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Session.13 Monster of Monsters Part.4



 怪物のふくらはぎから生えていた指のようなものが、俄に膨張した。筋肉の固まりらしいそれが、力を込めて強張っているのだ。それは、大地を蹴って走りださんとする人間の脚とどこか似た様相だった。

 実際、あの怪物は同じ事をするつもりだった。

「ヴォオォォアッ!!」

 鋭利な爪をスパイクのごとく地面に突き立てたまま、異形の指が伸びた。その勢いにより生じた凄まじい加速に乗って、唸りを上げながら西条に向かって突進する。瞬きする間どころか、しようと自律神経が反応する間もないほど瞬時に奴の眼前へと肉薄した怪物は、手のひらを突き破るようにして生えた右の爪を繰り出した。

 だがそれは、素早く身を屈めた西条の頭頂部を僅かに掠めるだけに留まった。それだけではない。突きの勢いのまま、右腕が遥か彼方に向かって吹き飛んでいった。本来腕が繋がっているべき部分には何もなく、代わりに、真っ直ぐに指を揃えて伸ばされている西条の手のひらが、真っ赤に染まる断面のすぐ傍にあった。

 神速で振り抜けば、素手でも立派な刃物になるのが《Aランク》だ。手刀により右腕を切断したのだ。

「……ククッ」

「……」

 喉を鳴らしてほくそ笑む西条に対し、怪物は無言と共に、背中から伸びた触手による連続突きをお見舞いした。巨大な、そしてゴキブリよりも素早く動けるアシダカグモが、得物を踏み潰そうとしていた。くの字に折れ曲がった触手がピンと延びる度に、空気が貫かれる小さな音が響く。

 だが、それだけだった。一秒間に数十回という、マシンガンのような突きであっても、空気を貫くことしかできない。本来の標的――西条の身体を捉えることはできなかった。


 むしろ逆に、奴にいいようにしてやられるばかりだった。

 連続突きの合間にある僅かな間隙を見逃さず、伸びきった触手を掴むと、強引に背中から引きぬき、乱雑に投げ捨てた。

 四回それを繰り返せば、この化け物も丸裸となった。

 5秒ほど経過した時、懸命にこの攻防を視覚で捉えようとしていた林原の眼に映ったものは、後方に飛び退き距離を置いた西条の姿と、獣の頭骨のような頭部の上半分をえぐり取られ、背中の触手をすべて失った怪物の姿だった。

 抜き取られた触手の内の一本は、西条が持っていた。彼の腕には、えぐり取った頭部から飛び出したと思しき巨大な眼球が張り付いていた。

 それを、見せつけるようにブラブラと揺らす。

「はっははは。これじゃまた血圧下がっちまうぜ。拍子抜けもいいところじゃねえか。ただの雑魚から変わってねえぞ」


 圧倒的だった。《Aランク》――むしろ、《Aランク》よりも更に強力に見える西条の前では、あの怪物ですら無力なようだった。奴の方には傷ひとつついていない。せいぜい、髪の毛が数本切られて長さが変わった程度だ。

 奴もまた、立派な怪物であったというわけだ。

「……」

 ようやく冷静さを取り戻し始めた林原は、未だ熱の抜け切れていない頭で、落胆し、絶望した。これでは何の意味もない。結局怪物も自分も殺されて終わりだ。


 いや、違う。

 今しがた考えていたことではないか。

 あの怪物は……アインは不死身だ。頭を潰されたって死なない。

 そんな生物が、“あの程度”で終わると言うのか?


 そう考えるのと同時だった。

 まったく見えなかった。気が付いた時には、咄嗟に身を翻した西条のすぐ足元に、千切られた触手のそれから生えるのと同じ爪が突き刺さっていた。その爪は、赤黒い腐肉を固めたような触手に繋がっており、その触手はさらに、大きく空中に弧を描きながらアインの背中へと繋がっていた。

 今度は八本、同じ物が西条を取り囲んでいた。優に10mはある触手の群れが、時には後方にまで回りこんで、彼を文字通り八方から包囲していた。

 抜き取られた触手を、瞬時に再生、増殖させたのだ。


 また、西条の笑みに“苦み”が見えた。

「こいつ……」

 再び、無数の刺突の猛襲が西条を襲った。今度は本数が増え、しかも長さが増したというのに、一つ一つの突きの速度は上昇していた。その突きの間隔は、最早“同時”といって違いなかった。せいぜい《Bランク》相当の視力しかない林原には、薄い空気の膜のような触手の残像が、丸い半透明のドームを形成しているように見えた。漫画に出てくる超高速の連続突きでは、拳が無数に増えて描かれる場合があるが、まさにそれだった。ここまで来るともう、現実味がなかった。


 西条はこの猛襲を紙一重のところで回避しつつ、先ほどのように触手を掴んで引き千切ろうとするが、寸前のところで掴もうとする手からすり抜けてしまう。手刀で切断しても、切断したその場から再生し、何の意味もなかった。

「……こ・い・つッ!」

 とうとう、彼の顔から笑みは消えた。ようやくこの男は、自分が遊び半分で殺そうとした者の正体というものを実感した。

 大国 亜音は、細胞を増殖させ、自身の肉体を自在に改造することができる。

 それはいい。

 そのおかげで、即死レベルの致命傷を受けても蘇ることができる。

 これはかなりの脅威であるが、まだいい。死なないなら死なないで、どこぞの溶鉱炉やら活火山の火口にでも放り込んで、組織が再生すると同時に溶けてなくなる、永遠の生き地獄を味わわせてやるのも悪くなかった。

 だが、ただ一つだけ、想定外の要素があった。

 いくら細胞を増殖させられるからと言って、世の中には質量保存の法則というものがある。肉体の改造にも限度があるはずだった。

 そう考えていたのが間違いだったのだ。

 あれは《因子ファクト》の為せる業だ。物理法則を歪め、人間が作り出した常識というものを崩壊させる、魔術の業。

 あの怪物の細胞増殖には限度がない。あれは、どこまでもどこまでも、おぞましく進化できるのだ。

 それは、次なる変貌により証明される。


 背中の触手に継続して攻撃させつつ、すでにアインの頭部は修復が終わっていた。それだけではない。両腕から伸びていた爪がズルリと粘性を帯びた音を鳴らしながら抜け落ち、地面に落ちた傍から霧のように蒸散していった。

 取って代わり、両の上腕の辺りから白く長い鉄板のようなものが突き出し、それがプレス機さながらに前腕から手まで覆いかぶさった。長方形の箱のような形になった前腕、その先端部から、さらに細長い円筒状の構造物が伸びてきた。チーズのごとく穴だらけのそれは、あるものに見えた。

 そうだ。機関銃の銃口部。それとそっくりだった。

 アインはそれを、触手の連撃をかわし続ける西条の方へと向けた。

 次いで、錆びたノコギリでゆっくりと木片を斬るような音が、彼女の口元から漏れ出てきた。

「グゲ……ゲ……グゲ……」


 笑っているのだ。


 白い長方形の底面の部分から、ゴボゴボと、何かが膨れ上がってきた。泡立つようにムクムクと膨れ上がったそれは、徐々にその形を整え、やがて、また歪み一つない縦長の長方形となった。

 これは、マガジンか。あの中には、骨か何か――あるいは歯だろうか――と同じ成分により作られた。数百、数千発の弾丸が詰まっているのだろう。

 最早疑いようはない。あれは……


「嘘だろう……?」

 うわ言のように呟いたのは、林原だ。

 だがこの声は、同時に鳴り響いた轟音によってかき消された。

 銃撃の開始だ。


 内部で何かが火薬のように炸裂しているのか、とにかく原理は分からないが、銃身から絶え間なく吐き出される弾丸は、軌道を変えることもなく真っ直ぐにターゲットへ向かって飛んだ。もう秒間何発撃たれているのかも分からない。宙を文字通り“幕”となって進む弾丸の群れに気づいた西条は、咄嗟に両腕で頭部と胴体を防御した。

 容赦なく叩きつけられた円錐形の、ライフルのそれによく似た弾丸は、皮膚を爆裂し、筋肉をえぐり取りながら、骨にまで喰い込む。

 触手の動きは止まった。だがその変わり、西条の立っている場所から後方へと向かって、横向きの雨のような、鮮血と肉片による真紅の飛沫が飛び散っていた。

 林原は眼を逸らさず――眼を逸らすという発想すらも忘れて、血肉のシャワーを浴びて真っ赤に染まり、肉なのか土なのか分からなくなっていく地面を眺めていた。


 数秒後、銃撃は止まり、静寂が訪れた。

 林原は息を呑んだ。

 西条の腕は弾丸の嵐を受けて肉のほとんどを削ぎ落とされていた。むき出しになった骨に、ひき肉のようなものが僅かにこべりいているだけだった。その骨も、蜂の巣にされてボロボロだ、今すぐにでも崩れてしまいそうだった。

 ほとんど弾丸を防御することなどできなかったのだろう。両肩も半分ほど消滅し、無数の弾丸が周辺の肉を残さず削ぎ飛ばしたのか、腹にも巨大な風穴が開いていた。

「……なんて……こった……」

 その吐き捨てるようなうめき声を聞くまでは、西条は完全に死んだとしか思えなかった。というか、むしろ何故生きているのか分からなかった。

 顔は比較的損害が少ないようではあるが、左の頬の一部が削げ落ちている。その眼には最早喜悦はなく。先ほどまでのような下卑た台詞も出てこない。自分の行いの愚かしさと、これから待つ結末に対する絶望のために虚ろに淀んでいた。

 筋肉の大部分もなくなった以上、ボロボロになった腕の骨が、支えを失い地面へと垂れ下がり、そのまま千切れて落ちるのは当然のことだった。両腕を失った西条の姿の方が、骨だけの状態よりもむしろまともに見えた。


 重心がおかしくなったのか、そのまま彼は、前のめりに倒れ込んだ。

 ように見えたのだが、実際は違っていた。倒れたのは、膝から上だけだ。“下”の方は、依然大地に立ったままだった。

 触手が西条の両足を切断したのだ。彼は完全な“達磨”になってしまった。腕と膝を立てて四つんばいになることもできず、ただ地面を噛むことしかできなくなった彼は、じわじわと生じてきた痛みに歯を喰い縛りながら、自らに言い聞かせるように呻いた。

「あぁ~、心臓がバクバクしてやがるッ……こ、こうなる、ことが……分かってれば……」

 彼の鼓膜を、砂がこすれる音が震わせる。ゆっくりと、あの怪物――大国 亜音が接近してくる音だ。西条に、完全なトドメを刺すために。

「ちょっかいなんて、出さなかったのになぁ……ヘマやっちまっ……ブォ! ゴェッ」

 言い終わる前に、彼の喉元へとこみ上げてきた血液が、勢い良く吐き出された。

 数本の触手が彼の腹を貫いていた。そのまま触手はゆっくりと彼を持ち上げ、その身体を月明かりへと、さながら自らの狩猟の成果を誇示するかのようにかかげた。

「グゲ……ゲ……ゲ……」

 また、あの笑声が響いた。


「……クソォォーーッ!!」

 これが《因子人ファクトリアン》、西条の断末魔だった。


 残った触手の内の一本が喉を貫き、そのまま気道から胸骨にかけて切り裂いた。声帯まで真っ二つにしたのだから、声など出るはずもない。ただ、肺から搾り出された空気が、エンジン音のような低い振動音となって、傷口から発せられるだけだった。

 次々と、触手による“解体”は続いた。

 胸、肩、腰部――とにかく、西条の身体のありとあらゆる部位に爪が突き刺さった。その度に、皮膚と筋肉、内臓の破片がこぼれ落ちて、生々しい音と共に地面へと散乱した。滴り落ちる鮮血が、怪物の真っ白な装甲を染め上げていく。美しさすら感じさせる鎧、あるいは甲殻のようなそれは、赤く染まることでその印象を大きく変えていた。

 何にせよ林原は、口も、投げ出された両足も、腕もガタガタと震わせ、吐き気すらも感じながらも、この光景から眼を離すことができなかった。


 何度か触手がその身体に突き刺さるころには、もう西条という名だった《因子人》は、その原型を完全に失い、ただの赤黒い、歪な形のよく分からない物体と化していた。仮にこれがそこら辺の道端に放置されていても、死体であるとは分かっても、何の死体なのか特定することはできないだろう。そうする前に、見るものは皆その場から逃げ出すだろうが。

 ここまで徹底的に破壊してようやく怪物は満足したのか、この肉塊を地面へと叩きつけた。


 終わった。アインと西条の戦闘――殺し合いと呼べるものは、昨晩の戦闘と同じように、あっけなく終わった。だが、今度は昨日よりももっとおかしかった。狂いに狂いきっていた。

 叩きつけられた肉塊が周囲の血と肉片諸共、少しずつ溶けるように消滅し始めていることも、その蒸気のような小さな輝きの群れの中で佇む怪物の姿も、とても現実のものではなかった。

 異界へと迷いこんだような気分だった。


 帰りたい。

 彼はそう願った。早く自分の世界へ、人間の世界へと戻りたい。こんな悪夢は早く忘れて、何事もなかったかのように、日々の営みへと。



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