Session.14 Death Machine Part.6
こんな単純極まりない小細工。事前にあると分かっていれば、こうやって出し抜かれることもなかった。だが、世の中の全ては結果だ。
食いしばった歯の隙間から鮮血を滴らせる柳沢がやるべきことは、敵に対する軽蔑か、不意打ちであろうとまんまとしてやられた自分に対する嫌悪か。
違う。そのどちらでもない。まだ、チャンスは潰えたわけではないのだ。むしろ、今この瞬間こそが、またとない好機だ。敵の腕が、我が身に突き刺さっている今こそが。
「卑怯ッ、者……が! ただでは……やられない、から、なァァ……ッ!!」
途切れ途切れに呻きながら、柳沢は左胸に突き刺さるライディーン・ザンバーの刃を、左手で掴んだ。抜き取られて逃げられないように、側面からむき出しになっている腕を押さえる。これで敵は、もう離れることはできない。
「ン?」
甲斐がこちらの最後の抵抗に気がついたのと、握りしめられた右拳が彼女の腹目掛けて繰り出されるのは同時だった。
互いの距離がほぼゼロになったということは、柳沢も甲斐の攻撃を受ける危険があるということだ。間髪入れる暇はなかった。左腕のライディーン・ザンバーが振りぬかれるよりも早く、拳を叩き込む。せめて一撃、せめて一矢報いるために。
だが、柳沢のその覚悟に応える神はいなかった。なるべくしてそうなる“運命”に対しては、偶然だとか幸運というものは何の意味もない。彼のこの身を挺したカウンターは、元から通じることなどあり得なかったのだ。
渾身の拳が、虚しく空を切った。甲斐の姿は、またしても目の前から消え去った。
「……何ッ!!」
そんな馬鹿な。確かに奴の腕を掴んで、動きを封じたはず。逃げられるはずがない。
自ら腕を切り離しでもしない限りは。
柳沢には、致命的に不利な条件があった。
甲斐の《因子》の正体を知らないということだ。ロニーから伝えてもらう余裕もなかった。
彼女にとっては、腕一本など――肉体など単なる部品に過ぎないということを、把握していなかったことだ。
“その通り”だった。まさしく甲斐は、自らの右腕を切り離していたのだ。柳沢の左手には、確かに皮膚の感触があった。腕を眼前にかざして見ると、そこから垂れ下がる、ライディーン・ザンバーを装着したままの甲斐の腕も見えた。
しかしその断面は、明らかに生身のそれではない。
機械だ。
「そういう……ことか……」
柳沢の拘束から逃れた甲斐は、先ほどと同じように急速旋回しつつこちらに接近しようとしている。屋上に逃したロニーを追う様子はない。同じレベルの傷を負わせた以上、まずは目先にいる柳沢を仕留めてから、ゆっくりとロニーに止めを刺すつもりなのだろう。
「……ッ!」
柳沢はまだ、諦めはしなかった。不屈であること。それが、不器用なままに生きてきた自分が、御剣やロニーのためにしてやれる唯一の礼儀であると、信じていた。だからこそ……
「ふぬ!」
大げさな唸り声をあげて、掴んでいた甲斐の腕を放り捨てる。
「うおおおぉぉぉぉ!!!」
そうして、力強く身構え、雄叫びを上げた。生命を震わせることで、痛みも手足の痺れも、死ぬかもしれないという恐怖も、全て消し去ろうとした。それができているか否かはもう関係ない。やらなければならない。
甲斐の姿は、瞬く間に目の前にまで迫ってくる。何がなんでも――こちらとて腕の一本や二本を失おうとも、ヤツの力を削ぐ。いずれ駆けつけるであろう阿頼耶や星原でも、倒しきれるほどに。
再び、二人の身体が交錯するその瞬間だった。柳沢はまたしても、ある致命的なミスをおかしていることに気づいた。だがそれは、前もって気づいていたとしても、到底フォローのしようがないものだった。
今しがた投げ捨てた機械の腕には、加速用のブースターが装着されていた。それは、自動砲台を変形させたものだった。
左わき腹から右肩にかけてを、真紅の閃光が貫いた。心臓に命中しなかったのは、咄嗟に柳沢が身を翻したからということもあるが、ほとんど奇跡のようなものだった。もっとも、身を引いたことにより、照射されたレーザーが張り巡らされたピアノ線となってそのまま肋骨数本と胸骨、および腹部の臓器を溶断しながら胸を切り裂いたダメージの方が、心臓にちょっぴり穴が空くよりも深刻なのかもしれない。
「カ……ッ」
『しまった』、と呻く暇さえなかった。
続けざまに突きつけられたライディーン・ザンバーの突きが右胸に突き刺さり、さらに肋骨をバラバラに断ち切りながら、肺をえぐり取って背中を突き破った。
「ブグ……ッ!!」
吐き出された大量の血が甲斐の顔に降りかかる。左眼窩に取り付けられたカメラのレンズが、真っ赤に染まった。
一瞬の静止。柳沢の肩に寄り添うような形になった甲斐。その左眼――暗殺用の隠し武器と一体化した義眼にへばりついていた血が、吹き散らされる灰となって蒸発した。熱量が光となって、血を消したのだ。
霧散する血の奥で揺らめく光。それは、暗闇の中で閉ざされた瞼が開き、その奥の眼光が晒されるような不気味さがあった。
刃を抜き取りつつ、柳沢から身体を離す甲斐。
左右の胸から滝のように血を流し、ふらふらと宙を千鳥足でよろめく柳沢。まだ、空中に足場を作ることはできるようだ。が、それが逆に甲斐にとっては都合がよかった。
このまま首を切り飛ばすのが楽だからだ。
「トドメ……」
ライディーン・ザンバーを構え、横薙ぎに振りぬく。最早意識も朦朧としている柳沢では、これをかわすことはできない。まずは一人……
が、そうそう上手くいくわけでもないと、彼女は想定していた。何事も、悪い方向へと推移していくパターンというのは考えておくべきだ。
敵は決して、ロニーと柳沢の二人ではないのだから。
振りぬかれた刃が、何かに食い止められた。
銀色に輝く半月形の刃。そこから繋がっているのは、人の身の丈ほどの長大な柄と、それを握る漆黒のボロ布を纏った女。その後ろからは、もう一人の小生意気そうな女の顔が覗いている。
霧島 阿頼耶と星原 遥。柳沢と同じく、御剣に協力する《保有者》だ。
「一足どころ……じゃない」
「フルマラソンぐらい遅れちゃった! こりゃマズいわァー!」
二人の《因子》も、甲斐は把握している。身体を原子レベルで分解できる能力と、強力なサイコキネシス及び素粒子レベルの空間圧縮。
甲斐の扱う武器ならば、原子であろうとそれを構成する陽子や電子を崩壊させることで破壊できる。阿頼耶の持つ大鎌とてこのまま断ち切ることもできるはずだったのだが、何故かできなかった。
ライディーン・ザンバーがまとった、《魔導型》にそれに相当するエネルギーによる高熱が、何かに押しのけられている。
サイコキネシスだ。鎌の刃にキネシスを上乗せすることで、熱量から保護しつつ、回転する鋸歯だけを抑えている。金属が幾度となくこすれ合う騒々しい金切り音が鳴り響いているが、鎌が切断される様子はなかった。
「……」
勢い良く火花が飛び散っているが、これはおそらくライディーン・ザンバーの刃のものだろう。鎌の方はおそらく欠けてはいない。欠けて火花になる前に原子レベルに分解しつつ、再び刃に戻っていくからだ。半永久的に形状が維持される刃。
モーセの手によって割り裂かれようともいずれは元の姿に戻る、海さながらだ。
阿頼耶を静かに見据える甲斐の視線と、彼女の視線が重なりある。
その間に、星原は抜かりなく動いていた。
「こっち来な。安全地帯に連れてったげるよ」
そう呼びかけながら、血まみれの柳沢の身体に触れる。次の瞬間、彼の身体が何かに吸い込まれるように一瞬にして小さくなり、やがて見えなくなった。
素粒子レベルにまで圧縮された空間へと、彼の身を隠したのだ。そこは外部からのありとあらゆる干渉を拒絶する絶対的な空間である。物理的にも科学的にもだ。そこならば、これ以上彼が深手を負うことはないはずだ。本当ならば傷の治療が出来るような場所に連れていってやりたいのだが、贅沢は言っていられない。《Aランク騎士型》の生命力を信じて、今はとにかく安静にしてもらおう。
さて、次は……
星原は周囲をせわしなく見渡して、屋上にて、血の池の中で横たわるロニーの姿を見つけた。柳沢よりかはマシだが、という程度の負傷だ。死んではいないだろうが、まともに戦える状態ではないことはひと目見れば分かる。
一歩どころか、フルマラソンですらない。世界一周分は遅れてしまった。彼女があんな有り様ということは、御剣ももう戦えないということである。実質こちらの戦力は、肉体的な強さに関しては正直期待のしようがない阿頼耶と、自分自身戦闘においてはまったくアドバンテージがないと自負する星原の二人だ――佐原を頭数に入れなければ。
敵の戦闘力は、今しがた柳沢の身体を貫いた一撃でよく分かった。二人では勝ち目がない。
選択は一つだった。ネガティブな方向への判断だったら、星原は誰よりも優れていた。
「御剣くんも逃がす。陰気なモクモク女の阿頼耶さん、後であんたも逃がしたげるから、何とかあたしを守ってよォー!」
「了解……した」
その声と同時に、ライディーン・ザンバーを防いでいた阿頼耶が身体を分解、黒い霧となって四方へと飛散した。星原はキネシスを全力で発動して、物理的な意味での“急転直下”。フルスピードで屋上のロニーへと向かって飛んだ。
当然ながら、甲斐がそれを黙って見過ごすわけがなかった。彼女はそもそも、御剣を抹殺するために、一般生徒の尊い犠牲も厭わず攻撃を仕掛けたのだ。彼をどこかに隠されてしまっては、目的が達成できない。
すぐさま脚部のブースターを噴射、星原を追撃する。いくら強力なサイコキネシスを使っていようと、最大加速においては甲斐の方が圧倒的に上、追いつくことは簡単だ。閃光のごとく飛び立とうとした、その瞬間だった。
首元に、怪しく輝く銀色の刃が添えてあった。
「……ッ」
このまま加速していれば、さすがに危なかった。加速に乗った分いとも容易く首が取れ、一時的とは言え視覚、および思考能力が駄目になるところだった。
咄嗟に身を捩り、足を前に出しつつ逆噴射。星原を追うための推力の全てが、逆に遠ざかるためのものになった。
なまじ速い分小回りがきかないという欠点を露呈するかのように、その場から不必要な距離まで一気に離脱する甲斐。その眼は、広範に立ち込める薄い霧の中から覗く、顔と腕と、ちょうどそれらが隠れるだけの小さなボロ布、そして鎌だけになった阿頼耶の姿を見た。
聞こえているかどうかは分からないが――というか、おそらく聞こえないであろう囁くような声で、彼女は言った。
「全ての原子を結合させた姿は……ひとつに決まっている。だけど、“一部”を形作るために組み合わせる原子に決まりはない。AとBをくっつけても、CとDをくっつけても……同じものを、作れる。頭だろうが、鎌の刃だろうが……」
再び逆噴射をかけ、急停止する甲斐。阿頼耶の声はやはり聞こえないが、その唇の動きから、話している内容を解析する。無数のデータと思考プログラムがあれば、読心術も単なる作業だ。
「見えるでしょう。この霧が……この全てが、貴方の生命を刈り取る収穫者だと、思え」
「……」
「ははっ! 下手に突っ込めば、どこから斬られるか分からないってか? 斬撃式毒霧スペシャルとでも言うべきかァーっ!」
星原の野次るような声が聞える。
分身した阿頼耶が形成する霧は、すでに移動する星原のすぐ近くにまで張り巡らされており、かなり大きく迂回しなければ彼女に接近することができない。下手に霧の中を突っ切ろうとすれば、先ほどのようにどこからともなく現れた鎌にやられてしまう。長い刃をパキパキと折れるカッターナイフのようにいくつにも分割してバラバラの位置に形成すれば、簡易的な刃の結界の出来上がりだ。
なるほど、足止めの手段としては中々優秀だ。
だが、
「オロカナ……」
甲斐としては、ほくそ笑まずにはいられなかった。
先ほどの柳沢とまったく同じだ。根本的な情報不足。相手の能力を把握しきっていない状態での、手探りの下策。所詮はその程度だった。
甲斐の片腕がないこと。腕がないはずなのに出血がまったくないこと。それを訝しむまではいい。だが、その理由を考えないまま――取れた腕がどこにいったのかを考えないまま、安易な行動を取ったのは決定的なミスだ。
ロニーの方へと直進する星原。だが、ふと彼女は、右から何かが近づいているのに気がついた。
「え、なにっ?」
強烈な光を噴射しながら、高速回転する円錐形の物体。その形状は、星原にもよく見覚えがあったし、それが俗に“男のロマン”だとか呼ばれていることも知っていた。
“ドリル”だ。腕ほどの大きさのドリルが、こちら目掛けて真っ直ぐに迫っていた。
「“螺旋鉄鋼拳”」
柳沢に拘束された時に分離させた右腕は、投げ捨てられた後も、いざという時のためにやや離れた場所に待機させていた。今、そのいざという時が来た。
肘に装着されていたブースターを、腕の金属まで使って巨大化させつつ、腕全体の形状を変化、螺旋形の先端部を持つドリルとした。
おそらく、星原の使うサイコキネシスは、ディメンジョン・バスターの火力をも弾くことができる。物理的な衝撃力を持たなければ、薄い膜を突破することができないのだ。ならば、その物理的な衝撃力とやらに特化させればいい。
螺旋状の回転による掘削力と、ブースターの加速による瞬間的な圧力。これならば、キネシスのバリアも一瞬で貫通することができる。
星原が気づいた時には、もう回避は不可能な状態だった。すでに、ドリルの先端部はバリアに触れている。瞬きしている間に、一気に突き破られ顔面に直撃するだろう。頭蓋骨など豆腐のようにえぐられ、脳漿をまき散らし即死だ。
ロニーの元へは、あともう少しでたどり着く。運良く、奇跡でも起こってこのドリルを回避することができれば、彼女の身体に触れ、圧縮空間に逃がすことができる。
だが、人間はほとんどの場合、自分の身が可愛いものだ。自分の生命と他者の生命を測りにかければ、天秤を倒してしまうほどだ。バランス以前の問題で、比べるための土俵にすら立てはしない。
星原には最早迷う時間もロニーと御剣に対する申し訳なさを感じる時間もなかった。
「こわいっ!!」
それだけ言い残して、彼女は自らを圧縮空間へと隠した。極小のブラックホールへと吸い込まれていく彼女の頭上を、ドリルが通過していく。
かろうじて彼女は、圧縮空間の中に逃れることができた。しかし、結果的にロニーを見捨てる形になってしまった。
そのことに星原が悔恨を感じるかどうかはともかくとして、この事態に最も狼狽したのは阿頼耶だった。霧となってしまっては、その表情を伺うことはできないが。
星原との二人がかりであろうと、あの《因子人》に勝つことなど到底不可能だった。だからこそ、御剣とロニーを安全な場所に退避させてから、自らと星原も圧縮空間へと逃れ、事態を察知した生徒会なりなんなりがほとぼりを冷ましてくれるまで、何ヶ月だろうが待つつもりだった。
肺が切断されるような重傷でも、圧縮空間で絶対安静していれば、死にはしないだろうという確信もあった。
だが、今この瞬間、その算段は全て水泡と帰した。今この場に残っているのは、ロニーと御剣、そして自分。戦える者に至っては……
今、バラバラになった原子が集まって喉を形成していれば、生唾を飲み下しているはずだった。




