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Session.4 Murderer Part.1



 次いで男の顔は、焦燥と憤怒に引きつった。

 だがそれもやがて、またこれまで通りの高慢な笑みへと戻る。この一連の表情の変化も、もう何度やったのか分からない。

 もっとも、とうとう額を流れる汗を隠すことはできなくなったが。


 男が言う。

「フ……フ、フフッ……まさか《特A》とは思わなかった。いやはや、奥の手を隠されたんじゃあ、敵わんなぁ……けどまぁ、手の内を隠すってのは、確かに大事なことなんだなぁ~。お前“だって”そうしたぐらいなんだからなぁぁ……“俺だけ”じゃあないんだもんなァァ~っ」


 場の空気が、また張り詰めた。一体、何を言っているのか。

 男は気だるそうに首をコキコキと鳴らすと、着ていた上着をゆっくりと脱ぎながら、世間話でもするような口調で語りはじめた。

「本当は、あんな“出来損ない”共と同じ姿になるのは嫌だったんだが……こうなったらやむを得まいなァ。 お前、さっき本気を出すって言ったなぁ。ってことは、もう“後出しジャンケン”はできないってわけだ……俺の方が“一手”、多く切り札を持ってたらしい。クッヒヒヒヒ……」

 カッターシャツの後に白いインナーも無造作に脱ぎ捨て、男は上半身裸になった。

 何か、マズイことが起こる。あやめがそう感じた瞬間だった。


「ヌ゛ックゥゥ……ッ!」

 男が呻き声を上げながら背中を丸め、踏ん張るような姿勢になった。続いてその白い肌に亀裂が入り、盛大な音を立てて皮膚が裂けた。そこから黒く隆起した肉体が露わになり、指先からは鋭い爪が伸びる。

 腕だけではない。顔面の皮膚も、紙切れをカッターで乱雑に切り裂いたようにボロボロに破れ、剥がれ落ちていく。そうして顕になった、腕と同じく黒光りする別の顔。口元からは牙が生え、眼球は赤く変色し、髪の毛は白髪へと転じた。


 同じだ……

 先ほど御剣が全滅させたあの怪物達と、同じ姿になっていた。やや人間に近いフォルムをし、髪(なのだろうか?)が生えているなどの違いはあるが、“印象”というものにおいては、まったくの同類だった。

 “変身”したのだ。アメコミのダークヒーローのように。


 ここでようやくあやめは、あの男が、怪物達と同じ次元の生物であるということを知った。

 あんな生き物が、この地球上に存在していたという事実に、ようやく愕然とした。


 凶悪な姿に変貌した男だったが、その態度に関しては何も変わっていなかった。あざ笑うように、御剣に語りかける。その声も、わずかに低くなってはいるが大きな変化はない。

「クッフッフッフッフッ……さぁて人間くん。俺のこの姿を見てみて、何を感じたかなぁ~?」

「……」

 御剣はただ黙って、大剣を構える。その顔から、ついに笑みが消えた。


「フゥ~ンン~~ッ。いいねぇ、少しずついい顔になってき・た……ぞッ!!」

 男が、御剣に接近する。

 再び、あやめの眼には見えない攻防が繰り広げられた。


「ジェェエッ!!」

 男が爪による右フックを繰り出す。御剣はそれを、大剣の刀身で受け止めた。

 建造物の解体で使われる粉砕機を、10m四方の鉄の固まりにぶつけたような轟音が響いたのは、この攻防が終わった後だった。

 空気が揺れ、足元のコンクリートに亀裂がはしった。並の人間なら、それだけでミンチになるほどの衝撃をモロに受け、御剣の身体が一瞬硬直する。

 その隙をつき、男は左腕で突きを放った。

「ジョォェアッ!」

「う...っ」

 御剣は、姿勢を低くしてそれをかわした。頭上を鋭利な槍の穂先となった爪が通り過ぎる。


 間髪入れず、男はさらに右腕を縦に振り上げ、斬撃を放った。

「ズアッ!」

 それを左に回避しつつ、男の脇に回りこむ御剣。右腕を振り切ったことでがら空きになった腹に、一撃叩きこむつもりだ。だが、男の動きは予想以上に俊敏だった。

「シャアアァァーーッ!!」

 身体をひねりながら左腕を突き出す。

 攻撃を加えるのは、諦めるより他なかった。御剣は咄嗟に後ろへ飛び退ずさり、男と距離を取る。


 そこでようやく、轟音があやめの鼓膜を乱雑に揺らした。


 一瞬の嵐が過ぎ去り、また静かになった室内で、男が酔いしれるように笑みを漏らした。

「ンン~ッフッフフフフフ。これだよ、これこれ……いい気分だァ」


 一瞬の間を置いて、再度御剣との間合いをつめ、右腕で突きを放つ。彼はそれを回避するが、間髪入れず左腕での突き、さらに右腕での突き――めまぐるしい突きの連打が襲いかかってきた。

「シャアァッハハハハハハハァーーッ!!」

 小数点の間隔で繰り出される猛襲を、時には刀身で受け止めつつ回避する。反撃するほどの余裕はないようだった。明らかに、男の戦闘力は上がっていた。先よりも格段に。


 突きの数が百を越えようという時、男の方から一旦後ろに下がり、再び互いの距離は開いた。


 固く身構えていた御剣の身体が、その緊張を解く。

 同時に男が、笑みに歪んだ口をゆっくりと開いた。

「さて、いい加減身の程も知れたところで、命乞いをする時間でもくれてやるか……ほら、這いつくばって見ろ、涙を浮かべて見ろぉ。ほらァ~」


 あやめには先の一瞬何が起こったのかよく分からなかったが、御剣が追い詰められているということはなんとか判断できた。

 生唾を飲み下す。


 だが、当の御剣は、這いつくばりもせず涙を流しもしなかった。その顔から笑みは消え表情は引き締まっていたが、汗ひとつ流さないその面持ちからは、ある種の精悍さすら醸し出されていた。

 彼は、大剣を床に突き立てると、静かにこう応えた。

「命乞いはしないが……ひとつ聞きたいことがある」

「……あぁ?」

 男の眉根に皺が寄る。


「あんたは俺にコケにされた憂さ晴らしをしたいんだ。そうだろ」

「……」

「だったら、俺を狙うのはいい。売られた喧嘩を買った以上、互いが納得するまで殺し合いでもなんでもやってやる……だがな、なんで無関係の人まで狙う。そこが分からねぇんだ」


 男は肩を揺らせて笑った。

「ハッハハッ。お前ひとり殺っただけじゃ満足しねぇからだよボケ。それだけだ」

「それだけのために人を殺すわけだ……あんたらにとって、人間ってのはなんだ?」

「……まぁ、元々知性の欠片もない“我ら”に物事を学習させ、文明に適応させ、都合のいい肉体を与えてくれる、という点に関しては感謝もしている。だがなぁ、お前らは赤ちゃんのころ乗ってた乳母車を崇め奉る趣味があるか? ないだろ。お前らは所詮ただの“モノ”だ。場に過ぎねぇんだ、空気みたいなもんだ、ッハハ! 乳母車がぶっ壊れりゃ、新しいものを買えばいい。むかついてしょうがない時は、そこら辺のモノに当たり散らせばいい……人間ってのは“我ら”に都合のいい……“ゲーム”みてぇなもんさ」

「へぇ~……そうかい」

「それよりもさぁ。さっきからず~~……っと言いたかったんだけどよぉ。お前ムカツクんだよ。何様のつもりだ。身の程知れたろって言ってるだろうが、バカが。人間ごときが俺にナメた口聞いてんじゃねえよ。俺に文句たれるんなら、せめて“我ら”と同じ立場に立ってからにしろ……あ?」

 黒い額に血管が浮き出ている。いや、腕にも、首筋にもだ。男の中の苛立ちはすでに極限に達しようとしているのだろう。後少しでも刺激すれば、我を忘れて暴走しそうな雰囲気だった。


 だが、御剣は話すのをやめない。命乞いもしない。ただ悠然と語るだけだ。

「それならよォ。あんたと同じ立場に立てば……それでいいわけだ。簡単な話だな。大体さぁ、立場をわきまえるべきは……あんたの方なんだぜ? ヒヒッ」


 その一言で、男はついにキレた。

「あぁ~~うるっせぇぇなあぁ~~……うるせえうるせえうるせえうるせえうるせえぇ……うるせぇんだよオオォォーーッ!!」

 狂乱した男が、御剣に突進する。0.5秒とかからず、互いが肉薄した。

 男が右腕を突き出し、御剣の顔を狙う。暢気に大剣を床に突き立ててしまったものだから、それを抜き取るのに時間がかかる、刀身で受け止めることはできない。

 かと言って、己の攻撃を全て回避し切ることはできないと、男は先の攻防を通して推測していた。例えこの突きがかわされようと、次々に攻撃を続けていけば、勝てる。

 このままこいつの顔面をえぐり取り、腸を引きずり出して、床の上に並べて鑑賞してやる……


 だが、突如として腕の動きが止まった。まだ御剣の顔には達していないというのに、ピタリと静止して動かなくなった。押すだけでなく、引くことさえできない。

 その原因はすぐに判明した。


 御剣の右手が、五本の爪のうちの一本を掴んでいたのだ。爪が指に繋がっており、指が手に、手が腕に繋がっているのなら、爪を掴まれれば腕も動かなくなるというのは分からない話ではない。

 しかし、己の筋力ならば、たかだか“人間の《保有者(ホルダー)》”風情の手など振りほどける自信が男にはあったのだが、どれだけ力を込めても微動だにしない。ただ、爪を掴まれている中指の関節が、微細に動くだけだった。


 頭から血の気が引き、昂奮が一気に収束していく。血管を流れて全身に行き届いていた煮えるような苛立ちさえも、一瞬忘れてしまいそうになった。


「こ……こいつッ」

 呻く男に対し、御剣が語りかける。その顔に、笑みが戻った。人を小馬鹿にしたような、だらしのない笑みが……

「本当は、その気になればあんたなんぞ一捻りしてやれるんだ。その上で、ここまで偉そうに言っておいて一歩引くっていうのが情けないことっていうのは認める……しかしだ、そろそろ“あいつ”にも遊ばせてやらないといけねェよなァ……」

「お、お前……」

「いいか、肝に銘じておけ。どうせ今からその肝も解体されるがね……あんたら《因子人(ファクトリアン)》共がみんな、人間を見下してると思うなよ……それを教えてやる」

「お前……お、お前! まだ“後出しジャンケン”できるっていうのかッ!?」

「……クックフフフヘヘヘヘッ!」


 突き出した腕のその向こうで、御剣がニタリと口元を歪ませる。その顔には、これまで男が見たことのない不気味さがあった。この世の全ての生物が見せた全ての表情――それだけではない。概念に至るまでありとあらゆる森羅万象に探りを入れても、存在しないと思えるほどの……


 男の中に宿る全てが、この未知の恐怖に対し、“退避”という行動を強要した。


「クソッ!」

 男は、まだ自由の利く左手の爪で、掴まれている右中指の爪を切り裂いた。そうすることで爪と共に拘束されていた右腕が解放され、御剣から飛び退くことに成功する。

 またしても互いの身体が離れた。


 余裕がなくなったのは、男の方だった。体中の肌が粟立ち汗が流れていく中で、焦燥に駆られた叫びを人間の《保有者》に浴びせる。

「ふ……ふざけやがってェーッ!」

 その叫びも掻き消すように、御剣の、何かを呼び覚ますような雄々しい叫びが、暗闇の中を響き渡った。

「いくぞ、ロニー・ロングッ!!」




 次の瞬間だった。御剣の身体に変化が生じた。

 薄暗い中では、それは些細な変化に見えたが、この場がもっと明るければ、眼を見張るほど明確なものであると分かるだろう。


 めまぐるしい攻防の中で御剣と男の立ち位置が変わったことで、あやめの眼にも、御剣の身体を正面から見ることができた。


 癖の多い黒髪が、燃え立つように赤くなった。実際その髪は、篝火のごとく淡い光を放ったように、あやめには見えた。風に煽られたようにふわりと浮き上がった髪から、火の粉のごとく燐光が散る。

 それと共に、日本人らしい暗褐色の瞳までも赤く燃え立ち、漆黒の中で輝いた。

 さらにその顔つきだ。怪しく笑んでいたその顔もまた……何も変わっていないように見えるが、それでいて確実に何かが変わっていた。

 なんというか……女のような顔に変わっている。

 顔よりも、胸を見たほうが明瞭だった。男が脱ぎ捨てたのと同じ芦原高のカッターの胸元が、ほんの僅かにだが膨らみを持った。


 変わっている。彼もまた“変わっている”。

 怪物と化した男のように。しかし、それよりも怪しく、それでいて流麗に。


 彼……ではない。

 彼女は……


「……御剣、くん……じゃない。あなた、誰っ?」

 あやめは、無意識の内に呟いていた。


 その問いが聞こえたのか聞こえていないのか。

 御剣ではない誰かは、流れるように腕を組み、誰もいない宙に――否、どこかの誰かの眼に届いているであろう見えないカメラに目線を送りながら、言った。

「ロニー・ロング」




 彼女は一体何者だ。

 お互いにとって何の名誉にもならないことだが、この瞬間だけ、男とあやめの心情は完全に合致した。

 もっとも、男の場合、“何者だ”という疑念のベクトルが異なるわけだが。


 場の空気が凝固し、息が詰まるような静寂に満たされる。それを破ったのは、“彼女”だった。

 彼女――ロニー・ロングと名乗った彼女が、眼を閉じて、大きく背伸びをした。

「ン~~ッ」


 その仕草は、整った顔立ちと相まって愛らしさすら感じるものだったが、同時に、この状況にはあまりに不釣り合い過ぎて、空恐ろしいものにも見えた。

「はぁ~っ」

 背伸びをしたまま深呼吸してから、ロニーはその見た目相応の澄んだ声で喋り出した。

「久しぶりに、セーイチの身体で好き勝手できるな~。それだけでもうなんか気持ちがいいわ! あぁ~気分が舞い上がってきたっ。相変わらず制服はブカブカだけどね……ベルト閉めよ」

 ずり落ちそうになったズボンを押さえてベルトを占めるロニー。その姿の滑稽さは、どこか御剣と同じ雰囲気があった。

 同じだ……身長と髪型以外は何もかも違う。だけど、同じような感じがする。彼女と御剣は。



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