私には、ピアノが弾けない ―教育と、感性と―
私には、ピアノが弾けない。
小さい頃、ピアノを習わされていた。小さい頃と言っても本当に小さい頃で、小学生にもならないうちに習うのはやめていたようである。「ようである」と言うのも、私自身にはいつやめたのかのはっきりした記憶がないからだ。それくらい昔に、少しだけピアノを習っていた。
ピアノを辞めた理由は覚えていない。しかし母から聞くには、ピアノの練習を嫌がったからだと言うことらしい。本人が嫌がっていることを無理矢理やらせても仕方ない、そう言う判断であったようだ。今の私は、その時もっと母が強固にピアノを続けさせていれば……そう思わずにはいられない。身勝手な考えかもしれないが、まだ幼く判断力のない自分にもっと有益な選択をさせてもらえていれば……そんな風に考えてしまうのだ。
そうは言っても未だに親が「今のあなたにはまだ分からないでしょうけど、後になって分かるから」と言って強要することには、基本的に反発し続けている。そういうものだ。
私はピアノが好きだ。好きだと言っても、きっとそれはピアノを弾くことが出来る人の言うような豊かな意味は持っていないだろう。あの楽器の秘めている本質的な価値も、理解できてはいない。それを奏でることで得られる豊かな経験も知らない。しかし弾けない人間として憧れる気持ちも含めて、私はピアノが好きだ。
ピアノ曲が好きで、よく聴く。ベートーヴェンは交響曲よりピアノソナタやバイオリンソナタが好きだ。ピアノソナタ第8番 悲愴、第14番 月光は第三楽章を愛してやまない。第15番 田園、第26番 告別、バイオリンソナタ第9番 クロイツェル……これらは僕の最も好む音楽たちのうちいくつかだ。それからモーツァルトのピアノソナタ第八番 イ短調、きらきら星変奏曲、ショパンのワルツ第一番 華麗なる大円舞曲に練習曲25-11 木枯らし……シューマン、ドビュッシー、ラフマニノフ、リスト……挙げていくとキリがない。ルービンシュタインやアルゲリッチ、それからグールドやプロティッチをよく聴く。
作曲家にも演奏家にも詳しくはないから、割と適当なディスクを適当に流して聴くことが多い。そんな風に適当に聴いていても、音楽は時として私の心を強く捕らえる。耳から流れ込んだ音楽は私の頭の中で共振するように、私の中を音の洪水で満たしてしまう。かつてショーペンハウエルは、音楽を「意志それ自身の模写」だと言った。「他の芸術は影について語っているだけだが、音楽は本質について語っているのだ」と。私は音の洪水に呑まれるときに、その言葉を実感として感じることになる。
音楽の洪水に呑まれながら、私はピアノを弾きたいと強く感じる。まるで鍵盤が自分の器官の一つになったように、私の中で渦巻く感覚を一つ一つ吐き出せていければどれだけ気持ちが良いだろうか。私はこのワルツを、エチュードを、こういう風に弾いてみたい……そんな衝動すら湧き上がる。頭の中で、私なりのソナタを奏でる。これを形にしてみたい……。私には、ピアノが弾けない。
小さいころからピアノをやっていた人が羨ましい。特に小さいころからやっていた人と言うのは、とても羨ましい。自分の意志でピアノを始めると言うのは私の見た限り決してそう多くはないと思う。小さいころから親に習い事としてやらされ始め、嫌々ながら続けた、そういう人も少なくないだろう。私はそうならなかったからこそ、そうなる道も少しはあったからこそ、そういう人が特別に羨ましい。
しかし最近、そういう人が幸せなのかどうかについて少し考えさせられた。
私がある先輩と話しているとき、その先輩が中学まではピアノをやっていたことを知った。そういうイメージのあまりなかった先輩だから少し意外に思った。話を聞くとどうやら結構長く弾いていたようだ。しかしその先輩にピアノをやっていれば良かったと言ったとき、先輩はこう言ったのだ。「ピアノやってて楽しいと思ったこと、一度もなかったけどな」と。何だかその言葉はずっしりと重かった。つまらなかったよーとか、辛かったよーと言う「そんなに良いものでもないさ」と言った類のものではなかった。彼の言葉にはどこか切なく、切実で、寂しい響きがあった。私はそれ以上何も訊くことが出来なかった。
「一度もなかった」と言う言葉は、重たい。辛いことが多かったのでも、嫌な気持ちが強かったでもない。そこには楽しいという光が一筋も差していない。暗く重たい、ぴったりと閉ざされた部屋のような、そういう場所に彼の記憶は閉じ込められているのだろうと思った。彼が経験したことはその中で、多分今も質感を持ったまま生きている。「嫌々ながらやらされた」と言う経験は、おそらく、彼にとっての「ピアノ」と言う存在に対して鍵をかけてしまった。おそらく今もまだ、鍵がかかっている。
私もまた、そうなる可能性があったかもしれない。あそこでピアノをやめていたのは、もしかしたら正解なのかもしれない。もし私がピアノに対して心を閉ざしてしまっていたら、ピアノに憧れることも出来なかったかもしれない。大好きなピアノ曲に胸を一杯にされ、音楽に呑まれ、表現をしたいと思うことも出来なかったのかもしれない。
幼い私がピアノを続けることを選択し得なかったように、幼い先輩もピアノをやめることを選択し得なかったのだ。私には技術の代わりに情熱が残され、彼には技術が残った代わりに、情熱は失われた。トレードオフなのだろうか。いや、そうではない人もいる。過ぎ去った過去に「たら/れば」は意味を持たない。分かっているけれども、考えさせられてしまう。私は将来子供に、ピアノをやらせるべきなのか……
教育と言うのは本当に難しい。教育の価値は、少なくとも本人にとっては、教育の後にしか見出されることがない。ピアノもそうであるし、私の考えではスポーツや、それから学問だってそうだ。それらは本当に小さいころから触れているとしたらとても大きなアドバンテージを本人にもたらす。中には、そうでなければ辿り着けない世界が存在するものも少なくない。特にスポーツや芸術の世界と言うのはそうだろう。そのスタート地点に立つとき、当人は、まだ自分にとっての対象の価値を見極める能力を持っていない。私がピアノをやめたとき、それはまだ物心つくかつかないかと言う頃だ、その時の私はまだ、頭の中で鳴り響くピアノや身体を飲み込む洪水のような音楽を知らなかった。教育される時代が終わり、初めて私の中で、選ばれなかった教育が価値を膨らませはじめた。
私は小さい頃、習字もやっていた。私の母は教育熱心だったから、私にいくつもの習い事をさせたのだ。私はピアノと同じく、それをやめた。しかし私はそのことに対して、全く何も感じない。後悔もなければ、続けさせておいてくれれば……と言う気持ちもない。むしろ母が私にそれを続けさせていたのだとしたら、なぜそんな無駄なことにたくさんの時間を……その時間でもっとこれがしたかった。そういう気持ちすら持っていたかもしれない。無理やり習字へ通わされ、指導を受け続ける時間は、私に苦痛を与えて傷跡すら残したかもしれない。
ピアノと習字の間には大きな違いはない。それらはある意味、完全に等価だとすら言える。ただ私にとって、もう少し正確に言えば「教育と経験によって一定以上の自我や趣味嗜好の確立を済ませた私」にとって、二者の間に差が生まれたに過ぎない。
そしてそういう風にして確立された私の中に、ピアノと習字の経験は組み込まれていない。組み込まれていない私の中でしか、現状は評価できない。「ピアノをやめて、習字もやめた私」にとって、ピアノは価値が高くやめるべきでなかった対象、習字は価値が低く、やめて良かった対象であるだけである。しかし「ピアノも習字も続けた私」にとっては、それが逆だったかもしれない。それはつまり「習字は続けて良かった、でもピアノを続けたのは無駄だった」ということがあったかもしれないということだ。私と言う個人の考えや趣味嗜好は、どうしても教育と経験を内包してしまう。教育と経験とアプリオリな性格と言う三つの変数により形成される結果としての価値基準に基づいて、変数の一部である教育を決定するというのは、ある種神業的な行為ですらある。
誰にでも価値のあるものと言うものは存在しない。誰にでも役立つものも、またそうだ。それが幼少期からの訓練を要するような高度な技術であるならば、なおさらその性質は強くなるだろう。長い時間をかけるというのは、高いコストを払うということだ。だからこそ我々は慎重に、確実に必要なものを選別しようとするが、支払いの期限はあまりにも早すぎる。結果として当てずっぽうで、我々は何にベッドするか、もしくはベッドしないかを決定しなければならない。結局人生は博打、そんな悲しい結論に達してしまいそうになる。
我々に出来る事は何なのか、考えてみる。少しでも早く、自分の中に価値への目を開かせること……そういうことなのではないかと思う。美しい、楽しい、心惹かれる……そういうものに少しでも早く気付くことが出来た人が、私は羨ましい。私がこれから、誰かに教育を施す立場になるとしたら、必要なのはそのようなことに気付く機会を一つでも多く用意してあげる事なのではないかと思う。
私の友人の中には、幼少期に心惹かれる演奏に心酔して「ピアノをやりたい」と親にせがんだ者がいる。彼は長い間ピアノを続け、そこから非常に多くの物を受け取った。そういう形が、教育にとっては一つの理想なのではないだろうか。美しい演奏、素敵な絵画、楽しいスポーツに綺麗な物語、興味深い学問に広い世界の様々な魅力……。沢山のものに触れて、その中から特別に自分を惹きつける宝石を拾い上げられれば、それが最高の教育への近道なのかもしれない。
もちろんこれは意図して実現できるものなのかは分からない。幼少期には気付けなかった美しさ、と言うものも存在する。経験と言う変数がそこで関係してくるのだろう。だが一つだけ言えるのは、たとえば教育がある程度の強制力や押し付けの元に行われるという性質から逃れられないとしても、それが親や、親戚や、教育者のエゴによる非常に独善的な価値観の押しつけによって行われるべきではないということだ。私がピアノをやりたかったという気持ちを、子供に押し付ける事は許されないであろうし、それは決して「その子の将来から逆算した理想の教育」ではない。子供は、私たちではないのだから。
私には、ピアノが弾けない。でもだからこそ、文章を書く。ピアノを弾くことが出来たなら、それに人生の多くの時間をささげていたのなら、今の自分にとって一番大切なものを持っていなかったかもしれない。今の私を作った沢山の物語とも出会えなかったかもしれない。アルジャーノンに花束を、若きウェルテルの悩み、トーニオ・クレーガー、果てしない物語、夏への扉、ノルウェイの森、風の詩を聴け、カラフル、仮面の告白、葉、道化の華……数えきれない物語が、私の中で強くその存在を主張する。物語だけではない。私の出会った、「ピアノをやめた私」の出会った沢山の文章は、私の中で、それぞれが大きな役割を果たしていると感じる。全てがつながり、息づいている。やっぱり、逆算なんかできっこない。
まだ遅くない、ピアノを始めよう。そう思った。実際にしばらくは練習もしていた。でも多分、それは違うのだと気付いた。鍵盤に触るのは楽しいし、少しずつ経験を積んでいる実感もあった。でも私にはもう、ピアノに捧げるだけの時間が残されていなかった。そのことに気付いた。
それは決して、忙しいから練習できないという消極的な理由ではない。私が時間を捧げたいことが、もっと他に存在していた。私がピアノと共に感性を育まなかった間に、私の中で大きな存在になっていたものが、手元にあった。
得られなかった教育を埋め合わせるよりも、出会った宝石の方を大切に磨きたいなと、そう思った。
私には、文章が書ける。
ピアニストが華麗に音楽を奏でるように、文章を紡げるようになりたいです。頑張ります。