閑話 銀
サヤの服の寸法は、ギルがサヤをざっと見るだけで書き上げた。
それをワドルが受け取り、一礼してから部屋を去る。
しばらくすると戻ってきて、俺に向かってこう言った。
「お部屋の準備が整いました。ご案内致します」
それを聞いて首を傾げる。俺の部屋の位置……変わったのか?
ギルを見ると「サヤが増えてるだろ」との返答が……。ああ、そうか。前の部屋だと、従者用の部屋が一つしか無いのか。
「女性の方ですし……多少悩みましたがやはり、男装して生活なされるなら、慣れるのが肝要かと」
ワドルにそう説明され、案内された部屋は三階で、従者用の小部屋が二つだった。
従者は同室で寝台が二つ……という場合もあるのだが、流石にそれはちょっとあれだしな……。
この短時間で俺の部屋の位置は変わったものの、家具は以前の通り、使い慣れたものが運び込まれていた。ハインの部屋も同じくだ。その気遣いが有難い。
そして、夜着と湯浴み用の湯が持ち込まれ、俺はハインに手伝われて湯浴み。大きな盥に湯をはり、旅の汚れを落とす。たいして汚れてもいないのだが。
「今日こそは髪を洗いますよ」
「あ〜……サヤに聞き忘れてしまったな、髪の洗い方……」
そんなやりとりをしていたら、コンコンと扉が叩かれ、あの……と、サヤの声。うおぁ⁉︎
「ちょ、ちょっと待っててくれ! ハイン、髪は後! 夜着取って!」
「何の用でしょうか……確認してきます」
「後にしろ! こんな状態サヤに見られたら……サヤがやばいだろ⁉︎」
夜着であんなに狼狽してたんだから男の裸体なんて最低だ。気絶するかもしれない。
ハインを急かして夜着を着て、その上から羽織を重ねる。湯はそのままになってしまうけど……この際仕方がない。
俺がやっと人心地ついたところで、ハインがサヤの叩いた扉へと向かう。
開けると、やはりサヤが、朝も見た袋と豚毛の櫛を持って立っていた。顔は真っ赤だ。
「あの、御髪のお手入れをと思って……。昨日、お伝えできませんでしたし、先ほど、洗うって聞こえたので……」
耳の良いサヤには俺たちの会話が筒抜けだったらしい……。
「ですが今はもう夜で、レイシール様は夜着ですよ。大丈夫ですか?」
「は、はいっ」
「……と、言ってますが? レイシール様、どうされますか」
「まあ、サヤが良いなら良いんじゃないか? 駄目だと思ったら自己申告してもらおう」
そんな感じのやりとりがあって、サヤが部屋に入ってきた。
やはり、朝の袋を手に持っていたが、とりあえずは使わないらしい……そのまま机に置いて、なぜか櫛を構える。サヤの持つツゲグシではない、いつもの毛櫛だ。
「えっと……まずはブラシで、髪の汚れを取ります」
「ブラシというのは櫛のことですか?」
ハインが質問を挟む中、サヤが長椅子に俺を座らせて、豚毛の櫛を使い髪を梳いていく。しばらくそうして納得したら、櫛の出番はおしまいらしい。
「それでは……レイシール様は、長椅子に仰向けで寝転んでください。あ、頭は肘掛けから外に出す感じで…」
そう言いながら、サヤが座褥を長椅子の片側に集めて調節する。
なだらかな傾斜になった座褥の上に仰向け……ってことか? 髪を洗うのに? そう思ったけれど言われた通りにする。すると、首の部分に折りたたまれた手拭いを挟まれた。それで若干、頭が持ち上がる。
「えっと……小机を側に置いて……盥を置きますね。湯はあまり多くなくて大丈夫です。
それをこう……手や器ですくって、かけるんですけど、顔の方にいかないように、手で堰を作る感じです」
「こうですか?」
サヤの指導でハインが洗う。後頭部は若干やりにくいようだが、とりあえず髪は問題なく洗えた。湯が飛び散らないので、床を汚さず済むようだ。時間が掛かって、若干まどろっこしい気もするが……。
「普段はお湯を頭からかける感じだったのですか?
それだと汚れが髪の毛に絡まったままになってしまうので綺麗になりません。
だから先に、目の細かいブラシ……櫛で大きな汚れを取ってから、湯で小さな汚れや皮脂を洗い流すと思ってください。きっとその方が、髪のツヤも良くなるかと。
あ、あと……今日はちょっと、これを使いますね」
髪の毛を洗い終わったと思ったら、まだ終わらないらしい。持ってきた袋を開けて、朝の小瓶を取り出すサヤ。油って言ってたけど……それを使うのか?
盥の湯を新しいものに変えて、そこにほんの数滴だけ垂らした。それを手でかき混ぜる。
「手順は一緒です。これを頭にかけて、馴染ませます」
そう言って、丹念に頭に湯をすくってはかける。ハインよりずいぶん細いサヤの指が、額や髪を撫でる感覚が心地よく、ああ、やはり女の子の手だなと改めて感じた。
あんなに強いのに、こんなに細い……俺が握るだけで、折れてしまいそうな指……。
「はい、お終いです。後はタオルドライ……じゃなくて、手拭いで、水をしっかり拭き取れば大丈夫です。明日がちょっと楽しみですね」
「……? 何が楽しみなのでしょう……」
俺も良く分からない……何が楽しみなんだ?
「レイシール様の御髪です。銀髪だと思うんですけど……」
「……いや、灰髪だよ?」
馬車でも言ったと思うんだけどな……。
そう言う俺に、サヤは笑顔だ。それ以上は何も言わず、洗髪の後片付けを手伝っている。
そしてひと段落したら、それではおやすみなさいと、自室に戻っていった。
翌朝。いつも通り陽が昇ると同時に起きて、思いっきり身体を伸ばした。
ギルの所に来ると、どうしてかよく眠れる。夢を見ることも減るんだよな……。
寝台を降りて、衣装棚へ。ここには俺の服が山とある。しかも流行最先端。ギルの母君が新作の試作を俺の寸法で作るので増える一方だった。
畑の管理に流行は必要ないって何度も言ったんだけど、彼女はそれを辞めない。
また増えてる気がする……心なしか、衣装棚がパンパンだ。数着持って帰らないと駄目か……ほっとくと衣装棚自体が増えるしな……。
そんな風に考えながら、夜着を脱ぎ捨てて細袴を履く。
ここの服は、色合わせまで全て済ませて、一式をまとめて置いてあるから、考えなくて良い。上から順に取って、着ていけば着替えは終了だ。
だいたい、俺には拘りがない。配色とかにしても目に痛くなければなんだって良い。
前そう言ったらギルにこっぴどく怒られ、見た目の重要性について二時間以上説教されたので、とりあえずここでは文句を言わず、用意された通りに着る。
長衣を羽織って、釦を留めつつ、ふと横を見た。壁の鏡に何かが反射したのだ。
まず見えたのは当然俺。
………………俺のはずだろ⁉︎
「……誰⁉︎」
ついそう叫んでしまった。慌てて飛び退いたせいで、机にもぶつかって、ガタンと大きな音を立ててしまう。
「レイシール様⁉︎」
その音に慌てた感じで扉が開き、ハインが飛び込んできた。
支度途中だったのか、まだ上着すら羽織っていない。
とりあえず掴んできた様子の鞘から剣を引き抜こうとしつつ俺を見て、停止。
「あの、どうされました? 大丈夫ですか?」
サヤも起きたようだ。扉越しにそんな声が掛かるが、なんて返事すればいいんだ⁉︎
全然大丈夫じゃないけど身の危険は全く無い。悩んでる間にそっと扉が開いた。
「あ、おはようございます。あの?」
いつも通り、艶やかな髪のサヤが、まだ夜着のままだった。羽織も羽織っていない。普段なら慌てる所だが、今はそれどころではない!
「さ、サヤ……俺、の、髪が……」
「あ、やっぱり? 銀髪だって言ったじゃないですか」
サヤだけは慌てない。
銀髪……そう、鏡の俺が銀髪なのだ。今まで見たことないような光沢があって、しかも寝癖が酷くない!
人生を十八年やってきて朝起きたら銀髪になっているなんて、誰が思う? 思わないよね⁉︎ 光沢が出ただけだと言われればそれまでだけど……なんであんな油数的でこうなる⁉︎
茫然自失……まさにこのための言葉だ。サヤの髪があんなに艶めいてるのもあの油のなせる技か。サヤの世界は一体何に精力を注いでるんだ……髪にツヤを出す魔法の油は、なんの用途で作られているんだ⁉︎
「ちょっとで随分、つやが出ましたね。
あとで結いますから、少し待っててください。身支度してきますね」
サヤは笑顔でそう言って、パタンと扉が閉じた。
…………それだけ⁉︎
◆
「おはようギル」
いつも通りの挨拶。
朝食のため応接室に移動する途中、廊下で部下と話し込むギルを見つけたからそう声をかけた。
するとギルの視線がこちらを向き……バサッと、手の中の書類が落ちて広がる。
使用人が慌てて拾いだしたが、ギルはそれに気付きもしていないよう。
「おま……なんっ……何が起こった⁉︎」
「いや……髪を洗ってもらったんだけど、ホントびっくりしたよ」
「銀⁉︎ 洗って⁉︎ なんの魔法だ。しかもなんだそれ、どうなってるんだ⁉︎」
「三つ編み? サヤに結ってもらった」
反応がいちいち大袈裟だが、正直さっきの俺もかなりびっくりしたから、驚いてくれて何よりだ。
とりあえず慌てるギルを宥めすかして応接室に向かった。
ワドも驚くかと思ったけれど、一瞬瞳を見張っただけで、にこりといつもの微笑みをたたえて、朝食の準備をいたしますと頭を下げる。
さすがだ……動じない。
そうして食卓をかこみつつ、ようやっとサヤに弁明の機会が与えられた。
「魔法じゃないです。椿っていう、普通の木の実の油です」
紺地の、少しふんわりとした大きめの細袴。灰色の短衣に、濃い墨色の腰帯。
青い上着を羽織ったサヤは、今日も髪を馬の尻尾のように、高めで結わえている。
全体的に、体の曲線が誤魔化されている気がするな。上着が少し長いので、際立つ腰の細さも目につかない。顔は今まで通りのサヤなのだが、今までよりはどことなく、少年めいて見える。
「私の国では、千年以上前から使われてます。
うちは祖母が愛用してて、私も自然と使ってたんですけど……」
少し困った風にサヤが言う。
それを見てギルは、もう一度俺の髪を見て、ハインを見て、天を仰いだかと思うと手で顔を覆ってしまった。
「サヤ……マジか、今更なんか納得できた……」
サヤが異界の人間であるということを、やっと実感したってところか。
「駄目……でしたか?」
少し困ったような、不安そうな顔でハインにそう聞くサヤ。「でもこれが、レイシール様の本来の髪色です」と、言葉を続けた。
「ツヤがなかったのは、髪の手入れが良くなかっただけです。
レイシール様の髪は、元から銀髪です。
保湿とか、傷んだ部分を補うために椿油を使いましたけど……髪の手入れの方法を改めれば、油を使わなくてもある程度光沢は出ると思います。
石鹸を使って洗ったら、こんな風になりませんでしたか?」
「髪には使いません……」
「ごわついてガビガビするんだよな。石鹸を使うと」
「そうなんですか。
こちらの石鹸、髪にはちょっとキツすぎる感じなんですね」
なんにしてもあれだ。綺麗好き民族のサヤは、ものの洗い方にも特化しているのだと分かった。
有能すぎる……。勇者のように強く、料理もできて博識。さらに洗うのまで上手いとは……。
「とにかく。これが本来のレイシール様だと言うなら、文句もありません」
ハインはあっさり納得した。
しかしギルは、もう一度俺を上から下までじっくりと眺めてから、溜息。
「やばい……」
なにがだよ。
「美女度が増してる。口付けしそうだ」
「うわっ、こっち見るな! 変態発言だぞそれ!」
だいたい俺が男だってことは、体格透かし見してるも同然のお前には分かりきってることだろ⁉︎
「本人に自覚ねぇのが一番問題だな! 誰かこいつに着せる女物の礼服持ってこい、美女だって分からせてやる!」
「フザケンナ⁉︎ 女の衣装は絶対着ない! 前そう言ったよな⁉︎」
「一回で良い、サヤの代わりに俺を喜ばせろ!」
「俺が女物着て似合うわけがないだろうが!」
ちょっと意味の分からない攻防を繰り広げ、またサヤを慌てさせてしまって、最後ハインに煩いと怒られた。