Session.9 Straight Shooter Part.4
静寂を破り、柳沢の方が先に仕掛けた。同時に、彼は息ひとつ乱さず独白を始めた。御剣が希望した、自分が強者を求める理由というものを、語ろうとしているのだ。
繰り出された右拳と、彼の声が連なる。
「僕が……」
それを、上体を右に逸らすことで回避する御剣。が、さらに続けざまの連撃が襲ってきた。裏拳、鎌首のごとく曲がるフック、火山の噴火と共に突き上げられた岩石のごときアッパー。それらが次々に、こちらの顔を打ち付けようと迫り来る。それを紙一重のところでかわし、時にはガードする中で、御剣の耳には淀みない柳沢の声が届いていた。
「自分の《因子》の存在に気づいたのは、中学生一年の、秋ごろの頃だった。僕は中学に入ってからしばらくして早々に、クラスメイトからいじめられていた。三人組にね。教科書や筆箱を隠されたりするのは可愛いもんさ。毎日のように殴られた。外から見て分からないように、腹やら胸やらを執拗に。でもね、どんなに強く殴られても、痛くも痒くもなかったんだ。その時からもう、《Aランク》としての能力の片鱗だけでも目覚めていたんだろう。普通の子供なら吐くようなことをされても、僕にとってはじゃれてるようなものだった。屁でもなかったよ。でもね、身体の痛みは平気でも、心の痛みは耐えられないもんさ。その三人組は、クラスの全員に、僕が気持ち悪いから近づくなとか何とか言いふらすのさ。それで、ほとんどの人は面白がって、本当に僕に近づこうとしなかった。それで僕はね、このままじゃ、いろんなことがダメになってしまうかもしれないって、不安になったんだ。これじゃいけないって。だから、ヤツらに抵抗することに……仕返しすることにしたのさ。三人組の一人の顔を、思いっきり殴ってやった……こんな風に!」
突如、これまでの拳の連打とは比べ物にならないほどの速さの右ストレートが飛来した。なんとか腕でそれを受け止めることには成功するが、骨が砕けんばかりの衝撃が全身にまで響き渡る。細胞という細胞が、突然の振動のために混乱し、固まるのが分かった。あまりの威力のために、そのまま身体が5mほど後方に、靴底を擦り減らしながら押しのけられた。
拳を付き出した姿勢のまま静止した柳沢が、続ける。
「幸運にも、まだ完全に《因子》が目覚めてなかったんだろう。鼻の骨の粉砕骨折と頬骨にヒビが入って全治半年以上で済んだ。でも、その日から僕の人生は変わった。僕はすぐに検査を受けて、《保有者》として登録された。その日から、僕をいじめるヤツはいなくなった。でも、近づいてくる人もいないままだった。先生が僕をチヤホヤしながら、ホームルームの時には、『殺されたくなかったら怒らせるな』ってクラスのみんなに言って、僕を化け物みたいに扱った。まぁ、先生だけじゃなかったんだけどね。みんな同じさ。僕に殴られた子は、そのまま不登校になった。その子の親が僕の家に押しかけて、両親を罵倒しに来たよ。でも、両親は文句を言うなら僕に殺させるぞって脅してた。《先導会》からの《保有者》に対する義援金を貰って、遊び呆けるようになった親がさ。その親だって、僕にビクビクしてた。他人を殺させる前に、自分達が殺されないようにしなきゃって……みんな……みんな、ホントにみんながみんなそうだった。僕を人間として見てくれる人は、ひとりもいなくなった。僕が、何を……一体何をしたって言うんだ? いじめられて、何もかも駄目になりそうだった運命に、逆らおうとしたのが駄目だったのか? あのまま大人しく殴られて、無視され続け、持ってるものみんな捨てられていれば、もう少しはマシな人生になったのかな」
吐き捨てるように最後の言葉を発した次の瞬間、再度柳沢は御剣の懐へと飛び込んできた。その顔は、怒りに歪んでいた。眼を見開き、歯を食いしばっている。それでも、元の顔が端正なものだから中々“サマ”になっている美しい表情ではある。だが、だからといって、顔が良ければその胸の内で煮えたぎっているものが冷めるわけでもない。
昔の記憶に対する行き場のない憤怒を、御剣にぶつけようとしているのだ。それが筋違いだということは彼自身よく分かっていることだろう。だが、彼は自負する通り、正直な人間だ。自分の感情というものに。
何でもいい。とにかくこの怒りを拳に乗せて、ぶつける機会というものが必要だったのだ。
それを、御剣は理解した。だからだろうか。
戦意が萎えたというわけでもない。同情した……ということは少しはあるかもしれないが、だからでもない。ただ、“そうしなければならない”という、奇妙な使命感のようなものを受けたからだ。
真っ直ぐに繰り出された彼の拳を、かわさず、ガードすらせず、真っ向から受けることにした。“ケジメ”、という言葉なら近いかもしれない。たった一発だけ、あえて受けるのだ。
だが、その一発だけが壮絶だった。鉄槌打ちにより赤く腫れた鼻先にトドメを刺さんばかりに直撃した拳が、骨を砕きながら、鼻腔にまでめり込んできた。メリメリと、湿った樹の幹をゆっくりと折るような音が体内で響き、肉を伝わっていく。
今度こそ意識が、風速30mの豪風にもまれる折り紙のごとくぶっ飛びそうになる。白目を向き、大きくのけぞる御剣に、柳沢がさらに追い打ちをかけた。強烈な左フックが空を引き裂きながら飛来すると同時に、彼の低い叫びが重なった。
「三年間!」
頬に拳がめり込む。今度は左に身体がよろける。次は右フック。その次は左アッパー、続けざまに、斜め上から振り下ろすような鉄槌。再び、絶え間ない拳のラッシュが御剣を襲った。しかし、今度は間隔が少し長い。だがその分、一発一発の拳にかけられた力が、段違いに強い。
その全てがモロに当たる。一発だけなどというものではなかった。一方的だ。これではサンドバックだ。
「僕はッ! そうやって、過ごしてきた! 誰からも、恐れられ……ながら!」
何発目かの右フックが御剣の頬に叩きこまれたところで、柳沢は背中を丸め俯き、両腕を力なく垂らして動かなくなった。曲がった背中がゆっくりと上下に揺れている。肩で息をしているといったところだ。魂ごとぶつけるような怒涛の殴打を繰り出したのだ、その分消耗も激しかったのだろう。こめかみから流れた汗が頬を伝い、顎から床へと滴り落ちる。湿り気を帯びた息が吐き捨てられ、肺の中の空気を残さず入れ替えるように、大きく空気が吸い込まれる。
御剣の方も、続けざまの頭部へのダメージで、立っているのがやっとの状態だった。
「う……っ」
メトロノームのようにフラフラと上体を揺らし、右手で額を抑える。が、身体が満足に動いてくれない。このままではマズイということが分かっているのに、四肢に力が入らない。
荒い息を吐き捨てると共に、俯いた柳沢が呟く。
「でも、そんな中で、この葦原学園の存在を知った。ここでなら――《保有者》がいることが当たり前のこの学校になら、僕を恐れない、僕と対等の立場に立ってくれる人がいるかもしれない。僕は中学を卒業してすぐ、《先導会》からの援助を受けて、屑みたいな両親から離れて寮生としてここに入学した。そうして、探していたんだ。僕の求める人を……どれほど殴ろうと決して倒れない、そんじょそこらの葦の草のような人間から遥か高みに立った強者を。そんな人を見つけた時、僕は、全身全霊をかけてその人を試してやるって決めてたんだ。御剣君、もしかしたら、君がその人かもしれない」
段々と、柳沢の呼吸が落ち着いてきた。脱力していた両腕に、再び力が宿り始める。俯いていた顔を上げた彼の双眸には、ぎらついた光明が宿っていた。そろそろ、その顔つきは美形だとは言えないものになりつつある。
口角を吊り上げ、微かに開いた歯の隙間から、熱気と共に声を吐く。
「分かるかい。僕はね、これまで生きてきたこのロクでもない、神様がおふざけで作った失敗作みたいな人生の中で、こんなに興奮したのは始めてなんだ。なんだか、すごく……よく分からないけど、すごくワクワクするんだよ! ここまで本気を出したのも始めてだ。やっぱり期待通りだった。この学校はすごい、素晴らしい! 君もだ御剣君……御剣 誠一!」
彼の両腕が伸び、御剣の身体を掴んだ。意識が朦朧としている彼には、それに抵抗する術がない。彼の左腕がこちらの右腕を掴み、右腕は襟首を掴む。
「御剣ーーーッ!!」
雄叫びと共に、掴んだ身体を、屋上への出入り口の壁に向かって投げつけた。超高校級球児の投げる豪速球ほどの速さで投げ飛ばされた御剣が、コンクリートの壁に背中を叩きつけられる。そのままぶち破ってもおかしくはないのだが、そうならないのは《因子》の技だ。異様なほどに興奮してもなお、そうするだけの意識も柳沢にあった。《保有者》とは、冷静さを保ったまま狂気に奔ることができる生物なのだ。
「グ……ハッ」
呻きと共に、鉄の匂いを喉元までこみ上げながら、生温い息を吐く御剣。そこにすかさず、柳沢が迫った。
容赦無い彼の肘打ちが、上顎にめり込む。
「どうだァ!!」
再び、打撃の猛襲が御剣を襲った。今度は、身体を壁に押し付けられた状態でその全てを受ける。作用と反作用、前と後ろ両方から圧し潰すような衝撃が伝わる。
柳沢の拳が、あるいは肘鉄が命中する度に、巨大な石がより巨大な石に叩きつけられすり減らされるような音が鳴る。骨の悲鳴のアンサンブルだ。
皮膚が裂け、そこから血が溢れ出してくる。あるいは内出血を起こし、肌が赤みがった紫色に染まる。
その中で、柳沢の叫びが、エコーのように脳を揺らした。
「僕は、本気だ! 君を殺す気だ、これに応えてみろ! そっちも殺す気でこい!! 一方的に殴られてムカツクだろ、悔しいだろ! 僕は悔しかった! 何もしてないのに殴られて、笑われて、ずっと仕返ししたかったんだ! 君だってそうすればいい……そらァやってみろよッ!!」
再度、彼の拳が鼻先にめり込む。後もう一撃でも喰らえば、彼が病院送りにしたといういじめっ子と同じ末路を辿ることになりそうだ。
「僕は、一発殴られただけで砕けるような貧弱な馬の骨共とは違う。君が本気でぶん殴ったって、立っていてやるぞ!」
胃袋をえぐりとるようなボディブローが、再び御剣の腹を捉えた。
「ウブ……ッ!」
胃液どころか、血の塊を吐き出しそうになる。それらが交じり合った液体が喉元まで上がってくるのを飲み込んでから、彼は何故だか、口元を綻ばせた。
段々と、柳沢に対する怒りを忘れているのに気が付いた。
いっそ笑いたくなってくる。まったく、つくづくイカれたヤツだ。柳沢にも事情があるというのは分かったが、それで何故今自分がこうやって死にそうになるほどボコボコに殴られているのかは分からなかった。彼は、思考回路が異次元どころか、別の時間軸の五十次元ぐらいにぶっ飛んでいるのではなかろうか。
それが、逆に面白かった。なんだか言いようのない不思議な気分だった。一発一発が鉄の塊を粉々に砕くような拳の群れを受ける度に、親近感――とは違う。使命感とも違う、とにかくよく分からない奇妙な気持ちが胸中に満ちるのを感じた。
それは少なくとも、嫌悪のような類のものではなかった。
柳沢の身体が、一旦離れる。
「君だって同じだ。君だって、僕が本気で殴っても倒れなかった。僕と“同じ”だ。君は、僕が始めて出会った、“同じ”人間なんだ……それを証明してみろ、同じだということを、御剣。生命の燃料が燃え尽きるまで戦って……僕と同じ目線に……立ってみろォォーーッ!!」
渾身の蹴りが、さらに御剣の腹にめり込んだ。
「ゲボ……!」
今度こそ、血と胃酸の混じった液を吐き捨てる。それが、柳沢のズボンに降りかかり、黒い布地に僅かに赤い色を染み込ませた。黒という、全ての色を飲み込む“無”の色の中でも目に見える、鮮血が彩る生命の色だ。
柳沢の足が離れると、御剣は、制服の奥に隠れる内出血により青黒く腫れた腹を両手で押さえ込んだ。内臓が潰れていてもおかしくはない。常人ならこのまま死ぬだろう。現に御剣ですら、壁にもたれかかって、虚ろな眼をどことも言えないどこかに向け、半開きになった口から血を滴らせながら、死人のごとく微動だにしなかったのだから。
その姿を血走った眼で見つめる柳沢。その顔は、笑っているようでも怒っているようでも、驚いているようでも、泣いているようでもあった。ありとあらゆる感情が乱雑に混ざり合っていた。
不意に、誰かが肩を軽く叩くのに気づいた。背後に振り返ると、そこには、燃え立つような赤い髪の少女の顔が見えた。地獄の底のごとく濁り淀んだ眼で、こちらを睨んでいる。そこには、柳沢ですら恐怖で一瞬身がすくむほどの、得体のしれない殺気があった。
ロニーだ。
「身の程を知れよ、人間ごときが。私のセーイチにそんな真似をするんじゃあ……ないわ」
彼女が唸るようにそう呟いた、次の瞬間だった。柳沢の視界の中で、彼女の姿がいくつにも“分裂”した。こちらの肩に触れているロニーの背後に、腕を組んだ無数のロニーが見えたのだ。彼女の1m隣にまた彼女がいて、その1m上にもまた彼女の姿が見える。等しく腕組みをした、合わせて12人……肩に触れているのを合わせれば13人のロニーが、柳沢を見据えていた。
“分身”というやつか。一体どういう理屈でこんなことができるのだろう。凄まじい速さで動いて、その残像を見せているのか。だとしたら、《Aランク》の動体視力ですら追えないほどの速さということになる。どれほどの速さというのだ。それこそ、光速に届いていそうだ。
「……っ」
こいつは――突然現れたこの少女は、一体何者なのか? こんなヤツが、この世に存在するというのか? 柳沢の脳裏に、疑問と好奇心が沸き起こる。
恐ろしさの中に、可憐さと凛々しさも感じる彼女が、言葉を続けた。
「井の中の蛙どころじゃない。母胎の中の胎児だ、あんたは。私が世界の現実ってヤツを教えてあげるわ。今までどういう人生を歩んできたのか知らないが、我々にとってはあんたなんか、生まれてもない赤子みたいなもんだってことをね……景気よく産声をあげなさいな」
ロニーはやる気だ。そして柳沢は直感的に、彼女と戦えば自分は敗北すると思った。あっという間に、痛みを感じる間もなく殺される、と。それを覚悟しなければならなかった。
だが、突然彼女の声に続いて響いた、雲を突き抜けんばかりの大きな叫びがあった。
「やめろ、ロニー・ロングッ!!!」
「んおお?」
「……!!」
先程までの殺気が嘘のように、眼を丸くして素っ頓狂な声をあげるロニー。その背後にいた分身も、一瞬にして消え去った。
柳沢が眼を見開き、再びその声の主の方へと向き直す。
御剣だ。彼の眼に生気が戻り、死人のごとく壁にもたれかかっていた身体は、然と地に足をつけ、力強く立っていた。
「これまでずっと俺と一緒にいたっていうのに、分からないのか? あんたもまだまだだねぇロニーちゃァ~ん。俺はご覧の通り、元気いっぱい有り余ってるぜ……!」
不敵な笑みを浮かべながら、もう一度身構える。その筋肉の張りと、闘志がいささかも衰えていない眼光を見れば、その言葉があながち嘘でもないと思えてくる。
眼に光が宿ったのは、柳沢も同じだった。
「は……ははは! ヤバイ。なんかもう楽しくなってきた。僕、生まれてきたことに始めて感謝してる気がする!」
そう感嘆しながら、彼もまた身構える。
まだ終らない。むしろ、彼らの決闘は俄然盛り上がってきたところだ。
混ざり合っていた感情を打ち消して、歓喜が柳沢の顔に満ちる。その顔に向かって、御剣は言った。
「だったら、これからもっと感謝しながら、俺にぶっ飛ばされるといい……柳沢よぉ。この喧嘩が終わったら、あんた、俺のダチにしてやってもいいぜ」




