表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

純情クリームソーダ・後編

これで純情クリームソーダ、完結となります。最後までお付き合いください。

 あの日、少年は自分でも気づいていなかった想いを、少女にぶつけてしまった。それから数日たった今、少年はまた神社へと足を運んでいた。この数日は雨が続き、補習の後はここへは寄らずにまっすぐ家へと帰った。その間も、今も、少女の姿が頭から離れずに悶々として、気分を陰鬱にさせている。

 神社に少女の姿は、ない。相手は幽霊、数日の雨など意味を為さないはず。変わらず、ここにいるはずなのだ。出会ってまだ一ヶ月ほどだが、その間少女は必ず神社にいた。少年は、普段は入らない境内にまで入り、必死に少女を探した。けれど、少女の姿はどこにもなかった。

 悶々とした気分のまま、いつもの石段へ座る。――――どうしていないんだろう。やはり、俺があんなこと言ったから…―――数日前のことがまたはっきりと頭に浮かぶ。

『お前がなにも言わないからっ!』

 最低だ、と思う。彼女に言っても仕方がないことなのに、自分の勝手な苛立ちを彼女のせいにして、言葉をぶつけてしまった。どう思ったのかは知らない。相変わらず、少女はなにも言ってくれなかった。なにか、なにか言いたくないことが、あるのだろうか。俺に言えない、なにか…―――


 うじうじと考えこんでいる内に、少女と初めて会った日のことを思い出す。夏休み初日の、やはりひどく暑い日だった。

 少年はお世辞にも頭がいいとは言えない。高校生になって初めての夏休みが補習ばかりなのだから、言わずもがなだ。その日も、補習初日でひどく気分が沈んでいた。まっすぐに家へと帰るのが嫌で、遠回りしよう、と考えてこの神社の前を通ったのだ。そういえば、この前と同じように、クリームソーダのアイスを持っていたのだったか。それで…涼しそうな神社の石段を登って。そうだ、そこに、あの少女がいたのだ。変わらず、柔らかな微笑みを浮かべて。

 先客がいるのなら帰ろう。元々明るい気分ではなかったこともあって、数段上っただけの石段を引きかえそうとした。しかし、その足はすぐに止まった。耳元に、心地のいい音が響いたからだ。正確には、心地よい、少女の声が。

『ねえ、こっちおいでよ。涼しいよ』

 歌うような声だった。体は自然と少女の方を向いて、目が離せなくなったのを覚えている。艶やかなボブカットの髪が綺麗だった。瞳は優しく細められ、形のいい唇は緩やかな弧を描いていた。緑に囲まれた神社と、よく馴染んでいて、綺麗で。

『…邪魔だろ。せっかく一人だったのに』

『一人じゃ、さみしいよ』

 一人じゃさみしい、というその言葉が、なぜか自分に向けられているような気がして、一瞬ドキリとしてしまい、ついつい尖った口調になってしまう。

『さみしくねえだろ、別に。…でも』

 あの時の自分は素直じゃなかったな、と自分でも思う。今も、かなり素直じゃないのだけれど。

『アイス、溶けちまうから、そっち行っていいか?』

 少女は黙って頷いた。少年も黙ったまま、少女の隣へと腰を下ろして、袋から二本のアイスを取り出しすと、この間と同じように少女へ一本差し出した。しかし少女は受け取らず、にこりと笑っただけ。

『なんだよ、いらないのかって…』

 不意に、少女がアイスへと手を伸ばす。つかむように握られたその手は、しかしアイスを触ることはなかった。――――すり抜け、た?―――信じられない思いで、少年は少女を見つめた。少女はやはり、困ったように笑うだけ。

『お前…もしかして、幽霊、なのか』

『…君は、どう思う?』

 質問に答えなかった少女に遊ばれている気がして、面白くなくて。不思議と恐怖を感じなかったことも相まって、やはり素直ではない態度をとってしまった気がする。

『知らねえよ。お前がなんでも、関係ない。アイス、俺が二本食うからな』

 怖くはない、のに、心臓がばくばくとうるさくて、痛いぐらいだった。この感情を言葉に表せるほど、少年は大人ではなくて。頭ですら、理解できずに戸惑うばかりだった。わけのわからない感情には、気づかないふりをして、思いきりアイスにかぶりついた。少女の視線が刺さるようで、無意味に空を見つめながら。本当は弟の分として買ったアイスなのだけど、食べてしまえばバレないだろう。――――バレたらきっと、幼い弟は泣き出すんだろうな――


 小さなアイスはすぐに口の中で溶けてなくなる。すでに棒だけになってしまったものをビニール袋に入れて、少年は立ち上がった。

『…帰る。もう、夕方だし』

 いつの間にか、辺りは赤く染まっていて。沈みかけた夕日と、その光に照らされながら風に揺れる木々を見て、悲しいような、切ないような、なんとも不思議な気分になったことを覚えている。――ああ、なんだかムズムズして落ち着かないな―――ワイシャツの胸の辺りをギュッと掴みながら、小さく息を吐き出した。

『また、来てね?』

 どこか儚げに見える笑顔で、少女はまた、と口にする。ついさっき会ったばかりで、しかも口の悪い自分に、会いたいとでも言うのか、からかっているだけなのか、なんて、心の中では考えたものの、実際に口に出すのは躊躇われた。睨むような、でも少し照れたような目を少女に向ける。

『…気が向いたら、また、来る』

 思春期特有の、素直になれない少年にとって、精一杯の言葉を口にして、足早に石段をかけ下りた。途中、つまずいて転びそうになって死ぬほど恥ずかしかったけれど、振り返らずに、まっすぐに。そう、まっすぐに、家へと、帰ったのだ。


 夏の始め、少女と出会った日のことを思い出していたら、すでに辺りは暗くなりかけていた。夕日がもう少しで沈む、昼と夜の境界線。寂れた神社に、たった独り。それは、少年を先程までの温かくてどぎまぎするような気分から、不安と緊張が入り混じって、落ち着かない気分へと変えていく。まるで、自分だけが世界から切り離されて、ぽつんと取り残されてしまったようだ。こんな感情は知らない。無意識に手が震える。なぜ、こんな気分になるのだろう。ただ家に帰ればいいだけの話なのに、足は動かないし、頭は考えることを拒否するかのようにうまく回らない。ただ怖いだけ。なにが。わからない。


 帰ろう、帰ろう。家に帰れば、みんないる。ここに少女はいなくても。弟も、母さんも、父さんも。みんな、いる。


 それから少年がふらつく足を危なげに動かして、神社をあとにしたのは、それからしばらく経ってからのことだった。


 



「毎度、ありがとうねぇ」

 学校近くの小さな商店。はつらつとして元気のいいおばさんが、一人でお店を経営している。田舎町だからそれほど人は多くなく、一人でもまあやって行けるのだそうだ。少年は、いつもここでお菓子やらジュースやらを買っていく。近いから便利、というだけと言えばそうなのだが、おばさんの人当たりのよい性格が嫌いではないのも通う理由のひとつだ。今日も、クリームソーダ味のアイスを二本、購入して商店を出た。

 少女が神社に現れなかったあの日から、また少年は神社へと足を運ばない日が続いた。行っても、もう会えないかもしれない。そんな思いがあったからだ。―――あそこに行って、またいなかったら。独りであの場所にはいたくない…――――まだモヤモヤする気持ちを抱えながら、人通りの少ない商店街を進む。周りを見渡せば、見慣れた景色。生まれた頃からずっと一緒で、まったく変わらない。その景色に、少しだけ心が落ち着いて、またあの神社へと向かう勇気が出てくる。せっかく買ったアイスが溶けないように、小走りで商店街を抜けていった。


 背の高い木々に囲まれ、涼しい風が吹く古い神社の前に、一人の少年が、上を見上げながら立っていた。目線の先には苔むした石段。そして、その上に膝を抱えて座る、少女の姿。ようやく見つけたその姿に、またわけのわからないムズムズした気持ちが込み上げてくるので、それを抑えるようにキュッと唇を噛みながら石段を一歩一歩上っていく。そしてようやく、少女の前へとたどり着く。その間、少女は一言も発さず、ただ無表情に少年を見つめるだけだった。少年もまた、黙ったまま少女の隣に座り、少しの間、いつもの癖で空を見上げる。空はこの気まずい雰囲気など知らないとでもいうように、雲一つなく青空が広がっていた。青の中に白く輝く太陽がやけに映えていて、少年は眩しさと少しの感動を感じて目を細めた。

 それからしばらくの間、少年も少女も、会話を交わすこともなく、時間だけが過ぎていった。買ってきたアイスは、もう溶けて甘い液体と化しているだろう。このまま黙っていても仕方がない、と感じて少年は横目で少女を見、ゆっくり口を開こうと、した。

「ねえ」

 それができなかったのは、少年が口を開くのより少し早く、少女が言葉を発したからだった。

「な、なに」

 いつになく真剣な少女の横顔。優しげな微笑みはない。それに多少の恐怖を感じてはいるけれど顔には出さないよう気を遣いながら、答える。

「今日は、私の話をしたいの」

「お前の話?」

「そう。私のこと、聞いてほしいの」

 少年の知らない、少女のこと。少年が泣きながら聞いても頑なに答えようとしなかった彼女自身のことを、今は彼女が自分から話そうと言う。この変化にはなにか、深い意味があるのだろう。そう感じた少年の体は、意識するよりも早く反応して、冷や汗をかいていた。聞いてみたい、と思う心が半分。聞きたくない、という心が、また半分。どうしても知りたかった少女のこと。それでも、それを聞いてしまえば、なにか、取り返しのつかないことが起こるような気もする。ああ、でも、やっぱり…

「…わかった、聞くよ」

 彼女の話をここで聞かなければ、きっと後悔する。そう最後に考えて少年は答えた。それを聞いた少女は、一瞬、ほんの一瞬だけ、悲しそうな表情をしたように見えたが、すぐにいつもの優しい微笑みを見せてくれた。

 少女は前を向いて、ぽつり、ぽつりと語り出す。少年の知らない、少女のことを。

「5年前、私はここに引っ越してきたの」



 ―――5年前、親の転勤が理由でこの町に引っ越して来て、私人見知りだったから…友達なんかできなかったんだ。親は帰りが遅くて寂しくて。夏休みになるといつも遠回りして帰ってたの。一人で家にいるのが嫌だったから。そしてある日、なんとなく、いつも通ってたこの神社に入ってみたの。その日も暑くて、ここは涼しそうだった。石段をゆっくり上って、風が涼しいなぁ、なんて考えてたら、境内に人がいるのに気がついたわ。

 それで私びっくりして。隠れようと思ったけど、どこも木ばかりだったから無理だった。おどおどしてしまったのが恥ずかしいやら緊張するやらで、大変だったわ。仕方がないからおそるおそるその人のことを見たのよ。

 その人は、学生だった。制服、着てたからね。私と同じ高校の制服だったわ。私は前の学校のを着てたから、わからなかっただろうけど。茶色がかった短髪がよく似合う、大きな目をしてる人だった。その大きな目が自分を見てるのに気がついて、なぜだか顔が熱くなったのを今でも覚えてる。

『なんだよ、お前。一人なのか』

 大きな目で見つめたまま、その人は私に向かって問いかけた。私、本当にどうしていいかわからなくて。

『え、あ、そう、ひとり、です』

 やっとの思いで絞り出した言葉がそれだった。視線は泳ぐしなぜか敬語だし、その人にしたら意味わかんないやつだったでしょうね。馬鹿にしてもいいはずなのに、その人はただ笑っただけだった。

『ははっ、そうか、俺もだ』

 笑うと八重歯が出て、子供っぽく見えた。現に私と同い年くらいだったろうから、子供と言えば子供だったのだけれど。その人はそう言うと手に持っていた袋を私に向かってつき出して。

『アイス。食うか?』

 少し恥ずかしそうにはにかんでた。今思えば、あの頃は思春期で、多感な時期で。感情を素直に伝えるのは難しい年頃だったのね。あの人も、恥ずかしかったのかもしれない。

『い、いいの?』

『…二本あるから』

 ん、と二本ある棒アイスの一本を渡してくれた。青いラベルが印象的な、そう、クリームソーダ味の。ありがとう、と精一杯の声で礼を言って、喉が渇いていたのもあってすぐにかじりついたわ。アイスは、少ししょっぱくて、とても、甘かった。


『俺、もう帰るけどさ』

 アイスを食べ終わって、少しの間会話もなく涼んでいたら、不意にその人は立ち上がってそう言った。私はやっぱりどうしていいのかわからなくて戸惑っていたから助かったわ。

『明日も来る、から。だからその』

 顔が真っ赤でリンゴみたいで。あぁ、この人も恥ずかしいんだ、なんて感じた気がする。どきどきしているのが自分だけじゃないんだってわかって、少しだけ安心した。

『えっと、その、私も』

 最後まで言わなくても、その人にはちゃんと伝わったみたい。真っ赤な顔でさっきみたいに笑って、じゃあな、なんて言いながら石段を下りていった。

私はなんだか嬉しくて、温かくて、不思議な気持ちになれたあの日を、今でも忘れてない。


「その日から、私たちは毎日会って、話をしてた」

 少女は相変わらず汗もかかずに、今の話を続けていた。少年は、なぜか自分にどっと不安な気持ちが襲ってきていることに気がついていた。少女の今の話に、なぜだか違和感を感じてもいた。それがなんなのかわからないし、理解しようにも頭がうまく働いてくれなかった。少女はまだ話を続けている。

「そしてそのまま、夏休みも終わりに近づいて」

 ―――なんだろう、この、妙な感じは…―――

「その人は突然、来なくなった」

 下を向いていたはずの少女の視線が、いつのまにか少年へ向けられていた。少し潤んだ、大きな黒い瞳。一切揺らがないその視線に、少年はひどく怯えていた。少女のことがこわいわけでもない。それでも体は金縛りにあったかのように、全く動かなくなっている。―――なんだ。なんなんだ。

「私、彼に何かしたのかなって、悩んで何日も過ぎたわ。でもある日、彼のお母さんが神社に」

 ―――なぜだろう、俺はこれを…―――

「それで知った。彼が、事故に遭って」

 少女の顔が途端に歪み、大きな瞳からぼろぼろと涙が溢れだした。唇を噛みしめ、嗚咽が漏れるのを必死に堪えているようにも見える。それでも、少年には、少女のことを気にかける余裕など、なかった。―――やめろ、やめてくれ。頼むから…

「亡くなったことを」

「なんだ、なんだよ!そんなことっ、俺に言って、どうしようって言うんだ」

「…お願い、聞いて」

「いやだっ!俺は聞きたくない!」

 もうやめてくれ。これ以上、俺になにも言わないでくれ。――――俺は、理解なんてしたくない…

「今聞いてほしいの。そうしないと、あなたが」

 もうなにかを言うのも億劫だ。また暴走しそうになる心を必死に抑えつけて、睨むように少女を見る。少女もまた、目をそらさないままに話を続けるのだった。

「私、悲しくて苦しくて、もうどうにかなりそうだった。なんにもする気が起きないままに、一年が過ぎたわ。学校の帰り道、偶然、本当に偶然ここの前を通りすぎたの。懐かしくて、つい足を踏み入れてしまった」

 少年少女は、見つめあったまま。

「そのままぼんやりと時を過ごして、ある時。現れたの」

 もう本当にやめてくれ。それ以上、言わないでくれ。

「死んだはずのあの人が。前と変わらない姿で、声で、瞳で。私は声もでなかった」

「…やめろ、それは、だって」

 声が震える。涙が溢れて、止まらない。理解したくなくても、わかってしまう。少女の言う、その人は。

「もう、わかってるんでしょう。その人は、私の知ってる、その人は…」




「あなたのことだって」



「やめろぉ!それを言うなっ!そんなこと、あるわけがない!だって、俺は!」

 もし。もしその人が自分なら。自分はもう。

「それが今から四年前。あなたは私のことを覚えていなかった。ましてや、自分が死んだことすら理解していなかった」

 自分が、死んだ。その言葉は、少年の心に鋭く突き刺さった。そんなことがあるわけがない。そう思いたいのに、それを肯定してしまえば、辻褄の合うことがある。―――少女が、自分が買ったアイスを食べなかったこと。そして、自分が少女に触れることができなかったことも、それならば。でも、それでも、認めたくないのに。

「本当なら真実を伝えるべきだったわ。でも、どうしたって、離れたくなかったの」

 離れたくないのは、こちらも一緒だった。彼女が生きていたならば、と何度思ったことか。そんな思いを、彼女もまた感じていたのだろうか。それならば、自分はどんなに辛い思いを彼女にさせていたのだ。やはり、自分は最低だ。彼女のことは愚か、自分のことすら理解していなかった。

「それなら、俺はもう、死んでるってことかよ」

「…そう、なるわね」

 どうしても実感が沸かない。少女と過ごしたこの一月のことを、自分ははっきりと覚えている、はずだ。――――でも、その前は?少女と離れてから、その後は?家に、帰ったはずなのに。覚えているはずなのに!

 もう、頭がおかしくなりそうだった。少女の言っている意味を、理解したくないと心は拒否するくせに、理性の上では理解してしまっている。真夏の暑さはどこに消えたのか、頬を撫でる風は冷たく、心の芯まで冷えていくかのようだ。涙でベタついた顔が気持ち悪い。しばらくの間、お互いに無言の時間を過ごす。

 沈黙を破ったのは、少年の方だった。少しだけ落ち着いた心で考えれば、少女に聞きたいことが山程あることに、気づいたからである。泣き腫らした目が、ゆっくりと少女へと向けられた。

「なぁ」

「…なに?」

「…俺が、死んだ、のは。その、5年前だって、言ったよな」

 そう。一番に聞きたいのは、それだった。自分に自覚は無くとも、彼女にとっては、5年。その時に、高校生だったと言うのならば。今は…

「それなら、お前は今」

「もう、20になるわ」

 少女はただ落ち着いた様子だった。少年はただただ、驚くだけ。少女だと思っていたのに、彼女はもう、自分の知っている少女ではないのか。自分だけがなにも知らず、5年間も。少女の言葉はどれも少年の心に深く突き刺さって、傷を作っていく。

「20…」

「もう、ただ感情に流されるだけの子供ではいられなくなったように感じるけど」

 少女は透き通った青空を見上げながら、自分の5年間に思いを馳せていた。少年には、少女の思いを完全に知ることはできないけれど。子供ではないのだと、悲しげに呟く姿に、また泣きそうになった。

「あなたと出会った5回目の夏、今このときは」

 少年に向けられたのは満面の、笑顔。少年が好きな、全てを包み込む笑顔。

「ただあなたが好きで好きで仕方のない、15の少女に、戻れたから」

 その頬に涙が、一筋光る。それは少年も同じだった。大好きな少女の顔が歪んでいく。

「本当に、ありがとう。何度も私を好きになってくれて」

「そんなの…俺の、方が」

 涙で前が見えない、喉に言葉が張りついて上手く出てこない。言ってしまえば、確実に何かが、終わる。でも、それでも。伝えたい想いがあるから。

「俺をずっと…好きでいてくれて、ありがとう」

 か細い声はちゃんと、届いただろうか。

「好きよ。あなたが、好き。言葉にしたら、何かが終わってしまうって、怖くて、伝えられずにいた。でも…」

 涙を拭って、再び少女へと視線を上げた時、目の前にいたのはもう。少女などではなく。少女の面影を残した、優しい笑顔の女性だった。ただ、少年を見つめるその瞳は何一つ変わらず、純粋に輝いている。

「もう、前に進もう?」

 涙に濡れた笑顔が眩しい。その言葉がどれだけ辛くても、もう、逃げてはいけない。少年少女、止まっていた時間を、進めなくては。二人の、ために。

「…そうだな、俺ももう、逃げない。俺の時間はもう、止まって動くことはないけど。お前と過ごしたこの夏があれば、もう、大丈夫だ」

 大人になりたくてもがいていた、少年少女は、確かな今を過ごしていたわけではない。少年は止まった自身の時を見ようとしないで。少女は甘くもどかしい思い出を必死に守ろうとして。バラバラのようで、ぴったりと重なる二人の想いは、あのクリームソーダみたいに甘くて、少しだけしょっぱい、青春の輝きである。

 二人、泣き笑いのように顔を歪めて、抱き合った、その時。

「あっ…」

 少年の体が、消えていく。まるで映画のワンシーンみたいだ、なんて妙に冷静になった頭で考えてしまう。少女の驚いた声も、震える体も、笑顔も涙も、どれも愛しくて、消えかけた体で力一杯抱き締める。もっとも、もう少女と言っていいのか、わからないけれど。

「ああ、やっぱ、怖いな。消えるのか、俺」

「私も、怖いよ。怖くても、大丈夫だよ。強く、なれる」

 彼女はこれから、新しく第一歩を踏み出して、彼女自身の時を進めていく。それを近くで見れないのは残念だけれど。大丈夫、とその一言が自分を救ってくれるから。たった15年の人生でも、幸せだったと言える。本当だ。

 もう、ほとんど少年の姿は消えてしまっている。抱き合っている、なんて言っても、触れられるわけではないのに、力強く抱き締めてくれているのがわかったから、少女は温かな気持ちで溢れていた。消えてしまうのは辛い。自分がこれからどう生きるのか、不安でいっぱいだ。でも、その不安にはもう負けない。強さも弱さも、楽しみも悲しみも。全部教えてくれた彼がいるから、負けてなんていられない。力強く、生きる。彼ができなかったことも、自分にはできるかもしれない。泣いて、笑って、生きるんだ。

「サヨナラだ、今度こそ。お前のこと、名前も教えてもらってなかったけど。それでも、好きだ。最初で最後の恋が、お前で良かった」

 もう、ほとんど見えない。消える。消えてしまう。我慢していたのに、涙が溢れてくる。それでも少女は笑う。精一杯、笑う。





「ありがとう」




 消える瞬間、最後の最後に見えたのは。屈託なくあどけない、満面の笑顔だった。――――それでいい。それだけで、私は前へ向かっていける。ありがとう。本当にありがとう。

「君に出会えて、幸せでした」

 風に乗って届けばいい。君への最後の言葉が。晴れ渡る青空は、少女だったあの頃と何一つ変わらず。もどかしくて切なくて、喉の奥が詰まるようなあの時は、確かに私の、青春だった。


「またアイス、食べたいな」


 少年が亡くなってからは、一人だった。あのアイスは、少年との大切な思い出。忘れられない、青春の欠片だった。―――また、買おうかな。


 一人で食べたあのアイスは、少ししょっぱくて、甘い。君と一緒に食べられたなら、きっともっとしょっぱくて、甘い。ああ、君に触れられたなら、暑さも頬を撫でる風も、一緒に感じられるのに。

 

 二人の夏は、静かに、確かな温かさを残して、終わりを告げた。それでもその終わりは、きっと二人を引き裂くものではなくて。少女が大人になっても消えない、前に進むための力になるはずだ。













「すいませーん!クリームソーダ味のアイス、ひとつください!」







 さぁ、進もう。幽霊の仮面はもういらない。私として、生きよう。あの日のソーダ味は、ここにある。




 





 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。まだまだ未熟ですが、これからもよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ