Session.9 Straight Shooter Part.3
柳沢の拳が鼻先から離れる。そのまま御剣はよろめきながら数歩後ずさりした。脳髄が揺さぶられ、シナプスを走る意識の源となる雷電が途切れ、視界が真っ白になりそうだ。だが、そこをかろうじてこらえた。綺麗に円弧を描きながら仰向けに倒れそうになるところを、めいっぱい足を踏ん張って耐える。
それを見て、柳沢は僅かに驚いた。退屈の極みと言いたげだった双眸に、僅かに喜色の輝きが宿ったように見えた。感心した様子で言う。
「そのまま倒れるだろうと思ってたんだけど……なるほど、確かにそこら辺の十把一絡げの雑草なんかとは違うんだね。見なおしたよ、ちょっとだけ」
「そいつぁ、どうも……」
正直言って、御剣としては少々マズかった。彼は別にプライドが高いわけでも、自分に対する不利益を何が何でも許容しない類の人間でもないから、眼の前の事象を素直に捉えることができる。
この柳沢、強い。これまで戦ってきた有象無象の《因子人》共よりも、遥かに格上だ。こちらの勝率をパーセンテージで表せば、間違いなく50は下回っている。
だが、その現実を前にしても、彼の戦意は萎えてはいなかった。むしろその逆だ。意気軒昂、身体の内側から闘志が湧いてくる。
上唇まで垂れてきた鼻血を袖で拭い、身構えた。両腕を胸の前で折り曲げて、上半身と顔をガードする。それは、ボクシングで見られるようなファイティングスタンスだった。あるいは、多少心得のあるものが、喧嘩をする時の構えか。柳沢の鉄槌打ちで脳みそが揺さぶられたことにより朦朧としていた意識は、もう回復していた。こちらとて伊達に《Aランク》ではない。深刻なダメージにはなっていない。まだ充分に戦える。
それを察し、柳沢が御剣の構えに応えた。やはり、その顔には僅かな充実感が見える。もっとも、本当にほんの僅かであるが。
彼もまた身構える。全身の筋肉が張り詰める堅硬な構えの御剣に反して、極力筋肉の緊張を押さえた、中国拳法のような構えだ。さながら、学生同士の異種格闘技戦の様相を呈してきた。
今まさに、その第二ラウンドのゴングが鳴ろうという中で、不意に御剣が言う。
「ちょいと、頭クールダウンしてきた……柳沢とか言ったよな。聞きてえことがある。まずはそれ聞いてからぶっ殺してやるから、応えろ」
「それは、こうやってじっとしてなきゃ聞けないようなことなのかい?」
「……いや、別に」
その返事と同時に、御剣が右ストレートを放つ。柳沢は、突っ立ったまま喋らずに、殴りあいながら話をしようということ言っているのだろう。だったらそれに応えるまでだ。
放った拳を、相手は一歩身を引いてかわす。続けざまに、マシンガンのようなジャブの連打を繰り出しながら、御剣は口を動かした。
「大体なんであんた、俺に決闘を挑んだ? 俺、あんたから恨みを買うようなマネはしてないと思うんだが……なァ!!」
ジャブによる牽制に続いて、大きく飛び上がりながら、側頭部目掛けて右回し蹴りを放つ。柳沢が姿勢を低くしてかわすが、それこそが御剣の狙いだった。彼はさらに身体を大きく回転させ、そのまま左足による後ろ回し蹴りを放った。下がった柳沢の頭に追撃を加える。これはさすがに向こうもかわすことができなかった。
踵が強かに側頭部に命中し、柳沢の上半身がガクリと揺れる。相手に背を向ける形で着地した御剣は、間髪入れず、振り返りざまにさらに右後ろ回し蹴りを叩き込んだ。夏目 貴靖の腰巾着の一人、“バタフライナイフ”くんをノックアウトして見せた一撃だ。もう反対側の側頭部にも、爽快な音を立てて直撃した。柳沢が大きくたじろぎながら、よろよろと千鳥足で離れる。並の《保有者》なら、千鳥足どころか、よろめく間もなく倒れているはずだが……
浅い。クリーンヒットしたはずなのに浅いというのはどうことなのか知らないが。
柳沢がすぐさま構え直す。「ハハハッ」と、愉快そうな笑みを漏らした。
「フンッ!」
追い打ちと言わんばかりに、その懐に飛び込みつつ再び右拳を真っ直ぐに突きつける。が、柳沢の身体はその下をすり抜けて、逆にこちらの間合いの内側に入り込んできた。次の瞬間、凄まじい衝撃が御剣の腹部を打ち据えた。胃袋が爆裂するような痛みが広がる。ボディブローだ。
「うぐ……ッ!」
歯を食いしばり呻く御剣の懐で、柳沢が先の問いに応えた。
「別に、恨んでるわけじゃないんだ。ただね、ずっと探してたんだよ」
「な……に、を……ッ」
「強いヤツさ。僕が本気で殴ってもくたばらない。逆に僕を倒れさせるぐらいの力を持った《保有者》。もしかしたら君が、それなのかもしれなかったのさ……もっとも、その様子を見るに、期待はずれだったのかもしれないけどね」
また、先ほどの退屈そうな気配が、彼の身体から発せられるのを感じた。
なるほど、この柳沢 興がどういう人間なのか、少しだけ分かってきた気がする。御剣は、口角を引き上げ、獣が牙を剥くような笑みを浮かべた。
「そうかいそうかい、そお~~かァい期待はずれかい。ちょいと口のきき方が……」
「……っ?」
こちらの懐に入ったままの柳沢の、後ろ襟を掴んだ。
「悪いんじゃあないのか……?」
そのまま襟首を引っ張り、頭を無理やり上げさせる。
そして……
「オラァッ!!」
渾身の頭突きを、額にお見舞いした。骨と骨がぶつかり合う鈍い音が響く。
「う……ッ!」
今度は、柳沢が呻く番だ。さらに、頭突きは一発では終わらない。
右手を離し、今度は両手で頭をがっしりと押さえ込んだ。咄嗟に引き剥がそうと、柳沢の両手が手首を掴んでくるが、時すでに遅しだ。
「俺を……!」
二発目の頭突き。
「舐めんじゃ……!」
三発目。
「ねえぞ!」
四発目。
「この!!」
五発目。
「ボケがッ!!!」
ラスト、六発目。そこでようやく、両手を離した。
さすがに先ほどの柳沢の発言には、クールダウンし始めていた頭が再び沸騰するほどに”キレ”た。脳の形を歪めるつもりで放った渾身のヘッドバットは、かなりのダメージとなったようだ。
柳沢は、数歩後ろに後ずさりした後、足を滑らせて空を仰ぎ見るように転倒した。
「く、あ……」
気絶こそしていないが、視界がウルトラQのオープニングのようにぐるぐるとねじ曲がって見えていることだろう。そんな彼を見下ろしながら、御剣は冷然と言い放った。
「新しい質問がふたぁつ~~。まずひとつ。なんで強いヤツを探してるんだ? ふたつ。俺は期待はずれか?」
数秒の沈黙が過る。二人の熾烈な攻防に反して、空は変わらず穏やかなもの、まるで絵に描いたようだ。真っ青なカンバスに描かれた白い雲が、生きた絵画のごとくゆっくりと動いている。二人の決闘など知らないのだろう。
風すらも吹かない中では、柳沢の静かな声もよく聞こえた。
「……今言っても説得力ないだろうけどさ。僕はこの通り、強い。《Aランク騎士型》としても、頭ひとつ抜きん出てるらしい。そんな僕を、弱い“ただの人”達は恐れていた。そりゃそうだ、僕と同じ立場に立とうとすれば、ひょんなことで殺されてもおかしくない。故意だろうが不本意だろうがね。だからみんな、僕と目線を合わせようとしてくれない……だけど、僕と同じくらいに。いいや、僕よりも強い人なら、きっと僕を恐れない。僕と同じ目線に立ってくれる。そういう人に、ずっと会って見たかったんだ。そうして、本気で、殺す気でやりあってみたかった。それがひとつ目に応えさ」
「……なるほど、案の定。あんたもしっかり《Aランク》だったってわけだ」
御剣の言わんとしていることを、柳沢は曖昧に察した。
《Aランク保有者》。それは、強大な力と引き換えに、人間としての常識をかなぐり捨てた連中なのだ。人間に対して殺意を抱くことに何の疑問も持たないようなヤツが、当たり前のようにいる。そしてそれは、御剣とて同じだ。
そう、同じだ。
「その話、よかったらもうちょい聞かせてくれや」
「フフ……その前にふたつ目の質問に応えるよ。済まなかったね。僕、少々正直すぎるところがあって、思ったことをすぐ口に出してしまうんだ。でも、訂正するよ。“外れ”じゃない。“以上”だ。期待“以上”……すごいよ、君は」
脳みそがシェイクされるほどの頭突きの応酬を受けた割には、柳沢は清々しい顔をしていた。彼は、徐に仰向けのまま右手を上に折り曲げて、手のひらを床面につけた。続けて下半身を、大腿と腹筋の力だけで持ち上げ、逆立ちになる。寝そべった姿勢から、足を蹴りもせず逆立ちするなど、普通の人間からすれば曲芸にしても異常なことだ。が、それを息をするように軽々とやってのけるのが《Aランク》だ。
「よっと」
次いで、体重を文字通り一手に支える右腕を屈伸させ、跳ねるように数十cmほど飛び上がり、素早く宙返りして逆向きになりながら、改めて両足をついて立ち直った。必要性の感じられない、滑らかながらも無駄の多すぎる動きだったが、だからこそ、まだまだ余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)だということを誇示しているのだろう。
首をコキコキと鳴らしながら、相変わらず笑顔のままの柳沢。
「ハッハハハ! 何だか楽しくなってきた!」
「俺は俄然ムカついてきたけどな。まったくどこまでもウザッてえ野郎だよあんたは……けど、俺も半分ぐらいは同じかな」
柳沢の笑みと違い、見た者の悪夢の中に現れるような不気味な笑みを浮かべる御剣が、再び堅く身構える。次なる柳沢の攻勢を、待ち構えているのだ。さっさとこの生意気な男をブチのめしてやりたいという凶暴な闘志と同時に、明らかにこの状況を楽しんでいる自分がいることに気づいていた。どちらかと言えば、今はそちらの感情の方が強くなっているかもしれない。
早く、先のような攻防をもう一回やりたい。こちらの拳が空を突き抜け、相手の拳が迫り来るその度に、何か、言いようのない何かが身体の中に蓄積されるような気がする。
「話は闘りながらでもできるってもんだ。次、かかってきな」
そんな御剣の挑発に応え、柳沢が、右手の甲で口元を拭ってから、再び構えた。ますます拳法家じみた動きだ。
互いにファイティングスタンスを取ってから、一瞬の沈黙が場を支配する。コンマ数秒にも見たない、まさしく刹那と呼べるような間だけだったが、その刹那の間だけ、互いの視界には、相手の姿しか映っていなかった。タイル張りの床も、鉄柵の向こうの青空も消え去り、ただ白く染まった世界に、自分を倒そうとする者の姿しかない……




