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Session.15 Tribute to the Past Part.9

 その女の姿は、前ヶ崎にも見えていた。

 前方の森林から、後方の研究所からそれぞれ《保有者ホルダー》が迫る。さしずめ前門の虎に後門の狼――否、後ろに控えるは狼にあらず。

 研究所の方角から迫る《保有者》達は、よく見てみると全員機関銃のようなものを持って武装している。《保有者》であるなら、そんなものは必要ないはずだ。それは御剣達自身よく分かっている。己の身体、それこそが唯一無二の武器になる。ライフルから発射される弾丸は、自分が走る速さよりも遅いのだ。そんなものをわざわざ担いでくる意味などない。

 もしかしたら、ヤツらは《保有者》ではあるが、こちらほどの能力は持っていないのではないか?


 だとしたら、まだやりようはあった。

「どうするの、御剣君……」

 自分の足の負傷も忘れて、不安げに聞く前ヶ崎。毛細血管が裂けて血が絶え間なく流れ出るはずの右足であるが、実際は最初の爆発で吹き出した以外には出血していない。皮膚の熱を奪い、血管から流れでた血液を凍らせることで、これ以上の出血を防いでいるのだ。出血した分だけをピンポイントで凍らせているから、皮膚や筋肉が凍傷などで壊死することもない。これもまた彼女だからこそできる芸当だ。


 そんな彼女の声に御剣は、彼女の胸中にあるものよりもさらに強い不安を、気迫でかき消すように、語気を強めて応えた。

「大丈夫! 向こうがこっちが逃げるのを止めるつもりなら、僕があいつをやっつけてやる!」

「できるのっ?」

 前ヶ崎がそう言い返す頃には、御剣は彼女を抱きかかえていた腕を離し、自らの“因子”を具現化させた得物、大剣を両手で握りしめ、身構えていた。

「姉ちゃんは、あっちから来る人達を相手にしてよ。殺さなくたっていい。持ってる鉄砲だけを焼き切って、後は近づけないように地面でも焼いてマグマにすればいい」

「そんな……」

「大丈夫だよ、姉ちゃんならできる!」

「そりゃあ、こっちはできるけど……」

 声音は弱々しいが、前ヶ崎には確かに、御剣の指示したことをやってのける自信はあった。不安なのは、御剣の方なのだ。

 それを察し、その不安を和らげるつもりなのか、あるいは自分自身に言い聞かせているのか。御剣は鋭い眼で前ヶ崎の眼を見返しながら、口元に笑みを浮かべた。

「僕、《保有者》になんかなってみたけど、それで一体何が変わったのか、全然分からなかった。こんな身体になったって意味ないって……でも、こんなよく分からない力でも、姉ちゃんと一緒にここから抜け出すぐらいのことはできる。一緒に行こう!」

 その言葉に前ヶ崎も、慄き、竦むことはやめた。ここまできたらやるしかないのだ。殺しはしない。近づけないようにだけして、さっさと諦めてもらう。少なくとも自分には、それができる確信がある。

「分かった。一緒に逃げよう! それで、他の《保有者》の人達が、私達に続くのを待つんだ!」


 その言葉には、御剣はただ頷くだけだった。それからはもう、彼女からは眼を話して、密林の先にいる敵――自分と同じ《保有者》に眼を凝らすだけだった。

「……」

 覚悟を決めた途端、呼吸が安定してきた。思えば、“因子”の力を使って人を相手にするのは初めてだった。正直、上手くやれる自信はない。だが同時に、恐怖もなかった。

 本気でやるしかない。そして、本気でやる以上、相手を殺してしまうかもしれない。そのことを実感していながらも、動揺も躊躇もなかった。『殺す』という表現が、異様に自分の意識によく馴染んでいることに気づいたが、そのことに驚く余裕も、今はなかった。


「……いけ!」

 自分で自分を喝破するように叫んだその掛け声と共に、彼は地面を蹴った。地雷が埋め尽くす地面を駆け、敵に接近する。

 だが、爆発は起こらなかった。最初の一歩で彼は、地面と水平に横っ飛びし、地雷に触れることもなく、地面すれすれのところをグライダーとなって進んだのだ。その足が土を踏みしめ、その下に敷かれていた地雷を爆発させたのは、もう敵の姿が目の前に迫るほどに進んでからだった。

「ふぬっ!」

 大剣を横薙ぎに振りぬく。女はそれを、宙に浮いたまま後ろに身を引くことで回避した。

 地雷の爆発により弾けた土塊が御剣の身体を包んだのは、大剣が振りぬかれた後のことだった。だが、天を目指す柱のごとく立ち上った土煙が収まっても、彼の身体は傷ひとつついていなかった。身体どころか、“因子”とは無関係であるはずの服や靴でさえもだ。

 彼の身体の周囲にだけ、物理的な破壊力を一切寄せ付けない力場のようなものが存在していた。これを破ることは、ICBMの爆発でもできないだろう。唯一、同じ“因子”の力だけが、この結界を突き破ることができる。皮膚も服もだ。


「フン」

 女が御剣の攻撃を鼻で笑いつつ、引いた身を再び前に押し出し、カウンターとばかりに左手と一体化しているチェーンソーを突き出してくる。無数の刃が高速で回転しているが、その音は、チェーンソーそのものに対するイメージに比べて、静かすぎるほどに静かだった。

 しかし、少しでもその刃に触れてしまえば、肉はバラバラに砕かれ、細胞が霧のように散らばりながらどこかへ消えていくことだろう。腕に当たれば御剣の身体の一部ではなくなり、頭にでも当たった時には……

 だが、この大剣の刃。“因子”の力そのものであるこれならば、ぶつかり合ったとしても負けることはないはずだ。

「ぬっ……くあ!!」

 横薙ぎに振りぬいた勢いをあえて殺さず、その場で身体を一回転させ、もう一度横薙ぎを放つ。それにより、迫るチェーンソーに大剣を衝突させ、突きを食い止めた。

「……」

 女が、少し驚いた表情を浮かべる。

「んらぁーっ!」

 そのまま腕に渾身の力を込め、チェーンソーを弾いた。大きく腕を広げる形になり、女の胴ががら空きになる。

 こちらの武器は、この大剣だけではない。“この身体ひとつ”。それが武器になるというのは、相手が同じ《保有者》であっても変わらない。


「ぬ、いぃぃーあっ!」

 左手の指を真っ直ぐに揃え、胸元目掛けて突き出す。《保有者》といえど、心臓が血液を巡らせなければ生きてはいけないのはただの人と同じはずだ。このまま、こいつを殺す。そうして、前ヶ崎と共に逃げるのだ。

 が……


「そうは……いかなイ」

 女が、右腕と一体化した銃を盾にして、手刀の突きを防いだ。鋼鉄だろうと貫く突きであるが、この、何でできているのかも分からない銃身を貫くことはできなかった。

「こんの……野郎ー!!」

 御剣が雄叫びをあげる。気持ちが俄に高ぶってくる。血液が沸騰し、身体の奥に潜み今まで眠っていた何かが目覚めそうになる。この敵を倒す。それしか考えられなくなりそうになる。

 この場に前ヶ崎がいること、彼女と共に逃げるという目的すらも、一瞬忘れそうになり、自分の魂が何かに引き寄せられて、乗っ取られる感覚が、一瞬だけ全身を過ぎった。

 そのことを自覚する余裕もまた、彼にはなかった。



    ※



 御剣曰く、こちらに迫ってくる数十人の追っ手は、《保有者》ではあっても自分達よりもはるか格下だ、ということらしい。それでも、《保有者》であることには違いがなかった。

 あっという間に連中はこちらに接近し、10mほど離れた位置から取り囲んでいた。その手に持った銃火器も、よく狙えばまず外すことはないという距離だ。

 この時にはもう、御剣は前ヶ崎の傍を離れて、もう一方の追っ手と戦闘を始めていた。それは、中途半端に大人しくして連行されろと通告したところで、聞く耳を持たないということの、言葉のない意思表示でもあった。すでに抵抗を行っているのだから。

 負傷している前ヶ崎であっても、それは例外ではない。そう易々とは容赦してはくれないだろう。

 だが、それで結構だ。御剣の言うとおり、前ヶ崎にはやられるつもりはなかった。御剣のような《保有者》の攻撃ならいずしらず、たかだかアサルトライフルの一斉射などでは、こちらを殺すことなどできない。

「……」

 地雷にやられた右足をかばうように、あぐらをかいた姿勢で座る前ヶ崎。そんな彼女に対し警告することもなく、どこぞの紛争地帯で傭兵が着ているような防弾ジャケットに身を包んだ兵士崩れの追っ手連中は発泡した。

 マズルフラッシュで視界が一瞬真っ白に染まったような気さえした。だが、彼女は身震いすることも、うろたえることもしなかった。放たれた無数の弾丸は、彼女の周囲に張り巡らされた見えないバリアによって、ことごとく防がれていたのだ。何かにぶつかる、金属が千切れるような音さえない。

 そもそも向こうの攻撃がこちらに届かないのだから、身構える必要さえなかった。

 連中がうろたえるのがよく分かる。それでも、それなりに訓練を積んでいるのか知らないが、そのまま混乱して統率が乱れるということはなかった。


 隊長格の男が叫ぶ。

「撃ち方止め! グレネード!」

 その命令に応じるように、数人の兵士が持っていたアサルトライフルから、空気が抜けるようなシュポッ、という間抜けな音と共に、榴弾が射出された。黒く塗ったソフトボールみたいな見た目であるが、ひとり一人殺すのには十分すぎる火薬がつまった爆発性の弾だ。

 地面に衝突すると同時に、それらが一斉に爆ぜ、地面をえぐり取った。勢い良く土煙があがる。一発で人が死ぬ爆発が数発一斉に起こったのだ。さすがにひとたまりもあるまい。

 この場では最大級の火力だ。その分巻き起こる土煙も激しい。それが消えるのをひとまず待つ。


 が、茶色い霧が晴れるよりも前に、突如一筋の光線がレーザーサイトのごとく宙を奔り、兵士達の元へと伸びた。

「う……っ!!?」

 これにはさすがに、うめき声のひとつもあがる。

 真っ直ぐに伸びた光線は、そのままペイントツールで描いた線をマウスでめちゃくちゃにドラッグしたかのように、めまぐるしい速さで周囲を移動した。その軌跡をなぞるように、コンクリートの地面に赤黒い直線が刻みつけられる。

 その光の狂乱が続いたのはほんの数秒のことだった。だが、その数秒を過ぎた時、兵士達が持っていたライフルは、ことごとくその銃身を溶断され、発砲できない状態になった。

「な……なんと」

 隊長格の男も、こうなっては指示の出しようがない。まだ、手榴弾や携行用の拳銃、ナイフなどはあるが、いまさらそんなものを使ってどうなるものか……


 数ヶ月前、自分達をこんな辺鄙な場所の研究所に呼び、得体の知れない植物か何かに埋め尽くされた部屋の中に案内し、そして今、子供二人を抹殺しろと命じた男は、ターゲットの具体的な情報を何一つ教えてくれなかった。だからこそ、こんなことをしでかすなど想像もできなかったのだ。

 身体能力が並の人間では及びもつかないほどに向上し、人類史上最強の兵士が誕生したと浮かれていた気持ちが、一気に奈落の底へと叩き落とされたようだ。

 何者なのだこの女は。

「く……っ」

 兵士達がその場でまごついている間に、再び光線が奔る。今度は、前ヶ崎の周囲をぐるりと一周するように照射された。威力は先ほどよりも数段強くなっており、溶けたコンクリートと土が、赤い液状の飛沫となって、数cmほど飛び上がる。

「うお!」

 完全に戦意の萎縮した兵士達の一団から、頓狂な声があがる。足元にまで飛び散ってきたマグマに、巣穴を襲われて逃げ出す兎のように飛び跳ねるような者さえいた。

 熱光線の照射により、前ヶ崎の周りに円形のマグマ溜まりができた。こんなものを作っても、ただの人なら飛び越えることはできないだろうが、相手は紛いなりにも《保有者》。容易く越えてこちらの懐に迫ることなどわけないだろう。

 それは承知している。これは警告だ。この線を超えれば容赦なく焼き殺すという、生命のボーダーラインだ。わざわざ大袈裟に地面を焼いて見せたのは、こちらの力を相手に誇示するためだ。

 その目論見通り、向こうはすっかり縮こまって、遠くで立ち尽くしているばかりだ。いっそ、このまますごすごと研究所に逃げ帰ってしまえばいいのに。


 とにかく、これでこちらの敵は無力化できた。後は、御剣の方が上手く切り抜けるのを待って、彼と共に逃げるだけだ。

 大丈夫。少し待てば、無事に戻ってくる。そうして、後はこの場から去るだけだ。負傷した足はどうにでもなるだろう。

 外の世界。真っ当な社会の中で、今度こそ本当の、新たなる革命を起こすために、二人でやっていこう。



    ※



 チェーンソーと大剣の刃が幾度となくぶつかり合い、その合間に差し込まれるように、女が突きつけてきた巨大な銃から見えない弾丸が撃ちだされる。それは、木の幹を型で繰り抜いたように綺麗な円形に蒸発させるほどの、超高熱の放射だった。チェーンソーの刃同様、まともに喰らえば一発でおしまいだろう。

 それを寸前のところで回避しながら、こちらもお返しとばかりに拳を突き出す。相手はそれを、かわすか、砲身で受け止めるかする。

 そして、御剣が足を踏ん張る度に、その足元に敷かれた地雷が地面をえぐり。土煙の柱を立ち上らせる。

 そんなことが、もう幾度となく繰り返されていた。お互いが振りぬく武器により切断され、高熱により焼かれた木々が、次々と倒れていく。地雷の爆発により、周辺の地面が抉れつつあった。

 幹や枝が折れていく乾いた音に混じって、唐突に女が話しかけてきた。

「今ならまだ、降参すればなんのお咎めも無しで許してもらえるワ。本当よ、約束すル……アナタはおそらく、この脱走行為の首謀者ではなイ。眼がそう言っていル……なら、企てたのはあの女ネ。そちらは殺す……さぁ、どうする?」

「姉ちゃんも殺さないっていうなら考える。でも、殺すっていうなら、そうはさせない!」

「何故? ワタシとアナタの実力は互角。でも、研究所にはまだ《保有者》は何人もいル。今から彼らを援護に呼ぶことだってできル。そうすれば、アナタに勝ち目はなイ。犬死にをするだけヨ。生命が惜しくないノ?」

 確かにそうだ。今更気がついた。この女相手にもたついていては、さらなる追っ手が繰り出され、逃げきれる可能性がさらに低くなってしまう。何より、こちらの生命の保障もなくなる。

 だが、だとしても御剣は尻込みしなかった。理由も理屈も分からない勇気が、身体の奥底から沸き起こってくる。その源は、前ヶ崎だ。

 彼は叫ぶ。

「それでも、姉ちゃんのためだ! 姉ちゃんを見殺しにして、僕一人だけ生きてるなんて嫌だ!」

「図書室で漫画ばっかり読んでいたのカ? 随分格好いいことを言うけど……あの女のどこにそこまで入れ込む価値があル。今までずっと仲良しこよししてきたのかもしれないが、所詮は赤の他人。生命をかけるなど馬鹿馬鹿しい、解析不能ダ」

「僕にだって分からない。でも、なんていうか、姉ちゃんの眼はすごく真っ直ぐで、きれいに澄んでるんだ。革命とか僕にはよく分からないし、正直そこまで興味もないけど、姉ちゃんの考えてることはきっと正しくて……“因子”だって、姉ちゃんがいればきっと上手くこの世界でやっていけるんだ。僕とは結局友達になれなかったみたいだけど、姉ちゃんとなら友達になれる……そんな気がするんだ!」

「大国博士カ……乳幼児期から教育すれば、こんなことを信じこませることもできル……これでどうダ」

 再び右腕の銃口を向けてくる。だが、今度は先ほどまでと違い、熱量が広範囲に拡散していた。まるでショットガンだ。かわそうとしても、身体のどこかに当ってしまう。たとえかすっただけでも、重大なダメージになることは免れないだろう。脚一本、腕一本がなくなるだけでも、戦況はこちらの圧倒的不利になる。そのまま一気に押し込まれ、やられてしまうだろう。

 ならどうする。かわせないのなら……


「これだァー!!」

 大剣を、身体全体を覆うよう、地面に突き立てるように縦に構えつつ、そのまま一気に振り上げた。巨大な刃が波をかきわけるように、撃ちだされた熱量をかき消す。敵が放つ砲撃は、“因子”の力によるもの。そして、この大剣も“因子”によるもの。ならば、互いに干渉しあって打ち消すことができるはず。

 実際、その通りだった。すぐ耳元で空気が焼ける音を聞き、背後で地面が、根が、葉が溶解するのを感じながらも、御剣は無傷でこの攻撃を切り抜けた。

「ん……っ」

 女の顔に、焦りが見えた。しかし、彼女の対応する行動は早い。間髪入れずに、左手のチェーンソーによる突きが迫る。さすがにこれを素手で受け止めるわけにもいくまい。大剣は派手に振り上げ、大きな隙ができた。今からその刃で防ごうにも、一手遅い。

 はずだった。

「おりゃあーッ!」

 御剣は強引に、振り上げた刃を文字通り返す刀で振り下ろし、迫るチェーンソーの刃に叩きつけた。勢い良く下方へと弾かれたチェーンソーが、土塊を巻き上げながら、地面に喰いこんだ。

「……イレギュラー」

 そのつぶやきが、女にとっては最大級の混乱を表すものであるとは、御剣には分からない。

 とにかく、今が最大の好機だ。こちらも渾身の力で大剣を振り下ろしてしまっている。《保有者》の力ならば、巨大な剣でもわずかな重さしか感じない。だが、その僅かな重さでさえも、今この瞬間にはチャンスを殺す隙の源になり得た。なら、あえてここは……


 彼は大剣の柄から手を離し、右の拳を握りしめた。女が右腕の砲身でガードしようとするが、それを左手で引き剥がす。

 完全にがら空きになった顔面目掛けて、渾身の右ストレート。

 その拳は、女の顔というよりかは、そこよりもやや上、額に目掛けて突き出された。彗星よりも早く、強力なパンチが、女の頭蓋骨を粉砕し、脳を歪める。

「ブグァ! カハ……ッ!!」

 呻きを上げながら、女の身体が盛大に吹き飛び、数m先の木の幹へと衝突した。《保有者》の力で殴れば粉々に砕けて折れるはずの幹が、今回だけは不思議と折れることなく、リニアモーターカーのようなスピードで飛んだ女の身体を受け止めた。

 崩れるように座り込み、彼女がうなだれる。

「……やった」

 前頭葉を原形を留めないほどに崩壊させてやった。いくら《保有者》であろうと、身体の構造だけは普通の人と変わらないはず。脳が損傷すれば、とても動くことはできないはずだ。

 勝った。後は前ヶ崎と合流して、さらなる追っ手が来る前に逃げるだけ……


 いや、違う。御剣は思わず眼を見開いた。

 うなだれていたはずの女の顔が少しずつ持ち上がっていき、それに呼応するように、右腕に繋がる巨銃が、ガクガクと震えながら、その銃口をこちらに向けようとしていた。

 そんな馬鹿な、即死のはずだ。それとも、まだほんの少し脳の機能が生きているのか?


 息を呑み、混乱が思考回路を堂々めぐりする。だが、それは一瞬の逡巡に過ぎなかった。

 ……間違いなく勝った。そう強く意識し、身の毛もよだつような戦慄を、一瞬でかき消す。

 額より上の形が変形しているのだ。顔つきは先ほどと変わってはいないが、頭全体のシルエットが人間のそれではなくなっている。今かろうじて生きていようと、もう数秒も待てば100%、一縷の例外もなく死ぬ。

 実際、こちらを睨みつける両の瞳は焦点が合わず、親指よりも太い、銃口というよりもSF作品に出てくる宇宙戦艦のビーム砲の発射口に見える虚空も、腕の痙攣に呼応して脈打っていた。

 医学的な根拠や確証はないが、ギロチンで撥ねられた首は、少しの間だけ生きているということを聞く。これはそれと同じだ。イタチの最後っ屁。今際の人間が『一糸報いる』と言いながら、結局は何もできずにくたばる、滑稽さそのものだ。

「……や、やってみろ」

 撃ってみろ。熱量を弾丸にしているから、砲撃の軌道は見えないが、焼かれた空気がうねるその流れを感じることはできるのだ。撃った後からでも回避できる。

 かわした後に、握り直したこの大剣で、四肢を切断してやる。

 その残虐な発想を当たり前のように考えながら身構えた御剣は、一瞬の間を置いて、ハッとした。


 何かがおかしい。女の向ける銃口。その射線が、こちらから少しだけずれている。否、少しどころではない。よく見てみれば、明らかに発射してもこちらに命中しない。これではかわすまでもない。棒立ちのままでも向こうから外れるだろう。

 やはり脳が潰されて、視界が歪んでいるのか? あるいは、腕を満足に動かすこともできないのか?

 ここまで来て、そんな楽観的な考えはできなかった。あの女が狙っているのは、こちらではない。もしかしたら、別のものを狙ってるのではないか。

 別のもの……


「……ッ!!」

 心臓が早鐘のごとく拍動した。世界が一瞬の内に炎に包まれ、業火がこの身を焼くほどの驚愕に包まれた。

「お前、やめろーー!!」

 御剣は足に渾身の力を込め大地を蹴り、女に突進した。

 だが、もう遅かった。先ほどまでガクガクと震えていた砲身がぴたりと静止する。次の瞬間、額から滴り落ちる血を唇の奥に流しこみながら、ニヤリと笑みを浮かべた。

 そうして、糸が切れたように再びうなだれ、動かなくなる。

「ふぬっ!!」

 御剣の突き立てた大剣が女の右肩を切断し、右腕を胴体から切り離したのは、その後だった。


「はぁ……はぁ……」

 全身から汗が吹き出し、肺から湿った空気がこみ上げ、喉から漏れだしてくる。

 女は、完全に死んだ。もうぴくりとも動くことはない。

 だが、御剣の気持ちが落ち着くことは、なかった。


 まずい。

 ……まずい。

 御剣は、人ひとりを殺したという事実を確かめる間もなく、全速力で来た道を引き返した。

 数秒と経たずに見えてきた、コンクリートの地面。茶色と灰色の境界。円形のマグマ溜まりの奥に見える人影。

 高熱が起こす水蒸気により揺らめく空気の奥へと眼を凝らす。


 前ヶ崎。

 眠るようにその場でうつむく彼女の胸に、巨大な風穴が空いていた。ちょうど心臓のある位置。人は脳が潰れれば死ぬ。


 そして、心臓が潰れても死ぬのだ。


「姉ちゃあーーーーん!!!」

 彼は絶叫した。



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