純情クリームソーダ・前編
少し長くなってしまったので、前編、後編に分けました。最後までお付きあいください!
町外れの寂れた神社には、幽霊が出る。その話は、高校に入学したばかりの、一人の少年しか知らない真実。
都会から遠く離れた田舎町の、季節は夏。真夏日が続き、焼けるような日の光が肌を直撃する中、少年は幼い顔を怒ったようにしかめながら歩いていた。シンプルなデザインの黒いリュックが、太陽に照らされて焼けるように熱い。吹き出した汗はじんわりと、では済まずにぐっしょりとワイシャツを濡らしていた。流れる汗を乱暴に拭い、ようやく見えてきた林のような神社に、多少虚ろな瞳を向けて、これでもかというほど足を速めたのだった。
ようやくたどり着いた、神社の石段の前に、少年は立ち尽くしていた。…いや、立ち尽くしていた、とは言うものの、目だけは何かを探すように右へ左へ、せわしなく動いている。それもそのはず、少年は探しているのだ。自分だけが知っている存在を。肩を怒らせながら、目一杯に息を吸い込んで、蝉の鳴き声がうるさく鳴り響く神社に向けて叫んだ。
「おおい!!いるんだろ、隠れてないで出てこいよ!」
強気なつり目をキッとつり上げて、不満げに吐き出した言葉に呼応するように、石段の最上段のそばにある、巨大な木の背後から、小走りに何かが飛び出してきた。それこそが、少年の探していたものであった。
「…今日も来たんだ」
飛び出してきたのは、少年と程近い年齢であろう、少女だった。
「来るって言ったろ。…そんなに驚いた顔すんなよ、幽霊の癖に」
幽霊。その二文字は、普通なら恐ろしく、理解しがたいものとして連想されるだろう。しかし、目の前に立っている少女は、小柄でおとなしそうであるが、まぎれもなく幽霊なのだった。誰かが証明したわけではない。ただ、少年がそうなのだと自己解釈した、少年の中の真実。直接確かめたわけでもない。幽霊、と呼び掛けても、少女は肯定も否定もしな
いのだから、確かめようがないのだ。少年は、少し大きめの石段を一段飛ばしでかけ上がった。
「学校だったの?」
「うん」
かけ上がった石段の最上段、少年と少女は座っていた。神社は木に囲まれているせいかとても涼しい。
「――――今日も暑いね」
「お前幽霊なのにそんなの、わかんのかよ」
少女はとても幽霊とは思えないような言動をする。はじめての頃はとても戸惑ったものだったが、今では慣れたもので、普通の質問に、普通に答えるだけだ。
「わかんないけど、わかるよ」
少女は艶やかなボブカットの黒髪を揺らしながら、小さく微笑んだ。その様子に、まるで風を感じているみたいだ、と少年は思った。
「ふぅん…わけわかんねえ」
「君の汗見たら、誰でもわかるでしょう」
「―――そういうお前は、汗ひとつかかないもんな」
いまだ乾かない汗に不快感を感じながら、少年はちらりと隣の少女を見やった。少女の服――――白い半袖のセーラー服に、赤いリボンだ―――は、まるで汗という概念がないかのようだった。風に少し揺れているように見えるのは、気のせいなのだろうか。
「―――あぁ、今日は午前だけだって親に言ってたんだった」
「じゃあ帰るの」
「うん、今日はもう、帰る」
涼しいこの場所は、家までの、多少遠回りでも帰り道だった。またあの暑さの中歩かなければならないのかと、鬱な気持ちがこみ上げそうになるが、ぐっとこらえて重い腰をあげた。少女は座ったまま、上目遣いに少年を見つめていた。
「明日。また補習だから」
「うん」
「隠れてんなよ」
言葉少なに明日の約束をして、手も振らずに石段をかけ下りた。途中ちらりと後ろを振り返ると、少女はまだ座ったままで、じっとこちらを見つめていた。少年は前に向き直し、後はもう振り返らずに神社を足早に出ていく。
いつも通り。そう、いつも通りの光景だった。
少年は、昨日と同じ道を、昨日よりも速いペースで歩いていた。本当なら走り出したいほどなのだが、この暑さの中それは困難であった。手に提げたビニール袋が、ガサガサと小刻みに音を立てるのにさえ苛つきながら、ネクタイを緩めてさらにペースを上げて、ようやくたどり着いた神社の前で息を整えるように深呼吸をした。それから素早く石段を登り、昨日と同じように最上段に座った少女の隣に腰をおろした。
「…はい」
ぶすっとした表情のまま、先程まで持っていたビニール袋を少女に向かって突き出すと、少女は驚いた顔で少年を見つめる。決して袋に手を伸ばそうとはせずに。
「アイス。帰りに買ったんだ」
「…でも」
「知ってる。俺が2本食べるんだよ」
そう言うと少年は袋から2本の棒アイスを取り出すと、手早く開封してアイスを頬張った。少女はじっと少年を見つめるだけだ。
「何の味?」
「…クリームソーダ。袋に書いてあるだろ」
「ほんとだ」
クリームソーダ味のアイスは、まろやかなクリームと、爽やかなソーダが絶妙で美味しかった。100円もしないけどいいもんだな、などと考えているうちにすぐに溶けて喉の奥へ消えてしまう。それは暑さで渇ききった喉を潤すのにはとても丁度よかった。
少年はすでに棒だけとなったものをくわえながら、ぼうっと木々の間から見える空を眺めていた。ただ、その目は空を映してはいるのだが、心は隣の少女へと向いている。――――こいつに触れたら、どうなるのかな――――そっと、左手をずらして少女へ。少女は同じように空を眺めているためか気づかない。あともう少し。触れた。――――はずだった。やはり…――――どこかわかりきっていた答えに、少年はただ苦笑を漏らす。触れられない。当たり前だ、相手は幽霊なのだから。ただちょっと気になっただけ。それだけだ。すり抜けた左手がどこかむなしい。
「なにしてるの?」
せつなげに見つめる少年の視線に気づいたのだろうか、少女は空から少年へと視線を変え、可笑しいとでも言うように笑った。その様子に、少年はむっとして顔を背けながら言う。
「別に。ただ、触れんのかな、って」
「…で、どうだった?」
「なんだよ、わかってんだろ」
知ってるけど、教えて。少女はまっすぐに少年を見つめ、キラキラした瞳を大きく開いて言った。星の輝く夜を連想させる綺麗な黒い瞳は、太陽輝く真昼間ではアンバランスに映る。今度こそ少年は、躊躇なく少女へ手を伸ばし、肩を掴もうとするが、やはりその手はすり抜けて空を掴むだけだ。
「触れない。ほら、触れないよ」
「…そうだね」
「お前は」
言おうとした言葉は喉に詰まって出てこなくなってしまった。喉の奥がギューギューと絞められるような、未知の感覚に襲われて、少年は戸惑うばかり。切ない、苦しい、悲しい――――さまざまな思いがいきなり溢れそうなほど現れて、もう自分では抑えられない。少女がなにも言おうとしないことがさらに追い打ちをかけて、溢れてきたそのままを吐き出した。
「お前はっ、幽霊で…俺には、触ることもできなく
てさ、アイスだって、せっかく2本買ったのにっ
、食えないんだ。文句言うかと思ってたのになに
も言わないし、気にした俺が馬鹿みたいで!」
―――やめろ、言うな。それ以上は―――自分の中の冷静な部分が制止をかけるが、きっとこれはもう止まらないはずで。ああ、だめだ、もう泣きそうで…
「知らないんだ。俺はなにも。お前のこと、知りた
いのに!知ることができない、お前がなにも言っ
てくれないから!」
息が苦しくて、こぼれた涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。情けなくて、もうまともに少女の顔を見れなかった。今、少女はどんな顔をしているのだろう。今までみたいに、なにも気にしないかのように微笑んでいるのだろうか。自分がいつのまにか立ち上がっていたことに気づいて、震える足をゆっくりとおろして座る。気を緩めればまた涙が溢れだしそうで、ぎゅっと唇を噛み締めた。
そうして噛み締めた唇に、ひんやりとした風が当たった、気がした。今まで背けていた視線を少女へと向けると、少女は今までよりずっと優しい笑顔で、手を少年の唇へと伸ばしていた。労るように柔らかく動く指先は、なんの感触も少年には与えないものの、その場所は少しだけ温かく感じる。
「ごめんね」
放たれたその言葉は、一体何に対しての謝罪か。触れられないことか、自分について語らなかったことなのか。それを聞く勇気は、今の少年にはまだなくて。ただ不安げに、彼女の次の言葉を待つしかできなかった。
「ごめんね、なにも、言えなくて」
「…言わない、じゃなくて?」
「うん。ごめんね、私からはなにも、言えないから
。君が―――」
少女は不意に言葉を切って、戸惑うように視線を泳がせたが、やがてゆるゆると首を振った。
「俺が、なに?」
少女は答えない。うつむいて、微笑みを消して悲しい顔をするばかりだ。きっとこれでは、答えてはくれないのだろう。短い付き合いで、彼女がこの表情をすることが何度かあった。そしてその時は、自分が何を言っても答えてはくれなかった。悲しげな表情は、少年の心をさらに締めつけ、いっそう息がしづらくなるばかりだった。
辺りはもう夕方、空は茜色に染まって、夕日が静かな二人を照らしていた。会話ひとつなく、そこだけ時間が止まったようだった。あれだけうるさかった蝉の鳴き声ももう聞こえない。張りついていた汗も乾いて、涼しい風が頬を撫でていた。
「…俺、もう帰らないと」
このまま過ごしていても仕方がないと、意を決したように少年が言葉を発する。少女もまた、先程までの表情はもう消して、いつも通りの微笑みを浮かべてうなずいてくれた。ようやく、止まっていた時間が動き出す。
「…またな」
少年はできるだけ自然に聞こえるように別れを告げて歩き出す。その声が少しだけ震えていたことには気づかないふりをして。緩めていたネクタイを苦しいほどに絞め直して、走り出す。後ろを振り返ろうとは、まだ怖くて思えなかった。
「言えない。…君が本当のことに気づくまで」
空はもう暗くなりかけて、昼は薄かった月がその存在を主張し始める。昼が夜に変わるその瞬間を目に焼きつけながら、少女は呟いた。もう見えなくなってしまった少年には、届かない。
少年が置いて行ったクリームソーダの袋が、夜風に揺れてカサカサと音をたてる。少女の姿はもう、どこにもなかった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。青春ものはあまり書いたことがないので、うまく話がまとまらなくて大変でした…。後編もありますので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです!




