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Session.14 Death Machine Part.7



「後は……アナタだけ」

 甲斐が呟く。星原を捉えられなかったドリルが、大きく旋回しつつ甲斐の元へと飛んでいった。徐々に変形して元の――何が元なのかは分からないが――腕を形作り、右肩に接続される。柳沢に拘束されてから長らく失われていた両腕の自由が、蘇った。

 それを覆っているライディーン・ザンバーの形状もまた、慌ただしく変化していく。鋸歯は削れてなくなり、薄いフォルムが厚みを増しつつ長くなっていく。


 今この時が、阿頼耶に与えられた最初で最後の、判断するチャンスだった。

 最後まで戦うか、星原と同じように、御剣達を見捨てて逃げるか。

 ただ、ひとつ決定的な判断材料がある。


 戦ったところで数秒持つかどうかも分からない。そして、こちらを殺した敵は、そのまま悠々とロニーにもトドメを刺すだろう。逃げても同じ。抵抗しても同じだ。

 阿頼耶はある程度感情を制御できる人間だ。そもそも、感情そのものが希薄である。仲間である御剣を守りたいという気持ちはあっても、合理的な結論を押しのけてまでそれを通すつもりはなかった。


 俄に、周囲に立ち込めていた霧がさらに広範囲に拡散し始めた。灰色に近かった空気の色がみるみる薄まり、透明の、本来の姿に帰っていく。

 とにかく、原子を限界までばらけさせるのだ。敵の攻撃は、《魔導型エンチャント・タイプ》のようにエネルギーをともなう。原子一粒であろうと、命中すれば破壊されてしまう。まして大量に破壊されれば、その影響は無視できないものになる。

 彼女はとにかく急いだ。その焦燥は、拡散していく煙そのままの霧の様相に如実にあらわれていた。


 だが、甲斐の行動は早い。

 彼女の両腕に装着されていた武装はすでに変形を終了し、その銃口を薄まっていく霧に向けていた。

「“拡散焼夷弾ショットガン・ナパーム”」

 阿頼耶の身体を飛散させまいと、すぐさま見えざる引き金が引き絞られ、強烈な光弾が吐出された。

 前方広範囲に渡って幅広く照射された熱量弾は、さながら光のスプリンクラーだった。ほんの一瞬、花火よりも儚い光だったが、威力は十二分だった。

 すでに霧はほとんど見えなくなっていたが、手応えはあった。逃しはしたが、原子を集めてもまずまともに身動きできる状態にはならないだろう。破壊された原子を集めれば、それだけ身体も破壊された状態になる。上手く工夫して、影響の少ない箇所に原子を集めようとしても、破壊された原子の量は、それができないほどの多さになっていた。

 要は、御剣を始末する前にちょっかいを出されなければいいのだ。


 イレギュラーの因子を極限まで消去できたことを確認した彼女は、ようやく目的を達成すべく、屋上へと降下することができた。

 しかし、このままあっさりと終わらせてくれないらしい。

 彼女がタイル貼りの地面に足をつけた時、血だまりの中に横たわっていたロニーが、ゆっくりと起き上がるのが見えた。

 驚くべきことに――甲斐は別に驚かないが、腹部と胸部からの出血は相当少なくなっていた。ほとんどないと言ってもいい。風穴自体は依然空いているのだが、血管が塞がり出血が抑えられているようだ。肺も、肺胞が多少再生しているのか、ある程度呼吸もできるようになっていると思われる。

 それは即ち、常人なら死んでもおかしくない負傷を、この短時間で治癒させたということだった。


「柳沢くんにも阿頼耶にも星原にも……感謝しなくっちゃいけない……」

 今にもまた倒れそうな前のめりの姿勢になりながらも、力強く地面を踏みしめながら、ロニーは小さく言った。大剣を握る右腕も、力強く強張っている。

 柳沢達が、身を呈して時間を稼いでくれたおかげだ。本当ならば星原の圧縮空間に逃れるのがベストだったが、これでも充分だった。

 変温動物が冬眠して力を蓄えるように、不要な身体的活動を可能な限り抑え、その余剰のエネルギーを全て細胞の再生に回すことで、傷の治癒を早めた。柳沢のようなただの《Aランク》にはできない。《因子人ファクトリアン》にしか、さらに言えば、その中でも特異な存在であるロニーにしかできない芸当だった。

 急ごしらえの付け焼き刃であるが、刃自体は出来たのだから問題はない。これでまだ戦える。そして、もう小細工は通用しない。

 真っ向からの勝負だ。


「さぁぁ、仕切りなおしだ……柳沢くんに阿頼耶。詫びを入れるべき人が増えたわね。まぁ、何人増えようが人を傷つけた罪の重みは同じだよ。判決は以前同じ」

「……」

「打首獄門! 地獄の市中で引きずり回されて生首晒された後、糞尿地獄の中に捨てられるのさ! かかってきなッ!!」

 大剣を両手で握り直し、構えながら甲斐の姿を見据える。

 状態は万全とは言えないが、足りない分の体力フィジカルは気合で補ってやる。

 甲斐の動きに、五感の全てを集中させる。確実に喰らいつき、一手先をいくためにだ。


 だが、甲斐は動こうとはしなかった。リラックスしきった、肉体を弛緩させきった力ない佇まいで、ただこちらを眺めるだけだった。相変わらず不気味な女だ。こちらを誘っているのかもしれない。

 そう警戒するロニーに対して彼女が放った言葉は、ある種拍子抜けするようなものであったが、同時に、何よりも恐ろしいものだった。


「……悟られまいと感情を隠したりシテ。本当は覚えテいるんでしょウ? 御剣 誠一……いや、“born.13”」


 その言葉が銃弾となって胸を撃ち、心臓が跳ね上がった。瞬間、身体の感覚が俄然鈍くなったのに気づいた。御剣の身体を支配していたロニーの意志が、何かに押しのけられようとしているのだ。

 この身体の本来の持ち主の、無意識が。このままでは、ロニーははじき出されて、強制的に肉体の“所有権”が彼に戻ってしまう。

 胸の内に、自分のものとは別の心臓が鼓動するような感覚に見舞われる中で、ロニーは続く甲斐の言葉を聞いた。


「お互い、大きくなったワね……ワタシの場合、作為的に大きくなったというところもあるけど……」

「セーイチ、聞くんじゃない!」

 ロニーは叫んだ。甲斐は御剣の中にある“トリガー”を引いて、彼の意識を呼び起こそうとしている。そうすることで、逆にロニーの方を身体から追いだそうというつもりだ。今肉体の所有権が彼に戻れば、さすがに勝ち目はない。御剣には、もう少し眠っていてもらわなければならない。

 だが、ロニーが動かすことができるのはほとんど口だけだった。依然身体の自由はきかない。膨張し続ける御剣の無意識を制御する術は、最早なかった。手足はわなわなと震えるばかり。紅蓮の髪は、秋の訪れと共に大木の枝葉が枯れていくかのように、先端から徐々に黒く変色していった。顔つきも体格も、ひと目では分からないようにゆっくりと、しかし確実に変化していた。

 甲斐が言う。


「だけど、ドレほどの時を隔てヨうと、変わらないモノがあル」

「セーイチ!」

 この叫びをあげているのは、最早御剣の肉体を借りたロニーなのか、存在を持たぬ思念体としてのロニーなのか、分からなかった。しかし少なくとも、彼女の意志ではもう、肉体はぴくりとも動かなくなった。

 それでもまだ、彼女の意思は、肉体の奥底に宿った御剣の魂と半ば溶け込んでいた。身体の半分に染み付いた彼の意識の内から、あらゆる感情が沸き起こるように感じられた。

 怒りと哀切、憎悪の念だけでも、自分自身に対するもの、彼が“敵”だと考える“あの者達”に対するもの、なにより、このような形になってしまった世界そのものに対するものがあった。

 それらの感情の全ての根幹にあるのが、ある記憶だった。喜びも慈しみも、絶望からも細い糸が伸び、それは一つ残らずその記憶に繋がっていた。

 落ちる寸前の線香花火のような微かな光の中に、その記憶を形作る一人の少女の姿が見えた。


「……」

 ロニーは、何も言えなくなった。

「黙れ……」

 消え入りそうな声でそう呻いたのは、御剣だった。大剣を握る右手が、微かに震えている。それは、大量の出血と疲労から来るものなどではなかった。

 甲斐は、黙る気配すらも見せない。

「彼女よ……彼女は今も、貴方ノ心の中で、まったく変わらナイ顔をし続けている。ソリャアそうよね、未来も、今もナケレば、過去に眼を向けるしかない」

「黙れ」

 右手だけではない。声も震えていた。

「いや、でも実際のトコロは、ワタシ達が彼女の今の姿ヲ知らないだけかも知レナイ。本当は彼女は……」


「黙れ……」

 振り絞るように呻く御剣。その身体を、ロニーが両腕で包み込むようにした。抱きつくのではない、身体に触れてはいない。ただ彼の身体に手を回して、囲んでいるだけだ。


「しょうがない……分かった、しょうがないよねぇ」

 もう、御剣を止めるつもりもなかった。彼の気持ちはよく分かっていたし、こうやって、手で触れなくても感じることができるこの見えざる力を、彼女は気に入っていた。これが、御剣の生命を燃え上がらせる燃料だ。

 決して真っ当で、生産的で、建設的な力ではない。むしろ破滅的だ。だが、その破滅的な色に魅入られて、ロニーは御剣に《因子ファクト》としての力を貸すことを決めた。この力の行き着く先の破滅を見てみたかった。

 七年前のあの日から。


 彼女は、震える御剣の耳元で言った。

「分かった……セーイチ、貴方のやりたいようにやれ。今はそれが、全て正しい。その怒りも悲しみも憎しみも、全部私が認めてやる。 御剣 セーイチ。今はただ、己に従えばいい」


「彼女は、今も地獄で苦しんでイルノかもしれない。見てミタイものね、引きつった顔デ泣き叫ぶその姿。御剣、貴方ニも是非とも見せてやりたいワ……バカな女に、バカな男だ。フフフ」




 甲斐が含み笑いを漏らしたその瞬間には、彼女の左肩の付け根から腹にかけてを、巨大な刃がえぐり取っていた。甲斐のすぐ目の前には、先ほどまで死に体だった御剣がいた。その両手が握る大剣こそが、甲斐の身体に食い込んでいる刃の正体だった。

「……」

 初めての反応だった。甲斐は僅かに眼を見開いて、糸が切れたように俯き、固まっている彼の姿を見下ろしていた。


「もういい、分かった……黙らなくていい、好きなだけくっちゃべって、口からクソを垂れ流してろ」

 静寂の中で突然生まれた小さな“音”という“因子”の粒のように、御剣は言った。

 その“因子”は、目に見えない、あまりに小さなものだった。だが、宇宙の始まりも同じだった、始めは小さな、物とすら呼べないようなちっぽけな“偶然”の“因子”だった。それが突如として膨張し、無限に広がる世界を生み出すようになった。

 この“音”も同じだった。粉ですらないような小さな粒には、全てをかき消す轟音となりうるものが詰まっていた。


「その代わり……死ね」

 もう一度呟く。


 その次に、引きつり歪んだ顔を上げた時、その小さな“因子”の粒は爆裂し、どこまでも拡大する音響のビッグバンと化した。


「私が力を貸す! 行けッ!!」

「死ィねええええ《先導会》がああああァァァァァァァァッ!!」


「……フン」

 こちらの身体を切り裂いた大剣の動きが見えなかったのは想定外だったが、この鬼気迫る咆哮にも、甲斐は眉一つ動かさなかった。

 展開自体はおおむね予定通りだ。御剣の記憶を抉り出し、彼の怒りを喚起する。そうして強制的に、肉体の所有権を御剣へと移すのだ。そうすれば、《因子人》ではないただの人間、戦闘力はロニーに比べて格段に落ちる。それこそ、赤子の手を捻るどころか、卵の中の、形すらできていないひよこを殺すぐらい楽に仕留められる。

 大剣が身体に食い込んでいるのは逆に好都合だった。

「捉えタ」

 腹部からいくつもの鉄の鉤爪が現れ、大剣の刃をガッシリと押さえ込んだ。さすがに刃に直に喰い込むことはできないが、思いっきり引っ張ろうともすぐには抜けないだろう。少なくとも、甲斐が攻撃する前に引き抜くことはできない。


 そしてすでに、左腕で猛然と回転する鋸歯が、人間のものとは思えない形相の御剣の頭目掛けて振りぬかれていた。大剣の刃で防御することはできない。手放して距離を取ろうとすれば、右腕に展開したディメンジョン・バスターで致命傷を加えるだけだ。

 今回ばかりは、これまで繰り返し出現してきたイレギュラーのような事態は起こらない。100%、勝てる。


 はずだった。


 御剣の右手がライディーン・ザンバーを止めようと、その刃を掴んだ。

 何を馬鹿なことを。高速回転している上に熱量をまとっている刃に触れれば、いくら《保有者ホルダー》であろうと、人間の手など豆乳にできる膜より簡単に破れて裂けるだけだ。

 現に、凄まじい勢いで血が吹き出し、高熱であぶられて真っ赤な煙となった飛散していた。このまま手のひらから前腕まで一気に切断し、頭部を真っ二つに割り裂いて、MRIで撮影したような脳の断面をこの眼で見……


 れない。御剣の手が切れない。勢い良く鮮血の煙は吹き出しているが、彼の右手は完全にライディーン・ザンバーを食い止めていた。


「ぬううううぅぅぅぅぅぅあああッ!!」

 肉を切っている割には過剰なまでに激しい金属音が鳴り響いている。何かがおかしい。

 むしろ、削れているのはライディーン・ザンバーの鋸歯の方だ。あり得ないことだが、御剣の皮膚に“負けた”金属がみるみる欠けていき、切れ味を失いつつあった。

 ネジを強引に回そうとすれば、ヘッドの部分にある溝が徐々に欠けていき、ついにはただの丸い穴となって、まったく回せなくなる。

 それと同じことが起ころうとしていた。刃が平らに摩耗し、ただ空回りするだけになりつつある。先ほどまで勢いのあった血の煙も、見えなくなっている。


「イレギュラー……」

 甲斐は、ただそうとだけ呟いた。“異常事態イレギュラー”が起こったとだけ。優れたコンピューターであろうと、自身では対処のしようのないエラーが発生した場合には、こう言うしかない。

 『エラーが発生した』と、ただそうとだけ言い残して、対応することを放棄するのだ。

 完全に想定外の事態が発生していた。

「……ッ」

 訳がわからないが、とにかく御剣を殺らなければならない。

 右腕のディメンジョン・バスターの砲身を、彼の腹部へと押し付ける。最大出力で発射すれば、このまま胴体がほぼまるごと消し飛ぶだろう。

「発射」

 そう呟いて、見えざるトリガーを引く。だが、御剣の身体には何も起こらなかった。胴体どころか腹部にも、先ほどの爆発による風穴が空いている以外には、何もない。

 ただ代わりに、ディメンジョン・バスターの砲口に押し付けられた御剣の左手は、真っ黒に炭化していた。


「……?」

 補助脳がショートしてしまいそうだった。まさか、この手で全てを焼きつくす熱量の弾丸を防いだというのか。ありえない。そもそも防御した左手ごと全て吹き飛ぶのが普通だ。


 だが、現実は確かに目の前に存在していた。それを否定しようとすること自体が、今この時においては生きることの放棄のようなものだった。



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