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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第五章
124/515

布石

 リカルド様がお越しになるまでに、なんとか顔の火照りは治まった。

 ふやけている場合じゃない。と、気合いを入れ、現れたリカルド様に右手を差し出す。


「今日はよろしくお願いします」


 握手を交わす。薬指が動かしにくい為、少々不恰好な握手だ。

 それでも一応は、手を握ってもらえた。


「今日は歩きです。現場に向かう途中に、川から土嚢壁の内側が見えますので」


 緩やかな坂道を下り、村の中心を突っ切ってから、橋を渡る。

 そうすると見えるのが、急角度で蛇行する川縁と、道を挟み、畑の上を長く続く袋の列。

 木の杭に板を当てがい、その板を杭に押し付ける形で土嚢が積まれている。釘は一切、使用していない。

 サヤによると、板を杭に打ち付けること自体に、意味が無いという。というか、逆効果だそうだ。板にも杭にも傷が入る。それはそれぞれの強度を落とすだけだと言った。

 更に、水を吸った木は膨れる。膨張すれば、勝手に強度が増すらしい。


「土嚢が板を押さえるのですから、釘は不要です。

 それに、川から畑の方向にしか負荷はかかりません。杭と板は土嚢を守り、土嚢は杭と板を支え、水が補強する様な感じでしょうか……お互いの役割はお互いが補佐しているというか……。だから、これで良い……はずです」


 学校での課題研究で、実際に土嚢を利用する職の者……発掘調査員とやらに取材したのだと、そう教えてくれたのだ。


「この壁が、砂入りの袋か」

「ええ、見たまんまでしょう?」


 俺たちの身長よりも高い、袋の山。

 それが、きっちりと方向、大きさを揃え、延々と続く様は、城壁に等しい。

 この袋の山が、若干弓なりの傾斜となり、整然と積み上がっている。そのうちの一部に、段が作られており、これは上部に上がる為の階段だ。


「……これを、どれ程で作り上げただと?」

「半月程です」


 見上げるリカルド様は口を半開きにし、目を輝かせている。なんか、思っていた以上の好感触だ。

 配下の三名すら、圧倒されてしまい、リカルド様に注意を払うことすら忘れている。


「何故、川から離して作られている?」

「氾濫した川からの圧力を分散させる為ですね。

 川幅が広がることで、勢いが弱まります。それにより、土嚢壁に掛かる圧が下がる。あと、根元の地面が抉れて決壊する可能性を下げています。川縁ですと、結構な圧がかかりまして、岩でも削りますから」


 渡した資料にも書かれていたことではあるけれど、文字や絵で見るのと、実際に見るのとでは、印象が違うのだろう。


「土嚢壁に使われた麻袋は麦用の規格で統一されています。そうしなければ大きさが揃いませんからね。

 同じ大きさの袋に、同じ量の土。規格を揃えることで、どこかに圧が集中するのを防いでいます。形や並べ方自体にも、ちゃんと意味があるんですよ」


 雨季が終われば、この土嚢壁の内側にも、土嚢壁の続きが築かれる。傾斜をつけ、川側は表面を石む板で補強する。他は土で舗装し、上部には道を、傾斜の外側部分には、根を張る種類の草を植え、補強するのだという。

 雑草まで利用する。これは地滑りを防ぐ良い手段であるらしい。出来ることならば、ハーブも植えたいですね。食べられますから。と、サヤは言っていたが……。


「どうした?」


 急に笑い出した俺に、リカルド殿が訝しげに問う。

 いや、失礼。川の氾濫をどうこうすることで必死になっているのに、食べられるからという理由で、ハーブを植えたいとか言われたんだなと。

 それを思い出したら、生活力あるなぁと、感心する反面、妙に可愛く感じてしまったのだ。


「いえ、当時の大変さを少し、思い出しまして……はじめは全然、揃ってなかったなぁと。

 土嚢壁を作る前段階として、休憩用の小屋をね、各班ごとに競って作って……そこで規格を揃えることや、積み方の意味を理解してもらいました。

 最終的には……歪んでいると気持ち悪く感じるらしくて……何を言わずとも、この様な形になった。短期間で、素晴らしい上達ぶりでしたよ」


 土嚢を作る為に、丘一つを半ば切り崩した。そこは今、更地になってしまっている。

 山一つを切り崩し、そこに都市を築き上げたサヤの国には遠く及ばないが、更地の活用法として、宿舎を作ろうかと検討している。

 この丘は今後の工事で、全て土嚢にされる予定だ。

 均一な土嚢をつくるには「研修」が必要不可欠だ。ここで確かな技能を身につけてもらい、その技能に沿って給金に色をつける。そうしてから現場に派遣する……。そんな形を今、検討中だった。

 能力に見合った給金。そして、努力次第で更に上が目指せるのだ。

 まずはセイバーン周辺から工事が始まる。今まで通り集会場を利用していたのでは不都合だし、収容できる人数も少ない。セイバーンの宿泊施設といえば借家だが、それでは追いつかないし、管理にも困る。

 また、急を要した氾濫対策ではぶっ通しの作業となり、結構過酷であったから、時間に追われないこれからは、十日内に一日くらいの配分で、休日を設けるという話も出ていた。


「触れて頂いても構いませんよ。納得出来た様であれば、土嚢作りを体験してみませんか。

 今日の雨なら、そうやりにくくもないでしょう」


 嫌そうな顔をする配下の方々のうち、騎士である様子の一人だけは、俄然乗り気だ。残り二人を騎士ではないと思った理由は、動作の機敏さにある。

 ヴァーリン家の関係者は、体格の良い者が多い。剣ともう一つ、なにがしかの武器を免許皆伝しなければならないらしい。武官、文官、関係なしにだ。

 だが皆伝など、そうそう得られるものではない為、文官には日々の鍛錬を日課として続けている者が多い。だから、総じて体格が良い。

 つまり、体格ががっしりしていても、職務として剣を行なっている者とは意識が違う。

 自身が武官ではないという認識がある為か、周りへの警戒の仕方、動作に無駄が多かった。


 ……とはいえ、俺は武官って持ったことないからなぁ。

 シザーの動きだったり、ディート殿や姫様の武官を見てた印象からの判断なんだけど。


「土嚢作りは二人一組で作るのが基本となります。

 片方が袋を持ち、片方が土を入れる。けれどこれでは効率が悪いので、この木枠を袋にはめて、一人作業にしています。擦り切れいっぱいまで。それが土の分量となります。

 入れ終わったら、袋の口を紐で縛り、その口を更にもうひと折りして縛ります。これで土嚢は完成。簡単でしょう?

 行軍時には木枠が無いでしょうから、初めから袋に線など引いて、土を入れる分量の目安をつけておくのが良いでしょう」


 あまりやる気のない二人には木枠無し、

 騎士風の一人には木枠ありで、十個程作ってもらう。リカルド様もやりたそうな雰囲気であったけれど、今は堪えるらしい。

 やって貰えば分かる……。これが結構重労働であるということは。

 円匙(えんし)(シャベル)を地面に突き刺し、土を掘り起こして持ち上げ、袋に入れる。それだけのことなのだが。

 舐めてかかっていたようで、五袋作るまでに息は上がっていた。


「本来は十人で一つの組を作って作業しております。

 五人が土の掘り起こし、三人が土嚢作り、二人が荷車に積み込みます。

 積み込みは休憩を兼ねておりまして、掘るなり、作るなりで疲れた者と交代しつつ、作業を続けます。

 上手い班はその入れ替えがとても上手でしたね。極力全体休憩を作らず、いかに休憩を取り入れるか。誰がどの作業にどれくらい耐えられるかを把握する必要がある。

 今回は、土を入れるのではなく、地面を掘りながらですから、辛いでしょう?

 二人ひと組の作業で、一日百袋辺りが限界だそうですからね」


 そんな説明をしていると、向こうから近衛の方がやって来られた。

 ルオード様を含め、五人。

 二人体制で二時間交代の土嚢観察を行いつつ、その合間に土嚢作りの訓練、更に一名が俺の護衛役に着く。五人程は休日となっている。


「ああ、ルオード様。よくいらして下さいました」


 疲れた顔をしていた面々に、緊張が走る。

 ルオード様も思うことはあるだろうに、それを感じさせない爽やかな笑顔で微笑まれた。


「お声がけ頂き光栄です。

 リカルド様、本日はよしなに」

「近衛の方々は、ここに来られてからの日数、土嚢作りと積み上げの訓練をされています。

 実演を見せて頂きましょう。十日程度でどれ程に変わるか……ね」


 やってきた人員の中に、先程交代となったディート殿を見つけた。視線が合うと、にかりと笑う。

 何を思ったか、わざわざ二人組の方に歩み寄り、円匙を手からもぎ取って、その場で土を掘り、袋に放り込みだす。

 それがまぁ……早い。

 ヒィヒィ言いつつトロトロ行われていた土嚢作りが、あっという間に五袋。そして息も切らさず、速度も落とさず、十袋作り終えるまで続いた。

 ……この人は……本当に、規格外だよな……。

 そんな方法で挑発ですか……もう、文句も言えないくらい爽やかだよ。


「はっは、やはり文官殿には少々荷が重いでしょうな。

 我々本職でも、まあ結構、腰やら腕やら、疲れますから」


 そう言っているが、全くそんな様子は無い。肩に円匙を担いで、カカと笑う。

 ディート殿の言葉にリカルド殿の眼光が鋭くなる。


「……その様な、やわな鍛え方はしておらぬわ。

 そうだな、お前たち」

「は、はい!」

「今日中に、十袋を作り切れる様になれぬなら、ヴァーリン失格だ。信頼に足らぬわ」


 うわぁ、苛烈だ……。

 もう結構疲れてきてる人たちにそれを言うんだもんなぁ。

 俺が言われるんじゃなくて良かったと思いつつ、顔だけはにこやかに、配下の方々を見守る。

 それと同時に、ふるいにかけているのだなと、心の中で考えた。

 多分、リカルド様のお供はある程度、定期的に入れ替えられているはずだ。

 こうやって何か、叱責されるような失敗を犯すよう仕向けられ、忠誠心を試されていると思う。

 リカルド様の行動、言動に対する備えが薄いものな。

 ハインは腹黒い発言も多いが、先回りも凄い。多分俺がこう選ぶだろうと推測し……たまに勝手に動いてしまっているのは困りものだが……その行動が、俺の気持ちを裏切っていることはまず無い。

 それだけ俺を理解しているということだ。

 だがリカルド様のお連れの方々は、そう言った先読みが出来ていない。

 こんな挑発をされればどう出るか。その心構えがないから、その一言に酷く消耗する。


「もう一度だ」


 容赦なく、リカルド様が宣告する。

 二人組の方は、悲壮感を漂わせ、返事の声も極小さい。

 だが、騎士の方は奮い立ち、必死の形相で一つ目からを、もう一度始める。

 震える手足を気力で動かし、歯を食い縛って、手を休めない。

 つまり、それくらいのことには耐えられる。という、信頼があった上での暴言なわけだ。

 ……この方が当たりの一名だな。


 時間は掛かった。

 だが手を休めず、作り切る。

 作り終えた途端、膝をついてしまった騎士の方を一瞥し「その程度は耐えて当然だぞ」と、言いつつも、続けろとは言わなかった。


「まあ良い。

 次を見せろ。行くぞ」

「り、リカルド様っ」

「貴様らは終わっておらぬだろうが。続けろ。手を止めたから、もう一度始めからな」


 剣呑な目で睨み付ける。

 行くぞと言われた騎士の方は、必死で震える足に鞭打って、立ち上がろうとしていたが、やはりまだ回復は追いついていない様子だ。


「では、観測所に行きましょうか。

 ハイン、手を貸して差し上げろ」

「はい」


 騎士の方の腕を取り、肩に回す。

 俺の護衛が疎かになるから、凄く不機嫌な顔だ。けれど、俺の指示の意味は伝わっている。


「リカルド様、観測所にお邪魔させて頂きます」

「ああ、ではここは私が受け持ちましょう。

 なに、今からの訓練に二人加えるだけですから、お気になさらず」


 リカルド様の意思を尊重し、土嚢作りを徹底的に叩き込むと確約して下さる。

 これで、体裁は整った。

 一人だけでも引き連れているから、疑われはしないだろう。同じだけの試練を与えられ、切り抜けた結果なのだから。


 ……実は先程、握手を交わした際に、指に挟んだ紙を手渡していた。

 それに、


 ちょうはつにのってください


 とだけ書いていたのだけれど、意図はちゃんと察して下さっていたな。

 観測所には、常時二人、近衛の方が在中し、時間毎の雨量と、川、土嚢壁の様子を管理して下さっているのだが、現在は居ない。土嚢壁の見回りに出てもらっている。


「すいません。こんな手でしか、引き剝がしが思いつかなくて」

「良い。少し溜飲が下がった。始終張り付かれる日常なのでな」


 監視も兼ねてある。だが、それに気付いていない風を装っているということか。


「何故あの二人を組ませた」

「まあ、多分これで当たっているだろうと思ってたんです。

 信頼出来る方というのは、お一人なのだろうと推測してましたから」


 三人中二人が信頼出来るならば、一人をどうにかすることは容易いだろうが、逆は当然難しいだろう。それに、湯屋についてきていた二人を信頼していないからこそ、わざわざ監視させる為と、余計な動きをさせない為に、連れ歩いているのだと思ったのだ。


「とはいえ、時間はさして取れません。せいぜい半時間ですか。

 お互い、腹を割って話したいと思ったのですが……リカルド様は、仮面を外してくださるのだと、認識して問題ないのでしょうか?」

「其方、何故私が粗暴を演じていると判断した。……姫からの情報ではなかろう。あれは、私の気質をもう歪んだものと思うておろうしな」


 鋭い眼光が、俺を抉るように見る。

 まあ……情報じゃないしなぁ……。


「雰囲気です。

 と、言っても信じてもらえないかもしれませんが……リカルド様の擬態は本当、隙がないと言いますか……完璧だと思いますよ。

 ただ俺は……貴方が演じていない時を、たまたま知っておりましたし……運良く差異に気付いたというだけです」


 姫様の替え玉をしていなかったら……、そしてリカルド様が、俺を少女だと思い込んで、手助けしていなかったら、気付けなかったかもしれない。

 俺の言葉にリカルド様は眉間のしわを深くしたが、それ以上はなにも仰らなかった。一応は受け入れてもらえるらしい。


「では時間も無いのでさっさと本題に入ります。

 森に潜んだご年配の男性。この方、ヴァーリンの……長老で間違いないかと、思うのですが?」


 俺の言葉に、リカルド様の形相が、一層怖くなる。


「であろうな。

 あれは狂人だ。姫を侮り、脅しつければさっさと婚儀を挙げると本気で思っておる様子でな。

 その様なことをすれば、下手をしたら一族連座で最後だ。奴が手を出す前に連れ帰りたいと思ったのだが……」


 違うな。何か含みを感じる。

 長老がいらっしゃっていると告げた時、リカルド様の瞳に強い焦りが見えた。

 今も、凄く張り詰めている……。何か、とてつもなく不穏な相手であるらしいな、森の連中は。

 確かに一族の、しかも長老という立場の人間がその様な暴挙に出れば大問題だろうが、それに対する焦りでは無い気がする……。視線が、揺れる瞳が、何かを必死で考えている様子を伺わせた。

 けど……俺たちにそれを伝える気は無い様子だ。

 まあそうだろう。まだそこまで全てを晒してはくれないか。


「こちらが取れる手段といたしましては……一応の足止めですか。

 ただ、武の心得がある者が多い様子なので、此方も少々、手出ししにくい。

 いかんせん、私は手が少なすぎまして」


 使える部下が従者二人だ。

 それに、ハインやサヤを向かわせるつもりはない。多勢に無勢であるし、危険すぎる。

 ならば、忍の面々に助力を願うこととなるのだが、危険なことは極力してほしくない。草が言っていた様な、車軸に傷を入れておく等の処置が、ギリギリ出来るかどうかだ。


「手出しはせぬ方が良い。狂人だと言った筈だ。行商団に偽装までしておるなら、それで誤魔化せていると思うておろうよ。下手に手を出せば、口を封じられる」

「……姫を連れてその商団の潜む前を進むのは、危険ではないのですか?

 貴方の手は、俺より少ない。一つきりでしょうに」


 しかも身中の虫を二匹飼っている状況だ。

 森に潜んでいて動きが無いのは、待ち伏せの為であるかもしれない。

 もし数日待って動かないなら、その可能性が大いに高いだろう。

 そして、待ち伏せであるなら……目的は婚儀を急がせる為ではない。もっと、明らかに、危険なものだ。

 俺の指摘にリカルド様の顔が、より険悪になる。


「……王都に向かう道は、あれひとつか」

「回り道ならありますが、アギーに出るまでの日数が倍以上かかります」

「ちっ……無駄に早く動きおって……やはり昨日のうちに発てておれば……」

「それはどうでしょう。下手をしたら、先回りされていた可能性もありますよ。

 昨日の早い段階で、こちらに知らせが入りましたから」


 リカルド様の反応を漏らさぬ様、視線は終始一貫、逸らさない。


「……あの配下のお二人がどうにか出来るならば、こちらも姿を偽装して前を通る……という手段が使えるのですが……。定期的に連絡を取り合っていたりする可能性もありますし、厄介ですね。

 とりあえず、しばらく滞在頂き、隙を伺うのが最善かと」


 ……偽装行商団の目的を探っているということは、あえて伏せた。誤魔化したということは、知られたくない、知られてはまずいと思っているということだ。

 探っている可能性は考えているだろうが、断言していないことが大切だ。探っているかもしれない。の、段階であるなら、余計な労力は割けないだろうし、強硬手段も取りにくい。

 俺の提案に、リカルド様も頷く。


「……不本意だがその様だな」


 そうしてから、何やら不可解そうに俺を見る。


「何故それほどまで、心を砕く。姫の思惑に、反して良いのか?」

「姫様の思惑とは外れておりませんでしょう?

 貴方は別段、王家を傀儡にするつもりで象徴派に籍を置いておられるのではない様子ですし」


 そう答えると、ますます不可解そうな顔になる。


「何故その様なことを、疑いもなく断言する……? 其方の目的はなんだ。私に何をさせたい」


 疑うというより、理解出来なくて不可解といった顔だ。

 俺はそれに苦笑を返す。目的と表現するなら、それは一つきりだから。


「俺は、ここを離れたくない。俺には俺のやるべきこと……やりたいことがありますし……、こんな俺のために、人生まで賭けて、ついてきてくれた友人もおります。

 ここが、セイバーンが、俺が骨を埋める場所だ。

 もう、王都ではないのです」

「……領主になる為の後ろ盾が目的か」


 領主?

 考えてもいなかったことを言われて、少々びっくりしてしまった。


「後継は兄です」

「……其方が、実質のそれではないのか? 確かに、その方の兄よりも、適していると思うが?

 まだ成人すらしておぬ。なのに……其方の頭の構造はどうなっておるのかと、少々疑いたくなる」


 土嚢壁や湯屋。衝撃的なものを突きつけすぎた様だ。

 だがこれは、俺が凄いんでもなんでもないからなと、やはり苦笑するしかない。


「領主だなんて……そんなもの、別に望んでおりませんよ。

 事業だって、たまたま俺が、責任者となっただけです」


 俺は何もしていない。手を差し伸べられて、それに縋り付いたというだけだ。

 俺が願ったことを、皆が一生懸命頑張ってくれているだけ。


「分不相応であることは、俺自身が重々承知しております。俺には無理です。

 そんなことより、これからのことを話しましょう。時間が惜しい」


 俺のことを詮索している場合ではない筈だ。

 俺は強制的に話を戻す。


「リカルド様が仮面をかぶる必要がある理由を考えましたら、象徴派の暴走の歯止めとなっておられる可能性が、高いと思いました……。

 象徴派の派生が、ヴァーリンである……という噂を伺っております。

 そうであれば、派閥の者は身内の方が多いのでしょうし……それが絡む問題故に、長となられたのかと」


 先程の会話からして、間違いないと思う。

 リカルド様は、違和感無く派閥の長となる為に、十年という時間を費やしたのだ。

 エレスティーナ様の早逝を切っ掛けに、何かしら問題が起こったのかもしれない。

 身内が多く絡む派閥の暴走。下手をすれば、家の取り潰しにすらなり兼ねない。しかも長老が先導しているとなると、厄介だ。一族の総意であると捉えられてしまう可能性が高い。

 本当なら、さっさとどうにかしてしまいたいのだろうが、下手に手出しが出来ないのだろう。ヴァーリンの領主様は現在リカルド様の父上、まだ世代交代の様子は見せていない。その領主殿が叔父である長老を支持しているのではないだろうか。


 この状況で、どうやって長老の暴走を食い止めるか。それを考えた場合、今一番、発言権が高くなりそうなのは、リカルド様なのだ。

 リカルド様が王となれば、長老だけを切り離すことも可能だろう。


「リカルド様が婚儀を挙げれば、象徴派の目的が叶う日が、近い様に見せかけられますし、貴方の発言権も増すでしょう。それが狙いなのですよね?」

「……そうだ。

 あれらは、本来の象徴派理念を曲解している。

 しかしどう言ったところで、あの狂人が健在なうちは、阿呆な夢を見続けるだろう。

 だが今あれを律することが出来る者が、家におらぬ……。とっとと没してくれれば良いのだが、無駄に頑丈ときた」


 相当振り回されているのかなぁ……。言い方が物騒だ。

 だけど毒殺だとか暗殺だとかって暴挙を選ぶつもりは無い様子だ。

 出来る限り、穏便に済ませたいとの考えなのだろう……。


「……ならば、姫様に、貴方本来のお姿を、晒すべきではないですか?

 彼の方が貴方との婚儀を拒否しておられるのは、象徴派を警戒しているからです。

 貴方が派閥の傀儡ではないと分かれば、協力して頂けるのでは?」

「駄目だ。あれの文官にもヴァーリンの者はいる。

 それに、間者が居らぬとも言い切れぬ……。

 あの狂人は無駄に手が多い。どこまで耳や目を潜ませているか、分からん」


 実際俺にもああして貼り付けている。と、リカルド様。

 これは大分、厄介である様子だ。


「それに……あれは、私が今更態度を変えたとて、納得すまいよ。

 私を夫にしたくないというのは、本心であろうしな。

 あれが王になりたいと願っていることは、私とて理解している。だが……私は、エレンに……あれを守ってくれと、今際の際に託されている」

「守るというのは、王となり、その激務により身を削ることから……という意味ですね?」

「そうだ。現に、王を見よ。まだお若いというのに……。

 王も、あれを玉座に据えることは望まれておらぬ……女に生まれたのだ。あえて茨の道に踏み込まずとも良かろう……」


 そうか。

 王様が姫様を王位に就けないと言っているのは、お身体を心配されている故か。

 唯一残った娘を、失いたくない。そういった考えからか……。

 姫様こそ、苛烈な性格だ。きっと王となれば、妥協はすまい。

 身を削ってでも、献身的に国に尽くす。しかし王やリカルド様は、姫様にその様な無理をしてほしくないと考えているのだ。

 姫様の望みと、姫様を愛する人たちの望みは、どうしたって相入れない。


 頭の中で、ではどうする。と、考えを巡らす。

 例えリカルド様が婚約を解消しようが、王様は姫様を玉座には望まれない。

 それでは、姫様の夢は叶わないのだ。

 リカルド様の言い方からしても、王様とリカルド様は、きっと交流がある。二人の総意として、王にはしないと決めてあるのだろう。

 だから、あの様に……あえて居丈高な態度を演出していたのだなと思う。王も納得済みであるからこそ、象徴派を黙らせる為の演技を、容認されているのだ。


「…………王位か……」


 王位に就くことは、命を削るのだろうか?

 サヤは言っていた。白い方でも寿命は我々と変わらないと。

 ならば、命を削ってるのは王としての務めではなく、その環境なのではないか?


「リカルド様。姫様は、王に相応しくないと、思われますか?」


 急な俺の問いに、リカルド様が不審げな顔をする。


「私は今言った筈だが?」

「王様や、リカルド様のお気持ちは伺いました。ですが、そういったことを一旦視界から外して頂いて、姫様の才覚のみで、考えて頂きたいのです。

 姫様は、王に相応しくないのでしょうか?彼の方には荷が重いと?」


 しばらくの沈黙。


「……そうは、思わぬ。

 あれは……王の器だ。為政者の天稟を、身に備えている。

 それに、人や物を見る目は、確かだ。賛美やお為ごかし、脅迫などにも屈しはすまい。

 何より、驕りを持たない。常に自身すら、正しく見る。だからこそ、王位を諦めきれないのだろうが……。

 あれが男であったなら……俺は既に剣を捧げていることだろう」


 その言葉に、口元が緩む。

 姫様はやはり素晴らしい方だ。リカルド様に、剣を捧げると言わせるのだから。

 ならばやはり、姫様は王となるべきだ。

 国の為であり、姫様自身の為に。


「レイシール様、そろそろ……」


 ハインから声が掛かる。

 時間か。まだ確認したいことはあったが、今回はここまでだ。


「また、時間を作ります。

 あと、派閥の目があるうちは、行商団の様子見の為、時間稼ぎとして、訓練所に作りたいとおっしゃっていた、湯屋について話を進めましょう。

 水の問題はありますが、そちらもなんとかします」

「分かった」


 外套を目深にかぶり直して、土嚢壁に向かう。

 壁の上に登ると、暇つぶしをしてくれていた近衛の方々がいて、「お待たせしました」と声を掛けた。

 リカルド様との交渉の為、場所を空けて下さっていたのだ。

 この位置は観測所の影となっているので、土嚢作りをさせられていた配下の方々からは見えない。

 だから俺たちは、近衛の方々に見守られつつ、観測所見学をしたことになっていることだろう。

 近衛の方々にはそのまま観測所に戻ってもらい、このまま土嚢壁の上を移動していくことにする。


「……雨季が終わったら、この、木の板の内側にも、土嚢を積みます。

 更に、土を盛り、石板や草でもって表面を固める作業を進めます。

 今、我々が歩いているここを、交易路に作り変えるのですよ」


 俺の後を付いてきていたリカルド様が、驚きに目を見張り、足を止めた。

 立ち止まって、周りを見渡す。


「……地より、高い位置に、道を作るということか?」

「はい。襲撃されにくく、守りやすい道となる。

 そうやって人や荷物が日々往来する様にすることで、この道は踏み固められ、より強固になる。そうすれば、川の氾濫は、駆逐できる……そう考えております」


 そんな話をしていると、ヘロヘロに疲れた配下の方々が、土嚢壁の下にやって来た。


「遅い!」


 瞬時に表情を作ったリカルド様が、お二人を叱責するので、まぁまぁと宥め役に回る。

 そして、お二人を叱責から庇う感じで、話を進めた。


「とりあえずは、セイバーンからアギーまでの交易路を作る計画を進めております。

 ここの流通が盛んになれば、フェルドナレンの西側がもっと往き来しやすくなるでしょうし、例えば国境付近の小競り合いへ、王都の軍を派遣する際も、有利となるでしょう。

 国の危機には、速やかに軍を派遣出来る」


 そう言った所で、腕が伸びて来た。リカルド様が腕を肩に回し、俺を引き寄せる。


「やはり欲しいな。

 其方が姫のお気に入りである理由はよく理解した。

 だが、あそこで其方は活きぬぞ。私の元へ来い。いや、来るべきだ」


 上機嫌を装ったリカルド様がそう言う。

 土嚢作りに勤しんでいる間に、リカルド様が俺への執着を強めた様に見えることだろう。


「この交易路の考え方は素晴らしい。

 辺境への進軍速度が上がれば、国の軍力配置を大きく変更できる。

 この道はどこまで広げる予定だ」

「ええと……詳しくは、担当者に説明させましょう。

 ただ、今は生憎、所用で外出しております。戻り次第、またお声掛け致しますよ」


 正確には、引き篭もっているだけだけれど、頭の図書館に外出中ということだから、別段間違いではない気がする。


「そうしてもらおう。

 それと昨日の湯屋の件だがな。訓練所に適したものをと其方は言っておったろう。

 それならば、湯船をもう少し、広くしたいのだがな」

「あの湯屋は一度に十人が利用できる作りです。

 湯船を広くするのも手ですが、湯船の数を増やすという方法もありますよ。

 例えば、湯の温度が違うものを二つ用意するなど、応用がききまして……」


 そんな風に話しつつ、刺さってくる視線には気付いていた。

 土嚢壁の下を歩き、合流出来ないでいる二人の部下。

 大分俺への警戒を強めている様だから、もうひと押ししておくことにする。


 会話の途中でちらりと視線をやり……、見下ろしながら、口角を引き上げた。

 お二人がいきりたつのを確認してから、ふいと、視線を逸らす。

 これで、さも何か企んでいる様に見えたことだろう。

 俺を警戒して、焦ってくれれば良いと思う。

 姫様への注意を引き剥がしておく為の贄なら、俺が適任だ。

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