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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第六章
159/515

懺悔

 父上と最後に言葉を交わしたのはいつだろうか。

 それを思い出そうと思ったのだけど、正しい日数は出てこなかった。

 あの人が生きていた時。まだ出会って間もない日だったのは、覚えている。

 学舎にやられる前、あの人が俺のせいで命を落としたと知ったあの日に、俺は考えることをやめた。

 俺が求めること。それが、周りを不幸にするのだと、悟ったから。

 もう何も求めない、そう誓った。

 全てを遮断した。何もかもを。

 あの時父上が、俺の元に来たような記憶が微かにある。けれど、何を言われたかまでは、覚えていなかった。


 次に意識がはっきりとするのは、いつだろうか……暫くは、曖昧だ。

 学舎にやられて、霧の中を歩くように、日々を過ごしていた記憶が、少しだけ残っている。

 そんな日々の中で、横から伸びて来た手に腕を掴まれ、恐怖に身が竦んだ。

 襲ってくる痛みに耐えるため、全身に力を込めた。

 声を出すことは許されていなかったから、奥歯が軋むほどに歯を食いしばっていたのだけど……。

 痛みが襲って来ることはなく、腕の隙間から見上げた青い空には、太陽があった。

 誰……と、思ったら、その太陽はすぐにギルバートだと名乗り、誰に殴られたんだと、怒った瞳で問われた。

 だけどその怒りが俺の方を向いていないのは明白で、一瞬だけ、強い意志を秘めた空色の瞳が、全然色が違うあの人の瞳と、重なった気がして……。

 それからの縁が、いまだに、俺に、繋がってる……。



 ◆



「やー、なんか僕、探されてたみたいでしたけど、何かありました?」


 久々のマルは、痩せ細っていた。

 ちょっと根を詰め過ぎちゃいましたねぇと、枯れ枝のような腕で頭を搔くものだから、一瞬で怒りが振り切れてしまった。


「な……なんでそんなになってるんだー⁉︎」

「あー、まあ、色々事情がありまして。極力存在を消しておきたかったものでねぇ」

「サヤ、汁物! 何か、急いで! ハインはこいつ寝台へ放り込んで!」

「いや、そんな大げさな……散々見慣れてるじゃないですか」

「今にも死にそうな顔を自分で確認してからほざけ!」


 どこを探せど全く見当たらなかったくせに、マルがひょっこりとバート商会に顔を出したのは、休暇に入って九日目だった。よく自分で歩いてきたなと思うほどに肉を減らし、一瞬誰だか分からず、唖然とした。

 明らかに軽いマルを無理やり抱き上げたハインが力技で寝台に放り込み、使用人に呼ばれたギルが駆けつけて、俺以上の雷を落とす。


「お前そんなんで祝賀会とかどうやって出るつもりだよ⁉︎」

「今はそんなことどうだっていい! とにかく、何か食べ物……本気で死ぬからな⁉︎ 何日食べてなかったんだ!」

「えー……何日でしょう……そもそも、日数も数えてなかったんで……」

「お前本当に馬鹿も程々にしろ⁉︎」


 慌ててやってきたサヤが、まだ食べ物はやめた方が良いと言い、果物の絞り汁を水で薄めたものから始めますと言うものだから、そんな悠長にしていたら死んでしまう! と、俺たちは焦ったのだが。


「七日間、食べていなかったとしたら、胃が受け付けないです。

 下手に食べさせたら、それこそ衝撃で死にかねません」


 そんな風に言うものだから、ここはもうサヤに任せるしかないとなった。


「小麦は、胃の負担になるから、当分無理です。お米があれば重湯が作れたんですけど……。

 とりあえず、離乳食みたいなもので、代用します」


 サヤの助言通り、薄めた果汁をまずは与えられ、マルは部屋に監禁となった。

 動き回って下手に体力を使わせたらそれこそ死にそうだったからだ。

 一日目はほぼそれだけで終わり、翌日に入ってやっと、クタクタに煮潰した南瓜を少量、与えられた。


「うわー、なんかすごく美味に感じますよこれ」

「食い物の有難さを噛み締めとけこの阿呆が!」


 いまだ怒っているギルにそう怒鳴られ、乾いた笑いで誤魔化すマル。

 祝賀会前日も当然寝たきり状態で、翌日の参加は却下された。


「大丈夫です。準備は滞りなく、進めてあります。

 指示の通り、遅滞もありません。

 マルクスにはそのままお休み頂くのが賢明かと」

「すまんウーヴェ、ほんと助かる……。なんかあればうちからも人手を出すから……」

「いや、それには及ばない。

 商業会館はどうも、慣れている様子で。そこら辺はどうとでもなるそうだ」

「……体調が戻ったら締め上げとくとレブロンに伝えといてくれ」


 祝賀会の準備は全て、ウーヴェに委ねられていた。

 商業組合長レブロンも、この状況を想定していたとのことで、広場の準備も問題なく進めてあるという。


 商業広場の準備は朝から活気に溢れていた。

 いつの間にやらセイバーンの食事処からも、ユミルとカーリンがそれぞれ屋台を一つ出店することが決まっており、村の女性陣を数人雇い、食料品区画にて準備を進めているそうだ。

 また、広場は三つに分けられ、食料品、木工細工、装飾品区画と用意されており、それぞれの区画の隣り合う場所には遊戯場が置かれた。広場の中心は椅子や机が並べられており、見渡せば広場全体が見えるようになっているという。


 祝賀会は明日の朝からの開催となり、その日いっぱい続く。

 ただ、俺が参加するのは夜会のみで、結局日中は引きこもり続けておくことになるだろう。

 開け放たれた窓から聞こえる喧騒が、時間ごとに大きくなっていくのを、それとはなしに聞きつつ、現在俺は、マルの枕元についていた。

 暇つぶしに借りた本を膝に乗せて。


「あのぅ、監視されるまでもなく、僕、今動けませんよ?」

「そうだな。不浄場にすら行き着けないくらいに体力も筋力も落ちてるもんな」

「やぁ、それは寝たきり状態にされたから、最低限残してた筋肉が衰えちゃったんであってね」

「馬鹿、命大事にが合言葉だ。下手に動ける筋肉残したら動いた瞬間、死ぬだろ」

「……僕、なんだと思われてるんですかねぇ……」


 ほっといたら死ぬと思われてるんだよ。

 ここ最近馬鹿な真似が格段に減ったと思って油断していたのもいけなかった。

 マルが見つからない時点で警戒しておくべきだったな。

 内心ではそんな風に反省していたが、まあそれは顔には出さない。

 恥ずかしかろうがなんだろうが、不浄場には人を呼んで担いで行くしかないので、誰かがこうしてついておくしかない。

 そして現在暇しているのは俺だけなのだ。仕方がないじゃないか。


「あのぅ、怒ってます?」

「そりゃね。一言あって然るべきだったと思うよ。

 そんな危険な状態になるようなことするなら、尚のこと、ね」

「えぇー、言ったら止めるじゃないですか」

「当たり前だろうがっ ⁉︎」

「そうはいっても必要だったんですよぅ」

「じゃあその必要だったことを説明してもらおうかな⁉︎」


 そう言うと、ええぇ、と、嫌そうな顔をする。

 反省の色が見えないのでもう一回怒ろうかな。そう思ったのだが……。


「ちょっとね、交渉材料を手に入れようと思うと、これしか身の安全を確保できなかったんですよ」


 そんな予想外のことを言われ、本から視線をマルに移した。

 交渉材料……? マルは何も持たずに現れたし、それはモノではないのだろう。

 なら、情報?


「……マルが、簡単に手に入れられない情報なんて、珍しい……」

「そうでもないですよ。蛇の道は蛇って言うでしょ?

 やっぱり同類に探りを入れるのは、結構大変でねぇ。

 特にほら、相手に権力があると、手数が違いますからね」


 そう言って身を起こそうとするから、慌てて手を貸した。

 下手に動いたら、細い腕がポッキリいきそうで本当に怖いのだ。

 それにしても、権力がある相手……なんで表現するならそれは……。


「貴族に探りを入れてたのか?」

「えぇ、まぁ……」

「姫様の仕事だった?」

「いえ、僕の個人的なやつです。

 僕がそんなことしてるなんて、絶対に知られちゃいけない相手だったもんで、もう全力で隠れるしかなかったんですよ。貴方に繋がってるなんて気付かれちゃ、本末転倒なもので」


 俺……?


 前後が全く噛み合わず、ただ不安だけがもやもやと胸に広がった。

 するとマルは、にへらとした、いつものゆるい笑みを浮かべて俺を見返し。


「いえね、レイ様と交渉したくって。

 僕の有能ぶりを、買って頂く必要があるなぁって、ね。

 本当は、貴方に恩を返しつつ、もののついでに利用させて頂くつもりだったんですけど、レイ様ってばどんどん自分からこっちに踏み入ってくるものですから……。

 そうなると、僕はもうちょっと、貴方に恩を売っておかなきゃと、そう思ったんですよ」


「何せ返すどころか、また増えちゃってる感じでねぇ」と、マルはヘラヘラと笑う。

 笑いつつも、彼が大きな不安を押し殺すためにそうしているのだと感じたから、余計なことは言わないでおこうと心に決めた。


「交渉なんて……そんな必要ないのに。

 命をかけるような危険なことをしなくても、俺はマルの話なら、聞くだろ?」

「いやいや、それだとこっちの気が済まないんですよねぇ。

 貴方の人生、下手したら泡と消えるような話なんで」

「……それは困るな。俺の生涯と魂は、もうサヤに捧げたから、あまり俺の自由にはできないんだ」

「えっ⁉︎」


 どうも俺の人生が関わるようだから、そう伝えたのだが、思いの外びっくりされてしまった。

 どうも想定外の出来事であったらしい。


「え? ほんの十日程度の間に何が起こってるんです?」

「それを教えたら回りくどいことやめてもらえるのかな?」

「……えええぇぇ、そこで出し渋るんですかああぁぁ?」

「俺たちが一蓮托生だってのはもうずっと前から決まっていることなのに、マルがなんだかそうじゃないみたいなことを言うからだろ」


 俺はもう、俺の気持ちを伝えたし、印だって渡した。

 マルが何を言おうがやろうが、俺はもう、マルを懐に入れると決めているのに、まるでそうじゃないみたいにするからそっちが悪い。

 そう伝えると、天を仰いで溜息を吐かれた。


「あああぁぁ、ほんとにもう、胆力お化けなんだから……」

「いいからさっさと言う。交渉とかどうでもいいから。

 どうせマルが本気で俺を自由にしようと思えば、できてしまうんだろ」

「できますけど、あの方法だって別に、万能じゃないんです。下手すると相手が廃人みたいになっちゃうんですよ。そうなったらレイ様がレイ様として機能しないじゃないですか」


 それでは困るんです。と、マルは言った。

 廃人にされるような、心の傷をえぐる手段を選ばないでくれて、ほんと良かったと、心底思う……。


「じゃあもうぶっちゃけますね。

 僕、生涯をかけてやり遂げたいと思っていることがありまして、その為に色々布石を打ってきました。

 ハインが獣人だって教えたのもそう、草を近付けたのもそう、そもそも僕がレイ様に近付いたのも、レイ様がハインを従者にしたからです。

 全て、僕の目的のためでした」

「……つまり、獣人の絡むことなんだな。

 彼らをどうしたいんだ」

「簡単な話です。彼らを人だと証明したい。我々が皆、人と獣人の混血であることを、世間に認めさせたいんですよ」


 さらりと告げられたことに、ああ、やはりか。と、思うと同時に、重くのしかかる重圧を感じた。

 白化の病を知った時、俺の中でもその結論は、出ていた。

 そしてなんとなく、マルが何を成そうとしているのかも、漠然と感じていた。


 サヤを純血と表現したり、遺伝という、人の設計図の話に食いついていたり、王家の系譜を見据えていたのも、何かしら意味がある行動なのだろうと思っていた。

 彼が、我を忘れるくらい一生懸命になる時は、いつも、彼らが絡んでいた。

 だから……言われたことに対しては、別段反対も何もない。

 むしろ俺だって、それには賛成だった。

 ハインも、ガウリィも、胡桃さんも人なのだと証明したい。幸せを諦めたり、死にたくなるほど自分を否定したりしてほしくない。幸せになってほしい……。だが……、それを証明するとなると、大きな問題に直面する。


「つまり……神殿を敵に、回すのか」

「そうなります。

 民心を得るためには、敵を作ることが一番手っ取り早いんです。獣人は、そのための贄にされているんですよ。

 悪魔だの、大災厄だの、全部とは言いませんが、結構な部分がでっち上げです。

 まあ、人と獣人が争っていたのは事実で、種を越えてまぐわうことで生き残ったのが、我々だってだけの話でね」


 さらりと軽く告げられる内容が、身に染み込む度に重くなる。

 神殿を敵に回すということは、一歩間違えば異端とみなされ、排除されるということだった。

 この世界では、無神の民は忌避される存在。

 世の中の大半は、神に縋って生きている……。


「サヤくんの話を聞いてね、色々合点がいったんですよ。

 たぶん、獣人の遺伝子は、劣性遺伝子だったんでしょう。まぐわった結果、一旦血に隠れてしまった。

 あの話で色々と疑問や問題が解決しました。

 大抵のことに理由が付きましたよ。

 だから確信を持って言い切ります。我々は、人と獣人の混血種ですよ。全員がね。

 純血の人、純血の獣人は、きっともう、存在しない。

 それこそ、サヤくんの設定よろしく、島に隔離されて世界と隔絶でもしてない限り、ね」

「……それを証明しようと思う、理由を、教えてもらえるか」


 マルは、今までずっと、一人でそれに、挑んできたのか……。

 奇人だ、変人だと言われながら、食べることも邪魔に思えるほどに没頭して、彼が全身全霊をかけているものが何なのか、知りたかった。

 そう思ったから、単刀直入に聞いてみたのだけれど、マルはガリガリに痩せ細った腕に視線を落とし、まるで懺悔するかのように、言葉を口にした。


「…………僕ね、人を一人、殺したんですよ。世間的に。

 暗黙の了解だったんです。だから知ってました。彼らが獣人であることは。

 なのにね……その特徴を、僕を救うために、晒しちゃった人が、吊るし上げられて、追われたんです。

 耳や尻尾が付いてたのは、初めから分かっていたのに、知らなかったことにして、石を投げて追いやったんですよ。

 その所業を受け入れて、その人一人を獣にして、難を逃れたその一族全体にも腹が立ちましたけどね、その一族がいなけりゃ、冬も越せない自分たちを分かってて、そんな中にいて、何の役にも立たない穀潰しを助けたせいで、その人が、人をやめなきゃいけなかったことが、僕は許せなかったんです。

 それを招いた役立たずの自分が、最悪でした」


 ……………………胡桃さんだ。


 それはもう直ぐに分かった。

 そんな風に特徴が露わな人は、そうそういない。

 マルは……胡桃さんの名誉を守るために、彼女を救い上げるために、ずっと戦っているんだ……。

 それこそ、世界を敵に回して……。


「レイ様と同学年になるまで学舎に残ったのも、計算尽くですよ。貴方と僕に、縁を繋ぐためでした。

 貴方は人が良いし、勝算は高いと思ってましたよ。案の定でした。

 貴方が、僕が生きて、知ってきた中では、一番僕の目的に近かったんです。

 ハインを獣人だって、知りもしないで、接していた。感情の暴走をものともしないで、手放さない。

 びっくりするくらい上手く、彼を手懐けた。

 この子供はなんなんだろうってはじめ感心したんです。

 そうしたら、関わりたくないと思っていた、ジェスルの魔女に縛られていた子供でしょう?

 笑っちゃいますよね……一番近づきたくない場所に、求めるものがあったんですよ。

 そしたらどうです、その子供……男爵家の、妾腹の、嫡子でもないその子供が、王家にまで繋がってるんですよ? 意味不明でしたよ」


 全部、偶然の産物なんですよねぇ……。それがまた、運命的でねぇ……。

 そう言ったマルが、どこか疲れた視線を俺に寄越す。


「あなたと縁を繋げていれば、王家との縁も繋がる。だから僕は、ここにいました。

 貴方をずっと、利用してたんです。

 貴方が姫様と結ばれてくれたら、それが一番手っ取り早いと思ってました。

 貴方はハインを手放さない。なら、彼の存在が王家との関わりでどう扱われるか……。そこから突破口が見えるのじゃないかって……。

 だけど……この時にはもう、貴方は僕が思い描いていた以上に、獣人を受け入れてしまっていて、一か八かの賭けに消費するのでは、もったいないって思えてしまったんです。

 だけど正直、落胆もしてました。また路が、遠退いた気がして……。

 なのに貴方、今度は、兇手の彼らを村に大量導入するなんて言い出すし……ほんと正気を疑いましたよ。

 僕の予想や推測なんてものともしないで、その上を行くんです。

 その予測できない行動ってつまるところ、サヤくんのせいなんですよねぇ。

 彼女が絡むと、僕の想定していないことが、起こる。彼女の知識が、行動が、貴方を左右する。

 もう、僕が裏で画策するのが、最善じゃないんだ。

 だからね……貴方の利益になりますよ、僕。身を粉にして働くって、約束します。

 その代わり、僕の役に立ってくれませんか。

 僕、貴方のためにとっておきの情報を用意したんです。それを……」

「そんなものは要らない」


 マルは、簡単に俺を意のままにできる手段を持っている。

 それはサヤだ。

 彼女の秘密を盾にされたなら、俺は従わざるを得なかった。

 彼はそれを分かっていたろうし、できたはずだ。なのにしなかった。

 そうして、命がけの情報を掴む方を、選んだのだ。

 なら、その行動だけで充分……。そう思った。


「交渉とか必要ないって、さっきも言った。

 マルが彼らを大切に思うのと同じくらい、俺だってハインが大切だよ。

 なら、それで理由は充分じゃないか。

 だいたい、今からやることだって何も変わらない。ただ意味が一つ加わるだけの話だろ。

 何の問題も無い」


 そう伝えると、何故か困ったように眉を下げる。

 長いこと一人で戦って、疲れてしまっているであろう彼が、死ななくて良かったと、本当に心からそう思った。


「マルは今まで通りで良い。俺は、それで充分満たされてる。

 それよりもな、今はまだ、焦るな。

 ただ事実を突きつけたって、世間は絶対にそれを認めはしないって、分かってるだろう?

 二千年もかけて、獣人は獣だという作られた常識が、世界に根を張っているんだ。

 それを覆すのは、簡単な話じゃない。時間が必要なんだよ。

 だから、まず礎を作ろう。彼らがただ人である証拠を、蓄える。

 俺がしようとしていたのはそれだ。

 獣人である彼ら自身すら、自分たちを獣だって思い込んでる。そこを覆さなきゃ、始まらない」


 彼ら自身が、歯車に組み込まれ、動いている。そう信じ込まされ、その役割をこなしている。ここを覆さなきゃ、何を言ったって、きっと駄目なんだ。


「できるんですかね、それ……」


 か細い声で、マルが問う。

 こんな風に、本心を赤裸々に晒すマルは、初めてだった。

 ただ不安で、怖くて、だけど諦められなくて、必死で足掻いて、ボロボロになった。

 彼が胡桃さんにそこまでする理由も、今の俺には分かる。だから、強く、頷いた。


「やる。まずは拠点村だ。あそこを獣人の定住地にしよう。

 胡桃さんのように特徴がある人が、姿を晒していられるくらいにしようと思ったら、まだ時間はかかるだろうけど、一見分からない人たちなら、なんの問題もなく、それができると思う。ハインだって、九年バレずにやってきたんだから、実績はそれで充分だろ?

 だから、もうそんな風に、危険な手段を無断で選ぶな。

 お前自身が俺に言ったんだよ? 他を頼れって。お前だってそうすべきだ。

 マルは俺に、もう沢山与えてくれてたよ。今度は俺が報いる。

 それに……これからもサヤのことを、守ってもらうんだから」

「……分かってます? それ、貴方が一番危険なんですよ?

 全てが明るみになった時、言い逃れなんてできない。貴方が今度は、晒されるんです」

「そんなの、はじめからそれが、俺の役割だろう?」


 貴族である以上、責任を担う立場だ。それは初めから、俺の役割だよ。

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