伊集院 兼人 講演 その1
今回は、本編からは少し離れた番外編のようなものだと思ってください。
ロシア某所のホール。ここで、ある一人の男の講演会が開かれていた。
伊集院 兼人。《因子再構築永久機関(Fact Rebuilding Eternal Energy System)》、略称《FREES》の開発者であり、研究開始からわずか三ヶ月でノーベル賞を受賞、全世界にその名を衝撃と共に轟かせた男だ。その功績の“タネ”は、彼の中に宿る《賢者型因子》にある。
今回のこの講演会も、ロシア国内に《FREES》を利用した大規模発電施設が建設されたことに際してのものだった。
壇上に上がり、国内のみならず、全世界の科学者、要人が整然と並ぶ座席を遠くに見据える伊集院。齢三十六にしてはやや老けて見えるという以外には、実に健康的な男だ。チタン製の細い銀色のフレームの眼鏡をかけ、白髪交じりの髪をオールバックにまとめ、黒のスーツを身にまとうその出で立ちは、見るからに真面目そうだ。しかし同時に、レンズの奥でギラリと光る鋭い眼光は、一瞬、彼が“カタギ”の人間ではないとすら錯覚させるほどの威圧感を発している。
聴衆の数は五百に達しようか。数はともかくとして、その全てが国家の政治、あるいは研究を担う首脳陣である。しかし、そんな者達を前にしても、この男は何一つ物怖じする様子を見せなかった。
当然の話だ。彼には、絶対の自信があった。自惚れではない。研究において自分と同じ土俵に立てる人間はこの場には一人もおらず、人間が持つ換金不可の価値というものにおいてもまた、自分の足元にも及ばないような者達しかいないと確信していた。
この公演は、別に自分の輝かしい成果を誇示するものでも、世界に向けてアピールするものでもない。ただの世間的な付き合い――パフォーマンスの延長線でしかなかった。もっとも、何一つ目的がないというわけでもないが。
そんな心境の彼が発する言葉に、緊張の色があるわけがなかった。
「本日は、私のようなしがない一学者の話をお聞きくださるために、わざわざお越しくださいまして、ありがとうございます。ロシア国内のみならず、世界各国よりお越しくださった方もいらっしゃるようで、私としてはとても光栄であります。今回皆様がお集まりになられたのは、このリュダ・サービッツェ発電所建設のお祝いと共に、ここで利用されている《因子再構築永久機関》、いわゆる《FREES》について聞くため、という理由がほとんどでしょう。ですので、早速本題に入らせて頂こうと思います」
そこまで言い終えると、伊集院の背後に巨大なホログラムが映し出された。リュダ・サービッツェ発電所の炉心の構造を示す図である。十数年前に稼働していた――現在も稼働しているが――原子力発電における炉心に比べればかなり単純化された構造である。その図の中心にあるものに、聴衆の視線は集中した。この発電機の主なる原理である、《FREES》の概略図だ。
「《FREES》とは、特定の組成、体積、質量を持った物質に、特定のエネルギーを外部から加えることで崩壊を引き起こすと共に、膨大な熱量を放出させるシステムです。これだけですと、核分裂反応を想像する方もいらっしゃるでしょう。現に、この発電所で発電される電力の元は、従来の原子力発電と同じで蒸気によりタービンを回すことで発生する起電力です。しかし、まったく同じかと聞かれれば、決してそうではない。この《FREES》では、崩壊により生じる放射線などは一切なく、原子力発電で発生していた核廃棄物などもないのです。その上、一度崩壊した物質は、同じく膨大な熱量を発生させながら、瞬時にまったく同じ組成で再構築されるのです。これについては、核融合と類似しているとお考えになる方がいらっしゃるでしょう。しかし、《FREES》の場合は、物質が融合するために、外部から原子を取り込む必要もなければ、融合の過程で質量が減少するようなこともない。分裂した原子がそのままの形で結合し、前とまったく、何一つ変わらない形で再構築される。しかも、エネルギーを放出しながらね。そして再構築された物質は再び崩壊し、また再構築される。これを幾度と無く繰り返すことで、半永久的に熱量を生み出し続けるのです」
聴衆の中に、神妙な面持ちで伊集院の姿を眺める者達がいくつかいる。紛いなりに、彼の同業者をやっている者達だ。彼らとしては、あの男の言っていること信じられないのだろう。物質がエネルギーを生み出しながら崩壊するのはいい。しかし、崩壊した物質が、一切外部からエネルギーを取り込むことなく、まったく同じ形で、しかもさらにエネルギーを放出しながら元に戻るというのが、冗談にしか聞こえなかった。これはさながら、これまで築き上げられてきた物理科学の塔を、一撃で崩壊させる巨大な槌だ。
伊集院は続ける。
「放射線も廃棄物も出ない。そして、反応を繰り返している炉心に万が一衝撃が加えられ破損することになった場合には、反応は瞬時に停止する。炉心融解も爆発も起こらない。ぴ……ったりと、何事もなかったように止まるのです。事前の予習にご熱心な皆様でしたら、以前実施した実験の映像をご覧になられたでしょう。小型の《FREES》炉心に衝撃を加えました、あれが仮に核分裂炉だったとしたら、大惨事です。あの場に居合わせていた私は、今この場には立っていないでしょう。しかし、現実はこうです。容器に亀裂が入ったというのに、何も起こらなかった。もしやこの場に、あの映像が《FREES》を危険視する声をねじ伏せるためにでっち上げたものだとお考えの方はいらっしゃらないでしょうか? もしいらっしゃるのなら、今すぐこの場でご起立願いたい。ピストルを一丁差し上げますので、それでこのペテン師の頭か、恥知らずなご自分の矮小な脳のどちらかを撃ちぬいていただきたいですなぁ。このロシアだけではない、アメリカ、中国、ドイツ、そして私の祖国日本でも《FREES》の発電所が建設され、現在も稼動を続けている今、この場で……ハハッ」
彼の言葉は、段々と高慢さと侮蔑を帯びてきていた。だが、誰も彼に対し野次を飛ばしたり、席を立ったり、本当に拳銃を撃ちこんだりするような者はいなかった。完全に自己完結し、その上永久的に持続し、不測の事態に直面すれば、瞬時に停止する。そんな熱機関を生み出した男に食ってかかる事自体が敗北であるのだと、皆悟っていたからだ。
伊集院の演説は続く。
「さて、まだ説明が不足しているということは私としても重々承知しておりますが、《FREES》の詳細な原理については極秘事項なのです。どのような組成の物質を用いるのか、加える外部エネルギーとは何なのか。それらは何一つ、この場でお話することはできません。《FREES》なるシステムがあるということを知ることができるというだけでも、涙を流して感謝感激、平身低頭して頂きたいところなのですよ、私としては。ということで、お次の話題に移りましょう。というのも、他でもない。何故、《FREES》の詳細を公開しないのか、ということです。また、これと関連して皆様にはもう一つ、お聞きしたいことがあることと存じております。《FREES》による発電は原子力に比べて格段に安全で、かつ、発電設備も縮小化することが可能であります。だというのに、未だ世界で稼働している発電所はごく少数に限られている。前述した四つの国に加えて、このロシアの、たった五つ。それは何故か、ということです。前者については、開発者である私が使用権を独占するためだと言う輩もおります。もし万が一、この場にもそのようなお考えをお持ちの方がいらっしゃるなら、やはり、ご起立頂きたいものです。今度は、そうですなぁ……鉈でもお渡ししますよ、どうぞここまで上ってきてください。ご希望とあればチェーンソーでもKSVKでもお渡ししましょう。さ、どうぞ」
挑発するように言う。が、やはり、その挑発に乗る者はいない。仮に、本当に対物ライフルで彼をトマトソースにしたとしよう。人類史に残る生きる宝を喪失させた大罪人として、負の歴史に永遠に名を残すことになる。いくらその態度が気に食わないといっても、その不服を表に出せるだけの度胸は、この場にいる誰にもなかった。そもそも、対物ライフルを軽々しく振り回し、他の聴衆を誤射することなく正確に人一人の頭をぶち抜くことができる者がいるかどうか。
「皆様にはお分かりではないですか? もし分からないというのでしたら、冗談抜きに、同じ科学者として軽蔑します……先ほど《FREES》は、核反応の類とは違うと述べましたが、やっていることそのものは酷似しております、となれば当然、兵器への転用も可能であるのです。私はそれを恐れている。もしそれが現実のものとなれば、水爆に変わる新たな大量破壊兵器が湯水のごとく生産されることになるのです。そのような危険がある内は、私は何があろうとも、私が生み出したこの技術を世に出す訳にはいかない。ダイナマイトを軍事に用いた自分達を棚に上げ、ダイナマイトが生み出されたことそのものを罪としてきたような人類が、これを使うに足るインテリジェンスを得るその時まで……何も私は、人類に絶望しているわけでも、軽蔑しているわけでもない。しかし、現実問題として今も、物事を即時的、かつ短絡的に解決しようという思想が、人心に氾濫しているのも確かなのです。現に今!」
彼が声高らかに、何かを呼ぶかのような声を上げた次の瞬間、低く重苦しい音がどこからともなく届き、ホールの空気を鈍く震わせた。地震……の音ではない。揺れもない。が、それ以外に想像ができないような、鈍く低い音だった。他にこのような音が鳴るような状況を、この場にいるほとんどの人間は思いつかなかった。だが、何かが起こった。それだけは、皆一様に察していたようだ。
重低音はさらに断続的に起こり、その度に、その音のディテールというものをはっきりとさせてきた。何かが破裂し、衝撃が広がるような、そんな音だ。心なしか、徐々に音量が大きくなっているような気もする。俄に色めき立つホールの中で、ただ一人、伊集院だけは落ち着き払っていた。
最初の音から数分後、突如、ホール天井に備え付けられているスピーカーから、放送が流れてきた。
(ホールが、正体不明の武装勢力により襲撃されました。現在、警備に当たっているロシア陸軍部隊が応戦しております。各国代表の皆様は、どうか落ち着いてください)
その声は、多少落ち着きを保ってはいたが、それでも、各国の要人が居合わせるような場所で仕事をするだけのプロ意識を持ってしても隠し切れない動揺というものを、ありありと感じ取ることができた。ホールが俄にざわめきはじめる。陸軍まで出張って警備にあたっているこの場で、テロが勃発したというのか? 一体何故。
座席に座っていた聴衆が、近くにいた者と口々に何かを言い合う。あるいは、各々携帯の通信端末を取り出すなりなんなりして、状況を確認するためにホールの外にいるであろう自分の小間使い達と連絡を取ろうとする者もいる。場内は、一時騒然となった、というよくある表現が似合う光景だった。
が、その混乱を一瞬にして鎮めたのが、伊集院の一声だった。
「え~、皆さんご静粛に! これしきのことで取り乱して、それで一国の首脳だというんだからお笑いですな。自称私の同業者であるならまだしもね」
騒がしくなり始めたホールが、静けさを取り戻した。それと同時に、あの壇上の科学者に対する不信の目が、聴衆の群れの中でギラギラと輝いていた。そもそも、重低音――爆撃の音か何かだろう――が鳴る以前の彼の態度。伊集院は明らかにこの事態を予測していた。一科学者が、テロリストの襲撃をどうやって予想するというのか?
とはいえ、予想が不可能というわけでもなかった。少なくとも、件のテロリスト共の目的というものについては、聴衆の多くが見当がついていた。現在、《因子》というものは日本でしか発現していない。そのため、その異常なまでの能力はすべて、日本人特有のものとなっている。そして、先ほどのような建前は述べているが、《FREES》の技術は伊集院が実質独占している。《因子》による、文明を飛躍的に発展させる数々の要素というものは、全て日本だけのものなのだ。このままでは、日本という国家がいずれ世界を支配するのではないか。
そう危惧する者達、それをよしとしない者達がいる。そういう者達を、あの男は呼び寄せた。直接的であれ間接的であれ、あいつが、テロリストを招待したのだ。
それが、聴衆達の白々しい視線の正体だった。が、そんな視線を一身に受けても、伊集院は涼しい顔だ。
「さて、先ほど高弁を垂れ流しておきながら、自分自身、その“愚行”を為していることには、ただただ自嘲するばかりである、と最初に言わせて頂きます。実を言いますと、今回私がこの場に来たのは、《FREES》の説明のためだけではないのです。それ以上に大きな、ある目的のためです。それを、今からお見せするとしましょう……どうぞ、楽になさってください。武装勢力だかなんだか知りませんが、彼らがここまで押し寄せてくるようなことはありませんよ。ちょっとしたサプライズ……エンターテイメントとして楽しもうではありませんか」
その饒舌な言葉が、ますますこの男の“胡散臭さ”を助長する。
まさか、呼び寄せたどころではない。この男こそが事態の黒幕ではないのか、という疑惑が沸き起こってくるが、それはすぐに否定された。
あり得ない、一科学者が何をすれば、武装勢力を手引きしてロシア陸軍と喧嘩させられる?
ひとしきり言い終えた伊集院は、不意に右手を首の後ろへと回した。さながら、背骨を押すかのように、中指で皮膚に触れている。何度か、指でトントンと叩いたようにも見えたが、多くの者はただの目の錯覚か何かと片付けた。
それからしばらく、彼は黙りこんでじっとしていた。じわじわと、薄い布に染みこむ油のように緊張が充満してくる中で、再び伊集院は口を開く。
「……外と中継を繋げられるようです。どれ、このホログラムを使って映してみるとしましょう」
そう言って、軽く手をあげる。それを合図に、先程まで《FREES》発電機の構造図を映し出していたホログラムの映像が、切り替わった。TV中継用のものか何かだろうか。カメラによって撮影された映像が、無線を通して投影される。マイクとも繋がっているのだろうか、スピーカーから音声も聞こえてきた。
一体誰が撮影しているのか、誰がホログラムを切り替えたのかはともかくとして、その巨大な映像を目の当たりにし、再び場内がざわめき出した。
誰かの叫ぶような声が聞こえる。
「何だアレはッ? 軍用ヘリじゃないか! アパッチ……アメリカ陸軍の機体だ!」
その言葉通り、画面内を、ローターを回転させ飛行している暗緑色のその機体は、アメリカ陸軍所有の対地攻撃用ヘリ、アパッチだった。建物の周囲に配置されていたロシア陸軍部隊に対し、M230 30mm機関砲による掃射を行なっている。機首下部に取り付けられた砲門が火を吹く度に、ドッ、ドッ、ドッと、乾いた音が小刻みに響いていた。その下にいた歩兵達は、為す術もなく蜂の巣にされるか、さすがに軍隊の面子として、近くの障害物に身を隠すかしている。
驚くべきは、画面に映るアパッチが、二機ということだ。もしかしたら、画面外にまだ何機もいるかもしれない。そして画面下方には、どこの軍のものかも分からない黒色のボディアーマーに身を包んだ兵士の集団が奔走している様子が見える。その懐には、機関銃どころか、携行式のミサイルランチャーまで抱えられていた。
ホールにいる誰もが言葉を失うのが分かる。またしても、誰かが呻くように言った。
「あ、あれがテロリストの武装なのか? 確か警備隊は歩兵中心、せいぜい装甲車しか配備していないという話だったが……」
何がサプライズ、何がエンターテイメントか。敵の戦力はテロ行為どころか、正規の軍隊によるひとつの戦闘のそれだ。これで戦車まで持ちだしているならば、最早掃討戦の様相である。これほどの襲撃を誰が察知できようか、明らかに警備部隊の戦力は、迎撃するには不足していた。
このままでは、あっという間にこの場は制圧されてしまう。すぐにでもこのホールにまで敵兵がなだれ込んでくる。
ざわめきはやがて、悲鳴とも形容できるような喧騒へと変わり始めていた。軍事基地でもないこの施設には、避難用のシェルターだとか、そういう類のものはない。災害用の避難路を通ったところで、建物全体が占拠されれば、むしろテロリストの眼の前へこんにちわ、だ。逃げ場がない。
絶望が立ち込めようとしていた場内を、またしても伊集院が一喝した。
「そうやって狼狽えていて向こうが帰ってくれれば、それでいいんですがねぇ。みっともない。軍人はこの状況でも果敢に戦っているのですよ? 実に勇猛だ。私もあの場に出て行って手助けしたいほどですよ。しかし、そんなことをしてもひき肉がひとつ増えるだけだ。ですので、代役というのを立てさせていただきましょう」
再度黙りながらも、聴衆達が眉をひそめる。こいつは何を言っているのか。
「ご覧ください」
と催促されるままに、改めて、ホログラムの向こうで繰り広げられる戦闘に眼を向ける。
突然のことだった。
画面を一条の青白い光が横切ったかと思うと、一機のアパッチが機体を真っ二つに切断されてから、爆発大破した。猛烈に炎と黒煙を吐き出しながら、破片が地面へと落下していく。
誰もが、絶句した。何が起こったのか理解できなかった。
次いで、画面にひとつの巨大な影が躍り出た。墜落していくアパッチを呆然と見つめながらも慌ただしく動きまわる兵士達の中に、身の丈3mか4mに達する、巨人が現れたのだ。その巨人は、白い流線型の装甲を身にまとい、長い四肢を有する。やや前屈し右足を前に出した、歩行の途中のような格好で静止していた。そのフォルムは、中世の西洋における騎士の鎧のようなデザインをしている。それは、地獄に突如舞い降りた、天界からの追放者ルシファーのごとく神々しくも不気味に、今この瞬間、全ての者の心を掴みとって支配した。
あれだ。あれが、アパッチを破壊して見せたのだ。
一国を担う政治家と科学者達が揃って眼を見張る中で、伊集院は悠々と語った。
「おそらく彼らの目的は、私の身柄――ひいては、《因子》を独占する……と言われている日本に対する脅しでしょう。全世界に、そういう者達はいくらでもいます。もしかしたら、皆さんの中にもいらっしゃるのではないですか? なに、これについてはご起立は求めませんよ。仕方がないことだ。とはいえ、私としては、大人しくこのような蛮行に屈するわけにもいかない。ですので、自ら抗うための術を用意させていただきました……それにしても、彼らは自分達に横流しされた兵器の出処ぐらい、考えないものか。まぁいい。どうです皆さん。これが、私と、私に追いつこうと日々頭脳の研鑽に励む“同志達”の手により作り上げた新機軸の兵器……《|Fact HighLander》略して《FHL》です。小型の《FREES》エンジンにより、半永久的に稼働する自動人形。いやはやまったく、他ならぬ私こそ、ダイナマイトを人殺しに使う愚か者の一人だったということだ。ハハハハッ、科学者として恥辱の極みではあるな」




