選択
翌日、女性陣は朝から外出となった。まあ、引きこもりが必要なのは俺だけだからな。
「じゃあ、夕刻までには戻るわっ!」
「絶対女だけになるなよ⁉︎ 勝手に一人で先々行くなよ、分かってんな⁉︎」
「ふふふ〜〜、分かってるから大丈夫っ」
「全然信用できねぇぞお前のその顔!」
超ご機嫌なルーシーは、ひらひらと手を振って軽い足取りで部屋を後にした。
それをくすくすと笑いながら、サヤが追い、ハインも続く。
「気を付けておきますから」
「お前もだ阿呆。もう流血沙汰とか本当に勘弁してくれ」
「う……。分かってますから、大丈夫です」
「ハイン……お前、マジで頼むぞ⁉︎」
「心配しすぎると毛が抜けますよ」
「好きで心配してんじゃねぇよ⁉︎ お前ら普段の自分をちゃんと思い返して反省しろ!」
紫紺の髪で、女性の装いのサヤ。昨日の完璧な化粧ではなく、本日はほんのりと装う程度のものがほどこされている。
おかげで俺もサヤを見てられる。
何年後かに、サヤがああなるのだとしたら、正直どうして良いやらって思うけれど。
俺の視線に気づいたサヤが、少し居心地悪そうに視線をうつむけ「行ってまいります」と、言うから、なんとなく意識してしまって、俺も「行ってらっしゃい」が少々小声になってしまった。
違和感はなかったろうか……? ハインを見るも、特になんの反応も示していなかったから、まあ大丈夫なのだろうと結論を出す。
それにしても……珍しいこともあるもんだ。
サヤとルーシーは、祝賀会準備の一環として、女性用の装飾品を吟味しに行くこととなったのだが、護衛と虫除けを兼ねて、ハインが同行するのだ。
俺から離れないことで定評のあるハインだから、ダメ元でお願いしたのだが、何故かあっさり了解が得られたのだ。
当然一人ではなく、バート商会の使用人からも、体格の良い者たちが数人同行するのだが。
まあ……前回、ルーシーとサヤで出かけさせたら、サヤが流血して戻って来る事態となった。流石のハインも、店でのんびりしている俺より、サヤたちを見ておく方が良いと判断したようだ。
三人を見送って、それなりに時間を空けてから、サヤにもう声が届かないであろうと判断したギルが、キロリと俺を睨む。
「……お前、サヤと何があった」
「……なんで俺と何かあったって確定してるんだよ」
むくれて言い返すと、まあ座れ。と、長椅子に促された。
静かにやって来たワドが、俺たちの前にそっとお茶用意し、また壁際に戻る。
そのお茶をさっそく一口すすってから、ギルはおもむろに口を開いた。
「あの様子見て、何も思わねぇ奴がいんのかよ」
いるな。ハインとか。
だが、まぜっ返したって多分誤魔化されてはくれないだろう。
渋面になった俺に、ギルは何やらニヤついた顔をする。
「……なんだよ」
「お前、分かってんのか?
今日のあいつ、綺麗だよ。明らかに、人の目を意識して装ってる」
化粧だって、衣装の色合わせだって、随分気を使ってると言った。
ギルが、サヤを綺麗だと言う。そのことに、胸の奥が疼く。昨日の明らかに狼狽していた姿を思い出し、サヤを見てほしくないという衝動が、喉元まで出かかっていた。
そんな俺の心情など気付かぬ様子で、ギルは言葉を続ける。
「昨日だって、あいつはお前のために着飾ったんだぞ?
ここに初めて来た時は、礼服着ただけで体調崩すくらい拒否してやがった奴が、人の目を意識して自分を飾ったんだ。
最後の方はアレだったが……アレだってお前のための行動だよな?
万が一の場合は、ああしてでもお前を守るって気持ちの表れなわけだ。
さあ、吐け。何があった。それとも……俺に言わせたいのか?」
女絡みで俺を誤魔化せるだなんて、思ってないよな?と、腕を組んでニマニマ笑われ、そんな楽しいもんじゃない……と、俺は溜息を吐いた。
「……正直どうしていいか困ってる……」
サヤが選ぼうとする馬鹿な選択肢を、どうやって思いとどまらせれば良いのか、困ってる。
俺の顔色を見て、あまり期待した展開じゃないぞと気付いたのか、ギルが笑みを引っ込めた。
「……なんか問題ありみたいだな。洗いざらい話せ」
姫様の顛末は、手紙でも伝えたし、マルからも聞いたとのことで、農法の研究を始めるあたりから、話すこととなった。
恥ずかしいったらない……。なんで俺、こんなことまで洗いざらいギルに話さなきゃならないんだ?
そんな気持ちも少なからずあったのだが、結局女性経験も圧倒的に多いのはギルで……もうなんでも良いから縋りたかった俺には、ギルに相談する以外の選択肢が無かった……。
一通り話し終えると、羞恥と疲労が限界だ。
うううぅぅぅ、恥ずかしかった……。ワドがずっと微笑ましそうにこっち見てるし……ていうかいつもは気にならないワドの視線なのに、なんか凄い気になった……。
腕組みして話を聞いていたギルなのだが、俺が口を噤むと茶に手を伸ばし、一気にあおる。
それを小机に戻してから、おもむろに口を開いた。
「まずサヤを代弁して、お前に言うことがある」
話しているうちに、ギルが何かイライラとしているのは感じていた。
だから覚悟をして首肯すると。
「馬鹿はお前だ馬鹿」
そう言って、頭に拳を振り下ろされた。やっぱりそうなるのか……。
「俺は、真っ当なこと言ってると思うんだけど⁉︎」
「はん、どの辺を真っ当だなんて言えるんだか。
まず間違ってんのはな、お前が、サヤの覚悟を相当軽く見積もってるってことだ」
眉間を揉み解しながらギルが、馬鹿だほんと……と、しみじみ言うものだから、そんなにおかしいのだろうかと不安になってしまう。
「ま、正直びっくりしたけどな……。サヤがそんなこと、自分から口にするとは……。
…………どんだけお前がヘタレかってことでもあるんだけどな」
「悪かったな……」
「悪いと思ってんなら、今後サヤに恋人をやめようなんて馬鹿を言うんじゃねぇぞ」
「そこはやめたら駄目だろ⁉︎サヤを苦しませることになるんだぞ⁉︎」
俺が認めるってことは、サヤに故郷を諦めさせるってことなんだぞ⁉︎
慌ててそう食ってかかったのだが、ギルは真面目な顔で、俺を突っぱねる。
「…………それは前に、俺も言ったよな?
故郷への帰り方を見つけられる可能性は、サヤが言う通りだと思うぞ。
あいつの方が俺たちよりその現実を、しっかり理解しちまってたみたいだけどな。
帰り方を探すのは、無理だ。来た場所にすら、なんの手がかりもないんじゃ……な」
「だからって!」
「まだ自覚してねぇのかよ?
お前はサヤに、自分でその決断を、させたんだ。
言っただろ?区切りを付けろと。帰り方を探す期限を設けろってな。
お前、それをしなかったな?
だからサヤは、自ら区切りをつけたんだ」
淡々とそう言われ、言葉が無かった。
サヤは、こんなどうしようもないことに時間を割くなと、俺に言った。
彼女はきっと、ずっとその可能性を考えてきた。そして、あの結論を出したのだろう。だけど……!
「諦めるなんてそんな……」
「それも前に、言ったはずだ。
諦めないことが、希望とは限らないんだって……。
帰れないのだと、はっきりさせてやることも必要なんだよ。
……まあ、お前はそんな風に考えられないだろうとは思う。どうせサヤを引き込んだ負い目みたいなもんも、ずっとあるんだろ?
だからあいつは……自分でその決断を、下したんだ……。お前の負担にならないように」
「……俺の、負担……」
「お前はいつまでだって、それを探すつもりだろうって、サヤに読まれてんだよ」
そう指摘され、もう顔を上げていられなかった……。
結局いつも、俺は間違う……。
サヤの為にと思うことが、余計彼女を、苦しめる……。
だけど、それでも諦めるべきだとは、思えない。俺がそれを辞めていい理由にはならない。
でも……そのことが、サヤを、苦しめるなら、俺は、どうすれば……。
打ちのめされている俺に、ギルはまた一つ、溜息を吐いた。
「……お前の間違いの一つ目はそれ。
次は二つ目だ。……お前、サヤがなんか使命感でも燃やして、お前の恋人をするなんて言い出したと思ってんのか?サヤだぞ?そんなわけねぇだろ。
あいつはいつだって、自分の行動の意味を考えてる。結果だって、考えてるよ。
あいつは俺たちが思っている以上に、ずっと深く、受け止めてる。
誰かになんか言われたからなんて理由で、お前の横に立つなんて言わない。
あいつはちゃんと……理解してるよ。自分が何をしてんのかを。
だから……お前ももう、自覚すべきなんだと思う」
ふぅ……と、重い息を吐く。
そして、言いにくそうに、ガリガリと頭を掻いた。
渋面で、暫く言葉を探すように、口を閉ざしたけれど、最後に諦めた。
「お前…………サヤで自慰したことあるか?」
………………⁉︎
何を言いだすんだ⁉︎
「あの乳や尻を撫でさすりたいとか、服をひん剥きたいとか、唇にむしゃぶりつきたいとか、そういった欲求は?」
「ふっざけるな!って、前も言ったよな⁉︎
まさかサヤでそんなこと考えたりしてたのか⁉︎ サヤは雰囲気だって読んでくるんだぞ⁉︎
それくらい敏感になるような、恐ろしい体験をしてんのに、お前ーーっ⁉︎」
「はい、それな。
つまりお前は、そういったこと全般を、サヤ使って致してねぇんだな?
正直どんな頭の構造になりゃそうできるんだか、俺にはさっぱり分からんが。
…………サヤがお前を怖がらずにすんでんのは、多分それだ」
「…………は?」
気付けばギルの胸ぐらを左手で掴んでいた。
もう少し、続く言葉が遅かったら、殴っていたかもしれない。右手が、拳を握っていた。
そんな俺にされるがままになっていたギルが、そのまま静かに言葉を続ける。
「学舎にいた頃から、お前は……無意識なんだろうが、相手の考えを読んで行動する節があった。
お前自身が自覚してない部分でもそうなんだろうな……。
だから多分、お前はサヤにもそれをしてる。
あいつが『女を見る目』って、表現してたのは、多分それだ。
男女で致すこと全般が、多分あいつには負担で、想像の上で弄ばれんのも、苦痛なんだろうと思う。目や意識で犯されるのを、あいつも読んじまうんだろ。
そんでお前は、あいつのそういう言葉にしない要求も無意識に汲み取って、全く考えないようにしていたんだろってこと」
もう一度、ギルは重たい溜息を吐いた。
そして、少し逡巡した後。
「……似た話を、知ってる……。
王都の友人に……妻を、貴族に辱められたって奴がいてな……。
そういう経験をすると……そういったことに対して、妙に鋭くなるんだとよ。
サヤが……何をどこまで経験してんのかは、知らねぇが……あながち、外れちゃいないと思う。
つまりな、お前の恋人をやるって言ったあいつは……お前がそういうことを要求してくる覚悟も、してるってことだよ」
そんなわけがない。
とっさにそれを否定しようとすると、また頭を叩かれた。最後まで聞けってことらしい。
「お前の好きを、ずっと信用しなかったって言ったよな?
他のみんなとおんなじにしか見えねぇって。
それは、お前が好きな女を見る見方をしてないって、あいつが読んでたってことだろ。
だけどお前は、魂を捧げた。
だからあいつも……覚悟したんだ。自分を捧げる覚悟。
サヤは、お前の覚悟にちゃんと、応えたんだ」
「そんなことを、望んだんじゃない‼︎」
「そうだな。お前は、自分から望まない。
そんなお前が、サヤに気持ちが欲しいって、言ったんだ。
その言葉の重さを、あいつはちゃんと考えたんだよ。
サヤはな、随分と沢山の覚悟をしたんだ。
自分の傷口を開く覚悟。
故郷や家族を、捨てる覚悟。
自分の一生を、お前の幸せのために、使う覚悟もだ……。
それをお前、気の迷いみたいに言いやがって……だから馬鹿だって言った」
ギルの言葉に、俺はただ惚けることしかできなかった。
サヤのあの顔は……騎士のように凛々しかったあのサヤは、まさかそんな……自分を犠牲にするような覚悟を固めた、決意の顔だったなんて……。
「そんな、俺は……そんなつもりじゃ…………俺は、ただサヤの幸せを思って……、こんな選択をさせるためじゃない、俺はっ!」
「はい。三つ目だ。
なんでサヤが、お前の横にいることが、不幸になるって決めつけてる」
「そんなの、分かってるだろ⁉︎
俺は妾腹の二子で、人の手ばかり煩わせる半人前で、俺の傍にいるだけで命の危険すら……」
「お前の主観なんざどうだっていいんだよ」
急に重い声音になったギルが、反対に俺の襟首を掴み、引き寄せた。
「俺が聞いてんのは、サヤを幸せにしてやる気はねぇのかってことだ」
怒りすら孕んだ、燃える瞳で俺を睨め付ける。
「お前を幸せにできるまで、あいつはずっと頑張るんだ。
お前がそうやって自分を貶めている限り、あいつは頑張り続けなきゃならんってことだ。
そこ、分かってんのか。
あいつはもう、お前の横を選んだんだ。
ならお前しか、あいつを幸せにはしてやれない。それを、自覚しろ」
ギルの瞳の奥に、何か、黒い感情の疼きを見た。
「あいつに捨てさせるんだ。なら、それ以上のものを与えてみせろ。
それくらいの覚悟をしやがれ。じゃねぇと、俺だって許さねぇ」
焼け焦げたような、何か……。それは一瞬だけのもので、すぐに奥底に沈み込んでしまって、見失う。
そして襟首を掴んでいた手は、唐突に離された。
俺から視線も逸らしたギルが、溜息まじりに、言葉を紡ぐ。
「それとな、決意一つで心の傷がどうこうできるとか、考えてねぇよな?
そんなわけねぇよ……。それは、お前が一番よく分かってることだと、俺は思ってるけど。
サヤは、覚悟は固めてんだと思うぜ。
ただ、サヤの身体や心が、その意思に従えるとは、限らない」
いつの間にかワドがやって来ていて、ギルに新しいお茶を用意していた。
それをまた、ギルは口にする。
苦いものを飲み込むみたいに、一瞬だけ口元が歪んで、何事もなかったかのように、普段通りの表情を取り戻す。
「だけどな。ただサヤの望み通りに、傷口を見ないふりしてたんじゃ、やっぱ駄目なんだ。
それじゃあいつだって、幸せになれねぇ……。
だってそうだろ?
本来あれは、そんな、苦しむようなもんじゃないんだ……。
愛する相手との愛を、育むための、行為だろ?」
幸せになるための手段を、ずっと怖がってるなんて、そんなの可哀想だ……。と、ギルは呟くように言った。
「サヤの想い人……カナくんっつったか。
そいつは多分、あいつに付き合いきれなかったんだろう。
サヤは、絶対に受け入れようとしたはずだ。あいつはいつだって、挑むもんな。
けど、上手くいかなかった……気持ちに身体が、ついてこなかったんだろう。
サヤがそれに、傷付かなかったはずないよな……。
拒まれた方もそりゃな、傷付いたろうぜ。だけどサヤは、もっと……辛かったろう。
お前は、そんな風になるな。
いつか……愛を、嫌悪しないで済むようにしてやれ。
どれだけだって、時間をかけてやれ……。
頼むから……二人で、幸せになってくれよ」
切望するように、ギルはそう言った。
俺に、サヤを幸せにしてやれと。
俺にしか、それはできないのだと。
選ばれたのは、お前なんだと。




