危険
「美味でした。
さて、レイシール様。ご相談があるのですが」
昼食が終わって、食後のお茶を堪能している時、ハインが改まった感じで話をふってきた。
相談……? サヤのことかな。
なに? と、促すと、思案しつつというように瞳を伏せながら、口を開く。
「作れるかもしれません。鉄鍋のような風呂」
「へぇ、そうなん……えぇ⁉︎」
作るの⁉︎ 作るって言ったよね、まさか自作する話になるの⁉︎
「貯蔵庫にしまった大鍋を覚えているでしょう?
あれなら人が中に入れますから、あれで風呂を作り、健康になれるか検証するのはどうでしょうか。
排水等も調理場のものをそのまま利用できますし、煙も煙突に流れます。
まあ、取って付けた感じはどうしようもありませんが……」
それなら毎日とはいかないまでも、数日に一度は利用できるのではと、ハインが言った。
たしかに……鍋は相当巨大で重く、空の状態でも男二人掛かりで天秤棒を使って上げ下ろしするような代物だった。
当然竈門もでかい、その大鍋専用で他に使い道もないため今は調理場の隅で埃をかぶっているだけだ。
半分地下に潜るような形で作られた竈門で、大鍋の淵は床から少し出ているだけ。たから、縁を跨げば入れるだろう。そうでないと鍋の中が覗き込めないほどに深い。
こんな巨大なものを何に使っていたのか疑問だったけれど、ハインは使用人の湯浴み用に湯を沸かしていたのではと言っていたっけな。
大鍋の竈門のすぐ隣には、流しが備え付けられている。
鍋が大きすぎるので、下ろすための場所が必要だったのだと思う。だからそのための空間を流しと兼用にしたようだ。床とほぼ同等の高さの流しで、大量の野菜を洗ったりしないため、これまた普段は使っていない。
「調理中に一度火を起こしてしまえば、放置しておいてもある程度湯は沸かせますし、管理も片手間にできます。
流しを洗い場として使えますし、多少の不便と羞恥に目を瞑るなら、利用可能かと。
サヤが力持ちですから、あの鉄鍋を貯蔵庫から持ち出すこともそう手間ではないはずですし、貯蔵庫のがらくたも減ります」
残り湯は洗濯に利用できますしと、最後にそう付け足す。
洗濯も、水で洗うより湯で洗う方が汚れが落ちる。今までは、そのためにわざわざ薪を使ったり、湯を沸かす手間が面倒だったが。風呂のついでだと思えば無駄ではないというのだ。
「身綺麗にして健康になるなら、その方が安上がりですよ。
そもそも馬車で半日もかかる場所に病人を連れて行くのが相当手間です。悪化しますし」
医師は、連れて行くのも、連れて来るのも大変だ。
だが、健康になれるかどうかよりも……サヤのために風呂をなんとかしてやらねばと思っての発言と思えた。
不思議でならない。
ハインは、今まで俺に関することにしか興味が無いようだったのだ。俺の生活に関わるからなのか? でもそれだけでもないよな……とにかくサヤの言葉を重く受け止めて、風呂を使える生活を整えなければと思っているようだ。
まあ、サヤの願いも叶うわけで、反対する理由はない。むしろ歓迎すべきことだよな……。
「うん、ハインが出来そうだと言うなら、良いんじゃないか?
サヤのための家具を見繕うついでに衝立や仕切りを注文すれば良いし、どうせメバックまで行くんだし」
俺が同意すると、少しホッとした顔をしてから、こほんと喉を整える。
そして、言い訳のように横を向いて、モゴモゴと言葉を続けた。
「我々が試してみて、良いと思えば、村に湯屋を作ることを考えることもできるのでは?
農民は怪我や病が多い。天候も関係なく畑の管理がありますしね。
体調管理の一環として、共有できる風呂を持つのは、有意義だと思います。
鉄鍋の風呂なら、まだ手が出る値段でしょうし……」
バッサリ切って捨てたくせに、そんな風に言うんだな。
農民たちのために、先走るんじゃなく、きちんと使える方法を模索するということか。
サヤが湯屋というものを教えてくれたからこそ、まだ実現できそうな道筋が見えてきた。だから俺の願いを、叶えようと考えてくれた?
まあいいや。なんにしても、良いことに変わりはない。何か彼なりに思うことがあってだろうし、そのうち話してくれるよな。
サヤの方を見ると、風呂ができるかもしれないという話に期待を込め、瞳をキラキラさせていた。
力仕事頑張ります! と、気合も入れている。
なので、俺はそれでいこうと号令をかけた。まずは風呂を作り、使ってみる。
「では、午後からの予定ですが、メバックに行く準備に費やしましょう。
サヤはまず洗濯です。道具は部屋に運びますから、洗って干すように。
我々が貴女の衣服を触るのは嫌でしょうし。
それが済んだら、客間の家具を一通りサヤの部屋に運び込みます。
貴女の家具は完成まで時間がかかるでしょうからね。
あと何が必要か、ある程度目星は立てておきたいですから、考えておくように」
食事が終わったサヤに、客間の家具を一人で全て自室に運べるかと確認する。
サヤが、大きなものはもう無いので、全て自分で運べると言ったので、ハインは無理があれば声をかけてくださいと前置き。
「では、サヤはそのようにお願いします。
私たちは執務室にいますから、何かありましたら声を掛けて下さい」
「はい」
ハインはこれから食器を洗うようだ。俺はどうしようかなと思っていたら、「ご相談したいことが多々ありますので、執務室で待機しておいて下さい」とのこと。
執務室に移動して、とりあえずはやることがないので、今後の予定を失敗書類裏に書き出しておく。
サヤの買い物と、風呂場の仕切りの注文と……メバックに行くならあと何があるかな……ギルに会う、あとマルにも会いたいな……ついでだから、分析の結果とか、途中経過だけでも聞けないかな……。
思い付くことを書きなぐっていたら、ハインがやって来た。
一通りの作業を済ませたようだ。きっちりと扉を閉めて、執務机の前に来る。その上で、何故か小声で話し出した。
「サヤは……男装で過ごしてもらうのが良いと思うのですが」
……はい?
なんの話に飛んだんだ?
「色々探りを入れてみましたが、サヤの世界とこの世界は、大きく価値観が異なるようです。
サヤは、特殊なことを知りすぎているうえ、この世界の常識欠如が甚だしく、しかしそれを自覚しておりません」
苦いものを噛み締めたような顔で言う。
そうだな……。それは俺も感じていた。
学舎という、この国で最高峰の知識を蓄える場にいた俺たちより、遥かに高水準なことを知っている。
ここまでの料理の知識や、病気の話……風呂の話。それだけで相当おかしいのだ。
特に料理というのは特殊な能力で、技術は秘匿されがちだった。
誰もが作れる料理は価値が下がる。だから、自身が身につけたものは弟子にも見せない。基本後継にしか伝えない。
切る、煮る、焼くくらいの事は習うことができるが、それから先は自身で探し出すしかない。
なのにサヤは、それをいとも簡単にハインへ授けた。
特殊な味付け、特殊な調理法、そして特殊な調味料。
正直、サヤは王都で料理人として出世できるだけの知識を、もう垂れ流している。
「レイシール様は、サヤの知識を悪用されるような方ではない。
今私が指摘するまで、凄いとは思っても、それを利用しようなどとは考えなかったでしょう?
ですが……周りはそうではありません」
俺を見据えてハインが言う。若干呆けていると言われた気もするが……まあいいや。
「サヤは、良かれと思い……もしくは、あまり深く考えず、料理の知識、力が強いこと、耳がかなり良いことを簡単に私たちに知られてしまいました。
一つ二つなら、少し特別なことを知っている。少し力が強い。それで済むのですが……彼女は沢山、違いすぎます。
正直できることなら、今からでもサヤとは関わらないでいただきたい。妙なことに巻き込まれそうな気がしてなりません。
彼女を匿うことで得られるものは計り知れないですが、それは諸刃の剣。
レイシール様は――」
「待てハイン!
俺は彼女を守るともう決めた。それは覆さないぞ!」
ハインの言葉を遮って、決定事項を捻じ込んだ。
サヤが特別なことを知っていたのも、特殊な能力を持っていたのも、たまたまだ。
そして彼女をここに引き込んでしまった俺の責任と、それは関係無い。
ハインは、そんな俺をじっと見つめ、そして大きく息を吐いた。
「分かっています……。
貴方はそう言うのだろうと、思っていましたから。
ですから、今までは仕方がありませんので、ここからはできるだけ隠すようにしましょうと提案しています。
実際自覚のない彼女を放置するのも論外ですし、事情を知り、守ることができる者は、我々しかおりません」
小声で喋っているのは、サヤに聞かせないためだと、やっと理解した。
彼女が中途半端に話を聞き、不安になってはいけないと思ったのだろう。
それにこの話運びは、元から彼女を守るつもりであったように聞こえる。
「何か行動する時、発言する時は、まず私かレイシール様に確認を取る。それを徹底しましょう。
彼女はとても優しい性質のようだ。それは、この短時間でも充分伝わりました。
逆に、恐ろしく危機感が足りない。簡単に私たちのことを信用してしまいましたしね」
「……彼女の知識が特別だということは、俺も充分分かった。
それをあまり知られない方が良いというのも、理解した。後でサヤにも伝えよう。
それはともかく、男装ってのはなんだ?
それが全く話と繋がらないんだけど……」
そう問うと、ハインは顔を顰めて「外聞が良くありません」と、言った。
「ここは男所帯です。サヤをレイシール様の妾だと勘違いしたり、商売女だと侮る者が出るかもしれない。
ですからサヤを守るためと、我々の立場を守るために、男装が妥当だと思うのです。
兄上様から隠すためにも有効な処置かと。男なら興味も湧かないでしょうから。
サヤを本気で守るなら、それくらいの策は、重ねておく必要があるのではと思いました」
「サヤは結構美女だと思うんだけど……男装で男に見えるか?」
身体はほら、その……なんやかんやで誤魔化すんだと思うが、顔は女の子でしかないと思うけどな。
俺がそう言うと、ハインは何言ってやがると言いたげな渋面になった。
「美女みたいな顔の人が何言ってるんですか……」
……ちょっと待て。
「最近はちゃんと男らしくなって来たと思うんだけど⁉︎」
「体格が男らしくなってきただけでしょう。顔は変わりません。
レイシール様の横にいるなら誤魔化せます。貴方が男なのだから、サヤも言い張れば男に見えます」
「何それ⁉︎ なんかとても傷付くこと言った!」
「事実です。今さら傷付かれても困ります」
今までの真剣な話し合いが一瞬で白けた。そして俺は傷ついた! 背も伸びたし、髭だって生えるようになったし、肩幅も足も大きくなったのに!
ハインにそう言うと、髭以外ほぼ体格の話じゃないですかと一蹴された。
髭にしたって似合わないから伸ばさないでくださいよとダメ出しされ、その上で、真面目な話をしているんですから、真剣に聞いてくださいと注意された。なんか納得できない……っ。
「彼女の知識を良からぬ相手に知られてしまえば、下手をすると奴隷より酷い扱いを受けることになる。命の危機すらあるのではと、思ってしまったのです。
サヤは、確実に、ここより進んだ文明世界の住人ですからね。
だってそうでしょう? 病気というものはある種の呪いだ。なのに、サヤは病気になるには理由があると言った。それだけでも神殿に知られたら厄介です。
正直、はじめは冗談か何かだと思いました。ですが……それにしては、色々なことに辻褄が合ってしまう……。
サヤの言うことが、この世界ではまだ知られていない真実なのだとしたら……サヤは狙われますよ。知りすぎている」
いつになく饒舌に、ハインは言う。考えをまとめる時間すら惜しむように。
そして、またしばらく逡巡してから言ったのだ
「王都の孤児には、王都の孤児の知識がありました……。
例えば、水に関すること、病に関することは沢山あります。
我々が経験上蓄えた、いくつもの命を犠牲にしたうえで得た知識です。
サヤの言ったことは、我々が漠然と知っていたことを、きちんと説明していた。
前世の行いのせいではない、悪行ゆえに不幸な生を神に指示されたわけでもない。
環境が、孤児を不幸にしているだけだと、そう言ったのです……」
ハインの発言に、目を見張った。
喋った……。孤児の時のことを、全くと言って良いほど語らないハインが。
そして思った。
ハインは、サヤに心を救われたのかもしれないと……。
あの短時間で、サヤの口にした言葉で、ハインは孤児であった自分が救い上げられたと感じたのだ。
孤児は、前世の悪行故に、苦難を与えられた者だとされている。
だから、彼らが不幸なのは当然、不幸でなければならないのだ。孤児はまともな方法で生きていけない。盗んだり奪ったりをせざるをえない。雨風に晒され、保護してくれる大人もなく、さらに悪行を重ね、また来世も堕ちる……。
そんな孤児が救われるには、神殿で自身を捧げ、神に奉仕し一生を終えるしかない。そうすれば、来世では救われると言うのだが……前世の記憶もなければ、来世が約束されているわけでもない。
本当の真実を知る者は、いないのだ。
九年より前のハインは、俺も知らない……。
俺が出会ったハインは、痣だらけ、傷だらけで、路地の片隅に崩折れていた。
明らかに暴行の後で、自身で立つことも出来ず、虚ろな目で虚空を見ていた。小雨の降る中、身を守る術など無く、ただ静かに濡れていた。
俺が話し掛けても反応せず、ただ自身の終わりを待っているように見えた。
その姿はただ、暴力に晒された子供でしかなった。前世がどうだろうが、子供を痛めつける行為が何故正しいことになる? あの時俺は、そんな風に思ったのだ。
俺も、孤児と変わらない。
異母様から夫を奪った悪魔の子だと、言葉や拳で、躾と言う名の暴力や暴言を与えられた。それを甘んじて受け入れなければならないと教えられた。
だが、俺は助け出された。そこから救ってくれた人がいた。
なら、今度は俺が助ける番なのではと、思ったのだ。
だからハインを拾った。だけど、ハインの心の傷は、きっと生傷のままだった。
俺に語らなかった過去のハインを、サヤは……。
「俺はハインの前世なんてどうでもいい。無神の民でも、なんでもいい。
今のハインがハインの全てだ。俺の好きなハインだよ」
なんとなくそう声をかけたら、何を言いだすんだこの人⁉︎ みたいな顔をされた。
「言いたいことは伝えました」と前置きして、さっさと執務室を出て行ってしまう。
……なんなんだよもう……。
その後、家具の運び込みと、洗濯を終えたサヤがやって来て「ハインさん如何されたんですか? なにか、真っ赤な顔されてましたけど」と言われ、なんだ照れてやがったかと気付き笑った。