竹炭
そうして、どうにかこうにか、帰り着き、昼食を済ませた頃には、買い付けたものが順々に届きだしていた。
バート商会の使用人が報告をくれたので、荷物の受け取りと、一つお願い事の手紙を託し、俺たちは調理場を借りて、まずは干し野菜作りの下準備を進めることとなった。
まずは野菜を丹念に、洗うところからだ。
「赤茄子は半分に割って、ヘタと中の種を匙で全部掬い出します。
甘唐辛子も半分に割って、種を取ります。これは更に、縦向き一糎に切ってください。
胡瓜は輪切りです。三粍くらいでお願いします。
水気が腐敗の原因になりますから、野菜に水気が浮いたら、手拭いで拭き取ってください」
野菜の下ごしらえは、ハインとルーシーが担当だ。
他にも、調理場にあった野菜をいくつか試してみる。
南瓜は割らなければ冬まで保つのだが、一つを全部使い切るのはなかなか大変だ。なので使い切れなかった時に保存できるかを試すため、これも干してみることにした。
あとお馴染みの萵苣。そして茄子。
本来は、形も色々なものを干せるらしいのだが、時間的な猶予が明日の昼までしかない。なので、できるだけ小さく、薄く刻むらしい。
「洗濯バサミが欲しいです……そしたら萵苣が沢山干せるのに……」
調理場の一角で、せっせと針と糸を操りながら、サヤがそんなことを呟く。
また何か新たな道具を思い浮かべている様子だ。ほんと、いくらだって湧いてくるな……。
更に、竹笊の量が足りない……。切った野菜を重ならないように広げて置くため、場所を思いの外使用するから、調理場のものも借り受けた。
まあ、足りないのには訳がある。サヤが野菜を干すための道具を作ると言い、笊を二枚使っているのも原因だ。
「バランス取れてますか?」
「えっと……均衡が保たれているかって意味?……うん。まっすぐに見えるけど」
「良かった。じゃあこれに、綿紗を取り付けます」
「……綿紗はなんで取り付けるんだ?」
「虫除けです。雑菌が付いてしまいますし、日持ちを考えると、できるだけ清潔に、乾燥させたいので」
竹笊を紐で繋ぎ、空中で二枚が連なるようにしたサヤが、綿紗をそれに縫い付けようと悪戦苦闘しだす。何せ笊だ。針を刺す場所がなかなか無い。
「上部だけ縫い付けて、周りはぐるっと囲うだけじゃ駄目なのか?」
「隙間があると、虫が入りますから。うーん……チャックがないからここは重ねないと仕方がないとして……風で開かないか心配ですね……。だけど重ねを大きくすると、陽を遮るし……」
「サヤさん、これ、綿紗を袋状に縫ってしまって、笊に野菜を乗せたらがばっと被せて、縛るようにしたらどうかしら」
「あっ、それ名案です!」
「じゃあ縫い物は私が代わるわ。サヤさんは、竹炭とやらを頑張ってらして?」
縫い物をルーシーに代わってもらったサヤが、今度は裏庭に向かい、届いた鉄鍋に竹を敷き詰めていく。
「極力、敷き詰めて、空間を空けないようにするんです」
底が穴だらけの鉄鍋が竹でぎっちり埋まってる状況はなんかもう……意味不明すぎて何を言えば良いやら……。
それが出来上がると蓋をして、鍋の準備は終了の様子だ。庭に煉瓦を重ねてかまどを組む。……煉瓦は買い忘れていたので、使用人に買ってきてもらった。ほんの数個だったし。
「ハの字に組むって言ってました。火の回りが効率良いのだって。
じゃあ、鍋を乗せて下さい。下で火を炊きます」
初めは、かまどに火を点けるのが少し苦手だったサヤも、もう手馴れたものだ。種火はあっという間に大きくなる。
鉄鍋を火にかけ、蓋の上に重石と、蓋穴の上に筒状の竹を置いた。
「これは煙突の代わりです」
程なくして竹筒の煙突から、黄味がかった白い煙がどんどんと立ち昇りだした。
まあ、穴が空いているのだから、当然中の竹に火が移っているだろう。
燃やすだけなら、何故鉄鍋に入れたのか……。色々不思議すぎて何からつっこめば良いのかも分からない。
「……後は、火を消さないまま焼き続けます。風を送ったりはしないで下さい。
今は、煙が白いでしょう? これは、竹の水分を多く含んでるんです。炭になると、 これが、青味がかった透明になります。
そうしたら、一旦土に鍋ごと埋めて、火を完全に消して冷まします」
「じゃあ、火の番を交代でして、見守っておけば良いんだな?」
「はい。あ、私が見てますから、皆さんは休憩を……」
「サヤ、火の番はまず私がしておきますから、干し野菜の方を確認してきて下さい。
下処理は終わりましたので、あれで良いのかどうか」
やって来たハインがそう言い、サヤはまた、調理場へと向かった。くるくるとよく働く。
これはあれだな……居た堪れなくって必死で働いている感じだ。さっきから俺の方見ないしなぁ……。
今までだったらそんなサヤの態度に、少なからず傷つき、狼狽えていたろうと思う。
けれど、俺を受け入れてくれた先程のサヤを思えば、あの態度も仕方がないのだよなと納得ができる。ただ恥ずかしいだけだと分かっているから、落ち着くまでしばらくそっとしておくしかないかなと、冷静に考えられた。
「しっかし……今回のはほんと、特別意味不明だよな……」
「まあそうですね。ですが、サヤが言うことですから意味のあることなのでしょう」
たちこめる煙に咳き込みつつ、ギルが呟き、ハインがそれに言葉を返す。
ハインはいつも通りだが、ギルは若干、表情が硬い……。サヤの奇行に不安が募り、少々心配している様子だ。
「ギル。サヤにそんな顔を見せないでくれよ。彼女が不安になってしまう」
畏怖すら感じていることが伺えて、とっさにそう注意を促す。
するとバツが悪そうに視線を泳がせ。
「分かってる。けど……これがこの後、なんかすげーこと引き起こすんだって分かってるだけに、どんなもんが出てくるのかって考えると、ちょっと不安になるんだよ……」
そんな風に言うものだから……ちゃんと言い含めておこうと思った。
「ギル、サヤの知識は、神に与えられた奇跡や恩恵じゃない。
彼女が努力して、手に入れてきたものだ。それだけの時間を使って、経験して、犠牲を払って、身につけてきたんだ。
……それを、そんな風にされたら、傷つく……。ギルは、ただ優しさから与えようとするサヤを、怖いと思うのか?」
誰かのためにと知識を晒し、それによって怖がられ、それでも恨み言ひとつ言わず、グッと堪える。彼女ならそうするのだろうと、想像できる。俺を責めることすらしなかった、彼女だから……。
だけど、当然傷付かないわけがない。女性に優しいギルだから、そんな風に我慢するサヤは、嫌だよな?
「……すまん。そうだよな……。前も似たようなことあったのに、……悪かった」
パンパンと頬を叩いて気持ちを切り替える。
そうしてから「火の番は俺らがしとく。お前はあいつんとこ行っとけ」と、追い払われてしまった。
まだ避けられると思うんだけどなぁ……。そんなことを思いつつも、サヤと一緒にいられるのは嬉しいわけで、調理場に向かって足を進めた。
すると、ルーシーとサヤの会話が聞こえてくる。
「あっ、レイ様。見てください、完成ですよ」
「良い感じです。これなら軒に吊るして、干し野菜を作れますよ」
ニコニコ笑顔の二人に迎えられた。
彼女らの前には、二つの竹笊を三本の紐で連ね、さらに綿紗で包めるように工夫された、何やら不思議なものが出来上がっていた。
「この笊に野菜を並べて、軒や物干し竿に吊るして使います。
干し野菜は、一日程度で半乾き、二日から五日……場合によってはもっと長く干しもするのですけど、カラカラに乾いたのを本乾きと言います。つまり、干す時間で日持ちが変わる……水分を多く捨てた方が、長持ちするんです。
朝から夕方前までの時間を、この状態で持ち運んで干します。夜は室内に取り込みます。雨の日は干せません。逆に水分を含んでしまうので。
そんな感じで出し入れが必要なので、それなりに手間がかかります。
でもこれなら、出し入れはそれほど手間じゃありませんし、風が吹いても袋の中にしか飛び散りませんから安心ですよ」
そう言われ、そうか、風が吹いたら飛ぶよな。と、改めて気付く。
「ここみたいに、窓が硝子張りであれば、部屋の中の日当たりが良い場所に置いておけば良いのですけど、きっとそんな環境じゃないから……」
「……あ、これ……ホセたちのために、作ってたのか」
「っ、あっ、だ、駄目でしたかっ⁉︎」
俺のつぶやきに、サヤが慌てる。
「で、でも……野菜を乾かすのを、ずっと見てる時間もないと思うんです。だからその……朝干したら、夕方までほっとけるようにしておければ、片手間に取り入れられるかと……す、少しでも、生活が楽になればと……」
「うん、ありがとう。親身になって考えてくれたんだろう?
そうだな……ただ干し野菜の作り方を伝えるだけじゃ、生活に取り入れられる保証はないんだものな」
そう行って頭を撫でると、ホッとした顔になる。
……そしてそれを見ていたルーシーがムフフとなんだか意味深な顔をする……あ、し、しまった。
「ではっ、私のお仕事は終わりましたし、この干し笊の検証はお二人にお任せしますっ」
「いや、ルーシー……」
「あっしまったーっ! 私、急ぎの仕事があるんです、失礼しますねーっ」
「……うん……」
すっごく、あからさまだよ、ルーシー……。
調理場に二人で取り残されて、そのなんともいえない余韻に浸る。
なんとなく気疲れして、あとは黙々と、干し笊に野菜を並べるのを手伝った。
◆
夕方手前あたりで、干し野菜は一旦回収された。
それぞれ笊の上で、小さくなってヨレている。
「また明日朝から干しましょう。水分が浮いている野菜があったらそれは拭き取っておいてください。カビの原因になってしまうので」
結構な分量があるので、野菜を手拭いで拭いていくサヤとハインを真似て、俺もそれを少々手伝った。一通り拭き終わったら、野菜をひっくり返す。
それがひと段落したら、今度は庭だ。
「煙がうす青くなるのに二時間超えたんだが、大丈夫だったか?」
「竹が大きめだったから、水気が抜けきるのに時間がかかったのだと思います。
問題はありませんから、大丈夫ですよ。……ここですか?」
「ああ、言われた通り、鍋ごと穴に放り込んで土をぶっかけといたぞ」
鍋を掘り起こし、蓋を触って熱を確認したサヤは、大丈夫だと判断したのだろう。鍋をそのまま引き上げた。
「上手くできていると良いのですけど……」
そう言って蓋を少しだけ開けて中を覗き込み……ふぅ……と、安堵の溜息。
「できてる……良かった」
「よし! どんなだ、見せてみろ」
蓋を開けると、白い灰になった竹があり、それを払うと、そこには少々……どころじゃなく縮んだ、青黒いものが入っていた。
びっちりと敷き詰めたはずなのに、結構隙間がある……。三割ほど目減りした感じだな。
「炭素以外が抜けましたから、小さくなったんです」
そのタンソというものが何かはよくわからないが……まあ、何かが出て縮んだのだろう。
「……見事なまでに真っ黒だな……。これ、本当に火がつくのか?」
「つきますよ。でもこれは、乾燥剤として使うので、燃やしませんけど」
サヤがそう言うと、何故か空間が残念な雰囲気になる……。
いや、俺もちょっと期待していたから……。だって、こんな真っ黒に焼け焦げた竹が、まだ燃えるんだぞ?見てみたくなるじゃないか。
「……まあ、こんなにたくさんは必要ないので、少し使ってみます?」
興味津々な状態の俺たちに根負けしたサヤが、苦笑しつつそんな風に言うと、皆が頷いた。
竹を焼くのに使った煉瓦のかまどをそのまま利用し、お茶を入れてみることにする。
「……本当だ……灰なのに、燃える……なんで⁉︎」
「煙が少ないですね」
燃えた。
真っ黒なのにちゃんと火が点く。まるで石を焼いた時のように、中から赤く熱を滲ませ、火も上がっていた。凄いぞこれ!
「実際には、灰ではないんです。炭は、木の不純物のみを除去したものなんです。
不純物はもう燃やしたあとなので、本来は燃やすのに邪魔なものがありません。そのため煙も少ないですし、匂いもほぼありません。
鍋に入れたのは、空気を極力減らすためです。
鍋の中で竹は、ほとんど蒸し焼きにされている感じで、本来酸素と結合して燃える部分……炭素は残され、炭になったんです」
説明されるが意味はとんと分からない。何か特殊な手法であるのは確かなのだろう。
そんな感じで、裏庭でお茶を楽しんでいたのだけれど……。
トサッ。と、何かが落ちる音。
視線をやると、ちょうどマルがやって来たようだった。手に持っていた書類入りの鞄を取り落とした様子。どうしたんだ?
「やぁ、マル。おかえ……」
「木炭⁉︎ なんでここに⁉︎ まさかとは思うけどやっぱりサヤくんが作ったんですね⁉︎」
庭の端に積んである黒い塊に興奮状態だ。
だが慌てて裏口を閉じて、鞄も置き去りに小走りでやってくる。
「サヤくん、これ秘匿権に引っかかります。木炭は製造をある貴族が握ってるんですよ!
急いで処分するか、使い切るかしてください」
「え?」
「鍛冶場で扱う特殊な道具なんですよあれ。大炭、小炭、どっちですか。まあどっちも問題なんですけど……それよりどうやってあんなもの街中で作ったんです⁉︎」
「えっ? あの……意味が、分からないです……」
困惑し、怯えた様子を見せるサヤ。
秘匿権を犯したということに酷く狼狽しているように見えた。
ギルも慌てている。秘匿権のなんたるかを一番身近に知っているのは彼であるからだ。
「製鉄技術に関わるのか……やばいだろそれ⁉︎」
「やばいですよ! 首が飛びかねませんよっ! だからのんびりお茶してる状態じゃないんですよ!」
マルの言葉に、サヤがいよいよ蒼白だ。震える手で「そんな、私……」と、泣きそうな顔になる。
サヤのことだ、当然人の権利を侵害する気など無く、俺の反応から、この世界には無いものと判断したのだろう。俺も、『燃やした木』という言葉から、薪の燃えかすの方しか連想しておらず、木炭が出てこなかった。まあ、まさかそうやって作られているだなんて知らなかったからでもあるのだが。……ん? だけどあれ……相当特殊な手法で、簡単には作れないと、聞いた覚えがある……。
「待て、マル。木炭って、これ、違うんじゃないか?」
「あの形状、燃えてる状況、どう見ても木炭ですよ!」
「だけどこれ、竹だぞ」
「…………うぇ?」
庭の端にある、鍋に入りきらず残った竹を指差す。
「大炭も小炭も目にしたことはある。しかもあれは、そうそう簡単に作れるものじゃないんだろう?
これはサヤが庭で、鍋で作ったんだ。そもそも用途が乾燥剤のかわりだ。似ているだろうが、違う」
「………………なんです?乾燥剤って」
「干した野菜の水分を取るためのものだって」
「……干した野菜の水分を取るってなんです?」
あ。そういえば、マルにはまだ、伝えていなかったんだったか……。
「よし。とにかく中に入ろう。竹炭は、一旦どこかに隠しておく方が良いかな」
「調理場に持って入ろう。外に置いておくのは不安だ。あとこの、使った竹炭の処分を……」
「あ、それもそのまま調理場に持っていく方が良いです。
一度火をつけた炭は、火がつきやすくなっているので、着火剤代わりにまた使えますし、かまどで薪に混ぜてしまえます」
皆で慌てて後処理をする。
穴の空いた鉄鍋も煙突がわりの竹も何もかもを持って、屋敷の中に急いで退避した。
「マル、書類鞄忘れてる」
「うわっ、あれ大切なものなんですよっ」
思いっきり放置して忘れてたけどな、お前。
◆
応接室にて、マルにホセのことや、干し野菜、竹炭を作るに至った経緯を説明した。
とりあえず秘匿権に関わるということで、ルーシーも呼ばれ、この作業に関わった人間には全員状況を把握しておいてもらおうとなったのだ。
「凄い……凄いですよこれ……! 野菜を干して保存する地方はあると聞きますが、そんなに長く保つなんて聞いたことがないです!
実物も初めて見ました。こんな形状で保存ができるんですか⁉︎ しなびて食べられなくなる直前の食材にしか見えませんけどね⁉︎」
「あ、それまだ、生乾きの状態です。これだと保って十日程度。もう少し乾かさないと、長期保存はできません」
マルの興奮が収まらない……。新たな野菜の保存方法に、狂喜乱舞する勢いだ。
これだけ喜ぶのだから、彼の知識にもない手法なのだと分かる。
冬場の食料における保存方法は、主にそのまま保つものを暗所に置いておくか、酢漬けにするか、塩漬けにするか、もしくは燻製にするかだ。ここで保存されるのは主に肉。野菜は本当に少ない……。なのにサヤは、野菜が長期的に保存できると言ったのだ。
「本当は、根菜類や香味野菜が最も長期保存には適しています。だけど時期的に今は少ないので……。
それで、乾燥野菜には水気が大敵です。極力水気のない、暗所で保管するのが良いんです。
だから、蓋つきの硝子瓶にこの炭と野菜を入れて保存しようと思ってました。
炭は三ヶ月くらいで交換した方が良いんです。
水気を吸って、効果が薄くなります……。あ、乾燥させればまた使えるので、天日に干したりしても良いんですが、薪と一緒に使ってしまっても良いかなって……」
「竹を使用した理由はなんなんです?」
「安価であることと、作りやすさ。あと、性能です。
竹には腐敗やカビを、ある程度防ぐ効果があります」
「ああ、聞いたことありますよ。ジェンティーローニの怪事件。
竹林で殺した男が、一週間経っても腐らなかったせいで、事件が発覚したって。あれです?」
「はい。竹の抗菌作用だと思われます。だから、食べ物など、鮮度を保ちたいものを扱う場合は、竹を使う方が良いんです」
マルとサヤが行う情報のすり合わせを、同席して見ているだけなのだが、分かるのはサヤの凄い知識にマルがついていっているということだけだ。口の挟みようもなく、ただ見ているしかできないのが現状だった。
「じゃあこれ、鍋で作ったって本当なんですね?……うーん。それなら確かに……その製法を守る限り、秘匿権には引っかからないでしょうねぇ……。
あれは窯を使って作ります。時間もかかりますし、鍋で二時間焼いたくらいではできません」
「……ああ、それが秘匿権に引っかかる炭なんですね」
「……なんとなく予想してましたけど……知ってるんですね?そちらの炭の作り方も」
「いえ、作れるほどには詳しい自信はありません。ただ、炭の種類は、母に聞きました。……その……製造過程の差も」
「それで、竹は作りやすい……というのも知ってらっしゃると」
「はい……」
「……よくよく考えてみりゃ、こういうことだったてあるよな」
二人のやりとりを見ていた横から、不意にギルが話しかけてくる。
ハインや俺が視線をやると、少し疲れた表情ながら、言葉を続けた。
「サヤの知識と、こっちの知識。かぶることだって、そりゃあるよなって。
今までうまく間をすり抜けてたけど、俺たちの知らない秘匿権だって存在する。サヤの知識だと思って利用してたら、実はもうあった……なんてことも、そりゃあるよなぁって」
「……そうだな」
そして、そう言った事例が、事件へと発展した例も、ある。
あまり公にはならないが、もう秘匿権として上がっていたものを、発見し直した者がそれを知らず申請して、問題が発覚するという例だ。
正直そういうのはもう、運が悪かったとしか言いようがない。
こういう場合は、立場の弱い方が、権利の放棄をするしかなくなる。
そう……相手が貴族であった場合、権利を奪われるということも、ありうるのだ。
では、サヤの竹炭はどうだろうかというと、マルの言う通り製造過程が大きく違い、用途も別だ。多分大丈夫だと思うが……。というか……。
「マル……知ってるんだな。木炭の秘匿内容……」
まずそこが驚くべきことなんだけど……。
俺の呟きが聞こえたらしいマルが、こちらを見る。
「ああ、職業柄ね。調べられるものは調べてますよぅ。
世にある秘匿権全てを把握しているとは言いませんけどねぇ。貴族絡みであるものは問題になりやすいので」
と、そんな風に言った。
いや、製造過程知ってるって、真っ黒だよな……。それ絶対晒してないやつだし。
だって作り方を知られてしまえば、作られてしまうかもしれないのだ。だから一部は公開したとしても、全貌は伝えない。しかしマルの口ぶり……サヤの竹炭は秘匿権に引っかからないという判断を下したことからして、彼は、全貌を知っている……。
でもまぁ、知ってくれていたおかげで、どうやら大丈夫そうだと分かってホッとできるわけだけれど。
「まあ、今回はあれだ。運が悪かったと思って、これはもう、なかったことにしよう。
被らないにしても、勘違いされそうなもんに手を出さない方が良いだろ。
特に貴族絡みの秘匿権ならな」
ギルがそう言ってこの話を終わりにしようとする。
関わらないにこしたことはない。それは確かにそうなのだ。貴族絡みなら特に、問題となった場合に勝てる可能性は少ない。だが……。
「いえ、引きません。
問題となった場合も戦う手段はあります。その時は僕が引き受けますので、これは、進めなきゃ駄目です」
マルがきっぱりと言い切った。
「大災厄前文明文化研究所の目玉商品にします。
これは、世に広めるべき技術ですよ。考えてみてください、冬の過ごし方が、劇的に変わる可能性がある。
今まで保存できる野菜なんて、玉葱か馬鈴薯か蕪かってな具合で、限られていたんですよ? わざわざ美味でもない酢漬けや塩漬けを有難がるくらいにね。
でもこれで沢山の野菜が長期保存できたら?
例えば夏場に余るほどできた胡瓜を冬場に食べられたら?
本当にこの保存方法が有効であれば、僕の故郷も、冬を越せます」
真剣な、熱を帯びた瞳で、マルが言う。
そのためには、乾燥材が必要なのだ。干し野菜だけではいけない。この竹炭が、必要なのだ。
「他に乾燥剤となるようなものはあるんですか?」
「……私の国では主にシリカゲルというものを利用していますけれど、きっとこちらにはありません。
重曹も、ふくらし粉を見かけませんから、ないのじゃないかと思うのですが……。
あとはちょっと、思い浮かばないです……」
少し考えたサヤがそう答える。
それに頷いたマルは「ならやはり、竹炭は必要ですよ」と、言った。
「何よりこれ、燃料にもなるんですよ。
そうなれば、冬場の暖の取り方も変わります。まず煙が少ない。閉め切った状態になる室内の状況改善にも使えるかもしれません。
そして竹は、だいぶん安価です。薪の代わりにも使えます」
「だけど竹って、爆ぜるんじゃなかったか? なんか爆発しまくったって大騒ぎになった覚えがあるぞ」
ギルの指摘。ああ、それは聞いたことあるな。
「あの……それは竹を割らずに使用したからだと思います。
節と節の間。あそこの中は空洞で、焼くと中の空気が膨張して爆ぜます。
割って利用すれば大丈夫だったはずです。
あ、でも……竹は油分が多いので、着火は早いのですけど、薪ほど長持ちはしません。
竹炭は、燃焼に邪魔な不純物は除去したあとなので、竹をそのまま燃やすよりは長く燃えるかもしれませんが……」
「成る程。着火材としては優秀。薪の代用品としては検証が必要ということですね。
まあ曖昧な部分はこれから色々検証、検討しましょう。
とにかく、干し野菜は普及させるべきです。ひと月でも食品が保てば、色々違ってきますよ。大きな話題性もあります。
風呂は施設を作らなければ普及できませんが、これは干し野菜を作って売るという手法が使える。是が非でも、手数に加えるべきです。
なにより、秘匿権を放棄するということを実践するのに、良い素材ですよ。
作り方自体は、そう難しくないようですし」
マルの言葉に、俺も今一度、今回のことについて考える。
ホセの村の手助けになればと思ったのだけれど、サヤが教えてくれた干し野菜はそれだけにとどまらない、もっと大きなものである様子だ。
世間の価値観を大きく覆すことを考えるなら、注目度の高い、話題性のあるものを提供するのは理に適っていると思う。
「なら、まずは干し野菜の検証が必要かな。
食べ物だからな……実際どれくらい保つのかを試してみないと心配だし、どのように広めていくかも問題となりそうだ。
竹炭の効果についても確認しないとな」
「そうですね。とにかく、そのホセという者の村は、石を買い付けるということで、当座の問題は解決するでしょうし、まだ干し野菜は伏せておきましょう。
まずは取引です。他領であっても、そこは問題無いわけですし」
捨場のものは買えない。という法律は無い。心象の問題だ。
食わしていけないから捨てる。それをしてしまったが故に、そこに近付きたくない。ただそれだけでできた決まりごとだろう。
もし、その捨場があるのがセイバーン領内であったなら、当然そんなものを許すつもりはない。
そういったことまでしなければならないほどの苦境に、民を追いやったのだとしたら、それは我々貴族の落ち度だ。我々自身が謝罪し、正す必要があると思った。
「捨場ねぇ……正直、セイバーン領内である可能性は低いでしょうね。
こちらの土地は豊かですし、地質の話からして、火山が近い。なら、アギーか、もしくはオースト辺りですかね。
アギーなら、まだ聞く耳を持ってくれそうですが……オーストは少々ややこしいかもしれません」
その可能性は俺も考えていた。
玄武岩を多く扱っている領地はオーストであるし、わざわざ捨場のものに手を出すほど困ってもいないのだろう。
だが、資源に困っていないからといって、捨場を放置しておいて良いわけはない。
俺は、ホセのあの態度が気になっていた。
初めから、俺に対して不信を募らせていたように思う……。エルランドに口を利かないよう言い含められていたのも、それが原因であるのかもしれない。
貴族に関わる場合、大抵の者は臆する。何か粗相をしないか、間違って手打ちになったりしないか、そちらの心配が先にたつものが多い。
けれどホセは違ったように思うのだ。
「……どこの領地であったにしても、そのままにはしない。
せっかく手を伸ばそうとしているんだ……受け止めてやらなきゃ、駄目だ」
助けてと、訴えたなら、それを聞くのが俺の立場であり、役割だ。
「畏まりました。じゃ、それを踏まえて僕も色々用意するとしましょう。
じゃあ、とりあえずはそういうわけで、まずは保存食を、作り切ってみましょうか」
マルの言葉に一同頷くが、ギルはやはり、少し心配そうにしていた。




