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Session.15 Tribute to the Past Part.8

 深夜の研究所は静まり返っている。内部に点在する研究室をつなぐ廊下の照明は消え、眼を凝らさなければ目の前を見ることさえできない。その暗がりを利用して、御剣と前ヶ崎は進んでいた。

 研究所からの脱走。その計画の実行を決意できれば、そこからの行動は早かった。方法自体はある程度考えてある。

 ひとまず今は、ある場所を目指して廊下を進むだけだ。こそこそしている必要もない。足音だけは極力鳴らさないように気をつけつつも、不安がることなく堂々と歩けばよかった。

 廊下の照明は消えているが、研究所内の全ての灯りが消えているというわけではない。日が変わってしばらくというこの時間帯でも、当たり前のように起きてデスクワークや議論に勤しんでいる白衣共はいるだろうし、一部の研究室は灯りも点いているだろう。

 もしかしたら、偶然誰かと接触するかもしれない。

 だが、その時はその時で、適当なことを言ってごまかしておけばいいし、最悪の場合は、こちらの思惑が知られないように脱走を諦め、後日また挑戦すればいい。

 というよりそもそも、誰かと遭遇しても問題がない方策というものがあった。


 ほとんど真っ暗と言っていい廊下を進む二人。だが、確かにそこにいるはずの彼らの姿は、どこにもなかった。しかし、確かにいる。


 そもそも人間が視覚できる物体の像というのは、“光”だ。物体はそれぞれ、可視光線の特定の波長を吸収する。そして、吸収されなかった光が反射される。その反射された光が網膜に投射されることで、像として見ることができる。

 物体の色というのは、反射される光の波長によって決まる。赤い光が反射されれば赤く、という具合にだ。全ての可視光の光が吸収されれば黒であり、全てが反射されれば白である。

 つまり、物体が見えるということは、その物体が光を反射しているということに他ならない。

 ならば、その光の反射が起こらなければ……


 これが、前ヶ崎の編み出した方策だった。彼女――御剣とは違う“因子”を得た《保有者》は、熱に電磁波、ニュートン力など、多種多様な物理的エネルギーを生み出すことができる。

 その応用だった。

 常に自分達に浴びせられる光という名の電磁波に干渉し、捻じ曲げる別の電磁場をバリアのように周囲に展開。それによって、可視光が彼女らの身体に反射することなく、電磁場の表面を滑るように逸れる。そのまま、また元の照射線上に戻り、実質彼女達を素通りすることになる。

 これにより、彼女達の姿は誰にも見ることができなくなる。バリアの周囲で電磁波が曲がっているため、その部分だけ光が歪曲していることにはなるが、最終的には元の一直線に通過する波に戻るため、バリアのすぐ近くにまで顔を寄せないかぎりは、その光の歪みを見ることはできない。遠目から見れば、誰もいないようにしか見えないことだろう。

 即席の光学迷彩の完成だ。

 前ヶ崎と御剣、両者の身体を包み込むように電磁場を展開すれば、二人共実質的な“透明”人間になることもできる。

 光とは違う種類の波動である音波をねじ曲げることはできないので、抜き足差し足する必要はあったが、光の反射そのものが起こらないので、《保有者》が相手でも見つかる心配はないはずだ。

 言うまでもなく、廊下の天井の隅に隠れるように設置されてある暗視カメラにも捉えられない。




 もっとも、こんなことをする必要もないのかもしれない。

 施設の消灯時間に合わせて前ヶ崎の個室に集まり、タイミングを図って行動を開始。それから足音にだけ細心の注意を払いながら進んで、一時間ほど。

 目的である、ある場所に到達した。その間、幸運というべきか、誰にも出くわすことはなかった。

 研究所内の大まかな見取り図は、毎日のように歩きまわっているから頭の中である程度出来上がっていたが、普段では通ることのない立入禁止区域に入ってからはしばらく迷うことになるだろうと思いきや、案外あっさり到達することができた。


 研究所の出入口だ。この、思い返してみれば不気味なことこの上ない白い壁に塗り固められた異質な館から抜け出し、外界へと繋がる門だ。

 軽トラックほどは通れそうな大きさ、どこかの海底にでも繋がっているのではないかという重厚さの耐圧扉だ。必要である時を除いて開閉されることがないように制御室からの遠隔操作され、それ以外の方法で開けられた時には、警報が鳴るという仕組みだ。勿論、扉が破壊された場合も同じである。

 そのような仕掛けがあることを前ヶ崎達が知っているわけはないが、間違いなくそうであろうと推測することはできる。

 扉を開けることは自体は簡単だ。前ヶ崎が超高温のレーザーで、自分達が通れるだけの穴を開けてしまえばいい。音も鳴らすことなく外にでることはできるだろう。しかしそれでは、警報が鳴ってしまう。今まで、誰にも見つからないように、隠密性を意識してここまできたのだ。見つかるどころか、研究所にいる者全員に脱走していることを知られるようなことになるのは面倒この上ない。

 が、これについても、対策はあった。


 警報を鳴らすにしても、そのための装置というものがある。そして、そういう類のものは例外なく、電気で動くものだ。《保有者》は、エネルギーを生み出すだけでなく奪うこともできる。電気とて

例外ではない。

「……傍から離れないでね」

 前ヶ崎は、傍らにいる御剣にそう囁くと、静かに耐圧扉の前にまで近寄った。御剣もその動きにぴたりとくっつく。

 次いで、両手を前に出し、手のひらを鋼鉄の扉へと触れさせる。夜半の暗さと比例するような冷たい感触が、神経を伝い大脳皮質で感じられた。

 それから、一瞬だった。

 扉の周囲20mほどの範囲の、電子の動きを完全に停止させる。電流とは電子の流れだ。電子を止めれば、機械はたちまち動かなくなる。これで、警報装置が動作することはない。どこかに信号を送り、別の場所から警報を発しようにも、その信号そのものが発せられることすらない。

 後は、扉の一部が線状に赤熱化し、前ヶ崎達が容易くくぐれるようなアーチを形取り、そのまま焼かれる直前のクッキーの生地を型でくり抜くように、溶断されるだけだった。くり抜かれた壁が倒れるようなこともない。サイコキネシスにより穴が開いた扉の向こう側に運ばれ、音も立てないようにゆっくりと地面に下ろされた。

 そのまま一歩踏み出し、赤と黄色が混ざったような色の、溶けた金属のアーチを潜れば……

「……」

 『よし』と声を出しそうになるのをこらえ、心のなかで歓喜しながら、前ヶ崎は前に出た。御剣もその後に続く。


 冷たい風が頬を叩く。それは、個室で空調を作動させた時に吹く弱々しい風ではなかった。かすかではあるが、はっきりと感じられる、存在感を持った“生きた風”。

 外の風だ。


 無事、彼女達は研究所から外に出ることができた。

 もっとも、そんな彼女達の目に見えたのは、自分達が抜け出してきた建物の周囲に広がる、整地された敷地である。

 コンクリートによって舗装され、眼をくばせてみれば、ヘリポートとかで見るような、着陸ランディング用のHのマーキングが見えた。

 研究所に定期的に物資が供給されていることは知っていたが、どうやらそれはヘリコプターにより運搬していたらしい。車が通れそうな道が森に続いているというわけではない。それでも、不正地走行可能な四輪駆動車とかでの物資輸送は可能かもしれないが。

 ふと上空を見上げてみると、本来夜空が見えるべき場所には、なぜだか鬱蒼と茂る葉の天井があった。少なくとも、御剣達が立っている付近には木など生えていない。だのに、頭上にだけ、まるで伐採したものをのりで貼り付けたかのように、短い枝と、そこに生える草が、研究所の上をまるごと覆うように広がっていた。

 おそらく、これはカムフラージュのためのものだ。眼を凝らしてみると、枝や葉が、格子状の巨大なドームのようなものの上に被さっているのが見える。衛星写真などから研究所を隠蔽するために、相当大掛かりな設備を用意したのだろう。まるでロボットアニメの秘密基地だ。


「……」

 しばらく前に進んでみる。コンクリートの地面が続くその先には、無数に群生する木々が、褐色と闇の漆黒が織りなす天然の縞模様を描いているのが見える。その上には、ハリボテみたいな人工物ではない、正真正銘の緑葉の天井がある。

 何の気なしに、今度は背後に振り返り、研究所の全容を眺めてみる。

 内部の壁と同じく真っ白に塗り固められた、まるで豆腐みたいな建物だった。都会の高層ビルさながら馬鹿みたいに階層を作っているわけでもなく、せいぜい二階か三階はありそうだと思える高さで、想像していたよりかはこぢんまりとした印象を受けた。しかし、横幅は相当に広く、見えないがおそらく奥行きも同じほどはあるのだろう。

 大きいのではなく、“広い”建物なのだということが実感できた。

 この中に、十人程度の《保有者》が実験するための設備と、有事の際に彼らを抹殺するための多数の兵器。そして彼らを飼いならしておくための箱庭と、あの植物みたいになった桜井 華織……その全てを収めるのに充分あまりある程の。


 とはいえ、今はもうその物々しい様相に感化されている場合ではないし、その必要もない。

 これからもう、この理由もなく息を呑むような威容も単なる記憶になり、いずれは忘れられることになるのだから。


 前ヶ崎が御剣に呼びかける。

 その声は、ここまで何もかもが予定通りに言っているという割には、浮かれているような雰囲気はなかった。当然だ、まだ脱走が成功したわけではない。焦燥こそあれ、まだ喜ぶようなタイミングではない。

「もう、足音鳴らしても大丈夫でしょう。御剣くん、行こう」

「ん」

 前に向かって走りだす。このまま前方に見える森の中へと入り、ひたすら真っ直ぐに進む。目指すのは、外――今まで、図書室の中の本か何かでしか見たことのない、外の世界だ。

 どうやら、この研究所はどこぞの樹海の中に建設されているらしい。もしかしたら、名も知れぬ山の奥深くかもしれない。どっちに向かえばどこに行きつかなどは分からなかった。こればかりは、事前の下調べや思案などではどうにもならない。

 が、この世の全てが森林で出来てはいないのだ。延々に直進すれば、いずれはどこかに突き当たる。普通の人間ならば、そんな場当たり的なことを考えて行動はしないが、御剣達は《保有者》なのだ。

 いざとなれば、前ヶ崎を抱えて彼が走れば、日本列島の端から端だろうと、疲労することなく踏破してみせよう。

 もっとも、今はその必要はない。しばらくは、前ヶ崎も自分の足で地面を踏みしめて進むつもりだ。折角、この得体のしれない研究所から抜け出すことができたのだ。大地を自分の足で踏みしめ、その実感を得たいのだ。


 予断は許さない。浮かれるような雰囲気ではない。というのは承知している。それでも、息を切らしながら語りだした彼女の言葉には、抑えきれない感情が漏れだしていた。

「他の人達も誘おうと思ったけど、事態が大きくなったらマズいと思うし、私達だけで逃げることにした……けど、私達っていう“前例”があれば、みんなこの研究所はおかしいって分かる! そうすれば、いずれは《保有者》の全員がここを脱走する。みんなが一斉に動けば、止められるものなんて何もない!」

 “因子”というのは素晴らしい存在だ。だが、ここにいる連中は、それを自分達のエゴをもって扱おうとしている。それは許されることではない。

 革命を起こすのはいつも、強い意思だ。力は、それを持つ者自らの意思に委ねればいい。

「脱走に成功したら、みんな思うように生きていけばいい。この力で世界を変えるのもいいし、何もかも忘れて今まで通りに生きていくことだって、悪くはない。私利私欲のために使ったって構わない、その時には、別の誰かがその人を裁く……でも、私は、きっと――きっと全ての《保有者》が、同じ目的の下に集まって、世界を導くって……今の“先”へと“導いて”くれるって、信じてる」

 くどいようだが、御剣は何故前ヶ崎が草薙の研究に参加したのかは知らない。そもそも彼がどうやって協力者を集めているのかも分からないのだ。

 前ヶ崎の両親は? 友人は? 元いた世界での、居場所は?

 何もかも知らない。

 それでも、今目の前にいる彼女は、御剣もよく知る前ヶ崎だ。彼女の声には、煌めくばかりの希望の念があった。紆余曲折あったが、今やっと、彼女の望みである革命の布石は打たれ、世界が律動しようとしていた。

 何故こんな大それたことを彼女が望むのか、それを知ることはもう望まない。ただ、御剣は、どうせ外の世界に出てもあてがないのだから、しばらくは彼女についていって、革命とやらの手伝いをしてみよう、と思った。そうしている内に、白衣の連中が言っていた、嘘かもしれない“友達”の姿――“因子”の姿も見えてくることだろう。

 “あの日”見えた、靄のようなシルエット。それを、今度はもっとはっきりとした形で見るのだ。


 ついに、コンクリートの地面を抜けて、森に入る。連々(つらづら)と続く木々のその一本を通りぬけ、柔らかい土の感触が足裏から伝わってくる。



    ※



 薄暗い部屋の中、革製の椅子に深く腰を降ろしながら、その男――草薙 魁は嘯いた。

「折角、計画の第一段階は達成されたんだ。ちょいと、試してみたいじゃないか」

 眼前にある無数のモニター。そこは研究所の内部、至るところに設置された監視カメラからの映像が映されている。それだけではない。研究所の外、その周囲に生い茂る森林地帯も、東西南北ほぼ全方位余すことなく映されていた。

 一人ではその全てを網羅することができないほどの数の映像。そのひとつには、コンクリートの地面と境界線を挟み別世界になったような、有機物の積もり積もった天然の土に刻まれる、小さな足跡が映っていた。


「君が生み出し、そしてこれからも生み出していく“因子”の子供達……それが蟲毒のごとく共食いしていく様。直接見れないのは残念だがね、桜井君……それでも、貴重なテストになるのは違いないんだ。まぁ、よろしく頼んだよ、“born.21”……甲斐 雛世と呼んだ方がいいかね?」



    ※



 自分より少し前を走る前ヶ崎。その足元で、突然地面が盛り上がった。餅を焼いたようにぷっくりと膨れ上がった、苔の混じった茶色と緑のマーブル模様。10cmかそこらの高さになったところで、そこに亀裂が入った。その亀裂からは、何か――何かがにじみ出ていた。目に見えるものではない。精神に作用してくる不可視のもの。雰囲気や、予感とも呼べるものだ。

 己に触れるものを傷つけ、破壊し、滅ぼさんとするどす黒い奔流。

 暴力のオーラだ。


 亀裂の中から弾けた炸薬。それが、前ヶ崎の右足を引き裂く。


 一瞬の思考、そして反射が混ざり合う。

――地雷!?――

 そう判断したその瞬間には、御剣の身体は疾風のごとく動き、前ヶ崎の身体を、炸薬と土塊の榴散弾に呑み込まれる前に抱きかかえ、その場から離れ、コンクリートへと後戻りした。

 一瞬。まさしく一瞬の動きだった。爆発による衝撃波よりも速く動いた。


 だが、そこまでやっても、完全には間に合わなかった。

 どうやらあの地雷は、爆発の範囲も音も極力抑え、人ひとりを確実に殺せるように調節された代物であるようだ。それが逆に助かった……とも言える。

 十歳足らずの御剣の腕に抱きかかえられる、一回り大きな身体の前ヶ崎。その右足首から先が、ボロボロに引き裂かれ、血まみれになっていた。履いていた靴もソックスも、跡形もなく消し飛んでいる。これぐらいで済んだのは奇跡だ。御剣の行動が遅れれば、右足どころか、右半身が元々あったことも判断できないような有り様になっていただろう。

「……っ!」

 御剣は眼を見開き、息を呑んだ。

「ふぅー……ふぅー……!」

 歯を食いしばり、ボロ雑巾のようになった自分の足を眺め、肩を上下させながら粗い息を吐き捨てる前ヶ崎。

 だがその荒い息も、徐々に治まってきた。神経から脳に伝わる感覚の源というものも、電気による信号に過ぎない。となれば、足に繋がる神経の電子の動きを止めれば、痛みという感覚は脳に伝わらなくなる。副作用なしの麻酔だ。これで、激痛に泣き叫ぶこともない。

 咄嗟にこのような応急処置――処置ですらないが――をできる辺り、前ヶ崎も度胸はあった。

 だが、混乱を抑えることは、神経を不活性化させるだけでは無理だった。

「あ、歩けなくなっちゃった……御剣くん、どうしよう……」

「どうって……こ、この先、地雷原になってるんだ」


 嘘だと思いたかった。だが、実際そうなのだから、受け入れるより他にない。

 この森には、無数の地雷が埋め込まれている。自分達のような脱走者を黙らせるためか、あるいは逆に侵入者を始末するためか。

 これではまるで戦場だ。一体どれだけ大掛かりなことをすればいいのだ。この研究所の連中は。

 確かに、これだけのことをする必要がある研究をしているのかもしれないとは、自らに宿った“因子”のことを鑑みれば、分からなくもない話ではあるが……


 またしても、突然のことだった――いや、威力は抑えられているとはいっても、地雷が爆発し、轟音が鳴ったのだ。誰も気づかないわけがない。

 研究所の方から、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。気づかれたのだ。

「うっ!」

 反射的に白亜の建物の方へと振り返る、そうして眼を凝らしてから数秒する内に、十人二十人では足らない人の群れが、そのシルエットを、こちらに向けられるサーチライトの光を背中に浴びながら、近づいてきた。その足取りの素早さは、並の人間のそれではない。

 《保有者》だ。

「……!」

「……はぁっ……!」

 御剣は息をすることも忘れ、前ヶ崎は逆に、胸の中の澱を吐き捨てるように小さな息を吐いた。

 《保有者》。だが、“あの日”の実験を生き残り《保有者》となった者は、確か十人いるかいないかだったはずだ。

 では、あの数はなんだ。

 ……まさか、まだ一年も経っていないというのに、新しい《保有者》が生まれたとでも言うのか?


 なんであれ、このままではマズい。なんとかしてこの場を離れ、逃げなければ。

「御剣くん……」

 不安そうに呼びかける前ヶ崎の声に、彼は力強く応えた。

「大丈夫!」

 自分は爆発の衝撃波よりも速く動けるのだ。例えこの先が地雷原になっていて、一億の地雷が飽和状態で充満していようと、踏んで信管が作動するその前に前に進めば問題ない。傷ついた前ヶ崎の身体を抱えながらであろうと。

 大丈夫だ。今から逃げればあの多勢の追手も振りきれる。外の世界に辿り着き、人目のつくところまで来れば、連中とて大きな騒ぎになるのを避けて、どこかへと逃げていくだろう。この研究所を大仰な仕掛けを作ってまで隠蔽するほどなのだから。


「よぉし、行こう!」

 意気込み、森の先へと眼を向け直す御剣。

 だが、その瞬間、彼は呼吸どころか、心臓を鼓動させることさえ忘れそうになるほどの、絶大な衝撃と戦慄に包まれた。

「……だ……駄目だ」


 どこまで続いているのかも分からない。木々で出来た天然の迷宮のその向こうから、ゆっくりと近づいてくるひとつの影があった。

 それは、地雷で埋め尽くされているはずの地面をこちらに向かって進んでいる。だというのに、一度も爆発が起こることはない。

 それは、ある意味では当然のことだった。どうやらここの地雷は、踏んで圧力がかかるなどして作動するタイプのようだ。つまり、触れさえしなければ爆発することはない。

 その人影は、地面を進んでいるはずなのに、足がまったく動いていなかった。滑るように――幽霊か何かが迫るように、ただその姿だけを徐々に拡大させている。

 浮いていた。その人影の足は、人間のそれにしてはあまりにも無骨なシルエットだった。機械のようなものが、膝から下、全体にかけてを覆っていた。まるで、モビルスーツか何かみたいだ。


 異常なのはそこだけではなかった。

 暗がりの中、眼を凝らさなければ見えないほどに曖昧なその影。少なくとも人の形をしているようにみえる影から、何かが伸びていた。その影の腕にあたる部分よりも二倍ほど長く、そして二倍近い太さの角ばった物体。その全容は判然とせず、分厚い灰色の画用紙にかろうじて映った影絵のようにしか見えなかったが、それでも、御剣はそこから何かを思い出すことができた。

 あの影は何かに似ている。

 そうだ……研究所の図書室にあった、ミリタリー的な分野の雑誌に乗っていた、ショットガンとかアサルトライフルのような、やや長身の銃火器。


 では、もうひとつ。あの、引き伸ばされた円形から無数のギザギザ模様が生えたようなシルエットは

……チェーンソーか何かか?

 そうだ、間違いない。その影がこちらに近づいてくるにつれ、その女性だと思われる影――しかも、前ヶ崎とさして変わりもないように見える歳の少女だと判別できる――の手に持たれている、あるいは一体化しているその二つの巨大な物体の正体が、こちらが想像したものとおそらく同一であるということも分かってきた。

 武器だ。人が人を殺すための。いや、チェーンソーは武器ではないが、何にせよ、人を殺すことができる道具だ。


 その少女は、ひと目見て異常だと分かった。

 そもそも宙に浮いているのだ。鳥のように羽ばたくのではなく、じっと佇立した姿勢のまま。そして、その腕の武器。そのサイズもまた、ありえないほどに巨大だった。

 銃らしきものは、対戦車ミサイルのジャベリンよりも大きい。チェーンソーに至っては、一体何を斬るつもりなのか分からない。あの女が、成人男性とかと比べてやや小柄ということを差し引いても、地面からやや浮いている状態で腕を降ろすと刃が地面に喰いこみそうなのだ。あんなサイズのチェーンソーが、どこに売っているというのか。

 多分、一から作ったのだ。彼女が使うためだけに――彼女がその標的を抹殺するための武器として。


「《保有者》……《保有者》が来た……僕達と同じ、“因子”を手に入れた人間」


 いつからあそこにいた?

 まさか、こちらの脱走計画は、初めから知られていたのか。では、どうするつもりなのだ?

 一緒に逃げようと、仲間にでもなってくれるのか?


 とてもそうは思えなかった。実際、そうではなかった。

 暗闇の中からこちらを見据えてくるその眼。小さく動いたその唇が語る言葉。あまりに静かで、聞こえるわけがないはずのその言葉を、御剣はなんとなく、聞き取ることができたような気がした。


「……目標を確認した。抹殺エリミネート。よいテスト結果をお見せいたしまショウ、教授」



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