表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/78

Session.15 Tribute to the Past Part.5


 事切れた須藤の姿を見下ろすのも早々に、何も考えていないような腑抜けた顔を上げた栗頭の男。彼は突然、右掌手のひらを上に向けて腹と胸の間くらいの高さに掲げ、クイッとスナップを利かせた。

 それに呼応するように、彼の眼前から頭上へと、何かが回転しながら舞い上がっていった。皮のベルトでも巻いたような不格好な持ち手から伸びる、楕円形を十字に切り分けたその一片といった形状の銀色に輝く刃。

 ナイフだ。手首から指先程度の長さの刃を持つナイフが、細長い弧を描きながら宙を舞い、左手に吸い込まれた。先ほどまで彼の手には、ナイフどころか、何も持たれてはいなかったはずだが...


 もう一度右手をクイッと振る。もう一本、新しいナイフが宙をへと昇った。勿論、何も持たれていないはずだった。二本目のナイフが放物線の頂点に達する前に、今度は左手が振られ、先ほど手にとったナイフが頭上へと投げられた。それから続けざまに、また右手が揺れる。

 三本目だ。また新たなナイフが狂った羅針盤みたいにクルクル回りながら、先の二本の後を追って上昇した。さらに左手がナイフを投げる、右手から新たにもう一本。

 次々と新しいナイフが投げられては、男の頭上でアーチを描き、入れ違いに舞う仲間とすれ違いながら、投げられた方とは逆の手に誘われていった。

 両手のスナップはどんどん早くなっていた。ナイフを投げ、別のナイフが手元に戻ってくる前にさらに別のナイフを投げる。当然、どこかから取り出す暇などあるはずがない。手首の動作と同時に、何も無いところから、空間をナイロン袋のように破って、安っぽいナイフが現れていた。

 手首の動きはさらに速くなり、それだけナイフの数も多くなる。最早頭上で交錯する刃の数は、数えることもできないほどだ。手首のスナップは、音を超える振動数で震え、軌跡も見えないような極短周期の振動と化していた。


 いつ終わるのか、どれだけナイフは増えるのか。突然のこの曲芸じみた光景を眺めていたハンマーの少女がいい加減飽きてきた頃に、男の手首は動きを止め、両手のひらは上を向き、五指が真っ直ぐに伸ばされた。そこめがけて投げられたナイフの群れが、軍隊の行進よりも規律正しく一定の回転で一定の軌跡を描きながら落下してくる。怪しく輝く銀の刃が、無防備な皮膚に突き刺さる――ことはなかった。

 手のひらに接触する前に、見えない何かへと吸い込まれていき、次々とナイフは消滅していった。数秒も待てば、百を超える本数のナイフは、影も形も見えなくなった。


「おーっ」

 ハンマー女が、感心したように拍手をした。なるほど、あのナイフは、自分が今担いでいるこの『ブーストハンマー』と同じ、《因子》の力が生み出した武器だ。

 マジックを終えた男が、ピンと広げた両手をズボンのポケットに突っ込む。そうして、両肩をまるで別の生き物のように揺らしながら、薄気味悪い笑みと共に呟いた。

「ケッ、ヒヒヒヒヒ……おもしれ、次々ナイフが出てくる。百本どころじゃねぇ、千本でもいけそうだァ……こんな数でいっぺんに切りつけられたら、顔面なんて削れてなくなっちまうだろうなぁ~……あは、んははははは」


 ねっとりとした狂気が、この空間にじわじわと広がりはじめていた。この栗頭とハンマー女だけではない。

 人間達の前に現れた超常的な存在。それは、次々とその恩恵――神の御業の如き現象を発生させていた。




 実験室内にいる者の内半分程度は、自分達の周りで何が起こっているのか把握できていなかった。被験者である桜井 華織が突如得体のしれない物体に変質したと思えば、取り乱した男を異様な武器で叩きのめす少女。夢を見ているようだった。

 だが今この瞬間、この光景を夢と感じている。それが意味することは……


 呆然とした表情で立ち尽くしていた白衣の研究員の一人に、ある男が話しかけた。ボタンを上二つほど開けたワイシャツに、癖のある髪の毛を無理よりまとめたせいで不格好に波打つオールバックの頭。若いようで老けているようにも見える男だ。

「どうしたよ、先生、あんたら俺らより頭いいはずなんだから、今何が起こってるのか分かるんじゃないのか?」

 その声にはっとして、ぎこちなく振り向いてくる研究員。しばらく何か言おうとしても言葉が見つからず、唇をわなわなと震わせた後、やっとこう返すことができた。

「わ、分からん……今、何が起こっているんだ。《因子》の実験は、成功したのか? な、なにも感じないが……」

「ほぉ~、何も感じない」

「き、君はどうなんだ。馬鹿に落ち着いているようだが、もしや、《因子》を身に宿すことができたのか」

 男は何も応えなかった。しばらく黙り込んだ後、顔を俯け、押し殺すような含み笑いを漏らした。

「ふ……ふふ、ふ」

「……?」

 数回肩を揺らしてから、顔を上げる。

「いや、どうやらそっちは“連中”に嫌われちまったらしい。それじゃあ、こんなところでボケっと突っ立ってても意味ねぇなぁ。さっさとねよや」

「な、なにっ?」

 不可解であるが、小馬鹿にされているとだけは分かるその言葉に研究員が怪訝な顔を浮かべるのと、オールバックの男が突然踵を返し背後を向き、右腕を前に伸ばしたのは同時だった。

 いきなりどうした。頭でもおかしくなったのか?

 益々混乱すると同時に、滑稽な気分にもなりながら、研究員はゆっくりと男の身体を回りこみながら、その背中の先に何かあるのかと探ろうとした。伸ばした右腕は何をしているのだ? 無意識にそれが気になる。

 その眼に、網膜に、ある光景が映り込んだ。


 男の右手に握られている、黒光りする物体。研究にひたすら打ち込んできたような人間では見る機会もないだろうが、それでも、それが何であるのかだけはひと目見て分かる。

 拳銃だ。男はいつの間にか、拳銃を握っていた。

 実験前には身体検査なども入念に行われている。件の少女のハンマーにしても、いかにも頭の悪そうな栗頭の男のナイフにしてもそうだが、武器の類は持ってこれるはずがない。いったいどうやって……


 その拳銃に対する疑念は、別の何かによって瞬時に消え去った。

 こちらとはまったく見当違いな方を向いた男の顔。その前方に、鏡でもあるかのように、前の景色とは別の像が映っていた。だが、鏡ではない。本当に鏡写しにしているのであれば、顔の前にあるのだから、このなんちゃってオールバックのだらしない顔が映っているはずである。

 だが、違った。宙に浮かぶ薄氷の破片のような面に映しだされているのは、研究者の顔だった。こちらからあれが見えているなら、向こうからもこちらの姿を反射することもできるだろう。決しておかしなことではない。

 だが、それでは研究者の顔の前に映っている、黒光りする物体はなんだ? 何か筒のような、棒のような形のものが、こちらの眉間に触れそうなほどに近づいていた。しかし、こちらからは目の前に何かが突きつけられているようには見えない。相変わらず男の背中が見えているだけだ。

 そもそもあの黒いものはなんだ。あの無骨なフォルム、何かに似ているような気がする。

 そう、男が今しがた手に持っている、あれに……


「……!!」

 目の前の光景が何を意味するのか気がついた時の、その戦慄。それが、研究者の最後の思考となった。

 そして、「ケバッ」という声ともただ血と肉がえぐれて混ざり合う音なのかも分からないものが、彼の断末魔となった。研究者の眉間が突如えぐれて陥没し、血と脳漿をまき散らした。ドゥンッ、という重苦しい音が鳴り、オールバックの右腕が微かに揺れたのと、同時だった。

 勢い良く後ろに仰け反り、そのまま倒れこむ研究員。その背中が地面に衝突するより前に、続けて数度の重低音が響き、彼の顔面はさらに抉れ、穴だらけになった。眼球と歯、皮膚の破片が飛び散り、原形も留めぬほど跡形もなく崩れていく。

 銃撃されていた。彼は、どこからともなく飛来してきた見えない弾丸に、正確無比に顔だけを狙い撃ちされていた。地面に倒れる頃には、最早その頭部は、下顎の一部を残し無数の肉片となって辺りに飛散し、なくなっていた。打ち込まれた銃弾は十五は超えているかもしれない。

 倒れた研究員とほぼ反対方向を向いていた、漆のごとく黒き銃口。そこから、薄い白煙が揺らめいていた。

 撃ったのだ。これが、確かに。あのオールバックが研究員を銃殺した。だが、反対を向いているのにどうやって。そもそも、銃はどうやって持ち込んだのか。


 それこそ、簡単なことだった。これもまた、《因子》の為せる業。それだけで全ての説明はできた。肉片が地面にへばりつく湿った音を合図に、男はチラリと背後へ振り向き、身分すらも分からなくなったどこぞの誰かの死体を一瞥し、吸ったタバコの煙を吐くような調子で呟いた。

「なるほど、面白いもんだ」


 男が引いたトリガーは何も、因子が生み出した弾丸を撃ちだすためだけのものではない。恐怖による動乱、その始まりのピストルもだ。運動会の徒競走の、スタートを合図するように。

 いくつもの銃声と共に顔面を崩壊させながら血に倒れた研究員の姿は、多くの被験者が見ていた。そして、《因子》の力を得ていない者達はほぼ例外なく、この光景に驚愕し、戦慄する。

「うわああぁぁっ!?」

 どこからともなく、男の悲鳴があがる。


「な、何なんだよぉぉ!」

 さながら驚天動地。未曾有の混乱が実験室を包み込む中で、一人の男――今しがた惨殺された男と同じ、白衣を着た男が喚きながら、力ない足取りでぎこちなく後ずさりしていた。同僚が死んだのか? もしかしたら、仲が良かったあいつかもしれない。だが、“あんな顔”じゃその確認もできない。一体なんで死んでいるんだ。

 無数の疑念が脳内を通過する幾千幾億の流星群となって脳内を横切り、その次に、恐怖が怒涛となって押し寄せてくる。

 それが、この白衣の最後の思考だった。先ほどの憐れな研究員と同じ。この世の未練の懺悔も、人生への別れもできなかった。


 栗頭が、研究員の頭を左手で鷲掴みにした。呆然としたその顔を見る間もなく、

「オラァァーーーッ!!」

 爪で引っ掻くように、右手を左から右、横一文字に振りぬいた。研究者の鼻が消し飛び、唇は削げ、眼は抉れ、歯さえも引き裂かれ、陥没する。

「ビャビッ」

 その奇妙な音は断末魔というよりも、もう完全にただ肉が交じり合いながら飛び散るだけのものだった。

 栗頭の腕が振りぬかれると同時に、大量の血が飛沫となって散った。だが、鉤爪のように曲がった指の先には、一滴の血も付着していなかった。

 頬から5cm程度が抉れ、真っ赤な断面に口腔と喉頭の間の空間がまるで口のようにぽっかりと空いていた。後は、頭蓋と脳の間クモ膜下腔が、脳を縁取っていた。

 いや、その脳も、自重によって地面へとこぼれ落ち、大きな虚空が頭にできた。これは明らかに、爪で引っ掻いたという肉体の損害ではない。

 ナイフだ。栗頭の指先が研究員の鼻先に触れるその一瞬、先ほどの曲芸の時に現れた無数のナイフが、その刃をぴったりと揃えた状態で、さながら熊手のように横並びに出現し、一斉に皮膚に食い込み、切り裂いたのだ。ぐちゃぐちゃになった肉はそのままめくれ上がって頭部から剥離され、よく分からない形状のひき肉となって、遠くの壁まで吹き飛びへばりついていた。

 男の右手から数センチ先には、扇状に広がった数えきれない数のナイフが、銀色の花束となって浮遊していた。

 千本に達するかもしれない刃が全て顔面に突き立てられればどうなるか、想像に難くない。その切り口は最早線ではなく面。超高周波で振動するダイヤモンドのヤスリよりも凶悪だった。

「ハッハハァーッ! ほぉーらやっぱり削れてなくなったァ、きもちぅいいーーーーッ!!」

 男の狂喜する声。その後に響いた形容のしようもない笑い声は、到底人間の発するものには聞こえなかった。創作の世界に出てくる悪魔も逃げ出す、人間が本能的に感じる恐怖を音声に変換したような音だった。想像の領域を超越した世界からの来訪者だった。


 頭部の上半分の次は前半分だ。

 研究員が、その無残な姿をより見やすく曝け出すかのように仰向けに倒れたことで、混乱と恐怖は最高潮へと達した。

 いくつかの悲鳴があがり、誰からともなく「逃げろぉ!!」と叫んだ。

 それからは、ジャッカルに追われる兎などというものでもなかった。

 その場にいた多くの被験者は、研究室の出口へと向かって一目散に駆け出していった。今になってようやく、今、自分達が生命の危険に晒されていることに気がついた。

 だが、その行動はあまりにも遅い。人間という種が、全ての生物を淘汰して、平和なる黄金時代を謳歌している代償として、危機を察知する洞察力を失った、ということであるのかもしれない。

 そして、本来それを、代償を払って手に入れた知恵と知識によって補うべきである研究者達も、畢竟ひっきょう何一つ分かってはいなかったのだ。自分達が何を呼び込み、何を生み出そうとしていたのか。


 逃げ惑う人々の内の一人、死んだ二人とはさらに別の研究者の背後から、超弩級戦艦から撃ちだされた徹甲弾のごとき速さで、栗頭が躍り出た。5m近く離れていたが、ただ一度の跳躍、コンマ数秒もない一瞬で接近していた。

「ウラァッ」

 後頭部と首の間――延髄のある位置目掛けて、蹴りを放つ。骨が折れるというよりかは、いっそう野菜か何かが潰れるような音と共に、研究者の顔が上に90°以上傾いた。

 そのまま蹴りの勢いで吹き飛び、先んじて逃げ出し、実験室の出口へと向かっていた人々の一団へと、地面を跳ねながら突っ込んでいく。


 標的を蹴り飛ばした姿勢のまま宙に留まっていた栗頭が、瞬時にその身体を地面へ降ろし着地しつつ、鋼鉄板を蹴った。あきらかに、自由落下というものを無視した動きだった。宙に投げ出された物体は、強力な推進力を放出できない限り、何もすることはできない。人間が手足をばたつかせる程度の動きなど、推力にも何にもならない。だからこそ、この絶対的な無力に抗おうと、航空機だって生まれた。

 だが、彼はできた。重力という絶対的な法則に逆らって動いたのだ。


 布製のダッチワイフが傾斜30°の崖を転げ落ちるような様相で地面を跳ねる研究者。それよりも素早く床を駆けた栗頭は、すでに即死しているであろう白衣の男が逃げる集団の内の一人に衝突するよりも前に、炸薬のない砲弾と化した死体の前へと躍り出た。

 だがそれは何も、背後で逃げる被験者――女だ――を助けるためではない。

 むしろその逆だ。


 栗頭は背後を見向きもせず、後ろ手に女の後頭部を引っ掴んだ。そうして、勢い良く迫り来る研究者の死体の顔面目掛けて、女の顔面を突き出す。

 キスなどという生易しいものではなかった。メジャーリーガーの投げるストレートよりかは遅い程度の速度と、マッハ二桁に達する速度が互いに衝突すれば、オリハルコン製の球でも砕け散ることだろう。ましてや、人間の肉体なのだ。

 瞬時に骨は砕け、潰れた脳と眼球は筋肉などの組織と混ざり合い、平べったい“もんじゃ焼き”と化した。

「ぬあ゛ッ!!」

 栗頭は腕を付き出した勢いのまま、頭のハンバーガーを床面に叩きつけた。厚さが二桁は優に超えているであろう鋼鉄板に巨大な亀裂が奔り、押し付けられた二人の顔面共々5cmは陥没し、クレーターを作った。


 栗頭は、すでに人間ではないモノへと変わり果て、重なりあった状態で地面に倒れた二人の死体へと馬乗りになり、原型も留めていない顔面をさらに執拗に殴り続けた。肉が飛び散り、最早殴る部分さえなくなったのなら、今度は肩から胸にかけてを。そこも比喩的表現でなしに粉々に砕け散れば、腹を。下の方へと順番に粉砕していく。

「ヅあっ! ぬぅぅん! ケヒ! キへェェーッ!!」

 奇声をあげながら、幾度となく拳を突き降ろす。その度に、巨大な水風船が割れるような――人間が人間を殴っても、到底聞こえるはずがない音が鳴り響いていた。

 そうやって人の姿をした物体を、単なる大きな血だまりにまで変えていく。

 理由はない。ただなんとなく面白いからやっているだけだった。“千本ナイフ”を使うと、あっという間に解体する身体がなくなってつまらないから、あえて素手で殴った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ