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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
17/515

変化

そんな馬鹿騒ぎがひと段落して、ルーシーが呼ばれた。

 昨日ぶりだ。送り届けた後、怒られてそれ以来だったが、元気そう。

 サヤが女性だと分かってがっかりしていたかもしれないが、今はそんな素振りもなく、やっぱりキラキラした目でサヤを見ている。俺やハインは眼中に無いようだが。


「サヤ様……あの、昨日は本当に、ありがとうございました!」

「いえ、無事で良かったです。

 あとその……様は、いらないですよ? 私も使用人ですし、年だって同じくらいですからサヤと呼んでください」

「じゃあ、サヤさんで!」

「私もルーシーさんって呼びますね」


 ハキハキ元気なルーシーに対し、サヤは物腰柔らかだ。

 薄闇で見たルーシーは、特別ギルと似ているように思わなかったのだけど、ギルと同じく金髪に碧い瞳だった。そしてサヤとは違い、顔が豪奢な感じに美人と言える。逆に身体の凹凸は乏しいようで、そこもサヤと対照的……って、いやいや、それ考えたら駄目だ、変態分類だぞ俺……。

 ルーシーとサヤの交流を終えたところで、今度はギルが。


「今日はサヤの採寸をさせてくれ。

 大体の寸法じゃなくて、きっちり測りたい。だからルーシーを呼んだんだ」


 そう言って、仕事の顔をする。

 昨日も仕事の顔をしてろと言ってたわけだが、本人の本気度が違うのか、キリッと男前だ。

 大抵の女性が溜息を吐くような美男子ぶりなのだけど……今は反応する人間がいない。

 だけど採寸って……必要なの?


「大体じゃ駄目……って言っても、ほぼ正確だろう? ギルの目測……。衰えたのか?」

「ふっざけんなよ⁉︎ そんな訳あるか! そうじゃねぇ……お前らが原因なんだよ!」


 バンっ! と、机を叩いてギロリと俺たちをひと睨み。そして、低い、怒気をはらんだ声音で言うのだ。


「お前ら……サヤに男物の下着を使わせてたってのは、どういう魂胆だ⁉︎

 男装の一環とか言ったら殴る!」

「ええっ? 魂胆も何も……ずぶ濡れだったサヤに貸せる下着が、それしか無かったんだよ」

「それならまずそうと言え! 下着は女の命だぞ!」

「……そうなの?」

「サヤに聞くな!」


 ペシンと頭を叩かれる。そんなこと言ったって無いものは無かったし、知らなかったんだ……。あと服のことは覚えてたけど下着のことまで考えてなかった……考えてたらそれはそれで変態だと思うんだけど……。


「下着は服ほど大雑把にできねぇんだよ。合ってなきゃ体型を崩すんだぞ。

 折角のサヤの美体が……型崩れしたらお前らの せいだからな!」

「……美体って分かってらっしゃるあたりが変態ですね」


 ハインが冷静に棘を突き刺す。

 サヤは真っ赤になってブルブルしている。相当恥ずかしいようだ。


「下着は、加工に時間が掛かるんです。服は大体で合うものを探せますけど、下着を適当にすると、身体と衣服に影響します。

 サヤさんは男装されて過ごすってお聞きしました。それなら余計服装に制約が出ます。

 身体の特徴を隠す服を着るなら尚のこと、まずはきっちり補強しないと!」


 ルーシーも熱弁を振るう。女性のルーシーが言うのだからそれは大事なことなんだろう。しかし……。


「隠すのに補強?」

「お前は〜……! やっぱり一旦女装して勉強するかこの野郎⁉︎」

「わ、分かんないから聞いてるだけだろ⁉︎」


 席を立って、俺を捕まえようとするギルから必死で距離を取る。こいつ足も長いから一歩がでかいんだ……遠くに逃げるより机の周りを回る方が勝率が高い!


「見る奴が見れば、男の体と女の身体は一目瞭然で違うんだよ!

 そこを誤魔化すんだぞ、適当なやり方でボロ出してちゃ世話ねぇんだよ!

 だからきっちり測ってそれ専用の下着を用意しようって言ってんだろうがぁ、人に丸投げしてねぇで少しは自分で考えろ!」

「中途半端な俺が考えるよりきっちり詳しい専門家に任せた方が正解だろ⁉︎

 それこそ中途半端な結果にしかならないだろうが!」

「ギル……レイシール様は、貴方に任せれば問題無いと理解してらっしゃるんですが……自信が無いんですか?」


 ハインが冷たい視線でギルを見る。無理ならそう言えよ、他当たるから……みたいな目つきだ。

 それを見たギルが標的を俺からハインに切り替えた。


「減らず口叩くなよをぃ……俺を誰だと思ってんだ……」

「バート商会店主ギルバート殿。

 それで、補強したうえで隠すのは何故なんでしょう?」

「釣り合いを崩さねぇためだよ。腕一本無くしても人はまっすぐ歩けなくなるんだ。

 サヤは下手したら命のやり取りする立場だろ、女ってだけで体格が不利なんだから、今の重心を崩すような服は命取りなんだよ!

 しかもそのうえで性別詐称だぞ? 胸やら腰やら気にしながら戦えるか!

 あと、美しい状態を崩すのは俺が許さん!」

「だそうです、レイシール様」


 なるほど。意味は分かった。

 動きを制限するような下着や服装では命取りってことか。性別を隠しつつ戦うなんて風に気を散らしていたら怪我の元だから、きちんと着るもので男に見えるようにする……サヤが動きやすいようにする……。そんな意味だな。


「やっぱりギルに任せておくのが一番だろ。俺が下手な口出ししない方が良いよ。

 言っとくけど、これは怠けたり丸投げしたりしてるんじゃなく、サヤのことが大切だから、ギルに任せるんだぞ。

 着るものに関しては、俺はギルを一番信頼してるんだから」


 とりあえず懐柔策戦に出てみることにした。思ってることを口にするだけでいいので楽だ。


「お前なぁ……」

「補強して隠す意味はよく分かった。

 サヤのためなら異存もない。存分に測ってくれ。

 それと、俺たちの気が回らない部分をそうやって補ってくれるから、本当に助かってる……。ありがとう、ギル」

「くそっ…………お前ほんっと、いい性格してるよな……」


 若干赤い顔をして悪態を吐く。その隣でルーシーがとても嬉しそうに巻き尺を構えていた。


「じゃあ、サヤさんをお預かりしますっ!

 男性陣の前で数値を明らかにするなんてしませんから安心してくださいっ。

 サヤさんの部屋に行きましょうか。それとも私の部屋? どちらでも良いですよっ!」


 満面の笑顔でサヤににじり寄る。サヤは、若干引いていた……。

 

 サヤがルーシーに連れていかれたので、俺たちはしばらく待機だ。

 ワドルが入れてくれたお茶をいただきながら、各々寛ぐ。

 ギルは仕事の時間だと思うのだが……今日は臨時休暇だと言った。いつも馬鹿みたいに働いているのだから、友人の来たときくらい俺も休む。だそうだ。


「ああそうだ……レイ、お前今年もマルに会いに来たんだよな?

 午後、ここに連行する予定だから、出掛けなくていいぞ」

「え? マル、来れるのか?」

「来れねぇよ。だから連行するんだろ。いい加減陽の光に当てとかねぇと黴が生える」


 俺の結い上げられた髪を観察しながらギルが言う。

 そんなに見てて楽しいもんかな……この髪型……。


「しっかし……お前ら、本気でサヤを俺に預けろよ。

 サヤは従者や護衛じゃなくて、ここで才能を発揮すべきじゃねぇか?

 この髪といい……配色の配分といい……」

「配色?」

「飾り紐。どうせこれしたのお前らじゃないだろ。サヤだよな」


 水色と山吹色の飾り紐を摘んでギルが言う。

 これは朝、俺の髪を結ったサヤが、こだわって選んだ飾り紐だった。

 本日の俺は、サヤと同じような青い上着。白の長衣に、濃い灰色の細袴だ。腰帯が山吹色だけど……だから飾り紐も山吹色なのかな? でもそれなら水色は要らないと思うのだが……。

 これの意味がなんなのかさっぱり分かってない俺たちに溜息を吐く。


「裏地……。上着の裏地と合わせてあるんだと思うぞ」

「なんで裏地……」

「お前が動くと、チラッと見えるだろ。その時の釣り合い考えたんじゃねぇの?」

「ええっ? そんな微妙なとこ……あだっ」

「馬鹿野郎。細かい部分をきっちり締めるから美しいんだよ」


 拳骨を落とされて頭をさする。

 ギルを振り返って睨むと、案外真面目な顔があって若干怯んだ。しかも至近距離。


「その髪のツヤも……お前は、灰より銀の方が似合うよ。別人みたいだ。

 髪と一緒に、いっつもなんか燻んだような表情してやがったのに、今はマシだよ。

 ハインもなぁ……お前は絶対、レイ以外の人間を受け入れないと思ってたのに……。

 サヤは一体何をしたんだ? まさか見た目にイカれたわけじゃないだろ?」

「なにって……何もしてないと思うけど……?

 強いて言うなら……今サヤ以上に大変な状況の子はいないと思うのに、サヤは優しいから……サヤを悲しませたくないから、頑張らなきゃと、思うよ」


 俺のせいじゃない……泣きながらそう言った時のサヤを思い出すと、胸の奥をギュッと掴まれたような心地になる。

 苦しいんじゃないんだ……。だけどよく分からない……やっぱり苦しいのかな? でも、嫌な気分じゃないんだよな……。

 俺があの時のことを思い出してると、答えを返すとは思ってなかったハインも口を開いた。


「私はレイシール様を刺しましたが、サヤは言葉で責めることひとつ、しませんでしたから……。

 レイシール様を大切にしてくださるなら、私はなんだって良いので」


 奇しくも、同じ状況を思い返してたみたいだ……。

 その言葉に、俺の右手の傷に視線を落とすギル。

 中指と、薬指についた小さな傷。そして腹部にも、もう一つ傷がある。

 これはこれで、ハインの状況を考えたら仕方なかったと思うんだけど……ハインは、未だに引きずってるんだよな……。命を差し出して消せるなら、悪魔にだって差し出す勢いだ。もしそれができても、絶対阻止するけど。


「ふーん……まあ、お前らがそんなに高く買うなら、取らないでおいてやるか……」


 別にサヤを取り上げようなんて思ってもいないだろうに、ギルがそう言って視線を逸らす。

 俺の髪を観察するのをやめて、長椅子の上にだらしない体勢で転がる。

 しばらくそうやって転がっていたのだが、ふと、思い付いたように言った。


「とりあえず、バレるとか、狙われるとか、やばいと思ったらすぐに言え。

 匿うなり逃すなり、手を貸すから」

「……うん、ありがとう……」


 ギルは、本当に俺を甘やかすよな……それで、兄みたいな顔をするんだ。

 出会った頃からずっとそう。男前な外見がどうしても際立つけれど、俺はギルの内面こそ、とても男前だと思っている。

 甘やかすけど、立たせてくれる……。未熟な弟じゃなくて、一人前の男扱いして、委ねてくれるのだ。そしてそれを、さりげなく支えてくれる……。

 そんなギルが、俺はたまらなく好きだ。こいつが俺を親友と言ってくれることが、本当に嬉しい。



 サヤは一体幾つ測られているのか、一向に帰ってこなかった……。


「遅いな……ちょっと様子見てくるか?」

「駄目、女の子の部屋を覗くな」

「阿呆、仕事だ」

「万が一服着てなかったらどうするんだよ!」


 心配は心配だったけど、それを考えると怖くて確認になんて行けない。

 俺が必死でギルを押し留めていると、ルンルンのルーシーが帰ってきた。

 なんでルーシーだけ? そう思ったが違ったようだ。扉の奥に向かって、おいでおいでと手招きをしているから、サヤも帰ってきたようだと分かってホッとする。


「測り終えましたっ。あと、あまりに理想的な体型をなさっているので飾ってみてたんです!

 本当にとても素敵っ。最高に美しいと思うんですけど、サヤさんが全然納得してくれなくって。

 だから皆さんの意見を是非聞きに行こうって、連れてきたんです」


 仕事の合間に遊んでたのか……。ルーシーの言葉にギルが眉間を揉んでいる。手を焼いているらしいな……だいぶん奔放な子だ。


「サヤさん、早くいらっしゃいな」

「だ、駄目です、こんな……こんな格好は、似合いません……」

「もうっ! それを確認しに来たんです! 早く来ないと、叔父様を連れて行きますよ!」

「叔父って言うな……俺はまだ二十一だ……」


 ギルが溜息を吐いて席を立つ。

 俺もサヤを迎えに行くべく、席を立った。一体何が問題なのか興味もあったのだ。


「サヤ? どうしたんだ?」

「駄目です! 来ないでくださいっ」

「まさか素っ裸で連れて来られたわけじゃねぇだろ?」

「もうっ、そんなはずないでしょ!」


 ルーシーがプンプンと怒ったふりをするが、顔がにやけている。

 とっても楽しそうだ。飾ったって言ってたけど……サヤを飾ったんだよな?

 何を飾られたんだ? 見られたくないようなものって……花とか?


「サヤ、どう…………」


 扉から顔を出すと、壁に張り付いたサヤと目が合った。そして、パックリと開いた背中と、むき出しの肩……え?


「来たらあかんって言うた!」


 顔を出した俺に、訛りまで戻って叫ぶ。そして、肩を抱きしめるようにして座り込んでしまった。

 サヤは、全身で見るなと拒絶していた。

 しゃがんだサヤの肩は両手で隠れたけど、背中は出ている。腰の近くまで。背中が大きく開いた東の隣国(ジェンティーローニ)の衣装を着ていた。目の覚めるような、赤い衣装……ど、どういうこと⁉︎


「ほらサヤさん、それだと背中しか見えないです。立って立って」

「あかんっ、ほんま、堪忍して、私……こんなん、無理やから……」


 一瞬頭が真っ白になっていたのだが、サヤの声が今にも泣き出しそうで、現実に引き戻された。

 慌てて上着を脱ぎ、剥き出しの背中に掛ける。そのままサヤに背を向けて、ルーシーとギルの前に立った。とにかく隠さねばと思ったのだ。ギルの視線から。そして当然、俺の視線からも。

 俺の行動に、ルーシーはキョトンとした顔をしていて、ギルはまだ状況が飲み込めていないらしい。

 どうしよう……なんて言って納得させたらいい? ルーシーはサヤの事情を知らないはずだし……。とにかく穏便に、やめさせなければ!


「ルーシー、サヤは……こういうのはちょっと、辛いみたいだから……」

「ええっ⁉︎ レイシール様は褒めてくださると思ったのに!」

「いや、着飾ったサヤを見るのは(やぶさ)かではないよ? でもサヤは見られたくないんだ。

 ルーシーは、好きでもない人に着飾った姿を見せたいかい?」

「誰が見てようが関係なく、着飾りたいです!」

「……そっか、着飾るのが好きなんだね……」


 うう……なんて言えば分かってもらえるんだ……?


 自分がしたことが、今何を引き起こそうとしているのか、全く理解していないふうだ……。

 一瞬ハインに助けを求めようか……なんて脳裏を過ぎったのだが、それをするとルーシーが大泣きするような状況を招きそうだったので、自力でなんとかせねばと考え直す。


「サヤは……遠い異国の子なんだ。

 サヤの国では、異性に肌を晒す習慣は無い。ルーシーは、自分が絶対したくないと思ってることを、無理矢理させられたら嫌だろう? 例えば……着飾るの禁止とか」

「ええっっ、それは嫌です!」

「だよね? きっとサヤも、無理矢理は嫌だと思うんだ。だから今回は、許してもらえないだろうか……」


 俺が必死でそう懇願すると、ルーシーは凄く考える顔をした。よし、良い感じだ。このまま丸め込もう。そう思ったのだが、ルーシーの頭をギルがガシッと掴む。鷲掴みだ。でかい図体が怒りの気配でより大ききく見えた。


「ルーシー……お前、今回ばかりは許さねぇ……兄貴の所に帰ってこい」

「ええっ、そんなっ」

「意に沿わねぇことが嫌でここに来たんじゃねぇのか?

 なのにお前は、それを人にすんのかよ……?

 しかもサヤは恩人だろうが。恩人に砂をかけるような奴を、置いとく義理はねぇよ」


 怒り顔のギルに、ルーシーが流石に蒼白になる。

 やりすぎたと気付いたようだ。みるみる瞳に涙が溜まっていく。

 うわっ、修羅場になってきた! おおごとにする気は無かったのにっ!


 慌ててそこまでにしてあげてくれと、口を開きかけたら、背中をガシッと掴まれつんのめる。

 震える手で、サヤだとすぐに分かった。いまだかつてないほどにガクガクしているが、それでもなんとか立ち上がろうとしている。とっさに右腕を回し支えたら、上腕に縋り付かれた。

 サヤの身体の弾力が直に伝わるせいで、俺も相当狼狽したが、ここで慌てると余計サヤが恐慌をきたす気がしたので、奥歯を噛み締めて堪える。

 けど右腕は……サヤを長く支えられない……。


「あのっ、ルーシーさんは……私を、元気づけようと……。

 悪気があった、わけじゃないんです……。元気を、出したい時は、女の子は、着飾れば、いいんだって……気持ち、前向き、に、なるからって……。

 私の、事情は、ご存知ないので、仕方のない、面も、あると思うんです……。だから……」


 震える唇で必死にルーシーを庇うサヤ。

 しかし、視線が定まっていない。俺の肩を掴む手も、冷え切って冷たくなっているし、顔も蒼白だ。衣装との対比が酷すぎて、青白いサヤの顔がひどく危うげに見えた。これは、俺に縋り付いてる意識も無いのかも……。

 そう思った時にカクンと足が崩れる。慌てて身体を支え……駄目だ、もう右手じゃ支えられない!


「っ、ハイン!」

「部屋に運びます。サヤ、失礼しますよ」


 とっさにハインを呼んだら、すぐ後ろで返事があった。

 いつの間に用意したのか、手にした肩掛けを広げ、サヤの全身を覆い隠す。

 そのまま背後に回り、掬い上げるようにして、横抱きに抱き抱えてしまった。

 肩掛けは、サヤの肌を視線から遮るためと、直接触れないようにという配慮なのだろう。気の利かない俺と違い、ハインはきちんと考えて、必要なものを用意したのだ。


 サヤにさっと視線を走らせて、これは良くないとすぐに分かったようだ。ギルたちは完全に無視して、かなりの速度で進み出す。階段の方に。俺はそれを慌てて追った。

 走るような勢いで駆け上がり、部屋に向かう。扉が視界に入ると、早口で俺に言った。


「レイシール様、扉を開けて下さい!」


 足を早めて、主室の扉を開く。


「俺の寝台で良いから! とにかく早く下ろしてやってくれ!」


 扉を二枚開ける時間が惜しい。それにサヤの部屋に踏み込むのも躊躇われて、俺は自分の寝台を指差した。

 ハインは指示に従い進み、俺が寝台の上掛けを剥ぐと丁寧にサヤを下ろし、すぐに上掛けを掛けた。

 サヤの意識はもう無かった。その白い顔に、俺の血の気も引く。真っ白な唇……冷たく冷え切っていた手をなんとかしてやりたかった。どうしよう? 温めてやりたいけど、触れたんじゃ逆効果なんだよな……誰ならいい? どうすれば⁉︎


「……様……レイシール様!

 落ち着いて下さい。サヤを放り出して、貴方を診なければならなくなる!」


 ハインの怒鳴り声で、混乱した頭がギリギリ踏みとどまった。

 サヤを後回しにされたんじゃ困る。ハインは本気でそうしかねない……。

 俺が気力を振り絞ったので、ハインの目がサヤに戻った。サヤの呼吸を確認して、仰向けのサヤを横向きに直す。


「呼吸はしてますよ。吐いてもいないなら、死ぬことはありません。

 レイシール様はサヤについていて下さい。私は医師の手配をお願いしてきます」


 そう言って立ち上がる。

 大股で扉に向かおうとしたハインに、しかしか細い声が制止をかけた。


「必要ないです……ちょっと、寝てしまっただけ……」


 その声に、ハインの足が止まる。溜息をついて振り返り「あれは気を失っていたと言うんです」と、返事を返す。

 視線を向けると、青白い顔のサヤが、うっすらと目を開けていた。まだ辛そうで唇も震えている……。医師に見てもらった方が良いのではと思うのだが、頑なに首を振った。そんなサヤに根負けして、ハインも諦め、寝台の横に戻ってくる。


「サヤ、ならばどうすれば良いですか?」

「大丈夫です……しばらく休めば、治りますから……」

「しばらくとは、どれくらいですか」

「……」

「……とりあえず意識が戻ったことを伝えてきますから、サヤは休みなさい」


 それ以上は譲りませんからと、ハイン。そして俺に、サヤについているようにと念を押して、部屋を出た。

 俺が寝台の横に座り込むと、サヤが「すいませんでした……」と、か細い声で謝罪してきた。

 この子は……っ。


「何もすまなくない。……ごめん、もっと早く気付いてやれた……」

「そんな……レイシール様は、何も……」

「支えてすら、やれなかった……」


 右手が不自由だからと言い訳して、腕の筋肉まで鈍らせてちゃ世話ない……。

 こんな細い女の子一人支えられないなんて……怠惰もいいところだ。

 しかも狼狽えるだけで、サヤに何ひとつできなかった。ハインがいないと、ほんと木偶の坊だな、俺。

 そう思うと情けなくて、寝台に背を向ける。

 会わせる顔がない。でもサヤを見ているようにと言われたのだ。ここに居なきゃいけない……。


「レイシール様は……支えて、下さってましたよ?」


 俯いてただ落ち込むしかない俺に、サヤはそう言ってくれた。

 どこまでも優しい。辛いだろうに、こんな状況でも、俺を慰めるために、口を開く。


「上着を掛けて、くれたし、庇ってくれたし……ルーシーさんを、傷付けないように、納得させようとしてくれたでしょう?

 悪い子じゃないんです……私に元気が無いからって、一生懸命励ましてくれました……。さっきのあれも、私を褒めてくれようと、したんだと……。みんなに褒められたら、似合わないなんて、思わなくなるって……」


 話の途中で、つと……髪が引っ張られた。

 ツンツンと、何度か刺激が続く……。サヤが髪をつついているのだと分かったので、好きなようにさせておいた。何もできなかったのだから、髪くらい提供するさ。


「そうなんだ……」


 相槌をいれる。


「ドレスはとても、素敵でした……。けどやっぱり、私には……」

「そうかな。似合っていたと思うけど……。でもサヤは、赤よりも……白が似合う気がするかな」


 会話の間も、髪を引っ張られる感覚は続いた。何をしているのか分からないけれど、一定の間隔で、ツンツンと、引っ張られる。

 そうしてるうちに、だんだんと気分が落ち着いてきた。

 俺が落ち着いてどうするんだってちょっと思ったけど、サヤも話して、気を紛らわせているのかもしれないと思い直す。


 しばらくそんなことを続けていると、会話が途切れ途切れになってきた。眠たくなってきたのか、話が途中ふらふらと彷徨(さまよ)う。そして……。


「さっきは……レイシール様が、ちょっとカナくんみたいでした……」


 何度か聞いた名前を、口にした。


「……カナくん?」

「……怖い人から、助けてくれた、幼馴染……。

 ……少林寺も、カナくんが、教えてくれて……。

 家にこもる私を、カナくんが、引っ張り出すの……」


 サヤの声の調子が気になって振り返る。

 すると、とろりと瞳を閉じかけたサヤが……。


「怖がるだけやあかん……逃げるから怖いんやて……」


 ツン……と、髪が引っ張られる。サヤの指に、俺の髪が絡んでいた。クルクルと、巻き付くように。


「戦こうてみれば、なんぼのもんでもないんや、強うなれば……怖ぁないって。

 私のこと嫌うてるけど…………優しいの」


 それだけ言って、そのまま瞳が閉じて……雫が一滴、零れ落ちる。

 

 …………なんだろうな、これは。

 

 なんか、変な気分だ。

 サヤの指に絡まる髪を、解く気になれない……。

 カナくんっていうのは、サヤの家族じゃなかったのか……。

 お父さん、お母さん、おばあちゃん以外に、サヤが唯一呼んだ名前……。


「幼馴染……」


 男が怖いと言うサヤが呼んだ、多分、男の名前……。

 それが妙に、頭に残る。


 なんか、急に、空気が薄くなったような気がしていた。

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― 新着の感想 ―
小夜さんを元気づけようとしてルーシーちゃんは着替えさせてくれたんだと思います。悪気がなかったのは分かるし、だからレイシールさんは優しく説明してあげたんですよね……。 小夜さんを支えることができない右…
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