ギルバート
ギルの店は、表側が服飾店、裏側が生活の場となっている。
つまり裏側に招かれる俺は、仕事上の付き合いではないということだ。
ギルの家族は昔、俺にバート商会は自分の家だと思え。来るのに連絡も遠慮もいらない。部屋もあるからいつでもおいでと言った。
親戚でもないし、利点もないのに、その待遇は優遇しすぎだと思うのだけど……有難く、そうさせてもらっている。遠慮したら押しかけられたし……。
「さっきはごめん……。もうちょっと説明しておけばよかった……」
後ろについて来ているサヤに、小声で話しかけた。
耳元で囁くほどの小声だが、サヤには聞こえているようだ。
「ギルとハインはいつもああなんだ。あれはじゃれ合ってるだけだから、喧嘩じゃない。
はじめにそう伝えておけば、心配させないで良かったのに……気が回らなかった」
俺にとっては日常で、問題点にも登らなかったんだよな。
するとサヤから微かな呼吸の音。続いて小声で「聞いていても、びっくりしたと思います」という返事が返ってきて、どっちでも変わらなかったかと二人で小さく笑う。
廊下をしばらく進み、階段を上る。すると奥に見えてくる大きな扉が案内される先、応接室だ。
ギルが手を挙げると、扉の横に控えていた使用人が、さっと扉を開く。両開きの重い扉だが、軋む音一つしない。
そのまま中に進み、全員が室内に入ると扉が閉められた。
応接室に残った使用人はワド一人。あとはギルと、俺たちだけ。
そこでまた俺の首に腕が伸び、抱きすくめられてしまった。
あぁもう鬱陶しいな! サヤの前で子供みたいに扱うなよ!
「ギル! それはもうよせよ、さっきもやったろ!」
「そのさっきはなんだ! 貴族よろしく私とか言いやがって!」
「しょうがないだろ! こんな服装だし……お前の職場を乱したくないから……」
「てめぇその他人行儀をやめろ!
ここはお前の家も同然だろうが、遠慮される方が気持ち悪ぃわ」
腹立たしげにそう言われて困った。
そうは言っても、お前にだって立場があるだろうに……。
「だっ……だってルーシーは初めて見たし……新しい使用人もいるように見えた……。
こんな格好してるのに、分別つけないのは良くないかなって……」
そう言うと、ギルは顔を手で覆って盛大な溜息。
「あのなぁ……。使用人の貴族教育は俺の領分だ。お前が心配することじゃない。
お前はここに何しに来た。仕事なら表側から来るよな。そうじゃねぇなら遠慮すんな。いつも通りで良いんだ」
ワッシワッシと俺の頭を掻き回す。サヤに整えてもらった髪がぐしゃぐしゃだ。
その手をペイッと剥がして、俺はギルを睨んだ。ほんともうこいつは……そう思うけど口元が緩む。ギルはいつも、俺を甘やかす……。兄みたいな顔をしてくるのだ。
「それで。俺にお願いってのは?
あっ、ハイン! お前ここに来たら仕事すんな! レイが寛げねぇだろ!」
「……上着を掛けるくらいのことで目くじらたてないで下さい」
「あいっかわらず敬語……ああもう聞き飽きた!
お前の頭には敬語以外の言語が入る余地がねぇのか!」
「性分ですのでお気になさらず」
「顔に全然、合わねぇんだよ!」
いつも通りのやりとりだが、サヤには刺激が強すぎるようだ。
またオロオロし始めたので、笑って手招きしたら、急いでこっちにやって来る。
……ん? やっぱり気のせいじゃないな……サヤとの距離が近い。俺に慣れてきたってことか?
俺の座る長椅子の隣を指し示すと、緊張した面持ちで座り、ギルにぺこりとお辞儀をした。
「今日は、サヤのことでお願いに来たんだよ。
ちょっとおかしな話をすることになるんだけど……聞く?
ギルには、どうせ誤魔化せないと思うから、全部話すつもりで来たけど……正直、耳を疑うような話なんだ」
俺がそう前置きすると、ギルは片眉を上げ、俺とサヤを交互に見比べ。
「……聞かないって言ったらどうなる?」
「当たり障りない方の作り話をする」
「可愛くねぇな! ぜひ聞いてくださいだろうがっ。俺がお前の話信じないとでも⁉︎」
「そう言うと思うからこんな話してるんだろ」
俺たちのやりとりをワドは微笑ましく見つめて、お茶を入れだした。
サヤとの出会いから、ギルに話した。
泉から出てきた異界の娘。どういった理屈か、泉の中には戻れなかった。サヤの世界とこことでは何かが違うらしく、力が強くなったり、耳が良くなったりしている。そして、帰り方を探す間、俺が保護すると決めたことをだ。
「俺としては何の問題も無いんだけど……兄上のことがある。
だから、サヤを男装させて傍に置こうって話になってるんだけど……その準備をギルにお願いしたいんだよ」
途中で夕食も準備され、食事をしながらの長い話だった。
その全てをワドが取り仕切る。俺が来た時は、寛げるようにと余計な使用人は入れず、彼が一人で仕事をこなすのだ。
ワドは……ハインの師でもある。
今は食後のお茶の時間。俺たちは応接室に設えてある長椅子に座り、ワドは壁際に控えていた。
話を聞き終えたギルは、ふぅ……と、大きく息を吐き、サヤを見て。
「異界の娘……ねぇ。確かに、俄には信じ難いが……」
お前が言うんだから嘘じゃねぇだろうしなぁと、頭を掻きつつなんとか自分を納得させているよう。
「……男装の準備や、家具の手配は任せろ。
だけどその前に……そっちで無理して雇わなくても、俺にサヤを預ける方が良いんじゃないか?」
「ぶっちゃけお前の兄貴が信用ならんし」と言って、腕を組む。
ギルもハインも……兄上を嫌悪している。二年前の俺の怪我で、それはもう決定的になってしまった。
確かに、兄上や異母様のことを考えると、サヤはあそこにいない方が良いと思う……。
「異界の人間だなんてことは他言しねぇし、社会常識や仕事だって教えてやる。
ただでさえこれから忙しくなる時期に、人一人とはいえ抱える負担だってあるだろう」
「それは……」
が、言い淀んだ俺に慌てたみたいに、サヤが口を挟んだ。
「私が、あそこに居たいんです! 泉から、離れたくありませんっ」
懇願するように、ギルに預ける話が再熱するとでも思っているのか必死だ。
「それに……レイシール様はハインさんとたった二人でお仕事をされてます……。
その……私では、たいして役に立たないと思うのですが、少しでもお手伝いしたいです。
幸い、ここでの私は強いみたいなので、力仕事とか、護衛とかなら、お力になれるかなって。
ただ、お世話になるだけなのは嫌なんです!」
神妙な顔で、膝の上で拳を握りしめたサヤが、決意表明のように。
その様子を見て、ギルはまた溜息を吐いた。
「そうか……。まぁここは近いって言ってもセイバーンまで半日かかるし、すぐに行ける距離じゃねぇよな……」
長椅子に胡座をかき思案顔。男前だからどんな状態でも男前に見える……得だよなぁと思う。
俺なんか二年ほど前まで何やっても女みたいだって言われてた。なんなんだこの差……。
「だけどな……お前ら本気で、サヤを武官に雇うのか? いくら強いって言っても女性だぞ?
もし怪我でもして傷が残ってみろ、どう責任を取るつもりだ」
そう言われて、言葉に詰まった。
護衛というのは武官の仕事だ。常に身を盾として俺を守る。
だから第一に危険と向き合うわけで、確かに女性にやらせるようなことではない。
……うん……考えなかった訳ではない。それはそうなんだが……。逆に言えば、武官を女性だと思う者は、まずいない。良い隠れ蓑でもあるということなんだよな。
「サヤは本当に、強いのか?」
「相当、強い」
俺では確認できないけど、それくらいのことは分かる。
「私は瞬殺されました。貴方も瞬殺ですよ。保証します」
ギルの懐疑的な視線にも怯まず、ハインもお茶を啜りながら肯定した。
ハインはギルの実力をよく知っている。二人でしょっちゅう喧嘩し、真剣でやり合ったことすらあるのだ。実力ではギルの方が上。卑怯さではハインが上だ。ハインはどんな手でも使う。勝てれば良いという割り切りが凄い。
そして、ハインの保証はギルに火を付けた。喧嘩を売られたと受け取ったようだ。多分、売ったけど。
「はぁん……俺が瞬殺? 女だからって容赦しねぇぞゴルァ」
「してられませんよ。そこまで時間も掛かりません。瞬殺ですから」
バチバチと視線で刺し合う二人。しばらくそうして、唐突に立ち上がったギルは、壁に飾られてた装飾の剣を掴む。二本ともだ。それの一つをサヤに投げてよこすが、サヤはそれを受け取ったものの、すぐ小机の上に置いてしまった。
「いえ、要らないです。剣は扱えません」
「はぁ⁉︎」
「私が鍛えているのは素手の武術なんです」
「をいをいをぃ……お前ら本気で護衛をやらせるつもりか⁉︎」
「剣は扱えなくとも、サヤは強いですよ。良いからさっさとやってください」
ギルの方に視線すらよこさずハインが言い捨てる。
それでギルもカチンときたよう。後でお前もシバく! そう言ってから剣を構える。
「宜しくお願いします」
律儀にお辞儀をして、長椅子から距離を取るサヤ。
そして……。
ハインの宣言通り、瞬殺だった。
大股の踏み込みで突き出された剣を、サヤは頭を逸らすだけで避けた。
次の払いも怯んだり、距離を取ったりする素振りすら見せず、身体の動きにぴたりと沿うような最低限の体捌きでいなして、そのまま踏み込んで、剣を持つギルの手に自身の手を添えたのまでは見えていたのだが……次の瞬間、ギルの足が天井を向いていた。
そのままふわんと、優しく床に背を落とす。
絶句だ。手加減されてた。ギルを床に叩きつけないように、最後にちょっと引き上げたのが分かった。
けどどうなったらギルの体が宙を舞うんだ……サヤが力持ちなのは知ってるけど……力でどうこうしたんじゃないよな?
ギルとサヤの身長差は頭一つ分以上……体重なんて、倍くらい違いそうだ。その上で剣を持ってるんだぞ? 間合いに踏み込むだけで相当な胆力を必要とするはずだ。なのにサヤは……ふうっ、と息を吐き、にっこりと笑ってから俺に言うのだ。
「この前、関節技はお見せできなかったので、今回やってみました」
「なにを、どうしたの?」
「剣を持つ手を外側に捻って、体勢が崩れたところを投げたんです。人の腕はこちらに曲がらないので」
「……ごめん、全然分かんないけど、凄いことは分かった」
駄目だ……説明されても分からない。なんで剣を持った人間を投げれるのか全く意味不明だ……。怖くないのか?
飾りとはいえ剣。当たれば骨も折れる。なのにサヤは、何故踏み込んでいけるのか……。
「当たらなければ、怖くないですよ?」
「いや、違うから……当たりそうなのが怖いんだよ……」
「師範が、冷静であれば何が怖いか見極められるって言いました」
「相当見極めができてるってことだね……」
サヤの凄さが計り知れない……。
サヤにあっさり投げられてしまって、ギルはしばらく呆然としていた。
起き上がって、無言のまま戻り、長椅子にどかりと腰を下ろす。そしてまたジ……っと、サヤを見つめる。
しばらくその視線に耐えていたサヤだったけれど、次第に及び腰になってきた。
それを確認してからギルは、徐にまた口を開く。
「まああれだ……武官が務まりそうなのは認める……。認めるが、納得できん。
だって女性だろ⁉︎ どう見たって俺より華奢だろ⁉︎
強いっつっても俺が見るだけでこの通り半泣きだぞ⁉︎
どうするんだそっちの対応は! 男が怖いって言ってる時点で論外だと思わねぇのか⁉︎」
「そ、それは男装で……なんとかならないかな……」
「男装すれば男に見られても平気になんのかよ⁉︎」
う、そ、それは……やってみないと分からないというか……っ。
すると、それまで壁際で待機していたワドが、そっとこちらにやって来て一礼した。
「申し訳御座いません。差出口を挟みますが、お許し下さい。
サヤ様は従者見習いとして、男装でお傍に置かれる……それで充分ではございませんか?
お見受けした所、成人男性として扱うには些か幼すぎるかと……」
そう言われて、それはそうだなと思う。
男装すれば体格的にも実年齢より幼く見えるようになるだろうし、武官と思えないくらい華奢だろうし……。
そんな俺の表情を見て、ワドはより深く微笑み。
「でサヤ様は、奥の手としておかれては如何でしょう」
「奥の手?」
「武装しなくとも強いサヤ様は、相手の油断を誘えますから、それを有効活用なさいませ。
敢えて戦えるなどと、知らせてやる必要はございません。
レイシール様にお仕えする従者として、いざという時は身を盾にする。それは肩書きが武官でなくとも、できることでございます」
「それだ! サヤは男装させれば子供にしか見えん。下手したら十二、三だ。
武官だと思うからおかしい。レイの従者で充分だ。それで行こう」
ワドの提案にギルが乗った。言われてみればもっともで、俺も目から鱗が落ちた気分だ。
そうだよな……ついサヤが強いから、護衛役としてばかり考えてしまったけど……従者でいる方が自然か。それに従者だって、男しかいない職種だ。
「そうだな……その方が自然。それで良いか」
「では、サヤ様の従者用衣装を早急にご用意致します。
明日よりまずはそれで、男装の練習をなさいませ」
ワドルがそう言ってにっこりと笑う。サヤが異界の人間だと聞いても全く動じた様子もなければ、疑うふうでもない。
本当にワドは執事の鏡だ。彼はいつもこうやって、俺たちのやりとりをそっと聞き、的確な提案をしてくれる。
「ありがとう、ワド。貴方は本当に聡明だ。おかげでいつも助かる」
そう言うと、目を細めてにこりと微笑み。
「私めにまでそのようなお言葉……身に余る光栄でございます。
それにしましても……相変わらずレイシール様は、人の縁をお持ちでおられますね。
何にも変えがたい宝です、大切になさいませ」
「うーん? 何をどう大切にして良いか分からないけど……」
「そのままでいろってことだ。可愛くあれ」
「……それは俺をバカにしてないか?
もう随分背も伸びた。ハインだって追い越したんだぞ?
なんで俺より小さいハインは可愛いに含まれないんだよ」
子供扱いをやめるつもりはない様子のギルに、少々むくれてそう言い返したのだけど。
「背が伸びても可愛いもんは可愛いんだよ。どうしようもねぇ」
茶化されて、それをサヤにクスクスと笑われた。
やめてくれ……サヤにまで可愛い扱いされたら憤死してしまう。
可愛いっていうのはサヤみたいなのに使うべきなんだよ。俺には却下だ。
「あとどれくらい背が伸びれば、俺は可愛いを卒業できるんだ……」
「背の問題じゃないと気付いた時ですね……」
最後にハインにグサリと刺された。




