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リサと迷惑な妖精(?)たち  作者: 銀ねも
リサと迷惑な妖精?
3/17

その名はニック=ショック

「せっかく登ったのに、悪いね」


 リサが見開いた目を覗き込み、鋭い顔に勝ち誇るような笑みを浮かべた男が、平然として言ってのけた。男に肩を蹴られたのだとわかったとき、リサの体は、壁から引き剥がされ宙を泳いでいた。


 リサは声さえ上げることが出来ずに、背をしたたかに打ちつけた。固い地面ではなく、ぐんにゃりと沈みこむ……柔らかいものの上に。

それが緩衝材の役割を果たしたお陰で、結構な高さから落下したにも関わらず、リサは幾ばくかの間、息苦しさに喘ぐと、すぐにはっとして身を起こすことが出来た。


膝したあたりに蟠っているスカートの布地がくっと引かれている。タイガーの前肢が新芽のようににゅっと伸びて、リサのスカートの裾に爪をひっかけ引っ張っていた。立ち上がろうとしたとき、尻の下で亡者がもぞもぞと蠢いて、リサはこおりつく。


「いいお尻だ……旨みがぎっしりつまってるぅ……モック=フランも大喜びだね……えへへへ」


 リサは弾かれるように腰を上げた。目を回した亡者が、大きな口から緑色の涎を垂らして、寝ごとを言っている。


 尻の下で昏倒する亡者を怖がってはいられない。それに、どちらかと言えば気持ちが悪い。


リサは勇気を振り絞り、亡者たちの体を退かす。亡者の群れが井桁に積み重なっていた為、タイガーは潰れることなく這い出すことが出来た。


タイガーは心底不快そうに、ぶるぶると身震いする。リサはタイガーを抱き上げて、無事を確かめた。


「タイガー!……良かった、あなたが食べられてしまったら、わたし、わたし……」


 タイガーのぐんにゃりした身体をぎゅっと抱きしめると、感極まり涙ぐんでしまう。タイガーはリサの腕から逃れようともがいていたが、ふとしも、先のぎざぎざした三角耳をぴくりと動かしてかたまった。


 足元で亡者が断末魔を上げたのだ。


 リサを壁の上から蹴り落とした男が、亡者たちの上に降り立ち、踏み潰したのだ。青鈍色のマントが、皮膜のように翻り、ブロンズめいた艶やかな肌に覆われた、逞しい胸板が露わになる。


 マントを肩に跳ね上げて、男はにやりと笑う。亡者たちが悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。


「ににに、ニック=ショックだァ! 逃げろォ」

「嫌だ嫌だやめてやめて! オイラたち、フランの手下! いっぺん死んで腐ってる! だからちっとも美味しくなァい!」

「逃げろ逃げろ逃げろォ! 出世なんかどうだっていい! それよりなにより、命が大事だ!」


 ニック=ショックと呼ばれた男は、逃げ惑う亡者たちを眺めながら、にやにやと笑っている。追いかけるつもりはないようだ。と思った次の瞬間、ニック=ショックが大きく口を開けた。仰け反るほどに、大きく息を吸い込む。


 凄まじい突風が起こった。亡者たちが男の口の中へと吸いこまれていく。


不思議なことに、吸い寄せられるほどに亡者たちは小さくなっていって、唇を跨ぐころには、口に放り込むのにちょうど良いサイズに縮まる。


 亡者たちは、次々の口腔に吸い込まれていく。しゃにむに足掻き、壮絶な悲鳴を上げて逃れようとしているが、一匹たりとも逃げられない。


「チクショー! 二度も死にたくないのにぃ!!」


 最後の一匹が、悲壮な悲鳴を残して口に吸い込まれると、ニック=ショックはがちんと顎を閉ざす。大きく膨らんだ頬が、内側からぼこぼこと蠢いている。

 ニック=ショックはリサを振り返ると、にんまりと笑い、ばりばりと頬ばったものを咀嚼しはじめた。壮絶な断末魔ごと噛み砕き、ごっくんと嚥下してしまう。


 ニック=ショックはぎゅっと眉を顰め、緑色に染まった舌を突き出す。体をふたつに折って、えづいた。


「おえっ、不味い! 腐ってもフランジジイの手下だ。食えたもんじゃねぇ! それでもごっくんする俺様は、食べ物をとても大切にしている。なんて立派な心意気、しかもハンサム!」


 ニック=ショックがむくりと上体を起こす。けろっとした顔をして、悦にいっている。それから、くるりと振り替えった。


 リサの腕の中では、タイガーが毛衣を膨らませて擬勢を張っている。あまりの剣幕に、リサは驚いてしまう。ニック=ショックはタイガーをからかうように一瞥すると、無造作に首を回し、骨を鳴らす。斑な藤色の煙が渦巻く先を見つめ、にやりと笑った。


「勿体ぶんなや、フランのオモチャの癖に。雑魚が登場だけ仰々しくしたって、馬鹿馬鹿しいだけだぜ」


 ニック=ショックの嘲弄を遮る、恐ろしい獣の咆哮が轟く。藤色の斑な藤色の靄は旋毛風のように渦巻き、中心に凝り固まる濃い影が風を切って飛び出した。


 白いたてがみに包まれた、闇のような黒い猿の顔。ずんぐりとした狸の胴体。力強い虎の足。真っ赤な口腔を晒し、牙を剥く蛇が尻から尾の代わりに生えている。象ほどもある、巨大な合成獣キメラだ。その肉体のすみずみまで、爛れ腐れ落ちている。


 腐敗キメラは巨体を敏捷に動かし、此方へ突進してくる。ヘドロを煮詰めたような悪臭の竜巻だ。リサは卒倒しそうになり、後頭部を壁にしたたかに打ちつけた。


 リサは生きた心地がしなかったが、ニック=ショックはゆったりと落ち着いている。不遜なまでの余裕を保ち、腐敗キメラをぎりぎりまで引き付けた。虎の前足が、鐘つきのようにニック=ショックを強襲する寸前に、ニック=ショックは口を窄めた。ヘドロ色の塊が、弾丸のように弾きだされる。亡者の断末魔があたりに響き渡った。


 ヘドロ色の弾丸は腐敗キメラの胸部に着弾する。おぞましい怨嗟の慟哭が木霊し、蛍火はホオヅキのように膨らむ。爆散した。


 凄まじい爆風が波状にひろがる。リサは足元をすくわれ、壁に叩きつけられた。爆心地に最も近いニック=ショックは、涼しい顔だ。袖から抜いた腕を袂にかけ、胸部に大穴を穿たれ苦悶する腐敗キメラを見下ろし、にやりと笑う。


「雑魚も猫も杓子も、つかいよう、ってな。流石は俺様。なんて天才、そしてハンサム!」


 虫の息で這いずる腐敗キメラの蛇の尾が必死に牙を剥く。しかしニック=ショックはせせら笑い、蛇の頭を踏みにじっていた。


「最強の俺様の最強の胃袋も、これ以上フランのヤツを食っちまったら、流石にもたれそうだぜ」


 ニック=ショックは無防備にも腐敗キメラに背を向ける。そしてなんと、壁に背を預けへたりこむリサの許へ、近づいて来るではないか。ニック=ショックは、震えるリサの膝のすぐ先で立ち止まりしゃがみこんだ。無遠慮に手を伸ばし、タイガーの首根っこを押さえる。


「よぉ、骨抜き野郎。久しぶりじゃん。よく生きてたな。あ、いっぺん死んだのか。で? 彼女がてめぇのオンナ? 可愛い女だ。うんと良い思い、出来ただろ? 思い残すことはねぇよな。食っちまっていいか? なにも言うな、答えなんざ、わかりきってる。この俺様の胃袋おさめて頂けるなんて、光栄至極。それしかねぇだろ?」


 言いたいように言って、したいようにするつもり満々のニック=ショックが、暴れるタイガーを連れ去ろうとする。リサはタイガーを渡すまいと、ぎゅっと抱きしめた。


「ま……待って下さい! この子をどうするつもりなの!?」

「ん? 食うよ」


 屈託なく答えられた。リサは絶句した。


「そんな……そんな恐ろしいことを、あっけらかんと言われても……」

「あぁ、大丈夫、大丈夫。君のことを食うつもりはないんだ」


 男はリサの話を聞いていないようだ。いったん引っ込めた手でリサの腰を掴み引寄せると、食らいつくように顔を覗き込んだ。


「俺は面食いでね。イイ女には優しい。だから安心しなよ。それに俺はちょっとばかり食の好みが変わってる。君にはそれほど食欲を駆り立てられねぇのさ。そのかわり……」


 かちんこちんに固まるリサを目で嬲るように舐め回し、ニック=ショックはリサの額にこつんと額を合わせた。


「君には違う欲望を煽られるかな」


 ニック=ショックは、敵愾心むき出しでつめを繰り出すタイガーをなんなくいなして、リサの顎をすくい上げる。リサの目にうつる男の輪郭は、涙の膜を越して、二重三重にぶれた。


 ニック=ショックはリサの怯えを舐めるように眺めている。自信過剰な笑みが、にわかに湿り気を帯びた。


「そそる泣き顔だね。かわいそうに。君を見た男は、君を泣かさずにはいられないだろうぜ。それならせめて、相手は最高の男。つまり、俺様がいいよな? ああ、大丈夫、大丈夫。言わなくたって、わかってる、わかってる。で、お嬢さん……君の名前は?」


 リサは答えることが出来ない。ただ、ふるふると首を横に振るのが精いっぱいだ。全速力で逃げ出したい衝動にかられていた。


(このひと、変だわ! 自信と自意識が過剰な、変なひとだわ! しかもひとの話をまったく聞こうとしない! どうしよう、どうすれば……!?)


 ニック=ショックは氷柱のように尖った顎を撫でて、リサの怯えた表情を愛でている。こんなに近くにあるのに、男の顔の造作がわからない。影に亀裂がはしっているようだ。


 縋るようにタイガーを抱きしめると、ニックショックの目がついと、剣呑な唸りを上げるタイガーにうつろった。ニック=ショックの唇の端が、狼の口のように耳に引き付けられる。


「悔しがることはないだろう? 俺様だぜ? このニック=ショック様が、てめぇのオンナを貰ってやるって言ってんだぜ? どうぞよろしくお願いしますって、泣いて感謝しても良いところだろ、ここ。どの道てめぇは、死ぬんだからさァ」


 ニック=ショックの笑みが、亀裂のように広がる。その邪悪さに、ざわりと肌が泡立った。


 しかしニック=ショックの言葉は火花になって、リサの胸の内側の導火線に着火した。爆発した怒りが、リサに恐れを忘れさせる。リサは猛然とニック=ショックを突き飛ばした。


 ニック=ショックはたたらを踏んで目を丸くする。リサは跳ねるようにして立ちあがると、大きく寛げた襟元からタイガーを胸に押し込んで、壁に飛びついた。根性で壁をよじ登る。


「な、なんだと……この俺様が口説いてんのに……他の野郎と……!? 信じられねぇ、こんな女、初めてだぜ……!」


 ニック=ショックの驚愕の叫びが聞こえる。リサは心の中で反論した。


(あなたのその過剰な自信のほうが、よっぽど信じられないし、どうかしているわ!)


 そのとき、リサは背に強い衝撃を受けた。瞬間的に意識が遠のき、体中の力が抜ける。


 宙に放り出されかけたリサの腰に、鞭のようにしなやかで固いものが巻き付いている。瞠目したリサの目の前には、大きく口を開いて牙を見せびらかす蛇の頭があった。鱗がぽろぽろ剥がれかけ、その隙間から腐り爛れた肉が露出している。


 腐敗キメラの尾だ。尾は糸車で巻き取るように、リサを本体に引き寄せる。大きく開いた腐敗キメラの口は、鍾乳石がそそり立つ洞穴の入り口のようにリサを待ちかまえていた。饐えた血の臭いがむわっと立ち上る口腔にぽいと放り出される。リサは絶叫した。

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