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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第五章
118/515

密会

「今何と言った?」

「ですから、風呂は如何ですかと。

 氾濫対策に従事する者ら用のものとなりますし、リカルド様には少々不敬かとも思ったのですが……お身体を冷やされたまま、長い話に付き合わせてしまいました。

 このままでは、体調を崩される可能性もあります。

 ですから、温まって頂けたらと、思いまして」


 にこりと笑って言う俺の言葉に、リカルド様をはじめ、配下三名も意味が分からないといった顔をする。

 風呂。なのに、氾濫対策に従事する者ら用。という言葉の意味が、理解できないのだと思う。

 まあ、上級貴族の娯楽的な要素が強いものなぁ……と、内心では思うのだが、顔には出さない。にこにこと愛想よく笑っておく。


「この片田舎の男爵家に、風呂だと?」

「今利用されているのは近衛の方々だけです。新設したばかりですし、水が一瞬で湯に変わるので、結構見応えもあると思いますよ。なかなかに画期的で、私としては気に入っているのですが」


 更に一同が妙な顔になった。

 これはわざとそうしている。中途半端に意味不明の情報を提供して、気になって仕方がないと思わせる作戦である。

 もうひと押しかな?と、様子を見て分析しつつ、追加情報を加える。


「一度見て頂くと、面白いと思うのですが。

 なにせ、この国初の、直接沸かす風呂でしょうし。軍事にも利用して頂けるかと思います。

 行軍時の衛生管理、学舎でも課題としてよくあげられてましたから」


 出征中の軍隊において、最も苦労するのが衛生管理だ。

 なにせ、持ち運べるものに限りがある。

 サヤによると、不衛生な状態は身体に菌を繁殖させる。それがの傷口等から体内に入ると、傷が膿み、最悪命を失うことになるという。

 我々にそこまでの知識は無かったが、戦の折は小さな傷などからでも悪魔が入り込むという認識はあり、戦場の呪いと受け止めていた。

 だから軍隊は、行軍中でも出来うる限り、村や町を利用する。無い場合は、不衛生なままでの行動を余儀なくされる。

 学舎では、そんな状態の行軍に慣れさせる為に、山間や草原を、装備一式を背負って歩き続ける試験があったくらいだ。

 不衛生な状態でただ延々歩き続けるのは、精神と体力両方を消耗する。それは大きく士気に影響するので、看過できない。

 だが、良い解決方法は無いままだった。持ち運べる荷物の限界。というものが、定まっているがゆえに。

 しかし、水に焼いた石を投下するという方法なら、川縁などの環境さえ確保すれば、特別なものを持ち歩かずとも、出向いた先で簡易的な風呂が作り出せる。

 濡らした手拭いで顔や身体を拭う程度の付け焼き刃ではなく、もう少しまともな体調管理が出来るだろう。


「小隊から軍隊まで、規模も自由に拡張できます。ひとつ、見てみませんか?」

「ふん、貴様は何かと小賢しいな」

「お褒めに預かり光栄です。田舎ですから、色々創意工夫を凝らさなければ生活もままならないのですよ」


 リカルド様の瞳は、言葉に反して冷静そのものだ。

 背後に立つ三人の配下には見えないからか、表情をあまり取り繕ってはいらっしゃらない。だから、思考に揺れる瞳が、まざまざと見える。

 暫く見つめ合った後、俺の挑発に乗るかたちで立ち上がるが、配下の二人が止めに入った。


「お止め下さい。風呂など、無防備すぎます!」

「軍事利用出来ると言うのだ。見せてもらおう。つまらんものであったら容赦せぬ」

「しかし……!」


 そこでゆらりと、リカルド様が動いた。

 振り返り、制止しようと声を上げていた配下の一人に向き直る。


「貴様は、この私が、剣も握れぬこの男に、遅れをとるとでも言うのか?」


 配下の方が、びくりと身を竦ませる。圧倒的なその迫力に、「いえ……」と、口にするのがやっとであった様子だ。

 そうしておいてから別の一人に「支度をしろ」と命ずる。


「少し離れた場所となるので、馬車で移動します。

 歩いてもすぐそこなのですが、なにぶん雨が酷いので。

 手拭いはこちらで用意致しますから、着替えだけで大丈夫ですよ」


 支度を任された配下の方にそう声を掛けると、ギッと睨まれた。フフフと笑って誤魔化しておく。まあ想定外だろう。こんな田舎で風呂とか言われるなんて思わない。

 馬車は四人乗りの為、申し訳ないが、配下のうちのお一人は留守番して下さいと伝えると、また睨まれた。


「私を信用して下さいと言っても無意味でしょう?この部屋に何か仕掛けないとも限りませんから、お一人は見張りに残っておく方が無難かと思いますよ」


 そう言うと、更に睨まれる。


「遊ばれるな。

 ……そんな気持ちがあるなら、もうとうに仕掛けておるに決まっておろうが。ここはこやつの館だぞ」


 リカルド様がそう言ってのしのし歩き、一番年下らしき一人に留守を言い渡す。

 そのまま外に向かうので、俺もそれに従った。

 部屋を出るとサヤが、雨除けの外套を纏って待機していた。

 そのまま促されて、玄関広間に向かう。

 玄関前にはハインが二頭立ての馬車に乗り、待機していた。サヤがそのまま進み、馬車の扉を開く。


「大丈夫ですよ。私も中です。人質とでも思って下されば、心穏やかでいられると思います」


 渋面な配下二人にそう言うと、また睨まれた。ちょっと楽しくなってくるな。こんなに反応が返ってくると。

 そのうちの一人が馬車の中を入念に点検していき、乗り込む。それに続きリカルド様。俺は最後にと思っていたのだが、配下の方にせっつかれ、三番目に乗り込む。何も仕掛けたりしないけどなぁと思い、つい苦笑が溢れた。


「まあ、こう言って安心して頂けるかどうか、分かりませんが……俺は妾腹の二子です。ここで俺に与えられた権限なんて無いに等しいですよ。

 この別館を与えられていますが、ようは厄介払いの様なものです。

 部下も、サヤとハインの二人きり。人手不足の為、懇意の商家から女中を一人借り受けているほどですよ」


 進み出した馬車の中で、時間潰しと惑乱の為に口を開く。

 正直、姫様という後ろ盾がある為、調子に乗っていると思われているのだろう。配下の二人は常に警戒が最大出力といった様子だ。

 それに対し、リカルド様は泰然とされている。大物だ。

 俺の斜め向かいに座るリカルド様に、手荷物の中から紙束を取り出し渡す。


「私が不信でしょうがないでしょうから、ここで一体何をしているかの資料をお渡ししておきますよ。ヴァーリン家ご出身の方とは、学舎で縁が無かった為、こちらの資料はお送りしておりませんし、ご存知無いでしょう?また、暇なときにでも、目を通してみて下さい」


 土嚢壁で何をどうするか、知り合いにマルが送った資料を一部お渡しする。

 敵に囲まれた様な状態で、飄々と表情を維持しているが、内心はドキドキしっぱなしだ。

 次の瞬間にでも首を絞められたら俺は終わる。だが、そういった手には出てこないだろうと思うから、平気なふりをしていた。

 何かあれば、御者台にサヤも、ハインもいるんだと、自分に言い聞かせて。


 あっという間に目的地に着いた。

 歩いたって十分もかからない道のりだ。

 外からサヤが扉を開けてくれる。まずリカルド様の配下の方が外に出て「なっ……なんだここは……」と、呟くものだから「本来は藁を貯蔵しておく為の倉庫ですね」と答え、俺も外に出る。


「この様な場所に……っ!」

「あ、早とちりしないで下さい。中に風呂を作ってます。

 セイバーンは、雨季の間雨が降り止みません。一日たりとてね。

 ですから、入れ籠(いれこ)のように、倉庫の中に風呂設備を設置しているのですよ。

 雨の最中、外で待機なんで嫌でしょう?倉庫に入れば、雨は振り込みませんから。

 さあ、中へどうぞ。不安でしょうから、入り口は目一杯開けておきますよ」


 軒の広い倉庫前は馬車も濡れない。御者をしていたハインも、御者台から降りて馬の世話を始める。このまま入り口に待機して、帰りの準備をしておいてもらう。

 同じく御者台に座っていたサヤが先に入り口を全開にしてから、中に入る。壁の杭に外套をひっかけてから外に出て来たが、サヤより倉庫の中の妙なものに、リカルド様方の視線は集中している様子だ。


「屋根があると湿気がこもるので、目隠しの壁のみです。倉庫の屋根がありますしね。

 お付きの方も中へどうぞ、設備をご覧下さい」


 動こうとしないから、俺が先に歩き、湯屋の扉を開き、中に入る。

 長靴を脱いで、木の床に上がる。泥を上げて汚れを持ち込まない為の処置だと説明して、リカルド様方にも長靴は脱いでもらう。

 率先して中に移動したサヤが、端に置かれた籠から履物を取り出し、それぞれに勧めた。

 何も履かないのは違和感があるという、近衛の方からの声があった為、現在はサヤの世界でスリッパと呼ばれる上履きを採用し、村人に内職として作ってもらったものを置いていた。それを足に引っ掛ける。衝立の内側には履いて入れないから、あまり意味を感じないのだが、近衛の方には足が楽と、評判だ。

 脱衣所の内部を説明し、通り過ぎる。衝立の奥が風呂場にあたると説明すると、リカルド様が興味津々、中を覗き込んだ。


「……湯が無いが?」

「水もこれから入れますし、風呂もこれから沸かします。見所はそこなので。

 さあ、中の点検はお済みですか?もう一度外に向かいましょう」

 サヤが入り口に移動し、床下から、これまたサヤの世界ではつっかけと呼ばれる、スリッパと同じ形ながら、木材と布で作った履物を引っ張り出す。


「またか。妙な形の履物だな……」

「ちょっと湯を沸かしに出るだけなのに、汚れた長靴を履きたくないでしょう?」


 このつっかけも、農家の内職としてお願いしたのだが、ちょっとした用事の時や、厠に行く時に便利だと、今農家の間で取り合いになる程人気だ。お願いしたのは十足だったのだが、今だに作り続けているらしい。

 製作を担当していた農家の三男が根を上げてしまい、今や家族総出で作業しているという。

 雨季の臨時収入にとても有難いけれど、腕が痛いとぼやいていた。


 それに足を入れて、湯屋の外に再度出る。底が木なのでカラコロと音がしてなんとなく楽しい。木靴と違って足が痛くないのも良いという。

 倉庫の床の部分は土を固めた三和土(たたき)となっているのだが、今やそこには、順番待ちや装備の点検、湯上りに雑談をする近衛の方々の為に、椅子と机が点在している。

 端材でアーロンが作ってくれたものだ。「俺、大工なんだけどなぁ……」と、言いつつ、案外良いものを作ってくれている。サヤの世界では、大工も家具を作るらしいのだが、本来は家具職人の領分だ。


「……これは、何をしている?」

「水路の水を自動的に組み上げてます。結構な湯船なのに、桶で水を移してたんじゃ大事でしょう?

 ここの蓋を開け、こちらを閉じると、湯船の方へ自動的に水が溜まります。一定量入りましたら、もう一度閉じた方の蓋も開きます。

 そうすると、少量ずつだけ湯船に水が入る様になります。湯船の湯は、中で消費していきますからね。少しずつ、自動供給される様にしてます」


 そうしておいてから、湯船裏に移動する。

 最後に湯を利用する近衛の方にお願いして、石だけは焼き続けておいてもらった。

 だから、芯を赤く光らせた石が、ゴロゴロと熱せられている。


 風呂に一定の水量が入ったのを確認してから、サヤが鋏で石を掴む。それを、湯船裏の定位置に放り込むと、盛大な音と同時に水蒸気が立ちこめる。爆発かと言う様な勢いに、慌てる配下の方々。流石のリカルド様も一歩身を引いた。

 サヤは意に介さず、二個、三個と石を投下していく。

 経験で、適温へ沸かすには大石四個と小石一個と定まった。水量や季節で変わってくるのだと思うが、サヤもその定められた数を放り込み終えたら、後は小石のみを焼いて、火の番をしておいてくれる。

 追加で湯を沸かす場合の為に待機だ。


「さあ、風呂が湧きましたから、中に戻りましょうか」


 呆気にとられて口を大きく開いたままの皆に声を掛ける。

 呆然としていたリカルド様が、ハッと我に返り、俺の方を向くので、中が適温か確認しに行きましょうと促すと、気持ちが流行るのか、大股でついてくる。


「焼いておったのはただの石か?」

「ええ。ここでは湯船を作りましたけど、河原等ならば、川の一部を囲ってそこに焼き石を投入すれば良いですし、土嚢で枠を作り、天幕用の布を貼ってから、中に水を溜めて風呂を作っても良い。

 その場合でも、麻袋五十枚もあれば程々の大きさの風呂が出来ます。片付ける時は、土嚢を抜き取れば壁が崩れますから、水も楽に捨てられますので、さして労力ではありません。

 二十五人の部隊なら、麻袋一人二枚、荷物に増えるだけです」

「荷物等を入れる袋として使っていても良いわけだな。明日で構わぬ。土嚢も見せてもらおう」

「畏まりました。圧巻の土嚢壁をご覧に入れますよ」


 遅れていた配下の二人が、我々の会話に慌てて駆けつけてきた。

 将としては優秀な方とのことだから、特に違和感は無いのだろう。だが、急に俺と普通に会話を交わしだしたことには慌てている様子だ。

 湯屋に戻り、湯船に直行すると、見事に風呂が出来上がり、もうもうと湯気が立ち上っている。


「確かに、風呂に見える……」

「後は身体で確認して下さい。じゃあ、脱衣所に戻ります。あ、私も人質がてらご一緒します。従者の方は如何なさいますか?」


 俺たちが湯を沸かすのを見学している間に、ハインが荷物を脱衣所に持ち込んでくれていた。

 主に手拭いである。一応、糠袋もあるが、これをリカルド様が使うかどうかは判断出来ないな……。汚れはよく落ちるのだが。

 そんなことをボーッと考えている間に、従者二人がどうするかは決まった様子だ。

 軒下で馬の世話をするハインと、石を焼いているサヤを警戒するらしい。湯屋の入り口と、裏側に一人ずつの配置となる様子だ。

 凄く渋い顔をしていたので「大丈夫ですよ。武器は持ってきておまりませんから」と、上着と腰帯を外す。妙なものを妙なところに隠しているかもしれないと、脱衣の間は見張られることとなった。


「私相手に小刀一本すら帯びず……良い度胸だ。それとも、こちらを舐めているのか?」

「ははっ、まさか。小刀一本あったところで足しにもならないでしょう? なら持つだけ無駄だと思ったまでですよ」


 従者の方の目が光る中、脱衣所で率先して衣服を脱ぐ。

 壁際の棚にある籠にそれを入れ、手拭いを腰に一枚巻いただけの姿を晒す。

 ほら、何も持ってないでしょと配下の方に愛想を振りまくと、舌打ちしそうな顔でそっぽを向かれた。

 本来貴族の風呂は、一人に対し複数の使用人が同行し、甲斐甲斐しく世話を焼く。真っ裸を当然の様に晒すわけだが、湯屋を利用するのが近衛の方々であり、世話する使用人も居ない状態なので、ここはサヤの国の湯屋規則で統一した。因みに、腰に手拭いを巻くのは作法であるらしい。

 俺の貧弱な肉体に対し、リカルド様はまさしく筋骨隆々。腕や太ももの太さからして違う。節々に色々な傷が散りばめられていて、とても迫力があった。

 同じく腰に手拭いを巻いただけの姿になったリカルド様と共に、湯船の前に向かった。


 振り返る。

 入り口前に目隠しの為の衝立。一応そこには壁との間に棒が渡してあり、同じく目隠しの為の薄布を垂らしてある。暖簾(のれん)と言うらしい。サヤの世界の暖簾は、我々のものと用途が違う様子だ。やんわりと空間を仕切るのに使うらしい。

 やんわりと仕切る……ということの意味が、よく分からなかったのだが、成る程、こんな感じか。今、分かった。

 扉を閉めてしまったのでは、警戒されるだろう。なんとなく見えるようで見えない。そのことで、中を完璧に封じてないと感じるから、警戒を弱めることが出来るということのようだ。


 万が一、見張りの二人が危険な動きをした場合は、外の二人が知らせてくれる手筈となっている。


「まず、湯船の湯で身体を流し、髪も洗うんですよ。

 この風呂は大人数で使うことを想定されておりまして、湯の中に汚れを極力持ち込まないよう、先に外で身体を洗ってしまう規則となってます」


 洗い場の隅に重ねて置いてある椅子やら桶やらを一つ、運んで来て勧める。

 俺も同じく、湯船横でそれに座り、サヤに結わえてもらっていた髪を解く。

 サラサラとほぐれていく髪を、リカルド様がそれとなく見ている。俺は後頭部の髪の中に手を突っ込んで、サヤが即席で作り、ピンと呼んだ、針金を曲げた様な髪留めで止めていたものを、つまんで取り出した。


「⁉︎」


 唇の前に指を立てる。大丈夫、ただの紙切れですから。


 ・メバックより南の森、二十人程の部隊。高齢の方の指揮の元。心当たりはございますか?

 ・お連れの方三名のうち、信頼のおける方は、いらっしゃいますか?

 ・姫様は貴方が象徴派の長とご承知あること、ご存知ですか?

 ・私が貴方のお力になると言って、信じて頂けますか?

 ・本来の貴方をご存知の方は、いらっしゃいますか?


  是であれば、首肯。否であれば、二打。


 おまけ…信頼して頂けるなら、王家の秘密をお教えする準備がございます。聞きたいですか?


 小さな紙に、小さな文字で記したそれを体の陰に隠して差し出す。

 そして、頷く仕草と、桶の縁を指でトントンと叩く仕草を見せる。

 明確に動作を分けたのは、はっきりとした回答が欲しかったからだ。

 俺の質問と提案に対し、リカルド様の視線が鋭くなる。紙は受け取らない。

 正直、どの様な返事があるかはあまり重要ではなかった。リカルド様の反応を、余すことなく見つめる。


「これは、糠袋と言うのですが、まあ、ただの麦糠を詰めた袋です。これを湯の中で揉むと、湯が白濁するのですが、これで髪を流すと、髪の余分な汚れや油が流れるのですよ。髪が思いの外、さらさらになりますよ。あ、すすぎはしっかりしてください。汚れが落ちても、糠が付着してしまいますから。

 あと、この袋自体で体を撫でて頂くだけでも、汚れが落ちるのを実感できます」


 口では風呂の扱い方を説明し続けつつ、反応を待つ。

 リカルド様は、食い入るように紙を見た後、眉間のシワを深くした。懸念、疑惑、焦り、不安、怒り、ありとあらゆる感情が、飛び交っているのを吟味する。

 そうして二回、深く深呼吸をするほどの時間が過ぎてから、リカルド様が口を開いた。


「仮に、河原で湯を沸かす場合は、外で身体を流して入る訳にいくまい」

「そんなことはないですよ。まず川に入って洗い流していただいたら良いです。その後湯に入って身体を温める。

 濡らした手拭いで一通りぬぐってから入る。くらいでも結構違いますよ」


 首肯。首肯。二打。


 そこで動きがピタリと止まった。眉間のシワが深くなる。

 残りの二つの質問はどうも答えにくいらしい。

 もしくは、おまけにどう返事したものかと考えているのかもしれない……。


「背中を流しましょうか?」

「結構だ、もう良い。……湯船には、そのまま浸かれば良いのか?」

「はい、じゃあ俺も」


 桶の湯に紙を投入。水の中で細かく千切る。それを、洗い場の端に流した。

 水につけて滲んでしまった字は読みにくかろうし、暗がりの中外に細切れの紙が流れたところで、気付かれはしない。水路に戻ってしまえば、川までは蓋がされていて見ることもできない。

 証拠隠滅を図ってから、腰にかかる長い髪をくるくるとまとめて飾り紐で適当に括った。

 何食わぬ顔で湯船に浸かる。


「……本当に、普通の湯だ……。あれで風呂が沸くか……。見ていれば当然のことなのだが、風呂に使うとは……」

「ヴァーリン公爵家には風呂もおありでしょう?

 沸かした湯を、湯船に移している間に、結構風呂が冷めてしまうと思うのですよ。

 でですね、別に石でなくとも、鉄球等で構わないのです。湯を沸かすついでに焼いておき、湯船に放り込めば、温め直しくらいは直ぐ出来ます。

 風呂の湯を捨てて暖かい湯を入れ直す……なんてやってるとまどろっこしいでしょう?」


 そんな風に言いつつ、湯を手にすくって顔を洗う。

 ふぅ、大きな風呂、なんかすごく開放感があるな……。手足を伸ばせることが、とても心地よい……。調理場の鍋風呂も良いのだけれど、こっちの方が好きかもしれない。たまに入りに来ようかな……。そんなことを考える。

 近衛の方々にやたらと好評な理由が分かった気がした。


「確かに。湯の移し替えをしている間、更に冷めるし、後で気分が悪くなる……」

「ああ、湯冷めしたり、湯だったりしますね」


 気の抜けた会話だ。

 リカルド様を見ると、なんだか少し、気持ちがほぐれた様なお顔だ。

 その様子に、少し、いたずら心が湧いた。


「……リカルド様とは、実は何度もお会いしております。覚えてらっしゃいますか?」


 そう問うと、記憶を探る様に瞳が揺れる。

 本当は、もっと正直に話すつもりでいたのだけれど……まあ、良いか。


「……何度も? その様な記憶は無い……。貴様を見ておれば、覚えている筈だ」

「お会いしていた頃は、俺はこんな髪色じゃなかったです。結構くすんでいたというか、灰髪だったのですよ」


 そう言って笑いかけると、さらに記憶を追う様に、視線を伏せる。

 分からない……記憶に無い……一体、何処で? と、頭を悩ませている様子に、ついくすりと笑ってしまった。

 ギロリと睨まれる。


「分からないのも無理はありません。俺、結構色々、変わりましたしね。

 ああ、あの当時、俺は姫様を男性だと思い込んでいたもので……クリスタ様と表現しますね。

 俺、クリスタ様の替え玉をやってました。陽の光の下に、長く居なければいけない様な……クリスタ様のお身体に障る行事ごと限定で」


 そう言うと、驚愕の表情。「まさか⁉︎」と、声を荒げる。


「リカルド様⁉︎」


 外の配下の方々が、リカルド様の荒げた声に反応する。だがリカルド様はそれを無視した。

 浴室に走り込んで来た配下の方を、鬱陶しそうに手で払い、追い返す。


「あれは、少女であった筈だ。私は顔も見た覚えがある!」

「ええ、日除けを枝に引っ掛けてしまった折に、助けて頂きましたね。

 あの時は本当に焦りました。なにせ、どちらかの姫に追われておりましたし、瞳の色は誤魔化しようがありませんから。

 ですが、お礼を伝える前に、貴方はさっさと離れていってしまって……途方にくれたのを覚えています」

「嘘だろう?……た、確かに、瞳の色は……いやだが⁉︎」

「あー……、俺、ここ二年で頭一つ分ほど背が伸びたんですよ。

 それとその……元々、母にしか似ていないと、よく言われておりました。

 あの当時は……女にしか見えないと、しょっちゅう揶揄(からか)われていまして……」


 そう言うと、食い入るように顔を覗き込まれた。

 それはそれで恥ずかしい……そして傷付く。そこまでがっつりと女認定されていたとは……。

 暫くそうやって恥ずかしい時間を無言で過ごすと、最後にやっと「確かに……面影はあるように、思う」という返事が返った。良かった……女だと断じられなくて。


「替え玉であること自体は、気付いてらっしゃいましたよね?

 でなければ、あの時点で大騒ぎになってたでしょうし」

「それはそうだろう。私はあれの顔を知っているのだから」

「ややこしい事情も全て、ご存知だったのですね。姫様が、アギー家のクリスタ様だと偽って男装し、俺と入れ替わっていた。ということを」

「……顔を知る者は、知らされていた……」

「エレスティーナ様とご婚約されていらっしゃったのですものね」

「……あれは、姉の後をしつこくついて回っていた。

 だから、もののついでで、覚えていただけだ」


 本題にたどり着いた。

 内心でそんな風に思いつつ、顔には出さない様、意識を集中する。

 湯屋で俺のやるべきことは、リカルド様の質問に対する反応を見ること、エレスティーナ様について話を聞くことだった。

 反応を見れば、リカルド様の人となりが、もっと見える。そして、王家をどう思ってらっしゃるかも分かる。


「エレスティーナ様も、白い方だったのですか?」

「……あそこの姉弟は全てそうだった」

「……弟君は、幼くして、身罷られたのだそうですね」

「ほんの数日の命だった。名を貰う前に、さっとさ天に昇ってしまったわ」


 弟君は、姫様より十歳年下であったらしい。姫様から弟君までの間も、お子が出来なかったわけではなく、流れていらっしゃるという。


「……エレスティーナ様は、どの様なお方だったのですか?」


 体勢を変え、湯船に背中を預ける様にして、リカルド様の顔を見やすい様、位置を調節する。

 リカルド様は、俺の質問に、暫く遠くを見定めるかの様に、視線を上げた。

 そうしてから、クッと、口角を上げる。


「……悲惨な女だった」

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