Session.14 Death Machine Part.8
一瞬。ほんの一瞬のフリーズであっても、獲物を前にした猛獣同然の御剣が見逃すわけがなかった。
右前腕が何かに掴まれたと思ったその瞬間には、甲斐の右肩から先の感覚がなくなった。腕が引きちぎられたのだ。炭化した――このままボロボロに崩れそうな甲斐の左手が、信じられない力でこちらの腕を掴んだのだ。
再び片腕になった。甲斐がそう理解するまでの僅かなロスタイムの間に、御剣はさらに、引きちぎった腕を投げ捨て、今度は左腕を掴んだ。同じように、引きちぎるつもりだ。
「う……」
反射的に甲斐は、掴まれた部分をあえて捨てた。
関節から先と、ライディーン・ザンバーの一部を、御剣に掴まれている部分から切り離す。
武装は一時的に失ってしまうが、残った部分を組み合わせることで、腕自体は残しておくことはできる。
そのまま脚部ブースターを噴射して、一旦距離を取る。
だが、
「殺ォすッ!!!」
御剣が、こちらの加速に食らいついてきた。たった一度地面を蹴っただけで、加速する甲斐との相対距離を詰めてくる。最早逃げることすら不可能だった。防御しようにも間に合わない。
「イレギュ……」
壊れたスピーカーのように先ほどと同じ言葉を繰り返そうとした甲斐だったが、それはできなかった。
「こッ!!!」
御剣の放った右フックが左こめかみに直撃し、頭蓋骨とカメラ型義眼を粉砕したからだ。
「ろッ!!!」
続けて、左フックが飛来し、首にめり込んだ。
甲斐の身体は、人工的なものとはいえ、部分的には人間の肉体構造と似通っている部分もある。例えば、電気信号を伝達するために全身へと張り巡らされている導線は、ひとつの太い人工脊髄へと繋がっており、さらにその人口脊髄が脳へと繋がっている。
膨大な並列処理が可能な戦闘用補助脳には全身の導線が直接接続されているが、素早い判断が必要でない思考については、五感からの各情報を一度集積しつつ処理する方が効率的であるため、一度脊髄を通してから、生身の脳と、その機能保全のための第二補助脳に伝えられる。
要するにどういうことかというと、その人工脊髄がボキボキと音を立てて折れたということだ。
信号を伝達する方法が失われ、生身の脳は完全に肉体との繋がりを失った。残るのは、補助脳だけだ。
となれば、生身の脳は放棄し、残っている補助脳だけで思考判断を代替するしかなかった。
「すッ!!!!」
ダメ押しの右ストレートが、鼻頭を狙って放たれる。
だが、甲斐もこのまま大人しくやられるつもりはなかった。対処のしようがないエラーが発生したのなら、もうそこは無視して、残ったプロセスだけを行えばいい。システムの冗長性、可塑性という奴だ。コンピューターだって時代が進む中で、柔軟になっている。
分からないことをとりあえず置いておくということも、できるのだ。目先の脅威を取り除かなければ自分がぶち壊されるとあれば。
御剣の右腕を、巨大な三本の鉤爪が咥え、押さえ込んだ。甲斐の左腕が変形したものだ。肘の部分から巨大な、真っ白な円筒状の杭が伸びており、それは、金属が密集し肥大化した前腕を通って三本の鉤爪の根本へと続いていた。
「“炸裂式鉄杭射出器”」
動きの止まった右腕に、杭が打ち付けられた。肥大化した前腕内部で発生した熱量が膨張させる空気の圧力を動力とした一撃だ。前に押し出された杭が元の位置に戻るのと一緒に、前腕から白い蒸気となって熱された空気が吐出される。
ご多分に漏れず杭の先端は高熱を纏っており、一点への破壊力に関してはライディーン・ザンバーを上回っている。御剣の腕が、ミシリと軋むのが聞こえた。この攻撃は通用している。このまま攻撃を続ければ、骨を貫通し、腕を吹き飛ばすことも可能だ。
《因子人》と違う生身の人間では、さすがに千切れた腕までは再生できまい。
「……」
再度前腕で熱量が炸裂し、バンカーが射出される。今度は、さらに大きく鈍い音を立てて、骨に半分ほど食い込んだ感覚があった。
甲斐はもう何も言わない。挑発するような不敵な声も、もう聞こえてはこなかった。それはなにも、思考判断の全てを補助脳が行うようになったからではない。必要がなくなったからだ。
彼女が吐き捨ててきた台詞のほとんどは、御剣の神経を逆撫でし、動きを単純化させるためのものだった。だが、今となってはそれも必要ではない。すでにその目論見は達成している。
もう一度バンカーを戻す。そうして、最後の一撃。これで右腕をせん断する。
「御剣くん!」
この時だった。あやめが屋上へと駆けつけ、出入口のドアを開き、その名を呼んだのは。
そして同時だった。御剣の腕の骨を貫いているはずのバンカー・キャノンが、何故か甲斐の胸元に押し当てられ、心臓のある位置に食い込んだのは。
ハイスピードカメラでも、早送りにしているようにしか見えない。それほどの、一瞬の動作だった。
御剣は右腕を渾身の力を込めて振りぬくことで、拘束する鉤爪を一本残らずへし折った。そうして、左腕でバンカー・キャノンを掴むと、強烈に捻って関節からねじ切る。すでに前腕内部では熱量が発生し空気が膨張しており、今まさにバンカーは打ち出されようとしていた。その前に甲斐の胸に押し当てたのだ。
「……ッ?」
あやめが、息を呑む。
「……」
設計の容易さを優先して、人間の身体に似せて作ったのがマズかった。甲斐の肉体には心臓はないのだが、それに準ずる機構は存在していた。全身の人工筋肉を動かすための動力源を循環させるための装置だ。それは、人間ならば心臓がある位置に存在していた。当然ながら、重要な装置である以上、一基ではなく複数の予備が身体の各所に取り付けられているが、それでも“メイン”が破壊されれば、ましてや破壊された瞬間である今ではなおさら、多少の機能不全は引き起こされる。
「緊急事態……」
後方へとよろける拍子に、胸にささったバンカーが抜ける。あるいは、御剣が腕を引き、抜き取ったのか。何にせよ、よろめいた彼女に、前腕部の空気排出機構が作動せず杭を伸ばしたままのバンカー・キャノンが、もう一度突き立てられようとしていた。左腕から右腕に持ち替えられている。
大剣はまだ身体に食い込んだままだ。
「み、御剣くんっ?」
あやめがうわ言のように呟く。
「ぐおぉぁあがあああァァァッ!!!」
強張った右腕。その一部から、血と、血よりも粘性の強いドロドロした物体が滴り落ちてくる。もしかしたら、骨髄か何かかもしれない。筋肉繊維も、何十本とちぎれている。筋肉が断裂している以上、本来ならば動かすことすらできないはずの腕が、巌のように強張り、そして、伸びた。
赤黒く汚れた先端部を除けば、雪のように真っ白なバンカーが、突き上げるように甲斐の顎から斜め上に貫いた。
「ガ……バッ!」
彼女に残った唯一といっていい生身の部分が、肉をえぐられ、毛細血管を破られる。口からは、咳に混じって泡のような血液が噴き出された。脳もど真ん中を貫かれ、完全に機能を停止した。すでに放棄しているが。
これで終わりではない。まだ、御剣本来の武器が、甲斐の身体にまだ喰いこんだまま残っていた。
「ぬううぅぅ……!!!」
バッテリーでも切れたように、棒立ちになって腕を垂らし、動かなくなった甲斐。そのまま徐々に後方へと身体が傾き、倒れようとしていた。その身体から大剣を引き抜く御剣。
両手で柄を掴み、大げさなほどに身体を捻って腰を落とし、力強く構える。
「どぅおおぉああああああァァァァァッ!!!」
一見すれば貧弱そうな細い身体には見合わない地響きのような唸りを上げ、大剣を横薙ぎに振りぬいた。凄まじい速さで振りぬかれた刃は一条の薄い光の膜となって甲斐の身体を通過し、みぞおちのあたりから上下に寸断させた。上半身が上空へと向かって舞い上がり、右に逸れながら宙を一回転して、地面に落ちた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーーーー!!」
御剣は大きく胸を反らし、天を仰ぎ見ながら雄叫びを上げた。それは、おおよそ文化的な姿とはいえず、さながら、未だ二足歩行して間もない頃の人間が、巨大な獲物を仕留めた時のそれだった。
ただただ野蛮で単純。ある一つの目的以外には、何も考えてはいない。そんな有り様だった。
異常だった。今しがた到着したばかりのあやめであっても、今目の前に見えているものが、異常な光景であることは分かった。
しかし同時に、天に向かって吠える彼の姿には、言い様のない哀愁も感じられた。あれは吠えているのではない。もしかしたら、哭いているのかもしれない。
「な、なんなの?」
誰に聞くでもなく、出入口から一歩だけ足を踏み出した状態のまま呟くあやめ。
そんな彼女に、返事をする者がいた。
どこからともなく声が聞こえてくる。
「何が起こったのか。教えて……あげましょうか」
声の主の姿は見えない。まるで空気そのものが震えて音を発しているようだ。
実際その通りだった。この声音と、独特なしゃべり方……阿頼耶だ。人の姿は見えないが、薄黒い霧のようなものが辺りに立ち込め、こちらの周りに集まっているのは見えた。その原子の集まりが振動し、空気を震わせることで、あたかも声が発せられているように聞こえるのだ。
「お……教えて!」
あやめがそう答えると、原子の霧は彼女の斜め前へと集まっていき、やがて、ひとつの形となった。よく見知っている阿頼耶の姿だった。だが、黒衣の隙間から覗く肌は、彼女本来の真っ白い肌ではない。かなり深刻な火傷を負っているらしく、真っ黒になっている箇所もあった。
「……大、丈夫?」
あやめが心配そうに聞く。
「大丈夫じゃ、ない。身体を分解させてないと、動くことさえ……億劫だわ。やっぱりバラバラになって……いい?」
「あ、うん」
あやめが頷くと、阿頼耶はまた先ほどと同じ黒い霧となって周囲を漂った。一応こちらの声は空気の揺れとして届くし、向こうの声も聞こえるのだから、会話をするだけなら問題はない。
あやめは早速、質問を切り出した。
「御剣くん、どうなっちゃったの?」
それに、教えてやると言っていたはずの阿頼耶は、しばらく黙りこんで応えようとしなかった。応えるべき言葉がないわけではない。ただ、それを言うべきか言うまいべきかという逡巡が彼女の中にあることを、あやめは察した。
阿頼耶はまず、こう言ってきた。
「貴方には、彼がどう見える?」
獣のような声を上げながら、甲斐の下半身に何度も刃を突き立て、原型を留めないほどの粉々にしている御剣のことだ。
その姿をしばらく眺めてから、あやめは正直に応えた。
「よく分からない。正直、すごく怖い。バケモノみたい。でも……それだけで片付けちゃ、いけないような気がする。どうしてあんなになってるのか、私知りたい」
「……」阿頼耶は何も応えない。
「たっ! ただの人間が知っちゃあ、いけないことなのかもしれないけど……で、でも、もういいよ! 知ったことで死ぬことになったって、別に後悔はしない! 何も知らないまま、無関係でいることの方が、なんか胸の中がムカムカして気分悪いんだ! スッキリしたいのよ、教えてよ!」
そのあやめの声は真剣そのものだった。危険に自ら進んで足を突っ込むことは、人としては正常ではないことかもしれない。だがそれ以上に、一度ならず自分のことを助けてくれた人のことを深く知りたいと願うこともまた、人間としてはごくごく普通のことだった。ただ、ちょっぴりだけそちらを優先しただけなのだ。
あやめには真っ当な道を踏み外したような意識はなく、むしろ、これこそが人間らしい生き方なのだと思えた。
阿頼耶はしばらくの間、黙って前を向き、怒りに任せて暴走しすぎた“ツケ”が回ったのか、その場で膝をついて俯き、背中を大きく上下させる以外には動かなくなった御剣のことを見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「私はこの話を……私達に《因子》の正体を教えてくれたある人から聞いた。その人のことは、多分貴方も聞いているでしょう。その人は、私が御剣君を助ける上で、知っておくべきだと考えたから……この話をしてくれた。分かる? あやめさん」
「……うん」
あやめは頷いた。阿頼耶の言いたいことは分かった。
この話を聞けば、自分もまた、そんな阿頼耶と同じ立場に立つことになる。御剣の過去を知った上でこの先訪れるであろう数々の状況から逃げ出すようなことになれば、きっと阿頼耶はこちらを軽蔑するし、永遠に許さないだろう。
それほどの覚悟をしなければならないのだ。
「七年前……いえ、もっともっと過去のこと。御剣君は、人類で初めて《因子》を身に宿した数人の人間の一人だった。彼自身、それを選択することも拒絶することも、納得することさえも……できないままにね」




