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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
14/515

メバック

 メバックに到着したのは、夕刻頃となった。

 思ったほど遅くならなかったな。ゆっくり進むぶん、休憩場所に立ち寄るのは減らしたのだが、それもそんなに問題無かった。

 馬車に一人でいると、暇で仕方がないのだが、サヤと二人だったから、話をして気を紛らわせたりもできていたし……そういった意味で、気持ちが疲れなかったのかもしれない。


 この街の入り口は三箇所。メバックは、高い石壁で囲われている街で、俺たちはそのうちの一つを通過する。略式の家紋入り馬車に乗っているから、確認も適当だ。さすがに領主印は効果絶大だよな。


「何か連絡がある場合は、バート商会へ頼みます。あちらに滞在しておりますので」


 門番に、メバックに滞在中の所在地を伝えてから、ハインは馬に鞭を入れた。

 そのまま街の中心地に向かう。商業広場は、街の中心部にあるのだ。


 さて、ここでサヤのためにメバックの簡単な説明をしておこう。

 メバックは、セイバーン領内では程々大きな街だ。隣のアギー領と最も近く、交通の要所となって発展した商人の街でもある。

 他領からの物資が行き来するので、大きな商家も多い。

 メバックの特徴として、中心地に大きな石畳の広場があって、商業広場と呼ばれているのだが、そこでは場所を時間で買って商いをすことができた。そしてその広場の片隅には、広場の管理と地域の情報をやりとりしている商業会館がある。

 元々は広場を貸し借りするため、金銭をやり取りするだけの場所だったけれど、街の発展とともに大きくなり、今は商業組合支部という側面を持つ。その結果、沢山の情報がここに集められるようになった。

 現在ここの情報処理係が大変優秀なので、他領の情報を仕入れたい時はここに来ることにしており、その優秀な情報処理係がマルクスという俺の友人の一人だった。……ちょっと、変人だけど。


「今日はもう遅くなったし、マルのところへ顔を出すのは明日だな。

 このままギルの所に向かおうか」


 御者台後ろにある小窓を開けて、ハインにそう告げると、ハインは心得てますと返事を返した。

 広場は人が多く、気にせず飛ばしている馬車もあるのだが、俺は通る人を引いてしまいそうで怖いから、ゆっくり進んでもらうことにしていた。

 暗くなり始めるこんな時間でも、まだ屋台は出ているし、人も多く行き交っている。陽が沈むと店じまいなので、最後の書き入れ時といったところか。


「凄い人通り……緑、紫の髪の人もいるっ!」

「サヤにはやっぱり、珍しい光景なんだね。正直、白と黒以外は大抵見かけるよ」

「白い方もいらっしゃらないのですか?」

「いや、いる。この国だと王家なんか代表例だね」

「そうなんだ……レイシール様のような、銀の方は多いのですか?」

「俺は灰髪だよ。銀ほど光沢ないし……。結構いると思うよ。学舎でもちらほらいた色だ」


 髪の色談義をしているうちに、そろそろ商業広場を抜けられる位置にやってきた。ギルの店までもう少しだなと思っていたら、急にサヤが後方を振り返る。


「悲鳴です」


 それだけ言うと、馬車の扉を開けて、動いている馬車から飛び降りてしまった。


「ちょっ、ちょっと待って!

 ハイン! 端に寄せておいてくれ!」


 歩行と変わらない速度で良かった。俺も馬車を飛び降りて、人混みの先にある黒髪を目印に後を追う。

 ハインの声が聞こえた気がするが構ってられない、サヤを見失ってしまう。こんな人混みで逸れたら大変だ。


「サヤ!」


 どうやって進んでいるのか、サヤはスルスルと人の間をすり抜けていってしまい、だんだん距離が開いてきた。こんな人混みで……悲鳴なんてどこから? 喧騒しか聞こえない。そう思っていたら、急に横の路地に進路変更した。嘘⁉︎ そっちは駄目だ、入り組んでて迷ってしまう!


「すまないが通してくれ!」


 なんとか路地までやってきた時には、息も上がっていた。広場の入口付近だったから、人の流れが内に向かっていたのだ。おかげで逆流する俺はもみくちゃだ。とりあえず息を整えようと、壁に手をついて身体を支える。

 やばいな、時間がかかり過ぎたか? サヤはどこまで進んだ? この先を曲がっていたら、もう分からない……!


「サヤ!」


 薄暗い路地の先にサヤの姿は無く、奥に向かってとりあえず大声で呼びかけてみる。どうか聞こえてくれ……!

 アミ神に願わんばかりだったのだが、加護はあったようだ。小さな返事が聞こえた。しばらく待っていると、サヤが女の子の手を引いて、奥の路地から出てきてホッと胸を撫で下ろす。


「申し訳ありません、すぐ追いかけるつもりだったのですけど……」

「駄目だよ、サヤはここ、初めてだろ。逸れたら、分からなくなる……」


 息の上がった俺と違い、サヤは全く疲れた様子がない。そしてサヤと同年代くらいの女の子は、何かを握りしめて、サヤの背後に隠れるようにしていた。俺を警戒してるのか?


「その子が、悲鳴の? 間に合った?」

「はい、手荷物を取られそうになったみたいです。ちゃんと取り返しました」

「それは良かった……。だけど、女の子一人は駄目だよ。それは狙われる」

「すぐ近くまでの、お使いだったんです。慣れてきたから、大丈夫だと思って」


 女の子が、おずおずとそう答える。

 俺はやっと息が整ってきて、背筋を伸ばした。

 すると女の子がハッと目を見張り「貴族の方……」という、呟きが聞こえた。

 ああ、今日は正装だったしね。バレるか。


「びっくりさせてごめん。ちょっと、仕事で来てるから、こんな格好だ。

 不敬とかは気にしなくて良いよ。今はそれどころじゃなかったろ?

 怪我などはしていないか?」

「は、はい……だだ大丈夫ですっ」

「そうか、良かった。でもさて……どうするかな?

 この子を一人で帰すとまた不埒者が出るかもしれないし……。

 サヤ、一旦馬車に戻ろう。ハインが怒ってるだろうし……事情説明しないと。

 それから、その子を送っていこう」


 俺がそう言うと、女の子が白眼をむきそうになっていた。まあ、貴族に送られるなんて最悪の事態だろうが、この際我慢してもらうしかない。俺も一人にされては困るのだ。


「良いのですか?」

「仕方ないだろう? 折角助けたのに一人にするのは危険だよ。

 あと()は一応、サヤの護衛対象だ。一人で馬車に帰ると怒られる」

「あっ、ご、ごめんなさい! 私つい……!」

「良い。助けられて良かった。

 そんなわけだから、サヤは大変だと思うけど、馬車まで私とその子の護衛だ」

「うぅ……はい。頑張ります!」


 俺たちは三人連れ立って馬車に戻ることにした。女の子は黙して俯いたままついてくる。

 まぁね……貴族相手に下手な口を聞くと、死にかねないとでも思っているのだろう。俺にそんな気は無いけれど、庶民からしたら貴族なんて一括りだ。


 あっという間に陽は沈んだようだ。気付けば相当薄暗い。おかげて貴族然とした俺の服装も悪目立ちせずに済む。少しの間に、人通りはだいぶん減っていた。屋台もたたみ始めたようだ。

 人が減ると、馬車まではすぐだった。

 俺の伝言通り、広場の端に馬車が停めてあり、御者台で、ご立腹のハインがこちらを睨んでる……。


「何事か説明して下さい」

「はい……。申し訳ありませんでした……。悲鳴が聞こえてその……助けなきゃと思ったんです……。

 さっと行けばすぐ追いつけると、馬車を降りてしまいました」

「私は、サヤが逸れてしまうと思ったので、追いかけた」


 簡潔に説明するが、ハインの怒りは収まらないようだ。ぎりりと奥歯を噛みしめる音がする。


「……後で覚えておくように。それで、そちらの娘が?」

「ももも申し訳ありませんっ!」

「何故貴女が謝罪するのか解りませんが……」


 そんな顔で睨まれたら、そりゃ謝罪したくもなる。

 内心そう思いつつ苦笑する。そして、女の子を助けるべく口を挟むことにした。


「ハイン、怖い目に遭った女の子を、そんな風に睨むんじゃない。

 私はこの通り無事だったし、何も問題無かった。今回はそれで許してくれ。

 それに、サヤも褒めてやるべきだよ。あの喧騒の中でこの子の声を拾った。人助けをしたのに叱責するのはどうかと思う」

「貴方は……ご自分のお立場を分かってらっしゃいますか」

「分かってるから早く移動しよう。ここでこんな風にしてる方が人目につくだろ。

 ところで、この子を送って行きたいのだけれど……ああ、場所を聞いてなかった。

 君は、どこの子なんだい?」

「レイシール様! 貴方が直接聞かないで下さい!」


 余計にハインを怒らせる結果になってしまった。

 だが、俺の名が出たことは無意味ではなかったようだ。女の子が、急に顔を上げ、俺をまじまじと見る。そして、次第に瞳をキラキラとさせだしたのだ。な、何?


「レイシール様! なのですか?

 では、バート商会へいらしゃったのですね⁉︎

 申し遅れました。私、バート商会のルーシーと申します。この度は本当に、ありがとうございます!」


 お、おおぅ、急にハキハキし始めた。

 深々と、折り目正しくお辞儀をして、今度はハインに向き直る。


「申し訳ございません! 私の不注意で危険に晒されたところ、助けて頂きありがとうございます!

バート商会までご案内致します! 主人に是非、お会い頂きたく! 謝罪も叱責も、そちらで存分に!」


 ええっ、叱責は嫌だな……。良いことしたはずだよ? 人助けだよ?

 そう思ったけどとりあえず口は挟まないことにした。移動できるならその方が良い。ここでこんなこと続けてたらほんと目立つから。


「ほらハイン、もう行こう。サヤ、馬車に乗って。あっ……えっと、ルーシーは……」

「私、御者台に失礼致します!」

「そ、そう? じゃあ、また後で……」

「はい! ではご案内致します!」


 勢いづいたルーシーに押し切られる感じで馬車を出発させることとなった。

 苦虫を数匹噛み潰したような顔のハインだが、騒ぎが大きくなるよりはと思ったのか、ルーシーを御者台に座らせ、自分もその横で手綱を持つ。


「私、運転を代わります!」

「結構です。これは私の役目なので」

「そうですか? では、お願いします!」


 そんな会話が壁越しに聞こえる。

 なんか面白いな……ハインが若干やりにくそうだ。隣のサヤは気落ちした様子だったけれど、落ち込む必要は全く無い。


「サヤ、有難う。サヤは正しく行動したよ。

 今回は全部俺が不味かったんだ。本当は俺は、馬車で待ってなきゃいけなかった……」

「いえ……。もっとちゃんと説明しておけば、レイシール様が私を追いかけたりしなくて済んだんです……」

「そんな時間無かったろう? のんびりしてたらルーシーが怪我をしていたかもしれない。

 だから、今回はこれで良かったんだ」


 サヤの顔を覗き込み、視線を合わせてからもう一度有難うと伝えると、俯きながら「お、お役に立てて……良かったです……」と応えるサヤ。

 手が、髪をひと束くるくると弄んでいる……照れてるのかな? 反応が可愛い。


「バート商会はすぐそこだよ。あの子が言ってた主人っていうのは、多分ギルのことだ」


 バート商会店主ギルバート。彼には天賦の才がある。

 パッと見るだけで、相手の体型をほぼ的確に当ててしまうのだ。

 だから性別も誤魔化せない。服を着ていても、布を巻いたりして誤魔化していても、それが全部解ってしまう。


 どう見えているの? と、聞いてみたことがあるが、本人は首を捻りながら、肉の動きじゃない部分は服に入るしわやよれが不自然なのだと言った。俺には全く不自然に見えないものを見て。

 その特技のおかげか、貴族のご婦人……特に年配の方によく懇意にされている。皆まで言わずとも、的確に、確実に、合うものを見繕ってくれるという信頼からだ。

 自分の寸法をうやむやにしておきたいご婦人たちにとって、彼は救世主。

 ついでに、見た目も麗しいのだから、文句なんてあろうはずもない。


「ほんと、助けられて良かったよ……。ギルは俺の親友だから、その身内なら俺の身内と一緒だ。ギルとは十年以上付き合いがあるんだよ」

「そうなのですか? 幼馴染なのでしょうか」

「そうだね。学舎に入った時からの付き合い。一つ上の学年だったけどね。

 ギルは、王都の大店の息子なんだ。もう卒業していたし……本当なら、とっくに縁が切れてるんだけど……。

あの一家は、本当に俺によくしてくれて……二年前、俺が退学した時に、俺との縁を終わりにしたくないって、この街に支店を作ってしまったんだ」

「えっ⁉︎」

「はは、びっくりだろ? 俺もびっくりした。

 田舎の男爵家……跡取りでもない俺との縁なんて、たかが知れてるのに……。

 王都の店は兄が継いでるから、どうせ暖簾分けしなきゃいけないんだって言ってたけど……有り難かったよ」


 本当に、有り難かった。

 正直、ここに帰る時、俺はもう何もかもを失ったと思っていたから。

 もう少しだった卒業資格も得られず、母を亡くし……またあの囲いの中へ……。


 ハインも、置いていくつもりだった。こんな田舎で、俺の使用人をしていたのでは勿体無い。巻き込みたくもない……ハインはとても優秀だから、王都でいくらだって雇ってもらえる。必要としてもらえる……。そう思った。なのに……。

 俺以外に仕える気はない。要らぬと言うなら短剣で首を貫いてくれ。本来なら、もう人生を終えておりますので。と……そう言われた。

もしお手を煩わせるのでしたら、自分で処理を致しますと、腰の剣を引き抜くものだから、慌てて止めたけれど、 そこまでされなかったら、きっと黙って置いていっていた……。


 そしてセイバーンに帰り、ハインと二人で奮闘していたら、急にギルが訪ねてきたのだ。

 メバックに支店を出すことにしたからと、アギー公爵家の推薦付き嘆願書を提出してきた。そんな大貴族の推薦を突っぱねるなんてできない……。それですんなり、支店はできてしまった。

 俺が学舎を辞めてたったひと月程度、雷光の速さ。一体どんな手段を使ったのか見当もつかない。だが、ギル一人の突っ走りではなく、家族ぐるみなのだと思う。大店のコネを最大限利用するほどの価値が、セイバーンにあるわけもなく、当然俺にも無いのに……。


「レイシール様は、とても好かれてるんですね」


 サヤの言葉で我に返った。

 はは……と、笑って誤魔化して「こんな田舎に来なくても良いのにな」と茶化しておく。

 するとサヤは首を振って「きっと、ここじゃなきゃ意味がないんです」と言った。


「なんとなく分かります……。

 レイシール様の傍にいたいって、思ったんですね……きっと」


 そう言うサヤの表情が、何かとてもその……美しくて、つい視線を逸らしてしまった。

 何、今の顔……そんな柔らかい表情、初めて見た。まるでアミ神の立像みたいに神々しかった。

 過去に引っ張られて、若干苦しくなっていた胸の痛みが、さっと引いてしまった気すらする。

 その代わりに心臓が早鐘を打っていたけれど……。


「あ、到着したみたいですね?」


 思いもよらない攻撃に胸を押さえていたら、サヤがそう言って、窓の外を覗き込んだ。

 よかった……。このままサヤとこの空間にいるのは正直どうしようかと思ってたんだ。


 俺側の扉が開いて、ハインが顔を覗かせたので、外に出た。

 三ヶ月ほど前にも来た、支店の裏手……。裏庭に馬車は停まっていた。

 視線を巡らせると、何やら騒がしい……。

 連絡無しで来たから慌ててるのか? いや、ルーシーが原因だな。何やら怒られているし……。


「わぁ、大きなお屋敷……」


 俺の後から降りてきたサヤからも、感嘆の声。だから「服装品の店だよ。貴族相手だから造りも立派なんだ」と補足しておいた。

 ほんと、田舎にこんな立派な店、どうやってやっていくんだと思ってたのに……問題なく繁盛してる。

 そんなやり取りを小声でしていたら、見知った初老の男がこちらにやって来た。長年ギルの執事をしているワドルという男だ。ああ、ギルも来た……あ!


「サヤ、ギルだけど、ちょっと暑苦しい奴だから、俺かハインの後ろにいるんだよ。ああぁもう来た、後で紹介するから。

 ギル、急に来てすまない。さっきそこで……ぐああぁ!」


 抱き竦められた。

 俺より頭一つ分近く背が高いギルは、当然体格も大きい。そして力も強い。

 ハインと同じ二十一歳で、若干波打つ金髪に、青玉のような瞳の持ち主だ。白磁の肌に甘い顔。どこの王子様かと言いたくなるような超美形。そして暑苦しい。

 ぎゅうぎゅう締め上げて来る腕をバンバン叩いて抗議すると、ハインが助けに入ってくれた。力任せにギルを引っぺがす。


「抱きつかないでください」

「お前はー! 毎回毎回、俺とレイの再会に水を差すな!」

「レイシール様を呼び捨てにしないでください」

「俺は親友だぞ! レイが良いと言っているのにお前が差出口を挟むな!」

「男に抱き竦められる主の心労を取り除くのも私の仕事の一環です。

 それよりも使用人の躾はどうなっているのですか。不本意にも妙なものを拾ってしまいました」

「妙なものとはなんだ! ルーシーは若干問題を有するが俺の姪だぞ!」

「最悪です……やかましいのが増えてしまった……」


 やっとギルの抱擁から解放されたと思ったら、ハインとギルの口論が勃発した。ああぁ、これも説明し忘れていた……。

 ギャンギャン言い争う二人の間に挟まれる形で溜息を吐く。

 ワドは満面の笑顔で微笑ましく見守っているが、サヤは真っ青だ。まさか急に喧嘩が始まるとは思ってもいなかったよな……。

 いつもなら疲れるまでやらせておくのだが、今日はサヤがいる。既に泣きそうだからこれは止めた方が良い。そう思ったので、口を挟むことにした。


「あー……ギル? ちょっと、待ってくれないか。

 先ほど、私の護衛が君の店の子を助けたんだ。

 広場の路地で手荷物を奪われかけていたみたいなんだが……あれは君の指示だったのか?」

「そんなわけあるか!

 こんな時間に女一人で外に出すわけないだろうが!」

「だろうね。だけどもうちょっと遅かったら怪我をしていたかもしれない。

 だからハインは怒ってるんだ。言い方悪かったけど……」

「何? じゃあやはりこいつが助けたのか」

「いや、助けたのはハインじゃないよ。サヤだ。

 サヤは、新しく雇っ……ちょっと待て!」


 ガシッと腰に手を回して引き止めた。全力だ。

 そしてハインもサヤの前で臨戦態勢を取った。ギルがサヤを抱き竦めかねない感じだったのだ。


「話を最後まで聞け! サヤは暑苦しい挨拶禁止だ!」

「何故だ! 礼を尽くしてなにが悪い!」

「全部悪いよ! サヤは男に触れられるのが嫌なんだ! 説明するからまず聞け!

 ハイン、サヤを避難させろ! サヤも逃げれるなら逃げていいよ!」

「は、はい!」


 俺が声をかけるとサヤは一瞬でその場から消えた。

 呆気にとられる速さだった。なに? どこに行った?

 流石にギルも停止。目標を見失ったのだから動きようもない。


「あれ? ほんとどこに行った?」

「レイ、説明しろ、先ほどのご婦人は誰だ⁉︎ どこにやった?

 絹糸のような黒髪……美しい、あんな色合いの方は初めて見た。神秘的な美しさだ……是非お近づきになりたい!」


 男装してるのに、ご婦人と言い切るギル。

 まぁ……誤魔化せないのは分かっていたけども。


「だからぁ……サヤはそれが駄目なの!

 男性に触れられたくないんだ。触らないって約束しないと帰って来いとは言わないよ!」

「なん、だと⁉︎」

「触らない、挨拶禁止、間合いに入らない! 約束は⁉︎」

「……くっ、解った」


 よし。


「サヤ、もう良いみたいだから……出ておいで?」


 とりあえず言質は取ったので、小声で呼びかけてみた。

 サヤなら充分聞こえるはずだ。と、思ったら、思いの外近くにいた。なんと乗って来た馬車の上だ。物音一つ立てずにそんな場所に登ってたのか……。

 俺の横にさっと降りて来て、後ろに隠れた。服の上着がツンと引っ張られる。

 ……あれ。俺の背中を触ってる? 震えてるけど……大丈夫なのか?


「つ、鶴来野小夜と、申します……。レイシール様の、護衛、なりま……よ、よろしく、お願い、しま……ッ」

「……レイシール様……ギルの視線が凶器のようです」


 つっかえつっかえで必死に自己紹介をするサヤに、ハインが横から助け舟を出す。

 あああぁぁ……視線を止めてなかったな……。

 顔に手をやって溜息を吐く。そして、ギルを手招きして、小声で伝えた。


「ギル……サヤは、男に無体をされかけたことがある。

 だから恋愛対象として見ないでやってくれ。難しいと思うけど……」


 とりあえず真剣にお願いしてみた。

 サヤは美しいと思う。俺でもそう思うのだから。

 けど、それができないなら、もうサヤは連れてこれない。彼女には文字通り凶器だ。


「仕事の目をしておいて下さい」


 横からハインも口を挟んだ。こちらも真剣な顔だ。それで俺たちがおふざけで言っているのではないと解ってもらえたよう。ギルが眉間を指で揉み解すような素振りをして「解った」と言った。


「うちのルーシーを助けていただいて感謝する。

 しかし……サヤ殿はご婦人だろう? 助けたとは、どういうことだ?」

「サヤは勇者だよ。こう見えて武術の達人。馬車で通った時、悲鳴を聞き取ったんだ。

 俺やハインは気付けなかった。サヤじゃなかったら助けられなかったよ」

「武術⁉︎ 女性なのにか?」

「そうだよ。今の動きだって見たろ? ハインも瞬殺するくらい達人だよ。ちょっと理由があって雇うことになった。

 それで、ギルにお願いがあって来たんだ」


 そう説明する俺の背中に、サヤの温もりが触れている。震えが、少しずつ治っていってる……。

 ギルの視線が怖くなくなったってことかな……? よくよく考えたら、サヤは視線の意味すら察知してるってことだよな。


「ルーシーの恩人ならバート商会の恩人だ。俺のできることならなんなりと。

 では、恩人と客人を我が家に招待したいが……良いだろうか?」

「ああ、有難う。サヤ……大丈夫?」

「は、はい……」


 返事はあったが、背中の手は離れない。うーん……背中……以外でも良いのかな?

 試しに、左手をサヤの方に差し出すと、ぎゅっと握られた。まだ若干震えてるな……。

 振り返って顔を覗き込む。少し強張っている……本当に大丈夫? と、視線で問うてみると、 口角を上げた。そして俺の手をそっと離す。耐えられるってことかな? まだ良く分からないが……。でも、サヤが頑張ろうとしているなら、過保護すぎるのも良くないよな……。


「ハイン、調子悪そうだったら、教えてくれ」

「畏まりました」


 先を歩くギルについて行かなければならないので、ハインにそう声を掛けてから、俺はギルに続いた。俺が動かなければ、誰も動けない。

 そして、屋敷に入ろうとした時、「嘘⁉︎ 女の人⁉︎」という、ルーシーの声が聞こえた。

 振り返ってみると、驚愕した顔のルーシーが唖然と見ている……。あー……薄闇の中で男物の服着てたら、勘違いするのもまあ、頷けるかな。


「女性が騙せるなら、サヤの男装は上手くいきそうですね」


 ハインのそんな言葉に、俺は苦笑するしかなかった。

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― 新着の感想 ―
ギルさん、どんな人なのかすごく楽しみにしていました! 想像以上に濃いキャラでフレンドリーで、でもちゃんと話せば分かってくれそう!!(*'ω'*) 馬車に乗っていて悲鳴が聞こえたら飛び出してしまうのは…
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