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Session.13 Monster of Monsters Part.2



 しかし、当たり前の高校生ほどの判断力があれば、この行動がいかに無残であるかは分かるはずだった。

 アインを助けるために、西条をブチのめす。だが、どうやって、という方法を考えていない以上、気合や根性という類のものは、自殺を幇助ほうじょする悪魔の言霊でしかないのだ。

 鼻先から頭部全体に広がった衝撃に意識を吹き飛ばされそうになりながらも、彼は己の愚かしさが分からなかった。頭に血が昇っていたのだろう。あるいは、本来頭に昇るべき血が、全身の筋肉に吸い寄せられ、脳に酸素を送っていない、とも考えられる。


 小さなベルが鳴ったような長く糸を引く金属音を聞きながら、一瞬ホワイトアウトした視界にぼやけたヴィジョンを映し、林原はまさしく酔った千鳥のような足取りで数歩後ろへと下がった。

 が、例え“物理的”に気絶しようと、人間は“物理”だけで生きているのではない。人間の肉体を動かせる理屈抜きの何かが、林原の昏倒を食い止めた。足に力を入れ、踏ん張る。メトロノームのように揺れていた上半身をピタリと止め、鼻孔から流れる血を右手で拭う。

「やめろ……!」

 そう呻きながら、眼前の西条を睨む。その眼光を前にして、奴はまったく驚きも、うろたえもしていなかった。ただ、『おぉ~ヤダヤダ』とでも言いたげに、肩を竦めているだけだ。


「亜音、逃げろォー! ここは俺が何とかするッ!!」

 そう言って再び拳を握りしめ、西条に突進する。

 が、その0.2秒後には、奴の放った右フックが左頬を盛大に打ち据えていた。

「何とかぁ~~?」

「ブグォ……ッ」

「出ぇぇ~~来んのかよお前さぁー」

 続けて、左フックが叩き込まれる。また、意識が虚無の彼方に飛んでいきそうになった。

 後ろへと数歩よろめきながらも、また林原は耐える。両足に力を入れ腰を落とし、両腕で胴体と顔をガードする。ボクシングのファイティングスタンスだ。

 その姿を、西条は嘲笑った。

「勇み足で突っ込んできてもよぉ。それじゃただ死人を増やすだけだろうが……」

 その声を聞き流しつつ、林原はアインの方を向いた。


 彼女はただ無表情で佇立し、こちらを見ているだけだった。腕は折れ、閉じた左瞼の隙間からは血が流れているというのに、表情がいつもと何も変わらない。ただ、ひとつだけになったあの不思議な瞳の奥に、“憐憫”のようなものがあるように見えた。

 何だ。何が憐れだというのだ。

 彼は再び叫んだ。

「何やってるんだァー! 逃げろ! 俺が生命に代えても、君を守るッ!」

 漫画とかでよく見る台詞だった。正直なところカッコつけて言ってるんだろうと思うようなクサい台詞であるのだが、実際同じ状況に立ってみてよく分かった。カッコつけるだけの余裕などない。生命に変えても大事な人を守るとか逃がすというのは、そうしなければ、自分が死ぬ意味が無いからだ。必死なのだ。自分の記憶の中にいる全ての“この台詞を言った者達”は、皆必死だったのだ。

 そして、現実は無常だ。林原程度の男の生命に、何かに取って代わるような価値など、ない。


「違うだろうがバカ」

 そう冷ややかに言い放ち、西条が林原の両腕を掴み強引にガードを引き剥がした。《Aランク》の前には、張り裂けるほどに強張った筋肉など、一本の毛糸ほどのものでしかない。

「う……っ」

「オラッ」

 無防備になった頭に、西条の額が衝突した。脳の中に突っ込まれた爆竹が、同時に爆ぜたようだ。そのまま脳が“ウニ”の身みたいにドロドロになったのかと思った。

「ク、ォ、ア……」

 今度こそ昏倒する寸前になった林原は、その場でうなだれた。だが、両腕を掴まれているため、そのまま倒れこむことができない。

「ウラッ」

 続けざまに、大きく下がった後頭部に、上方から振り下ろすような二度目のヘッドバットが炸裂した。最早頭というより、クロム製の巨大なハンマーだ。人体を破壊するためには過ぎたる、凶器を通り越した重器だった。しかしそれでも、林原の頭が粉々に粉砕し、血と脳漿を地面に撒き散らすことがないだけ、向こうは手加減していた。

 楽しんでいるのだ。無力な林原を痛めつけることを。


 西条が手を離すと、そのまま林原の身体は地面に伏せった。

 その背中を見下ろし、彼はなおも嘲笑する。

「『俺の生命を変えたぐらいじゃ、なんにもできません』だろう……がッ」

 右足を軽やかに振り抜き、林原の頭を足蹴にする。

 次いで、その場でしゃがみつつ、彼の右腕をもう一度掴む。それを勢い良く引くと、林原の耳元に、コキリという小気味の良い音がなった。同時に、肩から激痛が奔る。西条の頭突きに比べればまだマシな痛みだったが。

 肩の関節が外れたのだ。人体には無数の関節があるが、肩に関しては、“正直ガンプラとかの関節の方が、頑丈さに関してはマシ”というレベルの脆弱さを誇る。いとも容易く外れるようにできていた。

「うッ!」

 呻きをあげる林原に構わず、今度は左肩の関節も、同じ要領で外す。

 これで、両腕の自由は大きく削がれた。

 そして、まだ終わりではない。今度は右膝を両手で掴み、骨を折った。今度の痛みは、先ほどの頭突きを凌駕するほどのものだった。大きすぎる苦痛というのは、熱さに形容できる。足が焼かれているようだった。

 苦悶する林原を、西条は最早冷ややかな眼で見下すことさえしなかった。その視線を外し立ち上がると、改めてアインの方へと向いた。

 うつ伏せの姿勢であるため林原にはその様子を見ることはできなかったが、なんとなく雰囲気で察することができた。

 突然の邪魔な闖入者ちんにゅうしゃを無力化し、改めて、ゆっくりと本来の得物を狩ろうというのだ。

 そんなことをさせるわけにはいかない。林原は、何とか立ち上がろうともがいた。

「うぅぅ……ぬうぅ……ッ!」

 だが、肩の関節が外れているためか、腕の動きがいつもとはまったく違った。筋肉に力を入れようとも、骨の方が思うように動いてくれない。その上、右脚もやられている。動こうとする前にまず、大声を呼んで助けを求めるのが常識的な行動であった。だが、この深夜の公園でどれだけ叫ぼうが、助けてくれる者などいない。そして、本来助けるべきはこちらなのだ。

 林原は、まだ諦めてはいなかった。

「や・め・ろ・って、言ってんだああぁぁ……!!」

 せめて腕だけでも満足に動かせなければ話にならない。彼は身じろぎし、さながら別の生物となった腕を、肩で圧し潰すような姿勢になった。そのまま一気に体重をかける。外れた関節を、無理やり押し込んでもう一度はめ込もうというのだ。外れるのが簡単なら、はめるのだって簡単なはずだ。激痛はともかくとして。

「うううぅぅぅ!!」


 歯を食いしばり呻く彼を、西条は歯牙にもかけなかった。

 再びアインと対峙したその男は、傍から響く叫び声も気にせず、言った。

「さて……続きを始めようか。かかってきな」


 この男は、人ひとりの骨を折ることになど、ダニほどの大きさの罪悪感すらない。アインはそれを、推測する必要もなく察した。彼女とて人の子だ。例え人工培養されたとしても、それは間違いない。約束を破りおせっかいにもこの場に現れた林原の自業自得でもあるとはいえ、西条を許すことはできなかった。

「大勢でひとりの人を取り囲んで暴行するような者は屑。そして、貴方はその屑を通り越している……屑の1ランク下ってなんて言うのか、辞書で調べておくべきだったわ」

 そう吐き捨てて、彼女は健在の右腕を突き出した。《Aランク》に匹敵する速度の突きだ。

 だが、西条にはそれすらも通用しなかった。彼は、《Aランク》の一歩先をいく領域に到達していた。

 素早く腕をすり抜けアインの懐に飛び込むと、突きの勢いをそのままに、綺麗な円形を描いて彼女を背負投で地面に叩きつけた。

「くあ……」

 かなりの速度で、受け身を取る間もなく背中を叩きつけられたのだ。さすがのアインも小さな呻きをあげた。もっとも、それは痛みのためではなく、生理的かつ反射的なものだろう。圧迫された肺が、強引に中の空気を吐き出したような感じだ。問題はない、すぐにでも立ち上がれる。

 だが、実際にそうしようとしても、それは叶わなかった。アインはすぐにどころか、まったく立ち上がることができなくなった。


 当然の話だ。瞬時に彼女の身体の上へと躍り出た西条が、左膝を右上腕に、右足を胸に食い込ませ、彼女を拘束したからだ。そして、右手はアインの左上腕部を掴んでいた。

 手癖の悪い西条だ。この次に何をするのか、アインにはすぐに分かった。


 その時、ようやく林原は肩の関節を再びはめこむことに成功した。外れる時と同様の痛みが奔るが、そんなことはどうでもいい。片腕が自由になれば、残った方の関節をつなげることは容易だった。すぐにもう片腕の自由を取り戻す。

「はぁ……クソッ!」

 だが、脚の骨折ばかりはどうしようもない。腕に力を入れ立ち上がろうとするが、脚の方がまだ言うことを聞いてくれなかった。内側から破裂しそうな痛みには、さすがに打ち勝つことはできない。そもそも、骨による支持を失った人間がまともに立つことはほぼ不可能だ。それは、《保有者》でも変わらない。肉体の構造においては、彼らもただの“人”だった。

 せいぜい身を翻し、腰を地面に乗せて座り込むような姿勢にしかなれなかった。

 しかしそのおかげで、今アインの身を襲う事態を、自身の眼ではっきりと見ることができた。

「ア……亜音!?」


 ミキミキと、気味の悪い音が鳴っていた。木の枝をゆっくりと折るような音であるが、何かが違う。何と言うか、もっと“生々しさ”のある音だった。

 西条が、アインの腕を引っ張っていた。否、引っ張る、というような生易しいレベルではなかった。握りしめられた手はすでに彼女の上腕、肘に近い部分を潰している。前腕と上腕、二箇所を複雑骨折した左腕は、一昔――否、かなり昔のテレビに出てくるような“おもしろ人間”でも、こうはならない、といった動きをしていた。なにせ、関節がさらに二つできたようなものなのだ。

 が、例え関節があと三つに増えようが十個に増えようが、関係無かった。

 西条は、アインの腕そのものを、胴体から引き千切ろうとしていた。あのミキミキという音は、引き伸ばされた皮膚と筋肉が、その組織をひとつずつ断裂されている音だった。


「お前ええぇぇーーッ!!」

 林原は絶叫した。今しがた飽きるほど苦悶したばかりだというのに、自分が足を骨折していることも忘れて、勢いよく立ち上がった。西条をブチのめすためだ。

 だが、精神が肉体の原動力となるのは確かでも、完全に物理の支配から解脱することはできない。

 足を踏ん張った拍子に体勢が崩れ、そのまま膝をついて崩れ落ちてしまった。前のめりに倒れそうになる身体を腕で支え、四つんばいの姿勢になる。

 だが、それでも意思だけは、なおも西条への憎悪のために震え続けていた。

「やめないと……ホントに殺すぞォォーーッ!!」


「やぁぁーってみろっつってんだよバァーカ。出来ねえこと抜かすじゃねえよ、言ってることは下らねえのに血圧が下がるだろうが」

 死に絶え、アリの大群か何かに処理される虫を見るような眼と共に吐き捨てられたその言葉だけが、西条が林原に向けた意識だった。その先は、彼のいる世界の中には林原は存在しなくなった。

「へっへへ……なるほどなぁ。自由に身体の構造を変えられるんなら、神経だって“なくす”こともできるってわけか。その涼しそうな顔」

 アインの腕を引く力は、徐々に強めている。それに伴って、組織が断裂される音も大きくなっていた。すでに表皮のほとんどは千切れ、後は筋肉と、それらをつなぐ組織、そして骨が破れれば終わりだ。

 そんな中であっても、アインはまったく顔を歪めていなかった。むしろ、熟睡しきった次の日の朝、目が覚めた時のような顔をしている。リラックスしきっていた。どれほどやせ我慢の上手い、ダイヤモンドの刃を逆に削り取るような精神力の持ち主であろうと、ここまでされてこんな顔ができるわけがない。そもそも、痛みを感じることがない限りは……


 思った通りだった。やはりアインは自身の身体を自在に“作り変える”ことができる。

 だが、だとして、西条が見たいのはこんな“小技”などではなかった。彼が期待しているのは、もっと別のことだった。

「ここまで出来るんならよ……もっと他にもいろいろ出来るんじゃないのか? こんな状況なんて、お前にかかれば簡単に抜けられるんじゃあないのかよ。さぁ、見せてみろよ。見たいんだよ俺……」

 俄然、アインの腕を引く力が強まった。縄が千切れるような音が鳴ると同時に、引き裂かれた筋肉と血管がさながら鳥の“手羽先”のように広がった。

 腕の動脈は、全身を巡る動脈の中でも比較的上部に位置する。ということは、それだけ血流の勢いというものは強い。それでも、人体の一部が切断された場合、その部分の血管は緊急事態への対処のために一気に収縮し、可能な限り出血を食い止めようとする。そういうメカニズムがある。

 だが、アインの場合、そのメカニズムが作動しなかった。分裂された腕に、唯一つながっている骨を隠すように盛大に吹き出した鮮血が、瞬く間に周囲を真紅の色で染め上げた。


 その刺激的な色彩が、這いつくばったままアインの方を見据えていた林原に、いっそ狂気じみた怒りを換気させた。

「ぬううううぅぅぅぅーーッ!!」

 砕けんばかりに歯を食いしばり、怨嗟の声をあげる。まるで己の事のように。

 好きな相手とはいえ、赤の他人のために何故ここまで怒れるのか。痛みを覚悟してまで、行動できるのか。

 それは分からない。理屈ではなかった。

 だが身体は、最低限の理屈はなければ、やはり動いてくれない。どれだけアインを助けようとあがいても、上手く立ち上がることができない。足が、まるで別の生物のように激しく痙攣している。

 何も……出来ないのか?


「ふぬッ」

 西条の掛け声と共に、アインの胴体と腕を結ぶ最後の繋がりが、折れた。

 地中深く張った根を引きぬいたかのように、奴の腕が高々と月明かりに向けてかかげられ、“ただのモノ”となった左腕がブランと揺れた。


 その時だ。

 不意に、仰向けのアインが、林原の方へ向いた。

 その眼には、幻滅でも憐憫でもなく、優しさのようなもの、そして、深い無念が見えた。

――心配しなくていい。あなたがそんな顔をすることはない。何も問題はない――

 そんな声が聞こえたような気がした。

「なん……だ……って?」

 無意識の内に、林原は聞き返してた。口を動かしているわけでもないアインの、本当に言ったのかも分からないその言葉に。


 次の瞬間、彼女の顔が踏みつけられた。



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