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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
12/515

 夕食も終わり、明日の準備の一環と……多分、サヤの為に、湯浴み用の湯が用意された。


 丁度良いからと、貯蔵庫にあった大きな(たらい)をサヤに渡すハイン。

 風呂とまではいかないが、下半身くらいは湯につけられるだろうという配慮だと思う。

 俺とハインは桶で充分だ。各自、自室で手拭いを湯で濡らし、体を拭いていく。今日は髪も洗わなきゃいけないのだが、これが結構難儀なんだよな。

 貴族は成人まで髪を伸ばさなければならない習慣があって、本当面倒臭い……。

 そう思ってたら、サヤが部屋にやって来た。

 夜着の俺を見て若干怯みつつ、夜分に失礼しますと、礼儀正しく挨拶は忘れない。

 しかし、身綺麗にしたはずなのに、今日着ていた俺の古着のままでいるサヤ。

 更に、なんだか体調でも悪いのか、青い顔をし、視線を俺に合わそうとしない。

 まあなぁ、夜着を着た男の部屋を訪ねて来て平然としてられるわけがないか。

 でも、なんでわざわざ来たんだ……?


「夕飯の準備の時、効率良い髪の洗い方の話になったんです。

 それで、私が心当たりがありますってお伝えしたら、先程、お願いしますと言われ――」

「サヤ、早いのですね。もう来ていたのですか」


 しどもどと、説明していたサヤの背後から、自室の扉を開けたハインが声をかけてきた。

 その途端、サヤがびくりと大きく反応する。

 ハインの髪は短いから、さっさと洗ってしまったらしい。青髪がしけってツンツンしている。


「厄介なんですよ、レイシール様の髪は。この長さですから。

 どうすれば効率良く綺麗にできるか教えてください」


 そう言いつつ、俺の部屋に入ってきて盥と小机を用意し始める。

 頓着した様子のないハインに、俺は少々呆れつつ、額をペチンと叩いた。


「……何をなさるんですか……」

「何をなさるじゃないよ。サヤは女の子なんだから、こんな時間に俺たちの部屋に呼ぶべきじゃないだろ。

 ごめんねサヤ、びっくりしたろう? 大丈夫だから、帰って良いよ。

 髪のことは、また今度日中に聞くから」


 俺がそう言うと、ハインはやっと理由に思い至った様子で、ポンと手を打つ。

 こいつは効率ばかり考えて、サヤに夜、男性の部屋へ赴くように言うことの異様さに気付いていなかったのだ。

 俺とハインの反応に、サヤは自分の考えていた最悪の状態ではないと分かったようで、目に見えて安堵した。

 そして、ぺたんと座り込んでしまった。


「わっ、ごめんっ、相当怖かったよね。

 ハインにも悪気は無かったんだ。女性が仕事場にいたことが無いから、思い付かなかったみたいで……」

「いえ、良いんです。ちょっと、私が、過剰反応、してるだけです。

 私も、言われた時、咄嗟に、反応できなくて……言えば、分かってもらえたと、思うのに……」


 そう言いつつも、顔は見事に蒼白で、震えているから焦った。

 相当な恐怖だったと分かったのだ。ハインもサヤの反応に慌てた様子で、急にオロオロし始める。

 俺は長椅子から肩掛けを取ってきて、サヤの体を包み、食堂に行こうかと声を掛けた。

 俺の部屋に入れるのも、サヤの部屋に送って行くのも、きっと落ち着けないと思ったのだ。

 ハインに温かいお茶を用意するように言うと、彼は慌てて調理場へと向かった。

 俺もそれに続き、サヤを先導するように少し距離を開けて先を歩き、食堂の椅子にサヤを座らせ、その向かいの位置に俺も腰掛ける。机を挟むことで、物理的に距離をあけた。


「さっきも言ったけど、本当にごめんね。

 配慮が足りなかったよ。

 俺たちはずっと二人でやってきてたから、女性の使用人を直接雇ったことがなかったんだ。

 だからこんな失敗をこれからもするかもしれない。

 でもその時は、遠慮せず言えば良いんだよ?

 サヤを不快にさせたくないし、傷付けようとは毛頭考えてないんだ」


 俺がそう言う間も、サヤは小刻みに震えていた。肩掛けを両手でぎゅっと握りしめ、しばらく俯いている。

 深呼吸を繰り返しているようだったけれど、震える唇でなんとか「大丈夫です」と、口にした。


「お二人に、他意がないのは、分かってたんです。嫌な感じの、言い方じゃ、なかったから……。

 ただ、私が過剰に、反応してるだけです。申し訳ありません。

 勝手に、意識してしまっただけです」


 なんとか絞り出すように、言葉をぶつ切りのようにしつつ、震える唇で無理やり喋る。

 だが、歯の根が合っていない上に震え続けているのだ。


「全然大丈夫そうには見えないよ。無理に平気なふりしなくて良い。

 それと、サヤは何も悪くないのだから、謝る必要もないだろう?

 過剰反応でもなんでもないよ。身の危険を感じて当然のことだったんだ」


 俺が若干、強めにそう主張すると、びくりと小さく跳ねた。

 怖がっている……それが分かったから、慌てて声の調子を戻す。


「ごめんっ、責める気は無いんだよ。

 なんて言えば良いかな……サヤに、変な我慢をしてほしくない。

 俺は、凡庸な人間だから、サヤが言ってくれないと、苦しかったり、怖かったりすることに気付けないかもしれない。それが怖いんだ。

 俺が一人平気で楽しく過ごしてても、周りのみんなが我慢して、苦しんで……それって、全然良いことじゃないだろう?」


 ただでさえ俺には身分なんてものがあって、他に気を使わせる立場で、本当はもっと周りの機微に気付かなきゃいけないんだけど……俺は気が回らない。

 ずっと笑っていたのに、心ではそうじゃなかった人を、知ってる。

 だから、言葉だけで大丈夫なんて言われたくないのだ。だけど……。


「気付けないから言えだなんて、それも偉そうな話だよな……。

 ごめん。できるだけ、気をつけるようにする。だけどもし気付けないで何かあった時は、教えてくれると嬉しい」

 俺がそう言い直し、もう一度頭を下げると、サヤは慌てた。


「違うんです、私が過剰反応してしまうのも、本当なんです!

 私――」


 慌てて口を開きかけ、だけどやっぱり……。


「……っごめんなさい……。

 でも、本当に、大丈夫ですから。

 もう落ち着いてきましたから」


 そのように言葉を濁して、俯いてしまった。


 ……何か、あるな。


 だけどそれは今、口にできることではないようだ。そう考えた時、調理場の扉が開いてハインが湯気の立つ湯呑みを三つ持ってやって来た。

 俺の横に来てから、湯呑みをまずサヤに。そして俺と、自分の前に置いてから、サヤに向き直る。

 サヤがまだ震えているのを見て、自分のしたことがどれほどの恐怖を与えてしまったか再認識したようだ。居ずまいを正してから、深々と頭を下げた。


「サヤ、他意は無かったでは、済まないことをしてしまいました。

 申し訳ありません。私の失態です」

「い、いえ……。もうホント、大丈夫ですから……」


 ハインの謝罪にまたそう返すサヤだが、俺はそれをじっと観察していた。


 ……また震え出したな。ハインが怖い? 少し治まってきていたように思えていたのに。


 これは良くないなと思ったので、とりあえず頭を下げ続けるハインを遮って、サヤを部屋に帰すことにする。


「サヤ、そのお茶を持って上がって良いよ。

 もう遅くなってしまったし、サヤの世界では朝を迎えているような時間帯だろ? 凄く疲れてるんじゃないか?」


 俺の言葉に、サヤは少しホッとしたように見えた。

 そして、じゃあ……と、扉の方を見る。だからそのまま「おやすみ」と声をかけて退室を促すと。


「ハインさん、本当にもう大丈夫ですから、気に病まないでくださいね」


 最後にそう言ってから席を立った。どこまでも気遣いを忘れない子だ……。

 サヤの足音が去っても、しばらく黙っておく。

 パタンと、遠くで扉の閉まる微かな音がしてから、俺はハインを見た。沈痛な表情で眉間のシワも三割増しだ。顎をしゃくって執務室に行こうと促してから、湯呑みを持って席を立つ。

 執務室に入ってからきっちり扉を閉めると、今度は俺に向かって謝罪を始めた。違う違う。叱責のためにこっちに呼んだんじゃないよ。


「サヤをこんな時間に俺の部屋に寄越すなんてもうしないだろう?

 サヤも気にしてない、大丈夫だって言ってたから、もう良いんじゃないか? 今後お互い、気をつけることにしよう」


 俺がそう言うと、納得できませんといった顔で首を振る。


「全く大丈夫そうには見えませんでした」

「そうだな。

 だけどサヤはそれ以上が言える状態じゃないみたいだったから、今回はこれでおしまいにしようと思ったんだ」


 そう言ってから、隣の来客用の部屋の扉を開ける。一応サヤの部屋から一番遠いし、扉を三枚挟めば、流石に耳の良い彼女にも聞こえまい。

 長椅子にハインを促し、俺もその向かいに座る。小机に湯呑みを置いてから腕を組んだ。


「サヤは、男性が苦手って言ってた。女として見られるより、同性として見られる方が気が楽だとも言ったよな。

 さっき、俺の部屋に来た時、真っ青な顔をしてたんだよ。

 そりゃ、この時間に来いって言われてびっくりしたとは思うよ? でもそれにしては……誤解が解けた後も、ずっと震えてたし……」


 サヤは自分が過剰反応しているだけだと言った。

 俺は、女性として恐怖を感じるのは当然だと返したけれど……サヤの言う過剰反応が、言葉通りの過剰反応という意味だったら?


「日中はいたって普通だったんだろう?

 調理場なんか二人きりだったけど、別段問題無かったんだよな?」


 俺がそう聞くと、ハインはしばらく考える素振りをしてから、コクリと首肯。


「そうですね。特に、違和感を感じるようなことはありませんでした。

 今日一日、それとなく色々話を振ったり、聞いたりしたのですが、そのどれにも問題は感じませんでしたね。

 レイシール様の髪の話をしていた時も、普通の会話だったと思います……。

 だから何も思わず……」

「呼んじゃったか。サヤが教えてくれることって、結構びっくり画期的だもんなぁ」


 マヨネーズの時のハインの反応を思い出すと苦笑してしまう。


 髪を洗うのは、いつも難儀してるんだ。夏なら外で井戸の水をバサバサかぶれば良いんだけど、さすがにまだ寒いし。かといって、室内で洗うと必ずと言っていいほど床を盛大に濡らすことになる。大きな盥に頭を突き出して湯をかけるのだけれど、首の方にお湯が流れて来たりするんだよ。


「まああれだ、今日は髪を洗うのを断念しよう。もう遅いし」

「そうですね……仕方がありません」

「で、サヤの話に戻すけども。

 さっき急に怖くなったんだとしたら、サヤにとってまずい部分に、俺たちは踏み込んじゃったんだと思う。

 それなら、まず落ち着く時間が必要だよ。

 だから、納得できないかもしれないけれど……今回のことは、これで一旦終わりにしよう。

 明日また謝罪するのも無し。思い出させてしまうこと自体がよくないかもしれない」


 俺の言葉に、納得できませんと言いたげなハインだったが、それでも反論はしない。

 だけどその顔じゃ、悩んでしまって眠れないよな……。


「ハイン、サヤとはまだ出会って一日も経ってない。

 なのに、あまり踏み込まれるのも嫌だよ。もう少し時間をかけよう。

 俺たちだって、結構時間がかかったろ?」


 茶化すようにしてそう言うと、ムッとした顔になる。

 そう、俺たちの出会いは相当なもんだったよ。こんな穏便じゃなかった。

 サヤとは上手くやってる方さ。


「そんなわけだから、サヤの言った通り、お前は気にしすぎないこと。

 明日は早いからもう寝よう。また折を見て、話を聞くから」

「畏まりました」


 お互い納得したところで、湯呑みを手に取って口に運んだ。

 さっきのサヤ、何か言おうとしていたように見えた。

 だから、そんな遠くない未来に事情を教えてくれるんじゃないかと、なんとなく思ったんだ。

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― 新着の感想 ―
小夜さんは自分が過剰反応してしまったと言ってたけれど、怯え方からして何かトラウマでも抱えていそう(;´・ω・) 元世界で何か男性に対して嫌な思いをしたことがあるのかも……。 これから少しずつレイシー…
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