綻び
リカルド様は力が抜けた様子で、足元に視線を落としたままだった。
なので、言葉を続ける。
「ヴァーリンの世代交代をして頂きます。御領主様は、退位が望ましいかと。
次の領主様は、順当であればハロルド様ですよね?ならば、それで良い。
長老様は、これからの対処となりますが、姫様の同意を得まして、拘束、蟄居でしょうか」
ちらりと執務室の隣、応接室に視線をやりつつ、俺は考えを述べる。
反応がないし、それで良いということなのだと思う。
「王家の方は短命である。ということについてなのですが……。
こちらは逆に、根拠がないのです。本来ならば、寿命に影響は及ばない筈なので……。
ですからこれは純粋に、お身体に負担を掛けすぎているのだと思うのですよね。
姫様を王とし、その上でお守りする為に、環境も改善しなければなりません。
俺は、王家の方がどの様な暮らしをなさっているかが分かりませんから、なんとも言えないのですが……、少なくとも、負担を減らすこと自体は、できると思います。
姫様を王とすること……国王様にとっては、辛い選択であると思うのです……。ですが、病の駆逐の為にも、白き方である姫様自身が王となり、采配を振るうべきだ」
ルオード様なら、間違いなく、姫様の負担を配慮した動きが出来ると思う。
陽の光や、強すぎる灯。そういったものをある程度意識するだけでも、格段に違う筈だ。
姫様は、あの客間を過ごしやすいと仰っていた。なら、あの部屋に施したことを、王城に取り入れれば良い。
「そんな感じで如何ですか」
そう問うと「……白く生まれた者はどうなる」という、硬い声。
首を傾げて、その問いの意味を暫く考えた。……?特に問題は、無い様に思う。
「どうもなにも……ただ王家の方と同じ病に罹患されているだけです。
王家の白を根絶することを目指すからには、なんの害もない。
それは特に、問題視されないと思いますよ?」
そう答えた俺に、リカルド様は面食らった顔で、俺を見る。
口封じとか、監禁とか、そういった手段を選ぶと思われていたのかな?
だが、言ったまま、その通りの意味で、白く生まれたことにはなんの意味もない。
「それよりも、これからが大変です。
尊き白と言われるあれを、病だと公表しなければならない。
国は揺らぎますよ。特別な象徴であっただけに。
リカルド様には、その問題への対処をお願いしたいのです。
姫様を、お守り頂けませんか……。エレスティーナ様の遺言には背くことになるかもしれませんが……本当の意味で姫様をお守りする、正しい形なのではないかと、俺は思うのです」
エレスティーナ様が、姫様の願いを知っていたならば、そんなご遺言は残さないのではと思うのだ。
たった14年で終わってしまった、儚い方。まだ子供であったのだ……。大切な妹を守る為に、思いつくことを必死で仰っただけなのかもしれない。
「斑の病も、あれは、陽の光の毒が及ぼすものですので、人から飛び火は致しません。
ですから、病自体をどうこうするなんてことは出来ませんが、親族と触れ合うことすら禁ずる必要は、なくなる。
病の方を、一人で逝かせるなんてことは、今後、せずとも良いと思います……」
エレスティーナ様には救いであったろう。リカルド様が最後を、共に迎えてくれたことは。
だけど……それをたった一人で見送ったリカルド様は、どれほど苦しかったろう……?
リカルド様とて、当時は幼かったのだ。なのに、それをたった一人で、今日まで背負ってこられた。
それを考えると、胸が苦しくなる。離別の苦しみは、今後俺に訪れるものだ。人ごとなんかじゃない……。
そんな風に思うと、なんだかたまらなくなった。
「……今日まで、よくぞ、耐えてらっしゃいました。
俺みたいな者に、こんなこと言われてもとは思うのですが……その……。
もう、苦しまないで、頂きたいのです。
先程は、王家の滅びに加担しているなどと言いましたこと……謝罪します。
貴方が悪いのではない……習慣の連鎖が、それを招いただけだ。
リカルド様は、本当に、王家の盾であられます」
そう言うと、なんともいえない困った顔をする。
「……其方、一体何が目的だ?」
警戒よりも、不信感?違うな、解釈不能?困惑した様な、表情。
警戒は、まだしている。けれど、憤りを少々押さえ込んだリカルド様が、俺にそう問う。
「其方の利益が、見えてこぬ……一体何だ?其方の行動の意味が、全く理解出来ん」
そんな風に言われて、俺も困ってしまった。
だってそれは、前にも伝えたことだからだ。
「言いましたよ。
俺はここを離れたくない。俺は俺の役割を全うしたいだけです。
自分が決めたことを、やり遂げたい。
それ以外に理由があとすれば……姫様は、王になりたいと望まれて、その能力がある。
彼の方にその夢を、失って欲しくなかった。
俺は彼の方に、お返ししきれない程の恩義があります。だから、俺の出来ることはしなければと思った。
それだけです」
姫様には沢山与えて頂いた。なら、それを返そうと思うのは道理だ。
本当なら、姫様の為に、自分を殺してでも行動するのが、忠義であるのかもしれない。
けれど俺は、それをしたくなかったし、誓約的にも出来なかった。
だから、他の手段を模索したというだけだ。
出来るだけ、誰かが苦しまずに済む方法。それを探したつもりだ。
俺にはこの案が、限界だった。
「違う!
それは望みとは言わぬ、其方、自分が何をしたか分かっておるのか⁉︎」
「無駄だ。それはな、自ら望むことをせぬ」
声を荒げたリカルド様に、その様な声が掛かった。
あ、いらっしゃる気になったのか。
応接室の扉が開く。
扉を開けたのはハイン。そして姫様と、リーカ様と、ルオード様。従者の方と武官。
実は応接室で事の成り行きを見守って頂いていた。
姫様の登場に、リカルド様らが慌てて、膝をつき、首部を垂れると、姫様は鷹揚に声を掛けた。
「リカルド、面を上げよ。
事態は承知した。
其方らは、叔父の暴走をどうこうできる立場ではなかった。それは私も理解しておる。
ハロルドのことを思えば、言い出せなかったのだな……あれは、潔い奴だしな」
「次の領主は、ハロルド以外、考えられません!
あれは、真っ直ぐ、誠実に、生きてきた。
叔父のことが明るみになれば、彼は自分の首など、差し出してしまう……!
家の者も、事態を知る者は殆どおりません。だからどうか……っ」
必死で懇願するリカルド様に、姫様は面倒臭そうに声をかける。
「私は、ヴァーリン全てを裁こうなどとは思うておらん。
まあ、知らぬのだろうな。伏せねばならなかったのだろう……。公家の闇だ……。
リカルド、白化は神の祝福ではない。これは呪いだ。其方の叔父は、そこを大きく勘違いしておるのだろう。
白い者が生まれる血筋……賢王が生まれる血筋……そういう、ことだな?」
我々の血筋も、王家に引けを取らない、気高い血筋なのだと、勘違いした……。
姫様とリカルド様が結婚し、子が出来ず、姫様が早逝すれば、王家は揺れる。
王はいるけれど、王族は滅びるという事態になる。そうしたら、白き方を差し出すのだ。相応しい方はここにいる……と。そういった筋書き。
姫様は、一つ、息を吐いた。そして為政者の顔になる。
「この病はな、正直蔓延らせたくない。好きなことを好きに出来ぬなど、つまらんよ。
私はこれを、我が子孫に残したくはない。だから、取引といこうじゃないか」
顔は上げたものの、膝をついたままのリカルド様を見下ろし、言葉を口にする。
「私は其方とは結婚しない。其方は、私を王へと推挙する。
その見返りに、私は今回のことに目を瞑る。レイシールが申した通り、その案で進むぞ。
父上には、それで納得して頂く。その折にも協力せよ。私が王となるべきなのだと、お前の口からも述べてくれ。
父上は、其方を買っておるからな」
その言葉に、は。と言葉少なに返事を返す。
横からそれを眺める俺には、リカルド様の表情が、少し、和らいだ様に見えた。
姫様は、口にしたことを無かったことにはしないだろう。
つかつかと歩いた姫様は、そのまま長椅子に座った。リーカ様がさっと、膝掛けをかける。ルオード様と武官の方が、長椅子の背後、両側を固め、従者の方も横に付き従う。
俺も、警戒を解いたサヤと共に、リカルド様の後ろ側で同じく膝をついた。
「其方の叔父殿は病だ。人前では矍鑠とされていたが、もうそれがかなり悪化しており、ここ暫くは館で、伏せっておられるのだよ。そして、そのまま、天に召されて頂こうか。
その為には……この状況を、沈黙のままに、処理しなければならない」
姫様の言葉に、一同が頷く。
少し体を緊張させたリカルド様に、俺はそっと話し掛けた。
「大丈夫、病は本当です。
心が折れてしまえば、もう、立ち上がれないでしょう。それ程には、弱ってらっしゃいますよ。
静かに場を処理してしまえば、誰にとっても、それが真実になる」
敢えて手にかけずとも良い。時間が解決してくれる。
穏便に、何も無かったことにする。
ことが上手く進めば動けるようにと、近衛の方々にも準備をして頂いている。今夜のうちに作戦を立て、明日早朝に決行すれば、誰の目にも触れず、終わるだろう。
◆
そのまま作戦会議となり、近衛のいる借家に使いが走った。
部隊の班長が呼ばれ、応接室でそのまま作戦会議が始まる。
リカルド様の部屋で眠る二人は、武器を回収され、部屋に監禁。近衛の者が見張りに立っている。起きたら驚くことだろう。
姫様の希望で、確実な叛意を確認したいとなった。
彼女なりのけじめであるのだろう。本来なら、そのまま有無を言わさず斬り捨てることも可能であるのだが、そうはしないという。
「有耶無耶のままでは野望を捨てられぬだろう?
だから、はっきりと心を折っておく。それをこの目で確認する。
これは私のけじめだ」
そう言われれば、従うしかない。
けれど、姫様の提案に、ルオード様が猛然と否を示した。
「承知など出来ません!
万が一のことがあった場合、どうされるのです⁉︎」
森の部隊を制圧する作戦に、姫様自身が同行すると言ったのだ。
リカルド様もふざけてるのか⁉︎と、ご立腹だ。
「何を言う、必要であろうが。私が立ち会わずしてどうするという。
私には武の嗜みもある。そこいらの姫と一緒にするな」
「貴女は唯一のお立場でしょう⁉︎承知出来るわけがございません!」
必死で訴えるルオード様。
姫様本人を前線に出すなど、とんでもないことだ。
二年前であれば、俺が替え玉としてその役を担えたのだけれど、いかんせん、無駄に背が伸び過ぎてもう無理だった。
嫌な予感がする……そう思っていたら。
「あの、私が代役をします」
「サヤ……」
その予感は的中した。言い出すと、思ったんだ……。
「武術の心得もございます。背格好だって似ておりますし、雨除け外套で顔も隠れます。この中では私が適任です」
「サヤ、これは、命懸けのことなんだ!姫様の代わりをするということは、何かあった時、サヤが的になるってことなんだぞ⁉︎」
必死でそう訴えたが、彼女がそれを聞くとは、思っていなかった。
「お役に立ちます。大丈夫、無理はしません」
決意した顔で、凛とそう言う。
駄目だ、サヤ一人をやるだなんて……そんなことはさせられない!
血を流す争いとなるかもしれない。
サヤが傷つくこともだが、サヤが誰かを傷つけることもだが、サヤを、血みどろの争いに巻き込みたくなかった。
彼女は強い。それは確かにそうだけど、それは武術的なことだけだ。心は、違う。
しかも彼女は無手なのだ。二十人近い武人の中に、身一つで立たせるなど、とんでもない!
誰もが武器を所持しない彼女の国で、血を流す争いは滅多に無いだろう。彼女にその覚悟をさせるのか?今までの比じゃない、殺し合いの場になるかもしれないんだ!
そんなことは、絶対に、させてはいけない!
なのに……、
「私は、自分で決めるんです。
ここに関わることを、私が決めました。
貴方がなんて言おうと、聞きません」
きっぱりとそう言われてしまった。
強い意志のこもった瞳が、俺を真っ直ぐ見据える。
「レイシール様の大切な方は、私にとってもそうです。
他に背格好の似た者はおりませんし、姫様がいらっしゃらないと困るのも事実でしょう?
なら、私は私のやれることをやります」
サヤを姫様に仕立てる為に、姫様の衣装が用意された。
細身の女性に扮するのだから、服が身体に合わないかもしれない。皆はそう心配したのだが……。
「大丈夫です。目算では入ります」
サヤはそう言い、衣装を受け取った。
リーカ様が手伝うと仰られたが、着替えは一人で行うとサヤは言った。
性別を隠さなければならないので、どうしたってそうなる。
不審そうな顔をするリカルド様だったが、ルオード様が事情があるのですと庇って下さった。
「あの……少し、サヤと話をしてきます」
姫様の衣装は背中に釦のあるものであったから、どうしたって手伝いが必要だろう。
しかし、ルーシーも帰してしまったし、手伝える者がいない。
なので仕方なく、そう言って共に、部屋を出た。
サヤの部屋で、サヤの着替えを待つ。
サヤは衣装を持って寝室へ消えた。
俺とハインは、部屋の長椅子で待機だ。
二人して無言で、ただ待った。ハインも、少々眉間にシワがよっており、怖い顔になっている。
サヤのことを心配しているのだろう……そう考えていたら、
「……レイシール様、草を、呼びましょう」
急にそう、声を掛けられてびっくりした。
獣人を嫌悪するハインは、自ら彼らと関わろうとしない。なのに、そう口にしたからだ。
「サヤのことが、心配なのでしょう?
ならば、彼らに影ながら、補佐してもらえば如何ですか。
不殺の約定がありますから、そう踏み込んだことは、出来ないと思いますが……」
それでも、多少は違うだろうと、言った。
「ああ、そうだな……ありがとう、そうしよう」
露台で笛を吹くと、近くに控えていたのか、サッと現れる。
事情を説明すると、不敵に笑った。
「ああ、やっとそれっぽい仕事だ。良いぜ、守ってやンよ」
「不殺は守るんだぞ。間違っても、先走ったことはしないでくれ」
先程、約定の穴を利用し、長老を弑して来ようとしたことを言うと、バツが悪そうにそっぽを向く。
「分かってらぁな……。で、予定は明日早朝だな?」
「ああ、知らせは……」
「笛を吹いてくれりゃ良い」
そう言ってまた闇に消える。
草のおかげで、少しだけ、塞いでいた気持ちが楽になった。
「あの、レイシール様……手を貸して頂けますか」
室内に戻ると、寝室から顔だけ覗かせたサヤが、申し訳なさそうに言う。
化粧が変わっていた。顔は極力白く見えるよう白粉がはたかれ、逆に唇は、冴えた赤色に。目元も女性らしく整えられていて、とても美しい。
「ルーシーさんに、頂いたものがあって助かりました」
真っ赤な唇を凝視していた俺に、その赤い唇を笑みの形にしたサヤが言う。
「申し訳ありません。やっぱり……どうしても背中の、真ん中あたりの釦に、手が届かなくて……」
「レイシール様、お願いします」
俺が何か言う前に、ハインがサッとそう言い、足早に長椅子まで退避してしまう。
いやまぁ……吝かではないんだが……なんか、意図を感じてしまうな……こいつ、本当は何か、察してるのか?
そう思いつつも、サヤが一番慣れているのは俺であるだろうし……と、寝室に足を向ける。
扉は開けたままにした。
俺と密室にするというのもなんかその……いけない気がしたのだ。
「申し訳ありません……三つくらい、残っているかと」
「ああ、うん。今とめるから」
衣装の間からサヤの素肌がのぞいているものだから、正直目のやり場に困る……。
とはいえ、この美しく着飾った姿で、危険な場に赴くのだと思うと、無性に不安が膨れ上がってくる……。
「……サヤはなんで、こんなことに、首を突っ込むかな……」
つい愚痴りたくなったのは、許してほしい……。
「危険だって言っても、考え直してはくれないの?」
「ええ。決めましたから。それに、危険なのは万が一の場合だけです。近衛の方々だって一緒にいますし、私は姫様として、守られているんですよ?そうそう危険なことなんて、ありませんよ」
サヤの借りた衣装は、灰色の、全身を覆い隠すものだった。
首までかっちりと詰まっていて、全体に刺繍が施された豪奢なものだ。
身体の曲線にぴったりと添い、まるでサヤの為にあつらえた様に美しい。
その身体を見ていて、ふと気付いた。
「……サヤ、痩せた?」
「あ、そうですね。私の世界にいた時より、格段に運動量が多いですから、少し痩せたか……引き締まったのかもしれません」
前、補正着を借りていた時、少し小さかったと言っていた。
その補正着は、多分姫様のもので、サヤは体に合わなかった為、腰の皮がめくれてしまったのだ。
なのに今、姫様の衣装が、問題無く着れている。
酷く、無理をさせてしまっている気がした。
サヤは学舎に通っているくらい、お嬢様なのだと思う。あれだけの知識を身につける、学びの場。
祖母と二人きりで暮らしていると言ったが、ひっくり返せば、祖母と二人で生活しつつでも、学舎に通えるゆとりがあるということだ。
出会った頃から、サヤの手足はしなやかで、指先まで綺麗だった。生活に苦労していない者の手だ。
今は……今はきっと、違う。
この美しい衣装の下に、刃物の傷まである。もし、これ以上の怪我を、彼女に負わせてしまったら……。心を傷つけるような光景を、見せてしまったら……!
そんな風に考え出してしまった時、くるりとサヤが、振り返った。
「そんな顔してる思うた」
少し怒った顔で、そう言って、俺を睨め上げる。
「私の世界の学校は、座学が多い。
乗り物が沢山あるし、速く移動できるから、それを利用することも多い。せやから、歩くこと自体が、元から少ない。
ただそれだけのことや」
ただそれだけと言う。
だけど違う。それくらい、生活が激変しているということだ。
苦しかったり、辛かったりしないのだろうか。逃げ出してしまいたくなったりしないのだろうか。俺が見ていない場所で、苦しんでいるんじゃないか。そんな不安にかられると、どうしても歯止めがきかない。
無理をさせている。そんなサヤに今度は、酷い戦場を見せることになるかもしれない。長老の出方次第……その可能性は、決して低くないのだ。
「レイ」
そんなどうしようもない俺に、サヤは微笑む。
「レイの大切なもんやろ。それ守ろうて思うんは、当たり前や。
私、レイの罰と戦うて、言うたやろ」
「それはもう、しなくていい!
俺はもう、充分得たから……もう、本当に……」
そう言うと、サヤは俺の両手を握った。
「まだや。レイはまだ何も、言うてへん」
そう言って、瞳を覗き込むようにして、見上げてきた。
「レイの口からまだ何も、欲しいって、聞いてへん。
レイ自身は何も欲しがってへん。
せやからまだ私、納得出来ひん」
これ以上、何を望めって言うんだ……?
俺の欲して良いものは、もう、充分得たと思うのだ。
後は、俺が求めてはいけないものだ。
そう思うのに、サヤは言うのだ。
「全部が全部、手に入らへんのは、仕方がない思う。
けど、望むことだけは、自由やろ?
レイは、それもしいひん。
せやから納得いかへんの」
望んでも得られない。俺にとってそれは、苦痛だ。
俺のそんな考えを読んだかの様に、サヤは言葉を続ける。
「誰にとっても、苦しい。それは、みんな同じや。
せやからいうて、望まへんかったら……何もないんやで?
苦しいても、望むことをやめたらあかん。幸せになることを望まんのは、違う。
レイが、自分の口で欲しいって、言わなあかん。
そうせえへんと、レイは一生、何も手に入らへん」
そう言うサヤの瞳は、まるで星を宿しているかの様だった。
彼女だって、色々辛い経験を重ねているのに、こんな風に前を向くのだ。
ずっと足掻き続けている、強くてしなやかな精神。
今だってそうだ。何故そうも、前を見ていられるのだろう。
だけどそれは……サヤ自身が、必死で磨いて育てた強さだ。
この娘のこの輝きを失わせたくないと、強く想った。
「お願いだ、一番安全な場所にいてくれ……」
「心配せんでも、そないなる。姫様役やで?それに、草さんも居てくれてはるんやし、滅多なことにはならへん」
そう笑って、雨除けの外套を、衣装の上から纏った。
執務室に戻ると、一同から感嘆のどよめきで迎えられた。
着替えの間に呼ばれたのか、ディート殿まで執務室に居る。
そして姫様はというと、クリスタ様の男装姿に戻っていた。
「美々しいとは思っていたが……女にしか見えぬな」
「驚いた、見事に化けたものだなぁ」
目深にかぶった頭巾で目元を隠したまま、サヤはにこりと笑って「光栄です」と、言葉少なに返す。
サヤからすれば、補正着を外し、女性の装いに戻っただけであるから、似合うのは道理だ。
「これならば問題無いな、姫様だと言い張れる」
「では、姫様は隊の後方に控えておいて下さい、サヤは中心、ディートは後方の姫様を警護、サヤは私とリカルド様で……」
ルオード様が布陣を説明し、皆は綿密に陣形についてを共有しはじめる。
それを俺は、ハインと一緒に、少し離れた場所から眺めた。
……足手纏いであるから、俺は同行出来ない。
相手の人数に対し、こちらも同数程度しか戦力が無い状況だからだ。
剣が握れないことを、これほど不甲斐無く思ったことは、今まで無かった……。
自分の身すらまともに守れない俺では、サヤを守ることなど、出来はしないのだなと、痛感させられた……。
そうしている間に、近衛部隊の準備は整った様子だ。
使いが来て、では出立だと、皆が席を立つ。
未明の暗がりの中、灰色の衣装に雨除け外套を纏ったサヤは、顔の下半分ばかりが白く浮かび上がっている様で、唇の赤さがとても鮮明だった。
ルオード様とリカルド様に挟まれていると、本当にどこかの姫君にしか見えない。
「では、行って参ります」
なんの気負いもないといった様子でそう言って、サヤは近衛部隊とともに出発していった。ディート殿と共に姫様もだ。
灰髪のかつらで男装をした姫様は、小柄であっても近衛部隊に、見事埋没している。
流石に男装を繰り返してるだけのことはある。これなら悪目立ちして正体がバレることもないだろうと、俺は進んでいく部隊を見送った。
部隊が視界から消えたのち、機を見て犬笛を吹いておく。
それで俺の出来ることは、全て終わってしまった……。
村には六人の近衛と、女中の方々だけが残っている。
俺の警護と、土嚢壁の観察。捕らえてある二人を監視しておく役。そして女性であるからだ。
ハインは仕度があるとか言って、俺を執務室に残して何処かへ行ってしまった。
なので、護衛の近衛の方と、ただ待つ時間となった。
苦手だ……この時間が、一番嫌だ。
今出て行ったばかりだというのに、もう俺は苦しくて、仕方がなかった。
サヤに何かあったらどうしよう……万が一、長老がヤケを起こし、姫様に剣を抜いたら……?こちらの動きに気付かれていて、臨戦態勢で待っていたら?野営地の周りに罠でも仕掛けてあったら?武人であるという十七人が、とんでもない手練れであったら?
怖いことしか思い浮かばない。
じっとしていられなくて、書類仕事をこなしたり、姫様たちがお帰りの際に渡す予定の書類を清書し直したり、必死で時間を使うのだが、それが終わる頃となっても、皆は戻らなかった……。
はぁ……と、重い息を吐く。
「そんなに心配なさらずとも、あの少年は大丈夫ですよ。
相当な手練れです。我々の目から見ても、それが明らかなんですよ?
更に、ルオード様やリカルド様がいらっしゃるのですから」
俺があまりに落ち着きないからか、近衛の方がそう声を掛けてきた。
何度か、護衛の任にも就かれている方だ。
心遣いは有難いが、強さを、疑っているのじゃないんだ……。
「あの子の腕を、疑っているのではないんです……。
サヤは……本当に、強いですよ。でも、まだ、幼い。人の黒い部分を、あまり知らないと思うのです……。
あの子は、人一倍優しい……。人を傷つけることになんて慣れてないんです」
本気の、命のやり取りなんて、きっと経験したことは無い。
しかも本当は、女の子なんだ。
あんな場所にやるべき子じゃ、ないんです……。
口には出せない言葉を、無理やり飲み込む。
組んだ両手を額に当てて、ひたすら祈った。
どうか無事で。サヤが傷付くことなんて、起こらないでほしい。
血なんか流れずに、終わってくれ……、お願いだから!
空が白み始めた頃になって、ようやっと俺の願いは、聞き届けられた。
コツンと窓に、小石が当たる音。
なんだろうかと視線をやると、俺だけに見える角度に立つ、草が居た。
ニヤリと笑って、指さし、消える。
慌てて立ち上がった。
「何処へ⁉︎」
「戻った様子です!」
執務室を出て、玄関扉を押し開ける。
まだ姿は見えない。少し強くなっている雨に視界が遮られている……っ。
我慢できなくなった俺は、そのまま足を進めた。
馬車用の出入り口に向かい走る。
半ばほどまで進んだ時にようやっと、一人目が視界に入った。
近衛の方!
雨除けの外套がある為、安否までは分からない。
走り寄る俺に気付いたのか、振り返って何かを言うその方の後方から、小柄な影がひょこりと覗いた。
「サヤ!」
無事だ、ああ良かった。怪我は⁉︎何一つ、問題は無かったのだろうか⁉︎
気持ちの急くままに足を進めて、出てきたサヤを、そのまま抱き竦めた。
「レイシール様、汚れます!それに、雨、濡れてしまってますよ⁉︎」
「今そういうの良いから!」
声にハリがある。
動き方にも違和感は無い。
慌てる様子も、いつも通りだ。
ああ、良かった。本当に、ちゃんと、無事で帰ってきた!
「……レイシール、そんな風にしておると、恋人との逢瀬を堪能しておる様にしか見えぬぞ」
慌てるサヤを無視して抱き締め続けていると、横合いからその様な声が掛かり、頭が現実に引き戻された。
「お、ちが、そういうのではっ、俺は純粋に心配で!」
「サヤは女装中だからなぁ。本気でその様にしか見えなかったぞ」
姫様とディート殿だ。
いつの間にやら近衛の方々にも囲まれていた。うああぁぁっ、俺の馬鹿⁉︎
慌てる俺に、後方から雨除けの外套が掛けられる。
「今更ですが、持って来てしまいましたから身につけて下さい」
冷たい声音のハインだ。
雨の中何やってんだよみたいな目で見られた。うううぅぅぅ。
「無事のご帰還、何よりです。早く館の中へどうぞ、温かい飲み物を用意致します。
今、湯屋の方も手配しますので、準備が出来次第ご利用下さい」
淡々とした口調でハインが言う。
サヤが、お手伝いします!と、走り寄ると、まずは着替えて、身仕度を整えなさいと嗜める。
指示を飛ばすふりをしながら、風呂の準備はしてありますからと言ったのが、小さく聞こえた。
ただ心配していただけの俺と違い、ハインはちゃんと、やることをやっていた……。
湯屋の準備が整うまで、近衛の方々は玄関広間と食堂を使い、寛いでもらうこととなった。
姫様は即刻リーカ様に連れていかれた。
どうも彼女の反対を押し切っていたらしい……。
湯屋の準備が済むまで、クッキーと熱いお茶がふるまわれて、数人の近衛が居ないなということに気付くと、一班がアギー領まで、長老一派を護送していったとディート殿に聞かされた。
「まあ、問題なく一件落着だ。
ここまでは、な」
「……そうですね。ここからがまあ、大変でしょうけど」
俺が言ったことはまだ何も立証されていない。
系譜が手に入り、想定と大きく違っていたらと思うと、正直恐ろしい……。
病の駆逐方法だって、サヤの世界と同じであるとは限らないのだ。
けれど、もう動いた。あとは進むだけだ。
「……なあ、レイ殿。本気で近衛にはならんのか?」
今後のことを考えていたら、急にそんな風に言われ、戸惑ってしまう。
横でディート殿が、何やら思案顔だ。
「え?そうですね。ここでやることが沢山ありますし、事業だって数年で終わらないかもしれないし、近衛になる余裕はありませんね」
「……そうだよなぁ……だが俺は、出来ればもっと、貴殿との交流が欲しいのだがなぁ」
凄く残念そうにそんなことを言われた。
なんだか少し、嬉しくなる。
「俺も、ディート殿とはもっと交流を保ちたいと思ってますよ。
学舎を辞めてから、同年代の貴族の方と触れ合う機会からも、逃げていて……それをちょっと、改める気持ちになれました」
人と関わること自体を避けていた。
得てしまえば、失くすと思っていたから……。
けれど、この人は……簡単には、そうならないと思えるから……交流を持つ気持ちを、押さえ込まなくて済んだ。
なによりも、人間性が好ましかった。出来るならば、これからも仲良くしてほしい。
そんな風に思っていたら、
「レイシール様」
リーカ様に呼ばれた。姫様が、お呼びだという。
今後のことかな?と、思い、伺いますと返事をすると、そのままご案内しますと言われた。
「えっと……」
サヤはまだ身支度の最中だ。ハインは、皆さんの世話で、忙しいよな……じゃあまあ、良いか。
「分かりました。行きます」
リーカ様に先導され、姫様の部屋に伺う。すると何故か……ルオード様と姫様が、真剣な表情で、待っていた。
何やら、嫌な予感がした。
「よく来た。では、単刀直入に聞く。
レイシール……其方、サヤの正体はなんだ。あれは、女性だな?」
……………やばい。
今回は以上です。ひどいとこで引っ張りましたね……うん。ごめんなさい。
なんとか、リカルド様のといざこざは今回で完結となりますか。いやぁ、よかったよかった。マジどうしようかと思ってた。
次週も金曜日更新を目指します。
今後も見ていただけると、大変励みになります!よろしくお願いします!




