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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第五章
120/515

心の傷

 喉元にあるサヤの口が、呼吸を止めたのを肌で感じる。

 腕の中で硬直したサヤに、正直、激しく動揺していた。

 こういったことを、サヤがどの様に感じるかは、今までの経験で重々承知している。

 なのに俺は、我を通す為に、言葉を発してしまった。


「好きだ、ごめんっ。迷惑なのは分かってる。

 俺が勝手に、そう思っているだけだから、サヤは何も、気にしなくて良いんだ。

 ただ、これだけは理解して欲しい、俺はサヤの事を、重荷だとか、負担だなんて、これっぽっちも思ってない。

 俺がやりたくてやってるんだ。自分の為に、こうしてる。

 だから、お願いだから……この世界にいる間の時間を、俺にくれないか。何も言わずに、消えたりしないでくれ……」


 サヤの幸せが一番大切だ。

 だから、サヤが帰ることを、止めたりはしない。

 本当なら、会うはずもなかった俺たちだから。

 それが本来の、あるべき形だから。

 俺がどう思うかは関係ない。例えそれがどれ程辛いことでも、受け入れなきゃいけないと分かっている。

 だから、せめてここにいる間の時間を、俺に与えてほしかった。

 好きになってもらいたいわけじゃない。

 どれだけの時間を、サヤと共有したって満たされないのだということも、分かっているけれど……俺が手に入れることを、許してほしかったのだ。


 一方で、そんなことを口にしている自分に、なんて格好悪いのだろうかと幻滅もしていた。

 女々しいにも程がある。

 勝手に好きになって、縋って、懇願している。しかもサヤは、そういったことを嫌っていると、知っているのにだ。

 俺はサヤに、針の筵に座り続けていろと、言っている。

 こんな理不尽なことってないだろう。


 一気に喋って、腕の中の、艶やかな黒髪を見下ろす。

 震えては、いない……。だけど、何の反応も、無い……。

 恐怖で微動だに出来ない程に固まってしまっているのだろうか?

 暫くそのまま、サヤの返事を待ち、ただ時が経つのを耐えたけれど、あまりの反応の無さに、どんどん居た堪れなくなった。


「……サヤ?」

「⁉︎」


 恐る恐る顔を覗き込もうと、腕の力を少し緩めた途端、突き飛ばされて、寝台の縁に後頭部を強打する。

 だけど痛みよりも、拒絶されたという事実の方が重要で、慌てて身を起こした。

 今すぐ謝ろうと、決意を固める。

 迷惑に決まってる。最低なことを言った自覚もある。

 だってサヤはカナくんを想っていて、たった一人、放り出されたこの世界で、サヤの安全を守るべき立場の俺が、サヤが一番嫌であろうことを口にしたのだ。

 勇気を振り絞って、顔を上げたら……、背を向けたサヤが、寝台の端で、小さく縮こまっていた。

 か細い声で、


「…………こ、こんといて、後生やから……」


 明確な、拒絶。


 ああ、やっぱり、こうなるよな……。


「うん、分かった。サヤが嫌なことは、しない。約束する。

 だからサヤも約束して。何も言わず、勝手にいなくなったりしないって。

 俺は言ったよ。この世界でのサヤの家は、ここだって」


 思っていたより、衝撃は少ないなと、心の片隅で考えながら、俺は頭をぶつけた寝台の縁に背中を預けた。

 それも道理ではある。受け入れられるだなんて、思ってもいなかったから。

 なるべくしてなった。それだけのことだ。

 後頭部をさすりつつ、そんな風に思っていたら、サヤから「なんで、知って……?」と、疑問が投げかけられる。うん、知ってたというか……。元々何か、動いていたのは分かっていたし……。


「そんな風に、考えてる顔してた、から?

 今サヤが、雨季が終わったら、どこかに行ってしまうつもりだって、急にそう思ったんだよ。

 俺の勘違いならそれで良かったんだけど、そうじゃなかったみたいだな。

 なんで……そんな風に考えたの?帰り方を探す約束のせい?その約束が、俺の負担になるとでも思ったの……」


 問いかける度に、サヤの雰囲気が変化する。

 不安や、恐怖、混乱、羞恥、自己嫌悪。そんな雑多なものが渦巻いている様子に、伝える前よりお互いの心の距離が開いてしまったかなと、そんな風に考えたら、笑えてきた。

 もう、俺はサヤの支えには、なれないのだろうな……。

 失いたくなくて、足掻こうと思って、だけどやっぱり、無理だった。


「心配しなくても、それは俺が、やりたくてやってるだけだよ。

 サヤに何も出来てない。俺はこんなにたくさん、与えられてるのに。

 だから、なんでも良い、サヤの為に何かをしたかったんだ。

 サヤが一番欲しいものを、俺がサヤに捧げたかった。サヤに故郷を、カナくんを、家族を、取り戻したかった」

「なんで、そないに……」

「なんで?

 それは、サヤが好きだからだろうと、思うけど」


 それ以外に無い。

 サヤが好きだから、サヤに幸せであってほしい、心安らかでいてほしいと、そう願うのだ。

 だから、サヤが近付かないでと言うなら、そうする。俺がサヤにできることは、全部受け入れようと思える。

 例えそれが、望まないことであったとしても。


 俺の返答に、サヤはしばし、呆然としていた。

 そうしていたかと思うと、急に、慌ててかぶりを振る。


「違うとる! レイは、私のこと、子供やって言うてたやろ⁉︎」


 妙な言葉選びに、一体何を言いたいのかが分からなかった。

 けれど、男装のサヤは十四歳という設定だ。それを踏まえて子供と表現することは、多々あったかなと思い出す。


「それは、男装したサヤが十四歳となっているからだろ。

 別にサヤを子供だと思ってるわけじゃない」

「嘘! そないな筈ない!」


 ……なんでそんな必死に否定されなきゃならないんだ……?

 ていうか、拘る部分がよく分からない……。頑ななサヤに、ちょっと頭がついていけない。


「そこって、そんなに重要?」

「レイのは、好きと違う。そういうのんと……!

 好き言うのは……あっ、そういう、こと? 妹とか、子猫とか、そういうのんを思う、好き?」


 急に気の抜けた声で、そんなことを言い出すサヤ。

 頭を殴られたような衝撃を受けた。さっきぶつけた比じゃない。

 なんで⁉︎ なんでそっちに解釈する⁉︎ わざと⁉︎ この歳になって、俺が恋愛感情がどういったものかも、理解していないとでも⁉︎


「違うに決まってるだろ⁉︎

 俺の言ってるのは、一生を捧げる覚悟を決める方の好きだよ!」

「違うとる! レイのは、そういうのんやない! 同情とか、父性本能とか……そういう、勘違いしとる、恋愛感情やない!」

「なんでサヤに俺の気持ちの分類が分かるんだよ⁉︎ 俺は本当に……っ」

「分かるもん! そういうのんは、気持ち悪いんやって、知ってるし‼︎」


 半分叫ぶみたいに、サヤは言った。

 叫んでから、びくりと身体を緊張させて、まるで恐れるみたいに身を縮こませる。


「っ……か、かんにん…………」


 何に対する謝罪か、すぐには理解出来なかった。

 少し考えて、好意を、気持ち悪いと表現したことかと、見当をつける。

 好きが、サヤは、気持ち悪い……。

 それでやっと、サヤが言っていたことを、理解出来た。


 サヤは、好きだと言われることを、気持ち悪いと感じたことがある。

 その経験を、したことがある。

 自分に好意を抱いてくれたその相手を、嫌悪してしまった。受け入れられなかったのだ。

 そんなこと、彼女が望んだ結果であるはずがない。でも、彼女はそう感じてしまう。

 それくらい、幼い頃に受けた心の傷、男性に対する恐怖は、身に染み付いているのだろう。

 つまり俺は、そんなものを、サヤに押し付けようとしていたわけで……?

 そこまで考えて、違和感に気が付いた。


 気持ち悪いんやって、知ってる……。って、言った。

 なのに、俺の好きは、違うって言った? 同情とか、妹を想う様な好きだって?


「……サヤ、俺の好きは、気持ち悪いの?」


 俺の問いに、より一層小さく縮こまってしまう。

 答えは返らない。なら…………、


「……カナくん、は…………?」


 びくりと跳ねた。

 質問を拒否するみたいに、聞きたくないと言う様に、いやいやと激しく頭を振る。

 それでもう、確信を持った。分かってしまった。


 サヤが、受け入れられなかったのは…………カナくん、だったのだ……。


 好きで、一緒にいたいと思う相手なのに。

 大切な、幼馴染なのに。

 恐怖から、救い出してくれた人なのに。


 本当なら、幸せになれるはずだった。好きだと思える相手に、同じ気持ちを返してもらえたのだから。

 なのに、彼女の身体が、辛い記憶が、それを拒んだ。

 サヤは、自分が愛を受け入れられないのだと、身をもって知ってしまっているのだ。


「……サヤ」


 好きだと言ってから暫く、サヤは動かなかった。

 まるで感情の揺れもなく、ただ呆然としていた様に見えた。

 その後の急な拒絶。

 俺の方を見ようともせず、今も背中を向けて、小さくなっている。

 恋愛感情じゃない、勘違いだと言った……。


「……サヤ、今から、そっちに行くから、気持ち悪くなったら、すぐ言うんだよ」

「⁉︎ えっ?」

「ゆっくり近付くから」

「え、え? い、嫌や……!」

「本当に嫌かどうか、確認してみよう?」


 サヤの嫌なことはしないって言った先から、俺ってほんと酷いよなぁ。


 そう思いつつ、だけどこればかりは強行すると、決意した。

 今から行くよ。と、宣言して、寝台の上を這ってゆっくりと、サヤに近付く。

 より一層慌てたサヤは、振り返ることも出来ず、怯え、頭を抱えて丸く、小さく縮こまる。

 嫌悪したくない、怖いなんて思いたくない。居場所を失いたくない! そんな葛藤が、彼女を混乱させている。

 サヤは怯えていた。自分の感情を、自分で理解できないことに。

 いつも凛々しくて、元気に、明るく振舞っているサヤが、幼い子供の様に、頼りなげに、だだ怯えていた。

 これ以上の負担をかけたくはない。けれど、サヤがこのまま、ずっと一生、この苦しみを抱え続けていくことを、望んでいるとは思えない。


 なら、俺がサヤにできること、サヤに与えてやれるものは、これしかないと思ったのだ。


「……サヤ、もう……すぐ隣だよ?」


 耳元でそう囁くと、ひっと、息を飲む。けれど…………?


「……?」

「…………」


 返事は無いけれど、拒絶もない。

 少しためらってから、触れるよ。と、前置きして、手を伸ばした。

 丸まったサヤの背に、そっと触れる。


「……どう?」

「…………わ……な、い……」


 手をゆっくり肩に移動させて、力を込めて、サヤを胸に引き寄せた。

 逃げない……大丈夫。だ。

 暫くそうしてゆるく抱き寄せている間に、サヤは少しずつ、身体の強張りを解いていく……。

 その様子を余すことなく見届けてから、俺は、安堵の息を吐いた。


「サヤ、俺の好きは、勘違いじゃないよ。

 妹みたいとか、同情とか、そういうのでもない。

 サヤに触れたいって思う、愛おしいって思う、サヤを知りたいって思う好きだ。

 だからほら、サヤに触れると、こんなに心臓が、ばくばくいってる……」


 正直言って、怖かった。

 サヤの拒絶が。

 サヤに少しずつ近付く間、断頭台に向かう心地だった。

 だけど、今こうして、触れている。


「サヤ、怖い?」

「……なんで……?……怖、ない……」

「そう、良かった」


 もう一方の手も、サヤに伸ばす。

 サヤの頭を胸に導いて、鼓動をきちんと認識できる様、しっかりと全身で抱きしめた。


 柔らかくて、小さい肩。

 だけどその柔らかさの下に、しなやかな筋肉を感じる。鍛えられた、自分を虐めてきた身体だ。恐怖を克服しようと、必死で足掻いてきた、努力で培われた身体。

 腕をさする様に撫でると、従者服の肩にある切れ込み部分に、赤い傷が見えた。

 縦に真っ直ぐ走った、刃の傷。


「なんで、レイは……?」

「……うん、なんでだろうな……俺も、よく分からない」

「どうして、カナくんは……」

「うん……。辛かったよな……。ずっとそれを、カナくんに申し訳ないって、思ってたの?」


 そう聞くと、サヤが、ふるりと小さく震える。


 嫌われてると言っていた……。

 好きだと言ってもらえたカナくんを、拒絶するしかなく、そのことで結局、お互いの距離が開いてしまったのだろう。嫌われるのを、それでも好きなのを、どうしようもなかった。

 それは、本当に、辛いことだったろう……。それでもサヤは、カナくんから教えてもらった言葉だけを信じて、必死に、足掻いてきたのだと思う。いつか怖くなくなる。強くなれば、平気になれる。そうがむしゃらに信じて、頑張ったのだ。


「サヤは、頑張ったんだな。偉かった。

 カナくんの気持ちに応えようと、必死で努力したんだよな……」

「……そんなええもんと、違う……余計、イライラさせただけ……混乱させて、落胆させて……っ。

 普通で、いたかった……せやのに、どんどん、どんどん、あかんように……」

「うん……」

「道場で、練習の時触れるんは、平気やのに、それ以外は怖い、なんでか、怖ぁて……」

「うん……」

「なんでやって……何が駄目なんやって……俺がなんかしたか⁉︎ って……っ、わ、分からへんのんやもん、なんでかが、分からへん! 私にだって、分からへんの!」

「……うん。うん…………辛かったよな……」


 恐怖ばかりが降り積もって、ちぐはぐが積み重なって、どんどん、遠い存在になってしまった。

 サヤは、俺なんかじゃなく、カナくんとこうしたかったろうに……。


「なんで……なんでレイは、平気なんやろ……」


 小さな嗚咽が聞こえたから、腕の位置を変えて、サヤの目元を隠した。

 安堵と、落胆。

 俺を恐れずに済んだことに、ホッとして、俺がカナくんじゃないことに、きっと虚しさを感じている。


 なんで……か。

 それは多分、サヤが、俺のことを、男として意識してないからだと、思うけど……。

 言わない。サヤはこの恐怖を、克服したいと願っているのに、そんなことを教える必要は無いだろう。

 それに、誰にも近付けず、ただ怖がっていたサヤは、この世界に来てちゃんと成長した。

 俺だけじゃない、ギルやハイン、マルとだって、触れ合える様になっているのだ。


「サヤの頑張りが、やっと実り出したのかもしれない。

 だから、俺たちには触れられる様に、なったんじゃないかな。

 きっと、帰る頃には、大丈夫って思える様に、なっているんじゃない?」


 ツキンと胸が痛む。

 いつか夢で見た様な、笑ってカナくんと寄り添うサヤを想像した。

 こんといて……か。うん、俺はそれで、納得しなきゃ、駄目なんだ。


「落ち着いた?」


 サヤの涙が乾くのを待って、そっと声を掛けると、恥ずかしげに身動ぎする。

 だから手を離して、距離を取った。

 俺を怖くないと分かったのだから、もう、近付かなくて良いだろう。好きでもない相手に、あまり触られたくもないだろうし。


「じゃあサヤ、約束。

 一人で、黙ってどこかに、行こうとしないでくれ。

 もしそんなことになったら、俺はサヤを探すよ。ずっと。見つかるまで」

「は、はい……」


 その返事に、嘘や偽りが無いか、瞳を覗き込んで確認する。

 恥ずかしそうに視線をそらすけれど、誤魔化そうとしている雰囲気は無い。うん、もう大丈夫かな。


「よし。じゃあ、俺が言ったことは忘れて良いから」

「……え?」

「俺の気持ちは、忘れて良い。誤解さえ解ければ、それで俺は充分。だから今まで通り、な?」

「……え……? そ、それで、ええの? だって……その……」


 戸惑うサヤに、笑みを深める。気遣ってくれることが、嬉しかった。

 そんな優しいサヤだから、俺は、覚悟を決められるのだ。

 サヤが好意をどれほど重荷にしているか、今回のことでよく分かった。

 そんな負担を、サヤに強いるつもりはないのだ。

 彼女が、最愛の人をも拒絶するしかない程に、深く傷を負っているのなら、俺がサヤに捧げる愛は、その重荷を与えないことだろう。

 だから、気にしないでと口にする。


「さっきも言ったけど、俺が勝手に好きなだけだから、今までと何も変わらないよ。

 サヤは普通にしていたら良い。俺も今まで通りにするし、ちゃんと気持ちの折り合いもつける。こっちで勝手にそうするだけだから、サヤは無かったことにしてくれたら良い。

 さっき強行しちゃったから、信用できないかもしれないけど……。

 もう、サヤの嫌なことは、しない。サヤが約束を守って、ここに居てくれるなら、それで俺は、充分だから」


 得られないと思っていたものが、得られないのだと確認できただけだ。何も変わらない。

 サヤを、サヤの世界に帰すこと以外で、失うことがなくなるなら、それで良い。


「……、レイ、あん、な……」

「良いから。気にしなくて良いんだ。そんな顔しないで」


 困った様に眉を寄せるサヤに、もう遅いから、そろそろちゃんと休もうと提案する。

 サヤから、話したくないであろうことを、引きずり出してしまった自覚もあった。俺と顔を付き合わせているのも、気まずいだろう。

 それに……、俺も少々、疲れていたのだ。


 分かっていた。なるべくしてなっただけだ。そして自分で、こうすると決めた。だけど、やっぱり……痛いものは、痛いんだよな……。


 サヤが寝室から去り、隣の夜番用の部屋に姿を消してから、俺は寝台に入り直した。

 天井を見上げ、ふぅ、と、息を吐く。

 涙なんて出ない。隣の部屋にサヤがいるし、そこまで緊張を解くことは出来ない。

 でも良かった。サヤはきっと、もう、勝手にいなくなったりはしないと思うし、想いを伝えても、拒絶されなかった。

 これって結構凄いことじゃないか?

 カナくんすら得られなかったものを、俺は手にできたのだから。

 うん、だから、それで納得する。

 気持ちの整理をつけるまで、暫く時間は掛かると思うけれど、やってやれないことはないだろう。


「おやすみ、サヤ」


 多分聞こえているだろうから、そう呟いてから瞳を閉じた。

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