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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第六章
173/515

兆し

 資材を持って戻ったエルランドを加え……眠っているロゼを起こさないよう、小声で注意しつつ、商談は行われた。

 部屋を変えなかったのは、起きたロゼが不安になってしまうだろうからだ。

 食べ物で誤魔化した感が拭えない状況だったし、起きてまだ父親がいなければ、きっと怖がらせ、悲しませてしまうだろう。


「うん。質は申し分ないと思いますよぅ。

 金額的にもほぼ同額で、変動が無いというのも有難いですね。

 我々としても、その方が見込みが立てやすいですから。

 で、ものはあるにしても、採掘はできるのです?」

「村の男性の雇用に繋げたいと思ってます。なので、まあ初めは少々手間取るでしょうが、長い目で見て頂けたらなぁと」

「まあ、玄武岩は表層の一部分にしか使いませんから、必要になるのはまだ先です。構いませんよ」

「よし。ならばうちは問題ないな。取引を進めさせてもらおう」


 質の方の問題が無いならば、断る理由は無い。

 メバックを通しての買い付けも、玄武岩以外のものが沢山あるから、義理を欠くことにもならないだろう。

 マルの言葉の通り、玄武岩が必要なのはまだ先になるのだけれど、今から進めておいてもらえれば、使用する頃までにはある程度蓄えられるであろうし、ホセらの収入にもなる。

 なので、エルランドの仕事の度に、玄武岩をこちらに運んでもらうこととなった。


「仕入れの度に料金はお支払いしましょう。その方が、ホセさんの所にも良いでしょうから」

「お手間を取らせませんか」

「それくらいのことは大丈夫です。両替等が必要なら早めに言っておいて頂ければ、準備しておけますしねぇ」


 もと両替商であるウーヴェがいてくれるので、それくらいのことは手間とまでいかない。

 ホセの村も、金貨で受け取ったところで使いにくいだろうし。


 商業会館のマルがいるから、こういった契約ごとの書類は彼に任せられる。ぬかりなく揃え、契約を交わすことができた。

 本日中に目処が立つとは思っていなかった様子の二人は、少々戸惑っていたけれど、俺たちは大体いつもこんな感じだと言っておく。


「普通貴族方の取引って気長ですからねぇ。けれど、あんな風に時間をかけておく余裕はないでしょう? 冬支度が関わるとなるなら、特にね。

 まあ、レイシール様は特別なのだと思っておいてください。通常の貴族との取引と混合してしまうと、色々間違いますよぅ」

「そうですね。

 正直……冬までに一度、収入があればくらいに考えていたのですが……本当に助かります。良かったな、ホセ」


 エルランドはそのように言ったが、ホセとしてはまだ半信半疑といった表情だ。だから俺の方から、擁護しておく。


「まだだよ。一度石材をちゃんと運んできて、きちんと取引を行わなければね」


 そうせねば、ホセは安心できないだろう。

 書類を交わしたところで、紙切れでしかないのだしな。


 そんな俺たちのやりとりを見て、ひと段落と判断したのだろう。

 サヤが改めてお茶を用意しだし、それとともに小皿に乗せられた菓子が提供された。


「お。初めて見るものだな」

「ええ。フィナンシェというお菓子です。アーモンドを売っているのを見かけて……。

 本当は小さな型に入れて作るのですが、今回は大きく焼いて切り分けました」

「アーモンド……扁桃のことを、サヤの国ではそう呼ぶのか」

「……扁桃……?どこかに使われているのですか?」


 エルランドも不思議そうに見下ろすそれは、まだ俺も見たことのなかった菓子だ。

 香ばしい香りは牛酪だろう。サヤはこれを好んで使うから。

 黄金色の、しっとりした麺麭(パン)のような生地感で、細かく刻んでいたという扁桃は全く見当たらない。


「ロゼちゃんには、とても好評でした」


 そう言ってにっこりと笑うから、味にも自信があるということだな。


「いただこう」


 肉叉(フォーク)が添えられていたから、それで小さく切り分けて口に運ぶと、香ばしくしっとりした生地は口の中でホロリと解けた。

 甘いけれど、牛酪のものか、扁桃のものか、風味が甘さだけを押し付けてこない、濃厚な味わい。

 ラングドシャの時の感動だ……。食感のあるものが、口で溶ける……ちゃんとあるのに!


「こ、これはっ⁉︎」

「扁桃は、本当に小さく刻んで使うと、こんな風にできるんです。刻むのが大変なんですが……頑張った甲斐はありましたね」


 そう言って嬉しそうにサヤが笑う。

 その表情が可愛らしすぎて、とっさに視線を逸らした。

 い、いかん……人前駄目! 男装中! ハインやワドの目の前!

 自分に言い聞かせて感情の波を必死で押さえ込んだ。


「うわぁ、美味。これは美味ですねぇ!」

「な、なんですかこれ……神の国の食事ですか……溶けましたよ⁉︎」

「大げさですよ。でも、そこまで感動して頂けたなら嬉しいです」

「………………なんだこりゃぁ……!」


 ホセまで喋った。

 それくらいの感動であるらしい。凄いな。


「ロジェもたべる!」


 こっちの声が大きくなってしまったからか、ロゼを起こしてしまったようだ。

 むくりと身を起こし、食欲に従ったロゼは、その前に父親を見つけ、菓子のことは頭から吹き飛んだらしい。


「トーチャ、エーチャ!」

「ロゼ!お前どこまで遊びに出たんだ、心配させるな⁉︎」

「こんな遠くまでどうやってきたんだ!」


 二人がかりで怒られだけど嬉しそうに抱きついてから、盛大に泣き出した。


「ドーチャ、まよいごにならないでようううぅぅ!」

「いや……迷い子はお前だって……」


 涙も鼻水も盛大だ。困って宥めすかすホセの服に縋りつき、感情を爆発させる姿が、なんだか胸に刺さった。


 こういうもんだよな……本当は、親子って。

 見たことがないわけじゃない。

 だけど、それがこうして目の前にあると、なんだか少し、苦しくなる……。


 俺と父上にも、こんな時間はあったのだろうか……。

 セイバーンに来る前……まだ囲われていた時は、抱きしめられたり、膝に座ったりしていた記憶が、朧げにある。

 けれど……たいしたことは覚えていないのだ。ただその膝が母のものではなかったことだけ……その手が、ゴツゴツと大きかったことだけ……微かにだけ……。

 セイバーンへ来てからは、更に関係が遠くなった。

 お会いできるのは、父上に呼ばれた時だけ……。机を挟んで向かい合い、質問されることに答えるだけの、淡々とした時間……。

 父上は微笑んでくれてはいたけれど……よそよそしい俺に、どこか遠慮がちな表情で……。

 それでも、充分だった。俺を気にかけて下さっていると、分かるだけで……。父上のお気持ちが、ほんの少しでも安らぐ手助けになるのならば、それだけで良かった。

 だけど俺は……サヤのように語れるほど、父上のことも、母のことも、知らないのだ……。


「レイシール様。そろそろ次のご予定が」


 そう告げるハインの声で、現実に引き戻された。

 次? 今日の予定は、これ以外入っていなかった……よな?

 告げられた言葉に混乱していると、エルランドが慌てて立ち上がる。


「ああ、申し訳ございません、長居し過ぎてしまいました。

 そろそろお暇させていただきます。玄武岩をお届けできそうな時は、手紙で量と到着期日をお知らせしますので」

「お願いします。楽しみに待っていますねぇ。こちらも、連絡先が変わる場合は、本店に連絡させていただきますよぅ。

 着工の許可が下りれば、拠点村に移りますから」


 そんなやり取りをするマルとエルランドの隣で、サヤはロゼに包みを手渡す。お土産だから、帰って食べてね。三日くらいは日持ちするから、いっぺんに全部食べちゃ駄目だよ。と、注意事項を伝えていたが、聞いているのかどうか……ロゼはただひたすら元気に上機嫌だ。


「汚してしまったお着物はこちらです。

 古着は、もう使わないものだそうですから、そのまま使ってくださいとのことです。

 ここにいくつかございますから、良かったらこれも」


 ワドもホセにそう言いつつ、包みを渡した。

 使用人が持って来てくれた古着は、売れるくらいにはまだしっかりとしていたが、ロゼのためにと快く譲ってくれた。

 身重の母親のこともある。少しでも助けになればと思ってくれたのかもしれない。有難いことだ。


 そのまま玄関口まで見送りに出たのだが。


「……御子息様……。うちの村は、オーストの山林にあります……。

 ですが……領民とは認められなかった……。税を納めてもいない、村があるという報告もない……。

 オーストは、山林の手前までだと……」


 帰る間際に、ホセはボソボソと、小さな声でそう告げた。

 それを聞きつけたマルが、ほう……と、小さく呟く。


「その山林、セイバーンとも隣接している、南西のですかね?」

「なっ、なんでそれ……」

「いえいえ、地質とお話的にそこかなって。ただそれだけですよ」


 ひらひらと手を振り、意味深に俺を見る。

 あとで話があるって顔だな。こくりと頷いておいた。


「こちらに来たら、また顔を見せてくれ。商談以外でも構わない。

 各地の話を色々聞けたら助かるし、嬉しい。

 あと……村のことだが。このままにするつもりはない。こちらも目処が立てば連絡すると約束する」


 具体的なことは言えなかった。けれど、ただこのまま聞かなかったことにはしない。それだけは伝えておく。

 そして最後に……。


「カーチャ!」


 満面の笑顔でロゼが、ハインの足にしがみついた。

 非常に困った顔で眉間にしわを寄せるハイン。その険悪な表情に慌てるエルランドとホセ。だがロゼは全く気にしない。


「似てるんですか? ハインと奥さん……」


 まさかなぁ……と、思いつつ、ホセにそう聞くと、ブンブンと首を横に振る。そりゃそうだよなぁ。


「ロ、ロゼっ! その人は母ちゃんじゃない。男の人だぞ!」

「ちがうよ。ハインはカーチャだよ!」

「分かった、それは分かったから」

「ロゼは気に入った人がいるとカーチャの分類にするんですよ……全く見境ないんです……」


 エルランドが苦笑しつつそう言う。

 ハインを気に入ったのか。それはとても見所があるな。こいつの顔が表面だけって、分かっているのかもしれない。


「ロゼ、またお菓子を食べにおいで。歓迎する」

「うんっ! レイも好き!」


 しゃがんで話しかけると、そう言って首に抱きつかれた。首元にグリグリと頭を押し付けられてくすぐったい。

 貴族を略称で呼び捨てて抱きつく幼な子に顔面蒼白になる父親とその友人だったが、俺がそれくらいでは怒らないことも薄々分かってくれた様子だ。すいませんと平謝りしつつ、ロゼを剥ぎ取った。


「サヤもまたね!」

「うん、またね」


 ホセに肩車され、両手をブンブンと振って大声で言うロゼに、サヤも微笑んで手を振る。

 三人が角を曲がるまで見送ってから、俺はハインを振り返った。


「ハイン……次の予定なんてないだろう?」


 なんで急にそんなこと言い出した。

 だが俺のその言葉に、ハインはしれっと。


「休憩のお時間です」


 などと言う。なんだその休憩のお時間って……。


「お顔の色がすぐれません。あの親子に振り回されてお疲れなのでしょう?

 夕食までの時間は何もしないで下さい。体調を崩されたのでは困りますから」


 そう言って、部屋に押し込められてしまった。

 けど……抵抗しなかったのは、俺にも疲れている自覚があったから。

 そのまま長椅子で横になって、目元を両腕で隠した。誰に見られるわけでもないけれど、こんな顔は晒しておきたくない。


「…………ロゼッタ……か」


 俺の母の名は、ロレッタだ。ただちょっと似ていたというだけで、なんのことはない……。

 そして、温かい親子のふれあいを見ただけだ。微笑ましく思いこそすれ、苦しくなる理由なんて、無い。

 無い、はずなのに…………。


「父上…………」


 なんで急にこんな、父上に、お会いしたくなったかなぁ……。

 俺にもあんなものが、あるとでも思ったのだろうか……? あんな風な、温かい関係が? 父上ならあるいはと? ははっ、今更だ。

 セイバーンにいる間は、気にかけて下さった。

 俺をあの状況から救い出し、学舎にやってくれたのも、愛情あればこそだと思う。

 ディート殿に聞いた父上と母のやりとりも、あの時は苦しかったけれど……少なくとも、俺をないものにはしていないと分かって、ホッとできた。

 それで充分じゃないか……。


「それで、満足しなきゃ……」


 求めすぎるな。

 希望なんて持つな。

 お会いできない理由なんて考えるな。

 拒まれているかもしれないなんて、視野に入れるな。

 お会いできないのは、病のため。俺には責務もある。セイバーンを、管理する務めがある。そしてあの誓約がある……。


「だけど……サヤのことも、ある……」


 彼女を大切にしたいなら、向き合わなきゃならない問題だと、ギルにも言われた……。

 だから一度、マルに父上の状況を……情報を得てもらおうと、考えてはいたんだ。

 特に誓約が、領主の許可のもとにしか、捧げられないと知ってからは、もやもやとした違和感が、ずっと、気持ちの端で燻っている。

 けど……踏み切るためには、覚悟がいる。現実がどんな風であろうと、飲み込む覚悟だ。それがまだ、重い。割り切れない。……唯一残った可能性を、存在を、切り捨てられない……。もし、父上の許可のもと、あの誓約が捧げられたのだとしたらと……その可能性が、捨てきれないから……。

 そうであったのだとしたら……俺の存在理由って、なんなんだ……という、根本的な部分がまた、揺らいでしまう気がした。


 サヤには、捨てさせたのにな……。


 世界も、家族も、捨てさせたのに……俺は、父上を、捨てる覚悟ができない……。


 苦しくなってきた呼吸に、胸元を押さえる。

 落ち着け。と、自分に言い聞かせた。

 足元が瓦解するかもしれない恐怖は、まだ先延ばしにできる。俺にはやることがあるから、それをしているうちは、見ないでいられる。

 今優先すべきことは、与えられた役割だ。自分の存在価値は、自分で示せ。個人的な瑣末ごとは、後回しで良い。後回しで良いんだ…………。



 ◆



「街で妙なことを言われました」


 翌日のことだ。

 今日もいつも通りの日常。

 ただ、こちらでやらなければいけないこと、やり途中であったことはひと段落したので、一旦セイバーンに戻ろうかという話をして、そのための準備を始めたところだったのだが、部屋で荷物の整理をしていると、戻ったハインの開口一番がそれだった。


「妙って?」


 眉間に深いシワを刻んだハインだったが、今日は午前中いっぱいを使い、買い出しに出ていた。

 必要なものは手配し終え、帰ってきたところだったのだが、なんだかとても不本意だという顔。


「街の女性にサヤの恋人はお前かと詰め寄られました」


 ゴトっ!


「…………は?」

「私は男ですがと答えたのですが、何故か納得されず。

 まだ幼いのだから考えてやれとか女性を知らない子供にふしだらだとか。

 意味がわかりません。その発想のふしだらさは棚に上げている様子なのが更に」


 取り落とし、横倒しになった墨壺から、墨が机の上に大きく広がっていく。

 ふ、ふしだら……? サヤの恋人? 頭が混乱してしまい、思考が働かない。


「聞くところによると、サヤと二人で買い出しをしていた従者がサヤに手を出していたということなのですが。あいにく先々日、私は買い出しには出ておりません。

 それを言うと、じゃああれは誰だという話になり……」


 そこでサヤが駆け込んできた。真っ赤な顔で。

 自室の荷物を整理していたのだ。


「はっハインさん!そ、それはっ、勘違いです!」

「勘違い?」

「はいっ! 私が、その……故郷のことを思い出し、寂しくなってしまっていたのを、レイシール様が慰めて下さってただけなんです!

 その、少々涙ぐんでしまい、それを隠すためにそのっ、色々っ誤解を招くことにっ!」

「ああ、化粧が落ちましたか」

「はい!」


 両手を拳に握って、おかしなくらい力の入った頷きをするサヤ。

 だがハインはそれで納得した。そういった事情であれば致し方ありませんねと。


「まあ、ならば放っておきます」

「えっ……」

「しばらくすれば薄れるでしょうし」

「そ、そう……そうですか……」

「説明のしようもないのですから、それで良いのでは?」

「そうです、ね……」


 それで済んだ。

 よ、良いのかそれで……?

 いや、確かにどうしようもないのだが……と、思った矢先。


「サヤの男装も、長く続くとやはり、無理が出てきますね」


 そう呟かれ、ドキリとした。

 だけど……それは、そうだ。

 いっときの誤魔化しであるから通用すること。姫様にも、あと二年が限界だと言われた。

 それにサヤは、女性としても振舞っている。姫様のように、ずっと男装を通しているわけではない……ボロは出やすいだろう。


「私の記憶では、十四の年には声が変わりました。

 レイシール様は十六を迎えてからでしたが……大抵の男は変調をきたす年頃でしょうし、ここら辺から背もどんどん伸びていく。

 ですがサヤは、声変わりもなければ成長ももう、さしてしないでしょう?

 男装も今年いっぱいが限界と考えておく方が、良いのかもしれません」

「…………」


 冷静な表情でそう告げられ……反論は、できなかった。


「そう、ですよね……。関わる人も、増えましたし……私もここにいる以上……いつまでもこのままとは、いきませんよね……」


 一生を男装で過ごすなんて、当然できるとは思っていない。

 思ってはいなかったが…………考えることは、放棄していた。

 このままが続くのだと、思っていた……。

 早く打つ鼓動が煩い。


「幸いにも、間もなくセイバーンを離れられます。兄上様や異母様は、拠点村までいらっしゃいませんよ、きっと。

 まあ、今まで誤魔化していた方々には、少々驚かれるかもしれませんが、良い機会なのではないですか?

 すぐにどうこうということではなく、近いうちにと、気持ちを固めておくだけでも、しておくべきです」


 そう言うハインに、そうだな。としか、返せなかった。

 時は常に刻まれ続ける……どう足掻いたとしても、今のままでは、いられないということだ……。

今週も見て頂きありがとうございます。

今週の更新もうまくすれば四話いけるかな?と、考えています。まだ準備中ですが。

というわけで、本日よりよろしくお願いいたします。

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