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Session.14 Death Machine Part.1


 ここ数日の間は、御剣の生命を狙おうとする者は現れなかった。

 この前柳沢と共に百体の《因子獣ビースト》を殺戮したおかげで、《因子ファクト》そのものの数も少なくなっているのだろう。夜中に彼が出張って、人々の生活を脅かす敵を仕留めるようなこともなかった。

 表面的に、ではあるが、あやめの眼に見える範囲では、世界は平和に見えた。


 こういう時になら、彼と落ち着いて話をすることもできる。

 昼休み。あやめと御剣は葦原高の中庭のベンチに、隣り合って座っていた。


 話しておくべきことはいくつかあるが、話をした所でそこに意義があるかどうかは定かではない。

 柳沢や阿頼耶、星原達と共に、《先導会》の尻尾を掴む前にまずはこの学園のどこかに潜んでいる、刺客達を送っている張本人――《先導会》の幹部だと名乗る“ターゲット”を探していた。だが、ある程度見当はついたといっても、数多くの《保有者ホルダー》の中からそいつを探りだすのは難しい。ただでさえ他人からずけずけと詮索されることを嫌うような者も多い上に、無関係の人間をたぶらかして自らは何もしないような奴というのは、正体を隠蔽する術も持っているものだ。

 そう簡単に見つけられるものではなかった。


 御剣には――彼を始めとする、《先導会》に対する疑念を持つ者達は、所詮は“レジスタンス”だ。その行動力は少ない。ましてや学生の身であれば尚更行動は制限されてくる。

 そして、レジスタンスというのは組織の全容が知られれば瞬く間に殲滅されるものだ。個々の繋がりというものを極限まで削るようにと、構成員同士で連絡を取り合う手段すらも限られていた。

 組織の中でも少数の連絡員達が各地を飛び回りながら、各構成員に秘密裏に情報を提供している。しかも、いくつかの“中継”を経てだ。連絡員から情報を伝えられた“中継点”から、さらに口頭で伝えられることで初めて情報が手に入る、という形になる。このような形にすれば、深い入りし過ぎた者がいたとしても、最悪そいつ“だけ”が危険を負うだけで済む。組織としての利便性を犠牲に、安全を確保しているのだ。

 その“中継点”の一人が、阿頼耶だった。もし組織の誰かが有用な情報を見つければ、彼女を通して御剣もそれを知ることができる。彼も所詮は、反逆者としては末端に位置するということだ。

 とはいえ、情報を伝達する機会が増えればそれだけ危険も大きくなる、連絡はできる限り少なくすべきとされ、必要がなければ基本的に連絡員が動くことはない。

 つまり、何もなければ連絡も来ないということだ。

 そして、今は何もなかった。

 そんな状況が、もう半年は続いていた。実質的に組織のトップと呼べる男――東 託朗から送られてきた援軍である阿頼耶が御剣の元に来たことを考えれば、半年ぶりの動きはあったということでもあるが。次の動きはいつ起こることやら……


 そんな事情を知らないあやめがする質問というものは、至極純粋なものであり、だからこそ核心をつくような内容だった。たまに彼女の口からついてでる言葉に、御剣はどぎまぎとしてしまうものだ。

「……ねぇ、ずっと聞いてみたいことだったんだけどさ」

「なんだ?」

 と聞き返す御剣に、ロニーが続いた。

「セーイチに応えられないことならあたしが代わりに応えたげるよォォ~ん」

「そう。御剣くんじゃなくて、ロニーにこそ聞きたいの」

「んえぇ、あたしに?」

「うん。どうしてロニーは《因子人ファクトリアン》なのに、人間を襲おうとしないの?」

 それにロニーは、特に考えもせずこう応えた。

「そりゃあ、あたしが“いい《因子人》”だからだよ。知ってんでしょうよぉ」

「じゃあ、その“いい《因子人》”ってのはどうして決まるの。《因子》って元々はあの《因子獣》みたいに、何考えてるのか分からないわけ分かんないものだったんでしょ。その……失礼な言い方になるけど、ロニーだって元はそのわけ分かんないモヤモヤぁ~っとした奴だったはずでしょ?」

「今だってわけ分かんねェ~! よな」と御剣。

「やかましわ……えー。どうしていい《因子人》なれたのかっていやぁ、そりゃあ、セーイチがそれだけいい人だったってことだよ」

「正直御剣くんより人間よくできた人なんてたくさんいるよ」とあやめ。

「オイ」

 御剣のつっこみは無視しつつ続ける。

「《因子》が宿主から知識とかを吸収して《因子人》になるってのは覚えてるよ。それならもしかしたら、善人の《因子》はいい《因子人》になるかもしれない。でも、もしそれが本当なら、ロニーみたいな《因子人》がもっと増えると思うし、《先導会》をやっつけることだってできるかもしれない」


 その意見には、御剣が返した。

「もしその説が正しいとしても、難しい話だ。いくらいい《因子人》が多くても、《先導会》に所属する悪い《因子人》の方が遥かに多い。ロニーの仲間が一万いたとすれば、向こうには十万はいると思っていい。真正面から戦争をおっぱじめれば、俺らなんてラッパの音を聞きながら七日で破滅だ。ヘタすりゃ世界ごとな。コワイコワイコワイ!」

「う……っ」

 あやめの顔が青ざめていく。

「まぁ、そうビビるなって。なんとかなるさ。というか、あやめは結局何が聞きたいんだ。話がよう見えんぜぇ」

「……ロニーはさ、御剣くんのこと好きそうだよね」

 突然の言葉にロニーは一瞬眼を点にしたが、すぐに気恥ずかしそうな笑みを浮かべて応えた。

「いやぁ~はははその通りですぅ~」

「それにもきっと、理由があるはずなのよ。私、それを知りたいって思うの」


 それを聞いた途端、御剣の顔にかげりが見えた。

 分かっている。彼は自分の過去について、こちらに明かそうとはしてくれない。だが、それでもあやめはそれを知りたかった。その一端だけでもいいから。

 当たり前の人間を目指していた頃の彼女は、極力人の心の奥底にまで踏み入ろうとはしなかった。だが今は――というより、御剣に対しては違う。

 御剣の過去については、どうしても知っておかなくてはならない、彼のことをもっと理解しなければならないという義務感のようなものがあった。

 知ってどうにかできるものではない。だが、すでに自分は、《因子》というものが生み出した異質な世界に足を踏み入れているのだ。その果てにあるものを、御剣と一緒に見たい。せめて、そこへと向かって進む彼のことを最後まで見守りたいと思っていた。

 その気持ちには、もうずっと前から気づいている。

 なればこそ、彼が心に秘めた何かを、少しでもいいから見たいのだ。


 とはいえ、それも勿論彼自身の意思次第だ。あくまでそれを尊重する。見せようとしないのなら、それでもいい。

 御剣は、俯き気味に苦笑いして応えた。

「それについては、もう何度か言ってるけどさぁ。言えない。言いたくないんだ」

「言えないようなことなの?」

「ん……言うのが少しばかり辛いことなんだ」


 彼のこの態度も、あやめが御剣の過去を知りたいという衝動に駆られる理由のひとつだった。いつも不敵で、殺し合いを楽しんでいる節すらある彼が、この時だけは心細そうな、弱々しい顔をする。それだけの過去があるということなのだ。そしてこの表情の奥にこそ、彼の本当の姿がある。


 今すぐでなくてもいい。だが、いつかそれを見せて欲しい。

 あやめは心の中で、その“いつか”がやってくることを願った。




 その時だった。

 気づいた時にはすでに“いた”。

 初めから、御剣達がここに座るよりも前にいたかのように、気が付いた時には、彼の隣にひとりの女子生徒が座っていた。気配すらも感じず突然存在を知ったものだから、御剣は思わず身震いして驚いた。

「うおッ? なんだあんたー?」

 その一見失礼でもある態度に、女子生徒はにこやかな顔を向けて応えた。

「甲斐 雛世。これが見えまスね?」

 と、制服の襟元を人差し指で指し示す。そこには、《特殊型保有者エクストラタイプ・ホルダー》の襟章が見えた。

 反射的に、御剣は彼女を警戒した。目に見えてその身体が強張る。さすがにここまで来ると、失礼以上に、相手に不快感を与えても仕方がない。が、御剣にはこうなるだけの理由はある。すでに三度、《保有者》の生徒に生命を狙われているのだから。

 幸運というか、甲斐と名乗った彼女は特に怪訝そうにする様子はなかった。

「そう身構えないで。いつぞや校門前で堂々と喧嘩を売ってきた誰かみたいな奴だと思ってるんでしょうけど、それはさすがに心外ですよ。別に何もしやしませんから」

「……」

 確かに、少なくともこちらとやり合うつもりはなさそうだと感じられた。感じられたというだけだが。

 それに、もし向こうがこちらを殺すつもりだったら、もっと早い段階から仕掛けられているはずだ。なんせ、気配を感じさせずすぐ隣に座ることさえできるのだ、不意打ちぐらい簡単だろう。あるいは、もともと殺気がないから気配も感じにくかっただけなのか。


 とりあえず、御剣は目に見えて身構えることはやめ、大人しくベンチに座り直すことにした。

 と、甲斐が続けて言う。

「興味があったんでスよ。入学早々から《保有者》と喧嘩して三人ぐらいを病院送りに。その次は学園でも屈指の《保有者》である柳沢 興に喧嘩を売られて、その次の日にはすっかり友達になってたとか。この前だって、《保有者》一人と生命のやりとりまでして、また仲良しになったそうじゃないですか」

「……あぁ、いや」

 自分もすっかり有名になったものだと、苦笑いする御剣。どうやら知らず知らずの内に、例の自称《先導会》幹部以外にも眼をつけられるようになってしまったらしい。その内奴からの刺客とは別に、血の気の多い《保有者》に宣戦布告される羽目になってしまいそうだと、辟易へきえきするばかりだ。


 次いで甲斐は座ったまま身を乗り出し、御剣の向こうに座るあやめの方を見ながら、

「そちらの娘は、彼女?」

「違います」と、瞬時に返すあやめ。

 違うというのは肯定しつつ、御剣が訂正する。

「ちょっとした腐れ縁だよ。ちょっとしたねェ」

 甲斐がさらに聞いてくる。

「そういえばさっき、話をしていまシたね。何の話をしてたの?」

「披露宴はいつに……」

「何言ってんの!?」

 軽口を叩く御剣と、怒鳴るあやめ。当然のことだが、先の話の内容を漏らすつもりなど毛頭ない。

 が、この応えに対する甲斐のリアクションは、

「ハハ、貴方は嘘がへたくそなのね」

「いや、嘘っていうか冗談なんだけど……」

 さっきのが冗談だということぐらい誰にでも分かる。嘘というのはちょっと違うのではなかろうか。

 意外というか、気の抜けるというか、そんな応えに困惑する御剣を尻目に、甲斐はなおも続ける。

「本当のことは話してくれないんですか? 話してくれないノね……」

「う……?」

 そして、冗談を返すというのは、それ以上踏み入ってほしくないという意思表示だ。が、甲斐はその注意書きの看板を蹴倒して、なおをも疑問をこちらに突きつけてきた。

 どうにも彼女が何を考えているのか分からない、掴みどころのない靄のような人間に見えてきた。どうやら先ほどのあやめとの会話の内容に余程興味があるようだが、それにしてもこの態度と表情。笑ってはいるが、その実怒っているのか哀しんでいるのか、楽しんでいるのか分からない。本人には失礼だが、まるであべこべなAIを搭載したロボットか何かを相手しているような気分だ。

 なんだか、嫌な予感がしてきた。和らいでいた警戒心が、皮膚の奥に、目に見えない沼地の水面すぐ下に得物を求めて泳ぐワニのごとく再出していた。


 突然甲斐はベンチから立ち上がると、こちらに顔を向けずに語り出した。誰に対して喋っているのかも、一瞬分からなくなるような動きだった。

「折角だから、推理してみましょう。当たってたら言ってね……そう、貴方は、多くの人が知らない世界の秘密を追ってイる。その秘密を解き明かすことが、世界を救うことになるのだと信じて」

「……」

「しかしそれは危険を伴う行動。身体をズタズタにされて、血肉が地面と混ざり合うことになるかもしれない。それでもひたむきに動くことができるのは、貴方の心の中に払拭すべき過去があるから」


 御剣の身体が、ピクリと震えた。

 それを、あやめは見逃さなかった。

 不気味だ。甲斐 雛世、彼女はあまりに不気味だ。

 彼女の推理は大方――否、おそらく全てが正解していた。確かに御剣は多くの者が知らない秘密を追っている。その秘密を解き明かせば、人類を救うことにもなり得る。そして、それは身を裂かれる危険を伴う。そのものズバリだ。

 そして、甲斐はこうとも言った。

 その行動には、御剣の心にある払拭すべき過去が関わっていると。


 それだ。あやめが知りたいと感じていた、御剣が隠していた本心。その姿が、ついに見えてきた。だが、あやめはやっとその念願が叶ったというのに、なぜだか無性に腹立たしい気持ちになってきた。

 確かに御剣の秘密を知りたいとは思っていた。だがそれが明かされるのは、彼の合意を得た上でなければならなかったのだ。そうでなければ、彼の気持ちを踏みにじることになる。だがこの甲斐は、堂々とそれをやってのけた。意図的に閉ざした扉を無理やりこじ開けたのだ。

 それは、容易に許すべきことではなかった。そして、このままでは彼女はさらにずけずけと、恥じることもなく彼の心の中を暴こうとするだろう。

 もう彼女からは――こんな不気味な女からは離れた方がいい。失礼だなんだと言っている場合ではない。失礼なのはむしろ向こうの方だ。

 そう考え、さっさとどこかへ去ろうと、あやめは力強い口調で御剣に呼びかけた。

「御つ……」


 だが、彼の名前すら呼ぶことができなかった。

 何故か。

 すぐ目の前で二本の刃が重なりあい、こすれ合う金属音を鳴らしていたからだ。御剣の持つ大剣の先がこちらの鼻先に触れてしまいそうだった。このまま卒倒しなかったことを褒めてやりたい。


 あやめにはまったく見えなかったが、甲斐は突然振り返りざまに、制服の左袖から布ごと破るようにして細長い剣を抜き取り、御剣に向かって振りぬいた。それに御剣も、咄嗟に大剣を出現させつつ対応した。

 《Aランク》の行動は、いつも他の人間達の体感する時間の数秒先をいく。あやめは目の前でこの攻防が起こったから比較的早く気づくことができたが、周囲が俄にざわめきだすのはさらに三秒ほど遅かった。

 喧騒のゲリラライブが響く中で、つばぜり合いの状態になった御剣と甲斐。

 鋭く細めた眼で、重なる刃の向こうにいる甲斐を睨みながら、彼は唸った。

「よくよく考えれば、俺が星原とやり合ったことを知ってるのは、俺達当人ぐらいのもんだ。なんでお前がそれを知ってる……何モンだァァ~おいッ?」

「フ、フフ……セオリー通りの暗殺は通用しないので、別の手を用意シテみたけど、どうヤラこれも駄目らしい。伊達ではないワね、御剣 誠一」

「それがお前の名前なのかァ? それとも役職か何かか? 『フ、フフ……セオリー通りうんぬん』から先を聞き取れなかったんでもう一回言ってくれや。あ、いや、そういや名前は甲斐 雛世だったな。うん……じゃなくて。いいかァおいアバズレが。俺が、お前は何モンだって聞いてんだ、ワケワカンねェこと抜かしてんじゃねぇぞコラ……」

 三下のチンピラのような恫喝だが、御剣が言うと奇妙な威圧感があった。

 “ガン”を飛ばしながら唸った彼は不意に、何かに気づきハッとした。

「いや、待てよ……まさか」


 先ほどの、何かを知っているかのような“推理”。そして、今のこの余裕に満ちた態度。

 御剣の中で、ある結論が導き出された。

「そうか、そうかいそうかい、そうかよ。どうやらシビレを切らして手前てめぇからノコノコやってきてくださったようだなァ……《先導会》のお偉いさんよォ……!!」

「《先導会》、の、お偉いさん……まぁ、間違ってはイナイ。そう思イタケれば思ってるといいワ」

 そう言うと、甲斐の身体が後ろへと下がった。

 いや、後ろというより、上空か。

 彼女は踏ん張るような予備動作すらなく上方へと飛び上がり、そのまま御剣から数m離れたところで浮遊していた。

 別に、《保有者》が宙に浮くことなどさしておかしなことではない。なんせ、ついこの間もそういう《保有者》相手に一発やり合ってきたのだ。


 だが、この甲斐に関しておかしな点は、その脚だ。

 先ほどまでは――よく見ていなかったがおそらく――普通の人間のそれと大差ないはずだった脚が、機械でもはめ込んだように変形していた。どうやらそれが推進器のような役目を持っており、だから浮遊できているらしい。

 これには御剣も嘆を漏らさざるを得ない。

「何だァこいつ……」

「サイボーグみたいねぇ~」ロニーが続く。


 互いの武器のリーチの外からこちらを見下ろしながら、甲斐はクイクイと手招きしながら言った。

「不意打ちによる暗殺が叶わなかった以上、ここでやり合えば大勢の人を巻き込むことになる。ついて来なさい。安全な場所へ案内しましょう」

 彼女の言うとおり、今中庭には大勢の生徒がいる。ここでは確かにやりづらい。

 ここは大人しく、彼女の言う手頃な場所へと甲斐が向かうのを待った。その後をこちらも追えばいい。どうせ屋上かどこかだろう。

 脚部から不可視の何かを噴射させながら、彼女が徐々に高度を上げていく。


 だが……


 一瞬、ほんの一瞬の違和感に気づくことができたのが、運命の分かれ道だった。甲斐の放つ眼光がどこかおかしいと感じ、コンマ数秒どころか、“フェムト”単位で警戒体勢を取った御剣は、彼女の右腕がゆっくりと持ち上がり、手のひらをこちらに向けるのを見た。

 そこには何か、巨大な“眼”というか、レンズのようなものがあった。そして、《Aランク》としての鋭敏な神経が、そこに収束する膨大な熱量を察知した。


 マズい。何が安全な場所だ。

 そんな台詞は嘘っぱちだ。


 間一髪とはまさにこれだった。

 隣で固まっていたあやめの身体を突き飛ばしつつ、御剣がその場から横へと飛び退いた次の瞬間、ベンチが消滅した。ベンチだけではない。それが立っていた地面すらも数mほどの球型に消滅し、巨大なクレーターを形成していた。

 音も無ければ衝撃も、風圧もない。神の消しゴムが世界を描いたノートを擦ったかのように消えた。


 突き飛ばされたあやめは、地面を数回転がってから静止し、うつ伏せに這いずるような姿勢になって、先ほどまで自分達がいた場所を見ていた。数人の生徒にぶつかったかもしれないが、そんなことを気にしている余裕はない。

 《因子》により物理的な衝撃を抑えてくれていたのだろうか。音速を超える速度で突き飛ばされ、地面をラグビーボールみたいに転げまわったわりには、ほとんど痛みはなかった。

 あるいは、本当は骨が五、六本折れているのだが、胸中を駆け巡った衝撃のために、痛みが麻痺しているのだろうか。

「な……なにあれ?」

 そう呟くしかなかった。

 ちょうど自分達が座っていたベンチが、跡形もなく、周囲の地面ごと消え去っている。一体何をすればあんなことになるのだ? そして、もし咄嗟に御剣がこちらを突き飛ばしてくれなかったら……?

「……ッ!」

 異様な寒気に震えが起こった。身体の熱が抜け、体温が28℃ぐらいまで下がったのではなかろうか。

 それでもなお、見開かれた両の眼は、御剣がこの攻撃を回避することができたのかどうか確認することを怠らなかった。


 巨大なクレーターの隣に立つ御剣の姿を睥睨へいげいしながら、甲斐は声高に言い放った。

「“掌底蒸散砲フリーハンド・イレイザー”。コノ手も通用しないとなれば、仕方ガない……いいでしょう。改めてかかっテきなさい。もっとも……私のところまで来られるモノならネ」

 その言葉を合図に、大きく開かれていた右手のひらの五指が、本来曲がるべき方向とは逆に折れ曲がり、腕と平行になった。逆に手のひらから覗いていたレンズのような物体は手前へと飛び出す。そう思うと、皮膚が内側から突き破られ、折りたたまれた指ごと、前腕から先を全て飲み込むような巨大な機械がせり出してきた。薄い表皮の下に、最初からあれを隠していたのだろうか……

 あれはおそらく――否、間違いなく武器だ。わざわざああやって、理屈はまったく分からないが腕を変形させえたのだ。先ほどの一撃よりもさらに強力な武器。

「“連発砲形態ガトリングモード”……私はあの男ホド甘くハない。覚悟か絶望。ドチラかをしなさい」

「あんたら逃げろォォーーッ!!」

 甲斐が呟くのと、御剣が周りで馬鹿みたいに固まっていたギャラリーに向かって叫ぶのは、同時だった。


 次の瞬間、彼めがけて、凶悪なる熱量の雨が降り注いだ。

「うおおおおぉぉぉぉぉああああッ!!」

 雄叫びを上げながら、御剣は大剣を振りぬいた。



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