素敵な出逢い
莉沙の父親は外資系の製薬会社で新薬開発に従事する研究者で、母は同企業のMR。二人はいつも忙しい。彼らには夏休みなんてない。夏休みに入った幼い莉沙を何処かに連れて行くことも出来ない。不憫に思った両親は、一人娘を父の実家に預けることにした。
「良いところだよ。景色は綺麗で、空気は美味しい。莉沙もきっと気に入るさ。楽しんでおいで」
お父さんが機嫌よく言う。けれどお母さんは不機嫌そうだ。
「良い子にしているのよ。おじいちゃまとおばあちゃまのお言いつけをよく聞いて。ご迷惑をおかけしちゃダメよ」
「よせよ。莉沙が委縮する。のびのびと過ごせるように、向こうに預けるんだぞ。……大丈夫だよ、莉沙。心配しなくていい。おじいちゃんとおばあちゃんは、莉沙に会えるのを楽しみにしてるよ。思いっきり甘えて良いんだからな」
「でもあなた、この時期は旅館の繁忙期でしょう? この前、テレビで取り上げられたばかりだし……目が回るほど忙しい筈だわ」
「心配ないさ。目に入れても痛くない孫娘だ。親父もお袋も、迷惑なんて思わない」
「この娘のことは、可愛いがってくださるでしょうけど……なにかあったとき、ちくちく言われるのは私なのよ。はぁ、気が重いわ……ああ、莉沙。大丈夫よね。あなたは、大人しい、聞きわけの良い子だから、きっと大丈夫よね」
「おい、よせって言ってるだろう」
「あなたは気楽でいいわ。莉沙の箸使いが間違っていても、歯並びが悪くても、責められるのはあなたじゃないもの」
「いい加減にしろよ! そんなに言うなら、君の実家に預かってもらえば良かったじゃないか」
「無茶言わないでよ。今、父さんは大変な時期だって、言ったでしょう。本当に、ひとの話を聞かないんだから」
「なら、どうする? 夏休みまで、高橋さんに頼んで、莉沙をみてもらうって言うのか? 夏休みまで、お手伝いさんと二人きりにするって? まだ五歳なのに、寂しい思いばかりさせて……君は、この子が可哀そうだと思わないのか?」
「なによ、自分だけがいい親だとでも言いたいの!? 笑わせないで! この前、莉沙がインフルエンザにかかったとき、半休つかって病院に連れて行ったのは私よ! あなたなんか、電話にすら出なかったじゃない!」
莉沙は両親が好きだ。優しいお父さんと、明るいお母さん。いつもは仲良しなのに、仕事が忙しくなると、疲れてしまって、カリカリして怒りっぽくなって、喧嘩が多くなる。
そんな二人は嫌いだ。莉沙は耳を塞いだ。
次の週の日曜日。莉沙はお母さんの車に乗って、朝日とともに家を出た。三時間かけてようやく、お父さんの田舎につく。
お母さんは心配そうな表情で莉沙の帽子を真っ直ぐに直すと、噛んで含めるように言った。
「良い子でいるのよ。楽しんで来てね。せっかく、こんなド田舎まで……ごほん。自然が豊かな良いところに来たんだから、うんと遊びなさい。元気に日焼けして。笑顔でまた会いましょう。それから、ええと……とにかく、良い子にしていてね」
お母さんは早口でそう言うと、緊張した面持ちで祖父母に挨拶を済ませ、玄関先で回れ右をして車に乗り込んでしまった。来た道を猛スピードで引き返す車の後ろ姿は、あっという間に見えなくなった。
祖父母は優しい。莉沙のことを、とても可愛がってくれる。でも、やっぱりとても忙しそうだった。にこにこ笑顔がよく似合う丸顔のおばあちゃまが目を吊り上げて若い仲居さんを叱りつけているのを、莉沙を膝の上にのせるのが大好きなおじいちゃまが電話口で怒鳴っているのを、みるのが辛かった。
莉沙はまだ五歳だけれど、皆が忙しくてピリピリしている時、自分はきっと邪魔なお荷物なのだろうな。と、悲しい気持ちで察していた。
忙しい大人たちのお手伝いをしたいという気持ちはある。けれど、お料理も、お掃除も、お洗濯も、莉沙がお手伝いをしたらかえって仕事が増えると、お母さんに怒られる。
莉沙は退屈をもてあまして、おじいちゃまとおばあちゃまのお邸で、日がな一日、一人でぽつんと座っていた。
夜になると、おじいちゃまとおばあちゃまが、お仕事に区切りをつけて上がって来る。おじいちゃまは莉沙を膝に載せて、村の地図を広げた。
「莉沙ちゃんや、このあたりには、楽しい遊び場がたくさんあるよ。莉沙ちゃんのお父さんが小さい頃は、山で虫をとったり、川で魚やザリガニをとったり、日が暮れるまで遊んでいたんだ。お父さんが使っていた虫とり網や釣り竿が、納屋にあった筈だな。確か、そうだ、竹馬もあったぞ。それとも、ビー玉やら、おはじきやら、お手玉やらがいいかね? それもいいが……莉沙ちゃん、たまには外で元気に遊び回ったらどうだい。こどもは風の子元気の子って言うよ。まぁ、色々と試してみるといいさ。莉沙ちゃんも、きっと気に入りの遊びが見つかるだろう」
莉沙は嬉しくなって、おじいちゃまの皺くちゃな顔を見上げた。つまり、ひとりで遊びに出掛けても良いということだ。お家にいなくてもいいのだ。
莉沙は地図をまじまじと見た。線がごちゃごちゃして漢字がいっぱいの難しい地図の見方は、莉沙にはわからない。
それでも、地図を見ているうちに、思い出した。車の窓から見た、不思議なお家のことを。
「ねぇねぇ、おじいちゃま。あれはなぁに? 丘の上のくるみのお家?」
「くるみのお家かい?」
「うん。ここに来る途中に見つけたの。えっと、お母さん、なんていったかな……ええっと……そうだ、ぱっちわーくの丘! ぱっちわーくの丘の上の、茶色い、くるみみたいに可愛いお家。あれはなぁに?」
莉沙が小首を傾げて訊ねると、おじいちゃまはぴんときたようだ。
「ああ、あそこか。あれはね」
おじいちゃまは一端言葉を切った。目をぱちくりさせる莉沙に額を寄せて、おじいちゃまはうんと怖い表情をつくって言った。
「魔女の家だ」
「魔女さんのお家!?」
莉沙は目を丸くした。孫娘から期待通りの反応を受け取ったおじいちゃまは、からからと笑った。
「そうとも。青いお目目の魔女だ」
「魔法がつかえるの?」
わくわくする莉沙を見つめて、おじいちゃまは微笑んだ。
「そうじゃないかなぁ。あのひとの畑は動物に荒らされないし、実りに恵まれる。それにあのひとは、いつまでも若々しい」
「すごぉい……」
目をキラキラさせる莉沙の頭を優しく撫でて、おじいちゃまは頷いた。
「そう、すごいひとだ。でも怖くない。良い人だよ。興味があるなら、遊びに行ってみると良い。きっと歓迎してくれる」
莉沙は目をぱちくりさせた。青い瞳。つまり、外国から来た魔女。莉沙の好奇心はむくむくと膨れ上がったけれど
「……だめ。莉沙、英語わかんないもん」
針でつつかれたように萎んでしまった莉沙のほっぺたをこねて、おじいちゃまはわっはっはと豪快に笑った。
「そんなことは、心配しなくて良いんだよ。あのひとはここに来て、もう随分経つからね。昔は片言で、何を言ってるんだがさっぱりわからんかったが、今となっちゃ日本語はぺらぺらだよ。まるで日本で生まれ育ったみたいだ。」
それなら、大丈夫そうだ。莉沙の表情がぱぁっと明るくなる。
ところが、いけません、と厳しい声がぴしゃりと言った。おばあちゃまが珍しく、おじいちゃまのお話に口を挟んだのだ。
「いきなりお邪魔しちゃ、ご迷惑に決まっているじゃありませんか。莉沙ちゃん、おやめなさいね。もっと楽しい場所を、おじいちゃまが教えてくださるわ」
おじいちゃまはむっとしたようすで言いかえした。
「迷惑なもんか。あのひとは人懐っこいんだ。皆、あのひとを誤解している。それに、こんな小さな可愛い娘が訪ねて行ったらあの人じゃなくたって、誰だって、そりゃあもう喜ぶに決まっとる」
「わかりませんよ。あの変わり者のご老嬢の考えることは。私たちとは違いますもの」
おばあちゃまはつっけんどんに言うと、つんとそっぽを向いてしまった。
「魔女さん、へんなひとなの?」
莉沙がひそひそ声でおじいちゃまに訊ねると、おじいちゃまは眉を八の字にして笑った。小さな目が、すぅっとうつろって、どこか遠くを見る。照れたように頭をかいて、おじいちゃまは言った。
「変じゃない。とても素敵なひとだよ。ただねぇ、人と少しばかり、違うところはあるかな。そのせいで、あまり人づきあいが上手に出来ないから、みんなに誤解されてしまっているが……いつまでも好奇心旺盛で心やさしい少女のままでいられる、希有なひとなんだよ」
すると、おばあちゃまはすっと立ち上がり、つかつかと居間を横切って出て行ってしまった。おじいちゃまは知らんふりをしていた。
そのあとで、お風呂に入れてくれたおばあちゃまはいつもと変わらずに優しかった。おばあちゃまの隣で布団に入った莉沙は、心の中でこっそりおばあちゃまに謝った。
莉沙は一人遊びの達人だ。あちこち一人で出歩いても、心細くない。お利口だからちゃんと、来た道を覚えておける。
莉沙には真っ先に、行ってみたちところがあった。旅館のすぐ近くにある、パッチワークの丘の上の、小さなくるみのお家だ。
白いウサギの鞄に、おばあちゃまに作ってもらったお弁当と、水筒を詰め込みながら、おばあちゃまには内緒にしておこう、と莉沙は心に決めた。
そうして、冒険に出た莉沙は、そこでとても素晴らしい出会いを果たした。




