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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第五章
129/515

綻び

 リカルド様は力が抜けた様子で、足元に視線を落としたままだった。

 なので、言葉を続ける。


「ヴァーリンの世代交代をして頂きます。御領主様は、退位が望ましいかと。

 次の領主様は、順当であればハロルド様ですよね?ならば、それで良い。

 長老様は、これからの対処となりますが、姫様の同意を得まして、拘束、蟄居でしょうか」


 ちらりと執務室の隣、応接室に視線をやりつつ、俺は考えを述べる。

 反応がないし、それで良いということなのだと思う。


「王家の方は短命である。ということについてなのですが……。

 こちらは逆に、根拠がないのです。本来ならば、寿命に影響は及ばない筈なので……。

 ですからこれは純粋に、お身体に負担を掛けすぎているのだと思うのですよね。

 姫様を王とし、その上でお守りする為に、環境も改善しなければなりません。

 俺は、王家の方がどの様な暮らしをなさっているかが分かりませんから、なんとも言えないのですが……、少なくとも、負担を減らすこと自体は、できると思います。

 姫様を王とすること……国王様にとっては、辛い選択であると思うのです……。ですが、病の駆逐の為にも、白き方である姫様自身が王となり、采配を振るうべきだ」


 ルオード様なら、間違いなく、姫様の負担を配慮した動きが出来ると思う。

 陽の光や、強すぎる灯。そういったものをある程度意識するだけでも、格段に違う筈だ。

 姫様は、あの客間を過ごしやすいと仰っていた。なら、あの部屋に施したことを、王城に取り入れれば良い。


「そんな感じで如何ですか」


 そう問うと「……白く生まれた者はどうなる」という、硬い声。

 首を傾げて、その問いの意味を暫く考えた。……?特に問題は、無い様に思う。


「どうもなにも……ただ王家の方と同じ病に罹患されているだけです。

 王家の白を根絶することを目指すからには、なんの害もない。

 それは特に、問題視されないと思いますよ?」


 そう答えた俺に、リカルド様は面食らった顔で、俺を見る。

 口封じとか、監禁とか、そういった手段を選ぶと思われていたのかな?

 だが、言ったまま、その通りの意味で、白く生まれたことにはなんの意味もない。


「それよりも、これからが大変です。

 尊き白と言われるあれを、病だと公表しなければならない。

 国は揺らぎますよ。特別な象徴であっただけに。

 リカルド様には、その問題への対処をお願いしたいのです。

 姫様を、お守り頂けませんか……。エレスティーナ様の遺言には背くことになるかもしれませんが……本当の意味で姫様をお守りする、正しい形なのではないかと、俺は思うのです」


 エレスティーナ様が、姫様の願いを知っていたならば、そんなご遺言は残さないのではと思うのだ。

 たった14年で終わってしまった、儚い方。まだ子供であったのだ……。大切な妹を守る為に、思いつくことを必死で仰っただけなのかもしれない。


「斑の病も、あれは、陽の光の毒が及ぼすものですので、人から飛び火は致しません。

 ですから、病自体をどうこうするなんてことは出来ませんが、親族と触れ合うことすら禁ずる必要は、なくなる。

 病の方を、一人で逝かせるなんてことは、今後、せずとも良いと思います……」


 エレスティーナ様には救いであったろう。リカルド様が最後を、共に迎えてくれたことは。

 だけど……それをたった一人で見送ったリカルド様は、どれほど苦しかったろう……?

 リカルド様とて、当時は幼かったのだ。なのに、それをたった一人で、今日まで背負ってこられた。

 それを考えると、胸が苦しくなる。離別の苦しみは、今後俺に訪れるものだ。人ごとなんかじゃない……。

 そんな風に思うと、なんだかたまらなくなった。


「……今日まで、よくぞ、耐えてらっしゃいました。

 俺みたいな者に、こんなこと言われてもとは思うのですが……その……。

 もう、苦しまないで、頂きたいのです。

 先程は、王家の滅びに加担しているなどと言いましたこと……謝罪します。

 貴方が悪いのではない……習慣の連鎖が、それを招いただけだ。

 リカルド様は、本当に、王家の盾であられます」


 そう言うと、なんともいえない困った顔をする。


「……其方、一体何が目的だ?」


 警戒よりも、不信感?違うな、解釈不能?困惑した様な、表情。

 警戒は、まだしている。けれど、憤りを少々押さえ込んだリカルド様が、俺にそう問う。


「其方の利益が、見えてこぬ……一体何だ?其方の行動の意味が、全く理解出来ん」


 そんな風に言われて、俺も困ってしまった。

 だってそれは、前にも伝えたことだからだ。


「言いましたよ。

 俺はここを離れたくない。俺は俺の役割を全うしたいだけです。

 自分が決めたことを、やり遂げたい。

 それ以外に理由があとすれば……姫様は、王になりたいと望まれて、その能力がある。

 彼の方にその夢を、失って欲しくなかった。

 俺は彼の方に、お返ししきれない程の恩義があります。だから、俺の出来ることはしなければと思った。

 それだけです」


 姫様には沢山与えて頂いた。なら、それを返そうと思うのは道理だ。

 本当なら、姫様の為に、自分を殺してでも行動するのが、忠義であるのかもしれない。

 けれど俺は、それをしたくなかったし、誓約的にも出来なかった。

 だから、他の手段を模索したというだけだ。

 出来るだけ、誰かが苦しまずに済む方法。それを探したつもりだ。

 俺にはこの案が、限界だった。


「違う!

 それは望みとは言わぬ、其方、自分が何をしたか分かっておるのか⁉︎」

「無駄だ。それはな、自ら望むことをせぬ」


 声を荒げたリカルド様に、その様な声が掛かった。

 あ、いらっしゃる気になったのか。

 応接室の扉が開く。

 扉を開けたのはハイン。そして姫様と、リーカ様と、ルオード様。従者の方と武官。

 実は応接室で事の成り行きを見守って頂いていた。

 姫様の登場に、リカルド様らが慌てて、膝をつき、首部を垂れると、姫様は鷹揚に声を掛けた。


「リカルド、面を上げよ。

 事態は承知した。

 其方らは、叔父の暴走をどうこうできる立場ではなかった。それは私も理解しておる。

 ハロルドのことを思えば、言い出せなかったのだな……あれは、潔い奴だしな」

「次の領主は、ハロルド以外、考えられません!

 あれは、真っ直ぐ、誠実に、生きてきた。

 叔父のことが明るみになれば、彼は自分の首など、差し出してしまう……!

 家の者も、事態を知る者は殆どおりません。だからどうか……っ」


 必死で懇願するリカルド様に、姫様は面倒臭そうに声をかける。


「私は、ヴァーリン全てを裁こうなどとは思うておらん。

 まあ、知らぬのだろうな。伏せねばならなかったのだろう……。公家の闇だ……。

 リカルド、白化は神の祝福ではない。これは呪いだ。其方の叔父は、そこを大きく勘違いしておるのだろう。

 白い者が生まれる血筋……賢王が生まれる血筋……そういう、ことだな?」


 我々の血筋も、王家に引けを取らない、気高い血筋なのだと、勘違いした……。

 姫様とリカルド様が結婚し、子が出来ず、姫様が早逝すれば、王家は揺れる。

 王はいるけれど、王族は滅びるという事態になる。そうしたら、白き方を差し出すのだ。相応しい方はここにいる……と。そういった筋書き。

 姫様は、一つ、息を吐いた。そして為政者の顔になる。


「この病はな、正直蔓延らせたくない。好きなことを好きに出来ぬなど、つまらんよ。

 私はこれを、我が子孫に残したくはない。だから、取引といこうじゃないか」


 顔は上げたものの、膝をついたままのリカルド様を見下ろし、言葉を口にする。


「私は其方とは結婚しない。其方は、私を王へと推挙する。

 その見返りに、私は今回のことに目を瞑る。レイシールが申した通り、その案で進むぞ。

 父上には、それで納得して頂く。その折にも協力せよ。私が王となるべきなのだと、お前の口からも述べてくれ。

 父上は、其方を買っておるからな」


 その言葉に、は。と言葉少なに返事を返す。

 横からそれを眺める俺には、リカルド様の表情が、少し、和らいだ様に見えた。

 姫様は、口にしたことを無かったことにはしないだろう。


 つかつかと歩いた姫様は、そのまま長椅子に座った。リーカ様がさっと、膝掛けをかける。ルオード様と武官の方が、長椅子の背後、両側を固め、従者の方も横に付き従う。

 俺も、警戒を解いたサヤと共に、リカルド様の後ろ側で同じく膝をついた。


「其方の叔父殿は病だ。人前では矍鑠とされていたが、もうそれがかなり悪化しており、ここ暫くは館で、伏せっておられるのだよ。そして、そのまま、天に召されて頂こうか。

 その為には……この状況を、沈黙のままに、処理しなければならない」


 姫様の言葉に、一同が頷く。

 少し体を緊張させたリカルド様に、俺はそっと話し掛けた。


「大丈夫、病は本当です。

 心が折れてしまえば、もう、立ち上がれないでしょう。それ程には、弱ってらっしゃいますよ。

 静かに場を処理してしまえば、誰にとっても、それが真実になる」


 敢えて手にかけずとも良い。時間が解決してくれる。

 穏便に、何も無かったことにする。

 ことが上手く進めば動けるようにと、近衛の方々にも準備をして頂いている。今夜のうちに作戦を立て、明日早朝に決行すれば、誰の目にも触れず、終わるだろう。



 ◆



 そのまま作戦会議となり、近衛のいる借家に使いが走った。

 部隊の班長が呼ばれ、応接室でそのまま作戦会議が始まる。

 リカルド様の部屋で眠る二人は、武器を回収され、部屋に監禁。近衛の者が見張りに立っている。起きたら驚くことだろう。


 姫様の希望で、確実な叛意を確認したいとなった。

 彼女なりのけじめであるのだろう。本来なら、そのまま有無を言わさず斬り捨てることも可能であるのだが、そうはしないという。


「有耶無耶のままでは野望を捨てられぬだろう?

 だから、はっきりと心を折っておく。それをこの目で確認する。

 これは私のけじめだ」


 そう言われれば、従うしかない。

 けれど、姫様の提案に、ルオード様が猛然と否を示した。


「承知など出来ません!

 万が一のことがあった場合、どうされるのです⁉︎」


 森の部隊を制圧する作戦に、姫様自身が同行すると言ったのだ。

 リカルド様もふざけてるのか⁉︎と、ご立腹だ。


「何を言う、必要であろうが。私が立ち会わずしてどうするという。

 私には武の嗜みもある。そこいらの姫と一緒にするな」

「貴女は唯一のお立場でしょう⁉︎承知出来るわけがございません!」


 必死で訴えるルオード様。

 姫様本人を前線に出すなど、とんでもないことだ。

 二年前であれば、俺が替え玉としてその役を担えたのだけれど、いかんせん、無駄に背が伸び過ぎてもう無理だった。

 嫌な予感がする……そう思っていたら。


「あの、私が代役をします」

「サヤ……」


 その予感は的中した。言い出すと、思ったんだ……。


「武術の心得もございます。背格好だって似ておりますし、雨除け外套で顔も隠れます。この中では私が適任です」

「サヤ、これは、命懸けのことなんだ!姫様の代わりをするということは、何かあった時、サヤが的になるってことなんだぞ⁉︎」


 必死でそう訴えたが、彼女がそれを聞くとは、思っていなかった。


「お役に立ちます。大丈夫、無理はしません」


 決意した顔で、凛とそう言う。

 駄目だ、サヤ一人をやるだなんて……そんなことはさせられない!

 

 血を流す争いとなるかもしれない。

 サヤが傷つくこともだが、サヤが誰かを傷つけることもだが、サヤを、血みどろの争いに巻き込みたくなかった。

 彼女は強い。それは確かにそうだけど、それは武術的なことだけだ。心は、違う。

 しかも彼女は無手なのだ。二十人近い武人の中に、身一つで立たせるなど、とんでもない!

 誰もが武器を所持しない彼女の国で、血を流す争いは滅多に無いだろう。彼女にその覚悟をさせるのか?今までの比じゃない、殺し合いの場になるかもしれないんだ!

 そんなことは、絶対に、させてはいけない!

 なのに……、


「私は、自分で決めるんです。

 ここに関わることを、私が決めました。

 貴方がなんて言おうと、聞きません」


 きっぱりとそう言われてしまった。

 強い意志のこもった瞳が、俺を真っ直ぐ見据える。


「レイシール様の大切な方は、私にとってもそうです。

 他に背格好の似た者はおりませんし、姫様がいらっしゃらないと困るのも事実でしょう?

 なら、私は私のやれることをやります」


 サヤを姫様に仕立てる為に、姫様の衣装が用意された。

 細身の女性に扮するのだから、服が身体に合わないかもしれない。皆はそう心配したのだが……。


「大丈夫です。目算では入ります」


 サヤはそう言い、衣装を受け取った。

 リーカ様が手伝うと仰られたが、着替えは一人で行うとサヤは言った。

 性別を隠さなければならないので、どうしたってそうなる。

 不審そうな顔をするリカルド様だったが、ルオード様が事情があるのですと庇って下さった。


「あの……少し、サヤと話をしてきます」


 姫様の衣装は背中に釦のあるものであったから、どうしたって手伝いが必要だろう。

 しかし、ルーシーも帰してしまったし、手伝える者がいない。

 なので仕方なく、そう言って共に、部屋を出た。


 サヤの部屋で、サヤの着替えを待つ。

 サヤは衣装を持って寝室へ消えた。

 俺とハインは、部屋の長椅子で待機だ。

 二人して無言で、ただ待った。ハインも、少々眉間にシワがよっており、怖い顔になっている。

 サヤのことを心配しているのだろう……そう考えていたら、


「……レイシール様、草を、呼びましょう」


 急にそう、声を掛けられてびっくりした。

 獣人を嫌悪するハインは、自ら彼らと関わろうとしない。なのに、そう口にしたからだ。


「サヤのことが、心配なのでしょう?

 ならば、彼らに影ながら、補佐してもらえば如何ですか。

 不殺の約定がありますから、そう踏み込んだことは、出来ないと思いますが……」


 それでも、多少は違うだろうと、言った。


「ああ、そうだな……ありがとう、そうしよう」


 露台で笛を吹くと、近くに控えていたのか、サッと現れる。

 事情を説明すると、不敵に笑った。


「ああ、やっとそれっぽい仕事だ。良いぜ、守ってやンよ」

「不殺は守るんだぞ。間違っても、先走ったことはしないでくれ」


 先程、約定の穴を利用し、長老を弑して来ようとしたことを言うと、バツが悪そうにそっぽを向く。


「分かってらぁな……。で、予定は明日早朝だな?」

「ああ、知らせは……」

「笛を吹いてくれりゃ良い」


 そう言ってまた闇に消える。

 草のおかげで、少しだけ、塞いでいた気持ちが楽になった。


「あの、レイシール様……手を貸して頂けますか」


 室内に戻ると、寝室から顔だけ覗かせたサヤが、申し訳なさそうに言う。

 化粧が変わっていた。顔は極力白く見えるよう白粉がはたかれ、逆に唇は、冴えた赤色に。目元も女性らしく整えられていて、とても美しい。


「ルーシーさんに、頂いたものがあって助かりました」


 真っ赤な唇を凝視していた俺に、その赤い唇を笑みの形にしたサヤが言う。


「申し訳ありません。やっぱり……どうしても背中の、真ん中あたりの釦に、手が届かなくて……」

「レイシール様、お願いします」


 俺が何か言う前に、ハインがサッとそう言い、足早に長椅子まで退避してしまう。

 いやまぁ……吝かではないんだが……なんか、意図を感じてしまうな……こいつ、本当は何か、察してるのか?

 そう思いつつも、サヤが一番慣れているのは俺であるだろうし……と、寝室に足を向ける。

 扉は開けたままにした。

 俺と密室にするというのもなんかその……いけない気がしたのだ。


「申し訳ありません……三つくらい、残っているかと」

「ああ、うん。今とめるから」


 衣装の間からサヤの素肌がのぞいているものだから、正直目のやり場に困る……。

 とはいえ、この美しく着飾った姿で、危険な場に赴くのだと思うと、無性に不安が膨れ上がってくる……。


「……サヤはなんで、こんなことに、首を突っ込むかな……」


 つい愚痴りたくなったのは、許してほしい……。


「危険だって言っても、考え直してはくれないの?」

「ええ。決めましたから。それに、危険なのは万が一の場合だけです。近衛の方々だって一緒にいますし、私は姫様として、守られているんですよ?そうそう危険なことなんて、ありませんよ」


 サヤの借りた衣装は、灰色の、全身を覆い隠すものだった。

 首までかっちりと詰まっていて、全体に刺繍が施された豪奢なものだ。

 身体の曲線にぴったりと添い、まるでサヤの為にあつらえた様に美しい。

 その身体を見ていて、ふと気付いた。


「……サヤ、痩せた?」

「あ、そうですね。私の世界にいた時より、格段に運動量が多いですから、少し痩せたか……引き締まったのかもしれません」


 前、補正着を借りていた時、少し小さかったと言っていた。

 その補正着は、多分姫様のもので、サヤは体に合わなかった為、腰の皮がめくれてしまったのだ。

 なのに今、姫様の衣装が、問題無く着れている。


 酷く、無理をさせてしまっている気がした。

 サヤは学舎に通っているくらい、お嬢様なのだと思う。あれだけの知識を身につける、学びの場。

 祖母と二人きりで暮らしていると言ったが、ひっくり返せば、祖母と二人で生活しつつでも、学舎に通えるゆとりがあるということだ。

 出会った頃から、サヤの手足はしなやかで、指先まで綺麗だった。生活に苦労していない者の手だ。

 今は……今はきっと、違う。

 この美しい衣装の下に、刃物の傷まである。もし、これ以上の怪我を、彼女に負わせてしまったら……。心を傷つけるような光景を、見せてしまったら……!


 そんな風に考え出してしまった時、くるりとサヤが、振り返った。


「そんな顔してる思うた」


 少し怒った顔で、そう言って、俺を睨め上げる。


「私の世界の学校は、座学が多い。

 乗り物が沢山あるし、速く移動できるから、それを利用することも多い。せやから、歩くこと自体が、元から少ない。

 ただそれだけのことや」


 ただそれだけと言う。

 だけど違う。それくらい、生活が激変しているということだ。

 苦しかったり、辛かったりしないのだろうか。逃げ出してしまいたくなったりしないのだろうか。俺が見ていない場所で、苦しんでいるんじゃないか。そんな不安にかられると、どうしても歯止めがきかない。

 無理をさせている。そんなサヤに今度は、酷い戦場を見せることになるかもしれない。長老の出方次第……その可能性は、決して低くないのだ。


「レイ」


 そんなどうしようもない俺に、サヤは微笑む。


「レイの大切なもんやろ。それ守ろうて思うんは、当たり前や。

 私、レイの罰と戦うて、言うたやろ」

「それはもう、しなくていい!

 俺はもう、充分得たから……もう、本当に……」


 そう言うと、サヤは俺の両手を握った。


「まだや。レイはまだ何も、言うてへん」


 そう言って、瞳を覗き込むようにして、見上げてきた。


「レイの口からまだ何も、欲しいって、聞いてへん。

 レイ自身は何も欲しがってへん。

 せやからまだ私、納得出来ひん」


 これ以上、何を望めって言うんだ……?

 俺の欲して良いものは、もう、充分得たと思うのだ。

 後は、俺が求めてはいけないものだ。

 そう思うのに、サヤは言うのだ。


「全部が全部、手に入らへんのは、仕方がない思う。

 けど、望むことだけは、自由やろ?

 レイは、それもしいひん。

 せやから納得いかへんの」


 望んでも得られない。俺にとってそれは、苦痛だ。

 俺のそんな考えを読んだかの様に、サヤは言葉を続ける。


「誰にとっても、苦しい。それは、みんな同じや。

 せやからいうて、望まへんかったら……何もないんやで?

 苦しいても、望むことをやめたらあかん。幸せになることを望まんのは、違う。

 レイが、自分の口で欲しいって、言わなあかん。

 そうせえへんと、レイは一生、何も手に入らへん」


 そう言うサヤの瞳は、まるで星を宿しているかの様だった。

 彼女だって、色々辛い経験を重ねているのに、こんな風に前を向くのだ。

 ずっと足掻き続けている、強くてしなやかな精神。

 今だってそうだ。何故そうも、前を見ていられるのだろう。

 だけどそれは……サヤ自身が、必死で磨いて育てた強さだ。

 この娘のこの輝きを失わせたくないと、強く想った。


「お願いだ、一番安全な場所にいてくれ……」

「心配せんでも、そないなる。姫様役やで?それに、草さんも居てくれてはるんやし、滅多なことにはならへん」


 そう笑って、雨除けの外套を、衣装の上から纏った。


 執務室に戻ると、一同から感嘆のどよめきで迎えられた。

 着替えの間に呼ばれたのか、ディート殿まで執務室に居る。

 そして姫様はというと、クリスタ様の男装姿に戻っていた。


「美々しいとは思っていたが……女にしか見えぬな」

「驚いた、見事に化けたものだなぁ」


 目深にかぶった頭巾で目元を隠したまま、サヤはにこりと笑って「光栄です」と、言葉少なに返す。

 サヤからすれば、補正着を外し、女性の装いに戻っただけであるから、似合うのは道理だ。


「これならば問題無いな、姫様だと言い張れる」

「では、姫様は隊の後方に控えておいて下さい、サヤは中心、ディートは後方の姫様を警護、サヤは私とリカルド様で……」


 ルオード様が布陣を説明し、皆は綿密に陣形についてを共有しはじめる。

 それを俺は、ハインと一緒に、少し離れた場所から眺めた。


 ……足手纏いであるから、俺は同行出来ない。

 相手の人数に対し、こちらも同数程度しか戦力が無い状況だからだ。

 剣が握れないことを、これほど不甲斐無く思ったことは、今まで無かった……。

 自分の身すらまともに守れない俺では、サヤを守ることなど、出来はしないのだなと、痛感させられた……。

 そうしている間に、近衛部隊の準備は整った様子だ。

 使いが来て、では出立だと、皆が席を立つ。


 未明の暗がりの中、灰色の衣装に雨除け外套を纏ったサヤは、顔の下半分ばかりが白く浮かび上がっている様で、唇の赤さがとても鮮明だった。

 ルオード様とリカルド様に挟まれていると、本当にどこかの姫君にしか見えない。


「では、行って参ります」


 なんの気負いもないといった様子でそう言って、サヤは近衛部隊とともに出発していった。ディート殿と共に姫様もだ。

 灰髪のかつらで男装をした姫様は、小柄であっても近衛部隊に、見事埋没している。

 流石に男装を繰り返してるだけのことはある。これなら悪目立ちして正体がバレることもないだろうと、俺は進んでいく部隊を見送った。

 部隊が視界から消えたのち、機を見て犬笛を吹いておく。

 それで俺の出来ることは、全て終わってしまった……。


 村には六人の近衛と、女中の方々だけが残っている。

 俺の警護と、土嚢壁の観察。捕らえてある二人を監視しておく役。そして女性であるからだ。

 ハインは仕度があるとか言って、俺を執務室に残して何処かへ行ってしまった。

 なので、護衛の近衛の方と、ただ待つ時間となった。


 苦手だ……この時間が、一番嫌だ。

 今出て行ったばかりだというのに、もう俺は苦しくて、仕方がなかった。

 サヤに何かあったらどうしよう……万が一、長老がヤケを起こし、姫様に剣を抜いたら……?こちらの動きに気付かれていて、臨戦態勢で待っていたら?野営地の周りに罠でも仕掛けてあったら?武人であるという十七人が、とんでもない手練れであったら?

 怖いことしか思い浮かばない。

 じっとしていられなくて、書類仕事をこなしたり、姫様たちがお帰りの際に渡す予定の書類を清書し直したり、必死で時間を使うのだが、それが終わる頃となっても、皆は戻らなかった……。

 はぁ……と、重い息を吐く。


「そんなに心配なさらずとも、あの少年は大丈夫ですよ。

 相当な手練れです。我々の目から見ても、それが明らかなんですよ?

 更に、ルオード様やリカルド様がいらっしゃるのですから」


 俺があまりに落ち着きないからか、近衛の方がそう声を掛けてきた。

 何度か、護衛の任にも就かれている方だ。

 心遣いは有難いが、強さを、疑っているのじゃないんだ……。


「あの子の腕を、疑っているのではないんです……。

 サヤは……本当に、強いですよ。でも、まだ、幼い。人の黒い部分を、あまり知らないと思うのです……。

 あの子は、人一倍優しい……。人を傷つけることになんて慣れてないんです」


 本気の、命のやり取りなんて、きっと経験したことは無い。

 しかも本当は、女の子なんだ。

 あんな場所にやるべき子じゃ、ないんです……。


 口には出せない言葉を、無理やり飲み込む。

 組んだ両手を額に当てて、ひたすら祈った。

 どうか無事で。サヤが傷付くことなんて、起こらないでほしい。

 血なんか流れずに、終わってくれ……、お願いだから!


 空が白み始めた頃になって、ようやっと俺の願いは、聞き届けられた。

 コツンと窓に、小石が当たる音。

 なんだろうかと視線をやると、俺だけに見える角度に立つ、草が居た。

 ニヤリと笑って、指さし、消える。

 慌てて立ち上がった。


「何処へ⁉︎」

「戻った様子です!」


 執務室を出て、玄関扉を押し開ける。

 まだ姿は見えない。少し強くなっている雨に視界が遮られている……っ。

 我慢できなくなった俺は、そのまま足を進めた。

 馬車用の出入り口に向かい走る。

 半ばほどまで進んだ時にようやっと、一人目が視界に入った。

 近衛の方!

 雨除けの外套がある為、安否までは分からない。

 走り寄る俺に気付いたのか、振り返って何かを言うその方の後方から、小柄な影がひょこりと覗いた。


「サヤ!」


 無事だ、ああ良かった。怪我は⁉︎何一つ、問題は無かったのだろうか⁉︎

 気持ちの急くままに足を進めて、出てきたサヤを、そのまま抱き竦めた。


「レイシール様、汚れます!それに、雨、濡れてしまってますよ⁉︎」

「今そういうの良いから!」


 声にハリがある。

 動き方にも違和感は無い。

 慌てる様子も、いつも通りだ。

 ああ、良かった。本当に、ちゃんと、無事で帰ってきた!


「……レイシール、そんな風にしておると、恋人との逢瀬を堪能しておる様にしか見えぬぞ」


 慌てるサヤを無視して抱き締め続けていると、横合いからその様な声が掛かり、頭が現実に引き戻された。


「お、ちが、そういうのではっ、俺は純粋に心配で!」

「サヤは女装中だからなぁ。本気でその様にしか見えなかったぞ」


 姫様とディート殿だ。

 いつの間にやら近衛の方々にも囲まれていた。うああぁぁっ、俺の馬鹿⁉︎

 慌てる俺に、後方から雨除けの外套が掛けられる。


「今更ですが、持って来てしまいましたから身につけて下さい」


 冷たい声音のハインだ。

 雨の中何やってんだよみたいな目で見られた。うううぅぅぅ。


「無事のご帰還、何よりです。早く館の中へどうぞ、温かい飲み物を用意致します。

 今、湯屋の方も手配しますので、準備が出来次第ご利用下さい」


 淡々とした口調でハインが言う。

 サヤが、お手伝いします!と、走り寄ると、まずは着替えて、身仕度を整えなさいと嗜める。

 指示を飛ばすふりをしながら、風呂の準備はしてありますからと言ったのが、小さく聞こえた。

 ただ心配していただけの俺と違い、ハインはちゃんと、やることをやっていた……。


 湯屋の準備が整うまで、近衛の方々は玄関広間と食堂を使い、寛いでもらうこととなった。

 姫様は即刻リーカ様に連れていかれた。

 どうも彼女の反対を押し切っていたらしい……。

 湯屋の準備が済むまで、クッキーと熱いお茶がふるまわれて、数人の近衛が居ないなということに気付くと、一班がアギー領まで、長老一派を護送していったとディート殿に聞かされた。


「まあ、問題なく一件落着だ。

 ここまでは、な」

「……そうですね。ここからがまあ、大変でしょうけど」


 俺が言ったことはまだ何も立証されていない。

 系譜が手に入り、想定と大きく違っていたらと思うと、正直恐ろしい……。

 病の駆逐方法だって、サヤの世界と同じであるとは限らないのだ。

 けれど、もう動いた。あとは進むだけだ。


「……なあ、レイ殿。本気で近衛にはならんのか?」


 今後のことを考えていたら、急にそんな風に言われ、戸惑ってしまう。

 横でディート殿が、何やら思案顔だ。


「え?そうですね。ここでやることが沢山ありますし、事業だって数年で終わらないかもしれないし、近衛になる余裕はありませんね」

「……そうだよなぁ……だが俺は、出来ればもっと、貴殿との交流が欲しいのだがなぁ」


 凄く残念そうにそんなことを言われた。

 なんだか少し、嬉しくなる。


「俺も、ディート殿とはもっと交流を保ちたいと思ってますよ。

 学舎を辞めてから、同年代の貴族の方と触れ合う機会からも、逃げていて……それをちょっと、改める気持ちになれました」


 人と関わること自体を避けていた。

 得てしまえば、失くすと思っていたから……。

 けれど、この人は……簡単には、そうならないと思えるから……交流を持つ気持ちを、押さえ込まなくて済んだ。

 なによりも、人間性が好ましかった。出来るならば、これからも仲良くしてほしい。


 そんな風に思っていたら、


「レイシール様」


 リーカ様に呼ばれた。姫様が、お呼びだという。

 今後のことかな?と、思い、伺いますと返事をすると、そのままご案内しますと言われた。


「えっと……」


 サヤはまだ身支度の最中だ。ハインは、皆さんの世話で、忙しいよな……じゃあまあ、良いか。


「分かりました。行きます」


 リーカ様に先導され、姫様の部屋に伺う。すると何故か……ルオード様と姫様が、真剣な表情で、待っていた。

 何やら、嫌な予感がした。


「よく来た。では、単刀直入に聞く。

 レイシール……其方、サヤの正体はなんだ。あれは、女性だな?」


 ……………やばい。

今回は以上です。ひどいとこで引っ張りましたね……うん。ごめんなさい。

なんとか、リカルド様のといざこざは今回で完結となりますか。いやぁ、よかったよかった。マジどうしようかと思ってた。

次週も金曜日更新を目指します。

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