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Session.15 Tribute to the Past Part.1

 ものの七年で、世界を席巻するようになった“あるもの”。

 しかしそれが本当に、ちょうど七年前に突然変異的に出現したものであるとは限らない。世の中に遍く“奇跡”的な成功の中にはそういう事例もあるかもしれないが、少なくとも“それ”は、もっと長い歳月をかけて綿密に育まれてきた計算と、故も知れない偶然が折り重なって生まれた複合的な“奇跡”であった。

 それは十六年前、《因子》という存在が世間に知られるようになる、さらに九年前のことだった。


 その研究施設がどこに存在しているのかは、その内部にいる者達にしか分からない。彼らに研究資金を提供する得体の知れない連中にさえ、所在と、研究内容、そしてその意義は知らせてはいなかった。


 壁も床も天井も白く、装飾の類も一切ないその部屋は万人が見て、堅苦しい、デスクワークのための部屋だと分かるだろう。しかも、相当ストイックに、情報を処理することだけを目的とした。

 その一角、机の上にあるコンピューター端末を、傍にある椅子にも腰掛けず立ったまま見下ろす二人の男がいた。

 片方の、二十代になったばかりといった青年が、隣に立つ、彼に比較すれば歳をとっている、という程度の男に言う。その声には、驚くと同時に不思議と納得もしているような気色があった。

「……これが、新しい被験体ですか。まだ……乳児」

 コンピューターのディスプレイには、母胎から産まれ落ちてまだ半年経っているかどうかという乳児の写真と共に、その生体情報のデータが表示されていた。


 青年の、僅かな罪悪感を湛えた声に、もう一人の男――地獄の炎を半世紀は見続けてきたような異様なぎらつきを双眸に揺らめかせる二十代後半の男が応える。

「言っていただろう。被験体は可能な限り、乳児も選出したいと……なに、別に今から実験を開始するわけではない。そもそもいつできるかどうかも分からんのだ。少なくとも“彼”が言葉を喋られん内は、無理だろうな……別に私は、年齢や性別による《因子》への適合性を調べようというつもりではない。重要なのは……」

「分かっています。以前お聞きしたことは覚えています……《因子》の《保有者》となること。それを前提とした上で一から教育された人間が、どのように“それ”に適応していくのか。それを確かめたいと」

「そうだ……正直言って、この研究を立ち上げた当時は、ここまで多くの協力者が現れるとは思わなかったよ。実験体の数はもう十を超えた……しかしだ、そのほとんどは、人生を紛いなりに経過してきて、自らの意思でこの研究に参画した者達だ。自分なりの思想があるのか、世の中に絶望しきっているのか、はたまた根本的に精神に異常があるのか――案外最後が一番多いように思うが――……彼らには、すでに自身の中に知識と常識……人間としての揺ぎない固定概念が存在する。それを持った者が、“異質”なる存在を受け入れられるかどうかは分からない。受け入れること自体はできても、それが完全な形であるかどうかは分からん。少なからずの“拒否”はあるはずだ。それでは、本当の意味で《因子》を身に宿すとは言えないのではないだろうか」

「……」

「だからこそ、《因子》という存在が当然のものであると信じる純粋な……異物を許容できる……否、異物を異物と認識しないような者を用意しておかなければならない。そのためには、まだ世界がどのように構成されているのかも、想像することすらできない赤子の時から教育するべきなのだ……そう考えていた矢先に、都合よく天が我々の前に用意してくれたのが、彼だ」

「……“遺児”というのは、この時代になっても絶えないものです。その中で彼が選ばれたというのは、それこそ偶然……乞食のように成功を求める我々に対する、神の気紛れな施しのでしょうかね」

 この赤子。研究所のどこかで、両親の顔も名前も分からず――おそらく死ぬまで分からないまま眠っているのか、起きているのかも分からないこの赤子にこの先何が待っているのか、青年は知っている。


 吐き捨てるようなその声に、異様な眼光の男は、「フハッ」と乾いた笑いを返した。

「彼の親はどういう生き方をして、何を考え、どのようにして彼を産み、何故捨てたんだろうなぁ。苦悩に苦悩を重ねた上での、断腸の思いというヤツだったのか。ただ適当に生きて遊んでいたらわけも分からずできてしまったものを、責任の取り方すら分からず放りだしただけのことなのか。親としての愛情は存在していたのか、それすらない屑なのか……なんにせよなぁ、捨てられてしまった以上、その親はもう彼を必要としていない。彼の生まれてきた意味は、人生の価値は、あっという間になくなってしまったのだ」

 そこまで言って、男は青年の方へと顔を向け、その異様な眼光を突き刺すように浴びせた。

 口元は堅く引き締まっていたが、笑っているようにも見えた。ディスプレイに、小さな写真で映るその乳児に対する誠意があるようでもあり、彼の運命を嘲笑っているようでもあった。

「かわいそうになぁ……救ってやりたいよな。我々の手で、生きる目的という奴を、与えてやりたいよなぁ。幸せに……してやらないとなぁ」

「……っ」

 何を考えているのか分からないその薄気味悪い顔色に、青年は男を見返していた眼を逸らした。

 同時に、余計なことを考えるのは、やめた。このような男であるが、彼は尊敬していた。男の掲げる研究理念に、大いなる希望を見出してもいた。閉塞した世界の状況を、七日で世界を作り変える神の所業のごとく改革することになるだろう、と。


「……そうです。この実験が上手くいきさえすれば、彼もまた、人類が迎える革命の夜明けの、その魁となるのです。上手くいかなければ……死ぬことになるというだけ……我々と、同じに」

「そういうことだ。まぁ、まずは実験の目処を立てるところからだけどな」


 草薙 魁が突如として提唱した《因子》の存在。

 それを証明すると同時に、人類にその恩恵をもたらさんとする実験は、まだその予定すらも決まってはいなかった。そもそも可能であるかどうかすら判断できる状態ではなかった。

 だが、それがもたらす“革命”に惹かれた者達が、彼の元に次々と集まっていた。

 実際に《因子》を身に宿す実験の被験体となる者の数は、すでに十二人に達している。その中には、《因子》の提唱者である草薙自身も、そして、彼に賛同する一部の研究者達も含まれていた。《因子》がもたらす幸福の体現者に、自らなるべく。

 その一部というのには、青年――伊集院 兼人も含まれていた。


 そして今、もう一人新たな被験者が現れた。自ら決意したわけでもなく、ただ草薙の意思一つで、理由も分からぬままに選ばれた赤子。“遺児”という、不幸の星の元に生まれた、神の作為により出来上がった人の子が。

 《保有者》として新たに生まれ出る、十三番目の存在――“born.13”だ。




        ※




 “born.13”は、捨て子であったところを草薙 魁によって保護された。だが、彼自身はそのことを教えられていない。そもそも、自分の親は人間ではないのだと、彼は教えられていた。


 普通の人間には、父がいて、母がいるということは知っている。だが、自分は普通ではないのだという。

 詳しいことは知らないが、何でも自分は、母の身体ではなくどこからともなく幻のごとく現れた。そして、詳しいことは聞いていないが、その関係で、《因子》と呼ばれる特別な存在と強く触れ合い、結びつく力があるらしい。

 今は、その《因子》というものは周りにはいないから、姿も見えなければ触れられもしないのだが、いつか必ず、自分の前に“彼ら”が現れる時がくるという。その時になれば、《因子》と友達になれる。それができるのが、自分だという言うのだ。


 物心つき始めたような子供でも、それが本当かどうか疑うような気持ちになるだろう。だが、彼はそうなれなかった。

 環境がそうさせた。誰も彼のこの特殊な出生を何の根拠もないでっち上げだということを教えてくれなかった。判断する材料すらも与えてはくれなかった。

 自分のこの奇妙な出生を教えてくれた大人は、このことを絶対に他言しないようにと釘を刺した。だから、誰かに話すこともできない。


 そんな彼が少しずつ成長し、乳児から幼児、幼児から少年へとなっていく中で、御剣 誠一という名をつけたのは、ある若い研究者だった。

 彼女は、物心つく前から彼の面倒をよく見てくれていた。確か名前は、大国 八千穂といった。

 もう八歳になる御剣は、彼女の顔をこれまでの人生で最も多く見てきた。




 研究所内の図書室に、御剣は彼女と共にいた。

 中は広い。どれだけの広さがあるのかも分からない研究所の敷地、その中にひしめき合っている無数の部屋の中でも、かなり広大な部類になるだろう。

 蔵書の数もかなりのもので、そこいらの図書館と比べても遜色ないほどの量はあった。被験体も利用する目的で存在するため、本の種類は一般的な文学やら、専門的な部分にまで踏み込んでいない程度の各種工学の本やら、児童書もあれば、週刊誌なども取り扱われていた。そのため、退屈しのぎのためにここにくる者は多かった。被験体の半分程度は、科学とは無縁なただの人であるのだ、暇つぶしは必要なのである。


 が、御剣達はここに本を読みにきたわけではなかった。彼はただ、大国と話をするためにここにいるだけだった。

 大きな机の前で、二人は互いに椅子に腰掛けて向かい合う。

「誠一君」

 彼の声を呼ぶ大国の声は実に淡白なものであったが、だからといって、目の前の少年に対し無関心であるというわけではなかった。研究者基質ではあるが、人間性までは失っていないのだ。

「なに?」

 返事をする御剣の声も、歳相応の幼さはあっても、どこか落ち着いたものだった。それは、生まれて間もないころから“あること”を前提として育てられてきたが故の、通俗的な“子供”との差異に原因があるのだろう。

 大国を始め、多くの大人から教えられる“勉強”というものも、同年代の子供に比べ遥かに高度なものであった。だが、その同年代と自分を比較することもできないのだから、不平不満も言わない。

 『あの子はこうなのに自分はこうだ』という、『あの子』がいないのだからどうしようもない。


 大国が言う。

「誠一君は、《因子》ってどんな見た目をしていると思う? 私達人間みたいな姿をしているのか、それとも、もっと違う、犬みたいな獣の姿をしているのか。あるいはもっと……」

「……わかんないなぁ。先生達は知らないの?」

 御剣は大国のことを『先生』と呼んでいた。

「《因子》のことを教えてくれたのは先生なんだよ? それなら、どんなカタチをしてるのかだって分かるんじゃない?」

「いえ、私達も知らないのよ。ただいるということだけが分かった、それだけなの。貴方が“彼ら”と友達になる特別な力を持っているということと含めてね。ただそれだけ。物事ってみんなそうなのよ、あるって分かっても、実際には見たことないものが沢山。そういうの分かるでしょう」

「うん」

 その『特別な力』は何だ、と、大国に何度か聞いたことがある。彼女も、御剣の特殊な出生を知る者だった。

 しかし、聞く度に曖昧に答えをはぐらかされたり、とても理解できないような難しいことを説明されたりするだけで、結局よく分からなかった。

 実際のところ、ありもしない事実をでっち上げ、それを学者的な脳みそから湧いて出る理屈的な嘘でごまかしているだけなのだから、当然のことだった。まだそれを判断できるほどの経験を、御剣は積んではいなかった。知識は多かれど、人としての知恵はむしろ普通よりも不足していた。


 大国が、御剣の方へわずかに顔を近づけて、続ける。

「誠一君。もし《因子》がとても恐ろしい、化け物の姿をしていたら、どうする? 友達になれる?」

「見た目なんてどうでもいいよ! 『本当に大事なものは目に見えない』って、本にも書いてあったんだ。ちょっと怖い格好してたって、心まで怖いってわけじゃない。そりゃあ、ちょっと驚くかもしれないけど、《因子》が怖いものじゃないってことぐらい、すぐ分かる。そうしたら、友達にだってすぐなれるよ……ねぇ、はやく会いたいなぁ」

 その御剣の応えを聞いて、大国は静かに笑みを浮かべた。この言葉を、まるで待っていたかのようだった。

「もうすぐ……といっても、後一年ぐらいはかかるかもしれないけど、会えるようになるわ。それまで、心の準備をしておかないとね。《因子》に聞きたいことも、たくさん考えておかないと……」


 言い終えた大国の背後から、不意に何者かが声をかけてきた。御剣も何度――あるいは何人か見てきた、白い服を着た大人の人間だ。大国の同僚、科学者という職種の人間である。

「大国教授、《因子》の実体化についての――……」

 と、御剣には分からない小難しいことを口早に言ったと思うと、大国が徐に立ち上がり、

「少し用事ができたわ。ここで待っていてね……ちょっと長くなるかもしれないから、退屈になったらどこか別のところに行ってもいいし、部屋に戻ってもいいよ」とだけ言い残して、白衣の大人と共に図書室から出て行ってしまった。



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