Session.15 Tribute to the Past Part.7
“あの日”から、どれだけの月日が経ったのかは分からない。移り変わっていく日付を数える気もなかったし、そうすると、いつ日が没し、次にいつ昇ってきたのかも分からなくなる。そんな日々が続いていた。
御剣の生活は変わった。その生活の場が研究所の中である以外には、これまでとはまったくの別物になっていた。これまでは、最低限の教育や、“因子”についての話を聞いたり、ということ以外はそれなりに自由に過ごすことができたのだが、今は違う。
毎日必ず、ある“日課”を行わなければならなくなった。
“あの日”に皆殺しにされたらしい白衣の連中に取って代わるように研究所にやってきた、別の白衣達は、それを『訓練』と行っていた。
“あの日”。桜井 華織という女性が植物のような何かに変わってしまった時にいた実験室。それが半分ぐらいに縮小されたような部屋の中に御剣はいた。規模こそ小さくなっているが、内部の様相と設備は大体同じだ。
部屋の一角の壁が、大の大人の胸元から額までの高さで横長にくり抜かれて、強化ガラス張りなっている。ダンプカーで突っ込んでも、対物ライフルを撃ちこんでもビクともしないであろうガラスの向こうには、以前と何が違うのかも分からないほどに代わり映えしない――“あの日”に殺された連中が蘇ったと思うような姿の白衣が並んでいた。そこに混じって、あの草薙 魁の姿もあった。
本来ならば、実験室のカメラから撮影された映像を見ることで内部の様子を把握することはできるのだが、あえて自分の眼で何が起こっているのか見ようという、物好きな者が多いのだろう。撮影された映像は後でいくらでも、なんならスロー再生して見ることもできる。だからこそ、あえて肉眼でも見ることで、何か気づくことがあるかもしれない、ということでもあるのだろう。
天井にはめ込まれているスピーカーから聞こえてきた声は、草薙のものだった。彼がこちらの“訓練”を見に来たのは初めてのことだった。
おそらく、御剣以外に“因子”をその身に宿した者――別の《保有者》の訓練を順々に視察していた。今回御剣の番が回ってきたのだろう。
(訓練を開始する。これまで同様に、実験室内の機銃から発射される弾丸を君なりに回避しろ。今回は機銃の数を増やす)
御剣ぐらいの年齢の者であっても、その声が何を言っているのかは理解できるだろう。並の人間なら戦慄する内容だ。だが、彼は気だるそうな表情を微塵も変えることなく、ぼんやりと前を見ているだけだった。
が、しばらくして思い出したように、チラリと目線を左に向けた。その瞳に映るのは、壁からせり出すように出現した、機関砲の砲身だった。25mm口径。生身の人間に撃てば手足が吹き飛ぶような代物である。その長大な砲身の三分の二近くは、壁の向こうに埋まっていた。
元々鋼鉄板の奥に格納されているものが、発射態勢に移行しすると、数十cmの厚さの鋼鉄板がスライドして空間を作り、そこに押し出されることで実験室内に“先っぽ”を覗かせる。とんでもなく複雑なことが、見えないところで起こっていた。
その銃口がこちらに向いていても、それどころか、間髪入れずに徹甲弾が重苦しい音と共に発射されてもなお、御剣の眼の色は変わらなかった。初速1,000m/s以上、見てからではまずかわせるわけがない砲弾が秒間三発発射される。
飛沫のような徹甲弾の群れが迫り、その内の一発が御剣のこめかみに触れようとした。
そして、頭蓋骨にめり込み、脳漿と共に爆裂させんとしたその瞬間、彼の身体は機関砲の射線から忽然と消え去った。彼が元いた場所を通過した弾丸がその先にある壁や強化ガラスに激突し、耳障りな金属音を響かせる。しかし、鋼鉄板の壁もガラスも、そして、両者の強度に絶対の自身を持つ白衣の連中も微動だにしなかった。
もっとも、ガラスを叩く徹甲弾の雨とは、別の事態に驚愕していたが。
一部始終を見ていた、実験室外、モニタリングルームにいた白衣達から言い様のない、頷くような、ため息を吐くようなどよめきが上がった。こちらからは実験室全体が端から端まで見渡せるため、内部で何が起こっているのか見落とすことがない。
御剣が、一瞬にして実験室の端、こちらから見て右側、御剣から見えれば前方の壁際にまで移動していた。
180°振り返り、機関砲の掃射を受けてもビクともしない鋼鉄の壁に背中をつけ、今しがた自分を狙い撃ちにした砲身を睨みつけている。その脇には、展開が終了した別の機関砲が、腕と腹の間に挟み込まれるような形で、その砲身をにゅっと伸ばしていた。
それをチラリと一瞥した次の瞬間には、御剣は細長い砲身を右手でひっつかみ、圧し折っていた。
金属が折れる音というのは、木やら人の骨やらが折れるのとはわけが違う。強化ガラスを突き破って響く轟音が、白衣達の耳朶を打った。
「あっ!?」
誰かが大声を上げる。一門数千万円の機関砲が、一瞬にしてお陀仏になってしまったのだ。多少金の有り難みというものが分かっている者ならば、悲鳴を上げるのも当然のことだろう。
一同が堅苦しい顔で事態を見守る中で、草薙だけが薄ら笑いを浮かべて、平然としている御剣の横顔を見つめていた。
機関砲は、まだこれだけではない。一門がへし折られて使用不能になっても、まだその八倍の数が実験室内に存在していた。ガラス張りの反対側の壁に三門、今御剣が背をつけている壁に、今しがた潰した以外に二門、そして天井に三門。実験室全てを狙えるように配置されており、全基がすでに展開されていた。
背中側の壁を除いた六つの砲門が、残さず御剣の方を向いていた。並の人間ならば、今すぐこの場で這いつくばって頭を床に擦り付け、命乞いをするべき状況だ。
だが、御剣はそうしなかった。そうする必要などまったくなかったのだ。
彼の姿が、再びその場から消え去った。今度は、強化ガラスの向こうで実験室全体を見渡していた白衣達にも、何が起こったのか分からなかった。
先ほど御剣が機銃の射線から逃れた、と分かったのは、動きを止めた彼の姿を見て、その行動の結果が判明したからだ。しかし今度は、ある一連の動きが、動きを止めることなく続けざまに行われた。
《保有者》。草薙によってそう名付けられた者の動きは音速を超える。
この瞬間、御剣の動きを把握することができ、彼が何をしたのか分かる者は、他ならぬ彼自身以外にはいなかった。
彼は、各機銃から発射された弾丸が、2cmも進まない内に向かい側の壁へと向かってかけ出した。機銃同士が射ち合ってお互いにつぶし合わないように、反対側の壁には取り付けられてはいなかった。だからこそ彼は、何の妨害も受けずに、まっすぐ壁際にまで突き進むことができた。
鋼鉄板に正面衝突するのではないかという勢いを維持したまま地面を強く蹴りジャンプする。10mほど斜めに跳び上がった彼は、そのまま足を前に付き出し、床と直角にせり立っている壁に“着地”した。
落下とは、時間がなければ起こらない。どれほど重い物質にどれだけの重力がかかろうと、時間の経過と共に重力により加速度が上乗せされて初めて、物体は自由落下をするのだ。
つまり、時間を置き去りにし、空中で上昇できるだけの推力さえ確保できれば、人だって空を飛べる。
御剣には――《保有者》にはそれができた。
重力による加速が身体に作用する前に、彼は壁に立ったまま、首をもたげて上を――否、横を?――見上げた。その眼に見えるのは、天井から伸びる三つの砲身。
もたげた首を下げて、今度は右の手元を見下ろす。ゆるく広げた手のひらから淡い光が、皮膚の奥からにじみ出るように発せられていた。
これだ。
異様な身体能力と、“これ”。彼が“あの日”、“因子”と出会ってから手に入れたもの。
友達であるはずの彼らの姿はまだ見ることすらできていないが、彼らはこんな贈り物を御剣の身体の中へと残していった。
0.000001秒の物思いも早々に、彼は再び足を踏ん張り、壁面を蹴った。さらに数m上昇し、天井に触れられるという位置にまで来た。視界には、一直線に配置されている機関砲の砲身が見える。そこからは、指ぐらいの太さの徹甲弾が、ベルトコンベアを流れてくる大量生産品か何かのように、鈍く低い音と共に、ゆっくりと吐き出されていた。飛んで行く先は、まったく見当違いの方向だ。そこにはすでに御剣はいない。
遅い、などというものですらない。最早止まっているようなものだ。
止まっているのは徹甲弾だけではない。時間すらも、彼の周りで止まっているようだった。重力すら置き去りにするほどのスピードに、彼だけが追いつくことができる。神経が昂ぶり、動体視力と判断力が常人の数十、数百倍にまで高まった今、彼の周りで世界の全ては静止していた。自分の身体が、いつまでも宙に浮いたまま動かないように感じられた。
右手から漏れだしていた淡い光がその激しさを増し、ついには手のひらを突き破らんばかりの長い一本の光の筋となって伸びた。
その光がすぐに消え去る代わりに、光の粒子が別の何かに変わったかのように、握りしめられた手はあるものを掴んでいた。
身の丈を超える長さの、大剣だ。十歳に満たない御剣の身長と同じ長さとはいえど、大の大人でも振るのに苦労しそうな代物だ。
だか、それを御剣は片手で悠々と扱い、それだけでも自分の腕ほどの長さがある柄を肩に担いだ。
そして。
「ふぬ!」
御剣の右足が、何もない宙空に向かって伸びた。だが、そこには、確かに“それ”があった。眼には見えない。空気を固めてできたような“足場”が。
それを蹴った御剣は、天井に沿うように真横へと飛んだ。同時に、肩に担いでいた大剣を、鋼鉄の天蓋へと振りぬく。バターにでも刺したかのように刃はたやすく食い込み、そのまま御剣の身体と共に、滑るように進む。
ゆっくりと吐き出される徹甲弾を身体で押しのける。弾丸とて、その威力の全ては“速度”にある。自身をたやすく上回る速度で迫り、数十cmの鋼鉄板よりもはるかに強固な肉体を持ったものには、何一つ通用しない。魚雷に挑むイワシのようなものだ。
止まることなく進む刃が、機銃を真っ二つに切断する。一気に実験室の向こう側まで進む。残る二問の機関砲も、手応えすらなく切断できた。
向かい側の壁面にまで到達すると同時に、空中で身体の向きを変えつつ、天井を蹴って下方へと降りる。
床面に足が付くなり、先ほどまで自分が背を付けていた壁の機銃をまとめて無力化し、そのまま壁際に沿って最後に残った三門も切り裂いた。
実験室内にある全ての機銃を破壊した所で、ようやく彼はその動きを止めた。
最初に走り出してから、一秒立つかどうかという出来事だった。
金属が引き裂かれる文字通りの金切り音と共に、機銃が全て無力化されたと白衣達が気づくことができたのは、それから数秒の間を置いてのことだ。
モニタールームの中のざわめきが、一層大きくなっていた。
「な、何が起こったっ?」
「九つの機関砲が、あっという間に潰されたぞ。一体何をしたんだ……」
「あの剣で、全て切断したというのか」
「だとしたら、前回の訓練からさらに動きが早くなっているぞ」
「そもそもあの剣はなんなんだ。どこから出現した? あの壁面の切り口、薄い膜でも斬ったように滑らかだ。刃が一切負けていない。タングステン製の壁なんだぞっ?」
今自分達の目の前にいる存在の異様さに、舌を巻いているのだろう。
具体的に何をやったのかはまったく見当もつかないが、とてつもない速度で動いて、どこからともなく取り出した大剣で機銃を全て斬った。ということだけは判断できる。
それを為したのは“因子”の力に他ならない。あれが、《保有者》の能力なのだ。
この研究所に来る以前の白衣達は、元々草薙の研究に参加していた者達ではない。その研究の成果をプレゼンテーションされるために集められた。
正直なことを言うと、草薙 魁の提唱する“因子”の存在と、それの具象化という研究を、単なる眉唾もの。仮にそれを人間の肉体に宿すことができたとしても、“個体差”で片付けられるような、些細な変化しかもたらさないだろうと考えていた。
だが、これは明らかにその前提を大きく覆す現実だった。
これでは最早、人間ではない。マッハ3の弾丸を物ともしない速度。これだけでも異常だ。
仮に、あの少年がどこぞの戦場に戦力として投入されればどうなる。
世界に革命が起こる。草薙は、それほどのものをこの世に呼び寄せてしまっていたのだ。
森に突風が吹いたようなざわめきはやがて収まり、ただただ白衣達は息を呑んで、草薙がたどり着いた研究の成果、その体現者の姿を、眺めていることしかできなかった。
そんな白衣達の間抜けな面を見返し、その中で唯一笑みを浮かべている草薙の顔を見返し、御剣は小さく鼻を鳴らした。
つまらなかった。
“因子”と出会ったその日から、自分の身体の中に見えない何かが住み着いて、そいつがこの強大な力を与えていると感じられるようになった。
以前の自分を思い出すことができないほどに、身体が軽い。なんでもできるような力の迸りを感じる。
だがそれだけだった。前ヶ崎がいつか語ったような“革命”の感触もなければ、会えるのを楽しみにしていた友達の姿も見えない。こんなわけのわからない力だけを置いて、“彼ら”はその顔すらも見せてくれなかった。
これが、“因子”というものなのか?
この先、自分が何をして、世の中がどうなっていくのか、それがまったく想像できない。ただ、訓練とかいう、何かよく分からないことをさせられる毎日が続くだけだ。
あまりに退屈だから、もう面倒になってきた。だから、いっそこんなことをしなくて済むように、実験室の中にある物騒な代物を全て破壊してやった。これで、止まっているも同然の弾を、避ける、とすら言えないような、身体を少し逸らせるような動きをして、そのまま眼前を通過していくのを待つような無意味な時間を過ごす必要もなくなる。
(うむ、それでいい。今日の訓練はこれで終わりだ)
スピーカーから草薙の声が響く。
実際、全ての機銃が破壊されてしまえば、《保有者》の反応速度を俊敏性を測る試験、及び“因子”の慣らしを兼ねた訓練は続行不可能になる。
御剣の思惑通り、今日の訓練は早々に終了となった。
だが、口元にマイクを近づけたまま、じっとこちらを見据える草薙のその眼は、まだ、何もかも終わってはいないと、無言の内に語っているように見えて仕方がなかった。
※
訓練が早めに終わって暇な時間ができたといっても、今の御剣にやるべきことなどなく、やろうと思うこともない。ただ、図書室の椅子に腰掛けて、何も考えずにだらけているだけだった。
視界を通り過ぎて行く者達――堅苦しい白衣の連中とは違う、各々私服に身を包んだ、草薙の賛同者達。今ここにいるのは、“あの日”、“因子”を身に宿した人々が巻き起こした殺戮の宴を、生きて終えることができた者達だ。つまるところ、その“当事者”。
彼らの顔つきも、以前とは明らかに違っていた。表面上は何も考えず穏やかそうにしているが、その実、腹の底で得体の知れない何かが蠢いていて、それを発散する機会を求めている。フラステレーションがじわじわと圧縮され、膨張する時を待っている。
それがよく分かる。御剣自身、彼らと同じだからだ。
ただ一つ違うのは、確かに自分の中に、自分ではない何かの存在を感じても、それをこの世に解き放つつもりはない、という点である。
起きているのかも寝ているのかもはっきりとしない気分で、椅子に背中を預けしばらく黙りこんでいた御剣。唐突に自分を呼んだその声も、危うく聞き逃してしまうところだった。
「御剣くん」
前ヶ崎だ。咄嗟に御剣が後ろに振り返る。その眼に映る彼女の姿もまた、以前のような朗らかさをわずかに失ってしまったように感じられた。無表情なその顔に埋まっている二つの眼。そこだけに、ただならぬ感情を湛えた鈍い光を揺らめかせている。
「大事な話があるの」
その言葉を前置きに、御剣は彼女の個室へと連れられた。
※
年頃の少女の部屋と言っても、元々の内装が味気ないものであるのだから、華やかさはあまり感じられないのが前ヶ崎の部屋だった。ほとんど御剣のそれと変わりない中で、灰色の机の上に飾られてある、どこかの風景を写したらしい写真だけが、唯一と言っていいアクセントだった。
何故彼女は自分をこんな場所に呼んだのか。それは、すぐに御剣自身察することができた。
これからする話を、誰にも盗み聞きされないためだ。
“因子”を宿した人間は、いくつかの例外はあるが、その身体能力が異様に強化される。視覚や聴覚についても例外ではない。どれだけ他人が声をひそめて話をしていても、少し意識を向けさえすれば、はっきりと聞きとれる。だからこそ、“あの日”以来、くだらない世間話――研究所内という狭い世間だが――をするような者はいても、ひそひそと内緒話をするような者はほとんどいなくなっていた。そんなことをしても、内緒にも何もできないからだ。もっとも、《保有者》同士で話をするのなら、同じ《保有者》でも遠くからでは聞こえないような、それこそ虫の息のような声で話をすればいいことだったのだが。
だが、前ヶ崎はそのような類の《保有者》ではないから、そんな器用なことはできない。だからこそ、誰かに聞かれる心配がないようなところへ移動する必要があった。
例の実験の被験者にそれぞれ割り当てられた個室は防音機能も備えており、例え《保有者》であっても、極力小さな声で話をすれば、中の会話を聞き取られる心配はなかった。
ここでなら、安心して話ができる。
自分に続いて御剣が中に入り、自動ドアが閉まりオートロックが作動したことを確認し、彼女は唇を動かし、静かに語り始めた。
「まず、何から話すかな……そう、私の。最初に、私の気持ちを、話しておきたい、と思う」
「……」
御剣はただ黙って、それを聞いた。
俯き気味に語りだした前ヶ崎のその顔からは、強い怯懦と怖気を感じられた。そして今、それを何とかしようとして、こちらに話をしている。
「御剣くんも私も、“因子”を手に入れて、変わったね。世界にもう一度新しく革命を起こせるような存在に……でも、これは、私が考えていたものと、違う」
そう語る彼女の指先は、かすかに震えていた。
「違うっていうのは、“因子”そのものじゃない。それを手に入れた私達……いえ、この研究所の学者さん達よ……私ね、このところ、実験室で訓練っていう名目で、鋼鉄でできた的に向かって、射的ゲームをやらされてるの。私、何もないところから熱を生み出して、それをビームみたいに撃ち出せるようになったの。なんだって溶かして蒸発させるビームよ。私の胸よりも厚いような鉄板だって、真っ二つにできる。真っ二つなんてもんじゃない、跡形もなく、煙にして消しちゃうことだってできる……鉄が蒸発するのよ。100℃や200℃なんてものじゃないわ……私は、そういうことができちゃう力を手に入れたの」
「……」
御剣は、『自分とは違うな』、と心の中で呟いたが、それを口には出さなかった。
前ヶ崎が続ける。
「でも、それはあくまでも、私の中にある力の、ちょっとした応用例のひとつだよ。本当は、もっといろんなことができる。私が生み出せるのは、エネルギーなの。熱だけじゃなくて、電気も、光も、サイコキネシスみたいに、物を動かすこともできる。この力自体はね、本当に素晴らしいものよ。できることだってたくさんあるはずだし、救える人だってたくさんいる。世界の流れを変えることだって、できる」
「……」
彼女が次に言いたいことが、分かった。御剣もまた、薄暗い実験室で無数の機銃に狙われた時、同じことを考えた。
どうやら白衣達は、自分のような《保有者》の身体能力を検査しているようだが、だったら何故重火器なんぞを持ち出す。レーザーポインタだかを照射して、それをかわせ、とかいうやり方でもいいではないか。だというのに何故、人を殺めるための道具を使って訓練する。
――実際に、それで撃たれる時のために、経験をさせようというのか?
「でもこの研究所の人達は、私達に戦うための……人を殺すための練習をさせているんだわ! 折角手に入れた“因子”の力を、そんなことのために使わせようとしている。そりゃあさ、私も前に、戦争だって世界を豊かにするために、必要なことだったとは言ったよ。でも人間はそうしなくてもいいと思えるほどに進歩して、豊かになったの。だからこそ、新しい一歩を踏み出すこともできず、停滞することになった、って。それを打ち破って、また新しい一歩を人類が踏み出すために、これまでの常識を覆すような革命を産み出さなくちゃいけない。でもそれは、戦争なんていう、前時代的なやり方じゃない。人を殺して自分達を幸福にするような方法に戻るのは、進化じゃなくて退化よ。ここの人達は間違っている……」
指先の震えが、少し強くなってきた。
「今は何も言わない鉄の塊を相手にしてるだけだけど、いつか私が生み出す“因子”の光が、人を焼き殺すことになると思うと、嫌で嫌でたまらなくなる……昔、戦争をしていた人達を尊敬するわ、よくこんなことができたって……私は、人殺しなんてしたくない!」
「……」
そうだ。
御剣も、薄々感じていることだった。ただ、それを頭の中で反芻する気になれなかっただけだ。
自分達は今、殺人の訓練をさせられている。この研究所の連中は、こちらを兵士か何かとして、どこぞの紛争地帯にでも放り込むつもりなのか。
そのことを、大いにある得る可能性として実感することで、初めて自分のおかれている立場が、徐々におかしくなっていることに気づいた。
少しずつ、退いていると思っていた潮が満ちてきて、自分の身体を胸まで濡らし始めたように、不安が胸中からわき起こってきた。
自分には、“因子”と友達になる定めがある。それを信じてみた結果は、ただ弾丸が止まって見えるほどに素早く動けるようになっただけだった。友達となった“因子”は姿も見えず、そもそも、白衣共や大国が語っていた“因子”というものが、真実なのかどうかさえ分からない。
自分はただ、騙されていただけだったのではないか。
それも、薄々は分かっていることだった。だが、“因子”というものを手に入れた代償として、人殺しをさせられる。そんな現実が見えてきて初めて、その恐ろしさというものを感じられるようになってきた。
「……」
無表情で前ヶ崎の言葉を聞いているだけだった御剣の眼が、徐々に見開かれた。それと呼応するように顔が俯き、手足の先から心臓にまで染みこむように悪寒が巡った。
そんな御剣の肩に手を置き、はっと顔を上げた彼の瞳を逸らすことなく見つめながら、前ヶ崎は囁くように言った。
「私、この研究所から逃げようと思ってるの……御剣くん。一緒にいこう」




