Session.14 Death Machine Part.3
そのまま屋上ごと、頭蓋骨を突き破らんばかりに拳を押し付ける。
「どうだオラァァ……!!」
頭蓋骨、とまではいかないが、人差し指で親指を握り関節を突き出したスレッジハンマーのごとき拳――“一本拳”による一撃は、甲斐の眼球を潰し、さらにその先、脳にまで達していた。前頭葉が少しだけ変形する感触があった。まず無事では済まない。もし死んだとしても、『そりゃそうだ』と思える状態だ。
が、それで一向に構わなかった。元々こいつを生かしておくつもりなど無い。十中八九――否、十中十二三、甲斐は《因子人》だ。ヤツらを生かす理由も道理もない。そしてこの女は、無関係な生徒達を大勢巻き込んだ。《因子》の正体を知っている御剣が、ここで彼女を容赦なく抹殺しないことこそ、問題であるし罪であると言える。ブチ殺すことに罪はない。人道的にも、法律的にもだ。《保有者》同士の戦闘においては、やむを得ない理由があれば相手の死も許される。今、御剣を理論的に止めることができるものは何一つ存在しない。
ゆっくりと拳を引き抜きつつ立ち上がる。指の間に神経でもからまったのか、粘性と生温さのある赤黒い液体の染まった指に、潰れた眼球が張り付いていた。手を勢い良く一振りすることで、それを海水浴中に張り付いたゴミか何かのように払いのける。数m離れた地面に、説明されなければそれと分からない形になった眼球がへばり付いた。それをしばらく眺める御剣。
《因子人》の死体は時間が経てば消滅する。白目を剥いてビクビクと四肢を痙攣させる甲斐“本体”はまだギリギリ生きているだろうが、その身体から引きずり出された眼は生物的に死んでいる。すぐにでも霧散し始めるだろう。
だが……そうはならなかった。
十秒以上は待ったはずだが、眼球は依然その形を保っている。分解される気配すらない。
どういうことだこれは。まさか、甲斐は《因子人》ではない――普通の《保有者》ということなのか?
「……ロニー」
許すまじ敵を仕留めたことでようやく落ち着いてきた御剣は、傍にいたロニーに聞く。彼女はただ短く、
「間違いはないよ」と応えた。
この『間違いはない』というのは、“まさか”に対してではなく、甲斐が《因子人》であるということに対してだ。
同じ《因子人》である彼女が、同胞――ロニー本人はそういう括りにされるのは嫌だった――の気配というのを感じていた。だからこそ御剣とて、容赦なく叩きのめすことができたのだ。
だが、こうやって会話するだけの時間を過ぎても、まだ眼球は消滅する様子はない。
「……」
不可解な事態だ。例えば《因子人》本来の肉体ではなく、元の宿主の肉体をそのまま支配して使ったとしても、殺せば消滅するのは同じだ。ならこれはどういうことだ?
甲斐本人としての《因子》は別に存在し、この肉体は唯の――“端末”だとでもいうのだろうか?
唐突にそんな推論が頭の中で沸き起こった、その瞬間だった。
ふともう一度、足元に横たわる甲斐を見る。
すでに四肢の痙攣は止まっていた。その身体はピクリとも動かない。
死んだ、のか。
いや、違う。
突然、白くなっていた右眼球がぎょろりと回転し、その瞳孔をこちらに向けた。
まだ生きている。
「こいつ……ッ!」
驚愕しながらも咄嗟に対応することができたのは、御剣の《Aランク保有者》としての反射神経と、敵に対する疑惑によるものか。
まだ彼女の胸元に刺さっていた大剣を引き抜き、刃を下に向けたまま高々と掲げた。そのまま首元へと突き立て、頭と身体を寸断するつもりだ。
幸運にも脳へのダメージが少なかったのか、あるいは脳がちょっぴり崩れても生きていられるようにできているのか。どちらでも構わない。だったら、その脳自体がなくなってしまえばいいのだ。頭が切り離されれば、さすがに身体も動くことはできまい。そうやってまず完全に動きを止めた後、細胞レベルで動いても無意味なように、このサイボーグじみた気色悪い身体を粉々に粉砕してやる。
だが、掲げた大剣を突き下ろそうとしたその瞬間だった。
鋭敏に研ぎ澄まされた神経が、突如として四方八方より飛来する殺気を感知した。
「うぅ!?」
大剣による攻撃をやめ、瞬時に後ろへ飛び退く。その直後――《Aランク》の反応速度をもってしても『直後』と形容される時間の後、定規で引いたような真っ赤な線が彼の視界の中を数本過ぎった。
それは、一本一本が千℃単位の熱量を持つレーザービームだった。合計六本。それぞれの光線は、仮に御剣がその場に居続けたとしたら、後頭部やや右上側、心臓、両足のアキレス腱、両肩甲骨及び鎖骨を貫いていただろう。
収束された熱量は、火傷どころか、簡単に身体を貫通すると思われる。一歩間違えば即死してもおかしくない攻撃だったが、御剣はうろたえる前にまず、この光線の出処を探るために、周囲に眼を配った。
六基。レーザービームと同じ本数の、小型の人工衛星のような形の物体が宙に浮いていた。何か、ロボットアニメでこういうものをよく見る気がする。自動的に敵へと接近し、不規則な位置から攻撃を加える自動砲台。
それだ。それと同じものが、御剣の周囲を飛び回っていた。
サイボーグどころではない。これでは戦闘メカではないか。何者なのだこの女は。
眼を見開き、口を半開きにした間抜けな顔で、浮遊する自動砲台の群れを眺める御剣だったが、今度は倒れていた甲斐がゆっくりと起き上がっているのに気づいた。
背を丸め、腕を力なく垂らした姿勢。左の眼窩からは、血とも脳漿とも分からないものを垂れ流し、残った右眼をどこともいえない虚空へと虚ろに向けている。その姿は、さながらゾンビ――生きた人間の姿ではなかった。
その、片言どころでない不気味な声にもまた、生気を感じられなかった。
「左眼球、及ビ、左側、ノ、大脳皮質、前頭葉、ヲ、損傷。コレ、ヨリ、第二補助脳ニ、ヨル、機能、修復、ヲ、開始、スル」
まさしく機械そのものの声だ。一昔前のSFアニメに出てくる、人工知能を搭載したお助けロボットの口調だった。声色自体は、確かに肺から吐き出された空気が声帯を震わせるそれのはずなのに。
よく分からない台詞を吐いた彼女は次に、変形していない左手で、空洞になった左眼窩を押さえ込んだ。
何か、金属が加工されるような慌ただしい音が鳴り響いた。削れる音、ぶつかり合い圧縮される音、はめ込まれるような音。
ヤツは何かをしている。それを食い止めなければならないと御剣は思ったが、下手に突っ込んでも、この周囲を浮遊している自動砲台の一斉射撃を喰らうだけだ。それを警戒して、どうしても動くことができなかった。
やがて、無数に鳴り響く多種多様な金属音は止み。甲斐は左手を顔から離した。
そこには、失われた右眼に取って代わるように、眼窩全体を覆うカメラのレンズのような物体が取り付けられていた。歪曲した透明のレンズが光を反射して怪しく輝く。その光は巨大な眼球を思わせ、本来の人間の眼球のサイズを三倍近く上回るその見た目は、異様だった。
まさかあれに、眼の代わりをさせようというのか? 馬鹿げてる。カメラを顔に取り付けてそれで眼になるわけがない。眼は何もガラスの球のひとつだけで機能しているのではない。神経だってあるのだ。映像を脳へと伝達するケーブルがなければ、眼などただの飾りにすぎない。
だが、もしその神経すらも形成されているとしたら?
今更の話だが御剣は確信した。
甲斐の《因子》は、金属を自在に加工し、望む通りの構造にできる。エネルギーを収束させ発射する砲門にも、鋭利な刃にも、そして、周囲の映像を取り込み、それを人工的な神経により脳にまで伝達する“義眼”をも……
ひどい猫背になっていた甲斐が、そのややクセのある長髪を揺らめかせながら、背筋を伸ばした。そこには、一切のダメージはないように見えた。今もなお義眼の周囲には、先ほどまで垂れ流されていた血と脳漿が混じった泥がへばりついているというのに。
眼すらも人工的に作ることができる。だとしたら、まさか“脳”までも?
彼女は先ほど、『第二補助脳』とかいう得体の知れない言葉を使っていた。一体何だと思っていたが、もしその名前通りの物体だとするならば……
さすがの御剣も、肝が冷える思いというのを経験することになった。
直腸から一気に今で氷水を流し込まれるような気分の悪さだ。吐きそうになる。
甲斐 雛世。こいつはこれまでの有象無象の《因子人》とは違う。この女は、何かが異質だった。
あやめ達が柳沢と星原に連絡を入れたのが、このタイミングだった。
彼らがこちらに向かっているということ自体、御剣は知らない。
勝てるのか?
そんな疑念が脳裏を過る。あるいは、『生き残れるのか』と言い直した方がいいかもしれない。
だが、御剣はこの問いに対する応えを探そうとしなかった。“可”であろうと“不可”であろうと、一度敵と対峙したのであれば、逃げることなく最後まで戦わなければならない。
死ぬかもしれない、などという予感は、《因子人》共と戦うことを決意した時から、常にこの身の隣にあった。
「……上等だ」
大剣を寝かせるように横に向けつつ、両の足でしっかりと地面を踏みしめ身構える御剣。
その姿を蔑視しながら、甲斐が嘲るように言う。
「さっき、もう笑わせないと言っていたわね……フフフッ」
彼女はせせら笑った。こちらを小馬鹿にした嘲笑だった。そして同時に、その眼は一切笑っていない。侮蔑も滑稽さもない。あのようなことを口にしつつも、その実彼女は何も感じていない。
この台詞はただ、こちらの神経を逆撫でして、冷静な判断力を削ぎ落とすためのものだろう。彼女のやることなす事、全ては打算と策略だ。
だが、その手には乗らなかった。
今御剣がするべきは敵へと接近することではない。
例の自動砲台からの攻撃を回避しつつ、対処法を考えることだ。
空中を、小刻みに軌道を変えつつジグザグに飛行する六基の自動砲台が、再度御剣を取り囲み、レーザーを照射する。右に飛び退くことでそれを回避するが、今度は一斉射ではなく、時間差を置いての“偏差射撃”に切り替えてきた。レーザーが照射される間隔がわずかにずれており、そのわずかな時間で射線を変更、御剣の動きを予測し微調整される。
サソリの尻尾の関節が千本に増え、長さが2mになったかのような執拗さで、絶え間なくレーザーが撃ちだされる。
大きな動きで回避すれば、その後の制動の隙を狙われてしまう。もっと小さく、細かい動きで偏差射撃をかく乱しなければならない。
二発目の攻撃も寸でのところで回避しながら、御剣は呻く。
「ぬぅぅ……ッ!」
だが、次の瞬間、猛烈な勢いで地面を蹴って飛び退き、紙一重のところで三発目のレーザーを回避する。同時に、次なるレーザーが照射されるタイミングで急ブレーキをかけ、動きを止める。御剣の目の前を、真紅の光線が通過した。さらにその次なるレーザーが放たれると同時に、再び地面を蹴って別方向へ飛び退く。
絶え間なく不規則に動きまわることで、常時修正、予測される連続攻撃に対応しようというのだ。そしてそれは、失敗しているわけではないようだった。確かに彼は、曲芸飛行する最新鋭戦闘機だろうと射的の的のように撃ち落とせるであろうレーザーの連続照射を、尽く回避していた。
人間離れした反応速度と筋肉を制御する術がなければ不可能な動きだ。脳から筋肉繊維へ、あるいはその逆方向へと電気信号が到達する時間が、人間の十倍――あるいはそれ以上速くなければ不可能である。
だが、御剣はそもそも人間離れしているのだ。これほどの動きであっても、決して無理なものではなかった。
「あああぁぁぁぁ鬱陶ォしいィィーーーーッ!!」
音速を遥かに超え、光の速さにすら達せんという勢いで動きまわる御剣。
その動きは、無数の“残滓”を、甲斐の視覚に残していた。彼の姿がいくつにも分かれているように、彼女は錯覚した。
レーザー光が御剣の肉体に直撃するが、彼には何もダメージがないようだった。そもそも、ダメージを受ける受けないではない。実際のところ彼はそこにはいなかったのだ。ただ、姿があるだけで実体はない。レーザー光を受けた御剣の隣には、別の御剣がいた。さらにその隣にも、あるいは前に、後ろに、時には上に。
残像による分身だ。特殊な業ではなく、速度による分身。今では忍者漫画でだってこんなことをするヤツはいない。
何故なら、長い年月を経て、よりインテリな方向へと進化した漫画文化に触れて育った少年達からすれば、分身出来るほど速く動けるなら、その速さでタックルすれば勝負が決まるじゃないか、というもっともな意見が自然と出てくるからだ。
なら例えば、“それ”を実際にやってしまえば、その少年達は黙りこむのだろうか?
超高速移動により自動砲台をかく乱する。甲斐が念動力じみた力で操作しているのか、はたまた完全に電子制御されているのかは分からないが、分身に惑わされて徐々に偏差射撃の制度が落ちていく。ついにはまったく見当違いなところにレーザーが飛ぶようになった。
ここだ。彼はこのチャンスを逃しはしなかった。




