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おまえとあなた

作者: ことり

SSです。

 チャップリンという俳優が好きだ。

 別に無声映画を見たわけじゃない。だけど、あたしはチャップリンが好きだ。



 五年ぶりだった。

 水色のワンピースに麦わら帽子、籐でできた変なキャリーで、この東京の隅っこまで態々やってきた。


「おー!」


 あいつが手を振っている。

 右手の歯ブラシは止めたくない。口の中がミントの味で一杯になりすぎるからだ。


「元気だったの?」


 返事の代わりに、歯ブラシの向きを変えて治療中の奥歯を磨いた。


「無視ですか……」

「いや、なんで来たのかと考えてた」


 こいつとは同じ高校、同じ学年、違うクラス。三年間同じ制服は着ていた以外にも付き合いはあるが、接点は小さい。

 やじろべえとその台座のような関係なのかもしれない。


「一週間、お邪魔します」

「お前、何しにきたの?」

「いいじゃんいいじゃん。お食事代も払うから」

「いらない」


 と言ったのに、ミントの味が口の中の自由を奪ったせいで、うまく発音できなかったみたいだ。


 デカ過ぎるキャリーを無理矢理こじ開けて何かを出そうとしている内に、まっぷたつに割れて、中身がぐちゃっと飛び出した。

 そのあいつらしさが、アタシの口からも大嫌いなミントを取り除いてくれた。


「汚ね」

「おお、お前のパンツがイチゴ味からミント味に変わった」

「うおーっ!マジですかー!」


 相変わらず“きゃぴきゃぴ”しやがって。……チクショー。




***




「あなた、その煙草の消し方、なんか怒ってるみたいよ……。あ、怒ってる?押し掛けたから?」

「ちがうちがう。消し方くらいいいじゃん」


 茶碗の中にいる乾燥したご飯粒を避けて、ねじ込むように煙草を消す。別に憎しみを込めているわけではない。火から灰になる過程がまどろっこしいだけだ。

 そうだ、面倒くさいのは中間なんだ。ここから新宿に行く電車の中も面倒くさい。ドアを開けたらスタジオなのがいい。


「相変わらずやってんだね」

「だって、それしかないし」


 六畳一間の中で一番安全な場所はパイプベッドの下だ。ほんとは立てかけておきたいが、人生の25分の1を費やして貯めたお金で買ったギターは、あたしの人生の2分の1を占めているから、たぶん大事なものなんだろう。だから一番安全な場所に寝かせてある。

 そんなものを、おまえは見つけ出す。そのセリフを言いたかったんじゃないのかと考えたが、どうでも良くなった。


「そんな事より、何しにきたの」

「なんででしょうか」


 と言いながら、籐のキャリーを少しだけ開けて腕をつっこみ、何かをまさぐっている。まさぐっている内にまたキャリーはまっぷたつになった。

 始めから開ければいいじゃん。とは言わないが、口の中に嫌いなミントの記憶が蘇える。


「持って来たよ」

「なにを」


 あいつがでかい割り箸を見せつける。


「いや、だから、コレ」

「……スティック」

「そうそう」

「だから、なに?」


 がっくりと肩を落とす姿が、かつてベストドラマーを受賞したあいつだという事を思い出させた。スティックを見たからではない。


「練習付き合うよ」

「いらないよ。もうバンド解散したし」

「ええ!?なんてことすんのよ」


 茶碗に煙草をねじ込んでから、膝を抱える。頬に少しがさついた膝小僧があたって気持ちいい。


「またそうやって体育座りする!」

「体育座りじゃなくて、膝抱えてんの」

「何が違うのよ」

「ちがうんだよ!……たぶん」

「怒ってるし……」

「怒ってないし!」


 なんなの、そのかわいさ。高校時代のまんまじゃんか。


「セッションしたいの?」

「したいしたい!」

「あれからずっと続けてんの?」

「五年ぶり!」

「……やっぱ、やめとく」

「いやー!」



 小さなライブイベント。反則の超ミニ制服で脚をがばっと開いてドラム叩いてたあいつ。観客の野郎どもがその時ほどバスドラを憎んだ日はなかっただろう。

 あたし達の演奏が先で良かった。演奏は負けてなかったハズだ。むしろレベルはあいつのバンドより一つ上だったと思ってる。


 だけど、華で負けてしまった。


 ライブハウスが呼んだプロのビジュアル系バンドのドラマーがあいつの事をいたく気に入って、そんな賞を増設した。

 別に悔しくもなんとも無かったが、あいつらしい賞だと思ったものだ。

 高校を卒業して、あたしはプロを目指すために上京した。

 大学に行くという名目で。

 メンバーは楽器屋を通して募集した。「見た目、レベル、全部普通の人。プロになりたい人」

 確かボードにはそう書いた。

 六年間メンバーを入れ替えながら、デモテープを作ってレコード会社にも送った。

 だけど今度はあたしのやる気が失せた。何をしたいのかわからなくなったからだ。


「ベースとキーボードは暇そうだから呼べるかな。ボーカルは無理だな。一人でプロになっちゃったから」

「へー」


 気のない返事は、結構グサッとくる。そこは何か一言添えるべき地点だったからだ。が、別にどうでもいい事だ。





***




「けいおんみたいのがいい」

「あほ!」


 曲はあたしが決める。お前は叩くだけだ。

 とは言っても、オリジナルは知らないだろうから、高校時代にやっていた邦楽の有名所で行ってみた。

 五年のブランクはあたし達とのレベルの違いを見せつける。へたくそだ。あいつのワンピがジリジリと捲れてきて太ももが露になっている姿は昔と変わらないが、少しだけバスドラが憎かった。


「うまい!プロになればいいのに!」


 勝手な事を言う。あたしはね、華が好きじゃないんだよ。

 このギターの腕でステージに上がりたいんだよ。……なんて口が裂けても言えない。


「おまえこそ、続けてれば今頃アイドル方面くらいには行けたんじゃないの?」


 冗談ではなく。冗談で。

 あいつが空気の抜けた笑いをした。

 その時は、なんで空気が抜けてるのかわからなかった。


 曲間で休んでる時に、あいつがスネアを刻み始めた。


 すぐにベースがそれに合わせる。

 キーボードが嬉しそうにリズムを刻んでいる。




 なぜ、そんな曲を……




 と思いながら、ディストーションのペダルを踏んでスイッチを入れる。オーバードライブもおまけでつけた。

 そういえば、あいつとセッションした事なかった。

 華のあるあいつとあたしは違う道を進んでいると思っていたからかもしれない。線を引いていたんだ。

 お互いのバンドが解散した後も、一緒に組もうと考えなかった。いや、考えたが、考えていなかったと自分に言い聞かせてた。


 懐かしいリフに自然と左指が動く。

 猛スピードで走る車のように。

 限界を知らないまま飛んで行くように。


 これは来日公演バージョンだ。


 キーボードが必死にハイスピードのソロを奏でる。

 ボーカルが欲しいが、もういいや。もうすぐギターソロだし。

 ライトハンドではなくてピッキングだけで泣きのギターを。


 くそう。なんて楽しい曲だ。


 あいつはリムにスティックをぶつけてしくじりながらも、楽しそうに叩いていた。




***




「怒ってるみたいだけど、やっぱりそれがいいかも」


 茶碗の中の乾いたワカメを避けて、煙草をねじ込んだあたしに、そんな事を言う。


「おまえ、なんであの曲なの?」

「いちどあなたとやってみたかったんだよねー。高校の時、組めなかったから」

「フーン」


 煙草をねじ込むのは、灰皿を自分に見立てているからかもしれない。

 歯医者が面倒くさくてほったらかしにしてたら、夜中に虫歯がうずきだす。

 あたしはその虫歯をやっつけたくて仕方が無い。

 うずきだしたものに煙草をねじ込んでやれば、痛いだろうな……なんて思うと、やってみたくなる。


「相変わらずだね。相変わらずでいてね」


 と、残してあいつは帰っていった。





――あいつはそれから二ヶ月後に不倫相手と心中した――





 今となっては、何故あいつがあたしの所に来たのか考えても意味がない。

 たぶん、あの曲を思い出させたかっただけかもしれない。突っ走れって?


 その内。

 気が向いたらそうする。





 チャップリンは映画の前ではけして弱さを見せなかったそうだ。大人になっても幼少期を引きずって苦しんでいたにも関わらず。

 詳しくは知らない。


 だから、あたしはあいつが好きだった。

 なんでかは知らない。


 華のクセに。

 でも、好きだったんだ。



ありがとうございました。


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