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Session.2 Easy Play Part.3



 Cの上にBがあるのなら、さらにその上にはAがあるということは、小学校で英語が必須科目になったのも今は昔である現代の日本であっては、一部の幼稚園児ですら分かっているような常識だ。《因子(ファクト)》においてもそれは例外ではない。

 《Bランク》を超える能力を有する《保有者(ホルダー)》に与えられる区分が、《Aランク》である。

 彼ら《Aランク保有者》を簡単に説明することは困難を極める。しかし、ただ一言で表現するとすれば、これに尽きる。


 “最早人間ではない”


 《騎士型(ナイトタイプ)》においては、音速を優に超える速度で移動でき、石油タンカーすら持ち上げ、厚さ60cmの鉄板なら指一本で破壊する力があるとされている。しかも、それが能力の限界ではない。

 《Bランク》に比べ肉体の強度も圧倒的に高く、最大で10Mt以上の衝撃に耐えるという話もある。核ミサイルを撃ち込まれても死にはしないということだ。もっとも、実際にそれほどの強度があるのかどうか実験がされたというわけでもない。実際に核ミサイルをぶち込むわけにもいかないからだ。

 腕を振れば、その衝撃波だけで半径数十m近くのあらゆる物体が薙ぎ払われる。


 それほどの存在である。

 《因子》というものがもつ驚異的な力というものは、ほぼ全て彼ら《Aランク保有者》に集約されていると言っても過言ではなかった。現在のアメリカ陸海空軍が全戦力を投入して合同作戦を発動し、たったひとりの《Aランク保有者》を殺そうとしても、それが叶うかどうかは分からない。

 それほどの生命体を100人以上有しているのが、今の日本なのだ。

 それだけでも、この小さな島国が世界最大の権力を握ることになるのは当然の話だった。

 仮にあらゆる核保有国が一斉に日本全土を攻撃したとしても、生き残った100人が天からの遣いとなって、黙示録のラッパの音色が響き渡るのだから。


 歴史上最強にして最悪でありながら同時に最善たる生命体。

 それが《Aランク保有者》だ。




    ※




 その内のひとりが、この御剣 誠一であるというのだ。

 三人の腰巾着共を瞬時にブチのめした時には、おそらく本来の力の1/10すら発揮していなかったのだろう。それであれなのだ。

 夏目は、この事態を想定していなかった自分の詰めの甘さに、我ながら最大級の悔恨を抱きながら、心の中で怨嗟の声を吐き捨てていた。

――な……な、なんてこった……なんてこった! な、なんで……――

 その怨嗟の声は、最早胸の内だけで抑えることはできず、無意識の内に喉の奥からこみ上げて、口腔から吐き出されていた。

「な、尚更だ! 尚更、なんで《Aランク》程の力を持っていながら、身分を隠してやがる! それこそ何でもできるんだぞ! 同じ《Aランク》に眼をつけられない限りは、何をしたって許される、誰も逆らう力がねぇんだからな……政府から支援金を貰って、生活にも困らねぇ。その気になれば“傭兵”になって紛争地帯で殺人ゲームもし放題だ! それなのに、雑草みたいな非保有者共に混じって……犯罪なんてもんじゃねぇ、こいつは百人単位の人間が動くレベルの大問題だぞ! 一体何がしてぇんだ、頭おかしいのかお前はッ!」


 質問というよりかは、罵詈雑言に近い言葉に、御剣は怒鳴り返した。

「だから何度も言わせんじゃねぇよ脳みそスッカスカかバァーカ!! あんたらみたいな偉そうぶってる連中がムカツクんだよ! そういう高慢な態度アリアリな《保有者》共と一緒にいると胸クソ悪くなるんだ。例外があろうと、《保有者》全員が全員クズじゃなかろうと、それでもだ……普通の人達と一緒にいた方が気分が落ち着くんだよ。分かったかアホが」

「わ……訳わかんねぇなぁオイ、やっぱり頭おかしいんだなお前、何言ってんのか全然分かんねぇぞ! たったそれだけの理由で……」

「お前にゃ訳わからねぇ理由だろうがなぁ、俺には大事なことなんだよ……お前に頭おかしいって言われる筋合いはねぇなぁ。あぁ? 誰が頭おかしいんだオラァ!! 頭千切られてサッカボールみてぇに転がされてぇのか……」

「う……っ」

御剣は完全に、先程までの彼とは別の何かに変貌していた。夏目にはもう、数分前の彼の顔を思い出すことすら、できるかどうか分からなくなっていた。

 本性を現したというのも違う。まるで別の人格が彼を乗っ取ったかのようだった。


 何にせよ、あまりにも予定外の事態が起こってしまった。御剣が《Aランク》などというのは話が違う。

 《Aランク》は《先導会》によって他の《保有者》以上に厳重に管理されているのだから、万に一つも身分を偽ることなどできるはずがないのだ。それに、そんなことをしているのがバレれば、最悪人生のほとんどを監禁されて過ごすことにもなりかねない。それほどまでに危険な存在なのだ。

 夏目が想定できないのも仕方がなかった。


 とはいえ、そんなことは今は関係がない。こうなっては、夏目には万にひとつも勝ち目がなかった。

 もしここから彼が御剣に勝利することができれば、それは奇跡だ。《Bランク》が《Aランク》に勝つというのは、アメーバに雌雄の差ができて、有性生殖で子孫を作るところが発見されるというのと同義だった。要はほぼありえないということだ。


 夏目が今とるべき行動は、ただひとつであると言えるだろう。彼は迷わず、そのたった一つの行動を選択していた。


「馬鹿じゃねぇのか……ふざけんなぁぁ……」

 苦々しく吐き捨てながら、少しずつ足を後ろに引きずる。なんとか隙を見つけて、この場から逃げ出す算段だった。《Bランク》なら、屋上から地面にまで真っ逆さまに飛び降りてもなんともない。


 不意に御剣がそっぽを向いて、ぼーっとした顔で空を眺めた。

「ん~? なんだアレェ……もしかしてUFOォ~~? なワケないかぁ~、あっははははっ」


 視線が外れた、逃げるなら今しかない。

 夏目はすかさず、踵を返して全速力で足を踏み出した。一気に柵を越えて、地上まで飛び降りる。視界には格子状の、所々錆びついた古臭い柵がしっかりと捉えられている。


 が、次の瞬間にはその柵は姿を消して、代わりに灰色のタイルが、その上に落ちている砂粒まで見えるぐらい近くに迫っていた。

 足元を御剣に払われたと分かったのは、彼に殴られ真っ赤な血を垂れ流していた鼻が、地面に打ち付けられた後だった。


「ブッ! ガ……ッ」

 鼻頭から脳にかけて大きく揺さぶられる感覚に見まわれながらも、四つん這いになった夏目の耳には、あざ笑うような声が響いていた。

「ハッハッハ……今のがワザだって分からねぇんスか? 先・輩ィ。あんたって実は結構素直な性格だったりして。ィッヒッヒッヒッヒ! あんたみたいなのが素直でも全然かわいくねぇよバカ」

「……」

 全身から汗が噴き出してくる。途端に息苦しくなり、生ぬるい息が肺からこみあげてくるのが分かる。筋肉が緊張し竹の節みたいに強張って、いっそ痛いほどだった。

 逃げられない。《Aランク》相手に逃亡など、愚策の極みだった。


 夏目の頭の中には、彼がこれまで生きてきた中で最大級の混乱が駆け巡っていた。

――どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう!――


 ただその言葉だけを壊れたメロトロンのように繰り返す中で、そんな思考と呼べない思考の乱流をかき消すように、御剣の声が鼓膜を震わせた。


「……ほら、立てよ。先に仕掛けてきたのはあんたらなんだ。潔く最後までかかってこい」

「…………」

 その声に導かれるままに、夏目はよろよろと立ち上がった。

 逃げることが不可能である以上、残された方法はあとひとつしかない。


 『当たって砕けろ』だ。


「うおおああアアッ!!」

 もうヤケクソだ。

 拳を握りしめ、雄叫びを上げながら飛びかかる。

 後は、眼前に迫る御剣の拳を眺めながら、深い後悔の念と共に、激痛と朦朧と昏睡の素敵なツアーが瞬く間に過ぎ去っていくだけだった。


 御剣の拳の小指側――鉄槌と呼ばれる部分が夏目の顔面にめり込み、鼻骨が三度みたび砕かれた。


「ブグ……ッ!!」

 短いうめき声を漏らしそのまま吹き飛ばされた夏目の身体は、タイルの上を勢い良く転がり続け、鉄製の柵に叩きつけられることでようやく静止した。当然ながら、うずくまった彼が立ち上がることはもうない。しばらくは自分が人間であることも忘れて、悪夢にうなされながら眠っていることだろう。




 これで、四人の《保有者》は全員ノックアウトだ。

 御剣は、夏目の顔面に打ち据えた手をもう一度ヒラヒラと振ってから、大きく背伸びをした。

「ふぅ~~っ。ス……ッキリしたぁー。これぐらい手加減してりゃ、ちょっと入院するだけで済むだろ。なんなら、夏目先輩は明日にでも登校できるな……まぁ、もっとも、“俺の方”がそう簡単に済みそうにないけど」


 ぐるりと屋上を見回し、倒れている四人の《保有者》の姿を確認する。

「ちょっとムカツイたからって、さすがにやりすぎたかな……でも、こうするしかなかったし……これからどうなるんだろ」


 彼が夏目に語った言葉は、どれも真実である。少なくとも彼は、遊び半分でこんなことをしでかしたのではない。

 ……とも言い切れないが、それなりに真剣だったのは確かだ。

 とはいえ、なりゆきのままに好き放題やってしまったが、今後の学校生活がどうなるのか不安になってきた。

 自分の行動を顧みて、沈んだ表情を浮かべる御剣。


 そんな彼の耳に、語りかける声があった。

 屋上には誰もいない。だが、確かにその少女の声は御剣を呼んでいた。

「ねぇー、セーイチっ。これで終わりなの? なんてあっけない。わたしの出番は?」

 その声に、御剣はもう一度夏目の方を向いた。相変わらず、柵の傍でうずくまったまま動かない。

 しばらくじっとその姿を眺めてから、にやりと口角を釣り上げた。

「なぁに、心配いらないよ。もしかしてと思ってたんだけど、さっきぶん殴って確信した……本番はこれからさ……お前も分かってるだろ?」

「まぁねぇ~。んえっへへへへ」

「……今日は、しばらく帰れないかもしれないな」

 そう言いながら、彼は静かに歩を進め、屋上から去っていった。




    ※




 それから、幾分かの時が過ぎた。

 午後八時かそこらだろうか。すっかり陽は落ち、一部の運動部が練習に精を出している以外は、ほとんどの生徒は学校に残ってはいなかった。


 いくら最新設備を持つ葦原高であっても、屋上まで照明で照らされているというわけではない。

 月明かりだけが落ちる薄暗い空間で、ようやく夏目は眼を覚ました。他の者達はまだ気を失っているらしい。彼も、まだ頭蓋の中が、体液の代わりに水銀でも満たされているような気分だった。


 だが、そんな気分の悪さも、すぐに打ち消された。

 すぐ傍にあった柵を支えにしながらよろよろと立ち上がる中で、彼の身体の奥底からは、煮えたぎるようなある一念が減数分裂する細胞のごとく増殖していた。それが、吐き気も頭痛も相殺したのだ。


「ふぅー……ふぅー」

 気だるさに包まれている全身の筋肉に、段々と力が宿る。


 憤怒だ。

 怒りが御剣に叩きのめされた肉体を復活させていた。

 しかし、その怒りの源は夏目の中にはなかった。彼の自我の中には。


 彼を立ち上がらせ、柵を掴む両手に力を込めているのは、“彼”ではなかった。

 丸めた背中をワナワナと震わせながら、低く唸るその声もまた、“彼”のものではなかった。

「なんだなんだなんなんだぁ~、あのクソ野郎ォォ……“我らが同胞”でありながら、俺をこんな眼に合わせやがって……」


 柵を掴んでいた腕の筋肉が突然強張り、制服の上からでもはっきり分かるほどに隆起した。元の二倍ほどの太さにまで膨張している。それと共に、鉄製の柵がミシミシと小さな音を立て始めた。

「いいや違ぇ。あの野郎はまだ、目覚めていねぇんだ。あいつはまだ、“我らが同胞”にすらなっちゃいねぇ……ただの人間だ。俺達の足元にも及ばねぇ、矮小なことこの上ないただの“人間”のクソ野郎だ。力を手に入れたと勘違いしてるだけの、おめでたいアホだ……“人間”がこの俺に対してぇぇ……ッ!!」


 声音すら――骨格までも、変わり始めていた。

 『ような』でも、『みたい』でもない。『かもしれないでも』ない。間違いなく、夏目の姿は変化しはじめていた。

 腕の力は一層強まり、鈍い音を立てながら鉄柵が少しずつ歪曲し始めた。《Bランク騎士型》ほどの保有者であれば、鉄の棒を曲げることは造作も無い。

 しかし、ただ曲がっているだけではなかった。握りしめられた両の手は、柵を少しずつ握りつぶしていた。耳障りな音を立てながら鉄の棒にヒビが入り、粉々になっていく。

「こ、殺してやるッ……必ずッ……確実にぶっ殺して、“出来損ない”共の餌にしてやる……!!」


 鉄が歪曲する音は、軋むというよりかはいっそ“叩かれている”と表現できるほどに大きかった。やがて、鉄材の持つ耐力以上の力をかけられた柵は、屋上どころかその下にまで届くような大音量を夜空に反響させながら、分断された。

 同時に、握りつぶされた鉄が、粉となって両の拳から降り落ちていた。


 夏目の唸り声――最早人のそれであるとすら言えない異様な咆哮が、先の鉄が折れる音よりかは小さく、こだました。


「ヴォオ゛オ゛オオオォォォ……ッ!!」



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