ちゃんと読まないあなたが悪いのでしょう?
「ねえディアドラ、悪いんだけど、また5万ほど貸してもらえないかな?」
我がバンフィールド家の中庭の東屋で、婚約者のエリオット様と二人でお茶を飲んでいると、不意にエリオット様がそんなことを言ってきた。
「またですか。先週も5万貸したばかりですよね?」
「ごめん! 今度こそ絶対に返すから! 週末に競馬の大きいレースがあるんだよ! これで当たれば、今まで借りてた分も耳を揃えて返すからさ! ね! 頼むよディアドラ! 君だけが頼りなんだ!」
エリオット様は手を合わせながら、祈るように何度も私に頭を下げる。
「しょうがないですね。ではまた例によって、こちらの契約書にサインをいただけますか」
私は手元のバッグから一枚の紙とペンを取り出し、エリオット様に差し出す。
「はいはい、君も相変わらずマメだよね」
「ちゃんと読んでからサインしてくださいね?」
「ああ、わかってるって」
だがエリオット様は鼻歌交じりに、ろくに文字も読まず、ササッとサインを済ませた。
「はい、これでいいだろ?」
「ええ、確かに。では――」
私は財布から1万サクル札を5枚取り出し、エリオット様に差し出す。
「へへ、悪いね。必ず返すからさ!」
エリオット様はお金を素早く懐に仕舞う。
「ええ、よろしくお願いしますね」
だが、結局いつまで経っても、エリオット様が私にお金を返してくれることはなかった。
それどころか、この後も事あるごとにエリオット様は私にお金を無心してきたのだ――。
そんなことが二年ほど続いた、ある日のこと。
「ねえディアドラ、悪いんだけど、また5万ほど貸してもらえないかな?」
我が家の中庭の東屋でエリオット様と二人でお茶を飲んでいると、例によってエリオット様がそんなことを言ってきた。
「お、お嬢様……」
その時だった。
メイドが大層気まずそうにしながら、私に声を掛けてきた。
「チッ、何だよ。僕たちは今大事な話をしてるんだから、後にしてくれよ」
エリオット様が舌打ちをしながら、指でトントンとテーブルを叩く。
「ヒッ!? で、ですが、ニャッポリート金融の方が、お嬢様に大事なお話があるとのことで……」
「ニャ、ニャッポリート金融が……!?」
ニャッポリート金融は、有名な消費者金融会社だ。
そんなニャッポリート金融が私にいったい何の用事なのか、とでも言いたげな顔で、エリオット様が私を見てきた。
「そう、通してちょうだい」
「は、はい」
が、私はエリオット様を無視して、メイドにそう言ったのだった。
「お忙しいところ失礼いたします。わたくしはニャッポリート金融から参りました、ローランド・ブレーリーと申します」
メイドに通されて東屋に現れた若い男が差し出した名刺には、『ニャッポリート金融 営業部 ローランド・ブレーリー』と書かれていた。
どんな目的でニャッポリート金融の人間が私の前に現れたのか、固唾を呑んでエリオット様が見守っている。
「そう、私にどんな御用でしょうか?」
「ええ、それが、大変申し上げにくいのですが、もう随分返済日を過ぎてしまっておりますので、そろそろお返しいただけないかと、ご催促に参った次第でございます」
ローランドと名乗った男は、一枚の紙を私に差し出した。
紙の冒頭には『督促状』と書かれている。
「へ、返済日、だって……!? まさか君、借金をしていたのかい!?」
途端、エリオット様の顔が真っ青になった。
「ええ」
「な、なんで……」
「なんでって、それはもちろん、エリオット様にお金をお貸しするためですわ」
「…………は?」
エリオット様は、大口を開けてポカンとした。
「いくら私が貴族の娘とはいえ、私のお父様は大変お金の管理に厳しいお方ですので、私自身が自由に使える資金は、ほとんどないんです。ですのでエリオット様にお金をお貸しするには、こうして金融会社からその分をお借りするしかなかったというわけです」
「そ、そんな……! そこまでして……!」
エリオット様は思考が理解できない人外を見るような目を、私に向けてくる。
「ですので、このお金は、エリオット様がニャッポリート金融さんに返してくださいね?」
「…………え?」
私はエリオット様に、督促状を差し出す。
「い、いやいやいやいや!? こ、このお金は、あくまで君がニャッポリート金融から借りたものだろ!? 僕は関係ないじゃないか!? ――なっ!? い、1217万!?!?」
督促状に書かれていた、文字通り桁違いの金額に、エリオット様は絶句する。
「い、いくら何でも、僕は君からこんなには借りてないぞッ!?」
「ええ、それはあくまで、利息を含めた金額でございます。弊社は複利でございますので、返済が滞るほど、金額は雪だるま式に増えていくことになります」
ローランドは極めて事務的に、淡々と説明する。
「そんな……。で、でも、僕は知らないぞ!! ニャッポリート金融からお金を借りたのはあくまでディアドラなんだから、僕に返済の義務はないはずだッ!」
「いいえ、返済の義務はございますわ、エリオット様」
「はああああああ????」
エリオット様は顔に浮き出た血管をピキピキさせている。
「こちらの契約書に、毎回サインをされていたではありませんか」
「……!?」
私はエリオット様にお金を貸すたびにサインをしてもらっていた、契約書の束をドカッとテーブルに置いた。
「え? これは、ただの借用書だろ?」
「いいえ、私は最初から一貫して、ずっと契約書と言っていましたわ。もう一度よく内容に目を通してくださいませ」
「なっ!?」
ガタガタ震えながら、恐る恐る契約書を取るエリオット様。
「――あっ!!!」
そこにはハッキリと、『このお金はニャッポリート金融から借りたものである』こと。そして『返済は全て、エリオット様のほうで請け負う』ことを了承する旨が記載されていたのである。
「私は口を酸っぱくして、ちゃんと読んでからサインしてくださいと毎回言っていましたよね? それなのにろくに内容も読まずにサインをされていた、あなたが悪いのですよ、エリオット様?」
「う、うあああ……! うああああああああああああああああ!!!!」
エリオット様は頭を掻きむしりながら、奇声で辺りの空気を震わせた。
「そういうことでしたら、こちらのご返済はお客様のほうでよろしくお願いいたします」
「ヒッ……!?」
ローランドは例によって事務的に、エリオット様にペコリと頭を下げる。
「ま、待ってくれ!? こんな大金、とてもじゃないが払えるわけがないッ! どうか今回だけは、勘弁してはもらえないか!?」
「そういうわけには参りません。わたくしも仕事でございますから。どうしてもお支払いいただけないということでしたら、お客様のご両親に、立て替えていただくことになりますでしょうね」
「そんな……!! 父上にこんなことがバレたら、僕は勘当されちゃうよッ! ねえディアドラ! 元はと言えば君が借りた金だろ!? 僕らは夫婦になるんだから、君がお父様に用立ててもらってくれよ!?」
「いいえ、今の私とエリオット様は、あくまでただの婚約者。法律上はまだ他人です。それに、そもそも論的な話をするなら、エリオット様が私からお金を借りたのが原因なのですから、この件はエリオット様のほうで何とかしてくださいませ」
「あ、あああ……、あああああああああああああああああああああああああああ」
エリオット様は助けを求める幼子みたいに、虚空に向かって泣き叫んだ。
当然ながら、そんなエリオット様に救いの手を差し伸べる者は、どこにもいなかった――。
結局あの後エリオット様の借金は、エリオット様のお父様が立て替えることになった。
案の定エリオット様のお父様は大激怒し、エリオット様は勘当されることに。
エリオット様は私に騙されたとしきりに弁明したらしいが、契約書にしっかりとエリオット様のサインが書かれていたので、そんな話が罷り通るはずもなかったのだ。
こうして私とエリオット様の婚約は、正式に白紙になったのである。
「ふう」
およそ二年ぶりに肩の荷が下りた私は、いつもの東屋で一人、美味しい紅茶を飲みながら、庭に咲くスイートピーの花に目を細めていた。
「あ、あの、お嬢様」
その時だった。
メイドが私に、恐る恐る声を掛けてきた。
「何かしら?」
「あ、はい、ローランド様が、お見えになっております」
「そう、通してちょうだい」
「は、はい」
メイドは踵を返し、玄関のほうにトテトテと戻って行った。
「やあディアドラ。今日はお招きいただき、ありがとう」
先日我が家に督促状を持って来た、ニャッポリート金融のローランドが、大輪の花束を持参して現れた。
「はいこれ、新たな門出を迎える君に、ささやかながらプレゼントだよ」
「まあ綺麗。ありがとうね、ローランド」
ローランドから花束を受け取る。
甘い香りが鼻孔をくすぐり、思わず口元がほころぶ。
「あの件は、とても助かったわ。改めてお礼を言わせてちょうだい」
「いや、大事な幼馴染のためだ。あのくらい当然だよ。むしろ、うちの会社としても随分儲けさせてもらったしね。お礼を言いたいのはこっちのほうだよ」
ローランドはパチリとウィンクを投げてきた。
うふふ、やっぱりローランドは頼りになるわね。
最初にエリオット様からお金を無心された時、瞬時に私はこの人と結婚したら不幸になると確信した。
だから幼馴染であり、親が経営している金融会社に勤めているローランドに相談して、ニャッポリート金融からお金を貸してもらえるように手続きをしてもらったのだ。
そして例の契約書を用意し、エリオット様にサインを書かせた。
あの契約書は、私なりのエリオット様への最後通牒だったのだ。
あれをちゃんと読んだうえで考えを改めてくれるのであれば、私もエリオット様のことを見直そうという。
だが、私の予想通り、エリオット様はろくに内容も読まずに、目の前のお金欲しさにさっさとサインしてしまった。
それどころか、それに味を占めたエリオット様は、事あるごとにお金を無心してくるように――。
エリオット様が不用意なサインをするたび、私の中のエリオット様への不信感は、指数関数的に増えていったのは言うまでもない。
あのまま結婚することにならなくて、本当に助かった。
その点では、心からローランドに感謝だわ。
「それより、君のほうこそお父上に怒られたんじゃないかい? 貴族の娘である君が、いくら幼馴染が勤めている会社とはいえ、消費者金融からお金を借りるなんて、沽券に関わるだろう?」
「その点は心配要らないわ。お父様としても、私とエリオット様の縁談は失敗だったという自覚はあったみたいだから。苦い顔はされていたけど、特に何も言われなかったわ」
「そうか。そういうことなら、僕が君にプロポーズしても、問題はないね」
「――!」
ローランドは確かな覚悟を滲ませた真っ直ぐな瞳を、私に向ける。
……ローランド。
「ディアドラ、僕は君が好きだよ。子どもの頃から、君のその聡明さにずっと惹かれていたんだ。どうか僕と、結婚してもらえないかな?」
ローランドは春の木漏れ日みたいな笑みを浮かべながら、そっと左手を差し出す。
うふふ。
「ええ、こんな私でよかったら。私も誠実なあなたのことが好きよ、ローランド」
私はローランドの左手に、自らの右手を重ねた。
「やった! じゃあ早速今から、君のお父様に結婚のお願いをしにいこうよ!」
「ええ? 今すぐなの?」
「ああ、善は急げって言うだろ」
「うふふ」
子どもみたいにはしゃぐローランドを見ていると、幸せな未来のビジョンが、私の頭にハッキリと浮かんだ。
スイートピーの花が、風に吹かれてサラサラと揺れた――。
拙作、『戦争から帰って来た婚約者が愛人を連れていた』がコミックグロウル様より2026年3月6日に発売された『選ばれなかった令嬢には、本命の彼が待っています!アンソロジーコミック』に収録されています。
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