Session.15 Tribute to the Past Part.11
起きているのか、寝ているのかも分からない感覚の中に、御剣はいた。真っ暗な闇の中、四肢の感覚さえ失い、ただ生ぬるい温度に包まれている。その中を漂っているような気分だった。
ここはどこだ、という疑問もない。あらゆる感情が弛緩して、“無”に包まれていた。
どこからともなく響いてきたその声も、彼は聞くともなく聞いていた。
――本当は、こんなことになるべきじゃあなかったんだ。わたし達なんかが、この世に現れなければね――
「……」
――……心配しなくてもいいよ。《保有者》なんて、そんな身の上になってこの世にいることが罪なら、それはそのまま罰にもなってるんだから、もう、セーイチに悪いことなんてひとつもないんだよ――
「……」
――これから先の罪も罰も、全てわたしが受ける。全てが終わった後、“ツケ”を払うのはわたし一人でいい。“因子”の絶滅、その最後の一人になる。あなたはその後、思うように生きていけばいい。あの娘の後を追うのも、何事もなかったように生きていくのも、全てはあなたの自由……だから、その時が来るまで、その無念も怒りも、わたしの糧にさせてもらう――
「……」
――これからよろしく――
※
瞼を突き抜けて、眩しい光が網膜に差し込んでくる。閉じた眼をゆっくりと開き、暗闇が切り開かれるように視界が一瞬白熱し、やがて薄い青色の空が映し出された。それは御剣が初めて眼にする、朝焼けの空の色だった。
「……」
何か、夢のようなものを見ていた気がするが、どういう内容だったのか思い出せない。だが、夢を見る前のことはぼんやりとだが思い出すことができた。
前ヶ崎と一緒に研究所を抜けだそうとして、《保有者》の追っ手と戦って、そして、前ヶ崎が死んだ。
「……」
そのことを、確かな実感として胸の内に落としこむことができても、彼には特別感慨はなかった。ただ今は、全身の四肢から生気が染みだして、そのまま消え失せていくような空虚な感覚があるばかりだった。
自分は一体、何をしてきた。その結果はなんだったのだ。その答が目の前にあるのに、それにたどり着きたくない。
今は、そんな無気力さがあるだけだった。
不意に、声が聞こえてきた。
「眼が覚めたか」
その声は御剣以上に疲れきって、虚しさを噛みしめているような音色だった。それに呼びかけられてようやく彼は、気だるい身体を起こし、その場に座り込む姿勢になった。
周囲に眼を配せ、それから声のした方を見る。
木々が大分少なくなっている。山の麓、あるいは、森林の入り口にあたる場所にいるのだということがすぐに分かった。まばらになった木が点々と生え落ち葉が地面を覆っているが、記憶が途切れる前まで見ていた景色に比べれば、まるで別世界のようだった。
そして、声の主――御剣よりも二十歳は歳を取っているように見える男は、彼の背後、一本の木に背中を預け、両足を投げ出して座っていた。
何も言わず、その男の顔を眺めていた御剣。男はしばらく、御剣から眼を逸らして俯いていたかと思うと、徐にその顔を上げ、急に神妙な面持ちになり吐き捨てるように語りだした。
「済まない……もう少し早くこのことに気づいていれば、草薙教授に研究を止めてもらうこともできたのかもしれん。“ヤツら”を世に出してしまった後では、もう遅いんだ。その結果、君達を苦しませることになってしまって……」
「……なに、言ってる……」
御剣は、何故男がこちらに謝っているのか、何がもう遅いのか分からずに、無意識的にこんな問いを投げかけていた。
その問いかけに再び男は黙りこみ、やがて、覚悟を決めたようにまた俯いていた顔を上げ、御剣にしっかりと眼を合わせ、言った。
「……これから話すことを、よく聞いてくれ。君のような被害者に頼むべきことでないのは重々承知しているが、それでも、頼る他ないんだ。私は東 託朗、草薙教授の研究チームに所属していた一人だ。“因子”の研究者だよ」
「……それで」
「私はあの日――桜井 華織君を被験体に、“因子”の具現化を図ったあの実験の日に、気がついてしまったんだ。我々は、とんでもないものをこの世に解き放ってしまったと」
「……“因子”」
「そうだ……いいかい。これからが重要なことだ。私は君に、到底受け入れがたい事実を伝え、承諾しがたい頼みをする。それを聞き入れるかどうかは、君の自由だ。私は強要しないし、君の選択を恨みもしない。自分の意思に素直になって応えてくれ。だが……少なくとも、この頼みを承諾しようとしなくとも、君は“それ”にすでに、当事者として関わってしまっている。それだけは肝に命じておいてくれ」
「……」
「……いいかい。君の身体に宿った“因子”。それには、“意志”がある……私の隣にいる、彼女を見てみなさい。彼女が、君の中で目覚めた者――“ヤツら”の一人だ」
その言葉を聞いてはじめて、御剣には、男の隣に誰かが立っていることに気がついた。服装は今の自分に似ているが、背格好は前ヶ崎に似ている。ゆっくりと視界を上げ、その少女の顔を見上げる。
そうして彼は、はっとした。
「君は……」
燃え立つような髪に、こちらの全てを見透かしているような眼。
間違いない、彼女は……
形容できない眼でこちらを見下ろしながら、彼女は静かに言った。
「ロニー・ロング」
※
フラッシュバックの終わりを告げるように、ドクンと心臓が強かに脈打つ。それに呼応するように、何回目か、あるいは何百回目か大剣を甲斐の下半身に突き立てた御剣の身体が小さく痙攣するのが、あやめにも見えた。
傍らにいた霧島が言う。
「御剣君は、草薙 魁教授の実験により生まれた、最初の《保有者》のうちの一人であり、おそらく最初に……《因子人》として目覚めていた。その上で、東さんから《因子》の正体を聞き、人類に取って代わって地球の支配者になろうとしているヤツらを……止めようとしている。これが、私の知っている限りでの、御剣君の……全て」
「……」
あやめは、ずっと知りたがっていた御剣の心の奥底を、今知った。だが、驚くことも哀しむことも、今はできなかった。
全てを知った上で。知ったからこそ、数えきれないような雑多な念がわき起こってきて、とてもそれらを整理しきれなかったのだ。
霧島は言ってくれなかったが――おそらく彼女もよく分からないのだろう――、そもそも東 託朗というのは何者なのだ。そして、御剣の記憶の中にある桜井 華織という女性。彼女が変貌した、その巨大な植物のような物体は何なのか。
そして、今何よりも気になることがある。
御剣を追ってきた《保有者》。そいつは、御剣の記憶を聞いた東からさらに又聞きした霧島曰く、間違いなくあの甲斐 雛世であるという。彼女の戦闘をほんの少ししか見ていないあやめであるが、なんとなくそうであるとは理解できた。
しかしその霧島は、御剣の手で脳を破壊されて死んだはずだ。だが彼女は生きていて、先ほどまで御剣と戦っていた。
一体何故。
その疑問への応えは、残った上半身で浮遊し、上空から御剣を見下ろす甲斐本人がしてくれた。肉体が機械である以上、あんな姿になっても生きていられるのは当然のことではあるが、それにしてもしぶとすぎる女だ。
「全思考判断ヲ補助脳ニ代替スル。System all green……ワタシはまだ死んではいない……フフ、いっそ補助脳だけで活動した方がやりやすいかもしれんな。さて、御剣 誠一。もう気づいているのでしょう、ワタシがあの日の夜、貴方と相対した《保有者》だと……あそこで脳を破壊して殺したはずなのに、何故? 貴方はそう思っている」
それに、御剣は応えなかった。獣のごとく吠え立てるほどの怒りが少しは収まったのか、あるいはただ表に出さないだけで、依然胸の内で煮えたぎっているのか。今は黙って、甲斐の上半身を眺めているだけだった。
「……なんという」
甲斐がまだ生きている。それはいい。
しかしそれだけでなく、驚くということを知らないのではないかというほどいつも冷め切った顔をしている霧島をしてこう言わしめるほどの事態が、並行して起こっていた。
御剣の手によって両断され、肉食獣が獲物を屠るにしても過剰なまでに破壊され、数cm四方の破片となって散乱していた甲斐の下半身。それらが、埃を叩いたように舞い上がり、残った上半身へと寄り集まっていった。
そして、通信速度の遅いインターネット回線から画像を読み込むように、失った下半身が段階的に再構築されはじめた。再生しているのだ、彼女の身体が。
電磁波により散乱した金属を凝集させ、《因子》の力で分解、結合を繰り返し、再び人工の肉体を形成しているのだろう。
つまるところ、これまでの戦闘によるダメージがほぼ0、になろうとしていた。
ここまでやってもなお無意味。こんな相手に、どうやって勝てばいい。さすがの霧島も絶望するしかなかった。
だがあやめには、この事態がどれほど脅威的で、天界から降りてきた蜘蛛の糸が切れるが如しかは分からなかった。
ただ彼女はじっと、御剣の姿を見つめた。そうして、彼の背中――そこからうっすらと感じるロニーの存在を確かめると、ひとつだけ、絶対に言えることがあるのを見つけるのだ。
大丈夫だ。御剣なら何とかしてくれる。
御剣もまた、あやめと同じことを考えていた。
自分は負けない。自分の中にあるこの欲望を満たすまで。意地を最期まで貫き通す、その時まで、負けるわけがない。
甲斐が続ける。
「貴方があの時破壊し、そして今もまた破壊したこの脳は、単なるワタシの“本体”……そのクローンでしかない。ワタシは、金属を自在に操り、どのような形の機械でもつくり上げることができる。人と同じように動く肉体も、自分と同じことを考える人工知能でさえも……それならもう、生身の肉体なんて必要ない。ワタシは、脳を除く全ての組織を捨てた。そうして、《先導会》の同胞達の協力のもとに、ただ一つ残った自らの“パーツ”を厳重に保護し、その細胞から採取したDNAから、首から上の“複製”を作った。そうしてそれに人工の肉体を与え、ワタシ“本体”の身体に代わって活動する“人形”とした」
言っていることは分からないが、分からなくていいレベルに異常なことだということだけはあやめにも分かった。
「《因子》というのはあくまで“概念”。肉体が必要というわけではない。ただ、思考判断するだけの“パーツ”さえ残っていれば、そこから我々は人間とは何かを学習し、自らの存在を定着させる。脳だけであろうとね。《因子》の依代となった人間、そのオリジナルさえ生きていれば、能力自体も存在し続ける。クローンの肉体に思考と能力の操作を委託することだってできる。生物学的に同じものであれば……そうやって、ワタシはこれまで生き続けてきた」
「つまり……今ここにいる甲斐は、彼女自身ではなく、ただ彼女の似姿に、その《因子》だけが作用している……だけ、と」と、霧島。
「ましてや、完全に自身の《肉体》を得た今、《因子人》としてのワタシには、もうそのオリジナルさえも必要ない。だけど、クローンを依代にし続ければ、《因子》としての肉体を具現化せず、他の有象無象の阿呆《Junk》共のように、殺されることもない。依代の肉体が破壊されても、また別の依代に宿ればいい……DNAを元にした複製脳と、不完全なクローン技術から来る機能不全を補うための補助脳。これらが作られ続ける限り、《因子》としてのワタシが死ぬことはない。殺すこともできない」
思考判断自体も、《因子人》としての彼女ではなく、クローンの脳と補助脳が行っているから、どれだけ傷めつけられようが甲斐自身のダメージはない。
モビルスーツが撃破されてもパイロットが生きている限り、別の機体が補充されいくらでも戦える。それと同じだ。
クローンと簡単に言うが、《因子》により発展した現代の生物学であっても、人ひとりの複製を作り出すことは困難を極める。しかし、不完全な――深刻な障害を持つような形になるとはいえ、脳や、頭部ぐらいならば複製することができる。
もちろん、脳だけで生きていくことなどできるわけがない。しかし甲斐には、機械による人造の肉体を製造し、脳の機能を補助する人工知能を作る術があった。
これは、実質彼女にしかできない、“物理的に不死身”となる方法だった。
「《因子人》め……」
これほど不安と恐怖を抱いている霧島を、あやめは見たことがなかった。見えるわけではないが、その口調から分かる。
しかし、彼女と同じ恐怖をあやめが抱くことはない。
そういうことはどうでもいい。それが彼女の感想であり、御剣の、ロニーの意志であった。




