ストーリー1 雨宿り
大学からの帰り道、コンビニでコーヒーの銘柄に悩んでいた。
どうでもいいことだけど、いろんな銘柄を味わってみたかった。
(これは、飲んだな……、今日はこんなに大きなボトルじゃなくても……)
5月も半ば、少し前まで晴れて暖かかったのに、空に不気味な色の雲が現れ、急に気温が下がったからなのか、熱いコーヒーが飲みたかった。
結局、数分悩んだ挙句に、薫りの強いブラックを選んだ。
レジの前に立ち、外を見ると猛烈な雨になっていた。
(ここに入った時点では降っていなかったのに……。)
いわゆるゲリラ豪雨と呼ばれるものなんだろう、追加でビニール傘を買って外にでた。
それにしても激しい雨だ。
ビニール傘に当たる雨の音で、周りの音が掻き消されてしまう。
一瞬、目の前が白くなったかと思うと、ライブ会場のスピーカーの前で体に振動が伝わるような大きい音の雷鳴が響き、反射的に体を丸めると、身の危険を感じて近くの歩道橋の下に逃げ込んだ。
既に先客がいるようで、自転車の横でハンドルを握りしめる後ろ姿は、雷がなるたびに肩を窄めていた。
大学生かな?
この辺にはウチの大学のキャンパスしかないから、同じ大学の子だろうな・・・・
それから暫くして、雨の勢いは残っているものの、雷は鳴りやんだようだ。
「雷はもう大丈夫みたいだね」
聞こえるように声に出すと、その子は恐る恐る振り返った。
「あ……」
「あ……」
同じゼミの子だった。
その子はバツが悪そうに下を向いた。
「原田教授の物理……、受けてたよね……」
「う、うん」
空を見上げると、雲は切れ間なく続いていた。
「止みそうもないね」
「う、うん」
(何だか、清楚で物静かで、近寄りがたい人だな……)
「雷止んだけど、雨は止みそうもないから、俺、一足お先に……」
「う、うん」
傘を広げ、雨の中に突入しようとした時、背中のバッグにポンチョが入っていた事を、ふと、思い出した。
傘を閉じ、バッグからそれを取り出すと、彼女に差し出した。
「ポンチョ、良かったら使って。 家に帰ったら捨てていいから」
「え? どうして?」
「サッカーの雨観戦で使ってたんだけど、少し破れている箇所があるんだ」
「いいの?」
彼女は、下から覗き込むようにして尋ねた。
「うん、自転車じゃ傘は無理でしょ? 少し破れはしてるけど、十分使えるよ」
「あ、ありがとう」
「着てみて」
「う、うん」
そういうと、彼女はポンチョを頭から被った。
「ちょっと大きかったかな?」
「大丈夫。 でも、どこも破れてないよ?」
「実は、フードの付け根の所、脱ぐときに引っ張ったら破れちゃったんだ」
そして、首の後ろの破れた穴から指を入れて彼女の首を突っついてみた。
「きゃっ」
彼女はくすぐったそうに体を丸めた後、そーっと俺に方に視線を向けた。
「あ、ゴメン」
「いえ、こちらこそ、ありがとう」
いそいそと、彼女は自転車に跨った。
彼女がサドルに腰かけた瞬間、座った位置が悪かったのか、ポンチョが”ピーン”っと突っ張って、まるで背中のファスナーが開いたかのようにポンチョは縦に大きく裂けた。
「あっ」
声をかけたが、恥ずかしさが勝ったのか、彼女は大急ぎで自転車を漕ぎ出し、雨の中に入っていった。
大きく裂けたポンチョの下のシャツは、雨に濡れて、みるみる色が変わった。
(この雨の勢いでは俺の声も聞こえないか……)
俺も家路を急ぐことにした。
『お帰り』
アパートの玄関を開けると、さっきの彼女が満弁の笑顔で迎えてくれた。
『雨、まだ降ってるの?』
『だいぶ小雨になった』
『コーヒーは?』
『ゴメンね、道草しててぬるくなっちゃった』
『……』
「いるわけないか……、可愛かったな……」
差し出した先に、実際の彼女がいるわけではない。
単なる妄想だ。
大きなため息をつくと、コーヒーを一気飲みした。
週末、サッカー観戦でスタジアムにいた。
応援しているチームは、押されっぱなしでいいところなしだ。
(何やってんだよー。 今のはパスでしょ……)
俺はあまりヤジを飛ばす事はしない。ほとんど胸の中に収めている。
そんな時、
「どこ見てんだよー! 相手にパスしてどーすんだよ!」
右後ろから大きな女性の声がした。
その後も大きな声は続き、いい加減うるさく感じてきた俺は、後ろを振り返ると自分の目を疑った。
そこにいたのは、あの時の彼女だった。
生ビールを片手に叫んでいたかと思うと、少しお酒に酔ったような眼差しで、今度はブツブツ言っている。
「君もこのチームのサポーターだったんだ。 あんまり飲み過ぎて迷惑かけると、出入り禁止になっちゃうよ?」
俺は、特に悪気もなく言った。
それと同時に、俺の中の妄想の彼女は大きな音と共に崩れた。
ふと、見ると隣の席が空いている。
(あ~、彼氏と待ち合わせか。 あーよかった、簡単に諦められるよ……)
「この前、大丈夫だった? 雨に濡れちゃったでしょ」
(一応、心配してた事だけ伝えよう)
「あぁー、ポンチョ野郎か。 シャツがスケスケで嬉しかったんじゃないの? スケベ!」
恩を着せるわけじゃないけど、俺はその言葉にカチンと来た。
「人が親切にしてやったのに、そんな言葉が帰って来るとは思わなかったよ。 あのまま放っておくべきだったよ」
すると、彼女は薄笑いを浮かべると、大声で言い放った。
「どーせ、親切に見せかけて下心丸出しだったんじゃないの?」
売り言葉に買い言葉、俺も彼女に言い放った。
「あー、男なんてそんなもんだよ。 あの時点で断らなかったそっちもそっちだよ! すいませんね、下心丸出しで!」
彼女はわるびれる素振りもなく、紙コップを額に当てると笑い出した。
「あー、面白くなりそうだ。 それにしても遅いなー」
(ははーん、ここで彼氏が登場して俺を責め立てるって事か、その手には乗るか!)
「気分ワルー、俺もビールでも買って、ほかの席で観よー」
席を立ちあがるとゲート近くの売店で生ビールを買った。
「ありがとうございました」
店員に見送られ、ゲート前を通ったその時、チケットを片手にゲートをくぐってきた彼女と目があった。
俺に気が付いた彼女は、
「あっ、この前はありがとうございました」
駆け寄ってきて深々と頭を下げた。
「あれ?」
状況を呑み込めない俺は、天を見上げた後、飲んでもいないビールを覗き込んだ。
彼女は、キョトンとしている。
「あれ? さ、サッカーって観るの?」
「きょ、今日が初めて……」
「あっ、そ、そう……」
何となく、嫌な予感がした。
「ひとり?」
「うう~ん、双子の姉と一緒、私はバイトで遅れちゃって……」
「あ、そ、そうなんだ……、おつかれさまー」
俺は、何故かゲートをくぐり家路を急いだ。
(恥ずかしすぎる……)