家出編
───この家を出ます。お世話になりました。
そう私が口にしたのは、高校一年の秋も終わる頃だっただろうか。目の前に座るその時点でまだ母親だったその人は、言葉を聞いていつもと変わらぬ表情で少し考えるような素振りをしていた。
「そう。行く宛はあるの?」
冷静に返された言葉に少し驚いた。泣き叫ぶか怒鳴り散らすかすると思って身構えていたのに、少し肩の力が抜けた。
「父さんのとこで預かってもらうことになりました。きちんとお話もしました」
一年ほど前に両親は離婚し、私と姉の子供二人は母が引き取っていた。しかし離婚は円満とはいかず、多くの問題を残しつつも別居となった。勿論問題もそのままでという訳にはいかないので、その際の連絡係として私は定期的に父と外で会っていた。
夜や土日の仕事が多く、あまり顔を合わせる機会もなかった父だ。もちろんどういう言葉遣いで話せば良いのか、親子とは何を話すものなのか、全くわからなかった。最初に外で会ったときには目もあまり合わせられなかったと思う。
しかし回数を重ねるごとに少しずつ打ち解け、いつの間にか長年溜め込んできた家庭内の不満を口にするようになっていた。そのとき既に私は数度に渡って自らの命を絶とうとしたことがあったが、そのこともすんなりと口から出た。きっと母や姉と違い、互いの性格が似ているということもあり、安心したのだと思う。
するとある日父は、諦めてしまう前に、駄目元でもいいからうちに来ないかと言った。
それを聞いて、正直、怖いと思った。今まで物心ついてからずっと、母親の指示通りに生きてきた。それ故に自分で大きな物事を決めるどころか、好きな色も満足に選べない人間になっていた。そんなところに人生における大きな分かれ道が突如現れたのだ。戸惑うなという方が無理である。
そのときは少し考えると言って、返事を先延ばしにした。それからどれくらい月日が経って返事をし、打ち合わせを重ね、この日になったのかは覚えていないが、それほど経っていなかったと思う。
こうして人生における、母親への初めての反抗を行ったわけだ。
あとはあらかじめ鞄に詰めて用意しておいた着替えや学校用品、生活用品を両手に抱え、家を出た。
近くの公園まで歩いて、父を電話で呼んだ。あらかじめ日時は話しておいたので、程なくしてディーゼルエンジンの音を響かせ、父が迎えに来た。
車内では、話せたか、うん、の会話だけで、多くのことは話さなかった。
今まで辛く感じた沈黙が、何故だかこのときはほっとした。