灰色の雲が重い。今にも落ちてきそうな、そんな様子。

 馬車から降りた俺とサヤは、少ない荷物を玄関前に降ろす。するとハインは、馬車を厩に帰すため、もう一度馬車を出発させた。


「よりにもよってこんな天気になるとはなぁ……」

「ですね。朝方は見事な晴天だったのに」


 降り出すまで時間が無いかもしれない。とはいえ、硝子瓶が沢山積まれた荷馬車の到着は、まだ先のことになるだろう。

 サヤが玄関扉を大きく押し開くと、俺は中に足を踏み入れた。締め切られていた別館内の空気が、なんとなくほこりっぽく感じる。


「荷物の到着まであと一時間ほどはあるかな……。焦っても仕方ないし、少し休憩しようか」

「そうですね。じゃあまずは水瓶の水汲みをしてきます。それで、お茶を入れますね」

「その前に、まず重要書類だけは片付けましょう。サヤは調理場のかまどの火起こしもお願いします」


 俺たちの会話に、急ぎ足で戻ってきたハインがそんな風に口を挟み、玄関前に置かれた書類鞄を手に取った。

 メバックで交わした契約書類や資材の手配書類。重要なものがたくさんある。だからまずは、執務室へ足を向けたのだが。


「……ものの配置が変わっています」


 執務室の扉を開けた瞬間、腕を広げて俺を庇ったハインが、小声でそう告げ警戒を強めたから、俺は二歩下がって執務室から距離を取った。


 調理場に向かっていたサヤがすぐに引き返してきて、俺を守るため、横に並ぶ。

 意識を耳に集中するように視線を伏せ沈黙したから、俺もハインも動きを止めて、呼吸も殺し、自ら発する音を極力止める。


「……音は特に、ありません……」

「ならば、探られた後……ということでしょうね」


 そのまま中に入り、あちこちを確認して歩くハイン。

 程なくして戻り「部屋も確認しましょう」と言った。


 二階へ赴き、俺の部屋、ハインの部屋と確認していく。

 パッと見たところ、特に変化はみられないように思うのだが、ハインはそう感じないらしい。


「サヤの部屋に行きましょう」


 そうして彼女の部屋へ。


「サヤの部屋の配置は分かり兼ねますので、ご自身で確認してください」


 そう言われて、サヤは自身の部屋内を確認していった。

 程なくして「……大きな変化は伺えません。でも……何かちょっと、違和感があります」という返事。

 表情を曇らせて、不安そうに言う。


「あの、誰かに探られたということは……この部屋にある女物の衣服とか、見て、ますよね……」

「そうですね。貴女が女性であると、知られた相手がいるということでしょう。

 けれど、今それは後回しです」


 最後に調理場へ向かった。


「ここにある食材、調味料は全て捨てましょう。万が一何か仕込まれていたらことです。

 私の鼻では、全ての食材の安全を確認できる自信がありません」


 厳しい表情でそう言ったハインが、片っ端から残してあった食材や調味料を処分していく。

 それと同時に、食事処へサヤが向かった。

 事情を説明して、当面の食事を確保するためだ。

 そして、サヤが去るのに充分な時間を空けてから、ハインは口を開いた。


「異母様方でしょうか。

 何もないとは思っていませんでしたが、とうとう直接手を出すことにしたのかもしれません」


 その言葉に胸が苦しくなる。

 国の事業に口出しはされないだろうと思っていた。王家に反逆する気は無いだろうと。

 だから、事業ではなく、俺たちを直接……ということなのか?


「目的は……なんだろう」

「さあ。ただの嫌がらせの一環であるかもしれませんし、何か意図があるのかもしれませんが、私にはあの方の異様な思考は量りかねます。

 とにかく、早くここを離れるべきだということですね」

「……サヤの性別を知られたなら……何か、言ってくるかな……」

「どちらでも構いませんよ。

 万が一それをどうこう言われたとて、そのままを認め、伝えるまでです。

 女性の身でここに暮らすのが危険であったからだと。身寄りのない女性を保護するのに必要であったからだと。ただそれだけです」


 淡々と述べるハインには、それが彼女の立場を傷つけるという意識がないのかもしれない。

 男二人と、ともに暮らしていたなんて……。それでは、母が言われていた言葉が、サヤに向かうことになるのだ。

 そうなれば彼女は苦しむ……きっと嫌な記憶を刺激してしまう。傷つけ、怖がらせてしまうことに…………。


「……サヤも受け入れたことでしょうに。今更そこを気にして何になります」


 バッサリと切り捨てられ、言葉に詰まった。


「この世界の常識が無かったサヤは、一人にはできませんでした。そうである以上、他の選択肢は無かったではないですか。

 彼女にとって最善だと思うことを選んできた結果です。口にできない部分は、貴方が飲み込んで受け止めるしかない。

 やましいことなどないのですから、堂々としていれば良いのです」


 淡々とそう告げられた。


「貴方の立場は、分かるものには分かっています。それで充分でしょう?」


 外野など気にする必要はない。言わせたい奴には言わせておけ。

 力強くそういうハインに、そうだな……と、言葉を返す。

 俺が今更どう思い悩んだって、もう知られてしまったことなのだ。

 ならば俺にできることは、どんな風に言われようと、堂々としておくことだけだ。全て決めたのは俺なのだから。サヤへの言葉は、全て俺が受け止める。


「とにかく、極力ここを無人にすることは避けよう。

 裏口や窓の施錠は徹底する。少し不便かもしれないが……」

「レイシール様は、一階に一人でいることも避けて下さい。

 あとは……早く許可が下りることを待つばかりです」


 空が鳴った。

 どこかで雷が落ちたのだろう。

 まるで俺たちの心境そのままに、空には暗雲がたちこめていた。

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