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Session.13 Monster of Monsters Part.5



 突然、陶器にヒビが入るような音と共に、怪物の身体を覆っていた装甲が外れ、地面へと崩れるように落ちた。頭部もだ。残ったのは、透き通るような白髪と白い肌。眠るように閉じた瞳。針金のような細い腕。

 アインだ。まず最初に戻ってきた“人間の世界の住人”は、彼女だった。全ての終わりと共に、少しずつ悪夢が修復され始めていた。

 だが、林原はそれに適応することができなかった。むしろ、さらなる混乱の渦中へと彼は叩きこまれた。

 一目見た時から心惹かれた彼女。己の運命の人だと感じた彼女に対する認識が、完全に崩壊していた。今視界に存在する彼女と、林原の心の中の彼女が、大きくずれていた。

 彼女がゆっくりと眼を開けこちらに振り向き、その濁り淀んだ眼でこちらを見ても、一切反応することができなかった。ただ、思考するということを失った肉の人形みたいに、固まっていることしかできなかった。

 憐れむような、蔑むような眼で見つめられても、その視線を外され、ゆっくりと歩を進め公園から去ろうとする様子を見ても、身動き一つ取ることもできなかった。痛みを押してでも立ち上がり、引きとめようなどとは、考えもしなかった。


 やがて彼女は、夜の闇の中へと消えていく。西条の死体も、彼女が脱ぎ捨てた装甲や、引きぬかれた腕や触手も、全てが、なかったことのように消えていた。

 ただ残っていたのは、骨折による足と胸の痛みだけだった。だが、それさえも、無数の現実と感情のために混濁した意識の中では、微かな感覚でしかなかった。

 認識すること、推測することを放棄した林原は、そのままゆっくりと背中を地面へとつけ、全てを忘れられることを祈りながら、眠ることにした。

 寝ようと思うと不思議とすぐに意識が遠のき、残り香程度だった痛みさえも完全に失せて、ほんの僅かな間の安らぎへと没入することができた。


 負傷した彼が発見され病院へと搬送されるのは、翌日の早朝のことだった。




    ※




 夜の歩道は、街頭で照らされているはずなのに、ひどく暗く感じた。

 彼女の心の内を、無意識の内に脳を通して視覚として反映しているからなのだろうか。

 誰もいない道を、アインはゆっくりと歩いていた。その眼の淀みはいっそう色濃く、神秘的な深さを失い、ただの汚泥に近くなっていた。

 彼女は悔やんでいた。後悔ではない。このようなことになってしまった、状況の流れというものに悔やんでいた。

 彼が。林原があの場にいなければ、いや、それ以前に、西条の誘い――即ち宣戦布告を彼が聞かなければ。それだけで全ては上手くいったのだ。だが、そんな“もしも”の話を今考えても無意味だった。自分の正体を、彼に知られてしまった。

 それは、アインが今後葦原の生徒として生活することを困難にしうる要因であったし、それ以上に彼女は、林原と自分の間に不可視の巨大な――あまりに巨大な溝ができたことが、哀しかった。

 あんなことをしたのは自分ではない、もっと別の何かだ。そんな無駄な弁明のために、とても人間には見えない姿に変わり果てても、逆効果だった。むしろ、益々彼に、消えない恐怖心を植え付けることになってしまった。せめてあんな馬鹿みたいなことをしなければ、まだ……


 後悔ではない、と述べたが、そんなことはない。やはりアインは後悔していた。

 あんなことにならなければ、ということがいくつも頭の中に浮かんでくる。それは、後悔というもののわかりやすい特徴の一つだった。

 この、底なし沼に身体を縛られたまま沈められるような気分を少しでも和らげたい。なんでもいいから、この現実を忘れさえれてくれるものはないのか……


 その願いは、次の瞬間には叶えられた。


「見事……大国博士ノご子息さン。おっと、養子の場合モ『ご子息』ッテ呼んでよかったカシラ?」


 アインの身体が、ピクリと震えた。

 次の瞬間。力なく垂れ下がっていた彼女の右腕が変形し、巨大な触手となって背後にいる声の主へと向かって伸びた。“手”としての形を残しつつ、鋭利な爪の生えた異形と化したそれが、声の主の首根っこを掴んだ。爪が皮膚に食い込んでいる、容易には引き剥がせまい。

 同時に、アインはゆっくりと振り返り、見開いた眼を眼窩に埋め込む横顔を、その者に見せた。


 知っている顔だった。研究所で培養されている頃に頭にインプットされた、《先導会》に所属する主なる《因子人ファクトリアン》。その内の一人――甲斐 雛世だ。そして、先ほどの発言。彼女もまた、林原と同じくアインの正体を知るものだった。林原と違うのは、この事実を冷静に知ることができる状況にいたこと、そして、知ったところでなんとも思わないことだった。

 だからというわけではない。アインは、全身を血液と共に循環する煮えるような苛立ちを発散する術を求めていた。そうして目の前に現れたこの女。しかも《因子人》だ。人間ではない。

 彼女の無意識の内からこみ上げてきた明確な殺意が、行動を喚起した。

「……ッ!」

 触手に力を込め、掴んだ首筋をそのまま握りつぶそうとする。


 が。

「“零距離焼夷砲ナパーム・ゼロ”」

 常人なら――おそらく《因子獣ビースト》程度でもそのまま潰れて干し柿みたいになるほどの力で圧迫されているはずの甲斐の首は潰れることなく、その上に繋がっている顔は実に涼しげだった。

 彼女は素早く右手で触手を掴むと、突然その手のひらから小さな火炎が吹き出した。小さいとは言っても、相当な熱量らしい。一瞬の内に肉が焼け、溶断されてしまった。

 解放された甲斐の身体はそのまま地面に落ち……なかった。

 ふわふわと宙に浮いたまま、アイン本体から切り離され蒸散し始めた触手が成す霧の奥からこちらを見ていた。そもそも、触手で掴んだ時には彼女はすでに宙に浮いていた。

 よく見ると、足がまるで機械でもはめ込んだようになっており、足底部などから不可視の推進力が噴射されているらしい。それで浮いているのだ。

「ゔぅぅ……!」

 林原に見せたあの怪物が放つ呻きに遠く及ばずともどこか似ている声を上げながら、アインは女の方へと改めて身を翻し、徹底的に抹殺する腹積もりを決めた。が、気づいた時には、甲斐の顔がすぐ目の前にまで近づいていた。あまりの突然のことに、うろたえて身動きが取れなくなる。

「なかなか動きモ素早いし、力も有ル。しかし、いきなり襲ってくるノハ感心シナイ……落ち着きなさイ」

「……」

「そう、ソレでいい」

 アインの中の苛立ちが多少なりとも鎮静したことを確認した甲斐は、静かに離れた。全身が見える程度まで離れると、器用に空中でくるりと身を翻してから、言った。

「今回はタダ、挨拶しにきたダケヨ。貴方が頑張っているかどうか確かめルためニね」

 母。八千穂の顔が脳裏に浮かんだ。おそらく甲斐の言葉には、彼女が関わっている。彼女の頼みでアインが葦原学園のあるこの地に来たことが。甲斐が《先導会》の一員であるなら、事情を知っていてもおかしくはない。

 彼女が続ける。

「先ほどのコトも見ていた。残念だったワね。折角仲良くナレタ男の子だったノニ……」

 そう言った瞬間、彼女の胸元にアインの背から生えた触手が迫った。が、彼女はそれを完全に見切っていた。延びる触手の腹の部分を、濃く紅い光の軌跡が扇のような軌跡を描きながら通過すると、その先が切断され、あらぬところへと飛んでいった。

 その軌跡の源――紅蓮の光を放つ剣のようなものが、甲斐の左手に握られていた。それを、部分と手首のスナップを聞かせてクルクルと振り回す。一回転する度に、空気が焼けるようなブォンという鈍い音が鳴った。

「“光斬剣レーザーブレード”。非礼だったのには謝る、ゴメンナサイ。とても残念がってイルようには見えなかったわね。でも、私にはどうにもコウイウ色恋沙汰は分からなくて、だから、同情はできても共感ハできナイ」

「……はやく、どこへなりと消えてください。それと、機会があれば母に――大国博士によろしくと伝えておいてください」


 この女は、危険だ。《先導会》に参加する多数の《因子人》の中でも、最上位に立つのが彼女であることは知っている。いくら母が生み出した《因子》を宿すアインであろうと、負けはせずとも勝つ見込みは少なかった。

 こういう判断ができるぐらいには落ち着いてきたし、林原のことを忘れることもできているのだろう。が、なんであれ、早く去って欲しいのは確かだった。

 静かに、しかしはっきりと侮蔑の念を込めながら言った言葉に。甲斐が応える。

「分カッタ。博士に合う機会があれば伝えてオクし、今日はひとまず貴方の元からも去りましょウ。でもその前に、一つだけ頼みたいことガある」

「……」

 無言、即ち『話せ』という意思を返す。

「私は、《先導会》の命を受けて動いてイル。その過程で、他の者ノ援護を必要とスルこともある。その時ニハ……」

「私があなたに協力しろ、って?」

「ソう」

 アインは何もいわず、ただ甲斐の顔を睨みつけた。それを見て、彼女は楽しそうに笑った。

「挨拶の仕方が悪かったラシイ。どうやら嫌われてしまったヨウね。デモ、それならそれでいい。貴方は貴方が思うように行動すれバいい。博士だっておそらく、そう言っていたデショウ。これは命令でも懇願でもない。ただの“お願い”ナンダカラ、聞いても聞かなくテモ貴方の自由」

「……」

「ただヒトツ言わせてもらいたいのは。私は決して遊びノつもりじゃないトいうこと。ワタシは近い内に、命令を果タスべく動く。貴方にこうお願いしたのは、貴方が、芦原高にいるドコゾの使い物にもならないジャンクなんかよりも遥かに頼もしい“バディ”になると思ッタから……私だって、貴方とは仲良くシタイと思っているノヨ……仲良しノ定義ヲ説明して欲しいナラするケド」

「……言いたいことがそれだけなら、帰ってください」

 そう返され、また甲斐は笑った。屈託のない笑みであったが、どこか不気味だった。立体的なディスプレイに映る、立体的な映像を見ているような気分だった。ホログラムですらない。最早骨董品となっており大国博士の研究所でしか見たことがない、ブラウン管のテレビと話しているような気持ち悪さがあった。


「分かっタ。でも最後にもう一度……自分で考えて行動しなサイ。そして、とにかく話をスルというのは、大事なことよ……多分、今この場に博士がいたら、こんなことを言ってたでしょうネ。こういうことは、ワタシ得意なのヨ。フフ、現存する情報からのパターン解析って奴サ、今なら集積回路ニダってできるコトだよ。それじゃあ、また会いましょう」

 それだけ言い残して、甲斐は燕が変えるように勢い良く夜空へ向かって上昇し、どことも言えないところへと向かって方向転換しつつ加速。一瞬の内に去っていった。




 取り残されたアインは、不思議とすぐに彼女のことを忘れてしまった。その代わりに、先ほどまで一時的な忘却を迎えていたネガティブな感情が、再び首をもたげてきた。

 甲斐 雛世のことは、その顔すら思い出せないほどに、瞬時に忘れることができた。だが、彼女の語ったある言葉だけは、心臓の表面に張り付き、鼓動する度に締め付けてくるように、残っていた。


 林原に対し、どうするのか。

 どうする? そんなことは、今すぐ決められることではない。彼はおそらく無事だろう――だからあえて放置したのだが、しばらくは学校に来るのも難しいだろう。《保有者》専門の病院で治療を受けるはずだ。なら、どうする。彼に会いに行けばいいのか? だが、どんな顔をして。

 選択肢はもうひとつあった。林原のことなど忘れ、彼との関係をきっぱりと断ちきるのだ。時間はかかるだろうが、それは不可能なことではない。

 どちらもアインにとっては、やすやすと選び、受け入れられるものではなかった。

 どんな顔で林原と合えばいいのか分からないし、これまでの彼との関係は楽しかった。それを自ら捨てるようなこともしたくない。


 そもそも、こんな身体に生まれてこなければ、こんな思いもせずに済んだのだろう。

 不意にそう思ったが、彼女はすぐに頭を振ってその考えを捨てようとした。

 この力があったからこそ、あの西条を返り討ちにし、林原を守ることもできたのだ。何より、自分をこう生んでくれたのは大国博士だ。この身体を否定することは、彼女を侮辱することに他ならない。そんなことはあってはならないと、アインは自らの肝に銘じていた。

 気が沈んでいようと、こういうことを考えられる繊細さがあるのが彼女だ。だが、繊細さというのは、他の要因を取り繕う代わりに、己の傷を取り繕うことをしない。

「……」

 涙が出ているのに気づいた。どうすればいいのか分からない不安と寂しさのためだ。それは、原因が違うというだけで、何もアイン一人が感じるものではない。誰だって感じる感情だ。こういうことを体験するということが、社会の中で、人の中で生きるということなのかもしれない。


 では、どうすればいいのか。悲しみに打ちひしがれるままではなく、アインは考えた。挫折や哀切に直面した上で、それを乗り越える。あるいは受け入れ、時間と手間をかけて価値のある経験へと消化する。

 それが、生きるということなのだ。これまで人間が二千年――それ以上に長い歳月続けてきたことだ。

 半ベソをかいていたって何も始まらない。望めばこの無限の生だって終わらせることができる自分が、誰にだってできることが、できないわけではない。

 知り合いと――知り合いという言葉に収まらないかもしれない者との関係を修復させるぐらいのことが。



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