Session.11 Space Eater Part.3
星原の一方的な説明は続く。
「それと、時間ね。この空間は、時間の流れが本来より大体1/4300ぐらいまで遅くなってる。一秒が一時間十分ぐらい。一時間が六ヶ月さ。昼休みが終わるまで後何分だったのかな、三十分くらいだっけ? 本当ならご飯食べて友達とくっちゃべってる間に終わってるような時間が、三ヶ月にまで延びるのさ、この空間ではね。肉体の時間もそれだけ遅くなってるから、お腹も減らないし、歳も取らない。私が操作しない限りはね。でも、精神の時間だけは、1/4300だろうが1/43000だろうが関係ない……どういうことか分かる? 御剣くぅん」
「……」
また怒鳴られるのも鬱陶しいから、黙っておく。
「全面ゴム張りの部屋にでも、長い間いれば人は発狂するんだ。その上ここには光も、重さすらもない。人を殺すのにねぇ、力も火も電気も、放射線もいらないんだよ。逆に、“なければ”いいんだ。光も、時も、自分以外の何かもが。そうすれば、心が死ぬ……その後は、空間の圧縮を解除して、さっきみたいに釘をノーテンに撃ちこんでやれば終わり……どお? 簡単でしょ。あのメールの送り主がなに考えてんのか知らないけど、私を“ヒットマン”に抜擢するなんて、なかなかお目が高いねぇ~」
要するに、星原がやっているのは“拷問”だ。人間の尊厳を踏みにじる所業だ。こうも恐ろしい力を人間に与えるのが《因子》なのだ。
そして、こんな状況に際して平素とした様子でいられるところを見るに、これが今回で始めてではない。おそらく……
「あんた、これまでも同じようなことをしてきたな?」
「よく分かったね……そ! 私が“コレ”に目覚めたのは小学生のころ。その時から、私をバカにするようなヤツは、非保有者だろうが《保有者》だろうが、誰だろうがこの無明の闇に封じ込めてきた。何時間か待ってれば、すぐに泣き事を抜かしてきたよ。許して、ってね。それからその倍ぐらいの時間ほったらかしにする。そうすれば、正気と狂気の狭間から抜けだしたくて、私の言うことをなんでも聞くようになる。永遠にここに置いて行かれる、それが嫌なら逆らっちゃいけないって、心の底まで教えこむんだ。即席奴隷の製作法だよ」
いやはや、《特殊型》には、どんな《因子》だろうが発現し得る。だからこその《特殊型》だ。となれば、その《保有者》にも、《Aランク》を超える狂人がいるものだ。この星原がその典型だった。
「俺にも、それをしようっていうのか?」
「いや。悪いけど、あなたの場合は奴隷にもしない。狂気の海へと深々と沈めて、完全な腑抜けにしてから殺してあげる。それまでの間、ここで一人孤独でいるがいいわ。こっちからは、姿は見えないけど声なら自由に聞こえる。命乞いの声やイカれたわめき声が聞こえるのを、じっくり待たせてもらうよ。前もって、本やらゲームやらをいっぱい用意したからね、こっちには暇つぶしはいくらでもある……さ~て、こうやって長々と話している間は、あなたも正気を保っていられる。そろそろ始めるとしようか」
「おい、待て」
星原を呼び止めようと声をあげる御剣。だが、彼女からの返事はなかった。向こうの声は遮断され、おそらくこちらの声だけが一方的に聞こえる状態になったのだろう。
が、それならそれで構わない。返ってくる静寂にも構わず、彼は続けた。
「別にあんたは黙ってていいから、こっちからもひとつ言わせてもらおう。俺はこれから、一言も喋らん。あんたがこれで俺を殺せると思えるなら思ってろ。だが、もし無事に俺がこの空間から抜け出すことになれば……その時は、覚悟しておけよ?」
それだけ言い終えると、腕を組みあぐらをかくような姿勢になり、じっと動かなくなった。宇宙を漂う一片の石の塊のごとく、呼吸しているのかどうかすら分からなくなるほど、微動だにしなかった。
その脇でロニーが呆れたようにつぶやいても、一切反応しなかった。
「あの女、そもそもこれでセーイチを孤立させたと思うのがバカなんだよ。はぁい Look at me!! ここにいるのは誰ですかー? 見ーえーまーせーんーかーっ? アハハッ、根比べか。逆に向こうをイカれさせちゃおうってわけね。手伝うよ」
※
あやめはただ、座り込んだまま呆然と宙を眺めていた。目元に溜まった涙も、虚無感が蒸発させてしまっていた。
そんな中でふと、ある衝動が、脳細胞の一片から滲み出てきたかのように沸き起こった。
本当に、自分にやれることは何もないのか? 今、御剣を直接助けてやることも、彼の敵を倒すことも確かにできない。しかし、だからといって、完全な無力であるとは限らない。
少なくとも、こうやって馬鹿みたいにヘタれこむ以外に、何かできるはずだ。何でもいい、とにかく何かが。
そうだ。今しがた考えていたところではないか。阿頼耶や柳沢、彼らの協力を得ようと。それは今からでも遅くないのではないか?
御剣とロニーはどこかへと消えた、だが、死んだと決まったわけではない。おそらくどこかで、あの星原という《保有者》と戦っているだろう。
そんな彼のためにしてやれること。それは、いざという時のために、万全の状態を整えておくことではないのか?
彼は、あやめを――彼女だけではない、多くの人々を人知らぬところで《因子》の魔の手から守っているのだ。これまでだって、あやめが知らないだけで、もう何十体、何百体もの《因子獣》を狩っているかもしれない。
そんな彼を、少しぐらいは手助けしたい。その気持ちだけは、おかしなものではないと思った。人間がごく“普通”に抱く、誠実さというものだ。
彼女は、意を決したように勢い良く立ち上がった。そうと決まれば、すぐにでも行動しなければならない。今、阿頼耶達がどこにいるのかは分からない。学校の敷地内にいるかもしれないし、もしかしたら外食のために校外に出ているかもしれない。そうなると見つけ出すことは難しい。それでも、彼らを見つけ出し、御剣の援護のために向かうよう頼む。それだけのことは、妥協せずやり遂げようと思った。
地面を蹴って駆け出そうとした瞬間だった。
聞き覚えのある声が耳朶を打った。
「待ってください、入須川さん!」
背後から聞こえた。その声のした方へと振り返ると、月詠と世良、そして佐原の姿が見えた。生徒会の役員達だ。
思い出した。月詠の《因子》が、常に御剣のことを監視していたのだ。となれば、この騒動にもいち早く気づき、世良の《因子》により駆けつけてくるのは当然のことだった。
これは助かる。御剣の手助けをしたいといっても、一人でやろうというわけではない。人手が増えることは有難かった。それに、佐原は阿頼耶達同様、戦闘面でも頼りになる。
あやめは興奮を抑えきれない様子で、捲し立てるように事情を説明した。
「わ、分かってるかもしれませんけど、御剣君が《保有者》に襲われたんです。それで、急にその《保有者》ごとどこかへ消えちゃって……私にもどこへ行ったのか分からないんです。でも、きっと彼は近くにいて、戦っているんです。だから、霧島さんや柳沢君を呼んで、いざって時のために備えておきたいんです。御剣君が彼らの助けを必要にした時に、すぐに動けるように、って……お願いです! 皆さんも手分けして、二人を探してください!」
すでに事の一部始終を“眼”を通して把握していた月詠が、他の二人に状況を説明していたのだろう。大体のことは向こうも分かっていた。
佐原が二つ返事で応える。
「よぉし、分かった任せとけ!」
月詠も、御剣が関わっているから渋るだろうと思っていたが、意外なほどに協力的だった。
「厄介事を起こすなと言った矢先にこれ……というのには、今回は眼をつぶりましょう。私の《因子》なら、学校内を幅広く見渡せる。いち早く二人を見つけられるように、努力します」
今回もまた、柳沢の時と同じく、御剣が一方的に喧嘩を売られる形だった。しかも、今度は少し自体が深刻そうだ。彼女の中の秩序を重んずる直感が、今は彼を助けることが正しいと判断したのだ。
世良の方は、言わずもがなである。
「連れてくる時も、俺がいるからすぐだ。この場で待機させておけばいいんだな?」
「う、うん。私も探す!」とあやめ。
それに月詠が続く。
「確か入須川さん。電話番号は交換してましたよね」
「え? そおだったの? 自分まだこの子の番号知らんのだけど……」と佐原。女子には女子の交流というものがあるのだろう。それにしても、いつの間にそんなことをしていたのかと思わざるを得ないが。
「まぁとにかく、見つけたら私に連絡してください。こちらを経由して世良君を呼びます」
「そういうことなら、よろしく頼むぞ」
「分かった」
「なんなら今から自分らともメアドぐらい交換し……ないよね、うん」
各々適当に状況への対応を取り決めたところで、行動するなら早めにしたい。阿頼耶達を見つけた時には全て終わっていたなんてことになれば、まさしく徒労というものだ。
「よぉし、それなら行くか!」
佐原の声を合図に、あやめ達は校内を手分けして探すべく、動き始めた。
次いであやめは、体育館裏を抜けて再び中庭へ戻ってくると、すぐさま懐から携帯を取り出した。まだまだ人手は増やせる。立花達だ。
そもそも今日も一緒に行動していれば、今頃協力してくれているはずなのだ。ここで呼ばない手はない。
――御剣君。あなたを助けてくれる人はたくさんいる……私も、その一人になってみたい!――
そんな想いを抱きながら、彼女は携帯を操作し、友人の番号へと繋げた。
それと共に、阿頼耶か柳沢、あるいはその両方がいないか、周囲を見渡す。二人が見つからない代わりに、別の二人組が視界へと映った。
立花達の連絡先は分かっていたが、あの二人については知らなかったので、これもまた好都合だ。
携帯を耳元に当てたまま、あやめはその二人に向かって大声で呼びかけていた。
「ちょっと! 友野君と常岡君だよねっ?」
(いや、私立花だけど……)
奇しくも同時に、立花が電話に出ていた。
※
御剣を、自分以外には何も見えない、自分が発する以外の音もまったく聞こえない、そんな“無”の世界へと閉じ込めたのはいい。だが、星原もまたその世界の中にいるのは確かだった。
だが彼女の場合は、この空間を作り上げた張本人であるし、自分の意思で自由に抜け出せるという絶大なアドバンテージがあった。だからこそ、精神にかかる重圧というものは、御剣に比べれば遥かに小さい、と自負していた。
それに、彼が極限の状態に耐え切れず発狂するまでの間、暇を潰す手段はいくらでもある。小説に漫画に携帯ゲーム――他に何もしなくてもニ、三ヶ月は潰せそうな量だ。実は予め別の空間へと圧縮し、さながら膨大な量のデータを保存したフラッシュメモリーのように持ち歩いていたのだ。こういうこともできるのが、彼女の《因子》の便利なところだった。
無音の空間で、他人の眼を気にすることもなく、一切の重みも感じない水の中を浮かぶような感覚の中で、ゆっくりと読書に耽る。むしろ彼女としては、ここほど快適な空間はないと言ってもよかった。もっとも、他人に無理やり引きずり込まれたら話は別だが。
自分自身そういう気持ちだからこそ、今の御剣の心境というものにも察しがつく。今頃、不安で仕方がないことだろう。いつまでこんなところにいればいいんだという思考のために、今のところは正気を保っているきあもしれないが、その思考にさえ飽きてきたころが地獄の始まりだ。
煮えたぎるような熱気も、針の山もない。ただ、何もされない、何も出来ないという地獄。
巷で話題の漫画を折角なのであれこれと、既刊されてある分全て買った。巻数も多ければ、漫画のタイトルも多い。全て合わせれば50冊ぐらいには達しようものか。その内のひとつ目に期待しつつ眼を通しながら、あの男の狂乱する声が聞こえないものかと楽しみに待っていた。音が聞こえても、姿を見ることができないことだけが不便であり、残念だった。
世間は面白い面白いと言っていたが、この漫画、あまり面白いとは思えなかった。
※
御剣がこの空間に引きずり込まれてから、早くも一時間が経過した。もっとも、実際はその1/4300だが。
一度意固地になった御剣は、テコでも動かない。まぁ、今はちょっと手で押しただけでも、その場でくるくる回り出しそうではあるが。
足を組んで座るような姿勢になったまま、ピクリとも動いていなかった。平滑筋まで弛緩し、胃酸の分泌すら止まっているのではなかろうか、と思えるほどだ。無重力である分、筋肉が疲労することもない。動かそうと思わなければ、それこそ延々と石のように固まっていることもできた。
深く眼を閉じ、口を真一文字に紡いだその表情の奥底に何が蠢いているのかを、判断できるものはいない。
しかし、そんな彼の瞑想を妨害しようとする者がいた。他でもない、ロニーだ。
彼女は度々、他愛もない世間話を一方的に喋り倒して、彼の集中力を乱そうとしていた。ちょっかいを出しているのか、あるいは彼の退屈と孤独に対する恐怖を和らげようという親切心なのか。またあるいは、彼と二人だけのこのひとときを楽しんでいるのか……
とりあえず思いついたことをべらべらと喋っていた彼女は、またその話題を変えた。
「折角の機会だしさ、ちょっと、昔のこと思い出してみる?」
御剣は返事をしない。それどころか、すでに死んでいるのではないかと思えるほど、一切の反応を寄越さない。それに構わず、ロニーは話し続ける。
彼女自身、それこそ星の数ほどありそうな話題の中で、何故それを選んだのかは分からなかった。
「七年前……懐かしいようで、昨日のことのようにも思えるね。あの頃のセーイチはちっちゃくてかわいかったなぁ~。でも……」
今まで微動だにしていなかった御剣の瞼が、ほんの僅かに揺れた。それに、ロニーは気づかなかった。彼女も、今回は特殊な状況に面して判断力が鈍っていたのだろうか。人間には誰しも、触れてはいけない部分というものが存在する。それは、御剣も例外ではないのだ。
そのことを忘れてしまっていた。
「ねぇ……天国ってものが実際あるんだとしたらさ。あの娘は今……」
「……ッ!!」
宵闇の中で静かに揺れていた林が突然燃え上がり、世界が朱の色に染まるのと同じように、御剣の瞑想は破られた。閉ざされていた眼は阿修羅の像がそうするがごとく見開かれ、菩薩のように組まれていた足も、手も、異様なまでに張り詰めた。
彼の脳裏に、数々の映像が浮かんでは消えていく。心の奥底に隠されていた、記憶のフラッシュバックだ。
大人の男女の姿が見える。それは、御剣の両親の姿だった。
だが、その顔だけが分からない。それが自分をこの世に産み落とした人なのだと分かっても、どういう顔をして、どんな声をして、どんな性格だったのかが思い出せなかった。
それもそのはずだ。何故ならこの二人は……
のっぺらぼうのようにぼんやりとした顔のようなものが張り付いていた二人の男女の像が、不意に消え失せ、別の像へと転じた。
真っ白な壁、天井。迫り来る漆黒の肉体を持つ怪物、ガラス越しにこちらを眺める白衣の大人達。それを、己の手より現れた巨大な剣を振り下ろし、真っ二つに断ち切る。二つに別れた怪物から溢れでた鮮血が眼にこべりつき、視界が真紅のフィルターにかけられた。
その像も、すぐに消え去った。
次いで現れたのは、一人の少女の笑顔だった。御剣はその少女を知っている。でなければ、記憶のヴィジョンに現れるわけがない。
己の心を映し出す鏡を眺めていた御剣の魂は、その笑顔に息を呑んだ。
分かるのだ。
ついでその笑顔が、血に染められることを。
フラッシュバックはここで終わった。
「……」
見開かれた眼も、全身の緊張も、束の間のことだった。すぐにその眼は細められ、四肢の強張りも弛緩していった。それでも、御剣の胸中で渦巻く無数の感情は消える気配も見せなかった。血液を介して、焼け付くような熱が全身へと伝わるのを感じる。
それは怒りだ。全てを焼きつくさんばかりの憤怒の溶岩だった。その源こそがあの日、己の心を粉々に打ち砕いたあの連中なのだ。
ヤツらを、皆殺しにしなければならない。
ロニーはここでようやく、してはいけない話をしたのだと気づいた。
「ご、ごめん、言うべきじゃなかった……」
脳天気な彼女にしては珍しく、神妙な顔で謝罪する。しばらくの間気まずい空気が流れた後――無重力で空気が流れるのかは知らないが――取り繕うように、ロニーはこう呟いた。もっとも、これで取り繕ったことになるのかは分からないが。
「……口をきかないって決めたから、言えないんでしょ? あなたの言いたいことは、分かるよ。セーイチは、ヤツらを皆殺しにして、復讐を果たさなきゃいけない。そのためにも、こんなことに負けるわけにはいかないんだ……安心だよ。今のあなたならこんな得体のしれないところにいたって、例え百年だろうが千年だろうが、こうして耐え続けられる。あの娘の元へと誇りをもって旅立てる、その時までね」
やはり、御剣は何も言わない。細められた眼をそのまま閉じ、また先程のように瞑想の姿勢へと戻った。溢れでた溶岩は冷えて固まり、また石となる。
動かなくなった彼の傍へと、ロニーはゆっくりと近づいた。無重力であろうと、実体そのものを持たない彼女には関係ない。
そのまま御剣の背後へと回りこみつつ、彼の身体へと抱きつくように腕を回した。
だが、身体に触れはしない。ただ、皮膚から数cm離れたところへと、腕を留めるだけだった。今は、本当に抱きしめるべきではないのだと思った。
「セーイチ。あなたは本当にひたむきね……なんだか、すごくかわいそう。でも、わたしはそういうところが好きなんだ」
今の彼女は、始めて御剣の前へ姿を現した時と、同じ気持ちだった。
「……人間よ。怒りを解き放ち、愛する者の尊厳を守りぬくために、この力、惜しみなく使いなさい……その復讐を、私は認める」
しばらくの間、ロニーはこのままの状態で留まっていた。
御剣の魂に課せられた使命が果たされない限り、彼の内に煮えたる憎悪と贖罪の念は、消えることはないだろう。




