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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第六章
151/515

「次に来る時は、虫除け香必須ですね」


 げんなりした表情の、ハインの呟きに、俺は苦笑し、サヤは必死で首肯した。半泣きだ。

 毛虫。籠の中にもいらっしゃってました。

 それはそうか。あの木の下に置いていたのだし、籠なんて隙間だらけだ。

 馬に揺られる為、サンドイッチが崩れないようにと、サヤが布巾で包んでくれていたので、直接這い回られてはいなかったものの、サヤにはそれでも相当な抵抗があった様子だ……。虫の付いていなかった包みをなんとか宥めすかして食べさせるのに苦労した。


「もう、毛虫嫌です……こんなに沢山……どこにでもおる……」


 俺の背中にひっついてめそめそしている。

 そのサヤの接触が、妙に忍耐を刺激されてたまらない。


「まあ、貴族の生活圏には、基本見ないからな」


 館には香が常時焚かれているから、その近辺にも殆ど寄り付かない。

 道もなく、人も通らない場所は、当然虫も人に遠慮などしないということだ。


「サンドイッチの味も分からへんかった……変な味じゃなかったですか……」

「いや、ちゃんと美味だったよ」

「ええ、美味でした」


 サヤが用意してくれたのはハーブチキンサンドというものだった。

 油にハーブと調味料を混ぜ、鶏肉を漬け込んでから焼くのだそうだ。

 少し濃いめの味付けも、麺麭と野菜に挟むことで丁度良い塩梅に落ち着いていた。よって、食欲の落ちたサヤの分も二人でしっかり食べさせて頂いた。こんなに美味しいのに賄いには無かった。理由を聞くと、衛生面の問題とのことだ。


「私の国には、冷蔵庫という、冷やす機械があります。夏場でも氷が作れたりするんです。

 その機械を使えば、肉を冷やし、長時間保存できるんですけど、こちらでは常温管理です。夏場に生の肉を大量に漬け置きしておくのは、危険なので」


 夏場に氷を作ることすらできてしまうキカイ……。それ、もう魔法だよね?

 そう思うのだが、サヤは違うと言う。いや、魔法だよ。自然の摂理を捻じ曲げるって、もう魔法以外のなにものでもないだろうに。


「夏場にも食品を冷やす方法はいくつかあります。例えば氷室を用意するだとか。

 ……あ、この世界に氷室はありますか?」

「ああ、あるよ。

 あるけど……勝手な使用は許可されてないからね。基本的に俺たちは使えないかな」


 貴族ならば、規模の差はあれどまず持っているだろう。

 うちにも館の裏手にある。けれど、当然利用は許可されていなかった。


 そんな風に雑談をしているうちに、サヤの気持ちも落ち着いてきた様子だ。

 するとハインが、気分転換に散歩でもしてきてはどうですかと、俺とサヤを促す。


「あちらの木立の中は、多少涼しかったですよ。まあ、虫はいるでしょうが、立ち止まらなければ、降ってくることもないでしょうから」


 言外に、サヤに気分転換をさせろと言われているのが分かる。

 まあ、サヤは常時厚着をしている状態だし、日が照った中に長時間いるのは辛いだろう。

 そう思ったから、言われた通りサヤを連れ出して散歩することにした。

 

 泉の対岸からは、小川が続いていた。浅くて細い……跨いでしまえるほどの小さな流れだ。


「この泉、湧き水なんでしょうか」

「みたいだな。流れ込んでいる方が見当たらない……。それに水が綺麗だ……」


 フェルドナレンは基本的に水脈が豊かだ。だからこそ農業に適した土地が多いわけだが、セイバーンはとくに、そうであるように思う。

 試しに手を浸けてみると、非常に冷たかった。うん……湧き水だな。


「これが飲める水なら、ここを拠点に出来そうかな」

「……でも虫がいっぱいいます……」

「そんなの、人が住んで生活していればある程度減るし、俺たちの職場には虫除け香を焚くようにすれば大丈夫だよ」


 そこでふと思い至る。

 ああ……そうだ、これをサヤに、説明しておかなければ……。


「サヤ……。

 拠点を作ってからの話になるのだけど……暫く、セイバーンを離れることになると、思う。

 仮に、ここに作るのだとしても……望郷の泉からはだいぶん、離れてしまう。

 ……それを、承諾してもらえるだろうか……」


 俺はどうしたって、拠点での生活が増えるだろう。

 場合によっては、セイバーンとここを、異母様方みたいに、行ったり来たりして生活することになるかもしれない。


 サヤが帰る為の手がかりは、今の所あの泉だけだ。

 ギルの所に行かなかった理由の一つも、泉から離れたくないという気持ちがあったからだし、サヤは、セイバーン村を離れたくないかもしれない……。

 けれど、彼女だけをあの村に残すことは躊躇われた。

 異母様や兄上のことがあるからだ。

 俺の不在を狙って、何か仕掛けてくるかもしれない……。だから、どうあってもサヤには納得してもらわなければならなかったのだ。

 サヤの返事を内心不安に思いながら待った。けれど、彼女の反応は、俺の想像と大きくかけ離れていた。


「そんなん、気にしいひんでええ。

 大丈夫、ちゃんと一緒に行く」


 あっさりと、そう言ったのだ。

 そのことに、また妙な違和感を覚える。

 戸惑って沈黙する俺に、サヤは笑った。そして、


「そんなことより、あっちの方まで行ってみよ」


 と、俺の手を握り木立ちを先に進もうとする。

 彼女らしくない積極的な行動に、違和感が更に強まる。

 まるで意図して、話を逸らそうとしているみたいだ。

 しかもサヤの指……冷たい…………。

 我慢ができなくなった俺は、サヤの手を振り払い、その両肩を掴んだ。

 俺の急な行動に、サヤがビクリと、身を硬くし、顔を強張らせる。

 その一瞬の緊張を、俺の両手はきちんと、感じた。

 やっぱり……。サヤは無理してる。


「なあ、もう止めないか」


 意を決して、そう口にした。


「もう、止めよう。無理しなくていい……。

 姫様か? サヤに、彼の方が何か、言ったんじゃないのか?」


 色々考えて、結論として出たのは、サヤが誰かに、こう仕向けられたのではと、いうこと。

 優しい娘だから、俺の為にとか言われて、恋人だなんて……そんなことを言い出したのではと、思ったのだ。

 サヤの性別を知る人間は少ない。その中で、サヤにこんなことを吹き込みそうな人は、姫様しか思い至らない……。彼の方は素晴らしい方ではあるけれど、目的の為には案外とんでもない手段にだって、厭わず手を伸ばしてしまう人なのだと、知っている。


「何を言われた?俺の為にこうしろって言われたの?

 こんなことされても、俺は嬉しくなんかないよ。サヤが本心そう思ってないなら、何の意味もないことだ。

 無理させてまで、欲しいものじゃないんだよ……」


 いつか壊れてしまうと分かってて、喜べるものか。

 しかも、サヤ一人に負担を背負わせて……。

 あの誓いは、こんなことのためにしたのではないのだ。俺の気持ちを正しく伝えたかっただけ。少しでも、俺を見てくれたならと思ったけれど、それは決して、こんなことを望んだからじゃない……。

 動きを止めた彼女の肩を、そっと離す。

 するとサヤは、暫く沈黙した後、


「……姫様には、助言しかもろうてへん。

 レイシールは、自ら何かを得ようとは、断じてしない。待つだけ無駄だ。

 そう教えてもろただけや」


 瞳に真摯な光をたたえ、落ち着いた静かな口調でそう言う。


「ほんまレイは、下手くそやね。自分から、やめようって……。

 私が望んでこうしてるって、なんで思わへんの?」

「そんな顔しておいて、望んでいるとは、到底思えないからだよ」


 凛とした騎士のサヤだ。決意の上での行動なのだと、その瞳が物語っている。


「何をしようとしてるんだ。サヤは何か、決めたって顔してる」


 見逃さない。今度は絶対に。

 その決意でサヤをじっと見た。

 すると彼女は、一瞬だけ頬を染めて……逡巡する様に瞳を伏せた。どう誤魔化すか。それを思案する様な……けれど溜息を吐いて、止めた。言い訳は、諦めたみたいだな。


「べつに。もう帰らへんって、覚悟しただけや。

 私も、言い訳しとったし……それを止めようて、決めただけ」


 サヤの口から出た言葉に慌てた。

 帰らない⁉︎ それは、どう解釈しても、故郷に帰らないという決意にしか、聞こえなかった!

 驚愕に目を見張る俺に、サヤはふっと微笑む。そして、草を踏みしめて、一歩二歩と進み、俺に背中を向ける。


「私、泉に連れていかれた時……ものすごう、ショックやった。

 自分でびっくりするくらい、絶対嫌やって、思うたんやで?

 泣くかと思うた。それはな、レイが……帰れって言うたしや」


 帰らないというサヤの決意に、なんで。どうして⁉︎ と、疑問ばかりが胸の中を渦巻く。

 そんな俺を振り返り、どこか悲しみすら湛えた瞳で、だけど大きな決心を秘めた強い光を滲ませて、サヤは言葉を続けた。


「ここの人間やないって、一番思うてたんは私や。

 レイとは多分、種が違う。同じような形してても、星が……世界が違うとるから……。

 せやから、……色々なことが、きっと出来ひん……」


 二人の間を隔てる透明な壁が見えた気がした。

 神しか知り得ないようなことすら知っている、特別な知識を持つ異界の少女。

 彼女だからこそ、自分と、俺たちが違うということを、嫌という程理解してしまうのだろう。

 だけどサヤは、それを乗り越えて、こちら側に来る決意を固めたと言う。


「本心やで。レイの恋人になる言うたんは。

 どうあがいても結局、私はレイが、好きなんや。

 私の世界よりも、家族よりも、それが優先されてるって、自覚してしもうた。

 せやから、受け入れなあかんことを、受け入れようて、決めただけや」

「何言ってるんだよ⁉︎

 サヤは、帰らなきゃ、悲しむ人たちが……」

「二ヶ月以上経ったし……世間はもう、私が生きてるとは、思うてへん思う……。

 家族は、違う思うけど……私が自分で決めたんやったら、反対したりはしいひん。

 そういう生き方を、選んだ両親やから。私がそうすることも、分かってくれると、思う」

「だけど!」

「カナくんとはな、もう、あかんかった……ずっとそれは、分かっとった。せやからええの。

 せやから……もう、帰り方は探さへん。レイも、そのつもりでおって」


 言葉に詰まった。

 サヤは自分で決めたら、きっとそれを貫こうとするのだ。

 今までずっと、そうだった……ずっとそれに折れてきた……だけど!


「そんなことを、簡単に、決心できるわけないだろ⁉︎

 可能性すら、捨てるような真似をするな!」


 感情が振り切れて、つい怒鳴ってしまう。

 だけど、我慢が出来なかった!

 そんな簡単に、割り切れるわけない!

 家族や、生きてきた時間、自分の生まれた世界を、切り捨てられる筈がない‼︎

 サヤはちゃんと、愛情深く育てられている。

 彼女を見ればそれは分かる。そしてサヤに、その注がれた愛情が伝わっていない筈がない……分かっていない筈がないんだ!


「サヤの家族は、ちゃんとサヤを愛して、育んでくれた人たちだ。

 俺とは違う……そんな大切な人たちを、もういいだなんて言うな‼︎」


 これだけは引き下がるわけにはいかない。

 ここで俺が引き下がったら、サヤは本気で、そう行動する。

 だけどそれは、サヤにとって身を引き裂くような苦痛である筈だ。

 そんな思いをさせちゃいけない!


 だけど……怒る俺に、サヤは笑みを浮かべてみせたのだ。

 そっと歩み寄ってきて、俺の両手の指先を、遠慮がちに握る……。

 そして、言い聞かせるみたいな優しい声音で言った。


「あんなレイ、私が帰れる可能性ってな、多分、ゼロに等しい。

 こんなこと、普通は、起こらへんの」


 悲しみと絶望が、瞳を少しだけ、また潤ませた。だけどもう涙を零したりはしないと、決意してしまったのだろう。サヤはまっすぐに俺を見据える。自分の決意に、嘘も偽りもないのだということを、俺に分からせる為に。


「泉が異世界と繋がるやなんてことはな、起こらへんの。

 これは、奇跡的な、偶然なんや思う。

 私たちの誰にも、この現象が起こった理由も、条件も、分からへん。あの場所に何一つ、手掛かりも無かった……。

 そんな中で、あの現象をもう一度見つけるやなんて、無理や。

 奇跡いうのんは、そうそう起こらへんもんやて、私が一番よう分かっとる。

 せやから、もうええの。

 こんな、どうしようもないことに、レイが振り回されんでええ」

「サヤ‼︎」

「ええの。私がそう決めたんや」


 そう言って、笑みを深くした。……どう見たって、無理した笑顔。


「決めたんやけどな……我慢がきかんくなって、帰りたいって我儘、言うかもしれへん。

 けど、本心や思わんといて。

 寂しいなっとるだけやから……そん時は、レイが、慰めてくれると嬉しい……」


 そう言ったサヤが、俺の胸に身を擦り寄せてきた。

 とっさに抱き締める。すると彼女の小さな震えが、腕に伝わった。

 泣かなかった。だけど悲しくないはずがなく、苦しんでいないわけがない。

 それすら我慢しようとする。

 そんなのは、駄目だ。


「……いくらだってこうする。だから、そんな我慢はするな。

 苦しいのも、泣きたくなるのも、寂しくなるのも、会いたくなるのも当たり前なんだから!

 帰り方を探すことだって、諦める必要ないんだ!」

「ええの。それはもう、探さんといて。

 レイには、無駄なことに、使える時間なんかない」

「サヤ!」

「……飛ばされたんがここで良かった。

 レイがそう言うてくらはる人やから、後悔せえへんって、思えるんやで……」


 今まで以上に、サヤを小さく感じていた。

 今だって、帰りたい気持ちを捨て切れているわけがないのに、嘘でもそれを、本気だと言う。

 駄目だ。家族を自分から諦めるなんて、そんな悲しいこと……許していいわけがない!


 だから俺は、決意していた。

 サヤの帰り方は、これからも探す。俺が絶対に、見つけてみせる。

 サヤは頑なだから、自分が決めたことを、曲げようとはしないだろう。

 だけど……どうしても帰りたいと言った時に……ちゃんと、帰してあげられるように、準備をしておこう。

 彼女の人生を、ちゃんと彼女が、選べるように。


 この決意を、俺は口にしなかった。

 サヤも、俺に言わない決意を固めていた。

 それが、俺とサヤの、世界の隔たりそのものだったのだけど、その時それが見え、理解していたのはサヤだけで、俺は、そんな決意を固めるサヤを、知りもしなかったのだ。



 ◆



 帰り道……。


「……お二人とも……最近なんなんですか」


 沈黙する俺と、むくれたサヤ。

 それを見て眉間にしわを刻むハインがいた。


 あの後。サヤと喧嘩になった。

 もう恋人は止めようと言う俺と、絶対に嫌だと言うサヤとで、言い争いになったのだ。

 意味が分からない……。

 なんで止めないのか、意味が分からないからね⁉︎


「サ……」

「止めません」


 もう一度説得を試みようと口を開きかけたら、名前を言う間に突っぱねられた。

 ぐううぅぅ、ハインがいるから思ったままを口にも出来ず、イライラが募って仕方がない。

 もう無理をする必要はないと伝えた筈だ!

 今まで通りで良いことも言ったよな⁉︎

 サヤが何故こうも頑なになるのかが意味不明すぎる!


「はぁ……もういい加減にして下さいませんか。

 何をしたんです、今度は」

「俺は何もしてない!」


 むしろしなくて良いって言ってるのに!


「原因はなんですか」


 ……それは…………。


 言えるわけがない……。

 そんな俺とサヤの態度に、ハインは眉間にシワを最大限寄せて、溜息を吐いた。

 言えないなら態度に出してんじゃねぇよ。と、思っているのが手に取るように分かるから、バツが悪いったらない。

 実際その通りだ。言えないなら、場を乱すべきじゃない。

 そしてサヤに折れる気がないなら、俺が折れるしかないのだ。

 だけどこれは……折れて良いことじゃないだろ、どう考えても……。


「はぁ……分かりました。私に言ったとてどうしょうもない問題なのですね。

 では仕方がありません。明日、家具の配送を終えたら即、向かいましょう」


 匙を投げたハインが、そう言って前を向く。

 今度はどこに行く気だ?

 それが読めなくて、サヤと顔を見合わせ……すぐに逸らした。

 お互いバツが悪かったのだ。


「行くってどこに……」


 仕方なく、俺から確認する。


「決まっているじゃありませんか。メバックですよ」


 さらりと答えが返る。


「私は無理ならギル。いつものことですが、何か問題が?」


 振り返ってギロリと睨まれた。


「あ、はい……ありません」


 そうですね。だいたいいつもそんな感じだ。

 そしてまぁ、ギルには一通り言ってしまってるから……妥当だ。ていうか、実際ギル以外に相談できそうな相手もいないしな……。


「分かった……メバックに行こう」


 きっとまた怒られるんだろうなぁ……。そう思いながら、俺は渋々頷くしかなかった。

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