攻防
いや! そういう問題じゃない⁉︎
朝、目が覚めた瞬間、俺は飛び起き、頭を抱えて再度、枕に顔を埋めた。
夢、久しぶりに見なかった……ていうかそれよりももっと酷い問題が! 昨日のあれは何⁉︎
昨日は混乱の極みの中、帰った途端ハインに説教され、各自部屋に押し込められ、もう寝ろと強要されたのと、考えるのとか無理なくらいに色々が限界で、寝台に倒れこむとすぐ、意識が飛んだ。
夢も見ずに眠りを貪って、覚醒した瞬間、あの混乱がまだ最中だと自覚したのだ。
夢か? あれは何かの妄想⁉︎ だっておかしいだろ、何がどうなったらそんな風に話が転がる⁉︎
変だよな⁉︎
あんなこと、サヤが言うとは思えない!
あんな、決意を固めた時みたいな、騎士みたいな凛とした……あれ?
「……うん……変だ……」
違和感を自覚したら、混乱はどこかに消失した。
……そうだ、あの時のサヤは、なにか決意したみたいな表情だった。
いつも、何かを覚悟をした時の彼女は、あんな顔をする。今まで何度も見てきたのだ。
いったい何の覚悟を?
思い出せ、どこから変だった……途中までは、違った筈なんだ。部屋を飛び出し、夜の闇に逃げ込んだ時の彼女はまだそんな風じゃなかった……。
暗がりで、表情をきちんと確認できなかったことが悔やまれた。
ちゃんと見えていれば、彼女の変化に気付けた筈だ。
ただ言われた言葉に浮かれていただなんて、馬鹿だ俺は……。
まずはサヤの様子を確認して、探りを入れてみなければ。そんなことを思いながら寝台を出て、身支度を始めた。いてもたってもいられなかったのだ。
久しぶりの休日一日目。まさかこんな暗澹とした気持ちで始まるとは思わなかった……。
「おはようございま……どうしました、早いですね」
身支度を整え終わる頃にハインが来た。俺があらかたの準備を済ませているのを見て、やや目を見張る。
こいつには、悟らせてはいけない。
「外が明るいからかな、スッキリと目が覚めた」
にこやかに表情を作りそう伝える。
ハインも「ああ、それは確かに」などと相槌を打ちつつ、残り少ない朝の準備を素早く済ませていく。
それも終わり、ハインが朝食の準備に戻ろうとする頃、サヤがおはようございます。と、やって来た。
「……あれ? 尻尾は?」
「尻尾?」
首を傾げるサヤ。
髪が、シャランと音を立てそうな感じに、肩から滑り落ちる。
いつも馬の尻尾みたいにまとめているのに……今日のサヤは髪を括っていなかった。
「休暇なのですよね? なので」
そう返事があり、ああ、あれは仕事用の髪型なのか。と、納得した。
ただ服装は、いつも通りの従者服。補正着だって身につけている様子だ。
「レイシール様の御髪はどうされますか? いつもと違う感じに致しましょうか?」
「ん……そうだな。じゃあお願い。ただ、ひとまとめにはしといてほしいかな」
「畏まりました」
ハインが去り、サヤと二人きりになる。
いつも通り長椅子に座り、サヤが髪を梳いてくれて、それを編みはじめる。
……違和感は、髪型以外には無い。いつも通りのサヤだ。
昨日のあれは、夢を見ただけなのかもしれないと、思えてしまう。
「終わりました」
そう言われ、現実に引き戻された。
手鏡を渡されたので確認すると、後頭部が複雑だ。いつもの麦の穂みたいな編み方も、なにやら細かく、手の込んだ感じになっている。
「雨季も明けましたし、そろそろ暑くなってくるでしょうから、首元を涼しくと思いまして」
「ああ……それで。確かに首元が、スッキリした感じだ」
いつも首の後ろくらいから始まる編み込みが、もう少し上から始まっている。そのおかげで、首元がスッキリと空くみたいだ。風が通る。
そんな風に思っていたら、今日はどのように過ごしますか? と、聞かれた。
「サヤはどうするの?」
「午前中は日常業務ですね。あと家具の配送手配。昼以降は空く感じなんです。
それでその……良ければまた、乗馬を……教えていただけたらと」
急に顔を俯けて、ゴニョゴニョとそんなことを言う。
乗馬……ああ、兇手に襲われてからやっていなかったな。
だけどサヤはもう、充分馬に乗れるまで上達していると思う。
「じゃあハインに確認してみようか。
マルはメバックに戻るって言ってたし、残りの三人で遠出でもしてみる?」
兇手の問題もあるし、ハインのことだから多分、簡単に俺たち二人では行かせてくれないだろう。
そう思って言った言葉だったのだが、何故か……サヤがシュンとしてしまう。
「……どうした?」
「あ、いえ……」
視線を逸らして少し言い淀む。暫く逡巡していたのだが……。
「レイと……二人で過ごしたい思うて……言うたから」
言葉に頭を殴られた。
や、やばい……。何か、思惑があって言われた、昨日のアレなはずで、それが分かっているというのに、攻撃力がハンパない。
どうした、何があったと、ここで問い詰めるべきか……いやでも、万が一ハインに見られると、大問題になりかねない。
「あ……す、すまない……。
ただ、二人は無理だと思う。雨季の間は人も多かったし、兇手は襲ってこなかったけど、明けたらまた狙いやすくなる。暫くは三人で、様子見をするのじゃないかな」
そう言うと、コクリとサヤは頷いた。そして……、
「……さ、サヤ⁉︎」
距離を詰めて、俺にひっつく様に座り直してきた⁉︎
慌てる俺に、サヤは上気した顔で、責める様に見上げてきて。
「そないに驚かれると、私も困る……。昨日、今までと同じでええって言うたけど……全く同じやったら、意味があらへんかなって。
私の知っとる恋人は……こういう感じや」
と、そんな風に言うのだ。
恋人という言葉に再度殴られた心地だ……夢じゃなかった。
だけど彼女は、こういったことは苦痛であるはずなのだ。
「サヤ……無理しなくて良いんだよ。嫌だって思うことを強要する気は無いんだ」
サヤが身を寄せた分を、俺が下がって間を開ける。するとサヤが、何やらムッと少し怒った顔になる。
「嫌や思うてたらせえへん。触って確認したらええ。はい」
そう言って右手を差し出してきた。
逃げ道を絶たれた心地で、その手を見下ろす……。昨日俺が、口づけした手だと思うと、余計触れるのが躊躇われる。
見た限り、震えている様子も、血の気が引いている様子もない……。
「いや、見れば、分かるよ……」
ついそう言って、逃げてしまった。
するとサヤが、更に怒った風になる。
「おかしいやろ? 昨日までは気にせず触れてた。なんで今は、しいひんの。
今までより、遠くなってどないするつもり?」
「おかしい? 違うよ、今までがおかしかったんだ。サヤの国では、あまり触れ合わないんだよな?」
「ここはフェルドナレンのセイバーンやろ? ここのやり方でかまへんのやないの?」
ムムムと、二人で睨み合い、間合いの牽制をしていると、コンコンと扉が叩かれ、二人して飛び上がった。
「支度はお済みですか?朝食の準備が整いましたが」
「い、今行く!」
慌てて長椅子から立ち上がり、部屋を出る。
なんだか、色々ややこしいことになりそうな予感に、俺は内心、溜息を吐いていた。
◆
マルは朝一番でメバックに出立したらしい。
土嚢壁の方も一区切りとなった為、一部の土建組合員がメバックに戻るのに便乗したそうだ。
なので朝食は、久しぶりに三人でとなった。
「お二人は、今日早急に成さねばならない予定がございますか」
その最中、ハインがそんなことを言う。
特別予定の無い俺は首を振りかけ、サヤに乗馬を再開したいと言われたことを思い出し、それを伝える。
サヤはというと、なにやら下を向いて頬を膨らませている……。
な、なんでそんな反応になるんだ……? ほんと、どうしてしまったんだサヤは。
また何か喧嘩かよ……みたいな目のハインが見てくるし……正直空気が苦痛だ……。
「まあそれならば、サヤの乗馬の復習にもなるでしょうし、遠出をしませんか。
サヤも、それで良いですね?」
決定事項みたいな口ぶりで言われる。
聞いてるけど否は求めてない感じに、まあ、良いけどと俺は返事を返し、サヤもこくんと頷いた。
「でも、どこに行くんだ?」
「西です」
「……うん、西のどこ」
「まだ何もないところです」
うーん?
よくわからない返答だが、それ以上の説明は無いらしい。
さっさと食事を済ませたハインが、サヤに日常業務を手伝うから、弁当を頼みます。などと言っている。
あ、そうそう。食事処だが、本日より試験的な通常営業を開始する。
昼の三時間のみの営業だ。
昨日一日、試しに食券を販売してみたら、思いの外売れたらしい。用意していたものが早々に完売となり、買えない者も出たのだとか。
食券の数は、その日の仕入れの内容によって変わるようだが、今日は確か百食の予定であるらしい。
宣伝も何もしていなかったのに、昨日の食券販売は二時間もかからず完売となったそうで、明日の分の食券は、今日の午前中に売り出すとのことだ。
俺たちが休暇の十日間は、百食、三時間の営業を行い、客の入りを見て、その後の予定を決めることとなっている。
まあそんなわけで、賄いをお願いする期間も終了となった。
だから今朝の朝食も、久しぶりにハインの手作りだったのだ。
「畏まりました。食材は……」
「食事処にある程度分けて頂いてますから、サンドイッチでもお願いします」
機嫌を直したサヤが、サンドイッチの具材についてハインと楽しげに会話を始める。
その様子をひっそりと観察して、違和感を探そうと思ったのだが、それを見つけるには至らず、朝食の時間は終了となった。
まあ、休暇といっても、全部を無しになんて出来ないわけで、俺も日常の業務を午前のうちに終わらせようと執務室に篭る。
とはいえ、一通りのことが終わった後なので、今はすべきことも少ない。
小一時間ほどで、やることは終わってしまい、執務室を出た。
さて……時間も頃合いになったな……ハインを探すか。
「ハイン、そろそろ行こうか」
洗濯物を干していたところを発見し、そう声を掛けた。
すると干していた敷布の間から、ひょこりとサヤも顔をのぞかせる。
しまった……居たのか。
奥で洗濯物を洗っていた様子だ。敷布の陰で見えていなかった。
「えっと、どちらへ?」
「……サヤは……」
「サヤはこのまま続きをお願いします。終わったら、弁当作りを始めていて下さい」
俺が何かいう前に、ハインがサヤに仕事を割り振る。
そしてまだ大量に中身のある洗濯籠を託し、こちらにやって来た。さっさと行くぞ。と、目が言っている。
「あっ、い、いってらっしゃいませ」
一瞬狼狽えたサヤだが、ハインには逆らわないらしい。ホッとしつつ、俺はハインと共に、踵を返した。
一度執務室に戻り、資料をひとまとめ持ち出す。
それをハインに託し、俺たちは本館に足を向けた。
そう……異母様への報告だ。




